北朝鮮

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>横>リラさんへ

投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/03/14 21:30 投稿番号: [14960 / 44985]
>最近読んだスポーツの歴史の本に、中大兄皇子と中臣鎌足の謀議は、「蹴鞠(けまり)」ではなく、棒を使った「鞠打(ぎっちょう)」の最中だと書いてありました。

  中大兄皇子がけった鞠を、鎌足がひろって投げ返して、仲良くなったというのが定説みたいなものでした?
  中大兄皇子はポロをやってたんだ!
  そういえば、中大兄皇子の家来が桜の枝を「蹴鞠(けまり)」のために折っていたというのがありました。なぜ、「蹴鞠(けまり)」に枝がいるのか?   鞠を打つための道具だったのかも知れない。
  その枝を折っている家来を、たまたま来合わせた鎌足が「アンタ達、何やってんの?」と見とがめたという話まであるらしい(橋本治氏がそう言っていたように記憶しています)。いい加減なウワサ話で恐縮です。

>その時に、棒を左手で持つ人が多かったので、左利きのひとを「左ぎっちょう」と呼ぶようになった、という説もあるそうです。

  歴史の謎ですね。
  これも朝鮮半島から来たものだと私は思います。

朝鮮総連大改革

投稿者: gogai3000 投稿日時: 2004/03/14 21:09 投稿番号: [14959 / 44985]
コップの中の荒らしとしか見えないゴチャゴチャとした詰まらない議論をやってないで、思い切って、呉善花さんに朝鮮総連の名誉会長をお願いしたら、如何だろう?

サンデーさん

投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/03/14 20:13 投稿番号: [14958 / 44985]
>サンデーってキャラがいるんですか?
  知らなかったー。

  またまた、からかって・・・?
  サンデー先生は「金髪の美女」で、子供達のことを第一に考えて、優しくオッチョコチョイ(サンデーさんがそうだというのではありません念のため)。
  なぜか気絶すると色っぽい・・ですの。

ヨタロウさん

投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/03/14 20:06 投稿番号: [14957 / 44985]
おばんです。

>私は「ひょっこりひょうたん島」のサンデーさんのフアンです

ひょうたん島は知ってますが、見た事ないんですよ。
世代が少し違う?^^
サンデーってキャラがいるんですか?
知らなかったー。

ペルソナ殿

投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/03/14 19:59 投稿番号: [14956 / 44985]
>なになに、「江戸の春画」とな?
  洋泉社新書:780円か。
  http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2002/1110/04.html

  そうです。これは、電車の中なんかで読んでると「なんだかハバカラレル」本ですが、名著ですね。
  カミサンに見られたら「イヤラシイ」と言われるかもしれない。
  なにせ、絵が恥しい。
  しかし、面白い。きわめて、哲学的?なのです。

リラさんへ

投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/03/14 19:46 投稿番号: [14955 / 44985]
  きりたんぽ、バレたか..です。

>長男の定恵は孝文天皇のご落胤で、次男の不比等は天智天皇のご落胤だという説がありますし。

  すげーなー。これも梅原先生の説ですかね。
  しかし、孝文天皇というのは誰ですか?   孝徳天皇のことだろうか。もしそうだとすると、メチャクチャな愛欲の世界になるな。孝徳天皇はみんなに無視されていたから、淋しさに堪えられず与志古娘に手をつけたのだろうか^^;。
  真人(定恵)と不比等は母は同じということになっているから、与志古娘はたいへんだったろう。
  鎌足の胸中察すべし!

>>彼女はデビ夫人かイメルダ夫人のような趣きがあるように思えます。
>私も外見はそんなイメージです。で、中身はもちょっと女々した感じ。五月みどりってところかな。

  またまた、人をからかってね〜。
  熱気ムンムンなんですか?   リラさんがデビ夫人!   五月みどり!
  また〜^^;

  でも、何と言えばいいのだろうか、ヘイヘイホ〜・・・ですの。

  持統天皇と橘三千代については私も同意見です。持統天皇は照子ママ、橘三千代はダンナさんかも。
  なお西洋史は私はウトイですので、失礼。

サンデーさん

投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/03/14 19:01 投稿番号: [14954 / 44985]
  おばんです。

  私は「ひょっこりひょうたん島」のサンデーさんのフアンです、また、「サンダーバード」が懐かしい世代です。
  これから7時から始まるのです。

  では・・・あっもう始まる!ですの。
  また、のちほど。

>呉善花さんならあった!NO、1

投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/03/14 18:48 投稿番号: [14953 / 44985]
  返事遅れました(さっきオウチに帰って来ました)。
  ayayaさん、正直、とても感動しました。

  で、今読み終って、言葉がまだ出てきません。
  が、感じた事を書いておきます。また改めて書くかどうかは分かりませんが。

  サイレント・マジョリテイーとノイジー・マイノリテイーだなー、と感じました。市井に生きる人(サイレント・マジョリテイー)は、私も同じで『声はない、しかれどもチャント生きている人間だ』ということを感じました。
  ただ、当時の日本人の意識がみんなそうであったかどうかは別です。私は慰安婦問題はあると思っています。これについては幾度かこのトピで書いています。その私の文章がどこにあるのか、このトピの銀河星雲の中なので、捜せない;;。

  また、お便りさせていただきますので、よろしくお願いします。
  呉善花さんは注目していたいと思いました、親近感を感じました。

  アヤヤというのはコマーシャルでやってる、マリリン・モンローのようなアヤヤさんですか?

リラさん>追記

投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/03/14 18:45 投稿番号: [14952 / 44985]
>でも韓国籍を取得した理由の一つには、今回のような事も想定した上で決断した事です。
生活形体は今のところ特に変化はありませんが、子供の将来の為には決断して良かったと思っていますよ。

これが「帰化」ならもっと説得力があったんでしょうね。
この件に関しては、今回はパスしますね^^

リラさん

投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/03/14 18:35 投稿番号: [14951 / 44985]
こんにちは。

>ご自分が法的に属していると見なされる国と、日常生活を送っている国が異なることの亀裂のようなものを感じもしました。

そう思われるのも致し方ないでしょう。

>>宙ぶらりんな状態の私でした

立場の違いだけで↑と同じ様なニュアンスかも。

>そのご経験もあって、お子さん達をできれば民族学校に通わせたいと思っておられるのは

これは全く関係ないです。
その時は単に言葉の必要性を感じただけで、イコール朝鮮学校ではないです。
言葉だけなら、韓国語教室でも構いませんからね。

その時の出来事は、たまたま今回思い出しただけで、十数年の間ほとんど思い出した事ないんですよ^^;

それと・・・
そうですねー、そう言った国籍の壁にぶち当たっても「しょうがない在日だから」ってどこか妙に納得してしまう自分がいました。
生まれた時からそれを覚悟の上で生きてきましたからね。。。

でも韓国籍を取得した理由の一つには、今回のような事も想定した上で決断した事です。
生活形体は今のところ特に変化はありませんが、子供の将来の為には決断して良かったと思っていますよ。

>私もますます行きたいな。でも、家族が渋い顔をしていますので、もう少し説得が必要そうです。

あまり無理をなさらない程度に^^
家族内でトラブルが起きてもいけませんしね。
障害がなければ、是非参加されてください。
そして男性陣を喜ばせてあげてくださいね^^

では。


あのう〜^^;

投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/03/14 18:03 投稿番号: [14950 / 44985]
>>サンデーさんも出席されるようですし、

>近い将来って、20日のことだったんですかぁ?

