北朝鮮
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
yaenanae01さん
投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/02/27 09:23 投稿番号: [14000 / 44985]
お久しぶりです。
まだ私の頭の中では上手く纏まっていませんが、後数回は読み直してみようと思っています。
そして此れによってyaenanae01さんが本当は何を伝えたかったのか、それも今の私の課題です。
良い物を有難うございました。
そして・・・
リラ様のHNで投稿されても内容はyaenanae01さんの言葉でしょう?
投稿者名に拘るのであれば次回からは新しいHNでyaenanae01さん御本人がいらしてください。
(李くんなんてHN三度目ですよ)
是非是非、お待ちしております。
P.S.
リラ様へ
代行ご苦労様でした。
世界史トピ、覗かせていただきました。
これからもがんばってくださいね。
これは メッセージ 13989 (lilasnosakukoro2 さん)への返信です.
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>李朝孝中間報告
投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/02/27 09:03 投稿番号: [13999 / 44985]
これは、二、三回読まないと、私の頭に入ってこないな。
一回通読しました。とても面白かったです。
えーっと、一回通読した感想です。李王朝の初期はハツラツとしているが、後の李王朝は「だらけてる」もしくは「堕落」したということだろうか。
イザベラ・バードは我が「東北」をエロドラド?と呼んで讃えてました。「エロ」だって、恥ずかしい^^;
>「今日の韓国が病んでいるのは、理不尽な社会であった李朝時代がほとんど改められることなく、そのまま続いているからだ」
これを言わんがための文章ですね。支配階級両班の異常な人口増加に半島の歪みと苦しみを感じました。
記憶力が衰えてるので歴史年表が欲しいです。
ヴェトナム史と江戸史も期待してます。
これは メッセージ 13988 (lilasnosakukoro2 さん)への返信です.
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>6カ国協議
投稿者: gogai3000 投稿日時: 2004/02/27 08:58 投稿番号: [13998 / 44985]
またもや大詰めでどんでん返し。
「平和利用を含む核開発計画」から「核兵器計画」へ、凍結は放棄の過程から、単に一時的に原子炉の一部を止めるだけ?
韓国が支援策を出したのが早すぎた?
日米が反発しているので、再逆転あるか?
やはり核が完全に放棄された事を誰かが確認するまで、どんな話も意味が無い。
これは メッセージ 13995 (perusonanongrata さん)への返信です.
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>>北朝鮮はイラクのように
投稿者: mon_mon_mon3081 投稿日時: 2004/02/27 01:10 投稿番号: [13997 / 44985]
>どういう形であれ、金正日体制はなくすべき。
金体制崩壊後の日本のスタンスを
『事後の復興支援、経済支援、難民受入れの一切の拒否』今のうちから明確にしなくてはいけないな。
今すぐ崩壊しても困るのは我々日本じゃないのか?
これは メッセージ 13975 (rimpac777 さん)への返信です.
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>もう。
投稿者: perusonanongrata 投稿日時: 2004/02/27 00:30 投稿番号: [13996 / 44985]
>パ○エ○
アスピリンのメーカーかな?(^^
これは メッセージ 13993 (leeshi_chosun さん)への返信です.
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6カ国協議
投稿者: perusonanongrata 投稿日時: 2004/02/27 00:29 投稿番号: [13995 / 44985]
相変わらず、手札はブタなのにブラフばっかりですねぇ。
アメリカに張り合ってレイズするのは構わないけど、コールできないだろうに・・・・。
きょうは呑んでいるので、八重七重さんの投稿は明日にでも読ませていただきます。
でも・・・・・・、「みの一つだに
なきぞ悲しき」です。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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>もう。
投稿者: shamisengai 投稿日時: 2004/02/27 00:16 投稿番号: [13994 / 44985]
むずかしいね〜。
わしゃついつい
○ン○ロを当ててしまう。
今日は暖かかったので
・・・・に遭遇。
理性・理性の一日・・・。
これは メッセージ 13993 (leeshi_chosun さん)への返信です.
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もう。
投稿者: leeshi_chosun 投稿日時: 2004/02/27 00:08 投稿番号: [13993 / 44985]
消えたかな。パ○エ○
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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> あらためてご挨拶
投稿者: punsange 投稿日時: 2004/02/26 23:43 投稿番号: [13992 / 44985]
リラさん
代行ご苦労様でした。&確かに受け取りました。<伝言
八重七重さんによろしくお伝え下さい。
嬉しくて一気に読んでしまいました(^^ゞ
もう一度、ゆっくり読ませて頂きます。
これは メッセージ 13990 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
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うわぁ〜
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/02/26 23:41 投稿番号: [13991 / 44985]
ものすごいまちがいをしています。今の今まで、気がつきませんでした。
「李朝孝中間報告」じゃなくて、
「李朝考中間報告」でした。
とっても恥さらしのリラです。(全国に恥をさらした気分)
みなさん、笑ってください。
それでは、今度こそおやすみなさい。
これは メッセージ 13990 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
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あらためてご挨拶
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/02/26 23:31 投稿番号: [13990 / 44985]
あらためまして、ご挨拶と自己紹介を致します。
みなさん、はじめまして。
普段は世界史トピにおります、リラと申します。
このトピのことは、八重七重さんを通じて知りました。かなり前から、ROMしていました。
今回は、長い文章を大量に投稿してごめんなさい。区切りがうまくいかなくて、読みづらかったのではないですか?
これは、私の責任です。
八重七重さんからの伝言です。
>みなさん
元気にしております、とのことです。今回は、拙文をお読みくださったかたがたに深くお礼を申し上げたいとのこと。みなさんにくれぐれもよろしく、だそうです。
>punsangeさん
>kichigo in osakaさん
せっかく暖かい言葉をかけてくださったのに、なにもお返事しないままになってたいへん申し訳なかった、お詫びしておいてほしい、ということです。お伝えしましたね。
>worst human83さん
江戸時代についての考察、逃げるつもりはない、絶対に執り行うからしばし待たれたし、とことです。私も、参戦させていただきますね。そして、「江戸時代考」については、worst humanさんに捧げようということで話がついています。
ところで、歯の具合はいかがですか?
