ヨタロウさんへ(2)
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/13 19:38 投稿番号: [14922 / 44985]
>彼らがその時その時に日本に持ち込んだ技術や知識や文物は、当時の日本のものにきらべて、桁ちがいに進んだ高度のものだった。そしてそれによって初めて、日本の社会は新しい段階に足をふみ入れることもでき、また新しい精神的な世界を展開させることもできたのである。だから、彼らの持ち込んだものが、新しい時代の主人公となっていったと言っても言い過ぎではない。けっして日本文化の発展に貢献したなどという程度のことではないのである。
われわれは、誰でも古代の帰化人たちの血を10%や20%はうけていると考えなければならない。われわれの祖先が帰化人を同化したというような言い方がよく行われるけれども、そうではなくて、帰化人はわれわれの祖先なのである。彼らのした仕事は、日本人のためにした仕事ではなくて、日本人がしたことなのである。」(関晃「帰化人」日本歴史新書)
私も、上に引用していただいた内容には非常に惹かれるものがあるんですよ。百済の人々初め多くの帰化人達は、自分達がまだ文明的には新しく若々しい国(当時の日本)でこそ自分達の運が開け理想が実現するだろうと思って、新鮮な気持ちでやってきたでしょう。日本人側もその気持ちに応えようとしたと思う。そして多分、その人達にとっては、終の住みかはこの日本だっただろうし、自分達のことをやがては日本人だと思ったとも考えられます。
だからこそ、「借りがある」とか「貸しがある」と現代のわれわれ(日韓双方で)が言い立てることのほうが変だと思うんです。歴史上の交流って、結局は双方向のものだと思うから。
そもそも、アリストテレスがアレキサンドロス大王の家庭教師だったからって、アテネ市民がマケドニア王国の人々に、「われわれは、おまえの国に貸しがあるぞ。そこのところはわかってるのか。ちゃんと自覚しろ!」とつめよったとは思えないんです。アテネはマケドニアに征服されましたけどね。
それではまたヨロシク・・・ですの。
これは メッセージ 14921 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
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