中国の反日デモ

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Re: ディー アーフタ フードの和食

投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/04/03 06:16 投稿番号: [72360 / 95793]
数年前にウィーンとパリへ旅行へ行ったら、私は痔主なので、パリではそれが酷く成り、バスクリーンが欲しく成ってオペラ座の近くの高島屋へ行ったら、パリの水道水をお湯にすると成分は温泉と同じと聞いて驚きました。
高島屋で痔の薬を買う処方箋を書いてもらって、やっと薬屋で痔の薬が買えてホテルの風呂で長湯して治療しました。欧州では、処方箋が無いと薬局で買えるのはバンドエイドぐらいなものですからね。

Re: フォークランド紛争

投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/04/03 05:48 投稿番号: [72359 / 95793]
アルゼンチン空軍がもの凄く活躍した紛争でした。
アルゼンチンのミラージュ戦闘機が爆弾を装備して超低空で英国艦隊を襲い多大な被害を英国艦隊へ与えています。アルゼンチンのシュペールエタンダール戦闘攻撃機もエクゾセミサイルで英国艦隊の駆逐艦を撃沈したり、コンテナ船改造のハリアー戦闘機航空母艦を撃沈しています。
英国は最精鋭部隊の近衛師団を投入したので士気は高く、上陸した途端に母艦が撃沈されたので、飲料水不足で悩まされフォークランドの細菌に冒された水を飲んで歩兵部隊全員が下痢をしながら前進してアルゼンチン軍を撃破しながらフォークランドを奪還したのです。英国軍兵士が最精鋭部隊だったので下痢をしながら糞まみれでも精神根性で乗り切ったのでしょうね。
アルゼンチン空軍の損害は莫大でしたが、それでも英国艦隊に突入して多大の戦果を上げていました。

Re: 韓国中国の内政干渉<リンクを

投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/04/03 05:23 投稿番号: [72358 / 95793]
日中記者協定は、不平等協定だとして、参加していない日本の報道機関会社も有ります。
そして、このゴキブリ料理事件が、その前のイラクで捕われた左翼系の3人の団体での、ネット情報に良く似た様なので、報道機関としては、裏付けがなかなか取れない様なので、報道は案外にされていないのでしょうね。
http://www2.diary.ne.jp/search.cgi?user=119209&cmd=show&num=2004040951081448868&log=2009730569&word=%8D%A1%88%E4%82%C5%82%B7

最近の野党民主党なんて、裏付けを取らないで偽メールを掴まされて、国会審議の山場で自滅していました。
http://dando.exblog.jp/4226418/

ゴキブリ料理事件は、中国の反日暴力デモ騒ぎの中でこつ然と現れたので、この裏付けやら研究は、日中記者協定では出来ないし、その協定を結んでいない日本の新聞会社も、その真偽を確かめるには中国に記者が居ないので調べられなく、ゴキブリ料理事件の風評口コミは大きな影響で、日本人観光客が中国旅行をするのを大激減している現実が有るのです。
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20050422
つまり、日中記者協定が、ゴキブリ料理が本当だったら、朝日新聞やNHKは記者が中国が追い出される協定違反だし、真偽を確かめる方法は日本では出来ない中国での出来事なのです。

Re: 特攻隊と言われ白人は嬉しいよ

投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/04/03 04:35 投稿番号: [72357 / 95793]
日本では、スペシャル   エア   サービス(SAS)みたいな特別攻撃隊って特攻隊は常駐は案外と少なく、状況によって現地部隊でのよりすぐりとか、多兵科での特別編成って一時的なものが多いのです。選ばれた兵とか担当者はこれは名誉な事なのです。

この頃は、船舶臨検用の特別部隊が北朝鮮の不審船対策で作られたりしていますけどね。案外と移動に時間がかかってチャンスを逃す場合が多い様です。

Re: 人間の記憶って

投稿者: kubotakaaki2005 投稿日時: 2006/04/03 04:19 投稿番号: [72356 / 95793]
ファティマ第3の予言とかアンゴルモアの大王っていったいどうなったのでしょうか?

人間の記憶って

投稿者: news_station119 投稿日時: 2006/04/03 02:56 投稿番号: [72355 / 95793]
時として残酷なものなのかもしれない・・・

数千年前から聖母を夢見た人間の記憶zzz

30年まえではなかった、もう40年は

投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/04/03 02:35 投稿番号: [72354 / 95793]
たっておった。つい昨日のように思えてな。

○爺

伊首相、赤ん坊を茹でる発言の撤回を拒否

投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/04/03 02:00 投稿番号: [72353 / 95793]
  【大紀元日本4月2日】中共に赤ん坊を茹でた時代があったと発言したイタリのベルルスコーニ首相は29日、同発言を撤回しないと強調し、中共政権による国民の虐殺は事実であり、中共外交部の抗議は官僚主義者の反応だと批判、自らの発言で両国の関係が損なわれることを否定した。

  ロイター通信29日の報道によると、ベルルスコーニ首相は24日の集会で、中共政権の毛沢東時代では、赤ん坊を茹でて田んぼの肥料として使用したと暴露した。首相は同発言の撤回や、謝罪を拒否し、1997年にフランスで出版された「共産主義要注意者名簿」を引用しただけと説明した。この本は1997年フランスで出版され、全世界の共産党政権が行なった国民に対する弾圧の実態を暴露するベストセラーとなり、世界中の共産党国家は、国民を虐殺することに没頭し、国家管理能力が欠けていると記述している。

  中共政権は、同首相の発言に強く反発した。それに対し、ベルルスコーニ首相は29日、中共の反発は官僚主義者の反応で、両国の関係が外交危機に瀕するとは判断しがたいと述べ、「これは歴史の事実だ。中国では国民が百万単位で虐殺されたから」と述べた。

  イタリア外務省は情況の緩和を試み、28日に発表した声明文の中で、「以前の出来事を提起しただけで、中国と論争する構えはない」と説明した。

  ベルルスコーニ首相は2001年の選挙の際に、「共産党が赤ん坊を食べたり、それ以上ひどいことをしたと証明するための会議を招集しても良い」と発言した。

  ベルリンの壁とソ連の崩壊に伴い、イタリアの共産主義者の大半は左派の民主党に変身し、現在の主力野党となっている。

  フィナンシャル・タイムズ紙29日の報道によると、ベルルスコーニ首相は頻繁に共産主義を強く批判し、29日の右寄りの欧州人民党(European People’s Party)会議の中で、首相は中共政権に対する批判を繰り返したという。

