南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
朝鮮独立運動の真実
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/23 11:26 投稿番号: [37242 / 41162]
赤化による独立運動の根本方針
武市排日朝鮮人金夏錫、金弼及び趙障元は文昌範一派と提携し大正九年十二月中武市に会同し日本に対抗する武力を以てする其の効果覚束なきを以て共産主義を宣伝し秩序を擾乱すべく左の如く決議せり
一.表面親日を装い日本官憲及び日本人に接近して巧みに宣伝し擾乱に努ること
二.共産主義的雑誌新世界及び新聞自由報を発行し密かに露国及び日本版図内にある日鮮人間に配布宣伝し帝国主義破壊に努ること
三.露国共産主義者と提携し全世界に共産主義を■漫せしめ日本軍を西比利亜撤退を余儀なくせしむること
四.独立軍は独立気勢を挙ぐるに緊要欠くべからざるものなるを以て極力之が指示に努
この様に朝鮮独立と謳いながら、其の実は共産主義の手先であった。
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wadatumi_voice21 処構わぬ自慰投稿
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/10/23 11:16 投稿番号: [37241 / 41162]
屁垂れで、確固たる持論がないwadatumi_voice21 は、コピペを継ぎ接ぎした投稿を閑散トピに貼りつけるしかないようだ。
プロパガンダにもなりゃしないだろうに、自慰投稿だからそれで良いらしい。
そんなwadatumi_voice21 は、基本的に議論などできない。
たまに、己自ら文章を書いたりすれば日本語に不自由なことを露呈してしまう。
相手の質問や指摘に対してまともに返答もできない。
自前の方言で飾らずに書けば、まあ普通の問答ができるようだが、彼の安いプライドと詰まらない見栄が邪魔してそれができかねるのだろう。
哀れな限りだ。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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根拠なき『植民地解放戦争』論(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/23 08:44 投稿番号: [37240 / 41162]
日本が突きつけた
21か条要求に対し、中国総統の
袁世凱が
「日本は、ヨーロッパ諸国が
戦争で、東洋のことをかえりみる
いとまがないのを
絶好の機会にし、この要求をして、わが国を
制圧しようとしている。
特に第5号は
中国を朝鮮と同じように
扱うものである」
と強く非難したのは、当然だった。
日本は、あらかじめ
要求内容を
イギリス・ロシア・フランス・
アメリカに示し、その了解を
取りつけていたが、しかし
実は
第5号だけは
隠していた。
袁世凱は、この第5号を積極的に
宣伝し、これにより
列強が
介入してくれることを
期待した。
期待どおり、まず
イギリス政府が、日本に
問い合わせてきた。
アメリカも同様に
日本に
第5号の有無を
問い合わせてきた。
これに対し、日本政府は、これは「希望条項」で、他の条項とは
別であると言い訳をした。
イギリスは、日本が
一部の条項を
明らかにしなかったことに
遺憾を表し、アメリカも
第5号の
公示を要求し、その内容を
批判した。
一方、フランスや
ロシアは、明確な意思を
表明しなかった。
各国とも
ヨーロッパの大戦に忙しく、中国のことなどに構って
いられないという状況だった。
中国政府は、国内世論を背景に
激しく
抵抗したが、日本は、山東・漢口・満州等の
駐留軍を
大幅に増強し、軍事的圧力を加えながら
要求受け入れを迫った。
大隈内閣は
1915年5月4日に
閣議を開き、中国に対して
「最後通牒」を出すことを決定。一方で国際社会の反発を恐れて
第5号を削除することに決めた。
そして、7日に
最後通牒を
中国政府に突きつけた。
喉元に銃口を
押し付けたに
等しい。
武力を背景とした
日本の脅迫に、中国は
屈するほかなかった。
日本人顧問を採用する条項等は除かれたものの、日本は
要求の
大部分を認めさせた。
これを知った
中国の民衆は、この日を
「国恥記念日」とし、激しい反日感情を喚起する
契機となった。
各地で
排日運動が起こり、中国の民族主義運動が高まったのは、
あまりにも
当然のことだった。
脱植民地化の潮流は、早くも18世紀末にアメリカ大陸に始まり、
20世紀初頭には
ヨーロッパや
アジア、オセアニアにまでも
拡大しつつあった。
その歴史の潮流に
反抗し続けていたのが、
ほかならぬ日本帝国だった事実は、中国の半植民地化や武力侵攻、
朝鮮の独立運動を弾圧し続けた経緯からも
明らかだと言える。
日本帝国が、いったい
いつから、植民地の解放・独立を志向し、
国策とするようになったのか、まったく
不明確であるばかりか、
むしろ他民族の主権を奪い、支配し続けた事実があること、また
すでに
国際社会が、欧米列強による植民地獲得競争の時代から
脱植民地化に移行しつつあった状況などを
踏まえる必要がある。
この客観的事実に基づけば、日本帝国が「植民地解放」のために
戦争に突入する理由、根拠などは
まったく
成立しない。
過去の戦争が、植民地解放目的の
「聖戦」だった
というのは、
見苦しい言い逃れ、あるいは
単なる結果論に過ぎず、不正義で
野蛮な
侵略戦争を、到底
正当化できるものでは
ないのだ。
これは メッセージ 37239 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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根拠なき『植民地解放戦争』論(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/23 08:41 投稿番号: [37239 / 41162]
20世紀初頭。
国際関係の成熟と
民主主義の発展にともなって
脱植民地化の潮流が世界規模で拡大しつつあった。
当時、すでに
他国の主権を
武力で侵害する行為は
厳に慎むべきものだった。
日本軍の行動は、強大な武力を背景として、他国主権を侵害する
行為に他ならず、国際社会からの批判と制裁を招くものとなった。
靖国教徒が
「植民地解放戦争」だったと宣伝する太平洋戦争は、
長年にわたる
中国大陸での戦争が、泥沼化した
延長にあった。
「植民地解放戦争」より前から、中国への武力侵略は続いていた。
大陸侵略は、まず
第一次大戦で
国際社会が混乱している最中、
1914年に
日本がドイツから青島を奪った時から露骨になる。
その後、日本軍は
中国との協定を無視し、青島外にまで進出し、
山東鉄道を手中に収めた。
中国民衆は、この日本の軍事行動に
強く反発し、中国政府は、日本に
軍を引き上げるよう求めた。
ところが、日本は軍を引くどころか、中国の主権を極端に狭めて
日本が大陸の利権を奪う内容の「21か条の要求」を突きつけた。
中国の人々に突きつけた要求は、大きく
5つに分けられていた。
第1号は
4か条あり、山東省のドイツ利権を
そっくり日本が
受け継ぐことを中国は承認せよ
という要求が中心になっていた。
第2号は
7か条あり、旅順・大連の租借期限と、満鉄安奉線の
期限を、99か年
延長することを認めろ
という要求だった。
また、吉長鉄道の管理運営を
99か年にわたり
日本に委任し、
日本人に
南満州
および東部内蒙古における
土地の賃借権と
鉱山採掘権を認めることを
要求し、さらには
同地方において
政治・経済・軍事の顧問・教官を要するときは
日本と協議する、
とういうことなどを要求する内容と
なっていた。
第3号は
2か条あり、漢陽の製鉄所、大治鉄山、炭鉱の経営を
日中共同とし、日本政府の合意なく
その運営・管理ができない
ようにすることなどを
要求。
また、第4号では、中国沿岸の
港湾や島を
他国に貸すことを
禁じるものとしている。まさに
国家としての主権を蔑ろにし、植民地扱いするものとなっていた。
第5号では、日本人を
中央政府の政治・財政・軍事の顧問とし、
重要な地方の警察を日中合同とするか、または中国警察に多数の
日本人警察官を雇うこと。中国軍の兵器の半数以上を
日本から
供給するか、または日中合弁の兵器廠を設立し、日本から技師や
材料を供給することを義務づけることなどを
要求していた。
そのうえ、南昌を中心とする
鉄道の敷設権を
日本のものとし、
福建省の鉄道・港湾に関して
外国からの資金を必要とする場合
まず日本と相談することなどを
義務づけるものだった。
インド独立運動の指導者だった
ネルーも、この要求内容を見て、
「あらゆる権利を、日本にわたすものだ。
これを
認めるなら、
中国は事実上の植民地となるだろう」
と述べて批判したほどだ。
これは メッセージ 37238 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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根拠なき『植民地解放戦争』論(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/23 08:39 投稿番号: [37238 / 41162]
戦前・戦中、思想弾圧に
威力を振るったのは
治安維持法だった。
公式の記録では
送検者75,681人、起訴5,162人
となっているが、
明治期制定の警察犯処罰令など
一連の治安法規も含めた逮捕者は
じつに
数十万人にも達した
とされる。
また、記録には残されて
いないが、拷問・虐待による
多数の死者が出た
といわれている。
治安維持法は、日本国内の
反戦平和の主張を抹殺するだけでなく、
朝鮮の独立運動の弾圧に
猛威をふるい、多くの人命を
うばった。
法適用の最初は
日本本土では1926年1月の京都学連事件だが、
朝鮮では
それより前年の
25年11月で、66人が検挙された。
