北朝鮮

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李朝孝中間報告(八重七重氏より)9

投稿者: lilasnosakukoro2 投稿日時: 2004/02/26 23:03 投稿番号: [13988 / 44985]
  現在のところ、これこそが決定的理由であるとするに足る説を、私は持っていない。これらが主な原因なのではないか、と考えているものを3つ挙げるに留めたい。
  1:正祖(在位1776〜1800年)時代あたりから顕著になる、身分制度の大幅な動揺・弛緩。『世界の教科書シリーズ1   【新版】韓国の歴史』に記載された棒グラフで、大邱地方の分別人口変動が示されている。1690年には9.2%だった支配階級両班が、1729年には18.7%、1783年には37.5%、そして1858年には実に70.3%とという、脅威的な数字を示す。大邱地方の大半が、数々の免税対象となる両班ということになるのである。(註:全国的にも同様であったと思われる)この動きは、厳密に区分されていた身分制度が緩み、両班の下の階級である常民層から、様々の手段で両班へと身分の上昇を果たした人々がいたと読み取られるだろう。また、同様の動きは、奴婢から常民への移動にも見られ、1729年には26.6%だった奴婢階級のパーセンテージが、1783年には5.0%にまで激減している。
  おそらくは、反乱という危険な賭けに出るよりも、もっと着実に上の階級に昇る道筋を辿ることを、李朝支配下の人々は選んだのではないだろうか。(註:主な手段は、金銭による、上層身分の取得だったようだ。期を同じくして、両班層の経済的停滞・没落が始まっていた。『両班』   宮嶋博史著参照)   2:壬辰倭乱、丁卯・丙子胡乱という異民族の侵略とその対応により、朝鮮民族のナショナリズムが高まった。この2つの外側からの圧力は、李朝体制のほころびと劣化に対する人々の不満のエネルギーを、霧散させてしまった。
  3:中国で、漢民族の王朝明から異民族(いわゆる夷狄)の満州族の王朝清が成立した。このため、儒教の教えを奉ずる官僚達やその予備軍たる地方両班達に指導された朝鮮では、自らこそが普遍的な価値を持つ中華文明の真の継承者であるとの「小中華思想」が広まることとなる。これが、人々に、李朝の支配を実態以上に尊ばせることに繋がった。

  かくして、李朝体制は、劣悪の度合いを増しながらも反乱を経験しないという、稀なる歴史を展開することとなったのであろう。

  《後書き》
  以上が、現時点で私が語り得る李朝の歴史と、それに対する私見である。
  さて、今後行うつもりである作業について触れておきたい。
<2>李朝は、高麗朝を倒して創設された王朝である。李朝の体制が、崔基鎬氏が述べるように「理不尽な」「おぞましい」ものであったとするならば、それが李朝に特化すべきものなのか、或いは高麗朝にも通じるものなのか、を、探る必要があろう。逆にいえば、高麗朝から李朝へと移行した時に、朝鮮半島の住民達は何を得、何を失ったかを考察してみなければならない、と判断する。
<3>李朝、あるいは朝鮮半島全史を通じて、中国と中華文明の影響は抜き去りがたい要素である。であるならば、それが朝鮮半島独自のものなのか、あるいは、中国の影響を受けた地域には同じような現象が見られるのかを、探索してみたい。その例として、ヴェトナム史を取り上げる予定である。
<4>では、翻って、同時期の我が国ではどのような動きが見られたのかを検討しないでは、公平性を保ったとはいえまい。よって我が国、特に江戸時代の社会について考察する。
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