台湾を語る〜〜〜

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Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/05 04:05 投稿番号: [825 / 825]
natunokaze001様:
国民党の代表として北京に出向いた慶齢の役目は、和平工作(国共合作)であったのですか。
理念を貫く覚悟なら身命をおとしかねません。汪兆銘の妻も戦後、大陸で
毛にいじめられました。台湾では蒋介石の反共精神にあふられて女性の共産主義者(紅謝雪?)も逃げ出して香港にゆき、あまり幸福な生活をしませんでしたね。党(理念に)順ずるか、個人の幸せに浸るかが分かれ道ですね。
汪兆銘の子供たちは米国で暮らしています。でも自分の財でね。美齢も米で
生活を財の出所ややりくりに心配なく元々米国民の税金で贅沢しました。
1960年頃まで、台湾で予算を組んだ財はどこからでてきたのでしょうか。日産接収の企業だけで予算は不足になるでしょう。やはり米からの支援の賜物ですかな?

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/01/05 00:04 投稿番号: [824 / 825]
彼女は一時、共産党に夢を賭けていたのでしょう?当時の若い人たちが持っているのと、同じように〜〜

問題はあとで、それが間違いだと悟ったのですね。しかし、そのときはすでに逃げられない体制になっていた。

これが運命ですね。彼女は台湾へ行くチャンスなかったです。国民党を代表して北京へ赴いたとき、大陸はまだ完全に変色していなかったのでした。

少なくても、まだ、半壁の江山が、そこにあったわけですね。強く言えば、大陸の変色、それら、代表団によるところ、多いですよ。

当時の人民に与えるショックを考えれば、〜〜〜,それら代表団はまさか、頭に入れてなかったのかな?皮肉なことに、慶齢を含んだ、代表団らのその後は、すべて惨めな最後となっていた。むしろ、慶齢だけが、形ばかりの、顔を残すことができた。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/04 14:18 投稿番号: [823 / 825]
natunokaze001様:
慶齢はやはり日本か米国に新天地をおくべきでした。孫文の娘だし、友人が
おおいし、南京政府主席の汪精衛がいたから、できたと思うのですが。
国民党にも共産党にも心底から共鳴しなかった彼女だとおもうのです。台湾に蒋介石が逃げるとき、美齢が台湾に来る様に誘ったが彼女は頭を発てに
振らなかったそうですね。周恩来が文革から保護する第一の人物に彼女の
名前が記載されていたのは周の中国での功績ですね。彼がいなかったら、もっと多くの漢人が十代の若者に殺されたでしょう。血で塗り捲った歴史ですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/01/03 23:58 投稿番号: [822 / 825]
本人は、ほとんど口にしたことはないけど、たぶんその運命の成り行きに、後悔を感じてたことでしょう。南京政府の代表として、北京へ赴き、そこで、帰らぬ人となり、生涯共産党の奴隷みたいな身分となってしまいました。

本人は共産党に加入する提出をしたが、毛沢東は始終オーケイの下しをしません。彼女が死ぬ間際にはじめて、許したが、それは何のよう?

家族はないですね。身の回りを親しくしてくれた、家政婦がありました。その人こそ家族でした。が、文化大革命のさなか、ビルの上から、学生がその家政婦を突き落として殺してしまったのでした。目の前でそれを見て、慶齢はどんな心境でしたでしょうか?

それほどにあこがれた共産党が毛沢東の仕掛けで文化大革命〜〜〜

そこから、本当の孤独な暮らしでした。彼女だけでなく、多くの国民党から、共産党に乗り返した人らも、同じ気持ちで、暮らしていたのでしょう。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/03 16:54 投稿番号: [821 / 825]
natunokaze001様:
宋家の3姉妹は長女がお金に嫁ぎ、次女が権力に嫁ぎ、3女が
国家に嫁いだといわれました。孫文の妻でもかなり冷遇されて毛澤東の
中国の国つくりに利用されました。晩年に初めて中華人民共和国の名誉
主席になれました。国父の妻としては、冷遇ですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/01/03 01:40 投稿番号: [820 / 825]
宋家の長女が慶齢(孫文の妻)で、元は国民党内で、高い位であった。国父の妻だから。で、南京政府を代表して北京へ赴き、和平談判のつもりが、全員、共産党に口説き落とされ、北京に残って、二度と南京へ帰ったのは一人もなかった。