お大事になさってくださいね。
今後もときどき覗かせていただこうかなと思っています。どうかよろしくお願いします。
それでは、みなさん、おやすみなさい。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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李朝孝中間報告(八重七重氏より)10
投稿者: lilasnosakukoro2 投稿日時: 2004/02/26 23:05 投稿番号: [13989 / 44985]
それでは、以下参考文献を記することで、本稿を閉じることとする。
○世界の教科書シリーズ1
【新版】韓国の歴史
明石書店
○朝鮮の歴史と文化
武田幸男
放送大学教材
○朝鮮王朝実録
朴永圭
新潮社
○物語
韓国史
金両基
中公新書
○両班
宮嶋博史
中公新書
○韓国の族閥・軍閥・財閥
池東旭
中公新書
○朝鮮
金達寿
岩波新書
○日韓歴史の理解
金容雲
白帝社
○朝鮮王朝後期史研究
西川孝雄
風媒社
○朝鮮から見た華夷思想
山内弘一
世界史リブレット
山川出版社
○朝鮮紀行
イザベラ・バード
講談社学術文庫
○朝鮮事情
シャルル・ダレ
東洋文庫
平凡社
○朝鮮幽囚記
ヘンドリック・ハメル
東洋文庫
平凡社
○朝鮮の悲劇
F・A・マッケンジー
東洋文庫
平凡社
○「日帝」だけでは歴史は語れない
呉善花
○韓国
堕落の2000年史
崔基鎬
祥伝社
○日韓併合の真実
崔基鎬
ビジネス社
○日韓・歴史克服への道
下條正男
展転社
○日本外交官、韓国奮闘記
道上尚史
文春新書
謝意
本稿執筆の最初の動機を与えてくださったのは、gogai3000氏である。感謝申し上げたい。
しかしながら、本稿を書き進める上で念頭を去ることのなかった人物が御二人存在する。sunday7227氏と、Irani2002氏である。御二人の御名前を列挙することには、違和感を持たれる方もあろうし、御自身達もまた、不審を抱かれるかもしれない。しかし、御二人は私にとって、依然本トピにおける二つの巨星である。よって、本稿を御両名に捧げる。
(yaenanae01記す)
これは メッセージ 13988 (lilasnosakukoro2 さん)への返信です.
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李朝孝中間報告(八重七重氏より)9
投稿者: lilasnosakukoro2 投稿日時: 2004/02/26 23:03 投稿番号: [13988 / 44985]
現在のところ、これこそが決定的理由であるとするに足る説を、私は持っていない。これらが主な原因なのではないか、と考えているものを3つ挙げるに留めたい。
1:正祖(在位1776〜1800年)時代あたりから顕著になる、身分制度の大幅な動揺・弛緩。『世界の教科書シリーズ1
【新版】韓国の歴史』に記載された棒グラフで、大邱地方の分別人口変動が示されている。1690年には9.2%だった支配階級両班が、1729年には18.7%、1783年には37.5%、そして1858年には実に70.3%とという、脅威的な数字を示す。大邱地方の大半が、数々の免税対象となる両班ということになるのである。(註:全国的にも同様であったと思われる)この動きは、厳密に区分されていた身分制度が緩み、両班の下の階級である常民層から、様々の手段で両班へと身分の上昇を果たした人々がいたと読み取られるだろう。また、同様の動きは、奴婢から常民への移動にも見られ、1729年には26.6%だった奴婢階級のパーセンテージが、1783年には5.0%にまで激減している。
おそらくは、反乱という危険な賭けに出るよりも、もっと着実に上の階級に昇る道筋を辿ることを、李朝支配下の人々は選んだのではないだろうか。(註:主な手段は、金銭による、上層身分の取得だったようだ。期を同じくして、両班層の経済的停滞・没落が始まっていた。『両班』
宮嶋博史著参照)
2:壬辰倭乱、丁卯・丙子胡乱という異民族の侵略とその対応により、朝鮮民族のナショナリズムが高まった。この2つの外側からの圧力は、李朝体制のほころびと劣化に対する人々の不満のエネルギーを、霧散させてしまった。
3:中国で、漢民族の王朝明から異民族(いわゆる夷狄)の満州族の王朝清が成立した。このため、儒教の教えを奉ずる官僚達やその予備軍たる地方両班達に指導された朝鮮では、自らこそが普遍的な価値を持つ中華文明の真の継承者であるとの「小中華思想」が広まることとなる。これが、人々に、李朝の支配を実態以上に尊ばせることに繋がった。
かくして、李朝体制は、劣悪の度合いを増しながらも反乱を経験しないという、稀なる歴史を展開することとなったのであろう。
《後書き》
以上が、現時点で私が語り得る李朝の歴史と、それに対する私見である。
さて、今後行うつもりである作業について触れておきたい。
<2>李朝は、高麗朝を倒して創設された王朝である。李朝の体制が、崔基鎬氏が述べるように「理不尽な」「おぞましい」ものであったとするならば、それが李朝に特化すべきものなのか、或いは高麗朝にも通じるものなのか、を、探る必要があろう。逆にいえば、高麗朝から李朝へと移行した時に、朝鮮半島の住民達は何を得、何を失ったかを考察してみなければならない、と判断する。
<3>李朝、あるいは朝鮮半島全史を通じて、中国と中華文明の影響は抜き去りがたい要素である。であるならば、それが朝鮮半島独自のものなのか、あるいは、中国の影響を受けた地域には同じような現象が見られるのかを、探索してみたい。その例として、ヴェトナム史を取り上げる予定である。
<4>では、翻って、同時期の我が国ではどのような動きが見られたのかを検討しないでは、公平性を保ったとはいえまい。よって我が国、特に江戸時代の社会について考察する。
これは メッセージ 13987 (lilasnosakukoro2 さん)への返信です.
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李朝孝中間報告(八重七重氏より)8
投稿者: lilasnosakukoro2 投稿日時: 2004/02/26 23:01 投稿番号: [13987 / 44985]
これらの西欧人達の記述からは、彼らが目にした李朝社会について、農業的にも商業的にもゆとりのある、安定したものと思うことは出来ない。なるほど、ハメルが目にした17世紀後半から、ダレが扱った19世紀後半までには、18世紀という期間が抜けている。だが、17世紀後半がハメルが言うような飢饉が続発し、度量衡が恣意的に用いられている社会であり、19世紀後半がダレ言うところの、道路と運輸機関が不足し、大規模な耕作を妨げてられており、やはり飢饉が続発している社会であるならば、18世紀だけがその状態から免れていた、ということがあり得るだろうか?
