中国の反日デモ

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大東亜戦争の評価-7

投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 23:10 投稿番号: [72333 / 95793]
■ ミャンマー(旧ビルマ)の場合2
(続き)
そのとき外相に就任したウー・ヌーは次のように演説しました。「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」

しかし日本と同盟を結んで米・英に宣戦布告したビルマにも、日本の敗戦が色濃くなってきた頃、日本と離れてイギリスと結ぶべきだとの声が高まってきます。日本と一緒に敗戦国になって、再びイギリスに占領されるのを怖れたのです。それまで日本とともに闘ってきた30人志士たちも動揺します。バー・モウやボー・ヤン・ナインは日本を裏切らず、ミン・オンという青年にいたっては日本を裏切ることは恩義に欠けるとして自決してしまいました。

けれどもオン・サンは「反日に立つのは、ビルマを生き残らせるための唯一の方法」であるとバー・モウに手紙を書き、1945(昭和20)年3月、ついに日本に反旗をひるがえすのです。この決断によって、日本軍はビルマから撤退し、代わりにイギリス軍が戻ってきました。

再び植民地支配を目指すイギリスに対してオン・サンは日本軍に育てられた10万人の義勇軍を率いて、イギリスと独立交渉をします。もう昔の従順なビルマ人ではなかったのです。

そしてついに1948年1月4日、イギリスのアトリー内閣が独立を承認し、ビルマはようやく独立を達成したのです。しかしこの席にオン・サンはいませんでした。この5ヶ月前に政敵の銃弾に倒れていたからです。

その20年ののち、バー・モウは『ビルマの夜明け』と言う著書を発表し、この本がイギリスでも出版されることになりました。このとき「ロンドンタイムス図書週報」1968年5月23日号ではこの本について次のように紹介しています。「ビルマを長い植民地支配から解放した者は誰か。それはイギリスでは1948年、アトリー首相の労働党内閣だということになっている。しかし、バー・モウ博士はこの本の中で全く別の歴史と事実を紹介し、日本が第二次世界大戦で果たした役割を公平に評価している」とし、序文の一部を引用しています。

それは「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」というバー・モウの歴史観を現した一文でした。

日本では決して語られることのない歴史が、ここミャンマーではしっかりと語り継がれています。彼らが植民地支配を脱する契機となった国軍記念日のパレードが、日本の“軍艦マーチ”で始まるなんて、ちょっと感動的ではないですか?
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