よって、宋慶齢は一度もタイワンへ来たことがない。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/03 01:25 投稿番号: [819 / 825]
natunokaze001様:
2012年がきました。昨年も大変な年でありましたが、今年も経済は期待
できないくらい年ですね。台湾へ真っ先に派遣された連中は蒋介石の傍で長く遣えたものか、遠くの省で戦闘にはいらずに忠実であった政治家、軍人でありましたか。ビルマ戦線の指揮者は道路構築の工兵師団の指揮ですかね?
援蒋ルートの完成工事で労働を現場で果たしたのが国民党派の軍人(筋肉労働者)で総指揮は英軍か米軍であった。そういえば、宋三姉妹の長女は、台湾に逃げずに中国に(毛一派に)とどまりましたね。宋美齢の勧誘を断って大陸にすみましたね。蒋介石は周囲に諜報部隊を据えて友人、親類、縁者、軍人などを調べ上げたのでしょうかな。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/01/01 16:51 投稿番号: [818 / 825]
不安は内部から来るものです。「敵は本能寺にあり」大陸の変色は、多くが自分の部下の「叛変」でした。

15万を率いる将軍もあれば、一軍、一軍ごとに。一発の銃弾さえ発していないで、全軍投降でした。親閲もそのうちですよ。

たとえば、南京から、派遣した「和平談判団」団長の張冶中は国民党秘書長でした。副団長に当たる宋慶齢は、親族でした。19数人で作った、和平談判代表、全部、北京に残って。帰らぬ人となった、この調子を、蒋介石は誰を信じることができるのでしょうか?

陳誠は蒋介石が黄甫軍官学校を創設した当時の、第一期生。長くそばにいたので、深信に数えられる一人であった。だから、前もって、台湾省主席に任命して、早期にタイワン渡りをさせた。兼東南軍政長官、権力は台湾だけでなかった。江蘇省、湖南省、以南、数省に渡る広い範囲の指揮を執っていたのである。

孫立人はビルマからタイワン直行で、それに大陸での、戦闘に深入りしていなかったため、軍の実力もそのまま。是も、陸軍司令に任命できた理由でしょう。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/01 15:09 投稿番号: [817 / 825]
natunokaze001様:
孫立人とゆう人物は純粋の軍人であったのですか。陳誠が軍人であったから先に派遣した人物は信用できる軍人でしたね。諜報の経験があったのではないでしょうか。国民党の戦争で戦功があったのですか。蒋径国が既にいた台湾でそんなに心配があったのですか?当時は米軍も進駐していましたね。
東京の極東司令部の配下の蒋介石にするべくまず東京にこさせて、マッカーサーの指令をうけてから台湾に飛べば不安はなかったでしょう。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2012/01/01 00:17 投稿番号: [816 / 825]
蒋介石は日本との、関係が孫文のように親しくありません。友達もなければ、まして、八年戦争してきたのだから、

比島に飛んだのは、視察という名義で、実はタイワンの状況をさぐっているのです。

比島からボウコウ島、そこから電話とか、無線とか、何かの方法で、息子のショウケイコク,それに深信の陳誠、それから孫立人などと〜〜〜

かなり安定しているとの、判断ではじめて、のそのそ、台湾はいり〜〜〜

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/31 13:08 投稿番号: [815 / 825]
夏の風001様:
蒋介石が比島に飛んで台湾入りの時期を探したのはしりませんでしたね。
不安定なくにに飛ぶより熟知していた日本に何故飛ばなかったかが
疑問です。極東司令部では完全な護衛と出迎えをしたであろうに。
彼は久しく主席の地位を代理人に譲渡していましたね。孫文なら日本へ飛んだでしょうね。あれだけの日本人の友人をもっていましたからね。何かこそこそと台湾入りを果たした様ですね。諜報網の頂上に立っていた人らしい
格好ですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/31 13:06 投稿番号: [814 / 825]
夏の風001様:
蒋介石が比島に飛んで台湾入りの時期を探したのはしりませんでしたね。
不安定なくにに飛ぶより熟知していた日本に何故飛ばなかったかが
疑問です。極東司令部では完全な護衛と出迎えをしたであろうに。
彼は久しく主席の地位を代理人に譲渡していましたね。孫文なら日本へ飛んだでしょうね。あれだけの日本人の友人をもっていましたからね。何かこそ湖祖と台湾入りを果たした様ですね。諜報網の頂上に立っていた人らしい
格好ですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/12/30 23:56 投稿番号: [813 / 825]
あげときます。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/29 00:24 投稿番号: [812 / 825]
ショウケイコクは、近代中国においても、まれな偉人ですよ。まさに、その父を大きく飛び越えて〜〜〜

