大東亜戦争の評価-3
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2006/04/02 22:32 投稿番号: [72326 / 95793]
《 各国の人の声 》
■ 台湾の場合
皆さん高砂族をご存じでしょうか?台湾の原住民族のことです。太平洋戦争中、台湾は日本領だったわけですが、戦争が激化してきた時、日本は台湾人からも兵を募ろうと、1000名の志願兵を募集しました。そこに応募した高砂族の数、実に4万人。彼らは日本と共に戦うことを切望し、日本人以上の忠誠心で、元々持つ勇敢さと強靱な体で戦いました。その強さと勇敢さ上、実際戦場に出た5000人のうち、半数以上が戦死。
しかし亡くなった方も、生き残った方も、戦後日本国籍を失ったことで恩給や補償を受け取ることが一切出来なかったのです。しかし彼らは一切日本政府に賠償を要求することなく、未だに日本へ敬意を持っています。過去に一度台湾人が日本政府に戦争の賠償を要求した際、彼らは「高砂族の恥」として大変な非難をしたことがあります(後にこの訴訟を起こした団体は台湾にも住所が確認できず、高砂族とは関係ない政治的な謀略ではないかと言われていますが、詳しくは未確認です。)以下に高砂族に関するエピソードを数点紹介します。
「おにぎり」
ある元日本兵は、同じ部隊で戦い、戦死した高砂族を慰霊するため、この碑に赴き、そこで昼飯にと差し出されたおにぎりを見て、いきなり涙を流し、慟哭をはじめたそうです「俺はこの握り飯を彼の前で食うことはできない。」と。彼の部隊は東南アジアで作戦中、食料不足で飢えに苦しみました。そこで足腰が強く、ジャングルに強い高砂族の兵士が、遙か後方の基地まで食料を取りに行ったそうです。しかし何日待っても帰ってこない。様子を見に行ったら、彼は部隊まであと少しというところで、両手一杯の米を抱えて餓死していた。米を持ちながらの餓死。信じられるでしょうか。餓死するほどの限界に達しながらも、多くの日本兵が心待ちにしている食料には一切手をつけなかったのです。慟哭した元日本兵は、そんな彼の霊前で握り飯を食うことができなかったのです。
「靖国神社に昇殿参拝して」〜ある高砂族の方の話(2002年)
きのう靖国神社に昇殿参拝して、今気持ちは非常に暖かい。私もおかげさまで長生きし、一人前になりました。
もしも明治天皇がいなければ、台湾は日本の植民地にはなりません。(しかし)学校教育 もありません。当時、清国が台湾にいたとき、学校はひとつもありません。 日本が台湾を五十年間植民地にしたが、その五十年間の正義(はあった)。多少なり 差別もあろうが、世界第一と数える(世界でもまれにみる発展をした)五十年、立派な 五十年。厳しい法律だが、法律守れば人民は豊かになれる。盗賊の心配もありません。 立派な政治だと思います。
古い昔を思い出して、大陸と交わった(中国大陸から来た以前の国民党政権など)今の 台湾より、懐かしく日本時代を思って、(今でも日本と台湾は)いっしょになりたいと思って います。
私は公学校六年を終えて社会に出ました。今NHK(衛星放送)で俳諧を研究しています。 80歳をこえて唯一、日本の靖国神社に参拝した夜に、東京で作りました。
繋ぎ断ち 日暮里(ひぼり)の島は 曇りけり
■ 台湾の場合
皆さん高砂族をご存じでしょうか?台湾の原住民族のことです。太平洋戦争中、台湾は日本領だったわけですが、戦争が激化してきた時、日本は台湾人からも兵を募ろうと、1000名の志願兵を募集しました。そこに応募した高砂族の数、実に4万人。彼らは日本と共に戦うことを切望し、日本人以上の忠誠心で、元々持つ勇敢さと強靱な体で戦いました。その強さと勇敢さ上、実際戦場に出た5000人のうち、半数以上が戦死。
しかし亡くなった方も、生き残った方も、戦後日本国籍を失ったことで恩給や補償を受け取ることが一切出来なかったのです。しかし彼らは一切日本政府に賠償を要求することなく、未だに日本へ敬意を持っています。過去に一度台湾人が日本政府に戦争の賠償を要求した際、彼らは「高砂族の恥」として大変な非難をしたことがあります(後にこの訴訟を起こした団体は台湾にも住所が確認できず、高砂族とは関係ない政治的な謀略ではないかと言われていますが、詳しくは未確認です。)以下に高砂族に関するエピソードを数点紹介します。
「おにぎり」
ある元日本兵は、同じ部隊で戦い、戦死した高砂族を慰霊するため、この碑に赴き、そこで昼飯にと差し出されたおにぎりを見て、いきなり涙を流し、慟哭をはじめたそうです「俺はこの握り飯を彼の前で食うことはできない。」と。彼の部隊は東南アジアで作戦中、食料不足で飢えに苦しみました。そこで足腰が強く、ジャングルに強い高砂族の兵士が、遙か後方の基地まで食料を取りに行ったそうです。しかし何日待っても帰ってこない。様子を見に行ったら、彼は部隊まであと少しというところで、両手一杯の米を抱えて餓死していた。米を持ちながらの餓死。信じられるでしょうか。餓死するほどの限界に達しながらも、多くの日本兵が心待ちにしている食料には一切手をつけなかったのです。慟哭した元日本兵は、そんな彼の霊前で握り飯を食うことができなかったのです。
「靖国神社に昇殿参拝して」〜ある高砂族の方の話(2002年)
きのう靖国神社に昇殿参拝して、今気持ちは非常に暖かい。私もおかげさまで長生きし、一人前になりました。
もしも明治天皇がいなければ、台湾は日本の植民地にはなりません。(しかし)学校教育 もありません。当時、清国が台湾にいたとき、学校はひとつもありません。 日本が台湾を五十年間植民地にしたが、その五十年間の正義(はあった)。多少なり 差別もあろうが、世界第一と数える(世界でもまれにみる発展をした)五十年、立派な 五十年。厳しい法律だが、法律守れば人民は豊かになれる。盗賊の心配もありません。 立派な政治だと思います。
古い昔を思い出して、大陸と交わった(中国大陸から来た以前の国民党政権など)今の 台湾より、懐かしく日本時代を思って、(今でも日本と台湾は)いっしょになりたいと思って います。
私は公学校六年を終えて社会に出ました。今NHK(衛星放送)で俳諧を研究しています。 80歳をこえて唯一、日本の靖国神社に参拝した夜に、東京で作りました。
繋ぎ断ち 日暮里(ひぼり)の島は 曇りけり
これは メッセージ 72325 (sada_goro さん)への返信です.
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