アジアの勇者、台湾、フィリピン
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/27 16:40 投稿番号: [3006 / 85019]
台湾は、私も好きな国の一つであります。
何十年間(途中、米国、欧州在住時は中断しましたが)も、仕事も私事も含め年に数回は台湾に行っております。もう直接の仕事に関連はしませんが今も好んで参ります。
台湾は、朝鮮と違い、清国追放の折りは、大いに日本、日本人に協力しましたが、オランダ、清国同様、日本も支配国になると仄聞しただけで、激しい抵抗を開始しました。まさに独立を守るための戦いで、フィリピン人達の対スペイン戦争、対米戦争と並ぶ、アジアの歴史に残る闘争でした。私は、彼らを心から敬服する者です。
そのため、清国、日本間の割譲授受式は、遂に台北はおろか、台湾陸上で行うことさえ両国諦め、台北に近い洋上の日本軍艦横浜丸の上で執り行ったほどです。清国側は、さらに洋上でも現地人に襲われるとおびえ、その晩に晩餐会もキャンセルして彼らの船で遁走しました。
台湾住民は、当時の日本陸軍報告には「剽悍」とあり、武器がなくともゲリラ的に投石などでおそってくる(正規軍を、です)と、畏怖されました。敵勢強力とのことで、陛下の御意に沿って、1895年にわざわざ近衛師団が上陸戦闘を開始、以来、実に二十年間にわたり、ほぼ全土で激しい独立闘争が続きます。あまり知られていないようですが、日本軍は「全島皆兵」と化した勇猛な台湾住民に苦戦し、四ヶ月後には第二師団に出動を命じ上陸させますが、それでも苦戦しました。
大使館周辺に、当初、二個小隊しかなくても易々と平安を保てた朝鮮とはわけが違いました。
平穏な朝鮮のように併合数年後もたかが日本人警察官500名余などというわけにはいきませんでした。
対照的に、実に陸軍5万、海軍はその三分の一を投入しましたが、それでも高砂族他、婦女子まで戦う現地系も多く、大損害を被りました。その損害は日清戦争をも上回り、ベトナム戦争以外では恐らく最大の民族闘争です。日本軍側は一個師団相当、台湾側は1915年までに4万人近い犠牲を出しました(これをみても、三一独立闘争だけで何万人も死んだなどということがありえないことが分かりますね)。
私は、高砂族出身の女性が米国に留学してきた事を機に台湾のことを知るようになりました。以後度々訪ねることになるのですが、そこで現地の高砂系老人が、双方いかに勇敢だったかを称える話しを何回か聞きました。彼らもまた、台湾共和国(アジア初の共和国と言われています)の夢破れた方々でしたが、結局日本人が来て台湾は良くなった、国民党がきてまた悪くなったと言っておりました。
私は日本人として複雑な気持ちではありましたが、フィリピンと並ぶアジアの勇者の国、台湾を尊敬する気持ちは変わりません。
私が会った彼らは、一人として、こざかしく、中途半端なことは決して言いませんでした。日本人は勇敢で、かつ立派でした、とのみ。老女までそう、私に言いました。だから太平洋戦争はともに戦ったのだ、と。高砂族は御存じの通り、ニューギニア、インパールなどでともに死闘を戦います。
今もソウルにいるよりは台北にいる方が好きです。友人も多くおり、ウマも合います。
その汁粉は、次回訪問時、探してみようと思います。
何十年間(途中、米国、欧州在住時は中断しましたが)も、仕事も私事も含め年に数回は台湾に行っております。もう直接の仕事に関連はしませんが今も好んで参ります。
台湾は、朝鮮と違い、清国追放の折りは、大いに日本、日本人に協力しましたが、オランダ、清国同様、日本も支配国になると仄聞しただけで、激しい抵抗を開始しました。まさに独立を守るための戦いで、フィリピン人達の対スペイン戦争、対米戦争と並ぶ、アジアの歴史に残る闘争でした。私は、彼らを心から敬服する者です。
そのため、清国、日本間の割譲授受式は、遂に台北はおろか、台湾陸上で行うことさえ両国諦め、台北に近い洋上の日本軍艦横浜丸の上で執り行ったほどです。清国側は、さらに洋上でも現地人に襲われるとおびえ、その晩に晩餐会もキャンセルして彼らの船で遁走しました。
台湾住民は、当時の日本陸軍報告には「剽悍」とあり、武器がなくともゲリラ的に投石などでおそってくる(正規軍を、です)と、畏怖されました。敵勢強力とのことで、陛下の御意に沿って、1895年にわざわざ近衛師団が上陸戦闘を開始、以来、実に二十年間にわたり、ほぼ全土で激しい独立闘争が続きます。あまり知られていないようですが、日本軍は「全島皆兵」と化した勇猛な台湾住民に苦戦し、四ヶ月後には第二師団に出動を命じ上陸させますが、それでも苦戦しました。
大使館周辺に、当初、二個小隊しかなくても易々と平安を保てた朝鮮とはわけが違いました。
平穏な朝鮮のように併合数年後もたかが日本人警察官500名余などというわけにはいきませんでした。
対照的に、実に陸軍5万、海軍はその三分の一を投入しましたが、それでも高砂族他、婦女子まで戦う現地系も多く、大損害を被りました。その損害は日清戦争をも上回り、ベトナム戦争以外では恐らく最大の民族闘争です。日本軍側は一個師団相当、台湾側は1915年までに4万人近い犠牲を出しました(これをみても、三一独立闘争だけで何万人も死んだなどということがありえないことが分かりますね)。
私は、高砂族出身の女性が米国に留学してきた事を機に台湾のことを知るようになりました。以後度々訪ねることになるのですが、そこで現地の高砂系老人が、双方いかに勇敢だったかを称える話しを何回か聞きました。彼らもまた、台湾共和国(アジア初の共和国と言われています)の夢破れた方々でしたが、結局日本人が来て台湾は良くなった、国民党がきてまた悪くなったと言っておりました。
私は日本人として複雑な気持ちではありましたが、フィリピンと並ぶアジアの勇者の国、台湾を尊敬する気持ちは変わりません。
私が会った彼らは、一人として、こざかしく、中途半端なことは決して言いませんでした。日本人は勇敢で、かつ立派でした、とのみ。老女までそう、私に言いました。だから太平洋戦争はともに戦ったのだ、と。高砂族は御存じの通り、ニューギニア、インパールなどでともに死闘を戦います。
今もソウルにいるよりは台北にいる方が好きです。友人も多くおり、ウマも合います。
その汁粉は、次回訪問時、探してみようと思います。
これは メッセージ 3005 (chopper8111362 さん)への返信です.
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