台湾を語る〜〜〜

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Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/25 19:52 投稿番号: [320 / 825]
学歴と、地域格差での、待遇差別は、そのときには、そのひつようがあったかも?本島人と内地人の待遇のさも、其の時は当たり前とされていました。そのために改姓名に走ったのもあったのだから〜〜

平等とは、だんだんと考えられて、修改して行くものです。

民主に富んでいたアメリカでさえ、女性に投票権を与えたのは、二次大戦の直前だったでしょう?

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/25 04:42 投稿番号: [319 / 825]
natunokaze001様:
独身先生が25円ばかりの月給の中から8−10円は家賃に払っていたでしょう。官公庁関係は下級官吏の官舎がなかったが、私企業は若手の社員にも
共同社宅とか妻帯者なら個人借家の援助はあったですね。全額ではないでしょうが。
それよりも、学歴と卒業地域格差が酷いものでした。母は明治の時期に
和歌山県の和歌山師範を卒業していました。鳥松公学校校(国民学校)
に就職したとき、校長が石垣という男性で沖縄師範卒で50歳代でした。
母が主任でありましたが、母の給与が校長よりも多いのでありました。

母の推測では恐らく内地の師範卒なら母と同じか、それ以上であると
のことでした。ここらが沖縄の学校と台湾の学校と内地のそれとの間で
差別があったのではないでしょうか。馬鹿げた制度でありました。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/24 21:51 投稿番号: [318 / 825]
いろいろ区別があるのですね。

私は内地人、全員、宿舎もらっていたのだと、思っていました。

小学校の低年級だから、ほとんど、何もわからない年でした。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/24 03:46 投稿番号: [317 / 825]
natunokaze001様:
鳳山市(街)に陸軍士官学校があります。かっては第七部隊(歩兵大隊)の
駐屯地であり、隣が第85部隊の(軍需補給部隊)兵舎でありました。中に通信部隊もいました。この正門を隔てた地区は軍人、軍属の官舎であり、およそ200戸もありました。妻子連中は食材を市場に飼いに行くことはしなくて、本島人の食材販売車が決まった時間にこの官舎の広場にきて具材をうりました。同級の笹川君の父上が軍属でここに住んでいました。氷を入れた
冷蔵庫も据えていました。軍隊は予算縮小はなかったのですね。軍属は兵舎の維持、補修、改善、雑事、訓練、事務、買出し、民間宣撫、自動車の維持、周辺道路の維持と非常に雑多な
役割を果たしていました。父は嘱託で少佐級でも家賃の一部を払っていました。昭和20年1月に中佐級になり高雄州庁の課長になってやっと官舎をもらいました。軍人にはかないませんでした。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/23 20:18 投稿番号: [316 / 825]
先生は女学校を卒業したばかりの18〜20歳程度でした。

もしか、親の官舎かな?

〜〜〜   一番の幸運者は軍人でありまして、軍属までも官舎住まいであったのです。

それは戦争体制に入り、権力が軍の手に移りかっていかれたのでしょうね?

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/23 04:45 投稿番号: [315 / 825]
natunokaze001様;
大体私の玉井村と鳳山街と鳥松村の尋常小学、国民学校の例ですと、
校長先生と主任教師は小さな官舎をもらっていました。後の教師は
(訓導といいました)自分で住まいを工面しました。警察官などの方が
官舎の支給が多かった様でしたね。貴方が見た先生のの宿舎は案外借家
ではなかったのではないですか?奥さんが先生だと主人が精糖会社か
警官などで官舎に住んでいる場合があります。官舎住まいも借家住まいも
台湾に永住する気持ちがなかった連中です。昭和12年頃から台湾の予算も
緊縮がはじまりましたね。昭和16年からは非常時予算となり、豊かであった
台湾も新しい学校も官舎もたたなかったですね。郡役所は郡守、課長、係り長までは官舎をもらっていましたね。州庁では知事、副知事、部長、課長、
係り長まで提供されていました。一番の幸運者は軍人でありまして、軍属までも官舎住まいであったのです。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/22 22:13 投稿番号: [314 / 825]
教師が自分で家を工面するとは、今になって知りました。

