台湾を語る〜〜〜
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/15 03:44 投稿番号: [42 / 825]
natunokaze001様:
ポーランドにはユダヤ系が多数住んでいました。ドイツから逃げて来た連中も多いのです。ですからドイツ首相は訪問すれば当然殉国者を参拝したでしょう。
しかし、日本周辺国の如く事あるごとに批判をする国はありません。未来の
平和を築くのが先決なのですね。
アジアでは65年まえの負の歴史を蒸し返してきます。楽しいのでしょうかね?
未来志向とは韓国のイミョウバン大統領が宣言していました。先進国では
日本の負の志向が国際政治に反映してうまく指導者になれません。東アジア
共同体は40年前のアジアの声でありましたが、日本は欧米一点張りで
見向きしなかったのです。
これは メッセージ 41 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/15 00:18 投稿番号: [41 / 825]
戦後の話になるのですが、ドイツの首相がポーランドのかつてユダヤ人を大虐殺した跡を訪れた時、その墓標にひざまついて謝り礼をしたのは覚えております。
イタリアについてはなにもきいたことありませんが〜〜〜
これは メッセージ 40 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/14 03:07 投稿番号: [40 / 825]
natunokaze001様:
三国同盟であったドイツとイタリヤは戦後欧米の諸国に、特にイスラエル
に平謝決議を首相が発表しているのでしょうか?私の記憶は1945年以後
ですが聞いたことがありません。100万人のユダヤ人をガスで殺した国の
首相は日本式に習えば毎年平謝決議か談話の連続でもいいのでしょうが?
まずそれは戦後1−2度の談話はあってもそれ以上は無いでしょう?
戦後CA.大学の同僚でドイツ系がいました。ユダヤの悲劇は戦争の副産物
だと堂々と話します。戦争が悪いのだと一般論に摩り替えます。わびる
様子もありませんでした。この若い助教授は少年の時期にはあの有名な
ヒットラーユーゲントの党員であったともうしました。将来に向けてこの
問題を見てゆく必要があると言います。過去に余りこだわらずに、未来志向
で行くドイツとイタリヤには、之は政治問題ではないらしい。
これは メッセージ 39 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/13 23:49 投稿番号: [39 / 825]
終戦以来、日本はずっと敗戦の暗い影を背負っています。
経済大国ですが、軍事においては、全然一人前にはなっていません。
これは メッセージ 38 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/13 02:14 投稿番号: [38 / 825]
natunokaze001様:
現在でも日台の間での条約はありません。政府同志はお互い関与無し、関係無しの立場でビジネス、文化交流、人的交流などの窓口しかありません。
米国は現在でも台湾関係法の効力があるので、中国の武力介入には放置
できません。それにしても最近まで韓国は米軍駐在に批判的でありましたが、北の破壊活動が頻繁になり、北が110発の陸上攻撃用の弾丸発射を
実感して最近は米軍の駐在を要請して、尚韓国の軍隊を吹くまたそう指揮権
を韓国に移譲するはずが、それも延期して欲しいという情勢です。韓国は北
と日本は北とソ連と今も戦争継続中であります。コレラの国との間で、一度も戦争終結の会談がもたれていません。講和条約が締結されていません。
勿論韓国と北は数十回の会談を板門店でやりましたがけつろんがでません。
日本が甘んじている平和はマグマの上の陽炎の如く見える夢にすぎません。
これは メッセージ 37 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/13 00:13 投稿番号: [37 / 825]
アメリカの今は、世界各地で、火消し役をしているので、台湾への駐軍は現在考えられないでしょう。
でも、いざとなったら、再君臨しないとも限らないでしょう。
これは メッセージ 36 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/12 03:23 投稿番号: [36 / 825]
natunokaze001様:
ニクソンがキッシンジャーを全権大使として周恩来と交渉妥結の最後の
条文は米軍の台湾全面撤退でありました。両者はこの項目でしのぎを
削って詰めをしました。嫌に中国はこの項に執着したのです。思うには、
米軍が撤退に同意したが、再度駐屯できないとは明記されていません。
撤退の方法如何に明記されているのでしょうか?1972年に米中が署名した条
約ですね。
これは メッセージ 35 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/09 04:45 投稿番号: [35 / 825]
natunokaze001様:
台湾が中国の一部などとは正夢でも書く筋はありません。日本がこのまま
進めば中国に飲まれてしまうと書いことはありますが。警告の為に書いた
