韓国
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
良い時代となりましたね
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/28 02:34 投稿番号: [3037 / 85019]
嘘が通る時代でなくなった事に、皆様とともに喜びをともにしたいと思います。
戦後色々な時代がありましたが、今や台湾、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンなどに自由に往来できる時代です。
誰しも語り合い、人種を越えて共通の認識がもてるようになってきました。
嘘をつく人々、国があることも我々は今はきちんと、多くのアジアの方々とともに認識しております。
〈インドネシア〉
後の正副大統領・スカルノとハッタは、日本への感謝を表し、インドネシア独立宣言文に日本の皇紀「2605(=西暦1945年)8月17日」で年号を書き入れ署名した。
これを、日・月・年の順に並べた5ケタの数字は、独立を宣言した日として、 いまもインドネシア国民に記憶されている。
独立記念像にも日本兵は並んで立っておりますし、独立戦争の武器類も、日本軍は国際法を無視して引き渡しました。
また、58年に賠償と援助で8億ドルを支払った際には、ハッタ副大統領は“日本軍はインドネシア独立の恩人だから、賠償という名称は不適当だ。独立達成を記念する祝賀金として戴く”と言いました。
〈タイ〉
タイ王国首相
ククリット・プラモード氏
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。この重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決心をされた日である。
われわれはこの日をわすれてはならない」
(55年6月に元タイ駐屯軍司令官で,当時から現地で人気のあった中村明人陸軍中将がタイ王国に国賓待遇で招待された時の言葉)
〈スリランカ〉
51年9月、サンフランシスコ対日講和会議の席上、セイロン代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相(後に首相)の演説。
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望するのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきであり、また、列強の植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」
「我々アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本こそが必要である」と強調。
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そして、やはりインドのパール判事の言葉が今回は輝いて見えますね!
〈インド〉
ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
「要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。 私は28年から45年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。 この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。 その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。 それなのに、あなた方は自分らの子弟に、〈日本は犯罪を犯したのだ〉〈「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ〉と教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。
上記は、酒たまねぎやさんのhp、
http://www.tamanegiya.com/ura.htmlからの引用、抜粋です。
これからも、我々の、そして、日本の誇らしい歴史を語り継ぎましょう!
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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信義なし。
投稿者: anonebikasisugi 投稿日時: 2004/09/28 02:01 投稿番号: [3036 / 85019]
1971年に憲法が廃止され軍部独裁になると、学生によるタノム政権批判が高まっていく。その不満のスケープゴートとして使われたのが、<<国民感情に訴えやすい日本であった。>>
反日感情に訴えやすい理由は?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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タイはおっしゃる通り素晴らしいですね
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/28 01:53 投稿番号: [3035 / 85019]
こんなものもいかがですか?
「タイの現状と海外から見た日本」
バンコクTELLEKE&GIBBINS
法律事務所上級顧問:西野順治郎氏
私が外務省に入り初めてタイに入りましたのは昭和12年です。その当時世界で独立国は60ケ国位でした。
旧制中学で世界の国名を全部暗記させられましたが、今300以上ある国名を全部云える人は無いと思います。アジア独立国では日本、中国、タイの3ケ国だけでした。タイがどの様にして連綿と独立国を維持出来たかと云う事はタイの人達は非常に愛国心が強く、いくら親しい間柄でもタイの悪口を云うと必ずくってかかると云う、これは上下を問わず国民全体に共通しています。
タイは日本と同じく幕末頃から西洋諸国と付合い始めたのですが、日本では陸奥外相らの努力で廃止された不平等条約が私がタイに赴任した当時まだありました。輸入品に対する関税は3%以上取ってはいけないとか外国人が被告になった時に裁判権が無いとか、そんな中で日本は日露戦争に勝って世界の強国になっている。
タイも見習えと云う事で日本に接近し、留学生を送り勉強して帰って、大臣とか陸軍の将軍にたくさんなりました。昭和10年に支店を開設した三菱商事がタイ海軍から軍艦22隻の建造を受注した事もありました。当時日本は満州進出で世界から非難されて、ついに国連を脱退しました。その時に46ケ国の代表が全部日本を非難決議しましたが、タイは棄権して日本に友好を示しました。
しかしアジアでの戦雲が濃くなって来て日本は仏領インドシナに兵を進めました。日本と英国が戦争を始めたらタイは大変な事になるのでタイは永世中立を宣言しました。そこへ日本が真珠湾を攻撃して同時にタイヘ入って行きました。これはタイを占領するのではなく英領ミャンマーや、シンガポールを攻撃する為の通過地点として上陸した訳です。そして日本大使がタイ政府に平和進駐をさせろと申し入れました。タイ政府は閣議を開いて検討し一部の反対意見がありましたが、日本と今戦っても勝てないのでタイの独立を尊重してもらう事を条件に平和進駐を認めました。日本軍がタイに入ったのでスリランカにある英軍基地からバンコク市内が爆撃されました。
当時日本軍はいたる所で戦果を収めていたのでそれにあこがれて日本と軍事同盟を結んで米国、英国に対して宣戦を布告し日本軍と共にミャンマーに進攻しました。ところが18年以後戦況が悪くなって釆て日本は勝てないだろうと思い、日、タイ同盟を結んだピプン総理をパパイオン総理に変えました。その時日本軍の軍費をタイ政府は借款として4年間で19億バーツ与えました。当時のタイ政府の国家予算が年間3億バーツですから大変な金額です。終戦時16億バーツ残っていまして戦後全額返したのは昭和30年代池田内閣の時です。
しかしタイ政府は表ではこの様に日本軍に協力しながら、戦争に負けた場合を考えて駐アメリカ公使を通じて自由タイ運動(地下抗日運動)を組織して日本軍の動向をアメリカに教えていた為に戦後連合国から厳しい取扱を受けないでいち早く国連に復帰しました。この様にしたたかな外交を駆使して自国を戦場とせず独立を守った訳であります。
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タイは、チュラロンコン王以前にも中国、ビルマ、マレーなどに囲まれ、国境線の維持、王国の独立、国民の安寧の維持には常に腐心してきました。
経済でも、一カ国が突出することを巧みに避けますね。
そのため、アジアをはじめ、東欧、北欧などでも外交官がタイ王国のあり方をお手本に教材とするケースが多いのです。二次大戦終結時の対応でも、巧みに自国への被害、自国民への負担は発生せぬように政府が慎重に人選(英米留学出身者のみ)して事にあたらせるなど、アジアにしては珍しいほど用意周到です。
相対する方も米英、日本、マレーシアなど、色々あっても、おおよそタイには悪感情を持ちません。駐留する武官、外交官、民間人もおしなべてタイを嫌う人にも会ったことがありません。このあたりが嫌われる一方の中国、朝鮮などと違うところです。なかなかうまいのですよ。
英国ではアジア各国の中で最も外交に秀でている国と評価されています。
また、タイ側もシンガポールとは感情的な問題を引き起こすこともありますが、特定の国に嫌悪感を強く表すことは希です。
多宗教、多民族、多言語、経済規模も大きくはなく、回りは難しい国が多いにもかかわらず、しかし、うまく外交と国を運営してきていますね。
私は、日本や韓国も、特に外務省関係者は、大いにタイを見習うべきだと思いますが。いかがでしょうか?
これは メッセージ 3033 (anonebikasisugi さん)への返信です.
