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Re: 萬華

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/21 22:05 投稿番号: [13530 / 16409]
私自身のコメントではありません。
その人(多分もう亡くなっているでしょう)の回顧録の抜粋です。

天母

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/21 20:11 投稿番号: [13529 / 16409]
>それから「天母」、普通の日本人なら「てんむ」と発音すると思うのですが

「てんむ」は「てんも」のタイプミスですね。わしは八十年以上の生涯の大部分を台北市に住んで来ましたが、天母という地名を初めて見た(台湾の新聞で)のは今から20年ほど前です。そのときは三田さんと同じく「てんも」と読みました。その後天母に知人ができて、家内との談話に出て来ることが多くなったので「てんぼ」に改めました。そのほうがはっきり言える、つまり歯切れがよいので。

雲母という鉱物は「うんも」が一般的で、「うんぼ」は許容されるという程度らしい。

父母は「ふぼ」ですが、辞典を調べて見たら、驚くべきことには「ぶも」とも読む。しかし「ふも」とは読みません。

雲母が「うんも」だから、二字熟語で「母」が下にある時は「も」なのかなと思って調べて見たがそうではなかった。生母、義母、継母、保母、慈母、賢母、聖母、分母、酵母、空母、いずれも「ぼ」です。わずかに国母が「こくぼ」「こくも」と、ふたつの読みかたが認められている。

「母」が上にある二字熟語では、全部「ぼ」です。母艦、母校、母性、母国、母堂、母語等々。

「天母」は字義からすると、「聖母」に相通じると言えますから、「てんも」をやめて「てんぼ」にしたほうがよいでしょう。

Re: 萬華

投稿者: katoytw 投稿日時: 2007/03/21 19:39 投稿番号: [13528 / 16409]
>敗戦の惨めさをしみじみ痛感・・

敗戦しなければよかったのですかな。こんなことを後進に言うべきではありません。勿論私も昭和20年代に子供心に傷つくような光景を沢山見ましたが今のイラクよりはずっとましかと時々思うのです。未来がありましたから・・。今は全世界的に未来はないようですが・・・。台湾の若い連中を見ていると日本より生命力が強いですし、結局は負けたって最後はそう変わりはないように思えます。ところで赤線といえば私は経験ありませんが、最後の月友人のKOボーイが大挙して行っていたのを思いだします。某国の前首相もひょっとすると・・。前々首相は当然かな・・・。
ちょっと通りがかりで久しぶりに書かせていただきました。

Re: 萬華

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/21 02:05 投稿番号: [13527 / 16409]
これは実に「不愉快」な話です。
台湾軍(第十方面軍)参謀部情報班(乙)白鳥氏(陸軍中野学校出身)回顧談要点如下。
昭和20年10月半ば過ぎ、米軍のクラーク少佐(この人は紳士)の依頼、上海の米軍兵士四十数名、台北で「じっぷんちゃぼ」と遊びたい云々。萬華の「たいわんちゃぼ」に因果を含めて和服を着せて、大広間ですき焼きパーティーを開く。部屋に引き揚げるのはまあ許せるにしても、過半数は大広間で・・・美女と野獣・・・。余りのことに旅館の従業員共々現場を放棄。
敗戦の惨めさをしみじみ痛感した。

Re: 萬華

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/21 01:06 投稿番号: [13526 / 16409]
>実はその将校は「朝帰り」・・・

なるほど、現実性のある伝聞です。わしはもはや萬華に用事もないので、20年も行ったことがありませんが、芸者置屋街がどこだったか電子地図で調べてみました。

貴陽街二段、全長380m、東西に走る通りで、その西半分がかっての妖艶なる町です。西半分の南側がかっての赤線地区、北側に道路に沿って置屋が数軒並んでいました。

戦前、中学生なんかがそのあたりに近づいたら、「教護連盟」の監視員に捕まってしまうと言われていたので、現在貴陽街二段となった通り(当時は入船町?)に入ったことはなく、戦後大人になってから見に行きました。