のですが日本は中国とは帰属問題では全く無関係であります。台湾に居たときも
延安の八路軍(新四軍も含めて)が誰か知らず、毛澤東が誰かも知らない
歴史上に出てこない国、人物でありました。吉田茂首相は1952年発効の
日米講話条約で日本領土の米国からの返還、独立、戦争終結など明記しました。
この条約の上に台湾の位置が明記されているはずです。
要は蒋介石の台湾進出と行政を許した米国の間違いは取り直しができません。
米国からの高等弁務官を置いてその下で蒋介石が動くならまだしも、
すぐ台湾を知らない蒋介石を行政役につかしたのはどうにも許しがたい
ですね。米軍一個師団も駐屯さすべきで、之を中米の平和条約の鍵に使った
のはニクソンの過ちでありました。
これは メッセージ 33 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/09 03:55 投稿番号: [34 / 825]
natunokaze001様:
台湾が中国の一部などとは正夢でも書く筋はありません。日本がこのまま
進めば中国に飲まれてしまうと書いことはありますが。警告の為に書いた
のですが日本は中国とは帰属問題では全く無関係であります。台湾に居たときも
延安の八路軍(新四軍も含めて)が誰か知らず、毛澤東が誰かも知らない
歴史上に出てこない国、人物でありました。吉田茂首相は1952年発効の
日米講話条約で日本領土の米国からの返還、独立、戦争終結など明記しました。
この条約の上に台湾の位置が明記されているはずです。
要は蒋介石の台湾進出と行政を許した米国の間違いは取り直しができません。
米国からの高等弁務官を置いてその下で蒋介石が動くならまだしも、
すぐ台湾を知らない蒋介石を行政役につかしたのはどうにも許しがたい
ですね。米軍一個師団も駐屯さすべきで、之を中米の平和条約の鍵に使った
のはニクソンの過ちでありました。
これは メッセージ 33 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/08 20:47 投稿番号: [33 / 825]
とにかく、どういうことにしても、日本は蒋介石にも、中共にも、台湾のことについて、一言も触れていません。だから、何を根拠にして、台湾は中国の一部分であると、いうことになるのですか?
これは メッセージ 32 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/08 06:57 投稿番号: [32 / 825]
natunokaze001様:
台湾領土帰属は戦後日華条約締結、中国と日本の平和条約後も日本領土
です。1952年の日米講和条約ではじめてポツダム会談の内容を含んだ
上で日本は世界の49ヶ国に対して放棄を宣言して、米軍の軍政府(MGUS)
の管轄区域になりました。沖縄などのその一つです。多くの島々の
管轄は帰属未定地域になっていましたが、米国軍政府はこれらの未定
地域のある島を日本に返還しています。尖閣諸島などです。従って
中国が尖閣をかすめ取ろうとすれば米軍の攻撃を受けるでしょう。サンフランシスコ平和条約にはカイロの会談結論の思想が加入せれて
います。また49ヶ国の代表は米国であります。
これは メッセージ 31 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/06 20:52 投稿番号: [31 / 825]
私の観点では、台湾は、まだ日本に属しているということです。
台湾が日本に割拠したのには、李鴻章が清の全権大臣として、日本の下関へ渡り、そこで調印したということですね。だから、名前を{馬関条約}とも称していたのだった。
これで、国際法律上、台湾は日本の領土になったというわけ。
ボツダム会談では、台湾のことは入れていないと記憶していたが、、、、
それから、吉田首相が台湾を訪れ、{日華和平条約}を調印した時、台湾の貴属について、吉田首相は何も示していなかったです。(故意に口にしなかったのでした、アメリカも同意のことだと信じます)
ましてや、中共は、中華民国の存在を承知していません。
だから、法律上、台湾はまだ日本の領土になっているわけです。
これも、中国共産党の一番、頭のいたいところです。
これは メッセージ 29 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/06 07:02 投稿番号: [30 / 825]
natunokaze001様:
「2008年から米国の連邦裁判所でーーー」です。「208年からではありません」。
これは メッセージ 29 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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:台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/06 05:18 投稿番号: [29 / 825]
natunokaze001様:
戦争国際法にもとずくと、台湾の帰属は1952年の日米同盟、平和条約まで
所有していました。北方四島は日本の領土であり、今も日ソ両国は戦争状態であります。之は北朝鮮とも交戦状態継続です。勿論北と韓国は戦争継続