ショウケイコクなくして、中華民国は、台湾へ撤退した当時、消えていくと私は信じるんですね。当時、蒋介石がタイワンへ君臨しても、体制を維持できないでしょう。

その理由は、蒋介石、すでに「驚弓之鳥」威勢は失っているのですね。

蒋介石は大陸から直接、タイワンへ飛んだのではないですよ。当時は総統を下野して、国民党主席の肩書きで動いていたのでした。

彼は四川省の首都ー成都の飛行場から、ふいっりっぴんへ飛んだのでした。
名義は考察だが、真実は台湾へ直行するのがオクツウだった。大陸での、自分の部下が一人ひとり、軍を率いては、共産党に投降してゆくので、タイワンに先渡りした部隊は、果たして、信じていいかわからないでした。もし、その中に二心を抱いてたものがあれば、蒋介石はたちまち、階下囚になって、共産党へ渡されたでしょう。

まして、張学良の先例があるので、慎重に慎重を重ねるのも、当たり前のことですね。そのとき、ショウケイコクはすでにタイワンは入りしていたのである。

蒋介石は考察の名義で、しばらくふいっりっぴんで、待機して、それからタイワン直飛でなく、ボウコウ島へ飛んだのでした。

そこで、本島の状況を探りながら、台湾入りとなったのでした。

あしたつづく〜〜〜

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/28 05:38 投稿番号: [811 / 825]
natunokaze001様:蒋径国は後継者選びが優れていたのですね。
私の個人的な判断ですが、李前総統も、陳水篇前総統も後継者の
養成にはあまり的を得ていなかったのでは?副総統に選ばれた人物も
緊急あれば直ぐとって代って総統職を遂行できる器ではなかったのでは?
日本では副首相と副総裁とゆう地位がないので、緊急時には首相が居らぬときは誰が、何をするべきか、憲法に、内閣制度で記載されているかどうかあやしいです。この明記と順序は決まっていないと混乱する基になるだけですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/28 05:36 投稿番号: [810 / 825]
natunokaze001様:蒋径国は後継者選びが優れていたのですね。
私の個人的な判断ですが、李前総統も、陳水篇前総統も後継者の
養成にはあまり的を得ていなかったのでは?副総統に選ばれた人物も
緊急あれば直ぐとって代って総統職を遂行できる器ではなかったのでは?
日本では副首相と副総裁とゆう地位がないので、緊急時には首相が居らぬときは誰が、何をするべきか、憲法に、内閣制度で記載されているかどうかあやしいです。この明記と順序は決まって以内と混乱する基になるだけですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/28 00:29 投稿番号: [809 / 825]
これは私個人の推測ですが、林は、頭に中に「権位」があり。そして自身の経歴を考えて、かなり希望はあるので、その権位に近づくため、あるいはその権位を保つために、日ごろから、外省組みに、近すぎるその態度に、ショウケイコクは、しかと目に見えているのでしょうね?

その点、李氏はゆだねた仕事をこつこつ、全うしているだけで、権位とか、勢力とか、それ全然、頭にないのを、ショウケイコクもはっきり見分けているのでしょう。

ショウケイコク氏は、立派な人に、すべてを託したと、私は思うのですね。

その点だけで偉人の列に数えられると信じています。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/27 09:25 投稿番号: [808 / 825]
natunokaze001様:
日本留学組は二通りありました。日本文化を、言語を知り親善に寄与したれんちゅう。他はますます内地で抗日の運動を組織化して時間を過ごした学生。李登輝氏が林氏の代わりに総統になったのは、日本にとっては
幸運であったのです。しかし日本政府の面々はそれが大きな幸運であるとは知らないで(今でも)で台湾関係を他人のごとく放置する馬鹿もおおいのですよ。
蒋は経歴を選ばずに、人物を選んだのですね。ソ連に留学した結晶の賜物
ですね。不運な林氏でありましたな。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/26 23:29 投稿番号: [807 / 825]
林の履歴は李氏より豊富です。彼は李氏の前に台北市長、省主席、それから、内部部長、などの歴任で、李氏の職歴を、すべて全うしていた。副大統領というのだけが、なかった。

よって、台湾籍の中で、林のほうが、兄貴分というわけ。

ショウケイコクが第二任の大統領選挙前、多くの人が、副大統領は林と信じていた。発表する朝、多くの官員が、林の身の回りに集まって、有るはやがっての人は、林を「林公」と尊称していたほどである。