  ベルルスコーニ首相はこう語った。「人々は本当の真実を提起してはいけないのか。それであるならば、我々はロシア政府を激怒させないために、旧ソ連のグラーグ収容所を言及してはいけない。ドイツ人への批判と反発されないため、ナチス収容所の話題も避けるべきだということになる」

http://www.epochtimes.jp/jp/2006/04/html/d84874.html

○僧4であったかな、このニュースを最初に投稿したのは。上のニュースの中で伊首相の以下の発言が特に面白い。日本政府の対中共スタンスもこうあってほしいものじゃ:

ベルルスコーニ首相はこう語った。「人々は本当の真実を提起してはいけないのか。それであるならば、我々はロシア政府を激怒させないために、旧ソ連のグラーグ収容所を言及してはいけない。ドイツ人への批判と反発されないため、ナチス収容所の話題も避けるべきだということになる」

なかなか面白い人物じゃな。「死して土に帰り、肥やしとなる」の貧しい農民の窮状かも知れんが、ならば部分的ではあるが説明がつこう。しっかし、日本でも欧米でも考えられんこと。ついでに中国共産党の階級闘争にからむ自己中の数々も暴露してもらいたいものじゃな。中国の人々は、いかが考えるかな?

では、お休み。

○爺

生き証人が世界中で

投稿者: news_station119 投稿日時: 2006/04/03 01:46 投稿番号: [72352 / 95793]
次々に寿命を迎えてしまう・・・
つらいでしょうけれど、語り継いで欲しい・・・

過去の不幸を回避できる人類が育ちますように

太平洋戦争における

投稿者: news_station119 投稿日時: 2006/04/03 01:27 投稿番号: [72351 / 95793]
アメリカ機動部隊に対する旧日本軍の特別攻撃が
世界に与えた影響は意外と大きい・・・
しかし、「死」にのみ共感したのであれば
日本文化を全く理解していない・・・
さいわい、そのような人はごく一部であり
それが証拠にアルゼンチンなどではスポーツで
イギリスと対等以上に闘い、交流している

国家として、理由の無い恫喝で、
金銭を要求していない・・・
ましてや「過去」を知らない若者が
「過去」を持ち出して暴力に訴える事など無い
たとえ情けない輩が居たとしても
国家の恥として法廷に送る
いづればれる隠蔽など国家として行わない!

weary100jp さんよ、これは物語ではない

投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/04/03 01:14 投稿番号: [72350 / 95793]
当時、実際に起こったことじゃよ。ただ、多くの若い戦後の日本人にとっては、学校で教わらなかった、学校教育が深部にふれることを半ばタブー視してきた、だから事実が知らされておらなかっただけのこと。これは、戦争に巻き込まれた国や地域に対する戦後日本政府の遠慮に原因がある。

もう30年もまえになるかな、儂が南方の島々を再度訪れたとき、いずれの島の長老達も、はっきりとした日本語で大戦時の日本軍をなつかしく、そして好意的に回顧して話すのをよく耳にした。そこには、日本人に対する警戒心というものはなかったが、反面、日本軍はまたこの島にやってくるのかと聞く長老も何人かおった。

東南アジアでは、中華、華僑の間にも旧日本軍に好意的な人物が多い。

日本は、結果としてインド、東南アジアを含む、いわゆる大東亜共栄圏諸国の民族独立意識を覚醒させたことになる。これは、欧米列強の植民地政策とは異なり、現地住民を半ば家畜同然のように扱っていた欧米とは異なり、現地住民の人間性と能力を尊重した日本人の武士道精神によるところが大きいと考える。

「私のラバさん、酋長の娘、色は黒いが南洋じゃあ美人・・・」
「さらばラバウルよ、またくる日まで、しばし別れの涙の夕日・・・」

この歌詞にあるような異国に対する情緒を大概の兵隊達は抱いておった。補給がとだえ、食料も医薬品も底をつき、味噌・醤油もなく、だからといって現地住民から略奪することもなく、疫病に倒れた身で、圧倒的物量を誇る米軍に弾尽き果てるまで戦い、弾つきると着剣して突撃し、そして散っていった。

このような歴史は、戦後の義務教育では教えていない。例え記述があってもほんの数行であると承知しておる。ことの成り行きの事実だけを単に列記し、数々のドラマにはふれていない。

中韓が当時の歴史認識云々を必要以上に主張すれば、これら無数の日本兵のドラマもことこまかに記述し、検証する必要があって、結果は中韓の貧弱な当時の状況を赤裸々に暴露しなければならないことになる。

日本の良いところは、高校・大学と進むにつれ、興味ある学生はさまざまな情報や資料にアクセスし、自由に研究できることにある。

○爺

北朝鮮が拉致を認めた時点で

投稿者: news_station119 投稿日時: 2006/04/03 01:01 投稿番号: [72349 / 95793]
ある巨大政治団体の虚偽が世界中に暴かれた
日本は犯罪支援国家ではない
世界市民は犯罪を糾弾できない政治団体など認めない
何故なら国家の品格に関わる重大問題だからだ
国家としての品格を世界市民に疑われれば
経済交渉など存在しない
つまり、嘘をついて犯罪を黙認している輩との
交渉など無いという事なのだ
世界市民は全て○○人としての誇りと責任を認識しているのだ

特攻隊と言われ白人は嬉しいよ

投稿者: ojin_tooron 投稿日時: 2006/04/03 00:59 投稿番号: [72348 / 95793]
>特攻隊的と言われた事、どちらかと言えば
嬉しいと感じた   と言う思いですか?

嬉しいと感じました。仲間感覚が湧いた。
ご存知のように、在日白人がもっとも差別に感じるのは

日本人がいつも間隔を置く

ことです。
要するに、日本人の白人に対する振る舞いはなれなれしいことの正反対です。
「どうせおめ〜は白人だから日本人になれないべ〜」と言う感じですね。

特攻隊と言われると、心の清い日本人に近いと認めてもらった気がします。
僕は特攻を認めていなくても、特攻隊に対してある意味尊敬を感じます。

Re: 韓国中国の内政干渉<リンクを

投稿者: ojin_tooron 投稿日時: 2006/04/03 00:34 投稿番号: [72347 / 95793]
色々な情報はありがたいですが、日中記者協定があるからと言って、この件の他に中国に関する厳しい記事が沢山ありますよね?ならば、なぜこの件だけは報道できない?

中国人留学生と

投稿者: news_station119 投稿日時: 2006/04/03 00:25 投稿番号: [72346 / 95793]
マフィアの区別がつかない・・・
この事実は果たして日本国内だけなのだろうか?