治安維持法を使った弾圧は、朝鮮独立運動に対し、より苛酷だった。
それは、朝鮮半島でのみ同法違反による死刑が執行されたことにも
表れている。
また、日本本土では
28年から38年までの間に
同法違反で
無期懲役を言い渡された者は
わずか
1名だったが、
朝鮮では
39名に上った。
さらに、懲役15年以上の
刑では
本土が
7名であるのに対し、朝鮮では
48名となっている。
「朝鮮ノ独立ヲ達成セムトスルハ我帝国領土ノ一部ヲ僣窃シテ其ノ
統治権ノ内容ヲ実質的ニ縮小シ之ヲ侵害セムトスルニ外ナラサレハ
即チ治安維持法ニ所謂国体ノ変革ヲ企図スルモノト解スルヲ妥当トス」
これは、新幹会鉄山支部設置に対する
治安維持法違反事件における
30年7月21日付、朝鮮総督府
高等法務院での判決だ。
つまり、朝鮮が独立することは、帝国領土の一部を奪うことになる
という理屈で、植民地における独立運動も
治安維持法違反だとし、
死刑をもって
これに臨んだのだ。
このことだけを見ても、当時
日本帝国には、植民地解放や
民族主権の尊重
などという思考は、
一欠片も
存在していなかった
という事実が
理解できるだろう。
当時の
膨張志向を顕著化させていた
日本の帝国主義に対して、
石橋湛山は、1921年7月21日付の
『東洋経済』
社説で
「一切を棄つるの覚悟」
と題し、次のように
主張している。
我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
山東を棄てる、支那が
我が国から受けつつありと考えうる
一切の圧迫を
棄てる。
また
朝鮮に、台湾に自由を許す。
その結果はどうなるか。
英国にせよ、米国にせよ、非常の
苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
自由主義を
採られては、世界における
その道徳的地位を
保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
一斉に
我が国に向かって
信頼の頭を
下ぐるであろう。
インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は
一斉に
日本の
台湾・朝鮮に
自由を許した如く、
我にもまた自由を許せと
騒ぎ起つだろう。
(後略)
中国への侵略行為を中止し、朝鮮などの自由を認めて解放すれば
日本の国際的信頼が高まり、ひいては
列強の植民地支配体制を
根底から揺るがすことになる――
石橋の主張は
明快だ。
だが、残念ながら
当時の日本帝国は、「小欲に囚われ」続けた。
敗北するまで
「一切を棄つるの覚悟」を
持てなかったのだ。
これは メッセージ 37237 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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根拠なき『植民地解放戦争』論(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/23 08:37 投稿番号: [37237 / 41162]
日本帝国が
太平洋戦争に突入する
直前の時期だけに
限っても、
1931年から
41年までの
10年間には、ニュージーランド、
カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが
完全独立を
実現し、
フィリピンも
自由連合州となり、独立を確定的なものとしていた。
さらに、中東のレバノンなども
独立を宣言するに
至っていた。
当時の
日本帝国に、本当に
植民地解放の志向が
あったのなら、
戦争を起こすよりも以前に、この脱植民地化の進展に歩調を合わせ
国際社会に対し、真剣に
植民地解放・独立を
訴えていたはずだ。
そして、誰よりも
率先して
自らの植民地支配を
解消すると共に、
諸民族の主権を尊重し、他国への軍事的干渉を
厳に慎んだはずだ。
しかし、実際に日本帝国が取り続けた政策は、植民地の独立運動を
武力で弾圧することや、海外への派兵継続、特に
近隣国に対する
兵力増派による
軍事的圧力の強化という
露骨な主権侵害だった。
たとえば
日中戦争の発端となった盧溝橋事件は、日本領内ではなく
また、日中の国境地帯でもなく、中国の心臓部・北京近郊で起きた。
事件勃発の
前年に、日本帝国は
支那駐屯軍を、1800人から
5800人へと
大幅に増強し、中国政府からの強い抗議を無視して
増強部隊を
首都・北京の近郊にある豊台に
駐屯させていた。
一国の首都の近郊に、他国の大軍が
強引に
居座っている状況は、
まさに
露骨な武力挑発、無法な主権侵害以外の
何ものでもない。
当時の
陸軍参謀本部第一部長であった石原莞爾も
証言している。
「豊台に兵を置くことになりましたが、之が遂に本事変の直接動機に
なつたと思ひます」
(「石原莞爾中将回想応答録」参謀本部作成)
根本的な問題は、どちらが先に発砲したか
などということでない。
戦争に至る原因を作った側が、「自衛」を口実にするのは見苦しい。
日本は
他国への派兵・武力行使の一方で、植民地支配を強化した。
諸民族の「解放」や「主権回復」を
国家的願望としていたのなら、
帝国政府は
自ら支配する民族の
主権回復・独立を切望する声に、
真摯に応えていたはずだ。
しかし、長年にわたる朝鮮独立運動は、
度重なる武力弾圧で
多数の死傷者や
投獄者を出す事態となった。
朝鮮での独立運動の様子は、情報統制により
日本国民には正確に
伝えられなかった。
が、それでも
少数ながら
日本の国内にも
朝鮮民族の運動に
共感を寄せ、支持を表明した人々が
存在した。
そうした者の多くは迫害の対象となった。
「朝鮮独立支持」などと
主張するには、特高に逮捕されることを
覚悟せねばならなかった。
たとえば
朝鮮で、多くの独立運動家の弁護活動を無償で引き受け、
「日本のシンドラー」
とも呼ばれている布施辰治も、1911年
「朝鮮独立運動に敬意を表す」という一文だけで検察の取り調べを
受けている。
民藝運動で有名な
柳宗悦なども、総督府の弾圧を
批判し、朝鮮独立を支持したため、特高に監視されていたという。
これは メッセージ 37236 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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根拠なき『植民地解放戦争』論(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/23 08:36 投稿番号: [37236 / 41162]
日本軍が引き起こした戦争が、『植民地解放戦争』
であったとか
『日本が戦わなければアジア諸国民は独立できなかった』
という
靖国神社などが盛んに宣伝流布する
戦争美化・正当化論について、
特定の政治信条や感情論などに捕らわれず、当時の情勢を
踏まえ、
史料や状況証拠などに基づき、客観的に検証する必要があると思う。
当時の日本帝国に、民族主権の確立や
植民地を解放する
志向が
あったのか、また、多くの命を奪う
悲惨な戦争を起こした目的が
本当に
そうした崇高なものであったのか、そして、日本が戦争を
しなければ、現実に
植民地解放・独立は実現できなかったのかを、
20世紀前半における
国際情勢などに照らして
考察すべきだ。
日本帝国が、本当に
諸国民の主権を尊重し、独立を希求していた
とするならば、他国領土への派兵や武力行使は
つとめて忌避した
はずであり、そもそも
戦争に突き進む前に、国際社会に
対して、
植民地諸国の解放を
繰り返し
働きかけ、また
誰より率先して
自らの
植民地支配を解消し、世界に
範を示していたはずだ。
戦争は、夥しい血を流し、人権を蹂躙し、環境を破壊する
蛮行だ。
それを正当化するために持ち出される
『植民地解放』という麗句。
しかし、アジア諸国解放は、日本軍敗北の
「結果」
にすぎない。
戦争の目的だった
と言える確たる証拠は、どこに
あるだろうか。
まず、当時の
世界における
植民地政策の情勢に着目してみよう。
事実として、日本軍が
戦争を引き起こすよりも
はるか
以前に
脱植民地化(Decolonization)
の潮流は、顕在化していた。
それは、早くも
18世紀末、アメリカ大陸において
始まった。
最初の引き金は、アメリカ独立戦争における
英国への勝利だった。
これを
皮切りにして、南北アメリカ大陸で
脱植民地化が始まる。
1804年には、中米の
ハイチが
フランスからの独立を宣言し、
ヨーロッパ列強の支配から脱却した
最初の
非白人国家となった。
1808年、ポルトガル最大の植民地だった
ブラジルも独立する。
1811年には、ベネズエラの議会が
スペインからの独立を宣言。
1813年には、パラグアイも
スペインからの
独立を達成した。
1900年代の
初頭までに、アルゼンチン、チリ、コロンビア、
ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドル、
コスタリカ、メキシコ、エクアドル、ペルー、ボリビア、ドミニカ、
ウルグアイ、キューバなどが
次々と
独立を宣言した。
北米でも、カナダが独立に向けて
自治権・外交権を
獲得する。
そして
アジアや
ヨーロッパでも、モンゴル、アフガニスタン、
アイルランド、ネパールなどが
自治権または完全独立を獲得し、
イラクの国際連盟委任統治が解除され、イギリスは租借港威海を
中国に返還し、アメリカが
フィリピンの独立を
約束するなど、
脱植民地化の動きは、確実に
世界的な潮流と
なっていった。
これは メッセージ 37230 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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fukagawatohei は嘘つきである
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/10/22 11:14 投稿番号: [37235 / 41162]
(こんな嘘を書きまくっておいて、あとは何を書いても、アウトさ、あほう!!)