まもなく、ショウケイコクの口から、「李登輝同志を副大統領に、すいせんします。」と発表された瞬間、一場、声なし。針が地に落ちても聞こえるぐらいの静けさ。約2〜3秒して、ワーッと満場喝采。そのときの林の顔、真っ赤になったり、真っ青になったり、そのそばから、一人ひとり、人が抜けていくのが、鮮明にカメラに映っていました。

だから、ショウケイコク氏の、胸うちは非常に深い人ですよ。その口から、発表する前、誰一人、李氏を予想した人はありませんでした。

林だけでなく、「おれだ」「俺だ」と自分勝手に決めていた人も、多くいます。特に、外省籍を持っている人はなおさらに〜〜〜

ショウケイコクが李氏を行政院委員に任命したときから、すでに、跡継ぎのことは決めていたはずです。ただ誰も思いつかなかっただけでした。

李氏が無任所大臣に任命される前、内緒で警備司令部に連行されたことがありました。警備司令部は(蝶報に関する特設機関である)そのとき、ショウケイコクは李氏がかつて、共産党の外部組織、「読書会」に参加しているのをわかっていたのだから、その調査があったのだと、推測できます。

李氏が釈放されて、帰り際、中の調査官の一人が、やや不満な口ぶりで、「お前のようなやつを使えるのは、ショウケイコク一人だけだ、」もらしたのがあった。だから、ショウケイコクは跡継ぎを決めていたので、慎重に調査していたのであろう。

これは私の想像ですが、そのとき、李氏は偽りなく、一部始終を口にしたに違いないと、考えられる。その正直をショウケイコクが買ったというわけ。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/26 15:12 投稿番号: [806 / 825]
natunokaze001様:
4人の中で本省人は林氏だけでしたね。外省人の中で林氏はやりくい姿勢
であったのでしょうか。
李氏も日本留学組なのに、林氏も李陣営に参加するべきでしたね。日本
留学の経験が全然利用されなかったのが残念です。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/25 21:42 投稿番号: [805 / 825]
四人組は隠密に、力を合わせて、一旗あげるつもりがこつこつに伝わってきます。この四人組が崩れた理由は、林が総統候補を自ら退いたところにあります。

社会の圧力に耐えかねて、肝を抜かれたことも、推想できるが、どうせ、一任、機会はまたあるという思いもあったのでは???

機会主義という性格も理由でしょう?それから、引退同様、二度と、政界に面を出したことはなかった。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/25 19:00 投稿番号: [804 / 825]
なつのかぜ001さま:
本省人の癖に、外省人の勢いの中で自分の野望を果たそうとした

林洋港は戦前でも台湾総督府には反対の政治意識を持っていました。

いかに宋美齢が台湾から遁走して米国から昔式の抑圧を指揮したのかが

わかります。誰も受けてくれなかったのですね。時代に乗れない、風が読めない
自分の立身出世ばかり考えたこの「愚連隊」は当然住民の選択からこぼれ

落ちてゆきましたね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/25 15:52 投稿番号: [803 / 825]
しばらく、総統府秘書長を務めました。李氏の次の任になくなったみたいです。李氏を手助けしたのに、宋がよく取り上げられるが、私はこの蒋彦士氏が、当時の李氏を救ったのだと、見ています。

宋美齢が後ろで、指揮して、表に出たのが、本省籍の林洋港が総統代表に、蒋偉国が党主席、李換が首相、ハクが国防部長(軍の総指揮官)この四人組の勢ぞろい,李氏が勝てるわけないですよ。

これを避けさせたのが「八大老」でした。ほとんどが、蒋介石の側近でした。宋美齢でさえ、一目、置かなくてはならない人らでした。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/25 04:43 投稿番号: [802 / 825]
夏の風001様:蒋彦士は李前総統の交渉を済ませたあとは
引退でしたか・それとも何か李氏の側近の役でもやりましたか?
そして亡くなったのですか、現存しているのでしょうか?
戦後銀行や金融知識を豊富に持った本省人で、陳00とゆう人物がいましたね。2-28事件で逮捕ー殺されました。将来の銀行総裁か財務大臣もできる
すばらしい人でありました。名がわかりません。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/24 05:11 投稿番号: [801 / 825]
natunokaze001様:
確かに港区の小学校へ通学しました。ですから同窓や知人はおおいです。
日本語は立派に話します。その前の中国からの大使(王維0氏)も日本語を上手にはなします。中華民国が今が一番親善的とは、李前総統が笑ってしまうでしょう。現在李前総統を裁判にかけようとしている無理なケースは同じ事件を二度も裁くあり得ないケースですね。接戦でしょうが、是非とも英文女史の勝利を信じていますよ。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/23 22:27 投稿番号: [800 / 825]
馬氏が勝利しても、親日の路線は変えないと信じます。