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崔殿・○○殿へ
投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2004/09/28 00:53 投稿番号: [3034 / 85019]
崔殿へ
○○殿がお尋ねのこと。
ぜひレスしてあげてほしい。
お忙しいとは思うが、崔殿のお考えを聞かせていただきたい。
同じように思っているだろうROMしている多くの日本人のために。
○○殿へ
差し出がましい口で申し訳ない。
ただ、「韓国の良いところ」というと漠然としすぎている。
たとえば、崔殿が韓国文学や東洋哲学の話をしたとしても、
○○殿に興味がなければあまりピンとこないじゃろう。
○○殿がご興味がある分野について聞いてみたらどうじゃろう。
これは メッセージ 2982 (marumaruahooooo さん)への返信です.
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美化、捏造しすぎ。5ータイの二枚舌
投稿者: anonebikasisugi 投稿日時: 2004/09/28 00:45 投稿番号: [3033 / 85019]
1941年12月8日に太平洋戦争が始まると、日本の快進撃に伴ってピブンは次第に対日協力へと傾き、12月21日には日・タイ同盟が結ばれ、翌年の1月25日には英・米に対し宣戦布告をすることになる。しかし日本軍が不利になるにつれてピブンへの信望も薄れ、1944年にピブン内閣は総辞職、アパイウオン内閣が発足し、プリディー摂政が最大実力者となった。プリディーは、内閣に対日協力を続けさせる一方で、日本が敗れたときのために自由タイの活動を推進した。自由タイは1941年12月8日に駐米公使セーニー・プラモートが結成したもので、米・英への宣戦布告はタイ国民の意思ではないとする抗日地下組織で、1943年2月にタイ国内で正式に発足した。日本が無条件降伏するとプリディーは、対英・米宣戦布告の無効を宣言、アパイウオン内閣は対日協力の責任をとって総辞職するが、自由タイの活動が評価され、この宣言は連合国側に認められることになる。そのため、各国と結ばれた終戦協定において、タイは敗戦国とされずにすむことになる。
1971年に憲法が廃止され軍部独裁になると、学生によるタノム政権批判が高まっていく。その不満のスケープゴートとして使われたのが、国民感情に訴えやすい日本であった。1970年代には、日本の経済進出に対して日本商品ボイコット運動や、福田首相訪タイ時には民衆デモも起こった。そして1973年10月14日、学生デモと官僚の間に流血事件「血の日曜日」事件が起こり、タノム内閣は総辞職することになる。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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ゆっくりお聞きしよう
投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2004/09/28 00:42 投稿番号: [3032 / 85019]
>これも個別の問題に摩り替えていますよ。
ここが分からんのじゃよな。
「摩り替える」ということであれば、
「本来○○であるべきことを××と摩り替える」
ということだと思うんじゃ。
(例:「本来、乱脈経営を俎上にすべき朝銀問題を差別に摩り替える」)
>かの国での体験だと前に言ったでしょう?
フムフム。
よほどイヤな目にあったのか。
イヤな内容については聞かない。
わしはそれほどメンタリティーのない人間ではない。
>どうしても共生が進まざるを得ないというのは、
>私の考える日本人の思考から1000歩も遠いのです。
この文章は正しい。
なぜなら「私の考える」という限定が付いているからじゃ。
>名古屋さんが同胞を弁護すればするほど、
>少なくともここでは皆の気持ちが離れていく・・・どうしてかな?
わしは日本人なんだがなあ(^^;
皆の気持ちはわからないが、わしに賛意を示す投稿はこの韓トピでは少ない。
これはわしのまとめでも書いたことだが、反省すべき点なんじゃ。
韓国に反発する人々を一緒くたに「嫌韓派」と考えてしまった。
実際はそれぞれ事情があり、程度も違う。
98殿の場合は「正義感」がキーワードだと分かった。
石井殿の場合にはまだわからない。
石井殿と対話しながら、ゆっくりお聞きしよう。
これは メッセージ 3021 (koibitonoirumachikado さん)への返信です.
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ありがとう
投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2004/09/28 00:40 投稿番号: [3031 / 85019]
>また、独特の厭らしさで言い返すかな?
>感情的だとか言い返すのでしょうね?
それはない。
わしは二度負けるわけにはいかんのじゃ。
>でも、何でこんなによくご存知なのですか?
>ハンドルネームのローマ字から、かの国の人の漢字名がすぐに発想できるというのも
>日本人なら驚異的で、スーパーマン的教養ですが?
韓国は姓が非常に少ない。
「金(Kim)」、「李(Lee)」、「朴(Park)」、「崔(Choi)」、「鄭(Chong)」の五大姓ぐらいは、
簡単に覚えられるんじゃ。
>皮肉でなく褒めているのだと受け止めてくださいね。
素直に受け止めよう。
ありがとう。
これは メッセージ 3019 (koibitonoirumachikado さん)への返信です.
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すごいお汁粉
投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2004/09/28 00:40 投稿番号: [3030 / 85019]
これは メッセージ 3005 (chopper8111362 さん)への返信です.
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美化、捏造しすぎ。4
投稿者: anonebikasisugi 投稿日時: 2004/09/28 00:31 投稿番号: [3029 / 85019]
更に現地人に対しては、日本軍に対する信頼関係をもたすようにさせて、独立運動の如きは起こさせないようにするのだ、ということを大本営政府連絡会議で決めています。つまり具体的な方針は、独立運動をさせないのだ、物を取ることが目的なんだ、ということをはっきり謳って戦争を始めた訳です。
(日本皇軍の強盗目的証拠資料)
>>【資料1】1941年12月20日大本営政府連絡会議決定の「南方占領地行政実施要領」<<
第
―
方
針
占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実施シ、治安ノ恢復、重要国防資源ノ急 速獲得及作戦軍ノ自活確保ニ資ス占領地域ノ最終的帰属竝ニ将来ニ対スル処理ニ関シテハ別ニ之ヲ定ムルモノトス
第
二
要
領
七、国防資源取得ト占領軍ノ現地自活ノ為民生ニ及ボサザルヲ得ザル重圧 ハ之ヲ忍バシメ、宣撫上ノ要求ハ右目的ニ反セザル程度ニ止ムルモノトス 八、現住土民ニ対シテハ皇軍ニ対スル信倚観念ヲ助長セシムル如ク指導シ、其ノ独立運動ノ如キハ過早ニ誘発セシムルコトヲ避クルモノトス
【資料】1941年12月26日決定の「占領地軍政実施ニ関スル陸海軍中央協定」
陸軍ノ主担任区域
香港、比島、英領馬来、「スマトラ」、「ジャワ」、英領「ボルネオ」、「ビルマ」
海軍ノ主担任区域
蘭領「ボルネオ」、「セレベス」、「モルッカ」群島、小「スンダ」列島、「ニューギニア」、「ビスマルク」諸島、「ガム」島
【資料】1941年12月12日閣議決定の「南方経済対策要綱」
甲地域
軍政を実施する占領地(比島、英領馬来、英領ボルネオ、蘭印)
乙地域
現地政権と共同する地域(仏印、タイ)南方資源を中央の物動計画に織りこむことを主とする
【資料4】1943年5月31日御前会議決定の「大東亞政略指導大綱」
六、ソノ他ノ占領地域ニ対スル方策ヲ左ノ通リ定ム。但シ(ロ)(ハ)以外ハ当分発表セス。
(イ) 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給地トシテ極力コレカ開発並ヒニ民心把握ニ努ム。
(ロ) 前号各地域ニオイテハ原住民ノ民度ニ応シ努メテ政治ニ参与セシム。
(ハ) 「ニューギニア」等(イ)以外ノ地域ノ処理ニ関シテハ前二号ニ準シ追テ定ム。
(ニ) 前記各地ニオイテハ当分軍政ヲ継続ス。<<
これは メッセージ 3028 (anonebikasisugi さん)への返信です.