「教護連盟」というのは、未成年者が不良少年になるのを防ぐために、学校の教師などが監視員になって、怪しい場所の周辺を巡回していた組織で、学生は毎学期いくらかの「教護連盟費」を徴収されていました。わしは捕まったことがなく、友人にも捕まったバカはいないので、詳細は知しりません。陳水扁が台北市長だったとき、未成年者が夜遅く町をうろついていると、警官が「早く帰れ」と勧告する制度を作ろうとしましたが、教護連盟というのはそんなものです。ただその役目をするのは警官でなく、各学校の教師だったらしい。

さて、件の陸軍将校が一夜を明かした場所は、その赤線区だと思うべきですね。たしかに淡水河のほとりです。

Re: 萬華

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/19 22:19 投稿番号: [13525 / 16409]
>日本芸者の置屋街がありました。

下ネタついでに・・・。多分実話がベースと思います(記憶に基き脚色)。
松山の陸軍航空隊の将校が萬華の淡水河で台湾「ちゃぼぎな」がおぼれかかっているのを発見、河に飛び込んで救助。母親が飛んできて「軍人さん、お名前を教えて下さい」、将校「当然のことをしたまで。名乗るほどの者ではありません」と言って足早に去る。母親「流石は日本の軍人さん、何と奥床しい(感激)」。実はその将校は「朝帰り」、恥ずかしくて名乗れなかっただけ。

台湾高鉄はのろい

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/19 12:10 投稿番号: [13524 / 16409]
台南市政府前広場で、3月16日から18日まで、蘭花展覧會があった。もう終わったが、それが始まる前、わしの娘から見に行こうと誘われた。それで、台湾高鉄で、台北から台南(帰仁站)まで、でれだけ時間がかかるかと調べたところ、08:10台北站發、10:08帰仁站着で、1時間53分もかかる。帰仁站から台南市政府まで、バスがあると思うが、待つ時間を合わせて多分30分以上かかるだろう。それじゃ日帰りで蘭展を見に行くのは、老人にはきついから、行かなかった。

Re: 萬華

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/19 11:11 投稿番号: [13523 / 16409]
萬華人が「ばんか」と言わない理由は、「ばか」に紛らわしいからかも知れない。

萬華の奥の台湾人ばかりが住む場所の中に、日本芸者の置屋街がありました。和風建築の2階か3階建て、3、4軒ぐらいあったかな。中学時代わしが夕方ごろ自転車で萬華の友人宅へ行く途中、人力車に乗った芸者が来るのを見かけることがたびたびで、たいへん着飾って美しく見えた。

Re: 萬華

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/18 22:03 投稿番号: [13522 / 16409]
>「チャップリン」はいつの間にか山の中に逃げ込み

この類を当時の用語で「潜伏日僑」と称したように記憶しています。
(芸名)牧チャプリンは帰国後は銀座方面のチンドン屋の頭家(?)をやっていて、時々基隆中学関係者が開いていた喫茶店に来てトグロを巻いていた由。

Re: 萬華

投稿者: osoinen 投稿日時: 2007/03/18 17:24 投稿番号: [13521 / 16409]
敗戦当時の萬華は「ナカノ」に「エノケン」と「チャップリン」。
で「チャップリン」はいつの間にか山の中に逃げ込み、三本マストの日本丸がキールンに来た時に、のこのこ出て来て、引き上げました。

Re: 萬華

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/18 00:05 投稿番号: [13520 / 16409]
伊能先生執筆の『大日本地名辞書(台湾編)』は古い漢字(舟+孟、舟+甲)ですが、当時から「まんか」です。なお、領台直後は「もうこう」と書いてある文献もあったように記憶しています。古名の台湾語音(教会羅馬字表記)はBangkaですから、今からでも遅くはない(笑)「ばんか」にして貰いたいものです。

それから「天母」、普通の日本人なら「てんむ」と発音すると思うのですが、我々「開拓者」(80年代初期に移住、那時候住天母的阿本仔眞少、日本からの手紙の住所が間違っていてもちゃんと届いたり、子供が菜市仔で帽子を落としても、市場の人がジップンギナの帽子だと言って保管していてくれたり・・・)時代は何となく「てんも」と呼んでおり、それが流布していました。