フォークランド紛争

投稿者: news_station119 投稿日時: 2006/04/03 00:14 投稿番号: [72345 / 95793]
アルゼンチンのパイロット達は当時
「ブプカ」と言う旧型戦闘機に
国の誇りを重ねて散っていきました・・・

負け戦でしたが
彼らを賊軍と評するアルゼンチン国民はいません

彼らに涙したアジア人は実はたくさんいるのです

アジアで永きに渡って横暴をふるっていたのは
日本ではなく実は中国、さらには欧米

違うか?

Re: とんでもないです>横>差別

投稿者: ojin_tooron 投稿日時: 2006/04/03 00:06 投稿番号: [72344 / 95793]
>思い込みや先入観だらけの人間が、あらゆる差別に反対などと言ってる事を
信じられるわけがない

あんた、返信しないでと言いながら、貴方がワシについてメッセージを書き続ける。変だと思いませんか?

あんたはちゃんとワシが挙げている例に対して、反論できないから、こういう無意味な投稿を続けています。

何か具体的なことに関して、書きなさい。
賃貸マンションのこと、差別でないとでも言うのですか。

Re: ドロドロしてきた・・・頭の中

投稿者: iwacchi1960 投稿日時: 2006/04/03 00:04 投稿番号: [72343 / 95793]
あのね〜、だったら、論理的に話せる人だけにレスすればいいんじゃないんですか?

それと、白人の世界、東洋の世界なんて区別するのはナンセンスなのでしょう?
だったら、欧州人と一括りにするのもおかしいんじゃないんですか?

欧州はすべて、同じと考えていいんですか?

礼儀を知らないのはどちらなのでしょうね〜?

論理的に話せる人に聞いてみたらどうですか?

>もしも、貴方たちは凄く話しやすい連中であれば、国を明かすと思いますよ。

これがね、礼儀知らずで、卑怯なのですよ。

ドロドロしてきた・・・頭の中

投稿者: ojin_tooron 投稿日時: 2006/04/02 23:53 投稿番号: [72342 / 95793]
>だって、卑怯なんだもん。オジンさん

お止めなさい。
俺はここで一人なんですよ。
一人対十人という状態で、なんとか欧州人の言い分を表に出そうと頑張っています。
貴方はただ「卑怯なんだ」と、仲間のふふのせりふを繰り返すだけです。
それでも大人か?

俺は全然卑怯じゃありません。
もしも、貴方たちは凄く話しやすい連中であれば、国を明かすと思いますよ。
しかし、俺が望んでいる、お互いに礼儀正しく、かつ論理的な議論を進めるのは難しいです(ここも誤解しないでね、全員じゃありません   −   久保さん、キンカンさんは論理的で話しやすいです   桜さん、爽やかさんは礼儀正しくて話しやすいです)
行ったことのない、言語も知らない、環境も分からない国のめちゃくちゃな話が降ってくるに違いありません。前のメーリングリストではそうでした。
ヨーロッパに行った事もない人がヨーロッパについて投稿してしまうから。

>アメリカは未だに、差別はあるんですね〜

これをまた、繰り返すんですか。
米国と俺の国は日本と中国ほど文化が離れています。

>差別をしてはいけないと思い、日本人のように扱うことが差別的なことになったりしないかな?

国際的な礼儀に従えばいいと思います。
1) 相手から特別な要求がある時以外、x国ではx語で話すべきです。
2) 相手から特別な要求がある時以外、現地人と同じ扱いをするべきです。
3) 数人で話すときは、皆に理解できる言語で話すべきです(共通の言語があれば)。

Re: とんでもないです>

投稿者: iwacchi1960 投稿日時: 2006/04/02 23:52 投稿番号: [72341 / 95793]
ポイントをずらしているのは君だよ。

>私の国では場所によって、太っていて顔が丸いと言うのは、ばかの証拠とされることがあるんです。
都市で聞いた事がありませんが、田舎ではあります。
で、外国人の同僚が国に出張したとき、なぜか酒の席でこういう話を聞いて、日本に戻ったら笑いながら「丸顔アホ」という造語を作ったんです。
うちのグループは仲がよくて、造語が多いで・・・・

どこに、デブで無い人に対して「丸顔アホ」とかいてあるんだね?
どこに外見がやせてても、中身がばかな人に対して言っているんだね?

自分の言った言葉さえ、理解できないのかな?自称欧州人君は。

で、いつ、君と「でぶっちょう」について、話をしたのかね?

私は、遊牧の神について反論を待っているのだがね。

Re: とんでもないです>横

投稿者: ojin_tooron 投稿日時: 2006/04/02 23:46 投稿番号: [72340 / 95793]
基本的にはそうですが、僕は別にデブの人に対しても侮辱を言いませんね。

なんか、皆さんが貴方のようにオープンな性格でしたら話しやすいのに…

Re: 大東亜戦争の評価-6

投稿者: weary100jp 投稿日時: 2006/04/02 23:43 投稿番号: [72339 / 95793]
やめてくれよ・・・いきなり。
気持ち悪いよ。
こちらはもっと現実的な話をしている。
もっと、理論的に我々はこの国で、どうして行けば好ましいかを話している。
妄想はいらない。
現実はどうなのか、問題解決はどうすべきなのか。
ぶち壊しにしないでくれ。
そっとしてくれ。

尊厳の複数

投稿者: ojin_tooron 投稿日時: 2006/04/02 23:42 投稿番号: [72338 / 95793]
これは専門家に聞かない限り、確実なことは分からないでしょう。
私は全部いわゆる「尊厳の複数」の例だと思いますよ。

大東亜戦争の評価-11

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 23:36 投稿番号: [72337 / 95793]
■ パラオの場合

  皆さんはパラオ共和国という国をご存知でしょうか。太平洋に浮かぶ小さな島国です。そのパラオの国旗ですが、日の丸とそっくりです。なぜこのようなデザインになったのでしょうか。

  ドイツ植民地であったパラオは第一次大戦後、日本の委任統治領となりました。太平洋戦争中はミクロネシア地域の重要拠点となり、多くの日本軍が駐屯していました。そこでの日本は厳しくも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に大変な信頼を受けました。
パラオの人々は「日本人は厳しかった。しかし我々に農業と、まじめに働くこと、そしてウソをつかないことを教えてくれた。」と今でも口々に日本を語ります。
  太平洋戦争末期、アメリカ軍がパラオにも迫り、いよいよ上陸してくるという時に、パラオ人は驚くことに、「我々も日本人と一緒にアメリカ軍と戦う」と決意したと言います。しかし民間人に被害が出ることを懸念した日本はそれを許さず、貴重な船舶を使いパラオ人を全員他の島へ避難させました。そして戦闘が終わり、パラオ人が島へ帰ってくるとそこには玉砕した日本軍の遺体が多数放置されていました。パラオ人は泣きながら丁重に遺体を埋葬しました。そして日本人がいつ来てもいいようにと、墓の掃除を今でも欠かさないと言います。