しかし、当時、訪れた先生の住居、庭があって、木が茂って、それに和式だったので、官舎と思ってしまいました。〔でも、本当に官舎かな?〕

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/22 16:16 投稿番号: [313 / 825]
natunokaze001様:
大陸から来た不動産購買団体があちこちの山林を買いあさっているそうです。
特別な開発計画は無いそうですが、買えば、日本では山林と土地が所有できる
ので、大陸では山林と土地の売買は出来ないそうですね。ただ仮に長期の

借地として借地権利を所有できるだけだそうですね。そして日本の山林は

安くて外人が買う時の規制法規や条例が皆無だそうです。こんなことで

大丈夫でしょうか?とすると東沿岸部の大都市の住宅の売買は土地ごとの

売買なのでしょうか?家は買えても土地が所有できないならば、土地の借地権
の契約が切れたら、その上に立つ住宅の処理や値段に大きな影響が出る

でしょう。住宅、経済のバブルで華やかな話ばかり日本メデアは放送してま

すが、何か国民はmisleadingされているのではないでしょうか。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/21 02:40 投稿番号: [312 / 825]
natunokaze001様:
鳳山国民学校の例では校長先生と主任が官舎をもらっていました。その他は全員自分で工面していました。その官舎は私の住んだ官舎の隣でありました。私たちが一度5人で住む広さがありませんでした。庭も小さくて、いつも姉(屏東高女)が自分のスペースが無いと不平をもうしていました。それで自分達で借家をして移ったものです。布団を敷いて雑魚寝という格好でした。借家は広いが借家の費用が郡役所が呉れた費用より高いので差額は
父がはらっていました。その家主の次女が今山形県に住んでいまして交信
があります。3人の娘さんは2人が軍人に嫁ぎ二人とも戦死しています。
高雄の前金の官舎はさすがに大きいのですが、中に住む人が居らなくなり
ました。母と私は疎開で玉井に、姉は内地に留学、兄は学徒出陣でどこかに、父一人が官舎で夜5−6時間も居ればという状態でした。其処へ軍人が
二人宿泊していました。もう兵舎も満員だった。でも父が高雄州の土木関係
の責任者で日に24時間(30時間欲しいともうしていました)勤務では
(軍施設と民間工事への)官舎の提供は普通の事だと叫んでいましたね。
段々父の声が大きくなりつつありました。戦争が緊迫してきた音と影が近く
なってきた証拠です。寿山の上の知事官舎は物凄い大きな邸宅でありました。特典があったが日に18時間も勤務(勤労)では余り効果が無いもので
したね。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/20 22:16 投稿番号: [311 / 825]
そんなことがあるとは、全然知らなかった。本島人の考えは内地人ならすべてうまくやっているという感じですね。

小学時代、担当教師の住処を、尋ねたことがありました。宿舎ですから、家賃の負担はないでしょう。庭がついてあり、構えもいいほうですね。
大変に感心しましたよ。(笑い)

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/20 04:34 投稿番号: [310 / 825]
natunokaze001様:
内地の中等学校卒や小学校卒の児童が野心一杯で台湾に来ても、昭和15年
事は教員になれても月給が15−20円でありました。(中学、高女卒)。
60%の特典加味でも25円ほどでありました。公務員(警官、役場,郡役
所、県庁)は小学卒ではなかなか進級の機会はなくて精精判任官でありました。馬鹿でも帝大卒は月65円ももらっていました。是を内地と比較すると、高給ではありませんでした。私企業では(精糖会社、など)は技術屋で
なければ本島人の独占場で台湾語と日本語を駆使して活躍していました。
大体の内地人は食べるに事欠かないが、とても贅沢などは出来ぬ境遇であり
ましたね。同級生の父親が亡くなり、葬式に参列したことがあります。
畳がなくて竹を割りとこの上に広げた上を歩くのは一寸こわかったです。
みすぼらしい生活を想像しました。今でも同級の彼が同窓会にはいりません。理由は当時のことを思い出すのは耐え難いからともうします。辛い
台湾生活であったのでしょう。今大阪府に住んでいます。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/19 22:55 投稿番号: [309 / 825]
当時の内地人にも、貧困な方があるとは知りませんでした。ほとんどが公務員で警察でなくちゃ、教員が多かったのですね。ほかの階層の人と接する機会なかったのですから。