萬華

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/17 23:33 投稿番号: [13519 / 16409]
戦前の少年時代から、萬華に住む友人があって、あまり長く付き合ったのでしょっちゅう喧嘩口論におちいる。奴との会話は、ぴちぴちした少年時代も、よぼよぼになった今も日本語です(註:よぼよぼになったのは奴だけで、わしは今でもぴんぴんです)。奴が「まんか」「まんか」と言っているので、わしも「まんか」が習慣になっています。三田さんと対立したくないのだが、困ったな。伊能大先生はどうおっしゃっていますか。あのころはまだ萬華でなく[舟孟][舟甲]だったかも。

人口一億三千萬、萬世橋、十萬石、萬年筆・・・は「まん」ですね。しかし、萬歳、萬世一系、萬國旗、萬朶の櫻・・・は「ばん」ですな。

Re: にちげつたん

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/17 19:01 投稿番号: [13518 / 16409]
ついでに・・・。

萬華の日本名は「まんか」ですが、私は当初から頑固に「ばんか」と呼んでおり、これが定着してくれればと思っています。台湾語音にも近い。

一部の本では「まんが」になっていますが、これはやめて欲しい。「漫画」ではあるまいし(都度著者に教会羅馬字と総督府カタカナ表記を教えています)。

Re: にちげつたん

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/14 21:52 投稿番号: [13517 / 16409]
個人的には「にちげつたん」を定着させたいですね(長年慣れ親しんでいることもあり)。

台南の「安平(あんぴん)」と新竹の「安平(あんへい)」(この地名は既に無いと思いますが)の如く、区別する必要がある場合はともかくも。

Re: 伊能大先生

投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2007/03/14 13:32 投稿番号: [13516 / 16409]
>じつげつ<

日月をじつげつ、と発音するのは、戦後まで一般にはありました。NHK・TVのアナウンサーが「じつげつ」と発音していたのを覚えております。

最近は「につげつ」の方が一般的であるとは思いますが。。。


言葉というものは流動的なものですから、特に地名などでは、お上が決めた正式名称が民間に普及せず、子どもなどが使っていた呼び名が一般には普及する、ということもあります。


私の場合、台湾に来た当時、「じつげつたん」と習いましたので、じつげつたん、と覚えておりますが、ほとんどの人は「につげつたん」と言っておりました。


ただ、日月硯などを連想させる、高貴でありがたい名称が「じつげつ」であると思えば、さほど悪い気もしないでしょう。


ま、個人的には、明治以降の官僚言葉や官僚の感覚には辟易しておりますが。。。

伊能大先生

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/14 12:40 投稿番号: [13515 / 16409]
>伊能嘉矩執筆『大日本地名辞書(続編第三台湾)』冨山房、明治42年
も「じつげつたん」としています。
_________________________

中学校の地理科で使った三省堂の日本地図昭和12年版がまだ本棚にあります。巻末の地名索引で「にちげつたん」を探しても出てこないが、「じつげつたん」で出てきました。

台湾が日本の領土になったとき、学者やお役人が相談して、「じつげつたん」と読むことにきめたのでしょうな。漢音で統一したわけですね。

しかし日本の古来の習慣では、日の字を含む二字熟語は、「日」が上にあるときは「にち」と読み、下にあるときは「じつ」と読むのが普通です。

「日月」には「にちげつ」のほかに、「じつげつ」が認められているけれども、これは例外で、日限、日時、日常、日没、日夜、日記、日給、日食、日課等々みな「にち」です。日本は「にっぽん」「にほん」であって「じっぽん」とは読みません。

「日」が下にあるときは、烈日、隔日、休日、期日、終日、近日、落日と「じつ」が多いですね。

台湾総督府が「じつげつたん」と読むことにきめたけれども、民衆は「日」が上にきたときは「にち」と読むという習慣が身についているので「にちげつたん」「にちげったん」と読んでいたのです。それを間違いだと断じることはできません。

Re: にちげつたん

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/13 23:28 投稿番号: [13514 / 16409]
<止めの一発>
伊能嘉矩執筆『大日本地名辞書(続編第三台湾)』冨山房、明治42年
も「じつげつたん」としています。
伊能大先生に歯向かうのは余りにも畏れ多く、潔く「降参」した次第です。