20日とはまだ一言も言ってないんですが^^;

富士見町はまだ未定です。
なるべく4月1日にはならない様に・・・
ん?・・・すぐやん!
ちゃうちゃう、多分もっと先かな。
決まったらすぐお知らせいたしマンモス!

>ソクラテスとプラトン

投稿者: bikitann05 投稿日時: 2004/03/14 17:36 投稿番号: [14949 / 44985]
>ビキタンさんですよね?   もし違いましたら、失礼しました。

な、なんでわかったの??

って言うか、わかるよね、ON   TOPは会社用です、切り替えるの忘れたんです、

ご容赦を!!

>やっぱり...

投稿者: perusonanongrata 投稿日時: 2004/03/14 16:55 投稿番号: [14948 / 44985]
>「韓国の国家情報院とつながった人間の策動だ!」とか、「イルクンも同胞も許さないだろう」とか、全く進歩が無い。

以前は、共産国家はディス・インフォメーション工作が上手いという評判だったんですが、こんな言説じゃ今は北シンパでも真に受けないでしょう(呆)。


>考えようによっては、総連にはまともな対抗策が何も無いっていう事を証明しているとも言えるんですが。

コムタンさんの言う、「対抗策ナシ」ってのが正解でしょう。
今の総連の立場はなりふり構ってられる状態じゃないのは判るけど、それにしても酷すぎますねー。

ええっ!

投稿者: perusonanongrata 投稿日時: 2004/03/14 16:46 投稿番号: [14947 / 44985]
>サンデーさんも出席されるようですし、

近い将来って、20日のことだったんですかぁ?


>ますます私も参加したいと思っています。ただ、(以下略)

ご都合がつくなら、ぜひ〜。

北朝鮮のトピだからって、危険なことは何もないですよ。
参加メンバーによっては対決オフ会になる可能性も
あるけど、場外乱闘にまではならないと思いますし。

強いてアブナイ人をあげれば、セクハラ大魔王の
なごやんさんくらいでしょう(DIAの情報より)。(^0^)


追伸:
八重七重さんは来れないのかな〜・・・・。

やっぱり...

投稿者: komtang15 投稿日時: 2004/03/14 15:02 投稿番号: [14946 / 44985]
朝鮮新報のネットのハングル版に、フォーラム21のメンバーへの誹謗記事が出ましたねぇ。

もちろん、こんな事は最初から予想出来た事。
しかしまぁ、その記事の内容が、典型的な総連チックなんですよ(笑

「韓国の国家情報院とつながった人間の策動だ!」とか、「イルクンも同胞も許さないだろう」とか、全く進歩が無い。
いつまで石器時代の手法が通用すると思っているんだか...(笑

考えようによっては、総連にはまともな対抗策が何も無いっていう事を証明しているとも言えるんですが。

今は、フォーラム21関係者の身辺の安全が気になるところです。

>プチオフ会のお知らせ

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/14 14:40 投稿番号: [14945 / 44985]
>なごやん殿

  オフ会へのお誘い、ありがとうございました。
  サンデーさんも出席されるようですし、ますます私も参加したいと思っています。ただ、家族が今のところ、いい顔をしてくれません。「会ったこともない人達の集まりに行くのか」と渋い顔をします。オフ会に最初に出席するのは皆そういうもののはずなのですが、なにぶん、オフ会とはどういうものかわかっていませんので。(私自身初経験です)また、テーマが「北朝鮮」であることに対しても、過剰に警戒しているようです。
  もう少しこのトピを読ませるなどして、説得してみたいと思っています。水曜日までには決断致しますので、それでよろしいでしょうか?
  それと、なごやん殿はメールアドレスを非公開になさったのですね。私はアドレスを存じ上げないのですが、連絡はこの掲示板、ということになるのでしょうか?

  以上です。
  お返事、もう少しお待ちいただきたく思います。ご面倒をおかけして、すいません。

  それでは。

>帰化手続きは煩雑か?

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/14 14:30 投稿番号: [14944 / 44985]
>中京さん

  まず、大変お忙しい中で関連する事項を詳細にお調べくださったことに、篤くお礼申し上げます。ありがとうございました。

  その後、そもそもの鄭大均氏の読売新聞への投稿記事の全文を掲載しているHPを見つけましたので、掲載致します。

http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=1964

  ここの文脈から感じられるのは、

>現状では煩雑な手続きにもかかわらず、年間一万人近くの在日が日本国籍を取得している

という文章が意味するところは、「煩雑さ」を問題とするのではなく、「煩雑」である現在でさえ一万人近くの人々が帰化手続きをしているのだから、その「煩雑さ」が解消されればますますその傾向に拍車がかかるだろうし、そのほうが前向きだ、という主旨だろうと私は解釈しました。
  ですので、私が?   と感じたのは、鄭氏の文章の中にある「煩雑」という言葉ではなく、以前に挙げましたアドレス(直接リンクできなかったみたいで、申しわけありませんでした)の関連ページで、桜井よしこ氏がそれに呼応するようなことを言っていた、という点にあるのです。
  これが小田実氏あたりが言った言葉ならば私も気にもならないのですが、なにぶん桜井よしこ氏であるため、考え込んでしまった次第です。もちろん、桜井氏のリップサービスかな、という思いもあるのですが。

  鄭大均氏自身にも在日としての被害者意識の残滓はあると指摘する人もいますし、そもそも国籍を変えるという一大事が簡単にできるというほうが問題だという思いも、私自身にはあります。
  その上でお伺いした先の質問でした。どうやら、

>ほんとは何を指して煩雑と言い、何が嫌で、何が面倒で免除しろと言っている
のか判ってますけどね(苦笑

と書かれているあたりに、この問題のキーがありそうな気配がするのですが?

  それはそれとして、お示しくださった統計を見ていてつくづく思います。手続きが「煩雑」であるかないかに関わらず、一般的な在日朝鮮(韓国も含めて?)人の大きな流れは、やはり日本への帰化に向かっているのだろうな、と。

  いきなりの質問に誠実に応じてくださり、本当にありがとうございました。
  今後ともよろしくお願いします。

>呉善花さんならあった!