嘘をついて(父親が死んだとまで書いて)、その嘘同士が矛盾を来たした。馬鹿だろう
(大笑
「結核が持病である自分の父親が徴兵された」との趣旨の投稿をしたから、「伝染病である結核が持病の人間が徴兵されることはない」と否定されて、次のような苦し紛れの逃げ口上を書いた。
>軍隊に入ってからすぐに広島にある「結核患者を専門に治療していた」
陸軍病院に「入院させられた」という事実から、おいらが親父の
結核は持病だったと表現しただけなんですけどね〜。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24475
投稿者:fukagawatohei
*注意:これが2008/ 7/ 8の記載である
次に「爆心地か近いところにあった陸軍病院で被爆した」と書いて、またまた、「結核専門病院は爆心地の近くにはなかった」事実を突きつけられて、
>おいらの親父が入院したのは爆心地から1〜1.5kmくらいのところに
あった広島陸軍病院だよ。
結核患者が必ずしも、結核専門の病院に入れられるとは限らないんだよ。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24782 投稿者:fukagawatohei
*注意:これは2008/ 7/24 である
と書いた。2週間の間に複数の相手と「嘘のやり取り」をしている内に、その場限りの「嘘」同士が、完全に、矛盾した。
入院したのが「結核専門病院であり」同時に「結核専門病院ではない」ことになってしまった。
両方とも嘘だからこうなった。
オカシカッタのは、この「嘘同士の矛盾」を、何回も突きつけられて、本人がなかなかワカラナカッタことである。
嘘ばっかり書いているから、頭が嘘になってしまったのである
(大笑
それ以来、fukagawatoheiは、嘘が「バレタラバレタ時ノコト」と開き直って投稿するようになった。
だから、新しい相手とやり取りを始めても、直ぐ突っ込まれて行き詰まり、あとは悪口雑言ばっかり、と云うザマになっている。
ここ数年間、ずーっと、その調子である。
嘘がばれる前提で嘘を書き続ける。止められない。
やっぱり、完全に、fukagawatoheは狂人なのである。
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朝鮮独立運動の真実(3)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/22 11:07 投稿番号: [37234 / 41162]
各都市の状況
武市
一.独立運動期間
1.国龍州韓族共産党中央総会長
文昌範
副長
韓昌海
2.宣伝機関長(自由報、新世界)崔泰烈
3.国龍州韓族青年会
二.自治団(独立に従事す)
1.民会
会長
金夏錫
2.支部所在地
亜市(総議会と称し卓公奎之が会長たり)
ゼーヤ
セルビンザー
モコチャ
イン
イルクーツク
一.露国共産党韓族部国民議会
委員長
揚孫寛
南萬楚
二.万国聯合労農義勇軍指令部長
アレキサンドル
李彼得
三.宣伝新聞
赤旗
四.排日独立運動有力者
朴しょう萬
金哲勳
金道汝
韓鳳翼
鄭濟禹
李載衛
哈府
一.沿海州韓族共産党
中央総会
二.哈府韓族共産党青年会長
李元洪
チタ
一.後貝架州韓族共産党中央総会
共和国政府と密接なる連絡に任ず
二.鮮人にして日語を解する者を集め宣伝隊を編成し目下教育中なり
三.憲法議会の為か武市有力者の当地に来れる者多し一見当地を以て運動中心地と目せらるが如き状態なりと云う
長春
最近過激派の支部設置せられたりという
北京
連絡員
北京大学教授
干
盛
之に当たり居れりという
モスコウ
一.露国労農政府員
朴ワシリー(最近病死せりという)
二.韓人国民議会本部
金
震
張道定(最近両名共に一切他の者に委ね武市に帰れりともいう)
上海
一.大韓族臨時政府
大統領
李承晩
閣員
国務総理
李東輝
内務総長
李東寧
外務総長
代理
申益熙
法務総長
申奎植
学務総長
金奎植
財務総長
李始榮
交通総長
代理
金
激
労働局
総辨
安昌浩
軍務総長
盧伯麟
これは メッセージ 37233 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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朝鮮独立運動の真実(2)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/22 10:51 投稿番号: [37233 / 41162]
独立団と労農政府竝に極東共和国政府との協約
一.露国労農政府と武市より派遣されたる独立団代表者との間に締結したる協約
第一條
西比利に於いて組織したる朝鮮独立義勇軍は独立完成する迄過激派軍隊と行動を共にすること
第二條
露国労農政府は朝鮮独立義勇軍に要する兵器弾薬を供給すること
第三條
露国労農政府は朝鮮独立を幇助し朝鮮独立義勇軍は露国過激派軍隊を援助し日本軍の領土侵害を阻止し撃退すること
二.武市韓族共産党と知多極東共和国との間に締結したる協約
極東共和国設立と共に日本政府は外共和国内鮮人武装団体の存在を許さざる方針の下に共和国政府に交渉の歩を進む屡は既定事実と認め差し支えなし然るときは共和国政府は鮮人軍隊に解散を命ずるを以て表面解散を為し裏面に於いては武装其の他の補給を為し以て独立の目的達成を幇助す
↑この様に朝鮮独立運動は、朝鮮人自らの意志では無く、共産党の世界革命の一として行われた、傀儡運動であった
これは メッセージ 37232 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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朝鮮独立運動の真実
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/22 10:50 投稿番号: [37232 / 41162]
赤化による独立運動の根本方針
武市排日朝鮮人金夏錫、金弼及び趙障元は文昌範一派と提携し大正九年十二月中武市に会同し日本に対抗する武力を以てする其の効果覚束なきを以て共産主義を宣伝し秩序を擾乱すべく左の如く決議せり
一.表面親日を装い日本官憲及び日本人に接近して巧みに宣伝し擾乱に努ること
二.共産主義的雑誌新世界及び新聞自由報を発行し密かに露国及び日本版図内にある日鮮人間に配布宣伝し帝国主義破壊に努ること
三.露国共産主義者と提携し全世界に共産主義を■漫せしめ日本軍を西比利亜撤退を余儀なくせしむること
四.独立軍は独立気勢を挙ぐるに緊要欠くべからざるものなるを以て極力之が指示に努
この様に朝鮮独立と謳いながら、其の実は共産主義の手先であった。
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Re: 日本の他民族支配と独立弾圧の実態(2
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2011/10/22 08:01 投稿番号: [37231 / 41162]
>たとえば、大正デモクラシーの
主導者のひとり
吉野作造は、
『中央公論』などに
朝鮮総督府の失政を糾弾し、朝鮮の人々に
政治的自由を与え、同化政策を放棄せよ
との主張を
発表した。
しかしその吉野がかの悪名高い対華21ケ条要求を容認しているんだな。
>吉野といえば、おそらく厳しい政府批判、というのがわれわれが常識的に抱く先入観であるに違いない。しかし、彼はここでは驚くなかれ、むしろこの要求を積極的に弁護し、「極めて機宜に適した処置であった」との認識さえ披瀝しているのである。まさにここにこそ、当時のわが国の国際的立場を踏まえた的確な情勢把握、あるいは当時の良識的な知識人による精緻な問題分析があるのではないか、というのが筆者の感想であった。
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=35
これは メッセージ 37227 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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日本の他民族支配と独立弾圧の実態(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/22 07:17 投稿番号: [37230 / 41162]
当時の日本帝国に、植民地解放の志向が
あったのならば、
戦争を引き起こすよりも前に、国際社会に対し
敢然として
繰り返し
「植民地の解放・独立」を
訴えていたはずだ。
また、誰よりも率先して
自ら
植民地支配を解消しただろう。
民族主権を尊重するなら
他国への派兵を厳に慎んだはずだ。
しかし、日本帝国が
そのような行動とることは一切なかった。
靖国教団信者が
「解放戦争」
と賞賛する
太平洋戦争。
その戦争は、泥沼化した日中戦争の
延長上にあった。
ナチス・ドイツは、39年にポーランドに侵攻。翌40年6月には
フランスが降伏した。
この電撃的な侵攻は
世界を震撼させた。
当時、中国との戦争が
長期化・泥沼化していた日本は、
ドイツの
欧州での戦争を、日中戦争打開の好機
ととらえた。
対ドイツ戦争で弱っているイギリス、フランス、オランダが持つ
アジア太平洋の植民地を、武力行使により支配下におこうとした。
フランス降伏の翌月、日本は
大本営政府連絡会議で、アジアでの