国家です。この観点からすると、1947年2月28日の台湾での事件は日本も一応責任問題があるとなります。敗戦でとっとと出て行ったたいわんだが、戦後処理の方が難しいのですね。台湾の帰属は強いて言えば米国の帰属になるそうです。台湾は米国の帰属未定地域になるそうです。208年から米国の連邦裁判所に決着を米国につけてもらいたいと起訴にもちこんだが、非常に同情的だが政治の範疇の裁判だとにげられてしまいました。
これは メッセージ 25 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/05 15:32 投稿番号: [28 / 825]
charge messageさん:
小林よしのり氏の本を読んだことがないので、わかりません。金美麗女史
(女士)が大学講師をしていたのですか。ご主人は長い間東京理科大で教授をしていましたが、大学教授は政治に関心あれども運動には参加できなかったとか。大学教授職も一種の天下りの行き着く場所らしく、官僚は辞めると
どこかの大学に就職していますな。当時の独立派もいまや静かな引退組で、台湾建国理論におされています。多くの当時の独立論が陳腐な発言内容のコンテンツになりました。65年の時代変遷は恐ろしいものです。情けではなくて台湾処理は戦争国際法で処理するべきですが、情熱論はどうしてもはびこりますね。馬英九の下で2年また台湾意識が少し戻ってきたそうです。少しは
期待できる台湾の民主化維持への岐路ですかね。
これは メッセージ 27 (charge_message さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/05 02:30 投稿番号: [26 / 825]
natunokaze001様:
戦争末期の高雄市は人影が見えなくて、寂しい街になりました。夜の
出歩きは暗いので(灯火管制で)恐ろしいものでした。動くものは猫や
野良犬だけでしたね。店は閉まっていて、港に近い日本人街も店が閉まって
いました。高中の入学式を第七部隊の中でやりそのまま勤労奉仕の継続で
寝泊りと訓練でありました。唯母のいる街が玉井村ですので帰宅を命ぜられました。通過する台南市も昼間でも静かでした。たまに台南航空部隊の軍機
が飛んで居たのを見たことがあります。旗山市の周辺の隋道を二本工事中の
途中で見たのは隋道の真中と出口の前後に穴がほられました。父曰くこの
穴はいざという時に、隋道の中を走る敵の輸送部隊を破壊するダイナマイトの爆破させる穴でありました。ご存知の如く、旗山街は高い盆地のうえにある地理です。工事は難工事でありました。大雨が降るたびに、洪水で工事は
一時停止でありました。排水に予算と時間をかけるより、洪水を隋道の中に
誘水が出来たら安いし良いと思いましたが、平時に雨水をためておくのが経費のかかることだそうです。貯水のタンクや池を造るのは安くはないですね。ダイナマイトは緊急時に誰が猫に鈴をつけに走るのかがタイミングで
困難でありました。しかし旗山付近は山岳戦を企画した日本軍にとっては大事な拠点でありました。軍事物資輸送部隊が歩兵部隊が駐屯していました。ここが崩れると、台南は前後(西と東から)から米軍にはさまれる危険に
落ちるのです。
これは メッセージ 25 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/04 05:36 投稿番号: [25 / 825]
そのとき、大人たちの中では、こんな話が流れていました。高雄市の左営、一帯には、すでに、大きなガソリン蔵が作られ、米軍が上陸を敢行する時、
そのガソリンを、全部、流せさして、高雄港を、全部火の海にするという話でした。子供心に、これはすばらしいと、大変感心したものでした。
これは メッセージ 24 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/04 03:08 投稿番号: [24 / 825]
natunokaze001様:
内地にはたくさん薬学専門学校がありましたね。旧制の中学か高女をでてから3年間学習して国家試験を通ると薬剤師になれたのです。台湾には薬学専門の専門学校がありませんでしたね。台北高等学校、台北高商、台南高工、台中高等農林しかしりません。台北帝国大学では勿論薬剤学はまなべましたよ。お姉様は病死でしたか。戦後すぐでしたか。残念でしたでしょう。マッカーサーの命令が台湾上陸を引っくりかえして、一転、沖縄進攻になったので我々は生き延びました。しかし沖縄の住民にはおおきな不幸をもたらしました。もし米軍が上陸するなら考えられる地点は西沿岸でしょうね。東沿岸
は切り立つ岩石の多い沿岸ですから、避けるでしょうね。父が考えたのは、
高雄に上陸してくれば、市内におびき寄せて、愛河(高雄川)を一部破壊して水を市内にながしだし、輸送、往来を停めて日本具軍の一斉集中攻撃を始める案でした。わたしは「お父さん、そんなにうまくいくかな?」と疑問調
でありました。こんな土木工事はやらずに済んだのが幸いでした。
これは メッセージ 23 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/03 23:13 投稿番号: [23 / 825]
昭和19年の暮れも忍び寄る10月末、もう、そのときの日本の戦力は大変に衰えていたのですね?