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/14 14:06 投稿番号: [14943 / 44985]
>ayaya5001様
  はじめまして。
  リラと申します。
  以前よりこのトピや韓国のトピでご意見をお見かけしておりました。ご自分の意見を、とても決め細やかに冷静に書かれるかただと思っております。

  横レスをお許しください。
  呉善花さんのご本からご紹介くださり、ありがとうございました。私もこのところ呉善花さんの著作には大変注目するようになりましたので、興味深く読ませていただきました。

  その上で、一言申し上げさせてください。引用してくださった文章だけを読むと、当時の日本人と朝鮮人の間にはまったく差別感情がなかったように思えてきます。ですが、一方、1920〜26(あるいは28)まで青少年時代を朝鮮で過ごした中島敦は、昭和4年(1929)に発表した「巡査の居る風景――一九二三年の一つのスケッチ」という小説の中で、朝鮮人と日本人の間に横たわる微妙な差別感情とその反作用を描き出しています。もちろんこれは、あくまでも「微妙な」ものであり、今日韓国や北朝鮮で言われているような、暴力的なものではありません。ですが、日本人として当時の現場にいた中島敦の心の中に、一種の朝鮮人への後ろめたさめいたものがあったことは確かだろうと思います。(中島は、その中で「このちょっとした習慣の中にも永遠に卑屈なるべき俺達の精神がひそんでいるのかもしれぬ」などと朝鮮人の主人公に述懐させているので、一方的に日本人を弾劾しているのではなく、あくまでも、差別−被差別の状況に置かれた人間の心の襞を掘り下げていると、私には思えます)
  私は、これまでの投稿をご覧にあればわかりますように、現在の北朝鮮のやり方に対しては不快感と恐怖を感じていますし、韓国から発信される反日的言動にも嫌悪感を持っています。在日の皆様の現在の状況も、非常に危ういバランスの上に成り立っていると判断してもいます。
  そのような私ではありますが、上に書きました中島敦の作品などから伺われるような、当時の日本人の少なくとも一部にはあっただろう傲慢さや差別感情のこともまた、日本人である私達は頭の片隅に置いておいたほうがいいのではないか、とも考えているのです。

  呉善花さんは、非常に勇気のある、公平な見方ができるかただと思っております。これからも多いに注目していくつもりです。
  ayaya5001様のご意見も、今後もうかがっていきたく思います。
  それでは、失礼致しました。

サンデーさん

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/14 13:40 投稿番号: [14942 / 44985]
  こんにちは。

>薄っすらした記憶では・・・
スイスでは北朝鮮大使館(?)の人に来ていただいたのは覚えています。
  〜     〜     〜
そのスイスで・・・
フランス語は無理、かと言って英語も堪能ではない・・・朝鮮人なのに朝鮮語も通じない・・・宙ぶらりんな状態の私でした。。。
連れ合いが朝鮮学校卒だったので、どうにか北朝鮮大使館(?)の人と言葉が通じて、本当に助かった気分です。

>私の長い人生の中で、朝鮮人なら朝鮮語が必要だと思った一つの出来事でした。

  そうですか。北朝鮮の大使館(?   って、なぜに?)の管轄なのですね。そして、そのご経験もあって、お子さん達をできれば民族学校に通わせたいと思っておられるのは?
  ただ、ちょっと失礼なことをいってごめんなさい。私はこのお話から、ご自分が法的に属していると見なされる国と、日常生活を送っている国が異なることの亀裂のようなものを感じもしました。
  ところで、このご旅行、ひょっとしたら○○○○ン?

>マンガと言えば「ハイジ」と「トムとジェリー」と「アンパンマン」です!

  ハイジかぁ。懐かしー。カルピス劇場、毎週見ましたよ。それにしても、この年齢になると、「ハイジのおじいさんて、実はかっこいい?」とか思ってしまいます。子供のころは、そんなこと考えもしませんでしたけどね。

>敢えて言うなら、今娘達がはまってる「らんま1/2」の「乱馬」くんかな?
強くて一生懸命でおもしろくって・・・でも好きな女の子には素直になれないけれど優しさだけは常に持っている。
う〜〜ん、いいな〜〜^^(これぞ青春!)

  和田選手のことはよく知りませんが、どうもサンデーさんは、さわやかで男らしい、だけどさりげなく優しい人が好きみたいな気がします。私はちょっと屈折派ですが。

  ところで、

>その日の夜はオフ会ヨロピコ!・・・ですの。

ってことは、サンデーさん、20日のオフ会いらっしゃるんですか?   サンデーさんがみえるなら、私もますます行きたいな。でも、家族が渋い顔をしていますので、もう少し説得が必要そうです。

  もしOKが出たら、ヨロシク・・・ですの。
  それでは。

誤解の輪

投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2004/03/14 13:32 投稿番号: [14941 / 44985]

 
>ボーイズ系の脾臓の在庫はありませんが
>(ひょっとして守備範囲の広いなごやんさんなら・・・・)
>(^^

そうそう。
ロリから熟女までOKのわしなら、ノープロブレ・・・って
ちがーう。絶対ちがーう!
ペルソナ殿。誤解をひろめるようなことは止めていただきたい。
守備範囲が広いのは中京殿じゃ。
(また、誤解の輪を広げようとするなごやん)
 

ソクラテスとプラトン

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/14 13:23 投稿番号: [14940 / 44985]
>ontop1215さん

  ビキタンさんですよね?   もし違いましたら、失礼しました。

>・・・・・2人とも、大哲学者になりました!!(メデタシ   メデタシ)

  ということは、プラトンの奥さんも悪妻だったんでしょうか?   私は、プラトンは近所の未亡人といい仲だったけど、諸般の事情で再婚できなかったと聞いたことがあるような……

  ソクラテスの妻クサンチッペに関しては、女性の哲学者のかたが『クサンチッペの弁明』というのを数年前に出版されたような記憶があるのですが、あちこち検索しても今のところ出てきません。タイトルが少し違うのかな?   クサンチッペ側の言い分とやらも、読んでみたいのですけどね。

  それでは。

>富士見町に行けるかもしれない

投稿者: perusonanongrata 投稿日時: 2004/03/14 11:07 投稿番号: [14939 / 44985]
>その日の夜はオフ会ヨロピコ!・・・ですの。


4月の第1週でなければ、馳せ参じ仕りまする。<(_ _)>


ボーイズ系の脾臓の在庫はありませんがが(ひょっとして
守備範囲の広いなごやんさんなら・・・・)。(^^

>帰化手続きは煩雑か?