  戦後は日本の変わりにアメリカが統治をすることになりましたが、パラオの人々は日本への感謝の念をずっと忘れることはありませんでした。
  1994年、パラオはアメリカからとうとう独立することとなります。それに際して国旗を制定することとなったパラオは、敬愛なる日本の日の丸と同じデザインにすることに決めたのです。黄色い丸は月を、背景は青い海を表します。しかし月が中心より少しずれていることにお気づきでしょうか。これは日の丸と全く同じデザインにしては日本に失礼だからとのパラオの配慮です。そして、独立式典ではパラオ国歌の斉唱の後、君が代の斉唱がなされ、パラオは独立を宣言したのです。アメリカの統治は50年にも及びましたが、パラオの人々の心に残っているのはアメリカの統治が始まる前の50年前に滞在した日本人だったのです。日本が短い統治の間にパラオの人々の心に残したものはそれだけ大きかったのです

新聞に載ったパラオの話。

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
船に乗って島を去る日   日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。


また、ブラッディーノーズの近くにあるペリリュー神社には、
米軍ニミッツ元帥による以下の日英2文が記されています。
「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous
and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.」
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
  あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
  此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を……」

http://www.nanyou.org/html/palau/history.html



●もっと詳しく知りたい人には

名越二荒之助編『世界から見た大東亜戦争』展転社
ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』展転社
ビデオ『独立アジアの光-東南アジアの歴史と現代-』Tel 03-3476-5695

アジアの真実
http://ameblo.jp/lancer1/

をお勧めします。

大東亜戦争の評価-10

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 23:16 投稿番号: [72336 / 95793]
■ タイの場合

タナット・コーマン(タイ王国元副首相、元外相)   あの戦争によって、世界のいたるところで植民地支配が打破されました。そしてこれは、日本が勇戦してくれたお陰です。新しい独立国が、多くの火の中から不死鳥のように姿を現しました。誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です。

ククリット・プラモード元首相
  日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産してその母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。こんにち東南アジア諸国民が、米・英と対等に話しができるのはいったい誰のお陰であるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。

ソムアン・サラサス(タイ国軍元顧問)
  日本は敗れはしたが、アジアのプライドをかき立てた。・・・戦争が始まったとき、日本は負けるという不安もあったがタイは日本についた。私は、日本が負けても、英米に対してアジアもこれだけのことができるという証明になると友達と話した。

大東亜戦争の評価-9

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 23:14 投稿番号: [72335 / 95793]
■ インドネシアの場合

こんな歌を知っていますか?インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」です。

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり   己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと   玉散ることもいとわず
進め   進め   義勇軍   アジアとインドネシアの英雄   清き東洋に幸あれ
古きアジア   不幸に苦しむ   烈しき圧制に   幾世紀も忍ぶ
大日本   雄々しく立てり   アジアを救い   我らを守る
進め   進め   義勇軍   アジアとインドネシアの英雄   清き東洋に幸あれ…”


だ…大日本?!なんだか、聞いてるこちらがこそばゆくなってしまうような歌詞ですが、これはいったいどういうことでしょうか?

じつは350年間の長きにわたって、オランダの植民地にされてきたインドネシアが独立を勝ち取ったのは、昭和17年(1942)3月の日本軍進攻がきっかけでした。350年間の過酷で計算されつくした植民地政策によって、有色人種であるアジア人は白人の支配を脱することは不可能だと思いこまされていました。しかしそこに白人よりも小さな身体の日本人が突然やってきたかと思うと、なんとたった9日間の戦闘でオランダ軍は全面降伏してしまったのです。自分達と肌や髪の色の同じ小柄な日本人が、絶対にかなうはずもないと思っていた白人をあっという間にやっつけてしまったのです。この様子を目の前で見たインドネシアの人々は、そうだ!自分達もやればできるんだという勇気を持ったのでした。現地の人々に大歓迎された日本軍は、オランダによって流刑されていたインドネシア独立運動の指導者スカルノとハッタを獄中から救出し、日本軍への協力を求めました。こうして昭和20年8月に日本が敗戦するまでの3年半、オランダ時代とはまったく違う軍政が実施されました。詳しくは後に掲げる参考文献にあたってほしいのですが、ここではインドネシアの中学3年用の歴史教科書から引用してみましょう。

「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」わたしたち日本人にはまったく教えられていませんが、インドネシアの子供達はこういうふうに、このあいだの戦争について習っているのです。ちょっと驚きですね。


しかし独立を約束した日本が連合国に敗れたとたん、またもやイギリス軍、ついでオランダ軍がインドネシアを再占領するために戻ってきたのです。ところがインドネシアの人々はもう以前のインドネシア人ではありませんでした。自分達の力で独立を目指して戦う勇敢な戦士となっていたのです。そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前に、昭和20年(1945)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げたのでした。ちなみにこの宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。「’05」とは、これまた誰も知らないでしょうが、「皇紀」または「神武紀元」といって日本が使っていた暦に基づいています。西暦(西洋の暦)はキリストの誕生を元年としますが、「皇紀」は初代の神武天皇の即位の日を元年としています。どちらも神話、伝説上のことですから、正確であるわけはないのですが、「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。その下2ケタをとって「‘05」。なんて聞くとまたまた驚きですが、今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになってスカルノとハッタの銅像のまんなかにあるので誰でも見られます。

大東亜戦争の評価-8

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 23:12 投稿番号: [72334 / 95793]
■ マレーシアの場合

1941(昭和16)年12月、日本軍は真珠湾のアメリカ軍艦隊を攻撃すると同時にマレーシアに上陸し、さらにマレー沖のイギリス東洋艦隊に攻撃をしかけました。ことにイギリスの誇る世界最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスという2隻を航空機による爆撃で撃沈したことは、世界戦史上、前例のないことでした。この衝撃的な知らせを受けた当時のイギリス首相チャーチルは「戦争の全期間(第二次世界大戦)を通じて、わたしはそれ以上の打撃をうけたことはなかった。いかに多くの努力と希望と計画が、この2隻の軍艦とともに沈んでしまったか。ベッドのなかで寝返りを打ち、身もだえするわたしの心にこのニュースの持つ恐ろしさがしみこんできた。」(チャーチル『第二次大戦回顧録』)と書いています。