魚雷で沈まれたのは、従兄でした、内地留学は薬剤師でした。
私の同胞の姉は日本行きを実現しないまま、終戦とともに、若くして病死で一生を閉じました。
これは メッセージ 22 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/03 04:57 投稿番号: [22 / 825]
natunokaze001様:
台湾沖航空戦は昭和19年10月21−24日までつずきました。
主にハルゼーの率いる機動部隊が東沿岸部から台湾を攻撃してきました。
中国の奥地から陸上爆撃機が台湾を攻めました。台湾にはほとんど無い
空軍でしたので、日本の九州からの邀撃に依存しました。内地にも既に
特攻用の少ない旧式の空軍機しか残っていませんでした。昭和18年3月に
高千穂丸(大阪商船)が基隆港の東北海上で撃沈されました。ほとんど
同時に姉が屏風高女を卒業して基隆港から内地へ留学に出航しました。
無事に着いたのが不思議でありました。姉御さまの内地留学は、いつ出発
したのですか?この時期ではなかったのでしょうか。姉は女子専門学校を
出たら、すぐ台湾へ帰ってくると申して行きました。内心、どうかな?不安で一杯でありました。
これは メッセージ 21 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/02 23:44 投稿番号: [21 / 825]
この説明で、いくらか納得できました。
台湾沖航空戦は昭和18年ですか、19年ですか?
これは メッセージ 20 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/02 01:26 投稿番号: [20 / 825]
natunokaze001様:
ニミッツ太平洋米艦隊長官の企画に対してマッカサーは二つの決断を
司令しました。親父依頼の投資をしてきた、命からがら脱出したとき、
「I shall return]と豪語した関係上、どうしても比島に帰らぬとならない
彼の私半分の野心でありました。レイテ島に上陸を敢行するに一切の
日本空軍機の抵抗を排除する為に機動部隊を台湾全域の空軍破壊をやった
のです。そこで発見したのは、想定外で台湾、沖縄周辺からの空軍の反撃
が無い事実でありました。長距離飛行が出来る例のB−29をサイパンやグアム、中国
から飛ばし空母から艦載爆撃機、戦闘機などで台湾の陸、海軍航空隊の連続
空襲で台湾航空部隊は
機能を失いました。台湾沖航空戦に出た航空部隊はほとんど、九州の鹿野、
知覧、大分などから飛来した陸、海航空部隊でありました。このあとから
特攻作戦が施行されたのです。マカーサーは東京から離れた台湾はこのまま放置
して、より心臓に近い沖縄を打つべしと命令したのです。心理的効果と間もなく
やろうとする本土上陸作戦には沖縄からだと距離的にやりやすいと判断した
のです。コロネーシオン作戦という本土決戦でありました。要はマッカーサー
の鶴の一声で台湾進攻作戦から沖縄進攻にかわりました。65年目の8月15日
がきますね。
これは メッセージ 18 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/01 22:39 投稿番号: [18 / 825]
旗山神社は街から、ちょっと高いところに立っているので、私は上ったことが有りません。今では、旗山公園と言う名義で使われているようです。
近来の製糖業の没落で、サトウキビを運ぶために使われていた、小鉄道はほとんど、姿を消していきました。旗山駅だけが、その古ぼけた姿を残して、ぽつんと,そこに立っているのが、さびしい感じをさせます。
台湾を退きにして、沖縄上陸に敢行したのは、台南沖空中戦に、理由が潜めていたのかも?
その空中戦で日本のほうはかなりの飛行機を失ったが、アメリカ船舶に、なんらの加害を及ぼしていないのかが、不審です。もし、そのときの戦況を考えて、台湾上陸を、沖縄上陸に変えたのかもしれませんね?