台湾人は、いろいろな食べ物(食べ方)を工夫するのが、わりに富んでいるようですね。だから点心が多いわけです。

私も小さい頃から、あれを食べたり、これを食べたりして、あんがいに好き嫌いがない感じがします。だって、子供は何を食べても、おいしいですから(笑い)

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/19 04:17 投稿番号: [308 / 825]
natunokaze001様:
内地人の家庭が裕福であればあるほど、台湾経験がすくないのです。
貧しい層の内地人は台湾子弟と遊び話し、相手の家へ出かけたものです。
交流から会話が生まれて遊び仲間とは日台語ごちゃ混ぜで話していましたね。
台湾料理を控えた理由は、マラリヤ、デング熱がいつも流行っていました。
其処から蝿や蚊の飛び交う食物は伝染の基と空想したものです。
コレラが流行ると家から余り遠くへいけないし、毎日掛かる人の行方が
心配となってブースで売る食は手がでませんでした。普通の時は母から
小遣をもらい、夜市に出かけて粽、養鶏飯、蝸捲きなどを食べたものです。
週末には近所の本島人貧困層住宅地から1−2人遊びにきてお帰りには
我が家の米びつから失敬してゆきました。洗濯、掃除バーさんは文句を
言いましたが、母は見て見ぬ振りをしていたのでしょう。私は2/3が内地人
野ともで1/3が本島人の友でありました。彼らはほんとに貧しくて鉛筆も
買えないと申し、私の分を失敬していきました。戦後高雄空港に出迎えて
呉れて南部一周のガイドをしてくれたのですが、大歓迎会で母の状態を
聞いてくれたが3年前になくなったと話すと、嗚咽声になり、僅かなお米や肉がこんなに助けとなったのかと今更感激しもっとあげればよかったと
思った後悔の念にかられました。彼は米国留学して英語が達者なビジネスマンとなっていました。貧困は全く人生のマイナスとは言えないものですね。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/19 00:41 投稿番号: [307 / 825]
台湾語については、親としての姿勢が一番ですね。私が付き合っていた「六ちゃん」は、父が警官がために、台湾語は全然できないです。幸いに私が日本語できるので、日本語で話するんです。

四十を超えてから、日本留学ができたので、日本へ渡ったのは、中年になっていました。ある、大阪での集会に出席したら、台湾引揚者(女性)にぱったり出会い、私が台湾から、とわかると、近寄ってきて、お話ができました。

台湾の話が懐かしくて、おしゃべりができたまではいいが、小学校在学中、廟前での台湾人がこしらえて売っている「バーツァン」が、懐かしいって
で、聞いててみたら、食べたことないって、ただ台湾の子供がおいしく食べていたのを観ているだけって〜〜

理由は父が、それ衛生がないって、止めたわけでした。それを聞いて、私は涙を抑えきれない感覚になり、気の毒に思いました。台湾の作った料理、おいしいのに〜〜〜

つまり、台湾を理解していない親のために、子供時代、覚えるべき味を、覚えなかったことですね。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/18 00:19 投稿番号: [306 / 825]
夏の風001様:
私の国民学校時期の同級生は95%は台湾生まれの台湾育ちでありました。

吉野村などでは3世の台湾系日本人がいましたと。台湾生まれで無い

同級は51名の中僅か3名しかいませんでした。私もその中の一人です。

だが高等尋常小学校1年生から鳳山の小学校に入学したのです。子供の

使う会話語は台湾語でありましたね。簡単な会話は土地の言葉でありました。
だが家の中では両親の手前日本語がでてきました。学校も日本語でしたね。

引揚船で愛媛県の宇和島に上陸したら、係官が台湾語できる?ときいたので、
児童全部が笑ったものです。三世が台湾語が出来ない?