武力行使方針を決定。
さらに「皇国の大東亜新秩序建設のための
生存圏について」
を決定。
「独伊との交渉において、皇国の
大東亜新秩序建設のための
生存圏として
考慮すべき範囲は、
日満支を
根幹とし、旧独領委任統治諸島、仏領インド
及び
同太平洋島嶼、タイ国、英領マレー、英領ボルネオ、蘭領東インド、
ビルマ、豪州、ニュージーランドならびにインド等とす」
とした。
これらの方針のどこにも
植民地解放の理念は
示されていない。
日本は、ドイツと組んで
世界戦争に
参戦することで、
世界秩序を
一変させ、日中戦争の打開を
はかろうとしたのだ。
イギリス、フランスなどのアジアの植民地を『生存圏』としたのは、
その世界戦争のための
資源を獲得するために
ほかならなかった。
40年9月、日独伊三国同盟を結ぶのと
ほぼ同時に、日本軍は
フランス領北部インドシナに進駐。
41年7月の御前会議では、
さらなる「南方進出」
方針を打ち出し、「対英米戦を辞せず」と
決定(「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」)した。
続いて
フランス領南部インドシナへの
武力侵略を開始した。
もちろん、そこに
「民族解放」の目的など存在していなかった。
南方進出方針を承認した
昭和天皇でさえ、この手法について
「相手方の弱りたるに乗じ要求を為すが如き所謂火事場泥棒式」
と語っていた(『木戸幸一日記』)。
天皇も「火事場泥棒」のようだと評した
日本の南方進出に対して
国際社会が
石油の禁輸措置など制裁策をとったのは、当然のこと
であった
と言えるだろう。
「大東亜戦争」の最中、1943年5月の大本営政府連絡会議では、
占領した南方諸地域に対する方針「大東亜政略指導大綱」を決定。
そこでは、東南アジアの扱いについて、「マライ、スマトラ、ジャワ、
ボルネオ、セレベスは
帝国領土と決定」する
と明記されている。
その他の地域についても、「満州国」
並みの政府を
作らせ、
「独立」の形をとるが、日本の支配権は
確保する
とした。
「帝国領土」と
傀儡政府づくりとの
この仕分けそのものは、
情勢の変動とともに変化するが、各地域に
どちらの支配形態を
割り当てようと、東南アジアを
日本の支配下に置く
という方針は
終始一貫していたのだ。
これが、靖国教団が流布する大本営発表=「アジア解放の聖戦」の
実相であり、隠しようのない
歴史の真実だ。
これは メッセージ 37229 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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日本の他民族支配と独立弾圧の実態(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/22 07:15 投稿番号: [37229 / 41162]
朝鮮では、その後も独立運動が続き、3・1運動から10年間に
「6・10万歳運動」や
「光州学生運動」
などが
起きた。
日本は、大量の警察官を
内地から半島に派遣し、1919年の
6,387人から
翌年には
20,134人へと急増させるなど
朝鮮全土に
軍や警察を配置し、独立運動の監視体制を強化した。
西大門刑務所には
数多くの独立運動家が収容され、処刑された。
朝鮮総督府警察は、日本内地の警察にはない
機関銃や野砲などの
重装備を保有し、準軍事組織的性格を
有していた。
植民地支配強化に血道をあげていた
軍国日本の
いったい何処に
「民族解放」・「独立推進」
の志向があった
と言うのだろうか。
日本帝国が
どれほど熱心に
国際社会に対し
民族解放を求め、
何度
繰り返して
植民地の独立を
訴えていたのか。
「植民地解放のための正義の戦争」
であったという宣伝文句を
臆面もなく
垂れ流すのならば、その事実を
提示すべきであるし、
自国の植民地を
最後まで解放しなかった理由を
明確にすべきだ。
内外の植民地解放運動を
武力によって
徹底的に弾圧した事実
のみならず、他国への派兵による
軍事行動の拡大という事実が、
当時の日本帝国には
民族主権の尊重や
植民地解放の志向など
まったくもって
存在していなかったことを
証明している。
他国の主権を尊重する意志が
少しでもあったならば、軍事力を
背景とした威嚇、挑発などは、厳に
慎むべきものだったはずだ。
靖国信徒などによると
日本軍の中国大陸への派兵、武力行使は
反日行動からの邦人居留民の保護
という口実も
あるらしいが、
そもそも
中国人民に反日機運を醸成し、さらに
軍事的緊張を
極限まで高める要因を作った責任は誰にあったかを考えるべきだ。
他国を不平等条約のもとで半植民地化に等しい状況に置きながら、
軍事的に挑発し、戦争に追い込んだのは誰かを考えてみるべきだ。
太平洋戦争の原因についても、米英などによる経済封鎖によって
日本が追い詰められた結果、自衛のため
やむなく起ち上がった
という口実が、靖国宣伝部によって
垂れ流されることがある。
その原因を作ったのも日本の軍事行動、他国への侵略行為であり
国際社会からの経済制裁を招いた責任は
自らにあったものだ。
戦争の原因を作った側が、「自衛」を口実にするのは、厚顔無恥だ。
これは メッセージ 37228 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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日本の他民族支配と独立弾圧の実態(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/22 07:14 投稿番号: [37228 / 41162]
1919年に起きた
朝鮮民衆による
「3・1独立運動」
は、
中国の
学生や文化人たちにも、大きな影響を
与えた。
同年
5月4日、北京市内で
大学生たちが反日デモを実施した。
当初、5月7日の
国恥記念日を予定したが、日曜日のこの日に
変更した。
天安門広場には、約3,000人の学生が集まった。
プラカードには
「21か条を取り消せ」、「山東半島を返せ」、
「青島を返せ」
などと書かれていた。
日本は、ドイツ軍を破って
山東を占領したとき、中国や世界に
「山東は中国に返す」
と約束していたが、占領を継続したうえ、
パリで開かれた
第一次大戦の講和会議において
日本は
この山東半島の
領有権を要求し、列強に
認めさせていた。
もちろん、中国政府は
反発し、講和会議で
調印を拒否した。
中国の国民は
こうしたいきさつから、日本に対する
怒りを
募らせていたのだ。
学生たちは、市民に
ビラを配りながら
まず、日本公使館へ抗議しに行こうとしたが
警察に阻まれた。
逮捕者も出たが、多くの市民が
学生たちに
同調し、やがて
日本商品のボイコット運動など
排日運動が
続くことになる。
石橋湛山は、1921年7月21日付
『東洋経済』社説で
「一切を棄つるの覚悟」と題し、次のように
主張している。
我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
山東を棄てる、支那が我が国から受けつつありと考えうる
一切の圧迫を棄てる。
また朝鮮に、台湾に
自由を許す。
その結果はどうなるか。
英国にせよ、米国にせよ、非常の
苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
自由主義を採られては、世界における
その道徳的地位を
保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
一斉に
我が国に向かって
信頼の頭を下ぐるであろう。
武力による他国への圧迫を止め、自ら進んで
植民地支配を止める。
そうすれば、日本の道徳的権威が高まるのみならず、世界列強による
植民地政策さえも転換せざるを得なくなる――
石橋の主張は明快だ。
残念ながら
当時の日本は、石橋が言う「小欲」に
囚われ続けた。
満州や山東半島の権益を捨てず、朝鮮や台湾に自由を許さなかった。
そして、道徳的権威を
投げ捨て、自ら血なまぐさい戦争に走った。
結果、数多の命を失い、国土を焦土とし、惨敗するに至った。
アジア諸国の解放・独立は、そうした
欲にとらわれた日本帝国の
敗北・崩壊によってもたらされた
「結果」にすぎない。
歴史的事実にてらせば、日本帝国に
民族独立・植民地解放の志向など
存在なかったことは明白だ。
にもかかわらず、「結果」を拠所にして
いまさら、植民地解放戦争だった
などと、虚言を吐くのは恥知らずだ。
これは メッセージ 37227 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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日本の他民族支配と独立弾圧の実態(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/22 07:13 投稿番号: [37227 / 41162]
1919年に朝鮮半島で起きた民衆運動
「3・1独立運動」では、
当初、日本軍は、ただちに市民集会やデモを解散させようとした。
しかし、独立を叫ぶ民衆の声は朝鮮全土に拡大する一方となった。
当時の原敬首相は
ことの重大性に驚愕し、ただちに3月11日、
朝鮮総督に対して
至急報で
次のように
命令を出した。
「今回の騒擾事件は、内外に対し表面上には極めて軽微なる問題