そしてこの時代について、金達寿氏は、前述『朝鮮』の中で、「疫病による死者五、六○万を数えたといわれ」たと記している。
以上のような調査から判断して、私は、先の池東旭氏の意見に軍配を上げ、16世紀半ばから19世紀初頭の朝鮮半島は、停滞し、貧しく、混乱していた社会であったと言わざるを得ない。そしてこれが、先に「ほとんど反乱を経験しなかった」時期の、一方の内実であった。
《5》中間的結論
再度掲載しよう。
「こうしてわれわれは三国時代、統一新羅、高麗、李朝と朝鮮の文化・科学をみてくると、それらのいっさいが総合された形でいっせいに開花・発展したのは李朝の初期、一五世紀であったことがわかる」(『朝鮮』)
「朝鮮における最近(註:1860〜70年を指す)三世紀の期間は、ただ貴族層の血なまぐさい不毛の争いの単調な歴史にすぎなかった」(『朝鮮事情』)
これらの見解を否定する材料は、現在の私にはない。いや、「三国時代、統一新羅、高麗、李朝」の「いっさいが総合された形でいっせいに開花・発展した」かどうかはともかく、李朝初期の100年あたりまでが「支配体制の確立期」とするに相応しい、よく統治された時代であったことには同意したい。(註:もっとも象徴的な出来事は、世宗王の訓民正音=ハングル文字の創製であろう)
しかしその後は、壬辰倭乱、丁卯・丙子胡乱という異民族の侵略を受けた動乱・動揺の時代であり、その後に、停滞と貧困の時代がやってくる。そして末期現象としての18、19世紀に至るのである。これが、全体を見渡した上での、李朝の歴史についての私の印象だ。
ここで私は、そもそもの発端を振り返る。李朝期における「反乱」は何回起こったのか。それはどのような背景によるものなのか。(註:洪景来の乱以降を除く)それらに対する表面上の答は得たわけだが、ここで新たな疑問が立ち上る。《1》章で見たように、それらの「反乱」は、ほとんど前半に集中しているのだが、その期間は一方では、李朝体制がまだ持ち堪えていた時期なのである。李朝支配下の人々は、王朝の支配がまだ劣悪度を深める前は反乱を起こしていたが、それがいよいよ深まり始めるとぴたりと口を閉ざすかのように、それを止めてしまった。そして、いよいよ体制が行き詰まり、亡国の色が極まった時期に再び立ち上がったのである。この現象を、どう解釈すべきなのか。
これは メッセージ 13986 (lilasnosakukoro2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13987.html
李朝孝中間報告(八重七重氏より)7
投稿者: lilasnosakukoro2 投稿日時: 2004/02/26 22:55 投稿番号: [13986 / 44985]
次は、やはり先にも触れた、『朝鮮事情』の著者シャルル・ダレである。この人は、カトリックの宣教師としてアジア各地を任地とし、1866年にソウルで処刑されたダウリュイ主教が残した資料を基礎にして、この書を編集した。であるから、この中に記されているのは、ダウリュイを主とするカトリック側からの視点である。
曰く、「この山国では、道路と運輸機関が実に不足し、それが大規模な耕作を妨げている。人びとは、各自の家の周囲とか手近なところを耕作するだけだ。また、大部落はほとんどなく、田舎の人びとは三、四軒、多くてせいぜい十二、三軒ずつ、固まって散在している。年間の収穫は、田舎の需要をかろうじて満たす程度であり、しかも朝鮮では、飢饉が頻繁にみられる」「朝鮮で、最初に山地を開墾したのは、キリスト教徒である。迫害によって、人里離れた奥地に追いやられた彼らは、餓死から逃れるために開墾をはじめた。そして、数年の経験によって、この種の土地にもっとも適した栽培方法を身に付けた。キリスト教徒たちの試みの驚くような成功によって、異教徒たちもそれをまねるようになり、こんにちでは多くの山が開墾されている」
3人目は、女性旅行家として有名な、あのイザベラ・バードである。彼女は、1894〜1897年にかけて、4回にわたる朝鮮旅行を行い、『朝鮮紀行』を著した。(註:彼女は当時、結婚してビショップ姓となっていた。しかし本稿では、慣習に従い、イザベラ・バードと記すこととする)バード女史の言では、次のようになる。
「ソウルから漢江を五〇里上がったところにある村々は、すべて『農村』と形容できる。もっと下流では、日銭を稼ぐために大量のたきぎと炭を移出し、そのためその近隣では燃料として使える木が棒切れ一本なくなっていしまっている。特別な産業はなにもない。(中略)
人々は最も厳然たる意味での小作農で、その大半は両班から土地を借りている。貸すか貸さないかは両班の心しだいである。地主は収穫のあと小作農を解雇できる権利があるものの、これはさほど厳しくは実行されていないらしい。地主は種を用意し、収穫の半分を受けとる。農民のなかには土地を買いとり、権利書を得る者もいる。一八九四年に農民は一日当たりの耕作分に基づいて年貢を支払った。麦、豆、米、綿といった作物の種類によってその額は異なった。しかし土地の評価額に基づいて年貢を徴収する新しい制度が導入され、取りたて側が『搾り取る』のはずっとむずかしくなってきている。貨幣はほとんど流通しておらず、取り引きは物々交換、もしくは農民が労働で支払う。(中略)
貧しさを生活必需品の不足と解釈するなら、漢江流域の住民は貧しくない。自分たちばかりか、朝鮮の慣習に従ってもてなしを求めてくる、だれもかれもを満たせるだけの生活必需品はある。負債はおそらく全員がかかえている。借金という重荷を背負っていない朝鮮人はまったくまれで、つまり彼らは絶対的に必要なもの以外の金銭や物資に貧窮しているのである。彼らは怠惰に見える。わたしも当時はそう思っていた。しかし彼らは働いても報酬が得られる保証のない制度のもとで暮らしているのであり、『稼いでいる』とうわさされた者、たとえそれが真鍮の食器で食事をとれる程度であっても、ゆとりを得たという評判が流れた者は、強欲な官吏とその配下に目をつけられたり、近くの両班から借金を申しこまれたりするのがおちなのである」
最後は、『朝鮮の悲劇』の著者F・A・マッケンジーに登場してもらおう。彼は、日韓併合後の反日運動に同情的な言説を記しているが、その彼が同じ『朝鮮の悲劇』のもっと以前の時代について、以下のように綴るのだ。
「ある朝鮮の農民が、あるとき私にたずねた。『私が、なぜ、もっと多くの穀物を栽培し、もっと多くの土地を耕作しないのかって?』『なぜ、私はそうしなければならないというのか?
より多くの穀物収穫は為政者のよりひどい強奪を意味するだけなのに』「(ソウルの)立ち並ぶ店みせの店頭には、質のよくない真鍮器具や油紙、食料品などがいっぱいならべてある。朝鮮は事実上工業生産国ではないからである」
これは メッセージ 13985 (lilasnosakukoro2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13986.html
李朝孝中間報告(八重七重氏より)6
投稿者: lilasnosakukoro2 投稿日時: 2004/02/26 22:51 投稿番号: [13985 / 44985]
☆投稿制限か掛かりましたので、lilasnosakukoro2として投稿を続けます。リラ本人です。(笑)
『朝鮮半島実録』は「第十六代
仁祖実録」に言う。
「『丙子胡乱』で朝鮮は、『壬辰倭乱』以後、多少とも修復していた国家紀綱と経済状態とがさらに悪化し、民生の疲弊で民衆からは飢えなどによる恨みの声が高まった。その上、仁祖は三田渡で味あわされた屈辱を耐えることができないまま、反清の色をさらに濃く現す一方、滅びつつある明に対する事大路線を一層強化させた」
また、先のヘンドリック・ハメルも、『朝鮮幽囚記』で、
「オランダ人ヤン・ヤンスゾーン[ウェルテフレー]は、タルタル人(女真族)が氷を踏んでやって来てこの国を占領した時に、多くの人々が森の中で縊死していたと私たちに語りました」
と述べている。
前述の時代区分、「成宗1年(1470)から宣祖41年(1607)までが中期で支配体制の動揺期、光海君1年(1608)から哲宗11年(1860)までが後期で支配体制の解体期(再編期)」のちょうど中間で、李朝とその支配する朝鮮半島は、激動の期間を迎えていたのである。ではそれらの後、1636年の丙子胡乱から1811年の洪景来の乱までの間(「支配体制の解体期(再編期)」に相当する)は、いかなる社会情勢であったのだろうか?