沖縄から来た台湾生まれの同級生は台湾語ばかりはなしてました。不思議に

内地人で割りに貧困家庭の友人がよく台湾語を話したものです。内地に帰って
初めて純粋の日本食を食べた者もいましたね。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/17 20:46 投稿番号: [305 / 825]
内地育ちは、台湾引揚者と、比べられないほど、台湾が知らないと、思います。現地で生活して、初めて、すべてがわかるでしょう。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/17 01:57 投稿番号: [304 / 825]
natunokaze001様:
内地に居た日本人でも昭和10年生まれまでの人は台湾の過去を知っているはずです。
全然知らないというのは偽国民であった証拠ですね。国民学校4年生
で終戦なら当然知っているでしょう。こういう歴史教科は当時mでは今じゃ比較にならない量と速さで教えたものですよ。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/17 00:44 投稿番号: [303 / 825]
終戦してから、内地に済んでいた内地人は、元から、台湾についてあんまり知らない上に、終戦と友、自分たちも食うのが、命がけだから、台湾については、全然忘れ去っているのですね。かつて、そこが日本の一部分だったことも〜〜〜

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/14 05:13 投稿番号: [302 / 825]
natunokaze 001様:
欧米植民地行政と比較すると、日本の台湾行政は精一杯の努力から

出来上がった台湾総督府でありました。英国のインド、米国の比島、

仏やスペインや独のアフリカでの植民行政ではさくしゅだけのインフラ

投資など皆無の徹底した差別、悪代官様の足跡が100年もつずき、今やっと
それらの地域に光が当たってきたのです。そうでなければアフリカなどは先

進国に発展しているでしょう。台北の上下水道の設置は東京よりも早く

完成していました。日本帝國の精一杯の事業ばかりでありました。だが

世界は大体その努力を認めているが、認めないのが日本国内の俗に言う

左翼と批判ばかりする政治屋であります。敵は海外にいるのではなくて、

国内のメデアや左翼のいる本能寺なのです。それが媚中派、媚露派になり

海外向けにひざまずいて謝るとか贈呈を繰り返す見っとも無い日本人(?)が
多いのです。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/13 23:13 投稿番号: [301 / 825]
終戦後の今でも、多くの台湾人が日本を、愛しているところから、日本の台湾殖民は、大変な成功といわなければmならないですね。

Re: 台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/13 06:51 投稿番号: [300 / 825]
natunokaze001様:
日系の私が台湾に住んだ経験を加えて書く台湾歴史を台湾人の貴方から
参考になると言われると一寸恥ずかしいですね。メデアと一般人から日本は
台湾を搾取したとか植民地にして甘い汁を吸ったとばかり非難されましたが、案外沿うでも無い事実がありました。日本政府は台湾で搾取したのではなくて、台湾経営のために日本国民を搾取したのである。台湾総督府の予算は、日本政府からの補填によって支えられていました。これらの税金は国民
からであります。初期の台湾人一人当たりの予算は日本国内より高かった。
台湾総督府への補填金は700万円弱であった。日本人一人当たりの予算額は2円27銭であったのに台湾人は一人当たり3円60銭であった。欧米は彼らの植民地で軍事費を調達したのが常識であるが、台湾、朝鮮のはすべて
中央政府の予算から支出された。当時は軍事費は国家予算の30−40%が普通であった。多くのでっ稚上げで台湾は搾取、略奪されていたというのは事実を知らない者の言辞である。日本の土地税をくらべると、日本では地租
は収穫の25.5%であった。台湾は僅か、5%に過ぎなかった。朝鮮では3.9%という低さでありました。
黄文雄、「日本の植民地の真実』から引用。

台湾に関する歴史〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/13 01:33 投稿番号: [299 / 825]
歴史の話し、ありがとうございます。ダイブ勉強になりました。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/12 04:52 投稿番号: [298 / 825]
natunokaze001様:
東京が近代都市だとうぬぼれた明治29年頃でも上下水道システムは

未だなかったのです。台湾の台北市に日本で始めて水道の上下制度が

内務省の雇用技師のウイリアムバルトンとその弟子の浜野四郎により

完成されました。それまでは淡水河の水を汲んで飲んでいたが、不浄水

と混ざり病気の原因となりました。バリトンは途中でマラリヤに係り、’