投稿者: gogai3000 投稿日時: 2004/03/14 11:05 投稿番号: [14938 / 44985]
1.第一には心の持ち様。在日朝鮮籍・韓国籍のままで日本籍と同等の権利があって当然と考えている人にとっては、帰化手続きなんかとんでもない煩雑なもの。

2.色んな教育で朝鮮人は優位民族だと思い込んでいる人には、とんでもない面倒な手続き。

3.出生証明が手に入らない場合。一世の場合は朝鮮南北戦争で行方不明。2世以降なら出生届を区役所?へ出してない場合。

わだかまりを捨てて、日本人になる覚悟をして帰化するのなら、大変簡単な手続きと思うが。

外国の永住ビザを取得するにも、殆どの国は大変煩雑な手続きが必要で、何回もアッチコッチのお役所へ通わないと出来ない。半年くらいかかるのはさほど珍しくない。これだけは体験。

”日本の現行制度が「煩雑な手続き」”とか”交通違反があっても帰化が認められない”という言い方は、例の権利意識と被害者意識ではないかと思う。

行政書士にできる手続きなら、一寸お役所関係の手続きの知識がある人なら、自分でやっても大したものではない。

断っておくが、私は帰化手続きはやった事が無いので、以上はネットの情報からの推定です。

帰化手続きは煩雑か? 追記

投稿者: cyukyoubaka 投稿日時: 2004/03/14 02:59 投稿番号: [14937 / 44985]
参考までに帰化許可申請手続きについて

帰化許可申請手続きは、基本的に以下の流れにそって行われます。

    法務局への事前相談(本人出頭)※
           ↓
         資料収集
           ↓
        申請書類の作成
           ↓
        法務局への申請(本人出頭)
           ↓
         面    接(本人出頭)
           ↓
         帰化許可


最初の法務局への事前相談は任意です。
あくまで相談ですから、帰化の手続きについて自分で判っているのなら当た
り前ですが相談は必要は無いです。
とは言え。。。
帰化許可申請書類は法務局に貰いに行きますから、その時点で担当者が相談
に乗ってくれますので、無料ですし利用すべきでしょうね。

あとは必要書類を揃えて法務局に申請に行くだけです。
それで書類に不備が無ければ申請は受け付けられ、後日面接になります。

あとは許可が下りるか否か回答待ちです。

要は、帰化許可申請の際に法務局に出頭する回数は最短で2回です。
問題なければ3回目は帰化証明の交付です。


さてさて、法務局に出頭するのは最短でたった二回です。
これのどこが煩雑なのか理解に苦しみます。




ほんとは何を指して煩雑と言い、何が嫌で、何が面倒で免除しろと言っている
のか判ってますけどね(苦笑

帰化手続きは煩雑か?

投稿者: cyukyoubaka 投稿日時: 2004/03/14 02:31 投稿番号: [14936 / 44985]
こちらは民団(在日本大韓民国民団中央本部)の統計データです。
http://www.mindan.org/toukei.php

こちらの統計では在日韓国人と表記されていますが、これは朝鮮籍、韓国籍の
特別永住者を、全て在日韓国人と表記しているだけです。(朝鮮籍も含まれています)

この統計によると1952年から2000年までの帰化した人数は。。。

24万3千762人

これに法務省の2001年、2002年、の朝鮮人韓国人の帰化許可者1万9千483人を
加えると。。。

26万3千245人

さらに、ここ数年の実績は年間約1万人ですから、2003年度帰化許可者を1万人と
みなして計算すると累計で

約27万人3千人の方が、既に帰化されていることになります。


終戦直後の在日の方の人口はですが、個々人で半島へ帰国する方や再入国される方
が多かったため正確な数字は不明ですが、約60〜70万と言われています。
(   ここで言う数字は、半島へ帰国せずに日本に残留した方の数字です。)

1946年3月16日、GHQによる在日朝鮮人帰国者の日本への再入国禁止により
いったんはここで在日朝鮮人の方の人口は約60万人と定まりました。

その後、様々な理由事情ににより再入国(密入国)された方を含めて、1952年の
外国人登録法により約53万5千人の方が在日朝鮮・韓国人となりました。

ただし、当初外国人登録をしなかった(拒否した・しそこなった?)方もいたとの説
もあり、実数はもっと多かったとも言います。

一応公式な数字を元にすると。。。

当初在日となった方が約53万5千人

その後帰化された方が約27万人3千人

当然ながら出産、死亡などにより人口の増減はありますが、それを考慮に入れたと
しても、当初の人口の半数以上にあたる27万3千人の方が既に日本国籍を取得し
ています。

私には、これだけの方が国籍を取得できた制度を、煩雑だから変えるべきだと言い
切れる根拠があるとは思えません。

既に帰化された方が『   約27万人3千人   』いる

この数字が全てを物語っているのではないでしょうか


ほんとに上っ面の触りだけに過ぎない回答でお恥ずかしいのですが、まずはこの程度で。

リラさんへ 帰化手続きは煩雑か?

投稿者: cyukyoubaka 投稿日時: 2004/03/14 02:28 投稿番号: [14935 / 44985]
非常に遅くなりましたが、頂いた宿題について軽く触りを。。。

>現状では煩雑な手続きにもかかわらず、年間一万人近くの在日が日本国籍を取得している

まずこの文章自体ちょっと変に思いませんか?

「   煩雑な手続きにもかかわらず、」
「   年間一万人近くの在日が   」
「   日本国籍を取得している   」

煩雑な手続きなのに、年間約1万人も帰化をしている(   帰化許可申請数では
なく、帰化を認められ日本国籍を取得された方が年間1万人もいる。)

しかもこれは在日1世の方が中心ではなく、既に戦後60年近くたって代を重ね
3世・4世の世代に至り、本国との書類の整合性が怪しくなってきている方が
多い現状での年間1万人です。

このような現状を踏まえたうえで、実際に年間1万人も帰化許可が得られてい
る現行制度を、煩雑な手続きと言い切って良いものか、私は疑問に感じます。

それに日本の現行制度が「   煩雑な手続き   」なので、現在まで帰化された方
は少ないのかと言いますとそうではありません。

昨日の収穫

投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/03/14 00:32 投稿番号: [14934 / 44985]
まず「提言の掲示板」の裏話を聞く事ができました。

それと、近い将来富士見町に行けるかもしれない。。。
(皆の前で思いっきり「千代田町」と言ってしまった私^^;)

その日の夜はオフ会ヨロピコ!・・・ですの。

20日か〜

投稿者: lee_higasi_osaka 投稿日時: 2004/03/14 00:10 投稿番号: [14933 / 44985]
偶然にも東京出張が重なるかと思ったけど、世の中そんな甘くないよね(笑)

て事で、みなさんで楽しんできてください。

リラさん

投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/03/13 23:31 投稿番号: [14932 / 44985]
こんばんは。

>人間て(中略)自分の身近でないことには、本当にさらっとした思いしか抱かないのものかも……

私だって一緒です。
身近な出来事なら自分に置き換えて考えられますけど、逆にあまりにもかけ離れていると想像外で終ってしまう・・・そんな物かもしれませんね。

>やはり日本大使館で手続きを行うんでしょうか?