Re: にちげつたん

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/13 22:39 投稿番号: [13513 / 16409]
1.「じつげつたん」は日本時代の文献(複数)で調べました。
<古い記憶のメロデイ>
http://www.geocities.jp/abm168/index.html
私が「まろやか」翁に楽譜を提供して再現して貰った「台湾周遊唱歌」(明治43年)第43番参照。
更に『日本地理風俗大系第15台湾編』(新光社、昭和6年)、この本は一般的観光案内書ではなく、台北帝大早坂一郎教授(Yabeさんの恩師)他当時の「碩学」が編集にあたっていますが、これも「じつげつ」となっています。

実は私も「にちげつ」と何の疑いもなく呼んでいたのですが、最近ある本で「じつげつ」となっておりイチャモンをつけてやろうと思って調べた結果、アイヤ!でした。

2.ご指摘の通り「描」はミスタイプです。

にちげつたん

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/13 21:54 投稿番号: [13512 / 16409]
わしは日本時代から「にちげつたん」と呼んでいました。それが当時公認された日本語だと思います。もしそれが間違いなら、わしはあのげんこつ先生にグワ〜ンと一発食らったはず。忘れんように叩き込んでやると公言していました。

戦前にジップンギンナが大好きだった木製の玩具の名は「にちげつボール」と呼んでいました。「じつげつボール」ではありません。

「描水発電所」は「抽水発電所」が正しいのです。

Re: 日月潭水力発電所

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/13 20:19 投稿番号: [13511 / 16409]
>揚水発電所

中国語では「描水発電所」だったと思います。夜間の余剰電力を使って水をもう一度上に揚げ、昼間の電力需要帯に水を落として発電。

日月潭をもじって(?)「明潭+明湖」プロジェクトと呼んでいた様に記憶しています。日本の大手企業(メーカー&商社)数社が関与していました。

ところで、私たちは「にちげつたん」と呼んでいましたが、正しくは「じつげつたん」なんですね。恥ずかしながら最近になって初めて気付きました。

日月潭水力発電所

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/13 10:43 投稿番号: [13510 / 16409]
>例えば1980年代の日月潭揚水発電所第一期工事や長栄(エバーグリーン)の「大艦隊」も、実は日本の公的資金が後押しをしていました(別段秘密ではないが、表向きは分からないような方式)。
_________________________

わしは新聞に書かれた表向きの情報しか知らないので、1980年代に日月潭発電所であらたな工事がおこなわれたことは初耳です。昭和9年小学5年のときの修学旅行で日月潭へ行き、山の上から川岸の発電所まで大水管が5本(?}並んだ壮観に驚嘆したものですが、それを一昨年70年ぶりで見に行きました。様子は記憶のとおりでした。

亡くなった私の小舅(母の弟)は、わしとは正反対に、新聞に書かれたことはさっぱり信用せず、どこかで小耳に挟んだ噂話にはたやすく動揺するたちでした。日米戦争の1年も前に「米がなくなるぞ、たいへんだ、たいへんだ」とさわぎたてて、大きな金魚甕(容量は昔の日本式風呂桶ぐらい)に米をいっぱい買い溜めしていました。

Re: 列車洗い機も混血

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/11 17:25 投稿番号: [13509 / 16409]
>よって人工で洗っている。

さぞかしピッカピカ。

処で殆どの報道関係は全く言及していませんが、厖大な資金需要の相当部分は日本の公的資金が下支えしているのでは(実務から離れて長いので良く分かりませんが)。

例えば1980年代の日月潭揚水発電所第一期工事や長栄(エバーグリーン)の「大艦隊」も、実は日本の公的資金が後押しをしていました(別段秘密ではないが、表向きは分からないような方式)。

列車洗い機も混血

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/11 15:59 投稿番号: [13508 / 16409]
台湾新幹線は車両を洗う機械も混血で、JRの車両に合わない。よって人工で洗っている。そのため一回洗うに12万元かかる。これは台湾鉄路が列車を洗う費用の十倍である・・・と、今日のテレビが言っていた。