又、二週間で終戦の日ですね。
これは メッセージ 17 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/01 14:09 投稿番号: [17 / 825]
natunokaze001様:旗山のテイシキャクはみごとでありました。それに
旗山神社が綺麗で鳥居の柱は銅版でおおわれていました。社務所が
大きくて戦後公合堂みたいな使用場所になりました。しかも残念なこと
にその銅版がはがされて消えてしまいました。往時は旗山の駅は小さいが、
精糖工場の軽鉄がはしり、長い間残っていましたね。中心街をあるくと、
内地のどこかの下町を歩く感じがした建物の並びでありました。戦争末期
は日本軍部が駐屯して必至でこの戦略重要地を護ろうとしました。そのために
父は高雄州庁から出張を再三して隋道工事に参与しました。台湾軍は原則的に
山岳決戦を企画したのです。沖縄作戦と同じでもし米軍が上陸したら民間
人の犠牲が多くでたでしょう。マッカサーの沖縄進攻作戦主張が通り、無事に
台湾通過でたすかりました。8月15日がまた来ますね。
戦後の人はこの街を「はたやま」と呼びました。
これは メッセージ 16 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/07/31 17:02 投稿番号: [16 / 825]
かなり古ぼけたが、旗山の駅、まだ残っていますよ。石と岩、本当にそのようでした。
これは メッセージ 15 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/07/31 12:03 投稿番号: [15 / 825]
natunokaze001様:
今はほとんどのバナナが比島から輸入されています。台湾と日本を結びつけたのがバナナであるのは相違ありません。だが比島と日本とは特に親密な関係にはなりそうもないです。ルゾン・バナナは比島原生産でしょうね。
台湾バナナが下関に陸揚げされたのは1903年だったそうです。8年目にして既に内地に輸入されたので、歴史は長いですね。日本にも小笠原原産
のSHIMA BANANAがゆうめいですと。だが栽培面積が小さくて、日本国内にも
回らぬそうです。台湾には戦時中でもバナナ研究所がありました。所長は
本島人の博士号をもったかたでした。バナナは病虫害に弱いのです。旗山の
バナナが何故美味しいのかわかりません。気候と地理条件は理想的であります。
太陽、水、風、土壌どれを取っても理想的でありますね。ここらの隋道工事
をした父の洗濯物を持って週末にかよいました。ここのテイシキャクが綺麗ですきでした。石と岩でこしらえていました。
これは メッセージ 14 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/07/30 22:25 投稿番号: [14 / 825]
バナナは台湾と日本を(内地と島)硬く結びつけた果物だと、思います。
台湾は生産、内地は消費、うまくできているんですね?
雑種のほうは台湾語で、「ルソンバナナ」と呼びます。一味違う感じですね。
これは メッセージ 13 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/07/30 10:02 投稿番号: [13 / 825]
なつのかぜ001様:
鳳山の官舎の庭にバナナの木が3−4本植えていました。どっちの種類
であったのか忘れましたが、当時バナナの種類は洋種と雑種で洋種は長い
バナナでありました。雑種は短くて熟れるのが早い記憶があります。味は
雑種のほうが美味しいと覚えています。
戦前も戦後も下関埠頭に降ろされたバナナは熟れすぎているのをその場で
叩き売りをしました。戦前と戦後の叩き売りの現場の違いは「人の出の
違い」でありました。戦前の人出も多かったそうだが、戦後の埠頭に出てきた
人は全国から寄ってきて、体当たり式にもらったそうですよ。戦後、1本の
バナナが150−200円もした時期です。月給が4000−5000円
(高校卒)であった時代でした。今は下関の埠頭、倉庫、港施設はレトロと
して観光の名所になっています。65年目の終戦記念日が間近です。
これは メッセージ 12 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/07/28 23:48 投稿番号: [12 / 825]
私が日本(東京)をはじめて訪れた時、まず真っ先に靖国神社参拝をしました。
本当に空をつくような鳥居でした。
今でも、そのときの感動忘れません。
これは メッセージ 11 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/07/28 02:53 投稿番号: [11 / 825]
natunokaze001様:
「九段の母」を知っていますか?大したものですよ。私が鳳山街で高等尋常