薄っすらした記憶では・・・
スイスでは北朝鮮大使館(?)の人に来ていただいたのは覚えています。
そして、スイスから一度フランスへ行きました。
そこから日本へ帰国するのにイギリス経由だったんですね。
確かそのイギリスの空港内で出国手続きしてもらって、日本の成田空港での入国手続きに二時間近く掛かったのは覚えています。

そのスイスで・・・
フランス語は無理、かと言って英語も堪能ではない・・・朝鮮人なのに朝鮮語も通じない・・・宙ぶらりんな状態の私でした。。。
連れ合いが朝鮮学校卒だったので、どうにか北朝鮮大使館(?)の人と言葉が通じて、本当に助かった気分です。

私の長い人生の中で、朝鮮人なら朝鮮語が必要だと思った一つの出来事でした。

>私があの部分で言いたかったのは、サンデーさんじゃなくて、逆のほう。

ラジャー・・・ですの。
取り合えず、自分にも置き換えて考えてみたかったの・・・ですの。

>でも、圧倒的に多いのはやはりアニメやマンガのキャラですから、もしお好みのキャラがあれば、教えておいていただけませんか。

マンガと言えば「ハイジ」と「トムとジェリー」と「アンパンマン」です!

ただそこには「和田投手系」はいませんね^^;
敢えて言うなら、今娘達がはまってる「らんま1/2」の「乱馬」くんかな?
強くて一生懸命でおもしろくって・・・でも好きな女の子には素直になれないけれど優しさだけは常に持っている。
う〜〜ん、いいな〜〜^^(これぞ青春!)

どうぞヨロピコ!・・・ですの^^

NO6

投稿者: ayaya5001 投稿日時: 2004/03/13 21:51 投稿番号: [14931 / 44985]
年度
採用数
応募数
倍率

昭和13年
406人
2,946人
7.7

昭和14年
613人
12,348人
20.1

昭和15年
3,060人
84,443人
27.6

昭和16年
3,208人
144,743人
45.1

昭和17年
4,077人
254,273人
62.4

昭和18年
6,300人
303,394人
48.2






そして昭和19年4月には朝鮮人に徴兵制度が実施されましたが、実際に徴兵された朝鮮人軍人・軍属は24万2341人、うち戦死者は2万2182人という数字が残っています。

徴兵制実施以前の志願兵の採用数は1万7664人ですが、注目すべきは志願者数でしょう。厳しい倍率にもかかわらず延べ80万2147人もの青年が志願しているのです。戦時中の応募者数も、徴兵制実施後に実際に徴兵された24万2341人を上回っていたということは、いったい何を物語っているのでしょうか。

韓国では、この志願制も事実上の徴兵制だったと主張していますが、本当に強制だったとしたら、これほどの「入りにくい」高い倍率をどう考えればいいのでしょうか。どう考えても、郷土や家族を守ろうと、自分の意志で日本軍兵士として戦地に赴いた青年が多かったとしか思えません。

「強制連行」という名で呼ばれる徴用の問題が起きたのは、戦争末期の2年間のことです。アメリカとの戦争が始まって「内鮮一体」政策が急速に進み、朝鮮人もさまざまな形で戦時体制に協力させられていったことは確かです。しかしそれは、アメリカとの戦争という異常事態を迎えて起きたことで、平和時の朝鮮統治下ではそんなことはけっしてありませんでした。そこのところをきちんと区別して考えなくてはなりません。

そうであるのに、戦後の韓国では、戦争末期の2〜3年のできごとをもって、それがあたかも日本による朝鮮統治のすべてであったかのように語られているのです。

たしかに戦争当時は、日本人も韓国人も戦時体制を支えるために、炭坑や工場で稼働させる労働力としてたくさんの人々が徴用されました。これは最初から強制だったのではなく、男子労働者については昭和14年9月から一般募集が始まり、昭和17年3月から官斡旋となり、昭和19年3月から徴用という具合に、しだいに強制性が強まっていったものです。

募集や官斡旋では行くか行かないかは本人の自由でしたが、徴用では徴用令書によって指定された日時に指定された場所に集合することが命じられました。これを拒否したり逃亡した場合には、国家総動員法違反として逮捕され、処罰の対象になりました。罰則は1年以下の懲役で、日本人・韓国人の区別なく適用されました。実際には、一、二度の拒否で逮捕されるようなことはなく、何度も拒否した者を逮捕したようです。

そういうわけですから、日本の教科書の一部にあるように、警官や軍隊が武力をもって追い立てるようにトラックに乗せて連れ去ったとか、手錠をはめて連れ去ったとかなどの事実があったわけではありません。少なくても私の聞き書きではそんな状況を見たことがある、聞いたことがあるといった人は一人もいませんでした。

もちろん徴用に対する強固な抵抗運動などもまったくありませんでした。ですから、韓国人も日本人も、いやだけれども戦時だから仕方なく従った。というのが大方のところだと思います。

一部の知識人たちは遠く離れた国外で抵抗運動を続けましたが、国内にいた民衆は戦時下の徴用にすら抵抗運動を展開することはありませんでした。では、国外で抵抗運動をしていた知識人は賢くて勇敢で、国内で実際に生活していた民衆は愚かでだらしない人々だったというのでしょうか。そんなばかな話はないのです。


勝手に続けて投稿、反感もたれたらごめんなさい

これからは韓国では自由な意見がさらにむずかしくなるのでしょか?
こうした問題は
なかよくがんばろう!では   前進できないのが   ふ   し   ぎ

日本人も在日の人も   朝鮮の人も多くの反日の様子を目のあたりにするまで、
真剣に考えなくてはいけない問題と考え
辛くもどかしく時が過ぎる   情けないなぁ

NO5

投稿者: ayaya5001 投稿日時: 2004/03/13 21:43 投稿番号: [14930 / 44985]
戦時体制下の統治政策をどう考えるか



日本の罪としてよく持ち出されるのは、「皇民化教育の強制」「創氏改名の強制」「神社参拝の強制」「徴用という名の強制連行」「朝鮮人を戦地に送り込んだ徴兵制」などです。しかし、いずれの「強制」も、日韓両者の話を総合してみると、身の危険が迫り来るような弾圧下で行なわれたのではなかったことがよくわかります。統治側が法令を発し、多くの韓国人がとくに強い抵抗姿勢を見せることなく、ともかくも従った。それが現実の姿でした。

それを忍従といおうと、あるいは抵抗を秘めた忍従といおうと、暴圧をもっての強制はなく、しかも強い抵抗姿勢を見せずに法に従ったという事実は、いったい当時のどんな現実を物語るものなのでしょうか。その問いを韓国人自身が自らに向けてみなくてはならないと思いました。