↓引用部分の訂正

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/11 10:17 投稿番号: [13507 / 16409]
D線は終点が台中、途中の駅すべてに停車、59分。   これはタイプのミス。
E線は終点が台中、途中の駅すべてに停車、59分。   と訂正。

80分走破、望みなきにあらず

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/11 01:44 投稿番号: [13506 / 16409]
このトピのメッセージ2922番にわしが当時(2004年5月)の台湾高鉄のホーム頁から書きぬいた記事があります。下記はその一部の引用です。
_________________________

(引用開始)列車はA,B,C,D,Eの5線(5種)があって、A線列車は途中ノンストップで80分で走破する。B線は板橋と台中に停車し、91分で走破。C線は板橋、台中、嘉義、台南に停車、104分。D線はすべての駅に停車、117分。D線は終点が台中、途中の駅すべてに停車、59分。(引用終わり)
______________________________

つまり、現在走っている「板橋と台中とにだけ中途停車し、全程所要時間90分」というのは、最初から計画されていたB線なのである。A線はまだ実行されていない。将来A線が実行されると、台北⇔左営80分が実現するわけだ。いや79分かも知れんぞ。B線は最初91分の計画だったのが、今は90分と、1分節約できた。したがってA線もすくなくとも1分減の79分になるはずだ。願わくば75分になってくれ!

台湾色情情報誌?

投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2007/03/07 15:27 投稿番号: [13505 / 16409]
昨晩の東森TVニュースで、「なるほど」が取り上げられ、その別冊である、いつものキャバレー・クラブ情報が、どうも、差別的色情情報、のような言われ方であったような印象を受けました。

はて?あれ、わざわざ別冊にして、それだけをまとめた飲み屋広告でしょ。そんなご商売の宣伝なのですが、それをことさらに取り上げて、色情情報とは、ねぇ。。。別に、売春広告ぢゃないし、まっとうな飲み屋の広告でしょ。

ま、続きなニュースでは、愛伶?とかいう自称台湾出身のAV女優の話題(愛伶か、愛玲か、忘れましたが)。網路では、台湾ぢゃーねーだろ、大陸だろ、などとBBSに書かれてあるのを紹介。また、台湾出身のAV女優の観月雛乃なる人の皮肉っぽいコメントまで流しているという念のいれよう。

まぁ、さまざまなご商売があるのですから、それを偏向報道するのは、よろしくないかもしれませんし、ことさらに、感情的にコメントするのも大人気ない。

そ、大人気ないニュース報道なんですよ。


まぁ、ダンスホールだけでなく、一流ホテルやホテルのクラブ、社交倶楽部などに出入りする、いかがわしい人たちもけっこういるわけで、それはそれでかなり有名であると思いますが、ことさらに、なぜ、日本語で書かれたそうした広告だけが取り上げられるのでしょう、ね?

不良外人の溜まり場、そこに群れる女性達や男性達もおりますし。。。

同性愛者の人権を守るようなことを言う馬尻なんか、果たして、この国で外国人の人権や権益が健全に保護・保障されているとでも思っているのでしょうか、ね?


まぁ、「なるほど」は、Horseさんがお詳しいので、お暇なときにでもコメントをいただけたらな、と。。。(いや、飲み屋に詳しい、ということではなく、以前、「なるほど」のことを書いておられましたので)


私なんかは、林北あたりの飲み屋、キャバレー、クラブよりは、上述した、社交倶楽部などの方がよほどいかがわしいし、不健全である、と思いますし、伝統的に色情的なそうしたモノも非常に多くある、と思いますけれど、ねぇ。。。

ダンスホールに裸の女性の絵、というのも、ねぇ。。。(爆笑)


ま、多少は公平・公正な報道に心がけてくださいよ、と。。。(苦笑)

Re: 「台北⇔左營ノンストップ80分」

投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2007/03/05 17:53 投稿番号: [13504 / 16409]
途中停車が二つあって、騒音防止のための徐行なども含めての、100分なら、私個人としては、いい成績だと思っています。