小学校1年生から2年生に成る頃、屏東高女の1年生の姉がうたっていました。偉い大人の歌を歌うものだとおもっていました。なんということではなくて母が口ずさむので姉が真似てうたったのでしょう。
この3番目の節でありますね。金鵄勲章がみせたいばかり
逢いに来たぞや
九段坂
ですね。昭和14年でした。台湾では昭和15年早々から流行った国民歌
でしたね。2節目に空を突くよな大鳥居
こんな立派なおやしろに
神とまつられ
もったいなさよ
この大鳥居は台湾の紅檜製でありました。今回NHK の日本デビュー、一等国としての台湾訴訟で来た屏東縣の恒春近くのクッチャラ社の原住民たちは
靖国へ初めて参拝して兄弟の御霊にあいました。この時申した言葉は「こんな立派な社に祭ってもらって居るのを知らなかった。帰ったら社の住民に
伝えようと思うと話していました。死んだせがれに逢いに来た母の気持ちと
同じですね。
これは メッセージ 10 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/07/27 23:33 投稿番号: [10 / 825]
神武天皇の東征のときに、よく空から舞い降りてきて、天皇旗に止まる伝説は、小学校の本に載っていました。
金鵄勲章は、聞いただけで、すぐ「きよつけ」をするぐらい、敬意が出てきます。
九段の母の歌曲に「金鵄勲章が見せたいばっかりに〜〜」という一句がありましたね。唄いながら、涙に誘われてしまう気がして、たまらないですね。
これは メッセージ 9 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/07/27 04:53 投稿番号: [9 / 825]
natunokaze001様:
その場でつかまえられたら、まさしく「非国民」で大やけどを食います。
ところが宴会で大酒をして平気で歌っていたのが警察官と軍人でしたよ。
煙草の値段があがり一番多量に吸っているのが軍人と警察官であったのです。
身に堪えていたのが彼等だそうです。「金鵄輝くーーー」の金鵄は鳥の
一種で神武天皇が東征伐に出かけたとき、敵が現れると、すぐ旗の先に
舞い降りて敵に向かうと、敵軍はまぶしくなって標的が見えずに退却して
いった故のある鳥の名前だそうです。金色の色が輝いたのでしょうかね。
金鵄勲章もここからの由来でついたのでしょうね。多数の敵を退却させた武
勲の金鵄勲章は確かに金色でありましたよ。
これは メッセージ 8 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/07/26 23:16 投稿番号: [8 / 825]
当時に替え歌があると走りませんでした。まして、「紀元2600年祭り」歌を変えて唄うとは、今でも、ちょっと怖い気がします。
その場につかめられたら、「非国民」ですね?(笑い)
紀元2600年祭りは、日本の最高頂でしたね?それから下り坂になって〜〜〜
〜〜〜戦意高揚には歌に勝る手段はなかったですよ。
<<<
同感ですね。当時はほとんど、軍歌の天下でした。 私は一度耳にしただけで、すぐ唄えるんですよ。軍歌を歌うのが日課だからね(笑い)
これは メッセージ 7 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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:台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民歌
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/07/26 03:25 投稿番号: [7 / 825]
natunokaze 001様:恐らく覚えが無い奉祝記念祭でしょう。貴方が4歳
の時、昭和15年に日本が建国2600年目だとうお祝いで歌ったのが
金鵄輝く日本の
栄えある光身に受けて
今こそ祝えこの朝(あした)
紀元は二千六百年
ああ一億の胸はなる。
すべてが統制生活でみなが貧乏で意気だけが溢れていました。そしてこの歌
の替え歌が有名になりました。
金鵄上って15銭
栄えある光30銭
今こそ来たぜこの値上げ
紀元は二千六百年
ああ一億の民は泣く
金鵄上って15銭
栄えある光30銭
それより高い鵬翼は
苦くて
辛くて50銭
ああ一億のカネがいる
煙草好きの兄貴が歌い、父が賛成して不満やるかたなき雰囲気は充満
していました。
当時台湾警察歌という歌も流行ったそうです。警官の数が多い戦前、戦時
でありましたからね。戦意高揚には歌に勝る手段はなかったですよ。
これは メッセージ 6 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: 台湾を語る〜〜〜
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/07/23 23:15 投稿番号: [6 / 825]
佐塚佐和子さんについては、埋もれた歴史の一幕ですね?