日本に帰国して病死しています。後は弟子の浜野が引き継いで、バリトン

方式という技術でアジアでも唯一の上下水道の首都台北にしたのです。

彼らを配置したのは後藤新平であり、同時に基隆に上陸したそうです。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/11 01:00 投稿番号: [297 / 825]
ここによる、台湾歴史、全然知りませんでした。これから、興味を抱きます。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/10 03:39 投稿番号: [296 / 825]
natunokaze001様:
台湾とは間接的な関与で書きますので了承ください。西郷一家は
1)西郷隆盛ーー中央政府で明治維新を完成させた大物、後鹿児島に下る;
2)弟が西郷従道で西南の役後も中央に残り明治初期の政府の重鎮となる:
3)隆盛と奄美大島の娘(愛那加)との間に出来た男児が西郷菊次郎;
4)大山巌は隆盛の近くで明治維新の戦闘を指揮した。
大山、菊次郎、従道は西南の役後、大久保利通と意見を分けた隆盛は中央を
去り、鹿児島に隠遁、だが中央の派閥に反対する若手(桐野など)に担がれ
て西南の役をおこした。是で隆盛は自刃していますが、隆盛について鹿児島
に降りることなくて、日本の夜開けの分析を冷静にこなして父、兄、上司になる隆盛の決起に参加しなかった。三人とも明治政府の重鎮となり、台湾と
関係した血縁者は活躍しましたね。情で動いた隆盛は結局地方で死んだのですが、是が案外中央が仕組んだ隆盛の処分であったのかもしれません。最初のインフラ事業を果たしたのが菊次郎であり、台湾の地理探索をやったのが
従道でありました。それから日本軍が台湾平和静定を始めたのですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/02/10 01:54 投稿番号: [295 / 825]
あげる。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/08 23:11 投稿番号: [294 / 825]
宜蘭でしたら、今度、宜蘭へ行く機会があれば、見てきます。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/08 04:29 投稿番号: [293 / 825]
natunokaze001様:
宜蘭です。花連ではありません。西郷菊次郎は、初代総督の樺山資紀と
一緒に台湾に赴任、宜蘭庁長(県知事)として5年半も行政をやりインフラ
整備では後藤新平や新渡戸稲造より早く指導した。八田氏より30年も早く
宜蘭河の氾濫による農民、住民の苦難と戦った。5年4ケ月、の赴任中、1年半で述べ74万人の住民雇用を生み出し、大きな予算で大堤防の築堤を完成
させた。蘭陽平原がその後洪水に合ったことがなくて農業が栄えた次第です。
住民の義捐金と奉仕で取り寄せた菊次郎を賛美した「西郷庁憲徳政碑」は
河土手の脇に立ち、傍に巨木が茂り木陰をつくっています。明治38年に
建設された碑とあります。宜蘭設治記念館にも当時の資料が展示されている
そうです。この館の建物は当時高官の官舎であったのではないでしょうか。
菊次郎は1904年に京都市長に選挙でなったことがあります。3メートル
以上の高い記念碑が空にそびえています。案外台湾の地方行政で多くの
官吏の名前がでてきます。総督府より一歩先んじた地方自治をやったのでしょう。
彼は西南の役で片足をうしなっています。不便な中での大きな住民優先の
大事業をやりました。それにシテも西郷一家と台湾の関係は深く、広く、長いものですね。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/08 01:22 投稿番号: [292 / 825]
其の記念碑は宜蘭ですか?花連ですか?今度行く機会があれば、見てきたいですね。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/07 06:08 投稿番号: [291 / 825]
natunokaze001様:
嶋津斉昭二仕えた西郷隆盛は島津公が欧州勢のアジア制覇に案じて、台湾を
将来植民化する気持ちで西郷を台湾の宜蘭州と台北州の情勢を事前探索に
派遣した。その時、墺の奥地の漁村で下宿した隆盛は下宿の娘と懇意になり、男児、力亀呉という眉毛の濃い大男を生んだとか。西郷隆盛の長男、
菊次郎が州長で儀蘭市の官邸に二十数年後住んだとき、菊次郎は再三この
漁業をする力亀呉とあっている。その後花連州に移り住んだそうです。
是は西山00さんの台湾女性生活史(上)に記載があります。しかし、
西郷一家側は信じられないと否定します。ですから噂話しとして読んでください。
菊次郎の宜蘭河の治水工事の成果は住民の尊敬の賜となりました。2年で
延べ74万人の雇用で5年半住んだ彼の主要な政策実現でありました。以後
洪水は出なかったそうです。
西郷一家と台湾の関係は深く、長いものであったのですね。高く空にそびえる菊次郎の記念碑がそびえているそうです。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/06 23:51 投稿番号: [290 / 825]
台南州に縁深いのか、製塩公司の総本部を台南市に、林デパートに設立しました。