飛行場に20〜30分前に着いて、機票を買って、非常に感じの悪いチェックカウンターを抜けて、さらに20分位待ったり、時間どおりに離陸しない飛行機に比べて、さらには、年間かなりな日数、天候不安定な台北の上をヒヤヒヤしながら、それに、磨耗著しい松山機場に着陸など、考えると、まぁ、列車に乗って、駅弁でも食べて、お茶を飲んで本でも読んでいれば着くわけですから、台湾新幹線、いいなぁ、と思っております。

ま、そのうち、ノンストップ便も出てくるでしょうし、サービスも向上するのではないか、と思っております。

いろいろと事故が合ったり不祥事のある台湾の鉄道ではありますが、その歴史を考えると、底力はかなりあるのだろうと思いますよ。


あんなつぎはぎだらけの滅茶苦茶な新幹線でよく100分で着くな、と妙な感心をしています。

政治や利権の食い物にされなかったら、もっと早い開業、速い新幹線になったとは思いますが。

欧米の商社などの横槍さえなければ、もっと、まともな新幹線になったと思います。

この10年を見るだけでも、どんどんサービスが落ちてきた台湾の国内線(飛行機)に比べ、新幹線はこれからですから、私は期待しておりますし、頻繁に利用しようと思っております。

「台北⇔左營ノンストップ80分」は夢となる

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/05 13:37 投稿番号: [13503 / 16409]
このトピの2922番(2004/5/28)に、わしが当時台湾高鉄の公開ページで調べた結果が書いてあります。あのときはあと1年5ヶ月後の2005年10月30日に全線開通し、台北から左營までノンストップ80分が実現すると期待していた。

実際状況は、2007年3月2日になってやっと全線開通、一番速い列車は板橋、台中に中途停車し、100分かかる。

台湾高鉄の公開ページのアドレスは変わりがないが、内容は完全に変わった。

http://www.thsrc.com.tw/

Re: Vista

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/03 10:20 投稿番号: [13502 / 16409]
aki_fumika様

わかりました。まだ当分は現状維持、XPでやっていくことにします。ありがとう。

Re: 闇タバコ売りの老婆

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/03 00:37 投稿番号: [13501 / 16409]
>勝手にでっちあげた宣伝映画

かなりヒドイ内容らしいですね。阮オバチャンが「猛り狂って」いました(健康に悪いのでなだめておきましたが)。

Vista

投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2007/03/02 17:13 投稿番号: [13500 / 16409]
翁のおおせならば、いかようにも。。。

Vistaですか。。。今、TVショッピングに出ているのは、聯強(Lemel)とHP(ヒューレットパッカード)の2製品かな?と思いますが、TV画面で見る限りでも、Vista(OS〜オペレーティングシステム)が、かろうじて動いているだけで、動きがカクカクとぎこちないですよね。

当然、グラフィックボードと主機盤上のCPUの力不足であり、両方のメモリ不足です。

あんなカクカクしたVistaの上に、Office2007などを入れたところで、軽快には作動しないでしょうし、初期段階で動いても、すぐ、修正用のパッチやアップデータ、また、幾つかの必須ソフト(電脳病毒予防ソフトやら、安全系のものやら)を入れたら、遅くて堪らないでしょう。

さらに、Vista上のIE7(インターネットエクスプローラー)がまだまだ不安定でして、それなら、WindowsXPでIE6を使っているほうが快適だ、というような状態です。

PCメーカーからVistaに特化したハードが出るのは今年6月以降だろう、と言われておりますので、今はじっと我慢されたほうがよろしいと思います。

Vistaはいずれ買うつもりですが、まだ当分先になりそうです。SP-1(サービスパック)が出て、OSが安定して、さらに、十分な稼働能力をもったハードが出揃うまで、また、常用しているソフトが完全にVistaに対応してから、と思っています。
時間の問題だと思います。早くて、来年夏くらいかな?というような感じですよ。
ソフトがVistaに対応するには今年一杯かかると思います。
(ゲームは、今は、Vistaでは動かないものが多いですね)

Vistaの64ビット版は不評ですが、32ビット版(一般にはこれを使用する)は評判はいいようですよ。

評判が良くないというのは、多分、Vistaが軽快に動くハード環境がまだ一般的ではないためだと思いますし、多くのXPで動くソフトがVistaではまともに動作しないからではないかな?と。。。