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美化、捏造しすぎ。3
投稿者: anonebikasisugi 投稿日時: 2004/09/28 00:28 投稿番号: [3028 / 85019]
「敗戦後、連合国からインドネシアの日本軍に「無条件降伏と現 状維持」という指令が出て、日本への帰国が軍の任務となった。し かし、アジア諸国を独立させるための戦争を信じていた兵士や、イ ンドネシア人女性との間に子供をもうけた兵士らは帰国に反対し、 約2千人が日本軍を離脱してインドネシア軍に入った。>>独立を助け たという実態は、離脱した兵士個人の意思で行われたもので、日本 の国家意図とまったく関係ない。サンフランシスコ講和条約会議上、 インドネシアの外務大臣は公式に「400万人の人命が失われた」 と発言した。<<多数のインドネシア人を殺しておいて独立を助けたと いうことはあり得ない。脱却派の主張は事実の前に否定される」
これは メッセージ 3027 (anonebikasisugi さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/4z9q_1/3028.html
美化、捏造しすぎ。2
投稿者: anonebikasisugi 投稿日時: 2004/09/28 00:25 投稿番号: [3027 / 85019]
インドネシアでも虐殺に狂奔する日本皇軍
連合軍の反撃の前にインドネシア住民が連合軍に通じているのではないかと疑心暗疑になった日本軍は、ポンティアナ事件やババル島事件のような住民虐殺を引き起こしていった。ボルネオ島西海岸のポンティアナでは、独立国家建設を計る抗日陰謀事件だとして、一九四三年から翌年にかけて約一五〇〇名を検挙し、処刑した。チモール島の東のババル島では、食糧やタバコの強制的な供出を強いられ、横暴な日本軍に耐えかねた島民が蜂起し、山に立てこもった。日本軍の呼びかけに山を下りてきた島民を日本軍はまとめて射殺した。犠牲者は七〇〇人とも四〇〇人とも言われている。日本軍の過酷な占領に対する激しい抵抗も次々に起きた。その代表的な事件が、一九四五年二月に起きたブリタル(東部ジャワ)の郷土防衛義勇軍による反乱である。日本軍による食糧やロームシャの厳しい徴発、横暴な態度に怒ったブリタルの義勇軍が反乱を起こしたが、数日後に日本軍に鎮圧された。>>日本軍に訓練されたこの義勇軍の反乱はインドネシアでは高く評価されている。反乱の指導者スプリヤディは行方不明になったが、その栄誉を讃えて独立したインドネシア共和国の初代国防大臣に任命された。<<このように日本軍の支配の矛盾が各地で噴き出していった。
日本軍の下で独立の準備を進めていたスカルノなどの指導者は日本の敗戦後の八月一七日に独立宣言を発表し、オランダとの独立戦争に備えることになる。
インドネシアのあるジャーナリストは次のように言っている。「日本人の中には、いまだにインドネシアの独立は日本の援助によってなされたのだ、と公言してはばからぬ人がいる。違う!私達は自ら闘ったのだ。あらゆる障害と闘って、独立を克ち得たのだ。」(ヘラワティ・ディア)
これは メッセージ 3026 (anonebikasisugi さん)への返信です.
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美化、捏造しすぎ。
投稿者: anonebikasisugi 投稿日時: 2004/09/28 00:20 投稿番号: [3026 / 85019]
南京大虐殺事件(一九三七年十二月初め〜一九三八年二月末)
>>当時外務省東亜局長だった石射猪太郎の日記「上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼之れが皇軍か」(1938・1・6)とある。
一九四二年一月に全権大使として南京に赴任した重光葵も「南京事件の実相を知るに及んで、我軍の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった」と回想している。
旧内務省警保局『出版警察法』(復刻出版)によれば、南京事件の報道を理由に発売禁止にした外国の新聞・雑誌のリストが膨大に記録されている。南京事件はリアルタイムで全世界に報道され、アメリカの公文書館にも、南京大使館発の膨大な資料が保存されている。<<
「南京市の人口は不明だった」といった類の住民虐殺数の過少話が右翼によって急に宣伝され始めたのが証言当事者が少なくなって来た昭和の終わりからである。。南京市は城内と城外に分かれ当時の人口は両者で約四、五十万人だった。また「三十万人」には非戦闘員だけでなく、中国軍の戦闘兵、後方兵、雑兵、軍夫などの相当数が含まれている。
市民と中国兵十五万人を合わせた当時の南京市全体での人口はおよそ六〜七十万人というのが事実に近い。(『南京大虐殺否定論一三のウソ』)
南京市に雪崩れ込んだ日本皇軍は30万人の市民を虐殺した。
奴隷のように駆り立てられ軍人だけで230万人もの若者が満足に食べる物さえ与えられず侵略殺人に追いたてられ無残に殺された。
その日本皇軍の実態。
餓死が多かったガダルカナル島、ニューギニア、メレヨン島(現ウォレアイ島)などの南洋諸島などをはじめフィリピン、タイ、中国大陸など、ほぼ全地域にわたって戦線や作戦ごとに現存する軍資料や幹部の証言録、戦後の戦没者調査などを基に死因別の死者数(一部推計を含む)を数え5月24日に出版された藤原彰教授の研究結果「餓死(うえじに)した英霊たち」(青木書店)は人間を虫けらのように扱った日本という国家の強固な奴隷制度を暴いている。無残である。アジア太平洋戦争で死亡したとされる日本軍軍人・軍属約230万人のうち、約6割にあたる約140万人の死因は戦闘による狭義の「戦死」ではなく、栄養失調による病気や飢えだった。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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なるほど
投稿者: koibitonoirumachikado 投稿日時: 2004/09/27 23:42 投稿番号: [3025 / 85019]
やはり李氏朝鮮の拷問でしたか?
他にも中国人兵士が同じ中国人の族を押し切り器のようなもので首をねじ切っている場面を、日帝によるウリナラの処刑場面と紹介しているものも何処かで見たような記憶があります。
戦前のことなど知らない私が見ても、どう見ても日本の軍服に見えない服を纏い、どう見ても日本人に見えない軍人が、どう見ても日本人にも韓国・朝鮮人にも見えない捕虜の首を切っていました。
それに、日本軍なら押し切り器など使わず日本刀で首を切るはずだし、そもそも日本と韓国は戦争などしていないのだから、捕虜など発生するはずがないのですが?
何が何でも日本を悪者にしたいかの国では、いたるところで歴史捏造のオンパレードですね。
これは メッセージ 3023 (umebosipuzzle さん)への返信です.
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お尋ねします
投稿者: koibitonoirumachikado 投稿日時: 2004/09/27 23:29 投稿番号: [3024 / 85019]
「非情城市」は韓国の済州島事件と同じく台湾での時の政権(国民党兵士)による台湾人虐殺事件を扱った映画ですね。
確か2・28事件?
この映画を以前から見たいと思っていたのですが、どこで見ることができますか?
これは メッセージ 3011 (chopper8111362 さん)への返信です.