その理由は、ほとんどの台湾人が親日だからです。現任でさえ、親日の路線を、確かに歩んできましたから〜〜

現任の駐日大使は馬のかつての同窓です。彼は小学時代、日本で過ごしました。だから日本語ぺらぺらです。(外省人ですが)
選挙のコマーシャルに、馬陣営は、タイワンと日本の関係、いまどきよりよかったことないと、自慢しています。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/23 04:13 投稿番号: [799 / 825]
natunokaze001様:
林氏が貧乏脱出のためか日本留学を19歳だ果たして内地にでむいたが、台湾での苦労は一重に日本総督の植民地政策だと自己の修練をせずに他人に責任転嫁をした態度は内地でも受けず、社会主義的な運動にはしりました。本島人でも最高の総統になれない人物であったのでしょう。外省人でも台湾の平民のために尽くした人物が多々いますね。台日の関係がもし悪くなると、在台の日本人がいずらい状態がでてくるでしょうか?たとえば、馬氏がもし勝利して移民政策を変更する危惧を思うときです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/22 23:24 投稿番号: [798 / 825]
林は日本留学でも、ほとんど、そのような感じをさせません。もっとも、外省人そっくりで。だから、彼らと組んで、四人組ができたゆえんでもあります。

蔡ホウ文さんは省議会議長を長く務めていました。李氏が省主席を担当してたときに、築いた友情だと、思います。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/22 19:01 投稿番号: [797 / 825]
natunokaze001様:
林洋港は戦前台湾の田舎で生まれて貧乏して苦労したそうです。
日本に来て勉学一途にならず社会、共産党シンパの毎日の生活をして
裏からばかり日本を見聞したのでしょうか?   もっと留学生として日本を学んでほしかったです。細逢文の情報はありません。林氏を口説き落としたのは説得力があったのですね。初耳の人です。当時の台湾出身者には度胸の据わった人物が多数いましたね。おしい俊才が1950年までに多くたおれていますね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/20 13:04 投稿番号: [796 / 825]
この謀反事件を乗り切って、初めて李氏の王朝が成り立ったといえましょう。

しかし、これに負けたら、惨め、この上なしでよ。

これを乗り切るため、李氏は、かなりの知恵を搾り出しました。

上に挙げた蒋彦士のほかにまた一人がありました。その人は、蔡逢文という人でした。彼の肩書きはタイワン省議会、議長でした。

つまりタイワン籍の国会議長に等しい地位でした。

彼は李氏のゆだねを受けて、直接、林洋港と対談、「李氏は一任だけ。その後は退任する、そのときに出馬しても、遅くはない。同じ台湾人だから、これぐらいの度量はあるはず〜〜」と、押し付けた。

現任の台湾省議会の議長。それなりの、タイワンの民意を背負っていること。、李氏を代表して、対談に出る以上、多少は李氏を擁護していると考えても、よかろう。

これは、林洋港を崩してしまった。

非主流の中で、身を退いたのは、林が第一人。林が身を退いたので、非主流
は、崩れてしまった。その理由は林はタイワン籍、、代わってほかの人が出頭すれば、波紋は大きくなるのは、目に見えているのである。

天助とでも、言うのか、蔡氏は李氏の任内に死去してしまった。だから、李氏の一任だけの約束は、証明する人が亡くなったのだから、李氏は、連続連任。

はくが、首相に任命されて、軍籍を外された形であったが、彼には抗命する
勢いがすでに消えていたからでした。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/20 03:02 投稿番号: [795 / 825]
natunokaze001様:
蒋彦士は秘書正道に徹したのですね。林洋港は日本の中等学校留学ですが、必ずしも日本びいきではなかったです。同じ留学組の李氏と同じ陣営内のはいかんせん。泊参謀総長は巧みな李氏の政治力で軍籍から外され、行政長官をやりましたね。陰謀ですが李氏を総統候補から外す謀反でしたか?李氏が手前で先手を打って崩壊させたのを読んだことがあります。その時、車の
事故死事件がおきていました。誰かの殺意事故事件でしょうね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/20 00:26 投稿番号: [794 / 825]
蒋彦士はずっと秘書仕事を続けてきたので、兵力もなければ、権力との距離も、ちょっと離れているので、個人的の権力集めはしないでしょう。

