南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/11/06 19:44 投稿番号: [37328 / 41162]
最近、鳥取市の
鳥取県立公文書館で、敗戦の際に
日本軍が
自治体に出した 徴兵関係書類の焼却命令を記録した メモが
確認された。 同県日野郡二部村(現・西伯郡伯耆町) の
「兵事動員ニ関スル日誌」 の1945年8月15日 の項に
はさまっていたのだ。 軍の焼却命令を伝える文書は 珍しく、
軍部による 指示の具体的内容を知るうえで 貴重な資料だ。
メモは、はがき大の紙に「連隊区司令部ヨリノ通知」 として、
「現在入営並ニ応召者ノ名簿丈ケヲ残シ其他ノ兵事関係書類ヲ
全部至急焼去スル事」 などと書かれていた。
末尾には赤字で 「二部駐在所 津島巡査」 とあり、当時、
村の駐在所に勤務していた巡査(故人)が軍部からの命令を
書き取り、村役場に渡したものとみられる。
召集令状の回収・焼却なども 指示されており、その内容は
日誌にも 転記されていた。 日誌の翌16日午前の項には、
「関係一切ノ焼去ヲ実施ス」との記述があり、軍の命令通り
焼却が行われたとみられる。
防衛省防衛研究所戦史部の 柴田武彦・主任研究官によると、
敗戦時の軍の焼却命令は、痕跡を残さないよう密かに出され、
命令を伝える文書自体が 焼却の対象だった という。
軍から自治体に対する命令も 同様の扱いだった とみられる。
メモが はさまっていた日誌は、37年7月22日から45年
11月24日まで、村民の出征先や戦死場所など召集に係わる
出来事を 564丁(丁は表裏2面のとじこみ) にわたって
記録している。 柴田氏は 「村は 日誌を残すべき名簿類に
含むと判断したのではないか」 と推測し、その日誌の中に
はさまっていたため、メモが偶然 残ったとみる。
二部村の人口は 当時、2千数百人。 約400人が出征し、
48人が戦死した。 日誌には37年10、11月、記録上
最初の戦死者2人が出た時、知事が弔問に訪れ、約800人が
参列し 村葬が行われたことや、敗戦直前の45年6月13日、
「未ダ兵籍編入ノ年令ニ至ラザル者」 に令状が届くなど、
動員システムに 混乱があったことなどが 書かれている。
焼却命令のメモだけでなく、当時の 召集の実態を記録した
資料の発見もまれで、県立公文書館の伊藤康・総括専門員は
「召集令状が役場に届いてから本人に通知されるまでの過程が
分刻みで書かれるなど、村が戦争に巻き込まれていく様子が
目に浮かぶようだ」 と話している。
戦前、全国の市町村役場には「兵事係」 が置かれ、兵役や
招集など戦時対応に係る 兵事関係書類が 存在していた。
東海大の 山本和重教授(軍隊社会史)によると、現存する
兵事関係書類は、全国で わずかに 約20町村分だという。
それは、敗戦直後に 陸軍などの命令で 全国の役場などで
一斉に 焼却処分されたためだ。
自治体に出した 徴兵関係書類の焼却命令を記録した メモが
確認された。 同県日野郡二部村(現・西伯郡伯耆町) の
「兵事動員ニ関スル日誌」 の1945年8月15日 の項に
はさまっていたのだ。 軍の焼却命令を伝える文書は 珍しく、
軍部による 指示の具体的内容を知るうえで 貴重な資料だ。
メモは、はがき大の紙に「連隊区司令部ヨリノ通知」 として、
「現在入営並ニ応召者ノ名簿丈ケヲ残シ其他ノ兵事関係書類ヲ
全部至急焼去スル事」 などと書かれていた。
末尾には赤字で 「二部駐在所 津島巡査」 とあり、当時、
村の駐在所に勤務していた巡査(故人)が軍部からの命令を
書き取り、村役場に渡したものとみられる。
召集令状の回収・焼却なども 指示されており、その内容は
日誌にも 転記されていた。 日誌の翌16日午前の項には、
「関係一切ノ焼去ヲ実施ス」との記述があり、軍の命令通り
焼却が行われたとみられる。
防衛省防衛研究所戦史部の 柴田武彦・主任研究官によると、
敗戦時の軍の焼却命令は、痕跡を残さないよう密かに出され、
命令を伝える文書自体が 焼却の対象だった という。
軍から自治体に対する命令も 同様の扱いだった とみられる。
メモが はさまっていた日誌は、37年7月22日から45年
11月24日まで、村民の出征先や戦死場所など召集に係わる
出来事を 564丁(丁は表裏2面のとじこみ) にわたって
記録している。 柴田氏は 「村は 日誌を残すべき名簿類に
含むと判断したのではないか」 と推測し、その日誌の中に
はさまっていたため、メモが偶然 残ったとみる。
二部村の人口は 当時、2千数百人。 約400人が出征し、
48人が戦死した。 日誌には37年10、11月、記録上
最初の戦死者2人が出た時、知事が弔問に訪れ、約800人が
参列し 村葬が行われたことや、敗戦直前の45年6月13日、
「未ダ兵籍編入ノ年令ニ至ラザル者」 に令状が届くなど、
動員システムに 混乱があったことなどが 書かれている。
焼却命令のメモだけでなく、当時の 召集の実態を記録した
資料の発見もまれで、県立公文書館の伊藤康・総括専門員は
「召集令状が役場に届いてから本人に通知されるまでの過程が
分刻みで書かれるなど、村が戦争に巻き込まれていく様子が
目に浮かぶようだ」 と話している。
戦前、全国の市町村役場には「兵事係」 が置かれ、兵役や
招集など戦時対応に係る 兵事関係書類が 存在していた。
東海大の 山本和重教授(軍隊社会史)によると、現存する
兵事関係書類は、全国で わずかに 約20町村分だという。
それは、敗戦直後に 陸軍などの命令で 全国の役場などで
一斉に 焼却処分されたためだ。
これは メッセージ 37327 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.