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>>今テレビで日本の高校生に
投稿者: umebosipuzzle 投稿日時: 2004/09/27 23:25 投稿番号: [3023 / 85019]
残酷な拷問は李氏朝鮮の十八番。当時の日本は朝鮮人を憲兵や警察
の補助員として使っていた。罪人の取り調べは、言葉の解る朝鮮人
の仕事。蝋人形の拷問は朝鮮特有のものであることから、朝鮮人を
拷問しているのは朝鮮人というのが本当のところだ。
まあ、日本側も見せしめのために関与・放置したのかもしれないが…。
罪人というのはもちろん一般市民ではなく、義兵と偽る盗賊や親日
派の韓国人を襲う反体制派など。
いずれにせよ、拷問を廃止したのは日本総督府だ。
日テレは韓国の嘘に付き合う、クズだ。
これは メッセージ 3012 (hdcrt54 さん)への返信です.
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私の感想です
投稿者: koibitonoirumachikado 投稿日時: 2004/09/27 23:24 投稿番号: [3022 / 85019]
悲惨な韓国での旅行体験と異なり、他の多くの人と同じように私も台湾では、随分親切にしてもらいました。
山の中で道に迷っている私をバス停のところまでわざわざ案内してくれたり、いたるところで親切にしてもらいましたね。
同じ状況で似た顔立ちなのに、どうしてかの国の人とこうも違うのかと感慨深かったですね。
かの国で良い人には1人もめぐり合わなかった私ですが、想像として実は日本統治時代が良かった、あるいは良かったとまで言わなくても、青春時代ともにした学友や恩師に深い慕情を感じている人は、いかに非道なかの国でも、いるはずだと思います。
ただ、それが公の席やおおっぴらなところでは言うことが憚られるようなどうしようもない民族の体質というものでもあるのではないでしょうか?
これは メッセージ 3020 (oyajiisama さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/4z9q_1/3022.html
?
投稿者: koibitonoirumachikado 投稿日時: 2004/09/27 23:13 投稿番号: [3021 / 85019]
これも個別の問題に摩り替えていますよ。
自分を非難するなら挙証責任は、そちらにある・・・この台詞はよく聞く台詞ですね。
個人の言ったことの責任は個人に追求すべき?
かの国での体験だと前に言ったでしょう?あの凶暴な連中を前に、私が1人でかの国の責任追及?自殺行為だ!!
それとも、あなたが屈強なボディガードでも雇ってくれるとでも言うのですか?
不可能なことを言うのはおよしなさい。あなた方は、いつもそうやってかわすのです。
どうしても共生が進まざるを得ないというのは、私の考える日本人の思考から1000歩も遠いのです。
どうしても、必ずかの国寄りになる。
でも、ここであなたを支持する日本人は見かけられない。
名古屋さんが同胞を弁護すればするほど、少なくともここでは皆の気持ちが離れていく・・・どうしてかな?
これは メッセージ 2989 (nagoyan_2shiki さん)への返信です.
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「日本時代』『日帝時代』
投稿者: oyajiisama 投稿日時: 2004/09/27 23:04 投稿番号: [3020 / 85019]
台湾の『日本時代』世代の方がたは
本当に自由にはつらつと老後を楽しんでいらっしゃるように思えます、
日本語で堂々と軍歌を歌ったり、
青春時代の思い出のビデオ映画を見たり
(東映のロマンス映画や、チャンバラ映画が多いと聞きましたが)
自分は死ぬまで日本人だとか、日本人になりたかったとか、
政治的な統制を受けずに、自由に口にされているようです
欲しいものは大抵手に入るようですし
日本からの若い旅行者とも活発に交流していらっしゃるようです。
その自由は、彼等が自身の手で勝ち取られたものなのでしょうね。
粛正や戒厳令のさなかにでも、日本時代を生きたことに誇りを持ち
反日教育を受ける子や孫に、真実を伝える努力をされてこられた、
その結果として、現在の親日的な国風や、自身の、のびのびした
老後を手に入れられたのではないでしょうか。
個人的に思うところでは
同じ時代を同じように生きられた朝鮮の『日帝時代』世代の方々も
台湾であったであろう、日本人との友情や交流が同じようにあっても
不思議ではなく、心の奥底にあるものは、台湾のお年寄りと
なんら変わらないのではないかと思えて仕方ありません。
(人知れず、陰で交流されている方もいらっしゃるようですが)
人生の終焉に近づくほど、青春時代に思いを馳せるのは
人間の常ですよね、韓国の現状を見ると、
つくずく同情してしまうのですが、そのあたりどうなんでしょうか?
それでも本心として、『日帝時代などいいことなど何一つなかった』
と言われてしまえば、私の妄想で終わってしまいますが、、、。
私達の先達の行為に対して100%肯定することは、できませんが
平和ぼけしても生きられる、今の時代の私達に、
評価する資格があるのかどうか、日々疑問に思っています。
ただひとつ言えるのは、日本も台湾も韓国も、南亜諸国も
それぞれの先達の血や汗や涙の上に繁栄を享受している
ということを、自覚して、感謝しなければいけないと、、、。
知ったような事を書いてしまいましたが
台湾は一度たちよった程度の経験しかなく、ほとんどの情報は書籍や
webサイトなのですが、、、
間違い等ありましたら、ご指摘いただきたく思います。
来年新幹線が開通したら、ぜひ台湾を訪ねようと思っています。
utsukusiikuninihonnさんの投稿大変勉強になります、
これからも楽しみにしています。
これは メッセージ 3006 (utsukusiikuninihonn さん)への返信です.
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?
投稿者: koibitonoirumachikado 投稿日時: 2004/09/27 23:01 投稿番号: [3019 / 85019]
また、独特の厭らしさで言い返すかな?
感情的だとか言い返すのでしょうね?
でも、何でこんなによくご存知なのですか?
普通の日本人には考えられない博識です。
それとも、私のような浅学非才の日本人には理解できないほどの高い教養をお持ちなのでしょうか?
ハンドルネームのローマ字から、かの国の人の漢字名がすぐに発想できるというのも日本人なら驚異的で、スーパーマン的教養ですが?
皮肉でなく褒めているのだと受け止めてくださいね。
これは メッセージ 2988 (nagoyan_2shiki さん)への返信です.
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太極旗の件から!その2
投稿者: toorisugarimono2ban 投稿日時: 2004/09/27 22:47 投稿番号: [3018 / 85019]
こんな旗を掲げる一方で、反日法、朝鮮総督府解体、竹島占領。
ひどい国ですね〜。
その前に、旗直したら?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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39度線分割案?百年前?もうダメ。
投稿者: toorisugarimono2ban 投稿日時: 2004/09/27 22:37 投稿番号: [3017 / 85019]
こんなことがね〜〜。しみじみ。
勉強になりました。utsukusiikuninihonnさん、感謝です!
やっぱ、南だろうが、北だろうが、在日だろうが、日本は関係しない方がイイですね!ほんと、進歩ないな〜〜!
参政権なんてとんでもない。
かかわらないのが一番。
気持ち悪いし、とにかく頭悪すぎるわ!
少しは日本の迷惑考えろって。
あ〜〜〜!日本人に生まれて良かった〜!!
これは メッセージ 3003 (utsukusiikuninihonn さん)への返信です.
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交戦してない国々と講和した国???
投稿者: toorisugarimono2ban 投稿日時: 2004/09/27 22:30 投稿番号: [3016 / 85019]
これも絶句!!!
〈チャーチルの発案だったのですが、これで日本は、歴史上初めて、「開戦・交戦していない国々と終戦・講和・賠償条約を結んだ国」となりました!〉???
確かに、イラン、イラク、パラグアイ、ニカラグア、ペルー、アルゼンチンとかは???絶対関係ないでしょう!