そして、150年以上にわたるイギリスの植民地支配に苦しめられていたマレー人は半島を進撃する日本軍を心から歓迎し、食糧を提供し、ジャングルの地理案内をし、軍需物資の運搬まで手伝ってくれました。当時、16歳だったラジャー・ダト・ノンチック元上院議員はこう言います。「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」このような現地の人々の支援もあって、日本軍は60日間の激戦の末、イギリス軍のアジア最大の要塞、シンガポールを攻略します。1942年(昭和17)2月15日、ついにイギリス軍は降伏し、150年におよんだイギリスのマレー支配は終わりを告げたのです。フランスのドゴール将軍はこの日の日記に「シンガポールの陥落は白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する。」と記していますが、本当に歴史的な日であったといえるでしょう。

さてイギリス軍を追い払ったあと、日本軍はマレーの青年教育に力を注ぎました。1942年5月15日、シンガポールに「昭南興亜訓練所」を開設し、マレーのすべての民族から優秀な青年を招いて心身共に訓練をしました。これはのちにマラッカの「マラヤ興亜訓練所」に引き継がれ、1000名を越える卒業生を送り出します。この卒業生の大半がマラヤ義勇軍、マラヤ義勇隊の将校となり、マレーシアの独立と、その後の新しい国づくりの中核となりました。ノンチック氏は言います。「新国家マラヤ連邦の建国の基本策と具体策は当時のマレー人青年の日本グループによって進められたと言っても過言ではありません。あの当時の国家計画庁本部は、昭南、マラヤの両興亜訓練所や日本に留学した南方特別留学生の同窓会の雰囲気でした。」

また、日本の軍政部がそれまで西欧人専用だったクラブやプールなどを、肌の色にかかわりなく一般に開放するなどの政策をとり、「民族の平等」を掲げたことは、マレーの人々の間にあった白人に対するコンプレックスを取り除き、“自分たちの祖国を自分たちの国にしよう”という独立心を目覚めさせました。

しかし、その3年8ヶ月後の1945年8月15日、日本軍は連合軍に降伏してしまいます。その結果、またイギリス軍が再びマレーを占領し、植民地にするために戻ってくるのですが、マレー人は以前の従順なマレー人ではなくなっていました。

マラヤ大学の副学長のウンク・アジス氏は「日本軍がもたらした『大和魂』のような考え方をもつことは、独立のためにどうしても必要でした。日本軍政下の訓練の結果、日本が降伏した後、英国人が戻ってきて植民地時代よりも悪質な独裁的制度をマレーシアに課そうとしたとき、人々は立ち上がったのです。」と言い、またマレーシア外務省情報センター所長のニック・モハマド氏は「これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。」と言っています。

(中略)

ノンチック氏は言います。「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べに来たのだ。』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません。』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。」

大東亜戦争の評価-7

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 23:10 投稿番号: [72333 / 95793]
■ ミャンマー(旧ビルマ)の場合2
(続き)
そのとき外相に就任したウー・ヌーは次のように演説しました。「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」

しかし日本と同盟を結んで米・英に宣戦布告したビルマにも、日本の敗戦が色濃くなってきた頃、日本と離れてイギリスと結ぶべきだとの声が高まってきます。日本と一緒に敗戦国になって、再びイギリスに占領されるのを怖れたのです。それまで日本とともに闘ってきた30人志士たちも動揺します。バー・モウやボー・ヤン・ナインは日本を裏切らず、ミン・オンという青年にいたっては日本を裏切ることは恩義に欠けるとして自決してしまいました。

けれどもオン・サンは「反日に立つのは、ビルマを生き残らせるための唯一の方法」であるとバー・モウに手紙を書き、1945(昭和20)年3月、ついに日本に反旗をひるがえすのです。この決断によって、日本軍はビルマから撤退し、代わりにイギリス軍が戻ってきました。

再び植民地支配を目指すイギリスに対してオン・サンは日本軍に育てられた10万人の義勇軍を率いて、イギリスと独立交渉をします。もう昔の従順なビルマ人ではなかったのです。

そしてついに1948年1月4日、イギリスのアトリー内閣が独立を承認し、ビルマはようやく独立を達成したのです。しかしこの席にオン・サンはいませんでした。この5ヶ月前に政敵の銃弾に倒れていたからです。

その20年ののち、バー・モウは『ビルマの夜明け』と言う著書を発表し、この本がイギリスでも出版されることになりました。このとき「ロンドンタイムス図書週報」1968年5月23日号ではこの本について次のように紹介しています。「ビルマを長い植民地支配から解放した者は誰か。それはイギリスでは1948年、アトリー首相の労働党内閣だということになっている。しかし、バー・モウ博士はこの本の中で全く別の歴史と事実を紹介し、日本が第二次世界大戦で果たした役割を公平に評価している」とし、序文の一部を引用しています。

それは「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」というバー・モウの歴史観を現した一文でした。

日本では決して語られることのない歴史が、ここミャンマーではしっかりと語り継がれています。彼らが植民地支配を脱する契機となった国軍記念日のパレードが、日本の“軍艦マーチ”で始まるなんて、ちょっと感動的ではないですか?

大東亜戦争の評価-6

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 23:08 投稿番号: [72332 / 95793]
■ ミャンマー(旧ビルマ)の場合1

“♪守るも攻むるも鋼鉄の   浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本の   皇国の四方を守るべし
まがねのその艦日の本に   仇なす国を攻めよかし♪”
この歌を知っている人いますか?歌詞は知らなくってもメロディーを聴けば誰でも分かる、実はこれ軍艦マーチなんです。“軍艦マーチ”??という人も、パチンコ屋さんで威勢良くかかっている曲って言えば、分かってもらえるんではないでしょうか。

このような説明をしなければならなくなってしまったこの曲は、日本が戦争に負けるまでは海軍の誇りであった名曲でした。しかし、今ではなんだか情けない役割にされています。ところが驚くなかれ、この曲が今でも誇りとともに演奏される名誉ある存在でいられるのは、遠くミャンマーの“国軍記念日”という晴れ舞台なのです。

ミャンマーでは3月27日の国軍記念日になると、全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まって盛大なパレードを繰り広げるのですが、なんと!このパレードはいきなり日本のこの“軍艦マーチ”から演奏し始めるのです。続いてミャンマーの軍楽隊は“歩兵の本領”“愛馬進軍歌”など昔の日本の歌を次々と演奏して、パレードを続けていきます。これはいったいどういうことでしょう?