《4》李王朝後期の社会
この16世紀半ばから19世紀初頭の朝鮮半島の状態に関しては、2つの見方が存在しているようだ。
一つは、孝宗(在位1649〜1659年)、粛宗(在位1661〜1720年)、英祖(在位1724〜76年)らの政治手腕によりようやく辰倭乱から始まった戦争被害から立ち直り、安定期を迎えていた、というもの。これは、『朝鮮王朝実録』の朴永圭氏の立場である。
また、ここまでの高い評価はなされていないが、
「この時期(17世紀後半)には戦乱によって荒廃した農耕地もほとんど復旧され、農法の改良によって生産力も上がった。そして市場の発達と貨幣の全国的な流通によって商品貨幣経済が大きく発展した」
と記す『世界の教科書シリーズ1
【新版】韓国の歴史』もある。
他方では、
「一六世紀から一七世紀にかけ、朝鮮半島は南の日本、北の清から、前後五〇年間四回にわたり侵略され掠奪された。人々離散し国土は荒廃した。貴重な文化財は戦火に焼け灰塵となった。産業も萎縮した。征服者たちは特産物の貢納を強要した。なまじ産業があるから掠奪される。そのため政府は特産物を奨励するどころか、むしろ貢納の口実になるからといって禁止抑圧した。このような状況の下では経済は発展しない。外勢の侵略を恐れて道路も整備しない。かたくなに鎖国をまもり、世界の大勢から逃避しようとした。
同じころ日本では、諸藩が先を争って物産を奨励した。城下町が形成され、参勤交代のため道路も整備された。諸国の物産は全国的に流通した。鎖国といっても長崎から海外情勢が伝わっていた。その蓄積が開国後の日韓両国の発展の差として現われた」(前述『韓国の族閥・軍閥・財閥』)
と記す池東旭氏らの見解がある。
果たして、これら両極端の見方のどちらが、より実態に近いのか。
ここで、4人の現場証人ともいえる人々に登場してもらうこととする。
最初は、先にも登場している『朝鮮幽囚記』の著者ヘンドリック・ハメルだ。彼は、17世紀後半、日本に向けての航海中に朝鮮半島に漂流し、長らく抑留された経験を著書に記した。1660年の記述に、次のようなものがある。
「この年と翌年は雨が降らなかったので、穀物も他の作物もたいへんな凶作でした。1662年も新しい収穫があるまでそれが続き、何千人という人々が餓死しました。街道は追剥ぎのため通行できなくなり、国王の命令によって旅行者の[安全を保つ]ために厳重に警備されました。それはまた道傍で餓死した人々を葬るためでもあり、また、毎日起こる殺人や強盗を防ぐためでした。いくつかの町や村が掠奪され、国王の倉庫は破られて穀物が運び出されました。しかもその犯人は罪人として捕らえられることはありませんでした。というのはそれは大官の奴隷たちによって行われたからなのです。生き延びていた普通の人々の食料はどんぐり、松の樹皮および野草でした」
「国家および商人の使用する度量衡について
それらは全国を通じて同一です。だが一般の人々や小売商人の間ではひどいごまかしが行われます。一般に売手は実際よりも軽く、小さくはかり、買手は実際よりも重く大きくはかろうとします。そして総督たちがいかに厳重に監視しても、それをやめさせることはできません。というのは各人はおのおのの物指しと秤とを使用するからです」
これが、17世紀後半の西欧人の目に映った李朝下の朝鮮の姿だった。
これは メッセージ 13984 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13985.html
李朝孝中間報告(八重七重氏より)5
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/02/26 22:25 投稿番号: [13984 / 44985]
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)は、明軍の出兵で日本側が進軍を阻まれ、更に、朝鮮史上最大の軍事的天才とされる李舜臣の活躍などにより終結する。だが、朝鮮側はこの乱の被害で多大な損害を受け、全面的に立ち直ることは遂に出来なかった、とするのが巷間に流布する通説のようだ。しかし、この説は、またしても私に不可解な感情を与える。年代ばかり列挙して恐縮だが、丁酉再乱(慶長の役)が終わり日本軍が撤収したのは1598年である。繰り返すが、李朝体制が終わりを告げたのは1910年であるから、その間には300年以上の年月が存在しているのだ。300年を持ちながら、李王朝は王国を立て直すことが出来なかったということだろうか?
そしてこの300年間は、前章でほとんど反乱が起きなかった時期、と述べた期間でもある。ほとんど反乱が起きなかったにもかかわらず、300年間日本との戦争がもたらした打撃から立ち直ることが出来なかった程の何か、が、朝鮮半島で起こっていたのだろうか?
それを暗示する文章が、池東旭氏の『韓国の族閥・軍閥・財閥』と『朝鮮王朝実録』に記載されている。
「日本軍の侵略に苦しんだばかりではない。救援軍としてきた天朝軍明兵の暴虐と掠奪も日本兵に劣らなかった。恩に着せて掠奪するだけにもっと質が悪かった」(『韓国の族閥・軍閥・財閥』より)
「また、戦乱の際、明軍が支援した結果として、崇明思想がさらに高まり(後略)」(『朝鮮王朝実録』)
(註:『朝鮮王朝実録』の、「壬辰倭乱が、党派争いによる国力の弱化から生じたとの見方も、当時の朝鮮社会と国際情勢を正確に読み取っていない解釈上の間違いと言えよう」に対し、反論を挙げる。日本軍が圧倒的な速度で進軍することが出来たのには、朝鮮民衆の協力もあった。彼らは、日本軍の案内役をつとめたのである。『宣祖実録』25年5月戍条に、「人心怨叛し、倭と同心」と記されているとのこと。また、平壌の役の折には、明軍が朝鮮側を「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民、焚溺萬餘、尽く皆朝鮮の民」と問い詰めた程に、日本軍には朝鮮の民衆が多く含まれていたそうである。『日韓・歴史克服への道』下條正男著参照)
《3》異民族への屈服――丁卯・丙子胡乱
丁酉再乱(慶長の役)から31年後の1927年、李朝の王位には仁祖があった。
この王は、先王光海君をクーデターで追放し、即位した。その時大義名分とした中に、「大明事大(明に対して服従する)をしなかった」(『朝鮮王朝実録』)というものがある。光海君は、満州を根拠地とする女真族が明を圧迫し、遂には明に変わる王朝清を建国するに至る動きに対応し、『朝鮮王朝実録』の著者朴永圭氏から、実利的かつ現実的と高い評価を受ける外交姿勢を取ったのだ。だが、仁祖と彼を担いだ西人派グループは、明に対する事大主義(註:朝鮮半島史においては、中国の、主に漢民族王朝を敬い服従することを意味する)路線に固執していた。彼らは、明と女真族(まず後金と称する国を建て、明を滅ぼした後、清と改名した)を秤にかける光海君の中立外交を不服として、クーデターを敢行した、というのが朴氏の見解である。(註:『韓国