こんなことを日本は強要されてたの〜〜〜???
こんなこと知ってました???
韓国とか中国とかの謝罪だ賠償だってのは眉唾とは思ってたけど、もうホントあほらしい!!
なんか本当に日本って大変なんだな〜と、しみじみ涙涙涙って感じです。
吉田茂も悔しかっただろうな〜〜。合掌です。
これは メッセージ 3002 (utsukusiikuninihonn さん)への返信です.
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chopper8111362さんへ
投稿者: saiwai111 投稿日時: 2004/09/27 22:25 投稿番号: [3015 / 85019]
初めまして、
>。ご両親は、台湾と日本の二重国籍だそうです。ご両親は、先日の台湾国総選挙の際に一時帰郷され、無事に投票を終えられたそうです。
日本は、二重国籍は認められていません。
何かの間違いですね。
これは メッセージ 3007 (chopper8111362 さん)への返信です.
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太極旗の件から!
投稿者: toorisugarimono2ban 投稿日時: 2004/09/27 22:22 投稿番号: [3014 / 85019]
こんな事、全然知りませんでした。絶句!
ご説明、ありがとうございます。
なんで?日の丸に似てるのかな?迷惑だな〜!!とは常々思っていたんですよ。長い間!不思議だったんですよ、ずっと!
「日本の船の中で、日本人から日の丸の旗と絵の具を借りて、属国旗の一つをもとに適当に他国の旗の上にいたずら書きのように作ったもの=太極旗」!!!
こんな旗、揚げるかね〜?ふつー、やめない?
大体、確かに独立だ、文化の原点だ、独自の文化だ〜!!とか言いながら、確かに旗の中に中国文化の陰陽形や、八卦四卦とかがそのまんま入ってるってのは???しかも日の丸の上に絵の具で船の中で素人がぬたくって、完成した国旗???
やっぱ、ダメだね!あそこは。
これは メッセージ 2914 (utsukusiikuninihonn さん)への返信です.
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日本の高校生が訪ねるべき国々
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/27 20:58 投稿番号: [3013 / 85019]
1895年に日本軍上陸を前に、台湾共和国成立を宣言した、台湾の唐景松(本当の字は山冠に松なのですが、フォントがありませんので、松をあてます。イギリス人外交官モースにそそのかされたという面もあるのですが、アジア初の共和国宣言をしたことは事実)、
台湾共和国は、誰にも承認されなかったものの、勅命で出動した日本の近衛師団と第二師団の猛攻撃下、それでも六ヶ月間は存在しました。
或いは、スペインとの独立闘争のフィリピンの英雄ホセ・リサール(医者にして作家、しかし、運命に翻弄される不運な方でした。フィリピン民族同盟を結成した。日本の大ファンで、日本に憧れたまま刑死した。享年35歳)、
マニラの彼の史跡を訪ねると、誰しも深く胸をうたれます。まったく同情を禁じ得ません。ホセ・リサールはアジアを代表する英雄として、もっと広く知られて良いと思います。
或いは、英国、フランスとの苦しい戦い、外交交渉を経て、独立を遂に維持したタイのチュラロンコン王(ラーマ5世。在位1868〜1910、同じく日本を敬服していました)(タイはこの王以降、欧米列強と外交において勝利を収める道を堅持し、今持って独立を侵されたことはありません)。バンコックも訪問するには素晴らしいところだと思います。
・・・・遠からず、こういった方々の史跡を日本の中学生・高校生も訪問するようになるでしょう。間違った場所にいつまでも騙されて連れて行かれているとは思いません。誰しもいづれ真実には気づくのです。誰しも御存じの通り、嘘は長くは続かないものです。
アジアの独立、国家とは(日本を含む)何か、民族闘争とは何か、独立を維持した国々、或いは独立のために命をかけて戦った英雄の物語を通して、学ぶことは多いと思います(今もあまり状況は変わらないのですからね)。
私は、台湾に行き、旧台湾総督府(今も大事にされております)を見上げるたび、上記のような独立のために努力し、或いは命さえ捧げて闘争に身を投じた方々の尊さ(そして日本のことも)を思います。
これは メッセージ 3012 (hdcrt54 さん)への返信です.
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>今テレビで日本の高校生に
投稿者: hdcrt54 投稿日時: 2004/09/27 20:37 投稿番号: [3012 / 85019]
これは
ニュースプラス1でした。
ろう人形の展示館を見ていた
【女子】高生は
かなりのショックを受けていた。
しかし特定の生徒に付いて回っているけど
…??
もう一つの
おばさんの場面の方は
70歳前後か
もしも70以下ならば
本当に当時10歳にもならない時の記憶が直接に自分に危害が及んだのでもない事をあれだけ詳細に記憶できるのだろうか。
これは メッセージ 3010 (hdcrt54 さん)への返信です.
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台湾は、、。
投稿者: chopper8111362 投稿日時: 2004/09/27 19:06 投稿番号: [3011 / 85019]
自分は台湾系日本人の友人から詳細な歴史を教わり、また台湾関連書物も幾つか紹介してもらいました。映画「非情城市」も薦められ視聴致しました。utskusiikuniさんは既にご覧になられているかもしれませんが、「非情城市」は悲しく静かな映画で、台湾人の悲哀を淡々と描写しています。(二二八事件の描写は指摘が集中するところですが)台湾に興味がある方には視聴を奨めております。この映画と併せて「君が代少年を探して」村上政彦(著)が記憶に残っています。他にも興味溢れる書物が数多くあったのですが、著書名等を失念してしまいました。
台湾は今、最も訪ねてみたい国の一つになっています。
これは メッセージ 3009 (utsukusiikuninihonn さん)への返信です.
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今テレビで日本の高校生に
投稿者: hdcrt54 投稿日時: 2004/09/27 18:45 投稿番号: [3010 / 85019]
今
高校生が見た韓国
と言う番組をやっている。
日本統治時代の
ろう人形の兵隊が拷問している
展示館を写している。
次におばさんが
日本人がひどい事をした?ような話しをしている、それを聞いている女子高生が泣いている。
事実の検証もされていないような物事を修学旅行で見せても良いのだろうか?
この高校の教師の目的は何だろうか?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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台北から淡水にかけて
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/27 18:36 投稿番号: [3009 / 85019]
そうですか、風流堂というのですか、まさに風流なことをしますね。
日露戦百年の件は、新聞では産経新聞が熱心に連載しているくらいで、テレビなどでは皆無、寂しい限りですね・・・
開戦理由も間違ったものばかりで。
台湾は、渡航が不自由だった頃から色々な折衝が長引いて、長期滞在したこともありました。
まだ列車も古くて日本時代の列車もあり、地図も旧地図が使われている頃です。飛行場さえ松山だけでした。
時に気休めに案内してもらったことがあり、台北から淡水川(タンショイ)を遡行する形で、北投(ペイトウ)温泉(日本人から拓いた温泉)を経由して湾口の淡水まで観光したことがありました。
今は便利で、きれいな電車で直通で行けます。
淡水もとても良いところで、色々な人と会い、色々な話しを聞きましたね・・・
ぜひ一度行かれると良いと思います。景色も大変すぐれております。
丁度、日本軍が初めて上陸した折り、台湾人が大歓迎して、案内人となり、清国軍を追放した最初の道筋にも当たります。
私が行き始めた頃、まだ台湾が戒厳令を敷いていた折も、国民党系外省軍人でさえ、反日感情を持っていませんでした。これまた、彼らから日本軍は勇敢だった、尊敬してやまない、中共軍の上陸を阻む時も旧日本軍人、将兵は白団の名で参加し、協力してくれた、忘れないと、朝日新聞などが決して書かない話しをよくしてくれました・・・・
本当に戦ったもの同士は、きちんとこのように話し合えるものと思った次第(勿論、単純な話しではないことは百も承知!)です。
これは メッセージ 3007 (chopper8111362 さん)への返信です.