実はミャンマー(旧ビルマ、1989年に国名を変更。それ以前を記す場合はビルマと表記。)は「日本人より日本を愛する国」といわれるほどの親日国家なのです。どうしてかって?ここミャンマーでは政府の高官からジャーナリストに至るまで、こう言います。「ミャンマーが今日あるのは、日本のおかげです。日本のおかげで、英国の圧制を逃れ、独立をすることができた。われわれは深く日本に感謝しているのです。」

(中略)

1941(昭和16)年、大東亜戦争の開戦とともに、タイのバンコクで30人志士を中心に「ビルマ独立義勇軍」が結成されました。日本軍による厳しい訓練を受けた青年たちは独立ビルマを象徴する孔雀の旗を掲げて、ビルマ独立を誓い合ったのです。

義勇軍の司令官には青年たちが心から慕う鈴木敬司大佐が就任しましたが、オン・サンの提案で鈴木大佐は純白のビルマの民族服=ロンジー姿で白馬にまたがり、ビルマ民衆の前に登場します。これはビルマの伝説で、イギリスに滅ぼされたアラウンパヤー王朝最後の王子が、いつかかならずボモージョ(雷帝のこと)となって、白馬にまたがり、東の方角からやってくる。そしてイギリスの支配からビルマを解放してくれるというボモージョ伝説を演出したものでした

もちろんビルマ民衆は歓喜して彼ら義勇軍を迎え、その協力もあって3ヶ月で首都ラングーンを陥落させ、イギリス軍を敗走させてしまいます。そして日本の軍政を経た後の1943年8月1日、ビルマはついに独立を宣言したのです。(続く)

Re: 核実験

投稿者: ojin_tooron 投稿日時: 2006/04/02 23:07 投稿番号: [72331 / 95793]
>構想、仕様検討、設計、1PP(1次試作)、2PP・・検証、完成、梱包、出荷   と馬鹿正直に全部やったとしても、1〜2ヵ月と致しましょう。
日本中総がかりになれば、もっと早い

ええ、1,2ヶ月でしたら技術的には不可能ではないかもしれませんね。

>そしてその頃の貴方は、まだ日本語を一生懸命に勉強中だったのでしょう・・Ojinさん

ワシは今でも日本語の授業に出てますので、当然当時もそうでした。
ですが、貴方は一体何方ですか。ある程度の知識は、あるみたいです。

Re: とんでもないです

投稿者: ojin_tooron 投稿日時: 2006/04/02 22:49 投稿番号: [72330 / 95793]
>太っていて、顔の丸い人への差別発言なんじゃないんですか?
身体的なことへの差別的言葉(侮辱的言葉)ですよね?

これは本当に超面白いです。
日常的に「でぶっちょう」という表現を使うのは日本人なんですよ。
それは侮辱的でないとでも言いたいのですか?

なおかつ、貴方は話のポイントを逃しています。

私はデブでない人に対して「丸顔アホ」と言っています。
つまり、私は太っている人をばかにするのではなくて、外見がやせてても、中身がばかな人に対して言っています。やはり、ここまで理解するのはイワッチ君にとって難しすぎるのかな?

Re: 大東亜戦争の評価-5<sada_goro さん

投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/04/02 22:49 投稿番号: [72329 / 95793]
明快なご投稿ありがとう。これからもぜひ続けてください。

では、ごめんくださいまし。

kgy一同。

大東亜戦争の評価-5

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 22:37 投稿番号: [72328 / 95793]
■ インドの場合

さらに、ボースがインド人民に向けて訴えた演説の一節をご紹介しましょう。「…大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」(1944.3.20自由インド放送より)このボースの演説内容に驚かれる方も多いことでしょう。無理もありません。私たちの多くは、先の大戦をアメリカ・イギリスなどの自由主義・民主主義陣営と、自由を抑圧するドイツ・日本のファシズム陣営の戦いであったと教えられてきたからです。しかし、ボースはここではっきりと、アメリカとイギリスを「帝国主義者」と呼び、その「侵略の軍隊」をアジアから追い出さなければ、アジアの自由はないのだと言っています。

このようなアジアの声を、またインドと日本の深い友好の関係を知らない日本人が多いのではないでしょうか?

そこで、ここではインドの人々と日本人が協力して、自由と独立を勝ち取った歴史を紹介したいと思います。

(中略)

「何かが残った…」その「何か」については、インドの民衆たちがいちばんよく知っています。

インパール手前15キロのロトパチンという村では、村民たちが自主的に作った日本兵の慰霊塔があり、毎年、日本兵の供養が続けられています。ロトパチン村の村長は「日本兵は飢餓の中でも勇敢に戦い、この村で壮烈な戦死を遂げていきました。この勇ましい行動はみんなインド独立のためになりました。私たちはいつまでもこの壮烈な記憶を若い世代に伝えて行こうと思っています。そのため、ここに日本兵へのお礼と供養のため、慰霊祈念碑を建てて、独立インドのシンボルとしたのです。」と語っています。

また、激戦地となったコヒマに住むナガ族は、そこに咲く可憐な花に「日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)」という名を付けています。この花は非常に生命力が強くて、少々のことでは枯れることがなく、しかも群生して仲良くいっせいに咲き始める野草です。このような花の性質が、死闘のなか、弾薬も尽き、ボロボロになりながらも、みんなで力を合わせて、敵に立ち向かっていく、そんな日本兵のすがたに重ね合わせられ、名付けられたのだということです。コヒマの人々は、花に名を刻み、日本兵が倒したイギリス軍の戦車を今も勇気のシンボルとして大事に保存しています。

インパール作戦は決して無駄ではありませんでした。確かに、あまりに多くの犠牲を払いはしましたが、「何か」、つまりインドの独立という大きな歴史を残したのです。このように遠く離れた地で、今でも日本人に感謝してくれている人々がいるということは、祖先がわたしたちに残してくれた大きな財産だといえるでしょう。

(中略)