堕落の2000年史』の崔基鎬氏の見方も、ほぼ同)
だが、仁祖と彼を取り巻く儒臣達は、大きな国難に遭遇することとなる。1627年の丁卯胡乱(後金による朝鮮侵攻)と、1636年の丙子胡乱(清による朝鮮侵攻)である。李朝は結局、抵抗空しく清に屈服し、仁祖は、三田渡(ソウルの漢江沿岸にある渡し場)で清軍に屈服、清と君臣の義を結ぶ。その上で、王子2人を人質として清に送り、清への上納金を毎年納めること、清が明を討つ時には援軍を送ることなどの条約を締結する。こうして、李朝統治下の朝鮮は、清に服属することとなった。(註:この関係は、1895年に日清戦争で清が日本に破れるまで続く)
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李朝孝中間報告(八重七重氏より)4
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/02/26 22:18 投稿番号: [13983 / 44985]
なるほど、518年間もの歴史だ。四分割は当然かもしれない。だが、それでも、1469〜1494年の成宗期すら「中期」に含められることへの奇異の念は、依然消えない。いや、私は、表面的な年数に拘り過ぎるのかもしれない。むしろ、その時代の中身を検討すべきなのだろう。まず、「中期」とされる1470〜1607年の期間に注目することとした。そしてこの時期、李朝統治下の朝鮮半島史上の大事件が勃発していることに気付く。
壬辰倭乱、日本史上で文禄・慶長の役と呼ばれる、豊臣秀吉の朝鮮侵攻である。
『朝鮮王朝実録』は言う。
「そして、壬辰倭乱が、党派争いによる国力の弱化から生じたとの見方も、当時の朝鮮社会と国際情勢を正確に読み取っていない解釈上の間違いと言えよう。なぜなら、宣祖の政治的安定のための努力により、当時の社会は明宗時代に比べて比較的安定した状況だったからだ。そのため、壬辰倭乱の根本原因は朝鮮国内で探すよりも、日本の国内状況で探す方が正しいと思われる」「壬辰倭乱が起こるまでの朝鮮は約二百年間、部分的な外侵を除いては、ほとんど戦争のなかった国だった。そのため、朝鮮全域は、戦争に対する備えを怠ってきた」「文化財の焼失もひどかった。景福宮、昌徳宮、昌慶宮などをはじめとする多くの建築物が焼失し、書籍、美術品などが失われ、略奪された」「
また、17世紀後半、朝鮮半島に漂流し長期間抑留された経験を持つオランダ人ヘンドリック・ハメルは、著書『朝鮮幽囚記』の中で記している。
「信仰篤い人々は、かなり昔のこと、日本人がやって来て、彼等の王を殺し、町や村を焼き払ったり、破壊したりした時に(……)と私たちに語りました」
だが一方、次のような記述を持つ書物もある。
「そんなふうで、ああでもないこうでもないといっているうち(註:秀吉の侵攻が現実のものとなるかどうかを巡り、諸臣の意見が紛糾した事態を指す。その根底には、東人派と西人派の党派争いがあった)に秀吉の急襲をうけたのであったが、もうあとの祭。そのときになってにわかに臨海、順和の二王子を咸鏡道や江原道に派して民兵を募ったが、日ごろの施政が施政であったから、誰も容易に腰を上げはしない。そればかりか、そのときはもう京城をおとされ、国王の宣祖は、さらに小西行長軍に平壌からも追われて義州におちのびるという状態になっていた。二人の王子も、咸鏡道で加藤清正の捕虜になってしまった。
李朝の政治、――代々にわたった彼らの党争がいかに民心を離れていたかは、宣祖が京城をでるときの一事をみてもわかる。敵が京城に迫ると宣祖はただちに北方へ難を避けたが、そのとき都民は乱民となって掌隷院を襲って刑曹(司法省)に火を放ち、公私奴婢の文籍を全部焼き払ってしまった。また、宣祖が平壌から義州へ移るときは、民衆はそれに向かって石を投げつけたりした」(前述『朝鮮』より)
また、例の『韓国
堕落の2000年史』では、次のように記されている。
「李朝の朝廷は、今日の日本と同じように、軍人に対する強いアレルギーに支配されていたのだった。国を防衛するよりも、自国軍の存在を警戒したのだ。そのために、李朝は惨憺たる目にあった。
そこで日本軍を迎え撃つといっても、軍事についてまったくの素人でしかない文官の両班が、訓練を欠いた下級の兵士の群を指揮せざるをえなかった。朝鮮軍は軍としての体裁をなしていなかったから、日本軍の前には烏合の衆でしかなかった。有効な抵抗など、できるはずもなかった。そのうえ、日本軍の動きについての情報の判定も、相変わらず党派の主張によって左右された。
日本軍がソウルに迫ったので、宣祖王の一行は四月二十九日の早朝、驟雨のなか、王宮を後にして、ソウルを脱出した。これは建国から二〇〇年目にして初めての出来事だったが、王宮が空っぽになったために、民衆が王宮のなかになだれ込んだ。奴婢を管理する役所である掌隷院や、警察と裁判所に当たる刑曹を始めとする役所にも放火し、財宝をほしいままに掠奪した。
王の一行が落ちていった開城では、王を迎えるべき役人も、すでに逃亡していた。民衆から失政をなじられ、石つぶてがとんでくるありさまだったからだ。
民衆は、王や権力者が責任観念もなく逃げ出し、無力になったのを知って、日頃押さえに押さえてきた敵愾心を、当然のことに燃えあがらせた。
宣祖王は日本軍に追われて、遠く義州まで落ちのびねばならなかった。そのあいだに朝鮮軍は壊走を続けた。しかし、王座を取り巻いていた権力者たちも、国土が廃墟と化しても、反省するところがなかった。そして、すべきことといえば、宗主国である明に、急いで救援を請願するだけだった。明に防衛をすべて委ねていて、他力本願の属国根性しか持てなかったからである」
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李朝孝中間報告(八重七重氏より)3
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/02/26 22:17 投稿番号: [13982 / 44985]
ここまでお読みくださった方々は、あることにお気付きになっただろうか。それは、以上の反乱のほとんどが、李朝500年の歴史の前半部分に集中している、ということだ。例外は、1728年の李麟佐の乱しかない。これらに、李朝末期の100年間に起こった洪景来の乱以降の幾つかの反乱を加えてたとしても、次のことは言える。
李朝は、前半部分と終末部分以外には、ほとんど反乱を経験しなかった王朝である、と。ならば、518年にもわたるその王朝の大半は、極めて平穏な、安寧に満ちた歴史を展開したのだろうか。だが一方、その王朝が、「理不尽な社会」「おぞましい」などの言葉を、韓国人たる崔基鎬氏から浴びせられているのは先に述べた通りである。これでは、次の疑問が湧くのは当然であろう。
李朝期、特にその中間期とは、如何なる時代であったのか?
