北朝鮮

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李朝孝中間報告(八重七重氏より)8

投稿者: lilasnosakukoro2 投稿日時: 2004/02/26 23:01 投稿番号: [13987 / 44985]
  これらの西欧人達の記述からは、彼らが目にした李朝社会について、農業的にも商業的にもゆとりのある、安定したものと思うことは出来ない。なるほど、ハメルが目にした17世紀後半から、ダレが扱った19世紀後半までには、18世紀という期間が抜けている。だが、17世紀後半がハメルが言うような飢饉が続発し、度量衡が恣意的に用いられている社会であり、19世紀後半がダレ言うところの、道路と運輸機関が不足し、大規模な耕作を妨げてられており、やはり飢饉が続発している社会であるならば、18世紀だけがその状態から免れていた、ということがあり得るだろうか?   そしてこの時代について、金達寿氏は、前述『朝鮮』の中で、「疫病による死者五、六○万を数えたといわれ」たと記している。
  以上のような調査から判断して、私は、先の池東旭氏の意見に軍配を上げ、16世紀半ばから19世紀初頭の朝鮮半島は、停滞し、貧しく、混乱していた社会であったと言わざるを得ない。そしてこれが、先に「ほとんど反乱を経験しなかった」時期の、一方の内実であった。

  《5》中間的結論
  再度掲載しよう。
「こうしてわれわれは三国時代、統一新羅、高麗、李朝と朝鮮の文化・科学をみてくると、それらのいっさいが総合された形でいっせいに開花・発展したのは李朝の初期、一五世紀であったことがわかる」(『朝鮮』)
「朝鮮における最近(註:1860〜70年を指す)三世紀の期間は、ただ貴族層の血なまぐさい不毛の争いの単調な歴史にすぎなかった」(『朝鮮事情』)
  これらの見解を否定する材料は、現在の私にはない。いや、「三国時代、統一新羅、高麗、李朝」の「いっさいが総合された形でいっせいに開花・発展した」かどうかはともかく、李朝初期の100年あたりまでが「支配体制の確立期」とするに相応しい、よく統治された時代であったことには同意したい。(註:もっとも象徴的な出来事は、世宗王の訓民正音=ハングル文字の創製であろう)
  しかしその後は、壬辰倭乱、丁卯・丙子胡乱という異民族の侵略を受けた動乱・動揺の時代であり、その後に、停滞と貧困の時代がやってくる。そして末期現象としての18、19世紀に至るのである。これが、全体を見渡した上での、李朝の歴史についての私の印象だ。
  ここで私は、そもそもの発端を振り返る。李朝期における「反乱」は何回起こったのか。それはどのような背景によるものなのか。(註:洪景来の乱以降を除く)それらに対する表面上の答は得たわけだが、ここで新たな疑問が立ち上る。《1》章で見たように、それらの「反乱」は、ほとんど前半に集中しているのだが、その期間は一方では、李朝体制がまだ持ち堪えていた時期なのである。李朝支配下の人々は、王朝の支配がまだ劣悪度を深める前は反乱を起こしていたが、それがいよいよ深まり始めるとぴたりと口を閉ざすかのように、それを止めてしまった。そして、いよいよ体制が行き詰まり、亡国の色が極まった時期に再び立ち上がったのである。この現象を、どう解釈すべきなのか。
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