西郷さんは九州出身ですから、北海道よりも、台湾に興味があるはずですね。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/06 03:54 投稿番号: [289 / 825]
natunokaze001様:
台南州に南日本塩業がありました。惟も中華の軍人役人の餌食となり
ましたか。高雄州に南日本化学という企業がありました。割に大きい
企業でしたよ。台湾製糖は台湾初めての日本製糖会社でした。宜蘭には
神戸製鋼がありました。宜蘭川と関係ありますかね。この川の治水工事
は西郷隆盛が奄美大島の娘と懇意となり生まれたのが西郷菊之助といい、
明治の時代に台湾の台北州長と宜蘭州長をやった時、この川の治水工事を
総監督して完成させました。以来洪水は一度もなくて、今も記念碑が立って
いるはずです。郷民の尊敬を集めた行政官でありました。叔父上が西郷
従道であります。台湾とは深い縁のある西郷一家でありました。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/05 22:40 投稿番号: [288 / 825]
やや遅れて、中国大陸でも、土地改革が実施された、しかし、やり方は体育場みたいな広場に、村全民を集め、地主をその場で、全民審判という、理由に、生き殺しをして土地の改革をしていた。

それに比べて、台湾のやり方は、人道にふさわしいのである。よいことに、日本から、かっぱらった、会社があるから、それを利用できた。

其の四つの会社には、製糖会社とか製塩などのがなかった。それは国民党が
時分に残して、甘い汁を吸っていたのだから、、、

それしても、四つの会社はデッカイな奴ですよ。台湾鉱物会社は「銅」を生産する会社で、台湾製紙は、紙を大量に生産する会社です。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/05 04:48 投稿番号: [287 / 825]
natunokaze001様:
企業を挙げるのはそう難しいことではないが、大株主の間、雇用同士、

クライエントとの関係、などの失敗でアジア系はヨーロッパ系と比較

すると欠点が多いですね。喧嘩別れをしてせっかくうまく行っている

企業も失敗しますね。台湾の四大公司のもう一つは台湾糖精公司では

ないでしょうか(?)高雄州には浅野セメント工場があり、愛河のほとりに

高雄製鉄工場がありました。大日本精糖は終戦で解体(台湾の工場は)して

大株主の藤山愛一郎氏が戦後、(1959年)頃に外務大臣になっています。
戦後の日本での土地改革はGHQの強制でやったので、地主から小作人に

譲渡された時の代価の方法に詳しくありません。役場の土地課の職務が

増大したのは確実ですね。陳誠主席が戦略では敗走ばかりであったが、

台湾で民生行政で結果を出したのは行政政治に能力があったのですね。

しかし台湾軍の質は向上しなかった(?)。そこで白団が日本から

やってきて徹底した訓練をやり紹介石の私的集団から中華民国国軍に

なれました。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/05 00:14 投稿番号: [286 / 825]
前に続く〜〜
四大公司とは、「台湾セメント会社」「台湾鉱物」「台湾製紙」と又一つあった。ほかの三つの公司は、株主の争いで、全滅。台湾セメントだけが、板橋の林という地主が(現在の板橋林家花園の主)大株主だったので、争いがなく、経営繁盛、(今も健在)

農地のお金は農民が分期払いで、20年の期限を許した。

この土地政策は大成功に終わった。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/05 00:05 投稿番号: [285 / 825]
陳誠は、大陸での戦争は、大変に下手で、「常敗将軍」というあだ名をつけられていました。東北(満州)での大会戦で、大惨敗。命からがら、南京へ逃げ帰ったのを、蒋介石が台湾防衛の重任を与えた。