その後、ボースのもとで共に独立をめざして戦ってきたインド国民軍(INA)兵士たちには、過酷な運命が待っていました。勝者イギリスが、ボースの指導したインド国民軍の将兵1万9500名を、イギリス国王に対する忠誠に背き、敵に通謀し、利敵行為をおこなったという「反逆罪」で軍事裁判にかけることになったのです。イギリスはこの「反乱」を、セポイの反乱(1857)以来の大不祥事と考え、これを厳罰に処し、見せしめにすることによって、これから先のインド統治を揺るぎないものにしようとしたのでした。イギリスは決して、植民地支配をやめようとは思っていなかったのです。しかし、この愛国者であるインド国民軍を「反乱軍」だとして裁くという措置に、インド全土では2年間に及ぶ大規模な反乱がつづきます。イギリスも軍隊を派遣し、徹底的な弾圧につとめるなど、流血の惨事があちこちで起こりました。さらに、イギリス軍によって、拘留されていた国民軍兵士たちの監獄からは、ボースの決めた国民軍の合言葉「チェロ・デリー!チェロ・デリー!」の声が、毎日響き渡りました。インド民衆も、「愛国の英雄を救え!」「INA全員を即時釈放せよ!」と叫びながら、警戒厳重な監獄にデモ行進をし、監獄の内と外で、「チェロ・デリー!」の大合唱が起きました。ついに1947年5月、イギリスは軍事裁判の中止をやむなく決定、8月にはインドの独立を認めざるを得なくなりました。

大東亜戦争の評価-4

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 22:33 投稿番号: [72327 / 95793]
■ スリ・ランカの場合

1951年9月6日 アメリカ合衆国サン・フランシスコに於ける、対日平和条約の締結と調印のための会議に於けるセイロン(スリ・ランカ)政府代表団々長J.R.ジャワルデネ(後のスリ・ランカ民主主義社会主義共和国の大統領)の演説

条約で日本の立場をどうするかについて討論した内容について

何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。
私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます.

大東亜戦争の評価-3

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 22:32 投稿番号: [72326 / 95793]
《 各国の人の声 》


■ 台湾の場合

  皆さん高砂族をご存じでしょうか?台湾の原住民族のことです。太平洋戦争中、台湾は日本領だったわけですが、戦争が激化してきた時、日本は台湾人からも兵を募ろうと、1000名の志願兵を募集しました。そこに応募した高砂族の数、実に4万人。彼らは日本と共に戦うことを切望し、日本人以上の忠誠心で、元々持つ勇敢さと強靱な体で戦いました。その強さと勇敢さ上、実際戦場に出た5000人のうち、半数以上が戦死。
  しかし亡くなった方も、生き残った方も、戦後日本国籍を失ったことで恩給や補償を受け取ることが一切出来なかったのです。しかし彼らは一切日本政府に賠償を要求することなく、未だに日本へ敬意を持っています。過去に一度台湾人が日本政府に戦争の賠償を要求した際、彼らは「高砂族の恥」として大変な非難をしたことがあります(後にこの訴訟を起こした団体は台湾にも住所が確認できず、高砂族とは関係ない政治的な謀略ではないかと言われていますが、詳しくは未確認です。)以下に高砂族に関するエピソードを数点紹介します。

「おにぎり」
  ある元日本兵は、同じ部隊で戦い、戦死した高砂族を慰霊するため、この碑に赴き、そこで昼飯にと差し出されたおにぎりを見て、いきなり涙を流し、慟哭をはじめたそうです「俺はこの握り飯を彼の前で食うことはできない。」と。彼の部隊は東南アジアで作戦中、食料不足で飢えに苦しみました。そこで足腰が強く、ジャングルに強い高砂族の兵士が、遙か後方の基地まで食料を取りに行ったそうです。しかし何日待っても帰ってこない。様子を見に行ったら、彼は部隊まであと少しというところで、両手一杯の米を抱えて餓死していた。米を持ちながらの餓死。信じられるでしょうか。餓死するほどの限界に達しながらも、多くの日本兵が心待ちにしている食料には一切手をつけなかったのです。慟哭した元日本兵は、そんな彼の霊前で握り飯を食うことができなかったのです。

「靖国神社に昇殿参拝して」〜ある高砂族の方の話(2002年)
  きのう靖国神社に昇殿参拝して、今気持ちは非常に暖かい。私もおかげさまで長生きし、一人前になりました。
  もしも明治天皇がいなければ、台湾は日本の植民地にはなりません。(しかし)学校教育 もありません。当時、清国が台湾にいたとき、学校はひとつもありません。 日本が台湾を五十年間植民地にしたが、その五十年間の正義(はあった)。多少なり 差別もあろうが、世界第一と数える(世界でもまれにみる発展をした)五十年、立派な 五十年。厳しい法律だが、法律守れば人民は豊かになれる。盗賊の心配もありません。 立派な政治だと思います。
  古い昔を思い出して、大陸と交わった(中国大陸から来た以前の国民党政権など)今の 台湾より、懐かしく日本時代を思って、(今でも日本と台湾は)いっしょになりたいと思って います。
  私は公学校六年を終えて社会に出ました。今NHK(衛星放送)で俳諧を研究しています。 80歳をこえて唯一、日本の靖国神社に参拝した夜に、東京で作りました。
  繋ぎ断ち   日暮里(ひぼり)の島は   曇りけり

大東亜戦争の評価-2

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 22:29 投稿番号: [72325 / 95793]
■ ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256〜7ページ

大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

  日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)   さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。


■ H・G・ウェルズ(イギリス人歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


■ 「中韓の発展、日本に感謝を」   米誌タイム・アジア特集:産経

  米誌タイムは最新号で、「現代アジア」について特集、シンガポールの元外交官、キショール・マフバニ氏の論文「アジアの再生」を掲載した。同氏はアジアの世紀と呼ばれる今の発展をもたらしたのは自らの文化に対する自信であり、中国や韓国などアジア諸国はそれを提供した日本に感謝の意を表すべきだとの見解を明らかにしている。
  マフバニ氏はシンガポール国立大学のリー・クアンユー公共政策大学院学長。インド系で、国連や米国で長く外交官を務めた。
  同氏はまず、「文化に対する自信は発展の必要条件である」と指摘。英国の植民地だったインドをはじめアジア諸国では欧州の文化の優越性が民衆の心の底に刷り込まれていたとし、「日露戦争でロシアが日本に敗れて初めてインドの独立という考えが生まれた」とのインドのネール初代首相の言葉を引き、「20世紀初頭の日本の成功がなければアジアの発展はさらに遅れていただろう。日本がアジアの勃興を呼び起こした」と論じた。
  韓国の場合も、日本というモデルがなければこれほど早く発展できなかったと指摘。中国も、日本の影響で発展できた香港、台湾、シンガポールという存在がなければ、改革開放路線に踏み出さなかったとし、「日本がアジア・太平洋に投げ入れた小石の波紋は中国にも恩恵をもたらした」「(日本を歴史問題で批判する)中国でさえも日本に感謝すべきだ」などという見解を示した。