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>. 純粋無垢(笑)
投稿者: saiwai111 投稿日時: 2004/09/27 18:34 投稿番号: [3008 / 85019]
三無事件(さんむじけん)
名前だけでしたら、何のことやらわかりませんね。国会周辺を混乱させ閣僚を暗殺し、自衛隊を中軸に据えて国家権力を握るというクーデター計画発覚事件です。共産主義革命と戦うために右翼を結集し、また、「無税・無戦・無失業」をスローガンとした天皇中心の政治を自衛隊幹部に働きかけていました。(だから三無事件)昭和36年(1961年)のこの日に発覚。逮捕者のなかには、5・15事件の関係者も含まれていました。
Yahoo検索で、三無事件(さんむじけん)と読みます。どうして(さんゆうじけん)と読めるのか?不思議です。
これは メッセージ 3004 (chopper8111362 さん)への返信です.
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台湾系日本人の友人
投稿者: chopper8111362 投稿日時: 2004/09/27 17:41 投稿番号: [3007 / 85019]
その友人のご両親は国民党の白色テロから逃れるために、日本に渡ってこられたそうです。本人は、台湾系二世となりますが、日台の複雑な外交事情から、国籍は日本人になっています。ご両親は、台湾と日本の二重国籍だそうです。ご両親は、先日の台湾国総選挙の際に一時帰郷され、無事に投票を終えられたそうです。在日韓国朝鮮人と併せて、在日台湾人の問題も非常に興味を持つところです。
ところで、汁粉の件を友人に尋ねたところ、とある催し物で見かけた際に「これは、あの右よりのおじさんに、ぴしゃりのおみやげばい。(小倉育ちの台湾人です)」と思い購入したそうです。
包装紙をよく見たら「島根県松江市、山川朝汐本舗、風流堂」と書いてありました。実は私も、台湾土産と思っていました(笑)。ご迷惑をおかけしました。
これは メッセージ 3006 (utsukusiikuninihonn さん)への返信です.
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アジアの勇者、台湾、フィリピン
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/27 16:40 投稿番号: [3006 / 85019]
台湾は、私も好きな国の一つであります。
何十年間(途中、米国、欧州在住時は中断しましたが)も、仕事も私事も含め年に数回は台湾に行っております。もう直接の仕事に関連はしませんが今も好んで参ります。
台湾は、朝鮮と違い、清国追放の折りは、大いに日本、日本人に協力しましたが、オランダ、清国同様、日本も支配国になると仄聞しただけで、激しい抵抗を開始しました。まさに独立を守るための戦いで、フィリピン人達の対スペイン戦争、対米戦争と並ぶ、アジアの歴史に残る闘争でした。私は、彼らを心から敬服する者です。
そのため、清国、日本間の割譲授受式は、遂に台北はおろか、台湾陸上で行うことさえ両国諦め、台北に近い洋上の日本軍艦横浜丸の上で執り行ったほどです。清国側は、さらに洋上でも現地人に襲われるとおびえ、その晩に晩餐会もキャンセルして彼らの船で遁走しました。
台湾住民は、当時の日本陸軍報告には「剽悍」とあり、武器がなくともゲリラ的に投石などでおそってくる(正規軍を、です)と、畏怖されました。敵勢強力とのことで、陛下の御意に沿って、1895年にわざわざ近衛師団が上陸戦闘を開始、以来、実に二十年間にわたり、ほぼ全土で激しい独立闘争が続きます。あまり知られていないようですが、日本軍は「全島皆兵」と化した勇猛な台湾住民に苦戦し、四ヶ月後には第二師団に出動を命じ上陸させますが、それでも苦戦しました。
大使館周辺に、当初、二個小隊しかなくても易々と平安を保てた朝鮮とはわけが違いました。
平穏な朝鮮のように併合数年後もたかが日本人警察官500名余などというわけにはいきませんでした。
対照的に、実に陸軍5万、海軍はその三分の一を投入しましたが、それでも高砂族他、婦女子まで戦う現地系も多く、大損害を被りました。その損害は日清戦争をも上回り、ベトナム戦争以外では恐らく最大の民族闘争です。日本軍側は一個師団相当、台湾側は1915年までに4万人近い犠牲を出しました(これをみても、三一独立闘争だけで何万人も死んだなどということがありえないことが分かりますね)。
私は、高砂族出身の女性が米国に留学してきた事を機に台湾のことを知るようになりました。以後度々訪ねることになるのですが、そこで現地の高砂系老人が、双方いかに勇敢だったかを称える話しを何回か聞きました。彼らもまた、台湾共和国(アジア初の共和国と言われています)の夢破れた方々でしたが、結局日本人が来て台湾は良くなった、国民党がきてまた悪くなったと言っておりました。
私は日本人として複雑な気持ちではありましたが、フィリピンと並ぶアジアの勇者の国、台湾を尊敬する気持ちは変わりません。
私が会った彼らは、一人として、こざかしく、中途半端なことは決して言いませんでした。日本人は勇敢で、かつ立派でした、とのみ。老女までそう、私に言いました。だから太平洋戦争はともに戦ったのだ、と。高砂族は御存じの通り、ニューギニア、インパールなどでともに死闘を戦います。
今もソウルにいるよりは台北にいる方が好きです。友人も多くおり、ウマも合います。
その汁粉は、次回訪問時、探してみようと思います。
これは メッセージ 3005 (chopper8111362 さん)への返信です.
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日本海
投稿者: chopper8111362 投稿日時: 2004/09/27 15:17 投稿番号: [3005 / 85019]
utsukusiikuniさん、こんにちは。
先日、日露戦争百周年記念「復刻即席汁粉
日本海」という物を、友人(台湾系日本人)から頂きました。オリジナルは、お湯をかけると日本と露西亜の国旗が浮かび上がり、その後、露西亜国旗のみが沈むというギミックが施されていたそうです。現行版では両国の国旗は沈まない「平和バージョン」になっています。後ほど味わってみます。しかし、台湾系に友人からも、この様なおみやげを貰える自分のキャラクターを心配に思います。詰まらん話で申し訳ございませんでした。
これは メッセージ 3003 (utsukusiikuninihonn さん)への返信です.