これはとても重要なことです。

たとえば、「強制的に日本語を教えられ、言語を抹殺された」いわれていますが、日本語教育の「強制」は日本統治時代の最後になって、戦時体制上の都合から行なわれたものです。それも学校だけのことで、家に帰ったときまで韓国語で喋ってはいけないという制限があったわけではありませんでした。ですから、ちょうどその時期に学校へ通っていた人たちだけが、日本語を読み書きできるのです。学校に行っていない人たちは、日本語が全然わからない。そのことからも、「言語を抹殺された」という表現が、いかに事実に反するものかがわかるでしょう。

余談ですが、そもそも、韓国が文化として世界に誇っているハングルにしても、1443年に作られていたものの、ほとんど使われていなかったのですが、日本統治時代の学校制度によって本格的に普及したのです。

自ら志願して兵士となった韓国人が多数いたという事実も、私には思いもよらないことでした。思いもよらないというのは、そんなはずがないという思い込みがあったからです。この話を聞いて、戦地におもむいた当時の韓国の若者たちのことが思われ、人間とはそういうものだ、やはり彼らもそうだったんだと胸が熱くなりました。

「日本の戦争」には違いないけれども、敵に攻められれば、死ぬのは日本人だろうと韓国人だろうと関係はありません。郷土や家族を守るために自ら志願して兵士となり、日本人と一緒に敵と戦おうとした韓国人が少なくなかったのは、当然のことだったのです。そういう人たちがいなかったというのならば、逆にそれは実に恥ずべきことではないでしょうか。

陸軍特別志願兵制(昭和13年4月実施)、海軍特別志願兵制(昭和18年10月実施)、学徒兵徴募(昭和18年10月実施)への朝鮮人の志願状況は、次のようになっています。

NO4

投稿者: ayaya5001 投稿日時: 2004/03/13 21:43 投稿番号: [14929 / 44985]
証言から浮かび上がる「普通」の関係



私は小さいころから親たちの世代の大人から「日本人とのよき関係」の体験をたびたび聞かされていたのに、そのことは長い間すっかり記憶の彼方に去っていました。それが日本人への聞き書きの仕事をやっていくなかで、ありありと甦ってきたのです。終戦となって朝鮮から日本へ引き揚げるときに、韓国人にいかに親切にしてもらったか、そしてどれだけ知り合いの韓国人と涙を流して別れを惜しんだかということを、私が聞いた日本人全員が切々と語ってくれています。それだけでも、その背景にどれだけ親しい関係があったかがよく理解できます。



「私の総督府勤務では、江原道の地方課長がいちばん長かったのですが、そのとき仕えた知事の劉鴻洵さんに教えていただいたことが一番印象に残っています。……実に立派な方で私は心から尊敬していました。中国の史記に登場する徳の高い名君のような印象を与える方でした」(大師堂経慰さん)



「私はソウルで生まれて生年になるまでソウルで生きてきましたが、日本人と韓国人が基本的に仲良く生きてきたということは、双方の民族にとって誇るべきことだと思っています」(吉田多江さん)



「学校では生徒たちからも先生たちからも、差別されたことはありません……あるやつなんかは、電話をかけてくるときも(いまも)韓国語でかけてきますよ。今なおそれほど親しくつき合っている日本人の同期生が何人もいる、ということです。商業学校の恩師2人は、とても尊敬できる方でした。……当時の日本人はほんとうに質素でした。(私が勤務していた)銀行の食堂では日本式の食事をして、下宿先では韓国式の食事をしていました。私自身は当時、日本人に対して悪い印象は、まったく持っていませんでした」(朴承復さん)



「クラスでは『お前は日本人、ぼくは韓国人』という区分があるだけで、なんら差別的なことはありませんでした。……当時、日本人に対して特別な不満はありませんでしたし、日本人と朝鮮人のトラブルもあまり聞いたことがありません。……とくに田舎では、日本人は朝鮮人が怖くてかってなことはできませんでした。だから日本人から差別されたなどの問題もなかったのです」(朴錘植さん)



こうした「よき関係」がすべてだったとはけっして思いません。しかし、私がインタビューした日韓15人の発言からは、ごく一般的に「よき関係」が存在していたであろうことを十分に推察することができるのです。

韓国の上級生から日本人の下級生が叱られた話、町で韓国人に喧嘩をふっかけられて大怪我した話、韓半島北部から帰還するのに知り合いの韓国人が「命をかけて」助けてくれた話、小さいころ仲良く一緒に凧揚げをした話、韓国人の大人に鷹狩りに連れていってもらった話……そしていまなお、彼ら日本人の多くが当時の韓国人たちと親密につき合っているのです。

これは人間同士ならどこにでもある、「普通」の人たちの生活感覚に根ざした関係が、厳然として存在していた証拠なのではないでしょうか。

そして、朝鮮の若い女性たちを連行して「従軍慰安婦」に仕立てあげたという「説」については、日本人全員が「ありえないこと」と強く反発しています。



「もしそんなことをしたら誘拐犯ですし、懲役刑を受けることになります。いや、法律の問題以前に、村の人たちにめちゃめちゃにされてしまいますよ。強制的に連れて行かれる娘を見ながら、そのままほっておくような卑劣な朝鮮人がいたとはけっして思えません。田舎であればあるほど、生活者の連帯意識も民族意識も強くて、そんな彼らが我慢して黙って見ているわけがありません。彼らの民族愛がいかに強かったかは、私はいろいろな場面で見てきていますし、今でも鮮明に覚えています。そんな世界で女狩りなんてできるはずがないんです」(阿部元俊さん)



私が韓国にいた間、昨今いわれるような「従軍慰安婦」の話をいっさい耳にしたことがなかった意味が、ようやくわかったと思いました。

そして私がインタビューした全員が、「自分に当時の話を聞きに来た人は、あなた以外に一人もいなかった」と語っていました。いかに当事者抜きで植民地問題が語られていたかということです。その結果見えてきたことは、日韓両国に横たわっている「悪印象」が、いかに「実態抜き」に語られていたかという事実だったのです

NO3

投稿者: ayaya5001 投稿日時: 2004/03/13 21:42 投稿番号: [14928 / 44985]
両親に教えられた日本人



私の両親には戦前の日本で生活していた時期がありました。母は14〜15歳のころ、韓国の済州島から日本の大阪に渡っています。昭和10年代の始めのことでした。そして、大阪のプラスチック製造工場を営む2人の兄を手伝ったのです。2、3年、日本で生活した母は、16歳のとき故郷に戻りますが、父と結婚するとすぐ、今度は鹿児島へ渡り、父の兄弟が経営する箸の製造工場の仕事をすることになりました。長女はそこで生まれたのですが、終戦までの数年間を日本で過ごしたのです。

叔父一家(5人)と父一家(3人)は、3人家族の日本人の家に間借りしていました。父母や叔父たちがいうには、「その家族も近所の人たちもたいへん親切にしてくれた。何かといっては果物やミカンをくれたりしたし、畑をただで貸してくれて野菜を自給することもできた」といっていました。