《2》「壬辰倭乱」とは、何であったか
李朝の歴史を見る上で、対立する2つの見解を列挙しよう。前者は、それを肯定的に評価しようとする立場。発言者は、『朝鮮王朝実録』の著者朴永圭氏である。
「(『朝鮮王朝実録』を執筆するための)整理作業を進めながら、私をはじめとする多くの人たちが朝鮮時代の社会に対して、非常に間違った視点を持っているということを悟った。言うならば、朝鮮は、私たちが安易に断定しているほどに古臭い社会だったわけではなく、大変な情熱と重みとが内在する深みのある世界だったことがうっすらと分ってきたのだ」
朴氏はこの立場に基づき、自著の中で、李朝時代の政治・社会・文化に対し、出来得る限り肯定的な評価を下している。このような見解は、国定韓国高等学校歴史教科書にも通じる。
この朴氏の見解とは異なる見方を表わす代表として、2つを挙げよう。
「こうしてわれわれは三国時代、統一新羅、高麗、李朝と朝鮮の文化・科学をみてくると、それらのいっさいが総合された形でいっせいに開花・発展したのは李朝の初期、一五世紀であったことがわかる。この時期は老いた高麗にとってかわった李朝のみずみずしい建設期で、その他政治、経済等あらゆるものが上昇期にあったが、しかし、同時にこの時期は李朝のいわゆる勲旧派にたいして、地方の士林が擡頭する時期でもあった。そして一六世紀の、あの熾烈な党争を準備していたのである」(『朝鮮』金達寿著)
「一般に、政治的活気とか進歩、革命といわれるものは、朝鮮には存在しない。人民は無視され、彼らのいかなる意見も許されない。権力を一手に掌握している貴族階級(註:両班層を指す)が人びとに関心を向けるのは、ただ彼らを抑圧してできるだけ多くの富をしぼり取ろうとするときだけである。貴族たちは、いくつかの派閥に分かれ、互いに執拗な憎悪をぶつけ合っている。しかし、彼らの党派は、なんら政治的、行政的原理を異にするものではなく、ただ尊厳とか、職務上の影響力のみを言い争っている大義名分だけのものである。朝鮮における最近(註:1860〜70年を指す)三世紀の期間は、ただ貴族層の血なまぐさい不毛の争いの単調な歴史にすぎなかった」(『朝鮮事情』シャルル・ダレ著)
さてこれから、李朝期に対する評価としてどちらが妥当なのかを検討しなければならない、ということとなろう。そのことを始めるにあたって、手掛かりとなる文言を、私は前記の『朝鮮王朝実録』「第九代
成宗実録」の中に発見した。
「朝鮮中期、政界のもっとも大きな変化は中央政界に士林勢力が進出したことだ」
朝鮮中期。だが、成宗の統治期間は1469〜1494年だ。1392年の建国から、せいぜい100年といったところ。500年間の李朝のうちでは、ようやく1/5を通過したばかりだ。それでもう、「中期」なのだろうか?
王朝開始より100年前後で既に「中期」と位置付けられるのならば、それ以降はいったい何と呼ばれるのが相応しいのだろう?
この疑問に対する一応の疑問は、やがて解けた。李王朝の統治区分は、通常四分割されるらしい。太祖(建国者李成桂)の初年(1391)から睿宗1年(1469)までが初期で、支配体制の確立期とする。成宗1年(1470)から宣祖41年(1607)までが中期で支配体制の動揺期、光海君1年(1608)から哲宗11年(1860)までが後期で支配体制の解体期(再編期)、哲宗12年(1861)から純宗4年(1910)までが末期で朝鮮近代化期と区分される。(註:『朝鮮王朝後期史研究』
西川孝雄著参照)
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李朝孝中間報告(八重七重氏より)2
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/02/26 22:15 投稿番号: [13981 / 44985]
《1》李朝における反乱
1811年の洪景来の乱以前の、李朝期における反乱は、以下の通りである。
・1453年
李澄玉の乱
同年10月、首陽大君は甥である端宗から王位を簒奪し、世祖となった。「癸酉靖難」である。この簒奪に反感を抱いたのが、李澄玉だった。李澄玉は辺境咸吉(鏡)道都節制使であり、また、世祖が王位を奪った端宗を補佐していた金宗瑞の信任を得ていた。この金宗瑞が世祖により殺されたことなどから、反乱の意を固めたらしい。だが、この乱は実らず、李澄玉は殺されてしまう。
・1467年
李施愛の乱
李施愛は世祖に対して乱を起こす過程で、「癸酉靖難」の折活躍し、上記の金宗瑞殺害を実行するなどした韓明カイ(「檜」の木偏をさんずいにした字)を陥れようとした。実際に、韓明カイは一度は失脚する。李施愛の乱は、世祖の統治を揺るがした反乱だった。しかし、結局は平定される
。・1506年
林元宗の乱
李王朝最大の暴君と目される燕山君に対して起こされた、クーデター。(註:林元宗は、人妻である姉を燕山君に暴行された)この事件は、反乱というよりは、燕山君を王位から下ろすために起こされたクーデターとした方が正解であろう。この動きは成功し、燕山君の弟である晋城大君を即位させて中宗とした。
・1559〜1562年
林巨正の乱
林巨正は、外戚政治の弊害が明らかとなった明宗時代に活躍した盗賊で、民衆の間では義賊と目された。下層階級白丁の出身で、当時の両班中心社会に反感を持っていたと記録されている。約3年に渡って各地に出没し、官衙(役所)を襲うなどした。朝廷では、度々追討の軍を差し向けねばならなくなる。1562年にようやく捕らえられ、処刑された。・1589年
鄭汝立の乱
宣祖時代、東人と西人に別れて争っていた士林達の闘争の中で生じた事件。西人に属していた鄭汝立が、東人派に移ったことから、西人派の激しい攻撃を受けた。彼は辞職し、郷里の全羅道鎮安竹島に隠遁する。しかし、彼が仲間を集めて武装し、謀反を企てているとの報告が王になされたため、官軍が差し向けられた。結局鄭汝立が自殺たことから、謀反は事実とされた。またこののち、全羅道は反逆の地と見做され、全羅道出身者の官吏登用が制限されることとなる。
(註:この5年後の159年2、壬辰倭乱こと文禄の役が起こる)
・1594年
宗儒真の乱
・1596年
李夢鶴の乱
「壬辰倭乱」(註:秀吉の朝鮮半島への出兵から起こった戦争をこう総称する)期間中起こった反乱のうち、代表的なもの。
・1615年
申景禧の獄
時の王光海君に対してクーデターを企んだとされる事件で、中心人物と見なされたのが申景禧だった。この時、彼らが光海君に代えて王位に就けようとしたとされたのが、綾昌君。綾昌君はこの事件で流刑にされた後殺害されたが、1618年に成功したクーデターで王となったのは、彼の弟綾陽君(仁祖)である。綾陽君がクーデターを起こした動機こそ、この1615年の事件だった。
・1624年
李カツ(「逞」の右部分を「活」の右部分に置き換えた字)の乱
李カツは、上記仁祖が起こしたクーデターの論功行賞に不満を持っていたとされる。また、別の説では、中国での明朝末期から清の建国に至る間の動乱に対して辺境での備えを行っていた彼に対し、反対派が謀反の嫌疑を掛けた。それに対する自衛から挙兵したともいう。いずれにせよ、この乱は当時の社会に大きな混乱を与え、また、仁祖が侵攻してきた清の軍勢に屈辱的な講和を結ばねばならなくなる国難への前奏となった。李?自身は部下達に殺された。
(註:この後1627年には丁卯胡乱、1636〜37年には丙子胡乱と、李朝下の朝鮮は2度にわたる後金=清の侵攻を受けることになる)
1728年
李麟佐の乱(戊申の乱)
景宗王が1724年に急死したことから、その支持勢力であった儒臣達の一派小論派は、王位を継いだ英祖とその支持者である老論派(註:小論派と対立していた儒臣達)に先君毒殺の疑いを持ち、彼らを除去しようとしていた。小論派の多くが、以前より謀反を画策し1728年に挙兵した李麟佐と、合流した。各地で呼応する動きが相次いだが、最終的には鎮圧される。小論派は勢力を失い、英祖の権力基盤が強化された。
以上が、私が確認することの出来た、「洪景来の乱」以前の李朝期の反乱である。
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李朝孝中間報告(八重七重氏より)1
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/02/26 22:13 投稿番号: [13980 / 44985]
李朝考
文責:yaenanae01
協力:lilasnosakukoro
私がこれから語ることは、一つの物語である。物語とは、無論、フィクションという意味ではない。以下の文面に対し、出来得る限りの責任を負う。解釈の誤り、調査不足等々のご指摘に関しては、誠意ある対応を行うつもりである。であるから、「物語」という言葉に私が込める意味は、最終的には執筆者の判断に基づくストーリーであるということ。そして、読み進んでくださる各位それぞれのストーリーは、また別個に存在するであろう。
<1>500年の王朝
《序文》
私は2003年度末、隣国をかつて統治していた王朝に対して激しく興味を掻き立てられた。そもそもの発端は、加耶大学客員教授崔基鎬氏の著書『韓国
堕落の2000年史』を紐解いたことによるものだった。
同書を読み進めるうちに、私の中に、どうにも納まりの悪い感情が動く。だが、それが何に由来するものかは、すぐには解らなかった。最初は、韓国人の著者が、余りにも自国の歴史を酷評していることに対する違和感か、とも思ったのだ。
曰く、「今日の韓国が病んでいるのは、理不尽な社会であった李朝時代がほとんど改められることなく、そのまま続いているからだ」
そうして崔氏は、李朝時代の暗部を抉り出していく。その支配体制が如何に流血に満ちたものであったかなど、はばかるところがない。きわめて一貫した追求の仕方には目を見張らせられたが、それでも、私の心の中の収まりの悪さの原因は、どうやらそれではないように思われた。
崔氏の筆は、李王朝の上層階級が繰り広げた陰惨な権力闘争を描き出す。父が子を、夫が妻を、主君が忠臣や功労者達を次々に葬り去っていくありさまが展開する。だが、これらを持って、「李朝の社会がどれほど、おぞましいものであったか」(同書より)証明された、と言えるのだろうか?