台湾省主席に、就任するや、375減租を実施した。一甲あての収穫の千分の375を農民に配当した、税金は地主持ち、農民の生活がまず保たれた。その次が「耕者有其田」。つまり、耕している農田を、耕しているものに、売りつけること、農民はそれを買うお金はないので、政府が担保して、お金を地主に渡す。其のお金の来源は、日本政府が残した「四大公司」の株券で、仕立てた。(つづく)

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/04 04:10 投稿番号: [284 / 825]
natunokaze001様:
成るほど、陳誠行政院長は台湾の土地制度改革をやったのですね。

日本も戦後GHQ命令で大地主を廃止して小作人だけの土地制度に

変えました。この土地改革は日本の農業を小さな規模にしてしまい、

大規模農業による生産増大化、集約経営、経費削減化、マーケットの

拡大化の障害、国際競争化への参与機会を減じてしまいました。やっと

手に入れた小さい田畑を集約農業の為に株式で参加するなんて決心が

とても出来ない彼らの執着でありました。

1913年に初代の主席に袁世凱が、議会制度で政府を作ると主張したのが

宋教仁で独断専制が好きであった孫文が中華民国に興味が無くて、臨時政府

主席を2ケ月やって袁にポストを譲ったとあります。真の国父は袁世凱で

正式な初代主席ですね。国民党派の陳誠が島民の尊敬を集めたのは,知りません
でしたね。2−28事件の後なので、配慮したのでしょうか。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/02/04 01:03 投稿番号: [283 / 825]
陳誠は蒋介石が広東で軍事学校の校長をしたときに入学した学生で、以来、蒋介石に対する忠誠が、認められ、蒋の右腕の地位にあり、蒋の一番頼りできる部下であった。
大陸が陥落する寸前に陳を台湾省主席、兼東南軍政長官。よって,その権力は華南一帯を含めるものですよ。
その任内に、375減租、後ついで、「耕者有其田」を強行実施、林顕堂が蒋介石と仲が悪くなったのが、多くの田が、没収されたが為でした。

陳その人は、台湾に対して大変貢献のある人で、任内に死亡した際、台湾の百姓が自動的に、一ヶ月の「紋」を守ったのでした。

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/03 02:57 投稿番号: [282 / 825]
夏の風001様:
台湾でも映画上映前の起立は陳誠中華の台湾総軍の指揮官の時代

ですかね。陳儀上将の後に来た軍人だが、大陸では八路軍との交戦

では活躍したのでしょう。軍人の陳誠が軍人なのに、行政院院長も

したし、副総統もやったのですね。行政では何か突出した功績が

あったのでしょうか?日本総督も軍人がおおかったですが、行政には専門

家にやらしたものですね。明石ー後藤という関係ですね。中華国家では

軍人が行政をやったらしいですね。台湾でも昭和10−20年には軍人が総督

をやりましたが、彼らは少なくとも6−7年の行政経験を持っていたとか。

台湾では陳誠は人気があった人物でしょうか。兎に角パレードが好きで

軍の威風を見せるのが上手であったとか。2−28事件の後だから、強圧、強権

政治が必要であったのですかね?

Re: 最近の胡錦祷の外交を見て一感想

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/02 03:09 投稿番号: [281 / 825]
natunokaze001様:
戦前上映の映画で特に今上天皇陛下の御写真がでた際は起立があったかも

知れません。でも普通の軍記映画、軍人高揚映画でも事前に起立はなかったですね。
大体娯楽映画が人気がありました。リラックスした観客に起立させるのは

野暮な計らいでした。「鞍馬天狗」を演ずるあの馬に乗って急場に駆けつけ

る嵐寛寿郎の走る馬のひずめの音が段々近くなってくるのを「早く走れ、も

っと早く走れ』と「立ち上がりたい」気分になりましたが、強制で起立とい

う冷水を浴びせる様なへまはありませんでした。学校を含めて、街の中では

常に緊張感が漂っていましたね。
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