とみなすを必要とす。
しかれども、裏面においては、厳重なる
処置をとり、将来再発なきよう期せられたし。ただし、その処置
については、外国人の最も
注目する問題なるにより、いやしくも
残酷苛察の批評を
招かざることに、十分注意されたし」
表面上では
朝鮮人民の独立運動を
「軽い問題」
として扱い、
その裏では
厳重に対処して
再発しないよう抑え込む。ただし、
対処の仕方は
外国から批判されないよう
十分に注意せよ――
日本政府が示した対応からは、朝鮮民族の主権尊重や植民地支配
から解放しようなどという志向は、一片も
見出すことはできない。
命令どおり、現地では「厳重な処置」がとられ、警察だけでなく
軍まで出動し、鎮圧で多数の死傷者、投獄者を出す事態となった。
一方、「内外に対し表面的には軽微なる」もの、つまり
一部の
「不逞鮮人が起こした暴動」
に過ぎない、との宣伝が流布され、
独立を求める
大規模な民衆運動という本質は、巧妙に隠された。
日本の国内世論は、3・1運動を「一部の暴動」とみなす論調が
圧倒的だったが、ごく一部には
運動に同情を寄せる識者もいた。
たとえば、大正デモクラシーの
主導者のひとり
吉野作造は、
『中央公論』などに
朝鮮総督府の失政を糾弾し、朝鮮の人々に
政治的自由を与え、同化政策を放棄せよ
との主張を
発表した。
また
孫文との交友で知られる
宮崎滔天は、朝鮮の独立運動を
「見上げたる行動」
と評価し、朝鮮の人々の自由と権利を尊重し、
独立を承認すべきである
と述べている。
このほか、石橋湛山なども
運動への理解を
表明している。
しかし、そうした主張は
少数派であり、ほとんど無視された。
朝鮮民衆の独立運動は、日本軍の鎮圧により
押さえ込まれた。
しかし、日本政府は
朝鮮民衆の
抵抗の根強さと、ひそかに
海外に脱出した
朝鮮人が、日本軍の残虐な武力弾圧の数々を
世界に
公表したことによる
国際世論からの攻撃を
恐れて、
従来の
統治方針を
大きく
改めざるを得なくなった。
原内閣は、習慣を破り
陸軍出身に代えて
海軍関係者を
朝鮮総督に
任命し、憲兵警察に代わって
普通警察とし、
官吏や教員も
帯剣をやめた。
同時に、統治に有害でない
という条件つきで
『朝鮮日報』や
『東亜日報』などの
朝鮮文字の新聞の発行も
検閲付ながら認めることになった。
3・1運動による、数少ない「成果」
であった
と言える。
これは メッセージ 37226 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/37227.html
日本の他民族支配と独立弾圧の実態(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/22 07:12 投稿番号: [37226 / 41162]
当時の日本帝国に、本当に「植民地解放」の志向が
あったなら、
世界に先駆けて
それを
率先、実行していたはずだ。
しかし、
現実は
逆であり、例えば
朝鮮では、自主権回復・独立を求め
運動が繰り返されたが、その都度
徹底した武力弾圧が行われた。
有名な例では、朝鮮全土で展開された「3・1独立運動」がある。
第一次世界大戦後、脱・植民地化が
歴史の潮流として
広がり、
民族運動が
世界的な高まりを示すなかで、1919年3月1日、
ソウル、平壌、開城などの都市で『独立宣言』が読み上げられた。
公園に集まった学生たちが
「独立万歳」を唱和しながら
行進。
それ隊列に
市民が合流して
たちまち数万の群衆デモとなった。
この独立運動は、3月中旬には
朝鮮の全土に
拡大していった。
参考として、ウィキペディアの解説を
抜粋して以下に引用する。
【三・一運動】
1919年3月1日に
日本統治時代の朝鮮で起こった運動。
(中略)
中心となったのは
天道教やキリスト教、そして
仏教の指導者たちである。
彼等は会合を重ね
大衆化・
一元化・非暴力の三原則を取り決めた。(中略)
独立宣言は、以下の
一文から
始まっている。
「我らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民
である事を宣言する。
これを以て
世界万邦に告げ
人類平等の大義を克明にし、これを以て子孫万代に告げ
民族自存の正当な権利を永久に所有せしむるとする。」
タイトルに、そして冒頭の一文に明確に述べられているように、
この宣言書は
何よりも朝鮮が独立した国家であること、及び
国民である朝鮮人民が
自由であることに重きを置いたもので
あり、そして
それは
「人類平等の大義」と
「民族自存」
という原理に基づくものとして
捉えられている。
(中略)
パゴダ公園には
数千人規模の学生が集まり、その後市内を
デモ行進した。
道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に
市民が参加し、数万人規模となったという。
(中略)
朝鮮半島全体に広がり数ヶ月に渡って示威行動が展開された。
朝鮮総督府は警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。
以上、ウィキの解説から
引用したものだ。
独立運動は、日本の
徹底した武力弾圧によって
鎮圧されたが、
この運動の影響は
大きく、同年4月の
インドの非暴力運動や
同年5月に起きた
中国の
五・四運動などの
先駆けとなった。
そして、支配国である
日本帝国自身にも
大きな衝撃を与えた。
ただし、日本国内では、この独立運動は
詳しく報じられず、
朝鮮人に共感を寄せたのは、白樺派の柳宗悦ら少数にとどまった。
もとより
当時の日本に
植民地解放の意志などは
微塵もなく、
独立という
朝鮮民族の悲願は、結局のところ
日本帝国の敗戦、
「皇軍」の崩壊を
待たなければ、実現されなかった。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/37226.html
Re: 残虐行為の多発と慰安所増設の関係④
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/10/21 19:22 投稿番号: [37225 / 41162]
>軍慰安所とは
将兵の性欲を処理させるために
軍が設置した
「兵站付属施設」
であったことは、すでに記述したとおりだ。
それが、何か(・0・)?
―――――――
近代に入り各国は、戦場における強姦と性病の罹患を防止するため、軍隊は売春婦を伴うのが一般的になったが、ロシアだけは野蛮のままに、その侵攻するところ、ところかまわず「敵」側の女性を強姦・陵辱し殺害する。だから冒頭にかかげたような「満州の日本婦女子の地獄」が生じたのである。軍を除く一般邦人155万人のいた満州でソ連兵に強姦されたが帰国できた日本の婦女子の数字については「約30万人」、強姦後に殺害されたもの、自殺したもの、行方不明になったもの、残留したものは「約5万人」と大雑把な推定をしておく。今後の精密な被害者推計の研究をまちたい。が、「従軍慰安婦」をレイプだ、人権侵害だと主張する日本のフェミニスト全員がこれに黙しているのは、「従軍慰安婦」問題の本質と背後のうごめきを明らかにしている。
さて、戦時における軍隊の将兵の性の処理は、大きく四つある。
Ⅰ、モンゴル/ロシア型の敗戦側女性に対する無制限の強姦。
Ⅱ、前線の近くの都市に売春婦の街をつくり(既存のがあればそれを管理し)、前線から定期的に兵士を後送して利用させる制度。戦争終了後の占領であれば占領地に(それを職業とする)現地女性をもってその売春管理施設を設置する。
Ⅲ、出征する軍が、売春婦を雇用する民間の置屋を一種の軍属的に同行させ、前線よりやや後方の、兵站部隊あたりに設置する。「従軍置屋」である。
Ⅳ、売春婦が勝手に軍部隊の駐屯(野営)地に群がる。
軍の将兵は、聖人でもないし修業僧でもない。とりわけ戦場では明日の生命は保障されておらず死と直面し、また質の悪い兵隊はいくらでもおり、平時以上に性の処理の問題が生じる。かくして、戦争に際して上記の四つの形態以外は存在しえないし、かつて存在したことはなかった。ヨーロッパからアラブに侵入した十字軍は、将兵の数とそのあとに群れてついていった売春婦の数がほぼ同数であったという。第Ⅳ型である。
Ⅰ型は許されざることである。Ⅱ型とⅢ型はⅠ型を防止する機能をもつから、「必要悪」とするべきであろう。レイプは防止しなくてはならない。20世紀においても、ロシア(ソ連)は13世紀のままにⅠ型を踏襲し、ドイツ/フランスはⅢ型を主とし、米国はⅡ型を基本とした。ヒットラー下のドイツは、「第三の敵」ユダヤ人女性その他の特定民族の婦女子を、強制的に置屋に配置させた。Ⅰ型に近いⅢ型であった。
第2次世界大戦における戦場でのレイプ発生率については、日本軍は他国に比して際立って少ない。まさしく称讃されるべき世界第1級の模範軍であった。Ⅲ型の「従軍置屋」制度を運用し、戦場の「敵国」女性を保護する政策を立派に遂行した、その結果であった。また、慰安婦がすべて民間の純粋な「市場」において集められた点でも世界の範であった。このⅢ型は第1次世界大戦でドイツ軍とフランス軍が制度化したとも言えるから、1930年代以降の日本軍はそれを模倣したのである。「従軍置屋」をもって、「日本のみがなした野蛮な制度」とするのは歴史事実に反する。日本を中傷するための悪意ある嘘である。
『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋著
―――――――