なるほど、父王が世継ぎの王子の謀反を疑って十分な詮議のないまま処刑するなどの件を読んで、愉快な気持ちにはなれない。(註:仁祖王による昭顕世子の毒殺と、英祖王による荘献世子の処刑)また、いわゆる士林(註:儒教を奉ずる官僚達。士族)達が、儒教的礼のあり方にこだわり、外国人からすれば何故それが大問題なのか頭を捻るしかないような事柄で争い合い、相手方を死に追いやるありさまには、率直に言って唖然とせざるを得ない。
しかし、である。問題とされた中身はともかく、権力抗争自体はどこの社会にでもある話だ。自分の属する国家や民族の歴史の中で一度も権力闘争は存在しなかったと公言出来る人間は、地球上に一人も居るまい。であるならば、王室の骨肉の争いや官僚達の党派争いそれ自体を持って、「李朝の社会がどれほど、おぞましいものであったか」証明されたとは、言えないだろう。私は、権力闘争のすさまじさやその頻度の高さは、しばし脇に置くことにした。その上で、自分の感情について、もっと掘り下げてみた。そうして、ようやく、自らが抱いた不可解さの正体に気が付いたのだ。
反乱についての記述がほとんどない!
1392年に成立した李王朝を、1910年の日韓併合で幕を閉じたとしよう。518年間の存続であったことになる。相当の期間だ。だが、それだけの期間を対象とした『韓国
堕落の2000年史』の李朝部分で、反乱の記述が現われるのは、1811年の洪景来の乱からである。以後は、1862年から各地で始まった農民の反乱(註:壬戌民乱)などの記述が見える。だが、1392〜1811年の間については、貴族階級が起こしたものであれ、民衆の蜂起であれ、「反乱」の記述はない。とはいえ、419年間で一度も反乱が起こらなかった、ということはあり得まい。まして、「李朝の社会がどれほど、おぞましいものであったか」などと、韓国人自身に嘆かせる程の体制であったならば。
李朝500年のうち、19世紀に洪景来の乱が起こるまでの400年間、いわゆる「反乱」は何回起こったのか。それはどのような背景によるものなのか。私が李朝史に対して覚えた最大の興味は、これである。この疑問を晴らすため、私の李朝探索は始まった。そうして、そもそも李朝とは如何なる歴史的存在であったのかを、手探りすることとなっていく。以下が、現時点で得た成果である。
これは メッセージ 13979 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
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李朝孝中間報告(八重七重氏より)前書き
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/02/26 22:12 投稿番号: [13979 / 44985]
はじめまして。
リラと申します。
以前このトピに投稿されていた八重七重さんから原稿をお預かりしておりますので、随時投稿致します。
長い文章となりますが、お許しください。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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>おサルのおケツが赤いのも・・・
投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/02/26 19:23 投稿番号: [13978 / 44985]
>みんな日本のせいだとか。
何か資料がありますか?
出来れば教えて頂きたいのですが。
お返事お待ちしております。
これは メッセージ 13977 (aotadaizo さん)への返信です.
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おサルのおケツが赤いのも・・・
投稿者: aotadaizo 投稿日時: 2004/02/26 19:01 投稿番号: [13977 / 44985]
みんな日本のせいだとか。
まともじゃないね、連中は。
これは メッセージ 13955 (yuhai さん)への返信です.
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>>>>「イヤだ」とは言えない
投稿者: arakantantengu 投稿日時: 2004/02/26 17:01 投稿番号: [13976 / 44985]
これは メッセージ 13955 (yuhai さん)への返信です.
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>北朝鮮はイラクのようにつぶすべき。
投稿者: rimpac777 投稿日時: 2004/02/26 16:30 投稿番号: [13975 / 44985]
賛成!
どういう形であれ、金正日体制はなくすべき。
これは メッセージ 13974 (tattara2000 さん)への返信です.
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北朝鮮はイラクのようにつぶすべき。
投稿者: tattara2000 投稿日時: 2004/02/26 16:23 投稿番号: [13974 / 44985]
北朝鮮はイラクのようにつぶすべきだと思う。イラク以上に非人道的な国だし、危険でもあるから。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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>外務省に願うこと
投稿者: gogai3000 投稿日時: 2004/02/26 12:46 投稿番号: [13973 / 44985]
さっさと憲法を改正して、北朝鮮を叩き潰す位の攻撃力を持たないと、強気に出てドスを効かせてもタダのハッタリにしかならない。
日米安保があるが、日本も独自の攻撃力を持てば、北朝鮮は世界の超大国2国に喧嘩を挑む事になって、発言の効果は在日米軍だけに頼る事に比べれば10倍になる。
侵略戦争を是認するものではないが、21世紀はテロの世紀、国際法も条約も全て無視するテロリスト集団には対抗できないと、無防備では日本は北朝鮮のようなテロリスト集団に乗っ取られる。
これは メッセージ 13972 (yotaro47j さん)への返信です.
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外務省に願うこと
投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/02/26 11:42 投稿番号: [13972 / 44985]
「おっかなびっくり」の日本の交渉姿勢は「お上品」にすぎる。野性味に欠ける。カメラ目線で交渉してるんでないだろうな。
なんで気配りだらけなんだ!