XP−Homeですか、入れ直してしまった方がよろしいかと思います。SP-2を導入した後でも70個以上の修正パッチが必要ですが、さほどむつかしくはありません。再導入の仕方が必要ならお教えいたします。ちょっとしたコツが要るだけですが、むつかしくはないでしょう。
ご近所ならいくらでもお手伝いいたしますが。。。


ただ、今現在の一般的なPCでは、Vistaは入れることは出来ても、まともには動かないと思います。後々、ソフトが対応してくると、グラフィックに1G以上、メインメモリに2G以上は必要になると思います。


軟体は出たが、硬体はまだ追いついていない、ということです。

安全面や多媒体、ということを考えると、Vistaを導入することにはなるでしょうけれど、まぁ、機械が安くなるまで待つ、と。。。
(勿論、中華電信のADSLの速度では十分に多媒体も扱えませんし。。。)

Re: 元凶

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/02 14:32 投稿番号: [13499 / 16409]
>ポルポトがダメなら、勿論、蒋介石・蒋経国もダメでしょう。

上記はどんな意味かわかりません。ま、どうでもいい。(おや、aki_fumika   さん特有の「ま、」を使ってしまったぞ)。

ところで   Windows   VISTA   出てから1ヵ月たったが、さっぱり人気がないようです。むしろ不評らしい。わしは今使っているパソコン(XP   Home   中国語版)が何だかおかしいので、VISTAが出たらすぐに乗り換えるつもりで待ち構えていたが、今は成り行きを静観しています。パソコンに詳しい   aki_fumika さんは   VISTA   をどう見ていますか。

Re: 元凶

投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2007/03/02 10:24 投稿番号: [13498 / 16409]
それについては一案あります。

蒋介石と蒋経国の墓をどこぞの山に移し、その隣に二二八被害者の墓碑を建てるか、沖縄の戦没者碑のように壁にして、この2蒋の墓の周りをぐるりと囲む。


ただ、当時の二二八の写真などを見ると、どこをどうみても、南京の捏造写真とさほど変わっていない、もしくは、類似した部分を多く見つけることが出来。。。





ポルポトがダメなら、勿論、蒋介石・蒋経国もダメでしょう。ま、そこあたりの加減をどうとれるか?ということもありますし。。。

元凶

投稿者: unhoo 投稿日時: 2007/03/02 06:47 投稿番号: [13497 / 16409]
紀念館のなかの威張った元凶の銅像を、跪いて謝っている銅像に置き換えて、平和を祈念することにしては?

Re: 闇タバコ売りの老婆

投稿者: cakerun999 投稿日時: 2007/03/02 03:52 投稿番号: [13496 / 16409]
228は「謝罪もの」か「切腹もの」か?

「謝罪せい!」
「いや・・・」
とやりあっているが。
なんとなく、同じ穴の・・・みたい。

すべてが謝罪ですむなら「警察なんかいらない」と思うが・・・

闇タバコ売りの老婆

投稿者: osoinen 投稿日時: 2007/03/02 03:36 投稿番号: [13495 / 16409]
ウマが94万元払って、勝手にでっちあげた宣伝映画でさえ、その姿は「老婆」になっていない。
ましてや、当時の本人の本物写真があり、それが老婆に見える「その目」が怪しい。

勝手にでっちあげた宣伝映画とは、当日現場にいなかった林江氏邁の娘を引き出して、なんとかかんとか、ウマの都合に合わせたことを、セリフにした。

Re: 鶏糸麺

投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2007/03/01 10:50 投稿番号: [13494 / 16409]
うーん、そういうふうに持っていくと、安藤百福が、(日本の)奥方の揚げたてんぷら(の表面の穴)を見て油で麺を揚げるということを、はっと気がついた、というお話しが。。。
(神話の崩壊か?)


てんぷらを見て、油で揚げる、お、鶏糸麺かよー。。。←こんな発想か?