これは メッセージ 37119 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京などで残虐行為が多発した背景⑤
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/10/21 19:21 投稿番号: [37224 / 41162]
>南京事件や慰安婦問題などの
歴史の事実に向き合うことを恐れ、
記録や証言などの資料を
すべて「ウソ」、「デタラメ」
と否定し、
証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。
>(社会評論社「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて・元兵士102人の証言」P-350,351より)
『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて――元兵士102人の証言』というトンデモ本は匿名(仮名)の証言集だが、バレバレの嘘だらけ。
例えば、南京で強姦しまくったと証言した鬼頭久二(第16師団歩兵第33連隊
第1大隊)(仮名)は、計算すると南京戦当時11歳だったことになるが、帝国陸軍に11歳の少年兵は居なかった。
>(ジョン・ラーベ著「南京の真実」P-110より)
安全区国際委員長だったラーベも虐殺は1件も目撃しなかった。
ラーべの日記や手紙の中ではラーべ本人が殺人現場を見た記述は一つもない。
ラーベは、1937年12月17日に、日本軍による破壊や犯罪が極めて少数で秩序が回復した旨の『第6号文書』を日本大使館宛に送っていた。
ラーベは、安全区の自宅に、現金を一杯に詰めたトランクを幾つも持っていた支那軍将校の龍大佐と周大佐を潜伏させていた。
これは、中立と、安全区の保護を責務とする安全区国際委員長としては、言語道断であり、この行為自体が支那軍のための工作活動だ。
1938年1月9日に南京に戻ったドイツ大使館のシャルフェンベルク事務長は、2月10日、自分の目で実情を確かめた上で漢口のドイツ大使館に、ラーベが語る日本軍の暴行事件について、「暴行事件と言っても全て支那人から一方的に聞いているだけ」と書き送っている。
>武装を解除し、投降した捕虜全員を、ただちに
殺害することは、
国際法違反である以前に、人道に反する残虐行為に
ほかならない。
ひとつの部隊だけでも、上記のような
数日にもわたる
組織的な
大量殺害が
実行されたのだから、日本軍全体での
捕虜殺害は、
いったい
どれほどの規模だったのだろうか――
想像を絶する。
二〇〇七年三月の「南京問題小委員会」に講師として参加された青山学院大学名誉教授で国際法が専門の佐藤和男博士は、
『偕行南京戦史』に記載されている捕虜の処断を検証した。
第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便衣兵六六七〇名の処断。
第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉えた捕虜三〇九六人の処断。
第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた敗残兵数千人の処断。
第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜一六五七人の処断。
山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。
以上、右列記した事例について佐藤博士は、いずれも戦時国際法違反でないと断定し、
【現在、南京問題研究者が素人判断で捕虜の処断を「虐殺」とする研究に対して苦言を呈していた】
これは メッセージ 37112 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 『聖戦』であったのなら
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/10/21 19:20 投稿番号: [37223 / 41162]
>軍部が介入して兵士の性欲処理の面倒まで見た軍隊が他にあったとは思えませんが?
軍部が介入せずに、兵士にレイプさせ放題にしろということか?
―――――――
近代に入り各国は、戦場における強姦と性病の罹患を防止するため、軍隊は売春婦を伴うのが一般的になったが、ロシアだけは野蛮のままに、その侵攻するところ、ところかまわず「敵」側の女性を強姦・陵辱し殺害する。だから冒頭にかかげたような「満州の日本婦女子の地獄」が生じたのである。軍を除く一般邦人155万人のいた満州でソ連兵に強姦されたが帰国できた日本の婦女子の数字については「約30万人」、強姦後に殺害されたもの、自殺したもの、行方不明になったもの、残留したものは「約5万人」と大雑把な推定をしておく。今後の精密な被害者推計の研究をまちたい。が、「従軍慰安婦」をレイプだ、人権侵害だと主張する日本のフェミニスト全員がこれに黙しているのは、「従軍慰安婦」問題の本質と背後のうごめきを明らかにしている。
さて、戦時における軍隊の将兵の性の処理は、大きく四つある。
Ⅰ、モンゴル/ロシア型の敗戦側女性に対する無制限の強姦。
Ⅱ、前線の近くの都市に売春婦の街をつくり(既存のがあればそれを管理し)、前線から定期的に兵士を後送して利用させる制度。戦争終了後の占領であれば占領地に(それを職業とする)現地女性をもってその売春管理施設を設置する。
Ⅲ、出征する軍が、売春婦を雇用する民間の置屋を一種の軍属的に同行させ、前線よりやや後方の、兵站部隊あたりに設置する。「従軍置屋」である。
Ⅳ、売春婦が勝手に軍部隊の駐屯(野営)地に群がる。
軍の将兵は、聖人でもないし修業僧でもない。とりわけ戦場では明日の生命は保障されておらず死と直面し、また質の悪い兵隊はいくらでもおり、平時以上に性の処理の問題が生じる。かくして、戦争に際して上記の四つの形態以外は存在しえないし、かつて存在したことはなかった。ヨーロッパからアラブに侵入した十字軍は、将兵の数とそのあとに群れてついていった売春婦の数がほぼ同数であったという。第Ⅳ型である。
Ⅰ型は許されざることである。Ⅱ型とⅢ型はⅠ型を防止する機能をもつから、「必要悪」とするべきであろう。レイプは防止しなくてはならない。20世紀においても、ロシア(ソ連)は13世紀のままにⅠ型を踏襲し、ドイツ/フランスはⅢ型を主とし、米国はⅡ型を基本とした。ヒットラー下のドイツは、「第三の敵」ユダヤ人女性その他の特定民族の婦女子を、強制的に置屋に配置させた。Ⅰ型に近いⅢ型であった。
第2次世界大戦における戦場でのレイプ発生率については、日本軍は他国に比して際立って少ない。まさしく称讃されるべき世界第1級の模範軍であった。Ⅲ型の「従軍置屋」制度を運用し、戦場の「敵国」女性を保護する政策を立派に遂行した、その結果であった。また、慰安婦がすべて民間の純粋な「市場」において集められた点でも世界の範であった。このⅢ型は第1次世界大戦でドイツ軍とフランス軍が制度化したとも言えるから、1930年代以降の日本軍はそれを模倣したのである。「従軍置屋」をもって、「日本のみがなした野蛮な制度」とするのは歴史事実に反する。日本を中傷するための悪意ある嘘である。
『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋著
―――――――
>つまり、先の大戦において、日本はまことに無計画に戦争を始めた、ということになりますね。
>なるほどそれなら、南洋の戦線で数多の餓死者を出したずさんな兵站も理解できます。
日本は追い詰められた状況で、窮鼠猫を噛むが如く自衛戦争を始めたから、計画的なわけがない。
これは メッセージ 37071 (mario_porco_rosso さん)への返信です.
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Re: 事実の把握>deliciousicecoffee
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2011/10/21 19:19 投稿番号: [37222 / 41162]
>敗戦により日本軍が解体されるとともに、軍票もまた紙切れになりました。
儲備銀行券に交換されました。
軍票に対する日本政府の支払い義務は、サンフランシスコ講和条約で請求権を放棄し、消滅しました。
>また銀行に預けてあったとしても、敗戦後の混乱の中で、残高が清算され、彼女らにきちんと、しかも軍票ではなく流通価値のある紙幣で支払われた、と想像するのは難しいですね。
貯金は昭和40年まで有効でした。
実際に文玉珠も1965年までに貯金の払い戻し請求をすれば、26145円を受け取ることが出来ましたし、1965年の「日韓基本条約」と同時に締結された付随協約の「日韓請求権並びに経済協力協定」以降は韓国政府から補償されるようになりました。
文玉珠の場合には、その前には現地で贅沢品を消費しながら大邱の家族に5,000円を送金したので、十分に荒稼ぎしていました。
>従って、少なくとも敗戦まで慰安婦を続けていた女性達は、あなたのいう「適正金額」の報酬のかなりの部分を失ってしまった、と考えるのが妥当かと思いますが、いかがですか?
失ったのはインフレによる価値の問題であって、それを言ったら限がありません。
急激なインフレの中で生活している人たちの貨幣価値は古今東西減るものであり、他の人たちと比べて慰安婦たちが荒稼ぎしていて事実は揺るぎません。
これは メッセージ 37041 (mario_porco_rosso さん)への返信です.