北朝鮮との交渉には田中角栄のような「バーバリズム」がないといけない。「ドス」がきいていないように思う。
相手はなうての「おたずねもの」だ、シェーンのように、高倉健さんのように、最後は一対一の勝負だ。
外務省にそれを願う。
外務省さん、頭がよすぎるのを馬鹿というのだ。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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北朝鮮は最も非人道的体制
投稿者: gogai3000 投稿日時: 2004/02/26 11:31 投稿番号: [13971 / 44985]
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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あさって
投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/02/26 10:37 投稿番号: [13970 / 44985]
>もうあさってですね。
一体私はどうなるのでしょう?
歩るこう、歩るこう
私は元気
歩くの大好き、ドンドン行こう♪
サンデーさん素敵です(オカマのようなセリフ)。
私も負けずに頑張りたいと思います。
掲示板のパスワードが昨日きたので、読み始めたばかりです。
北朝鮮政府の姿勢が変わらない限り、総連は変わらないと私は思ってます。
同じような議論の繰り返しになる、しかし心ある人はいっぱいいると感じました。
済州島の話は面白かった。
では。
これは メッセージ 13969 (sunday7227 さん)への返信です.
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おはやんし
投稿者: sunday7227 投稿日時: 2004/02/26 10:06 投稿番号: [13969 / 44985]
もうあさってですね。
一体私はどうなるのでしょう?
六カ国協議も特に進展なし。
提言の掲示板でも「総連の逆襲」とやらがちらほら囁かれています。
来週はひな祭りですね。
昔の親は「朝鮮人にひな祭りなんて習慣はないのよ」
私にとって3月3日は、ただの「耳の日」でした^^;
今、娘達には雛あられを買ってあげ、夕食はちらし寿司と潮汁を作ってあげてます。
(なんで息子が一番良く食べるんだ?)
これは メッセージ 13968 (yotaro47j さん)への返信です.
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サンデーさん
投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/02/26 09:41 投稿番号: [13968 / 44985]
おはやんし
いよいよ、あさってですね。
ワクワクなさっていることでしょう。
「春よ来い、早く来い
歩き始めたミーチャンが
赤い花緒のジョジョはいて
オンモへ出たいと待っている♪」
でしょうか。みなさんの報告を嫉視しながら待ってます。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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>北朝鮮の子供の現状
投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/02/26 09:30 投稿番号: [13967 / 44985]
>今われわれが何故それらに背を向けず、助けるべきなのか−その当為性と歴史性がここにある。人道主義の精神はむしろ贅沢と言える。いま少しだけ助ければ後日負担しなければならない大金を節約でき、統一の後「あの時、何をしていたのか」と怨まれることもないだろう。
5000ウォン(約500円)の寄付ならば、幼稚園と託児所の子どもを1カ月間食べさせられる。市民たちが積極的に加わってくれることをくれぐれも願いたい。
今、助ければ500円、統一されてからでは天文学的に金がかかるかもしれないから、今のうちにやっとこう。統一はモノスゴク高くつく、という記事ですね。
損得勘定で子供問題を議論するところに、韓国の切実な気持ちがあるのかもしれないが、なんだか私は違和感を感じる。
むごいことになっている子供達の救済を損得勘定で言う。今、韓国の人々はそうしないと動かないのかも知れない、人道主義なんて綺麗事は言ってられないのだろう。
それにしても、なんだか不快な「社説」だな。
これは メッセージ 13956 (abinanamei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13967.html
なにも変わらんよ。
投稿者: anomalocaris149 投稿日時: 2004/02/25 23:42 投稿番号: [13966 / 44985]
何もね。
馬鹿は死ななきゃ治らないとも言う。
総連も北朝鮮も同様。
死ぬまでそのまんま。
残念だがそれが現実。
改革が出来るなんて、お人よしの馬鹿の戯言。
信用する奴の顔が見たい。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13966.html
建設的な話し合いによる解決。
投稿者: anomalocaris149 投稿日時: 2004/02/25 23:37 投稿番号: [13965 / 44985]
北朝鮮と成立する事は、ラクダが針の穴をくぐるよりも困難で、ありえない事だ。
獣どもは打ち据えて、踏みにじり、誰が主人か知らしめるのが妥当。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13965.html
ペルソナさん
投稿者: abinanamei 投稿日時: 2004/02/25 21:31 投稿番号: [13964 / 44985]
>確かに地中に電線を埋め込んだようですが、景観のためではなく、朝鮮戦争中に米軍の空爆によって、送電施設が手酷く破壊されたためのようです。
正確な
情報
お教え頂いて
ありがとうございます。^0^
うろ覚え
アビナナ感謝いたします。
しかし、失策でも
何でも
偉大な
事業と
してしまう
まず、ここからが
根本的な
進歩の
なさですね。
これは メッセージ 13963 (perusonanongrata さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13964.html
>電信柱
投稿者: perusonanongrata 投稿日時: 2004/02/25 20:06 投稿番号: [13963 / 44985]
>そういえば、北朝鮮も(平壌だけかな?)景観重視
とかで
将軍サマの
一言で
電線を
地中に
埋めてしまっていると
聞いた事がある。電力不足に
これが
重なって
老朽化した
電線を
補修するのも非常に困難だとか。
確かに地中に電線を埋め込んだようですが、景観のためではなく、朝鮮戦争中に米軍の空爆によって、送電施設が手酷く破壊されたためのようです。
電線を地中に埋めるためには腐食耐久の強い絶縁素材の使用か、高い強度の側溝の建設と埋設技術が不可欠なのですが、ビニールの原料である石油が人民の命より重要な北ではそういうことができるはずもなく、布製被覆の電線をただの土管に入れて埋めただけなので、破損や漏水等によるロスが酷くてタダでさえ悪い電力事情をより一層悪化させているそうです。
ちなみに、この地中電線化は北朝鮮の「全世界に類を見ない偉大な革命的成果」で、「全世界で初めて全国土地中電線化を達成したのは、首領様を頂く我が偉大な共和国である」とのこと。(笑)
これは メッセージ 13961 (abinanamei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13963.html
地中に埋めて
投稿者: gogai3000 投稿日時: 2004/02/25 19:14 投稿番号: [13962 / 44985]
原子炉をアメリカ人に見せて、ウラン濃縮は肯定したり否定したりしている。
たぶんプルトニウム爆弾の開発にてこずって、ウラン濃縮装置は旧日本軍の地下壕に隠してと言う可能性が有る。
ウラン濃縮装置はやたらエネルギーを食うので重油を何が何でも欲しい、一方アメリカはそれに気がついて、自衛隊と国会図書館に残っている旧日本軍の設備を調査しているとか。
以上は確実な報道もないし、まんざら私の想像でもない。
これは メッセージ 13961 (abinanamei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13962.html
電信柱
投稿者: abinanamei 投稿日時: 2004/02/25 18:59 投稿番号: [13961 / 44985]
>もっと多雨地帯の発展途上国でマネして地下に埋めて、雨が降る度に停電と言うところもある。
そういえば、北朝鮮も(平壌だけかな?)景観重視
とかで
将軍サマの
一言で
電線を
地中に
埋めてしまっていると
聞いた事がある。電力不足に
これが
重なって
老朽化した
電線を
補修するのも非常に困難だとか。
せめて、地上に出てれば
少しは明るい生活が
おくれているかも・・?
何でも
地下に
潜るのは
悪い癖だよ(W
これは メッセージ 13957 (gogai3000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/13961.html
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