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純粋無垢(笑)
投稿者: chopper8111362 投稿日時: 2004/09/27 15:02 投稿番号: [3004 / 85019]
choiさんお久しぶりです。「純粋無垢」には思わず顔が赤くなってしまいました。三十八歳のおっさんを捕まえてそう言って頂けるとは、、、。褒め言葉と取らせてくださいね。(笑)
ところで三無事件(「さんゆうじけん」と読むそうです)は1960年代初めにあった旧日本軍人によるクーデター未遂事件だったと記憶します。九州地方が事件に深く関わっていたので、地元テレビの歴史特番などで度々取り上げられていた様に思います。このクーデター計画に韓国の有志が荷担し、対馬に多くの銃器を密輸したそうです。日本の右翼クーデターに韓国人が関与するところが興味をそそられる部分です。今回は、なんとなくnagoyanさんのイメージ(右翼?+韓国通)で関連づけてみました。(笑)
choiさんはこの事件について何かご存じないでしょうか?もしかしたら、韓国か米国の大学に在籍されていた時期かもしれませんね。
また「野坂秋介氏」に関しても、断片でよろしいですので、その人間的背景を教えて頂けたら幸いです。
マスコミの件に関しては自分もchoiさんとほぼ同意見です。朝日等の報道マスコミに限らず、角川文庫も書籍の末頁に、戦前マスコミ姿勢に対する反省文が入っていますね。
また、マスコミの報道スタンスやターゲットが不安定であることは感じています。たとえば朝日系列でも、かつては親北朝鮮、親中国、反韓国、反日、反米でしたが、昨今は北朝鮮、中国を批判する番組や韓国ブーム便乗番組を放送しているようです。
ただ、テレビ番組は見たくなければテレビを切ればよいのですが、新聞は宅配制度を採用しているため、一つの家庭は一社の新聞にしか接しません。これが、日本の世論が未成熟になる原因の一つになっていると思います。(我が家では新聞宅配は断っています。)インターネットで情報を集めるにも玉石混合です。様々な書物をあさり読みして何とか「真相」といえる部分にに迫りたいものですが、いまだchoiさんやnagoyanさん、utsukushiikuniさん達の知識や経験には追いつきません。ぜひとも皆様の叱責、薫陶をお願いしたい次第であります。
これは メッセージ 2962 (choiboomyoung さん)への返信です.
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39度線分割案と、進歩なき朝鮮人
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/27 13:57 投稿番号: [3003 / 85019]
38度線分割の件は、日本、米国の関与はまったくないと断言して良いと思います。この件は丁度百年前に、ロシアによって強く主張されたところから始まります。
日清戦争を戦い抜いた日本は、自らの利益とは別に、単純な希望を込めて、朝鮮民族に初めて独立をもたらしました。
さらに日英同盟も得た日本の立場は強化され、これに対してロシアは危機感を深め、将来の日本攻撃、満州、朝鮮半島全域の制覇を見越して、時の日本政府に朝鮮分割の提案をします(1903年初頭、明治36年)。
これは朝鮮の平城、元山間を結ぶ線であり、ロシアはこれを「39度線以北の中立緩衝地帯」と称しました(朝鮮政府内でロシアに買収されていた親ロシア派も同調)。
日本は、伊藤博文公が暗殺される前につき、「いかなる国といえども、他国の領土、国家を分割、翻弄することは許されるいわれはなし」として、あくまで「清国、朝鮮両国の独立および領土保全を尊重すること」と主張し、交渉は決裂に至ります。
ロシア公使ローゼンの39度線分割提案は、この前にも数度提案されており、ロシアは百年前にすでに39度線での分割が、安全保障並びに将来の攻撃に関して有利、と判断していたわけです。
奇妙な交渉ではありますね。崩壊していた朝鮮、清に替わって、伊藤博文公の下で、両国の独立、領土保全をのみ主張する日本。
そして、ロシア政府は、その陰で日本の目の前にある朝鮮・鎮海湾周辺の土地の買収を、朝鮮政府の協力のもとに素早く進めていました。
これを知った日本政府は結局、ロシアと朝鮮政府関係者と朝鮮人に、深く深く絶望します。「独立させた挙げ句の恩返しがこれか・・・」と。
あの時、朝鮮側が陰でロシアに鎮海湾の土地を売らなければ、或いは多くの日本将兵は死なずに済んだかも知れませんね・・・・・・・・
朝鮮の独立維持か、分割管理か、日本は日清戦争に続き、朝鮮のために交渉が錯綜、混乱して再び戦争に突入するハメに陥ったわけです。放っておけば裏切られ、祖国まで危なくなることは必定!
1904年2月、日露開戦・・・・・
1909年10月、伊藤博文公、無知な朝鮮人暴漢により殺される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
丁度、百年前ですね、馬鹿げたロシアの39度線分割が提案され、陰で朝鮮政府によって支持されたのは。
スターリン時代、スターリンは歴史好きで、この当時のロシア政府の提案を調べ、「この案までは断固として最低実現すべし」とソ連外務省に、第二次大戦終了後に厳命するのです。
朝鮮人は、もはや漢字も読めず、日本語を読める人も少なく、ロシア通も少ない。歴史学者とは言え、調査能力は極めて低いものがあります。
恐らく、大統領以下、韓国政府高官も、こういう歴史に関して無知で、本当に気づいていないのだろう、知らないのだろう、と私は考えております。
いかにも朝鮮人らしい、ことではあります。
朝鮮、清国のために独立保全を主張し、各国の国家、民族の自立を守るために、あくまで妥協せず、正しく主張していた日本、伊藤博文公!
これからも子々孫々に語り継ぎましょう!
これは メッセージ 2983 (yasu1216 さん)への返信です.
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「対日賠償請求放棄」という名の虚構
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/27 12:04 投稿番号: [3002 / 85019]
サンフランシスコ講和条約
1951年(昭和26)9月8日朝からアルゼンチンからABC順に各国がサインしていき、
最後に日本全権代表である吉田茂首相が署名し、終了した。吉田首相は「この平和条約は復讐の条約ではなく、『和解と信頼』の文書であります。日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然受諾します」と受諾演説をしました。
選択の余地がなく、口にできぬほど悔しかったそうです。「公平寛大」は、彼なりの真実を語る最大の皮肉だった、と言われています。
なぜならば、アルゼンチン以下、署名45カ国の内、殆どは「日本と交戦した事も一切なく、何の被害もなく、もとより宣戦を相互布告した事もない」国々だったからです。
チャーチルの発案だったのですが、これで日本は、歴史上初めて、「開戦・交戦していない国々と終戦・講和・賠償条約を結んだ国」となりました!
しかも、全署名国に対して条約発効と同時に日本の民間、公的資産のすべてを放棄したので、ほとんどの国は何もせずに多額の資産、預貯金を入手しました。
さらに、英国、米国の手によって、あくまでも下の項目は削除されなかったので、戦後主に昭和21年から、32年までの間、さらにアジア諸国から賠償問題終結条項に基づき、賠償並びに援助として、さらに別途請求をつきつけられ、条約遵守のため、全額を支払いました。
この項目が残された(後でたたるのは米英承知の事)のに、皆様はまだ賠償放棄(形だけ、口先だけ!奪った上に恩を売ろうという、ドイツの件とうり二つの手口!)の件の夢物語を信じますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第十四条(一部抜粋)
日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。
よつて、
1
日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始する。
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米英(特に英国が日本の資産を欲した。植民地分も含め)にそそのかされるまま、日本の資産をすべてそのまま手にした国は以下の45カ国(米英含む)です。
アルゼンティン、オーストラリア、ベルギー、ボリヴィア、ブラジル、カンボディア、カナダ、チリ、コスタ・リカ、キューバ、ドミニカ共和国、エクアドル、エジプト、エル・サルヴァドル、エティオピア、フランス、 ギリシャ、グァテマラ、ハイチ、ホンデュラス、イラン、イラク、ラオス、レバノン、リベリア、メキシコ、オランダ、ニュー・ジーランド、ニカラグァ、ノールウェー、パキスタン、パナマ、パラグァイ、ペルー、フィリピン、サウディ・アラビア、 南アフリカ連邦、スリ・ランカ、 シリア、トルコ、グレート・ブリテン・北アイルランド連合王国、アメリカ、ウルグァイ、ヴェネズエラ、ヴィエトナム
さらに、賠償計算すれば逆に日本に差額を支払わなければならない蒋介石、また、何の被害もなく、請求する立場にも立てないにもかかわらず執拗に請求を繰り返した朝鮮の二カ国は、さすがに英米も呆れて、これには一切参加させませんでした。
従って、日本は賠償、援助について立派に成し遂げたとともに、さらに陰では(現在、あまり知られていない)海外資産の一切合切を、非交戦国にまで奪われしまっているのです。
ただ、それでも・・・イギリス、ソ連、ポーランドなどによって、工業資産のみならず、森林まで何年間も伐採され持ち去れてしまったドイツに比べれば、損害は随分少なかろう、とは思いますが・・・・・・・
これは メッセージ 2968 (ttt98ppo さん)への返信です.