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Re: 子供銀行券
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 14:40 投稿番号: [37221 / 41162]
第一.軍用手票発行要領及び取扱手続き関係
一.軍用手票発行要領(昭和十三年九月二十二日閣議決定)
一.軍用手票を発行し支那(北支方面を除く)に於ける軍費に支払に充つるものとす
二.軍用手票は課必要に応じ之を日本通貨と引き換えるものとす
三.軍用手票の価値の維持については政府及び軍に於いて有効適切なる措置を講ずるものとす
四.全角紅の取扱手続きは大蔵大臣、陸軍大臣及び海軍大臣と協議の上定むるものとす
二.支那事変派遣部隊経緯費支弁軍用手票取扱手続き(昭和十三年十月二十二日大蔵大臣達)
第一條
政府は軍費支払いの便に供する為予算の範囲内に於いて軍用手票を発行す
第二條
軍用手票は昭和十二年軍用手票(以下単に軍用手票と称す)と称し拾圓、五圓、壱圓、五拾銭及び壱拾銭の五種とす
第三條
大蔵省理財局長は大蔵大臣の決裁を経て随時製造を要すべき軍用手票の種類、枚数及び製造期間を定め之を内閣印刷局に通知すべし
第四條
内閣印刷局は軍用手票の製造出来に伴い其の種類及び枚数を大蔵省理財局長に通知すべし
第五條
大蔵省理財局長内閣印刷局より前条の通知を受けたるときは同局に対し軍用手票を日本銀行に引き渡すべき旨を通牒し且つ同行に対し之が受け取り方令達の手続を為すべし
第六條
日本銀行前条に依り軍用手票を受領したるときは別口預金に受け入れ国庫金総括帳科目「軍用手発行高」の科目を以て整理すべし
第七條
陸軍省又は海軍省軍用手票の払出を受けんとするときは予め其の金額、種類、枚数及び期日を大蔵省に通知すべし
大蔵省陸軍省又は海軍省より前項の通知を受けたるときは其の旨直ちに日本銀行に通知するものとす
これは メッセージ 37220 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 子供銀行券
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/10/20 13:58 投稿番号: [37220 / 41162]
>も少しお勉強してから出直しなさいね、>
ハイハイ、これのことですね:
↓
大東亜戦争軍票(だいとうあせんそうぐんぴょう)とは、日本が第二次世界大戦中に東南アジアを占領した太平洋戦争(大東亜戦争)に於て、これらの占領地で日本軍が発行した軍用手票(以下:軍票)の総称である。
1941年以後にアジア太平洋地域の各地で発行され、各占領地域で従来発行されていた通貨単位を踏襲したため、各占領地の軍票の通貨単位も異なっていた。戦争末期になると各地の日本占領軍が軍票の濫発を行ったため猛烈なインフレーションに陥り、経済的混乱を招き価値が事実上「紙切れ」にまで暴落した地域が多かった。
(早い話、敗戦国の軍票などカミクズ同然という事ですね。)
これは メッセージ 37219 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 子供銀行券
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 13:53 投稿番号: [37219 / 41162]
これは メッセージ 37218 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 子供銀行券
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/10/20 13:43 投稿番号: [37218 / 41162]
>fukagawatohei にとって、軍票が子供銀行券や人生ゲームの紙幣程度としか理解できんのだろう。>
バカウヨにとって、軍票が子供銀行券や人生ゲームの紙幣程度
だという事が理解できんのだろう。
これは メッセージ 37217 (maximirion さん)への返信です.
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Re: コルレス契約のうそ
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/10/20 11:57 投稿番号: [37217 / 41162]
軍票を何処が発行するのか分っていない fukagawatohei。
軍票が軍部のどこを通して部隊に支給されていたのかも知らないのだな。
軍費調達したとして、兵站を軍部のどの部署が調達するのかも知らないってことだ。
軍の物資と金銭の流れは主計局の監査の下にあったことも知らないってことでもある。
軍票と国内外の為替は、切っても切り離せない関係にある。
当然だ、軍票は母国紙幣との兌換を裏付けに発行し、国外の戦地で使用することを前提としていたものだからな。
知ったかぶりで、コルレス契約が軍票に於いて重要な金融ファクターだということが理解できない fukagawatohei にとって、軍票が子供銀行券や人生ゲームの紙幣程度としか理解できんのだろう。
<fukagawatohei>
>此等の取引は現在でも行われており、戦前戦後共に何の問題も無い預け合い勘定です。>
外国為替と軍票は全く関係の無い話だろ〜が。
外国為替って何だか分かってんのか。
知ったかぶりして銀行のコルレス契約などとトンチンカンな
事を言い出して、話をはぐらかす。
相変わらず、せこいね〜、ニャンコチャンは。
- QUOTE -
香港における軍票は、進駐した日本軍が3年8ヶ月にわたった占領期間中、香港市民の持つ香港ドルと強制的に交換し、軍費を確保したが、昭和20(1945)年8月15日(終戦の日)を境に事態は一変した。
日本政府はGHQ(連合国軍総司令部)最高司令官 ダグラス=マッカーサーの「覚書」に基づいて、昭和20年9月、大蔵省が「軍票の無効無価値化」を宣言、日本軍が戦時中、大量に発行した軍票は一夜にしてただの「紙屑」と化した。
- UNQUOTE -
これは メッセージ 37207 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 慰安婦と軍票
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 11:48 投稿番号: [37216 / 41162]
軍用手票発行要領及び取扱手続き関係
一.軍用手票発行要領(昭和13年9月22日閣議決定)
1.軍用手票を発行し支那(北支那方面を除く)に於ける軍費の支払いに充つるものとす
2.軍用手票は必要に応じ之を日本通貨と引き換えるものとす
3.軍用手票の価値の維持については政府及び軍に於いて有効適切なる措置を講ずるものとす
4.全角紅の取扱手続きは大蔵大臣、陸軍大臣及び海軍大臣と協議の上之を定むるものとす
二.支那事変派遣部隊経費支弁軍用手票取扱手続き
第一條
政府は軍事費支払いの便に供する為予算の範囲内に於いて軍用手票を発行す
第二條
軍用手票は昭和12年軍用手票と称し拾圓、五圓、壱圓、五十銭及び十銭の五種とす
第三條
大蔵省理財局長は大蔵大臣の決裁を経て随時製造を要すべき軍用手票の種類、枚数及び製造期間を定め之を内閣印刷局に通知すべし
第四條
内閣印刷局は軍用手票の製造出来に伴い種類及び枚数を大蔵省理財局長に通知すべし
第五條
大蔵省理財局長内閣印刷局より前条の通知を受けたるときは同局に対し軍用手票を日本銀行に引き渡すべき旨を通牒し且つ同行に対し之が受け取り方令達の手続を為すべし
第六條
日本銀行前条により軍用手票を受領したるときは別口預金に受け入れし国庫金総括帳科目「軍票発行高」の科目を以て整理すべし
第七條
陸軍省又は海軍省軍用手票の払出を受けんとするときは予め其の金額、種類、枚数及び期日を大蔵省に通知すべし
大蔵省陸軍省及び海軍省より前項の通知を受けたるときは其の旨直ちに日本銀行に通知するものとす
↑と言うことで、軍が勝手に発行することは出来ず、価格は常に日本円と等価に保たれ、之を日本国が保証した。
馬鹿な専門家や、唐変木は資料を読まない、捜さない。
これは メッセージ 37212 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 慰安婦と軍票
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/10/20 11:46 投稿番号: [37215 / 41162]
事情が解らないのは、慰安婦たちでなく fukagawatohei である。
軍票は、兌換券と引き換えにできることを裏付けとして流通する代替紙幣である。
特殊慰安婦たちの居た前線基地周辺の歓楽街では、軍票が現地紙幣より価値を以て流通していた。
国に帰らなくても引き出せる預金口座でにも報酬の半金が振り込まれていたしね。
凡そ慰安婦たちの方が、fukagawatohei よりも金融や経済、世情、戦局に深い知識も理解もあったであろうことに疑いの余地は無い。
兵士が特殊慰安所で順番がきたときに特殊慰安婦に渡すのは軍票ではない。
『花券』である。
この『花券』で軍兵站部を通じて軍主計局への支払い請求をし、主計局から軍兵站部を通じて軍票と預金振込で支払われたのだよ。
だから、fukagawatohei の投稿内容は出鱈目であることが明確である。
<fukagawatohei>
軍票というのは何の裏づけもなく印刷した通貨でから、あまり通用価値はなかったが、公式には内地の円と等価と言うことになっていた。
軍がいくら軍票を発行しても内地がインフレにならないように、外地で貯金はできても内地(朝鮮を含む)で引き出すことは出来ない定めになっていた。
しかし、事情がよくわからない慰安婦たちは収入をせっせと貯金していた。
兵士たちは他に使い道もなく、内地に送金もできない「軍票」を慰安婦にチップとして渡したものが多くいた。
特に終戦間際には、紙くずになることが確実で、大量発行で超インフレ的に使用価値を失っていた軍票を持っていてもしかたがないので、どっさり慰安婦に渡した。
軍票は当時の慰安婦の生活にとってもなんの役にも立たないものだった。
国に帰っても引き出せない郵便貯金は詐欺のようなものだった。
これは メッセージ 37212 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 慰安婦と軍票
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 10:50 投稿番号: [37214 / 41162]
昭和十八年新規軍票発行停止
上記に伴い為替貯金の受け渡しは総て儲備券による但し当分の間受け入れに限り軍票に依ることを得
為替貯金各証書、通帳類の金額は日本金に換算し之を表示す
↑上記の様に、軍票は通貨として使用出来たんだね、儲備券、日本円と同じようにね。
慰安婦も貯金に容れるときは、チャンと円に書き換えられていたんだよ。
真っ赤な嘘吐く、唐変木君。
これは メッセージ 37212 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 慰安婦と軍票
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 10:38 投稿番号: [37213 / 41162]
問答集
中支に於ける儲備券対軍票換算率を変更すの意志なきや
北支に於ける連銀券と日圓との換算に付き如何
両者とも之を変更する意志なき
国会問答集(秘密会)より抜粋
これは メッセージ 37212 (fukagawatohei さん)への返信です.