やがて戦争になり空襲が始まると、日本人は防空壕を掘ったのですが、その家の主人は叔父や父母たち韓国人家族も入れる大きな防空壕を掘り、防空頭巾を作ってくれ、アメリカの飛行機が来ると、いつも子供たちを先頭にしてみんなを先に防空壕へ入れ、自分はいちばん最後に入ったそうです。

戦争が終わって、叔父と父母の一家は、済州島へ帰ることになりましたが、その日本人家族は涙を流して別れを惜しんでくれ、自分たちも、お世話になったことを感謝し、泣くだけ泣いて別れてきたのだそうです。

その後、済州島で生まれた私は、両親から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされて育つこととなりました。母は「日本のミカンはとても甘くておいしい」と話していました。そのころ、韓国でとれるミカンは酸っぱい味しかしませんでしたから、幼いころの私は、日本に行って、甘いミカンをいっぱい食べたいと思ったものです。また、当時、韓国ではお風呂に入る習慣がありませんでした。だから、母から、日本のお風呂や銭湯、温泉の話を聞いてとてもうらやましく思ったものです。日本に行って、甘いミカンを食べ、温泉に入る……それが私の夢でした。

また、私は母から口移しで教えられた日本語をいくらかしゃべれました。村のお祭りのときには、巫女さんが私を呼んで「日本語をいわせる」のが恒例になっていて、みんなの前でいくつかの日本語の単語を発しては拍手喝采を受けたものです。幼いころの私にとって、日本はとても親しい気持ちをもてる国であり、いつかは行きたい憧れの国としてイメージされていたのです。

そのように、親の世代から教わる日本人像には鬼のように悪辣な、ひどい国民だといったイメージはまったくありませんでした。しかし、学校で強烈な反日教育を受けているうちに、私のなかから、そうした日本への「いいイメージ」はいつしか消えていきました。

すでに述べましたように、韓国では「田舎者ほど反日意識が弱いのは無学だからだ」などといわれていました。逆に「高い教育を受けた者ほど反日意識の強い愛国者である」と見られていたのです。大人たちから「勉強ができるいい子だ。上の学校に進む優秀な子だ」といわれれば、「それにふさわしい反日意識を強くもたなければならない」と子供心に思ったものでした。

その結果、私は親に対して誤った気持ちを抱いてしまいました。

「日本人は親切だ、なんて私にいい聞かせていた親たちは、みんな無学な田舎者だったのだ。日本人がほんとうはどれほど残酷なことを韓国に対して行なってきたかを教わってこなかったから、何もわかっていないのだ」

私が特別だったわけではありません。韓国で教育を受けたすべての子供たちが、日本に対して、そうした気持ちを抱くようになっていたのです。

NO2

投稿者: ayaya5001 投稿日時: 2004/03/13 21:41 投稿番号: [14927 / 44985]
それどころか、日本が負けて、これから彼らはどうなるのだろうと心配しながら、ソウルから釜山まで日本人一家の荷物を運んだ韓国人もいます。また朝鮮生活の長かった日本人からは、親しくつきあっていた韓国人一家と別れるのが辛くて、仁川の波止場でお互いに泣くだけ泣いて別れたという話をたびたび聞かされました。

私は、そんな話を聞いてホッとすると同時に、反日教育で教えられたようなひどい統治があったと考えることにはどうしても無理があることに気付かされました。実際の生活で日本人とつき合った体験のある人々に親日傾向が強く、実際の体験のない人々に反日傾向が強いということは、まさに私の実感ともピッタリ合うものです。

こんなおかしなことがなぜ起きるのでしょうか?

私が強く感じるのは、日本統治時代の朝鮮を語る際に、「政治史・制度史」だけが重視され、生活の十井については、それに役立つ限りで「資料」として採用されるにすぎない、ということです。逆にいえば、日本統治時代の朝鮮理解は、社会史・生活史などは不要であるという考えに強く支配されているということです。

そのように政治的観点が重視されるあまり、日本統治時代のことは、すべて政治的に語ればよしとされ、社会的な現実など取るに足りないこととされてしまっているのです。

もちろん、一つの時代を語るのに、政治史・制度史は重要なものです。しかし私は、実際にその時代を生きた人々の社会史・生活史もまた、政治史・制度史に匹敵するほど、あるいは場合によっては、それ以上に自由様なものだと思うのです。

この本を書き終え、私は韓国でも日本でも多くの場合「悪辣な日本統治」を描き出すのに少しでも役立つ材料だけが切り取られてきて、それ以外の材料はすべて捨てられてしまい、それが歴史となっていたことを、疑う余地なくはっきりと確信することができたように思います。

呉善花さんならあった!NO、1

投稿者: ayaya5001 投稿日時: 2004/03/13 21:40 投稿番号: [14926 / 44985]
いったいどこに「鬼畜のごとき」日本人がいたのか

呉善花さんならあった!返信に適当でなくてごめんねさい
辛淑玉さん、本よんでみたいですね

抜粋   長文
日本統治時代に生活していた韓国のお年寄りには、日本人に悪感情を抱いている人は圧倒的に少ないといえます。日本人と直接つき合いのあった人はだいたいが日本や日本人に親しい気持ちをもっています。たとえば「学校での生活はどうでしたか」と聞いて、いやな思いをしたという話はほとんどありません。大部分の人が「日本人の先生にいい先生が多かった」といいます。

日本人からの聞き書き調査では、こんな内容の発言もあります。

「韓国の青年たちが近所の川辺などで凧揚げをしているのを見て、とてもうらやましいと思っていたら、彼らはうまく凧を揚げる方法をいろいろ教えてくれた」

「当時、日本人も朝鮮人も関係なかった。学校では、韓国人の先輩に、厳しく、服装などの問題で指導されたが、それがいつも怖かった」

こうした証言は、民衆レベルでは、実に当たり前の生活観が存在していたという証拠でしょう。だからこそ、直接日本人と接したことのある韓国人ほど親日派が多いのです。

それに敗戦後、日本人が日本に帰るときに、日本人に対する暴動も起きなければ、略奪行為もほとんど起こっていないのです。当時は、日本の軍事・警察機構は解体され、韓国の警察はほとんど機能していなかった時期です。もし、統治時代に日本人が韓国人に対してひどいことをしていたのならば、日本人の家に暴徒が殺到し、略奪行為が起きていても不思議ではなかったはずです。ところが、ほとんどの人が、そんなことはまったくなかった。噂すら聞いたことがないといっているのです。

突然ですが・・・プチオフ会のお知らせ

投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2004/03/13 20:22 投稿番号: [14925 / 44985]

 
やあ(^^)/
みなの衆。
年度末のお忙しいところいかがお過ごしかな?