大東亜戦争の評価-1>ojin_さんへ

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 22:27 投稿番号: [72324 / 95793]
>===
>植民地が次々と解放され、独立していった訳で、少なく共、日本は、「戦争には負けたが、理念では勝った」

こう思っている人は、日本人以外、いますか。
===<

日本が理念で勝ったというよりも,連合国が実質的に負けたということではないでしょうか
それだったら,たくさんいます(あります?)
たくさんありすぎて,一度に貼り付けられないので,小分けして書いていきます
自分でコピーしたものなので,出所(ソース)は不明なものが多くありますが,ネット上で再三再四出てきていますので文章の中のキーワードから検索すれば,すぐに見つかるでしょう
また,負の面は,中国朝鮮によって捏造までなされていろいろ出ているので,正の面しか載せません
アジア各国では中国と朝鮮以外ほとんど日本が起こした大東亜戦争に是の評価をしてくれましたが,中国と朝鮮のプロパガンダによって戦争を知らない世代では,今後,日本に対してどのような反応を示すだろうか気になります
それは,韓国や中国の捏造による反日教育を見ると事実が必ずしも認められるとは限らないことを示しています

======================

■ イギリス軍東南アジア総司令部司令官マウントバッテン大将
(『ビルマ戦線の大逆襲』   ルイス・マウントバッテン著より)

  「かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけであった。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』」


■ アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
  1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」より
  第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。

「日本は西洋諸国の【植民地を解放した】罪によって【罰せられた】が、その四半世紀もたたないうちに、昭和三十五年(1960年)に国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言し、その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした」


■ 英国、ディリー・メイル紙

「日本が戦争を始めた理由は、フィリピンを初めとする東洋へのアメリカの進出を、いかに日本が恐怖に感じたかを理解しなければ分からないだろう。また1941年(昭和十六年)に、アメリカが日本へのいっさいの石油資源の供給を絶った時の日本の感じた深刻さも無視することはできないであろう。
そう考えてみれば、真珠湾攻撃を一方的に卑劣だと非難することはあたらない」


■ 「新しい現実」   著者:P・F・ドラッガー
  ・・・「マネジメントの父」と呼ばれる経営学の第一人者
 
  しかし、結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。日本のとった道、すなわち、自らの主権のもとに、近代化、西洋化をはかるという道が、結局、西洋を打ち負かした。日本は西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。軍事的には、日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)において、歴史上、最も決定的な敗北を喫した。自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。その結果、西洋はアジア、ついでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する支配権を蜂起せざるをえなくなった。


■ 黒人運動の指導者デュボイス
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはずだ」

韓国女性教授、日本でニュースキャスターに

投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/04/02 22:06 投稿番号: [72323 / 95793]
<ピープル>韓国女性教授、日本でニュースキャスターに抜てき

韓国人が初めて日本の放送局のニュースキャスターに抜てきされた。 日本の東海大で言語学を教えるキム・キョンジュ教授(39)。 彼女は3日から朝日新聞系列の通信衛星(CS)放送のうち時事専門チャンネル「朝日ニュースター」で、「ニュースの深層」という番組を進行する予定だ。

この番組は「朝日ニュースター」の看板格であり、国内外の政治・経済・外交ニュースを報道、政治家や専門家らを招いて討論したりする。 平日午後8時から1時間進行されるこの番組でキム教授は月曜日に出演する。 3日の最初の放送でキム教授は、先月31日に民主党党首を辞任に追い込んだ「偽メール事件」を集中的に扱うことにした。 国会懲戒委員を務める平沢勝栄・自民党議員が討論者として登場する。

キム教授は「今後、次期国連事務総長選出に対する日本の立場、北朝鮮の偽札疑惑に対する専門家らの見解など、さまざまなテーマを扱いたい」と意欲を表した。 特に、日本国内で興味中心の報道が多い北朝鮮問題を、より大きな枠組みで伝えるという抱負を語った。

キム教授は1990年に梨花(イファ)女子大学社会学課を卒業した後、韓国外国語大同時通訳大学院で韓日同時通訳として修士学位を受けた‘日本語の達人’。 外大で講師を務めていた96年に日本に渡り、東京大学大学院で博士学位(言語学)を取得した。 02年から東海大で講義を行っている。

キム教授が放送と縁を持つきっかけになったのは昨年11月。 北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議に関連し「朝日ニュースター」が準備した専門家らによる討論番組に出演したが、この時、放送局関係者の目についた。 それ以来、「知的で積極的な意思表現能力が番組の性格にぴったり合う」として、放送局から‘ラブコール’を受けている。

彼女は「日本の放送文化上、女性出演者やキャスターの場合、婉曲な表現に偏る傾向がある」とし、「そうではない、明確で直説的な自分の表現方法がむしろ注目されたようだ」と語った。

「朝日ニュースター」の報道制作局長は「日本ではキム教授のような個性のある女性キャスターは少ない」とし、「キム教授が日本のニュース番組に新鮮な風を吹き込んでくれることを期待する」と明らかにした。

「靖国神社参拝や独島(ドクト、日本名・竹島)問題など韓日両国間の鋭敏な問題も積極的に扱いたい。 しかしニュースキャスターが韓国人という点を出しすぎると反発を買う。 視聴者がより広い視点でこの問題を把握し認識できるよう、また韓日交流にプラスになるよう進行していきたい」。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=74289&servcode=400§code=400

よいことと存じます。日本は、とてもふところが深くなりました。でも、結構風当たりが強いかも知れません。お写真でみるかぎり、ちょっとのことではへこたれない女性と思います。明朗公正なご活躍を期待しております。注目です。

では、ごめんくださいまし。

○僧4

第二次世界大戦は

投稿者: news_station119 投稿日時: 2006/04/02 22:06 投稿番号: [72322 / 95793]
何故回避できなかったのか?

ヒットラーを知るソヴィエト共産党幹部はつぶやいた
朝鮮人と関わりたくないと・・・

日本の政治家も、いい加減ハラをくくらないと
取り返しのつかない不幸が待ってるかも・・・

Re: 北朝鮮(今キムウィルソンのビデオ

投稿者: yozakura321 投稿日時: 2006/04/02 21:58 投稿番号: [72321 / 95793]
見たとこ。表現表情がどう見ても
中国人。
毛の分派?の疑問。
コスイギンとかいたのかナァ、。その頃   興味別部門に行ってたので
知らないのか、。
ヨチヨチ歩く幼年期だったのか?
詳しく見る為に、お先失礼。ウルルンも見たいしサ。^^
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