その原曲聞いてみたいですね。
これは メッセージ 4 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: 台湾を語る〜〜〜
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/07/23 03:52 投稿番号: [5 / 825]
natunokaze001様:
当時の霧社駐在所の主任警部が佐塚愛祐で内妻に日狗群マシトバオン社の
頭目の娘を妻にして、1930年10月27日の霧社事件の最中に殺されています。
その時生き残った娘が佐塚佐和子で叔父に引き取られて台中高女をでて、東洋音楽専門学校を卒業後、日本でコロンビヤ専属歌手となり台湾公演を何十回と果たしたて有名となった。このときに、「乙女の真心」、「サヨンの鐘」をうたいました。「蕃社の娘」(14年)、「南の花嫁さん」(15年)、「思い出の蕃山」(15年)、「南の星」(14年)、時代的に佐塚と同じ時期に渡辺、遅れて李香蘭が「サヨンの鐘」を歌ったのですが、原詩の「乙女の
真心」は佐塚佐和子の専門歌曲でしたね。芸名を「サワ・サツカ」ですが、
昭和15年芸名統制にかかり、本名にもどったそうです。「南の花嫁さん」なら私は今でも歌えますよ。
ウキペデア参照;
これは メッセージ 3 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: 台湾を語る〜〜〜
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/07/23 03:43 投稿番号: [4 / 825]
natunokaze001様:
当時の霧社駐在所の主任警部が佐塚愛祐で内妻に日狗群マシとバオン社の
頭目の娘を妻にして、1930年10月27日の霧社事件の最中に殺されています。
その時生き残った娘が佐塚佐和子で叔父に引き取られて台中高女をでて、東洋音楽専門学校を卒業後、日本でコロンビヤ専属歌手となり台湾公演を何十回と果たしたて有名となった。このときに、「乙女の真心」、「サヨンの鐘」をうたいました。「蕃社の娘」(14年)、「南の花嫁さん」(15年)、「思い出の蕃山」(15年)、「南の星」(14年)、時代的に佐塚と同じ時期に渡辺、遅れて李香蘭が「サヨンの鐘」を歌ったのですが、原詩の「乙女の
真心」は佐塚佐和子の専門歌曲でしたね。芸名を「サワ・サツカ」ですが、
昭和15年芸名統制にかかり、本名にもどったそうです。「南の花嫁さん」なら私は今でも歌えますよ。
ウキペデア参照;
これは メッセージ 3 (natunokaze001 さん)への返信です.
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Re: 台湾を語る〜〜〜
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/07/22 23:26 投稿番号: [3 / 825]
佐塚佐和子さんとは、初耳でした。「サヨンの鐘」を、聞き始めたのは、終戦後で胡美芳が歌ったのが初めてでした。それで、この曲は胡美芳さんが一番初めに歌ったのだと、思い込み、それから、ずっと、胡唄の曲を聴いてきました。最近になって、李香蘭さんも唄ったことがわかり、たまにそのほうも聞いていました。
それが、佐塚佐和子さんが原唱者とはびっくりしました。
胡美芳は大陸趣出身でしょうね?台湾へは来たことがないみたいで〜〜
胡美紅は別人です。台湾の歌手です。もしか日本語ができないかも?
これは メッセージ 2 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: 台湾を語る〜〜〜
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/07/21 04:11 投稿番号: [2 / 825]
natunokaze001様:
案内感謝します。サヨンの鐘の原詞を歌ったのが、内地人とタイヤル族の
女性と結婚して生まれた佐塚佐和子でありました。台湾全土に広がり人気
曲となりました。台湾コロンビヤレコードの専属歌手には、台湾人(本島人)もたくさん居ましたが胡美芳は戦後の大陸出身の歌手でしょうか、当時、
昭和16−20年では聞いたことが無いのです。当時の日本歌謡を北京語
で歌っているのがあるとすれば本島人ではなくてどうも中国系ですかね?
佐塚、胡、渡辺、李とサヨンの鐘はコロンビヤの稼ぎ#1の流行歌で
あったでしょう。そこで、当時は愛国心を進める分には政府からの援助
基金もでましたからね。
これは メッセージ 1 (natunokaze001 さん)への返信です.
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台湾を語る〜〜〜
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/07/20 23:58 投稿番号: [1 / 825]
トピ立ち上げ、第一号〜〜〜
ヘイトウタカオ様へのメッセです。
同じこのカテに「台湾たのしいや〜」というトピがあります。
その第48号に「胡美芳」のテーマで、歌曲が紹介されています。
クリックすると、画面が出てきます。その背景写真(画面)に「サヨン」の墓の写真が出ています。ごらんください。
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