さて、突然じゃが、来週20日(土)東京で
神の手殿とわしでプチオフ会を開くことになった。

ご参加いただける方がいれば大歓迎じゃ。
ゴウガイ殿、中京殿、国際殿、小僧殿、ビキタン殿、リラ殿
いかがかな?

参加を希望される方がいれば、わし宛メールをお願いしたい。
 

リラさん

投稿者: ontop1215 投稿日時: 2004/03/13 20:10 投稿番号: [14924 / 44985]
ソクラテスの逸話は結構ありますね、

私のお気に入りは、プラトンとの会話です

プラトン「先生、私は結婚を迷っています、彼女が良い人か   悪い人か分からないんです」

ソクラテス「プラトン君、もし彼女が良い人だったら、君はとても幸せな人生を送るだろう、譬え悪い人だったとしたも、君はすばらしい哲学者になるだろう」










・・・・・2人とも、大哲学者になりました!!(メデタシ   メデタシ)

>やっと、見つけた!!

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/13 19:48 投稿番号: [14923 / 44985]
>ビキタンさん

  アドレス、ありがとうございます。
  さっそくアクセスしました。
  まだ全部じゃないけど、いくつか見てくすくす笑ってます。「男が口にしない言葉」と「ソクラテス」がウケました。

  ソクラテスといえば……
  ある時、宗教学の教授が学生達にソクラテスについて講演している席に同席したんです。教授いわく、
「私は、処刑に臨んだソクラテスを尊敬しております。いえ、なにも『悪法も法なり』と言って、潔く死んだからではありません。その、処刑まじかのソクラテスの牢屋に妻のクサンティッペが面会にきた時、彼女はなんと、乳飲み子を抱えていたそうです。当時ソクラテスは70歳をこえていました。どうです、尊敬に値する男じゃありませんか、ソクラテスは?」
  あの時、先生乗り過ぎと思ったんですが、掲載されていた「ソクラテス」を読んだ後では、「もしかして、もっと裏がある話なのかも……」と思ったりします。うーむ……

  それでは、またヨロシクお願いします。

ヨタロウさんへ(2)

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/13 19:38 投稿番号: [14922 / 44985]
>彼らがその時その時に日本に持ち込んだ技術や知識や文物は、当時の日本のものにきらべて、桁ちがいに進んだ高度のものだった。そしてそれによって初めて、日本の社会は新しい段階に足をふみ入れることもでき、また新しい精神的な世界を展開させることもできたのである。だから、彼らの持ち込んだものが、新しい時代の主人公となっていったと言っても言い過ぎではない。けっして日本文化の発展に貢献したなどという程度のことではないのである。
  われわれは、誰でも古代の帰化人たちの血を10%や20%はうけていると考えなければならない。われわれの祖先が帰化人を同化したというような言い方がよく行われるけれども、そうではなくて、帰化人はわれわれの祖先なのである。彼らのした仕事は、日本人のためにした仕事ではなくて、日本人がしたことなのである。」(関晃「帰化人」日本歴史新書)

  私も、上に引用していただいた内容には非常に惹かれるものがあるんですよ。百済の人々初め多くの帰化人達は、自分達がまだ文明的には新しく若々しい国(当時の日本)でこそ自分達の運が開け理想が実現するだろうと思って、新鮮な気持ちでやってきたでしょう。日本人側もその気持ちに応えようとしたと思う。そして多分、その人達にとっては、終の住みかはこの日本だっただろうし、自分達のことをやがては日本人だと思ったとも考えられます。
  だからこそ、「借りがある」とか「貸しがある」と現代のわれわれ(日韓双方で)が言い立てることのほうが変だと思うんです。歴史上の交流って、結局は双方向のものだと思うから。
  そもそも、アリストテレスがアレキサンドロス大王の家庭教師だったからって、アテネ市民がマケドニア王国の人々に、「われわれは、おまえの国に貸しがあるぞ。そこのところはわかってるのか。ちゃんと自覚しろ!」とつめよったとは思えないんです。アテネはマケドニアに征服されましたけどね。

  それではまたヨロシク・・・ですの。

ヨタロウさんへ(1)

投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/13 19:22 投稿番号: [14921 / 44985]
  昨日の夕食は、きりたんぽ鍋でした。きりたんぽは我が家の好物なので、ほくほくやって食べます。送ってくださったかたによると、この冬最後のきりたんぽなのだそうですが。

>   鏡女王は出生不詳であり、天智天皇との関係もウワサの域をでていないようです。鎌足の正室ではあるらしい。〜   五百重娘と氷上娘を生んだのが鏡女王なのですかね?よくわかりません。

  鏡女王ってそうなんですか。私はすっかり天智天皇の側室の一人で、額田王の姉なんだと思い込んでいました。五百重娘と氷上娘を生んだ女性は不明のようです。鏡女王は子供はいなかったのじゃないかな。
  そもそも鎌足って、子種が少なかったのではないかという説がありますね。長男の定恵は孝文天皇のご落胤で、次男の不比等は天智天皇のご落胤だという説がありますし。で、正室の鏡女王にも安見児にも子供がいないとなると、まんざらあり得なくもないかも……大河ドラマではどーするんでしょう?

>>斉明天皇は、梅原猛さんによると蘇我入鹿を愛人にしていたとかいう、あのおばさまですね。

>   へえ〜〜初耳、そうねあのオバサマやりかねないかも。そうだとしたら入鹿が殺される時、御簾の後ろで見ていたのは彼女だから、ショックだったろうな。
  殺したのは息子、殺されたのは愛人!   なんだかね……。

  梅原氏は、中大兄皇子がハムレットの心境で入鹿殺しに走ったと見たいようですよ。梅原氏って、そういうの好きみたいですから。

>彼女はデビ夫人かイメルダ夫人のような趣きがあるように思えます。

  私も外見はそんなイメージです。で、中身はもちょっと女々した感じ。五月みどりってところかな。

>   元明女帝は、持統天皇のいいなりでしたね。とても素直なお嬢さんといった感じですかね。

  私が以前読んだマンガに、藤原不比等を主人公にしたものがあるのです。その中で、不比等が、「持統天皇は勝気だけど気持ちが表に出やすい人だからこちらもどう対処すればいいかわかりやすいけど、元明天皇は、表面はいかにも穏やかでその実なにを考えているのかわからない。やりにくい」と嘆くシーンがあったんですよ。そしてら、不比等の後妻の橘三千代が、「あのおかたのことは、このわたくしにおまかせなさいまし」と応じるシーンがありました。「おお、なかなか、狐と狸のような夫婦やね」と、楽しくなってしまったんです。こういう、利害で結ばれた男と御なっていうのも、けっこう好みのパターンだったりします。

>   以上、あまりつっこまないで下さい……ですの(m_m)。

  ええ〜、つっこんでなんかいない・・・ですの。私の知識程度でヨタロウさんにつっこむことなんかできない・・・ですの。むしろいろいろ教えてください・・・ですの。


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