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追伸です
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/27 10:37 投稿番号: [3001 / 85019]
この件、ながい間、悔しい思いでおりまして、つい冗長に書きすぎました。
途中で切れてしまいました(いけませんね。力みすぎとお笑いいただきたく)。
切れてしまった、「私は」以降は、下の通りです。追加させて下さい。
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私は、ドイツ人達の語ることのできない悔しさ、ローマ時代以来、敗北を喫するたびに少ない時でも十万人以上が殺され、食料、木材、資材、資産を奪われてきた歴史、常に被害を語ることを禁じられる日々に思いをいたすのです。
皆様も御存じの通り、第二次大戦は、第一次大戦の戦後処理のまずさが産んだものと思います。日本、フランス、イギリス、ロシアなど、他の誇りある民族であれば、ドイツと同じ立場なら、やはり失地回復のために開戦したであろうと思います。
また、松岡洋右の愚昧故に結ばれた三国同盟(日本にとって得るところがあるわけはない)でありますが、かつては同盟国、もう少しドイツについては深く思いをいたすべきであろうと、私は思うのですが。
これは メッセージ 3000 (utsukusiikuninihonn さん)への返信です.
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ドイツが賠償する理由はありませんよ!
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/27 10:12 投稿番号: [3000 / 85019]
皆様の中には、日本は賠償などを行い、ドイツはユダヤ人、イスラエル以外、政府としていかなる国にも行っていない、いまだ一切していない、と固く信じておられるようです。
ネットでもそのように流布されております。
果たしてそう信じて良いのでしょうか?・・・
皆様は、依然として、あまりにもお人好しにすぎませんか?いつまでそんなに騙され続けるのでしょうか?
卑近な例ではありますが、日本でも人気の高いフォルクスワーゲン社は、1957年まで英国陸軍が経営権、資産を保有管理し、利益をも奪っておりました。工場施設、重機器など高価なものは英国に持ち去れら、まさに何もない中から再建していったドイツ人達の呻吟は並み大抵のものではありませんでした。これはベンツもBMWも、或いは反ナチで有名なオペル博士の経営していたオペル社も変わりません(いまだ報道することも、社史に書くことも許されません)。自動車産業だけでもそういったくびきがはずされたのは65年頃です。
私がドイツにいた頃、VW社の古老から、英国陸軍、その将兵がつい最近までいかに無法だったか、とつおいつ、浮かぶ悔し涙とともに聞かされた事がありますが、私も涙なしには聞けませんでした・・・・・
その後、英国軍はドイツに居座り続け、北方ミュンスター他の陸軍基地、戦車隊基地は規模においても在日米軍の比ではなく、近隣の婦女子の被害もまた凄まじいものでした。二年前にようやく撤退が決まり(ドイツ政府は30年以上交渉、要求)、去っていったのですが、ドイツ人達はもはや喝采を叫ぶ気力もありませんでした。同じ年の半ば、友人に会いに訪ねて感慨無量な思いがありましたが、その折り、ミュンスター大寺院の近くの交差点のどまんなかから英空軍がかつて投下した500キロ爆弾が発見され撤去されました。ミュンスターの新聞も「爆弾も英国軍も去る」と報じておりましたが、英国軍の事や、無法なる事はずっと報道する事もできなかったのです。
ドイツにおいては敗戦直後から、米軍、ソ連軍、英仏軍、東欧諸国軍は争ってドイツに進駐し、婦女子に獣のように襲いかかるだけでなく、一般住民、復員軍人らを恣意的に多数虐殺し、捕虜も少なからず行方不明のままです。さらに工場施設、医療施設、多数の資材、美術品、書籍、技術者などを争うように接収し、まさにドイツは30年戦争後よりもひどいと言われるほど、すべてをなくし、奪われ、さらに一方的に決められて海外資産の全てを没収されました。もっとも潤ったスイスをはじめ、各国によるドイツ人の財産の一大山分けでした・・・・・
ドイツは常に悲劇の中にあります。敵国と陸続き故に、また、北方に立派な港湾を持つ故に、車両、鉄道、船舶などにより、いかなる資産も持ち去られやすいのです。一次大戦で徹底的にむしられ、二次大戦後はそれを上回って、1950年代まで十年余にわたって、奪われ続けたのです!
ドイツに比べれば、我が国日本は、ありがたい神意により、海に囲まれ、半獣民族達がなだれ込むことからは逃れ得たのです。ああ、幸いなるかな、日本!引き揚げ市民、復員軍人の方々の苦労、戦犯裁判による多数の犠牲者、朝鮮人、中国人が無法を働いたとはいえ、ドイツにような目を覆わずにいられない収奪、暴虐からは無縁で済みました。
当時のドイツ政府、ドイツ大蔵省は、賠償・謝罪要求に関して、連合軍の内、米国・英国と事前予備折衝を持ちましたが、
両国とソ連が接収したものが大半ながら、被害総額は確認しただけで、
「少なく試算しても2,000億マルク余、ドルにして約500億ドル、賠償予定額の三倍近くであり、この中には英国が戦後数年間にわたり、大量に伐採し続けて持ち去った、ドイツ全土の森林木材も含まれている。
賠償請求に対しては、明確に計算するので、余計に奪われた分はお互いに文明国として、当然返還を求めたい」
との内意を伝え、交渉開始を求めたところ、
英国政府がまず翌週、賠償請求の放棄を伝えてきたのです。
その後、紆余曲折があり、ソ連、米国、英仏はドイツ政府の請求を無視し続けて、一方的に「賠償請求しない」旨発表しましたが、強欲な東欧諸国はいまだに請求しております。ソ連がバーター貿易の名で35年以上、東ドイツの膏血を啜ったことは申すまでもありません(一回取引あたり、十倍の差損!)。
スイスは、御存じの通り、当時のユダヤ人の請求者なき資産については発表しましたが、いまだにドイツ政府関連の資産をいくら没収したのかは開示を拒否したままです。
ドイツは、一次大戦後、二次大戦後、合計二回にわたり、賠償予定額以上に収奪されました。
ドイツ政府とドイツ人は長く、この真実を語ることを禁じられておりますが、いかなる賠償も絶対にしない決意は、あまりにも正しく、しかも、私は
これは メッセージ 2968 (ttt98ppo さん)への返信です.
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■ お気に入り 62
投稿者: greentea2003h15 投稿日時: 2004/09/27 07:41 投稿番号: [2999 / 85019]
これは メッセージ 102 (daichino_uta さん)への返信です.
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re:アビセンナは
投稿者: toorisugari_kun 投稿日時: 2004/09/27 01:12 投稿番号: [2998 / 85019]
>そうですね、老体にむち打って蒔いて見ましょう。
もしその種が「参政権」ならば、蒔かないでいいよ。
これは メッセージ 2995 (choiboomyoung さん)への返信です.
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