或いは、鶏糸麺が意識の底の無意識な部分にあってのことか、意識的に鶏糸麺を日本風に、しかし、麺の太さが、ということか。。。

ちょっと、鶏糸麺という視点で安藤百福のお話しを観ると、おもしろいかも。。。



しかし、二番目の奥方の娘という人、日清の社葬に出たんですね。台湾のニュースでは、非道い扱い、差別を受けた、というようなニュアンスの報道が多かったですが。。。(被害者扱いにして同情を買う、という台湾のいつもの報道のやり口)

ま、冷静に観れば、社葬にのこのこ出かけていって、わたしも遺族でございます、というのは、日本の社会からしてみれば好ましくないことではあるのですが。どうも海外の慣習などを台湾の媒体報道はいつも理解する努力を怠り、誤解報道、さらにはおもしろおかしく煽る、というような。。。


↑これについては、孫燕姿がPV撮影でエジプトに行って、エジプトの役人と名乗る男たちに銃を突きつけられ金を脅し取られた(カードを使って幾ばくかの買い物を強要?)という事件の方が、なかなかな、あれでして、被害金額54万元から100万元とさまざまな報道で。。。

ホントの事件か?宣伝か?はては、性侵あったのか?など、逞しい妄想な媒体報道は止まることを知りません。。。

ま、エジプトもあぶねーな、と。。。

Re: 私は60年前の228事件の死者に追悼しま

投稿者: mita_yuji 投稿日時: 2007/03/01 03:25 投稿番号: [13493 / 16409]
>台北市内で闇タバコを売っていた老婆

この婦人の名前は「林江(氏)邁」、当時の年齢は40歳、「中年」であって「老婆」ではない。事件当初日本に伝わった情報も「中年寡婦」。

これ以外にも不正確な記述があるが割愛。

私は60年前の228事件の死者に追悼しました

投稿者: tokyo_made_otearai_benki 投稿日時: 2007/02/28 12:00 投稿番号: [13492 / 16409]
1947年:台湾「二・二八事件」

  1947年2月28日、台湾で民衆と政府当局の大規模な衝突が発生した。この「二・二八事件」以降、台湾では約40年間にわたって戒厳令が敷かれた。

  発端となったのは前日の27日、台北市内で闇タバコを売っていた老婆が密売取締員らに殴打されたことだった。抗議に集まった民衆に対し警官が発砲し、市民1人が死亡した。

  台湾は1895年の下関条約で割譲されて以来、日本の植民地統治下に置かれてきたが、1945年の日本敗戦に伴い中華民国に復帰した。それ以前から台湾に居住していた人は「本省人」、1945年以降に中国大陸から移住してきた人は「外省人」と呼ばれたが、国民党政府は外省人を重用し、経済も混乱したことから本省人が不満は高まっていた。

  このため27日の事件をきっかけに市民の不満が一気に爆発し、大規模な抗議行動や暴動に発展した。翌28日、台北市の民衆は警察局を襲撃して銃を奪い、ラジオ局を占拠して民衆に立ち上がるよう呼びかけ、暴動は台湾全体に広がった。

  国民党政府は暴動を武力鎮圧。また、知識人に対しても迫害を加えた。弾圧・迫害による犠牲者は数万人に上るとみられる。

  その後も台湾では国民党による強権的な政治が続き、理由も分からぬまま連行され、そのまま行方不明になった人も多かった。2.28事件についても、事件の発生を口にすること自体がタブーとなった。台湾の公式の場で2.28事件を論評することができるようになったのは、92年に李登輝政権が刑法を改正して言論の自由を保障してから。(編集担当:梅本可奈子・如月隼人)

Re: 鶏糸麺

投稿者: kusunokisk 投稿日時: 2007/02/27 20:53 投稿番号: [13491 / 16409]
チキンラーメンが大阪で発売された昭和33年、「鶏糸麺」の名称で同様の油揚げ麺が東京で発売されたとか。こっちは売れず、忘れさられたのですが…。
「鶏糸麺」は、旅行用の簡易食として明代に発明されたと、「中国食品大辞典」にあったと記憶しています。お湯をかけて食べるともあって、安藤百福はこの麺を知っていて作ったんだなと考えていましたが、台湾にも伝わっていたわけですね。
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