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慰安婦と軍票
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/10/20 10:30 投稿番号: [37212 / 41162]
軍票というのは何の裏づけもなく印刷した通貨でから、あまり通用価値はなかったが、公式には内地の円と等価と言うことになっていた。
軍がいくら軍票を発行しても内地がインフレにならないように、外地で貯金はできても内地(朝鮮を含む)で引き出すことは出来ない定めになっていた。
しかし、事情がよくわからない慰安婦たちは収入をせっせと貯金していた。
兵士たちは他に使い道もなく、内地に送金もできない「軍票」を慰安婦にチップとして渡したものが多くいた。
特に終戦間際には、紙くずになることが確実で、大量発行で超インフレ的に使用価値を失っていた軍票を持っていてもしかたがないので、どっさり慰安婦に渡した。
軍票は当時の慰安婦の生活にとってもなんの役にも立たないものだった。
国に帰っても引き出せない郵便貯金は詐欺のようなものだった。
これは メッセージ 37211 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: コルレス契約のうそ(48を18に変更)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 10:19 投稿番号: [37211 / 41162]
一寸修正しておくね。間違って御免ね。
公定換算率
儲備券百円に付き日本円十八円(昭和十八年度)
郵便貯金に儲備券で預け入れる場合は円に換算し単位は円とする。
これは メッセージ 37209 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: コルレス契約のうそ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 10:13 投稿番号: [37210 / 41162]
序でにオマケ
フィリピン100ペソに対し邦貨173.25円
これは メッセージ 37207 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: コルレス契約のうそ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 09:52 投稿番号: [37208 / 41162]
軍票の送金、儲備券の送金、円の送金、若しくは両替、之に必要なんだよ。
ところで、当時のレート(為替レートだよ)1:16と言うことだね。
脳無しで、嘘吐きじゃ言うこと無いね。
これは メッセージ 37207 (fukagawatohei さん)への返信です.
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コルレス契約のうそ
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/10/20 09:29 投稿番号: [37207 / 41162]
>此等の取引は現在でも行われており、戦前戦後共に何の問題も無い預け合い勘定です。>
外国為替と軍票は全く関係の無い話だろ〜が。
外国為替って何だか分かってんのか。
知ったかぶりして銀行のコルレス契約などとトンチンカンな
事を言い出して、話をはぐらかす。
相変わらず、せこいね〜、ニャンコチャンは。
- QUOTE -
香港における軍票は、進駐した日本軍が3年8ヶ月にわたった占領期間中、香港市民の持つ香港ドルと強制的に交換し、軍費を確保したが、昭和20(1945)年8月15日(終戦の日)を境に事態は一変した。
日本政府はGHQ(連合国軍総司令部)最高司令官 ダグラス=マッカーサーの「覚書」に基づいて、昭和20年9月、大蔵省が「軍票の無効無価値化」を宣言、日本軍が戦時中、大量に発行した軍票は一夜にしてただの「紙屑」と化した。
- UNQUOTE -
これは メッセージ 37185 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 中国儲備銀行>unhoo
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 08:10 投稿番号: [37206 / 41162]
>ちなみに、1945年度の大日本帝国の国家予算が2兆4500億円だそうです。
↑研究者が言う国家予算が何を含むのかは当方では判りません。
当方の資料に拠れば以下の通。
昭和二十年度予算
第一條
昭和二十年度歳入歳出総額を各貳百貳拾四億四百貳拾九萬四千百九拾圓(22,404,294,490円)と定其の款項の金額は別冊甲号歳入歳出予算に依るべし
第二條
別冊乙号所掲の費途は各其の企画する所に随い規定の総年額年限割額を改定す
第三條
昭和二十年度歳出歳入中別冊丙号所掲の費途は其の年度末支出残額を翌昭和二十一年度に繰り越し使用することを得
第四條
会計法第六條の規定に依る大蔵省証券及び借入金の最高額は昭和二十年度に於いては通じて五億圓とす
これは メッセージ 37082 (mario_porco_rosso さん)への返信です.
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Re: ちなみに>nyankotyanndamon
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/20 07:43 投稿番号: [37205 / 41162]
日本の昭和十九年予算案より抜粋。
特別会計+一般会計
予算額
93,514,120,304円
節約額
565,529,544円
実行
92,948,590,760円
昭和20年度予算方針閣議決定
一.予算の編成及び実行の際に於ける機動性確保に資する為前年度予算を基準として現下の戦局に顧み其の推移に則応せる改変を断行するを主眼とすること
二.資金、物資及び労務の公立発揮を最高度ならしむると共に既往に於ける当該動員計画の状況に顧み其の需要多き施設の予算化は之を避けること
三.行政運営の戦場態勢化と既存人員の重点的配置換えとを強行し以て官吏以下政府職員に増加は之を行わざること
四.緊要なる施策の臨機実行に遺憾なからしむる為予備費の計上を多額ならしむること
五.各省は概算又は概計書類と共に物資需要書を作成することとし其の大蔵省への提出期限は必ず之を厳守すること
と言うことより昭和20年の国家予算は昭和19年度とほぼ変わらない水準だったと思うんだけどね。
小林サンの研究は以下にあなたが示した額。
ちなみに、1945年度の大日本帝国の国家予算が2兆4500億円だそうです。
これは メッセージ 37197 (mario_porco_rosso さん)への返信です.
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fukagawatoheは木っ端微塵
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/10/19 22:33 投稿番号: [37204 / 41162]
だな
(笑
低脳が、分らん話にクビを突っ込んで
(笑
木っ端微塵
(大笑
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Re: ちなみに>nyankotyanndamon
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/10/19 19:11 投稿番号: [37203 / 41162]
現金
395,995,000元
地金銀
397,255,000元
預け金
8,655,296、000元
諸貸出金
1,030,043,000元
有価証券
1,784,828,000元
中央信託公司
10,000,000元
本支店勘定
327,099,000元
仮払金
275,639,000元
未収利息
27,827,000元
営業建物
6,607,000元
兌換券製造費
3,326,000元
開業費
3,326,000元
兌換券準備金9,825,283,000元
総損金
130,468,000元
中央儲備会
5,000,000元
整理処勘定
161,919,000元
此等と研究者の資料と一致しますか?
少なくとの此等の経理帳簿を見ないと正確に書けないと思いますが、研究資料は。
これは メッセージ 37197 (mario_porco_rosso さん)への返信です.
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Re: ちなみに>nyankotyanndamon
投稿者: mario_porco_rosso 投稿日時: 2011/10/19 18:59 投稿番号: [37201 / 41162]
>昭和十八年時点での資産負債表に依れば以下の通(政府資料より抜粋)
交換比率は当然「日本円1:中国元16」ですね。そうすれば、発行兌換券の金額は日本円に換算して6億円強になります。
あなたの資料を疑うわけではありませんが、「昭和18年時点」とはいつの「時点」なのか、確認をお願いします。
日本側の資料ならば、3月末の可能性があります。そうであれば、小林教授が示された下のデータと、時期的には整合すると思われますね。
1941年
7月(設立当初)
7600万円
12月
2億4000万円
1942年12月
34億8000万円
1943年12月
191億5000万円
1944年12月
1396億9000万円
1945年
8月
2兆6923億円
(上記データは明石書店『香港軍票と戦後補償』より引用)
それでも、あなたが示した円借款の3億円を、すでに超えていることにはなりますが?
日本政府は、汪兆銘政府ないしはその儲備銀行に対して、兌換紙幣の発行を可能にするように、更なる円借款を行った……はずはないですよね(苦笑)
戦争が激化していた時期、ただでさえ日本政府には金がない。友好国とはいえ他国の発券銀行に、これほど多額の借款ができたはずがないことは、専門家でなくても分かります。
これは メッセージ 37199 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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