Re: 台湾に関する歴史〜〜〜
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/02/21 02:40 投稿番号: [312 / 825]
natunokaze001様:
鳳山国民学校の例では校長先生と主任が官舎をもらっていました。その他は全員自分で工面していました。その官舎は私の住んだ官舎の隣でありました。私たちが一度5人で住む広さがありませんでした。庭も小さくて、いつも姉(屏東高女)が自分のスペースが無いと不平をもうしていました。それで自分達で借家をして移ったものです。布団を敷いて雑魚寝という格好でした。借家は広いが借家の費用が郡役所が呉れた費用より高いので差額は
父がはらっていました。その家主の次女が今山形県に住んでいまして交信
があります。3人の娘さんは2人が軍人に嫁ぎ二人とも戦死しています。
高雄の前金の官舎はさすがに大きいのですが、中に住む人が居らなくなり
ました。母と私は疎開で玉井に、姉は内地に留学、兄は学徒出陣でどこかに、父一人が官舎で夜5−6時間も居ればという状態でした。其処へ軍人が
二人宿泊していました。もう兵舎も満員だった。でも父が高雄州の土木関係
の責任者で日に24時間(30時間欲しいともうしていました)勤務では
(軍施設と民間工事への)官舎の提供は普通の事だと叫んでいましたね。
段々父の声が大きくなりつつありました。戦争が緊迫してきた音と影が近く
なってきた証拠です。寿山の上の知事官舎は物凄い大きな邸宅でありました。特典があったが日に18時間も勤務(勤労)では余り効果が無いもので
したね。
これは メッセージ 311 (natunokaze001 さん)への返信です.
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