李氏がけをサイド起用したのは、大変な「知恵」だと、私はそのように見います。彼が走り回って、「八大老」が出面して、非主流派(林洋港、蒋偉国
,ハク参謀総長,李換、=後ろに宋美齢が陣頭指揮)の陰謀を破棄。

これが李氏の地位を立てた大きな事件であった。

それ以来、蒋彦士は李氏を長く支えたのは目に見えですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/19 04:08 投稿番号: [793 / 825]
natunokaze001様:
紅南事件の原因となった彼が書いた蒋経国とゆう本がCA.出版されて、内容は何ひとつ蒋の批判、告発、などの記載がないのに、地下潜入エージェントを送り紅南氏を殺害したほどの人物であったから、自分が死ぬ前に自分の全部を知る蒋彦士の口塞ぎをかねて冷凍死させたのかもしれません。私の推察ですが。一時的にも李前総統は蒋の援助を受けて、相手側を抑えてしまいその後、民進党的な立場で勝利したのがよかったですね。
外省人であった蒋彦士には経国の本省人の李氏に総統職を譲るのは残念で
あったでしょうな〜。政治家には賢明な裏方が必要なんですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/19 00:14 投稿番号: [792 / 825]
李氏はむしろ、多くの外省人を、使って、台湾の民主化に力をそそがられたのですね。

蒋彦士は完全な外省人ですよ。長くショウケイコクの側近を務めていました。天下の秘書長というあだ名があります。それは、行政院の秘書長、国民党の秘書長、総統府の秘書長を歴任しているかでした。

ショウケイコク氏の右腕的な役を成し遂げたのだが、何かの事件で、ショウケイコクが亡くなる前、冷凍されていました。

彼が李氏を手助けしたのは、李氏がショウケイコクの任期をあと継いで、、次の自分の任期をはじめるとき、非主流は、大団結して、李氏を倒すつもりであった。その勢力、まさに莫大で,李氏は風前のともし火当然であった。

それで、李氏が蒋彦士を起用して、総統府に秘書長に任命。彼は昔日の影響力を発揮、八人の国の大老(党国元老=かつての国の重臣)を、表に出して、非主流の反撃を抑えた。これが成功したので、後の李氏の任期があった。

宋を後継者に指定しなかった理由は、連のほうが履歴が完璧であるのでしょう。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/18 02:49 投稿番号: [791 / 825]
natunokaze001様:
宋氏の功績はわかっています。蒋彦士氏は半山でありますね。多くの閣僚
人事を経験したのはわかりますが、李前総統への功績はどんな形であったのですか。
また李前総統は何故宋氏を副に指名せずに連戦を指名したのでしょうか?
外省人でも本省人以上に本土化した人物が多々いましたね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/18 00:54 投稿番号: [790 / 825]
李氏の側近に一人、大事な人物があります。&#34083;彦士という人です。その他に外省人で、宋楚愉があげられます。この二人は、ただならぬちからを発揮して、李氏を危機から救いました。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/16 03:34 投稿番号: [789 / 825]
natunokaze001様:

胡錦濤ですね。間違いました。改正して謝します。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/16 03:31 投稿番号: [788 / 825]
natunokaze001さま:
政治家には要約して二通りの精神に分かれていまして、明治維新の時期の
わが身をなげうって御国のために精進したのと、結局自分の栄達と財を肥やすための下種のとにわかれました。明治の元勲たちは命を張って目的に
走りました。李登輝氏もそんな精神で台湾を導いたのです。逆に、大陸には
毛澤東とかスターリンとか個人的な功績がなくても英雄になれた連中がいました。傍に賢明な連中がいたからでしょう。周恩来などが典型的ですね。李氏の傍で活躍した人は誰がいたのでしょうか?副の指名を受けた連戦などは栄誉栄達ばかりで今でもまだ胡謹濤の足元に繁く通っていますね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/12/16 01:21 投稿番号: [787 / 825]
江丙坤は本省籍と、覚えているが、誰もが彼を外省人と、間違えるほど、彼は外省人のようなしぐさをするのですね。

もっとも、それが馬から、海基会のトップに任命したゆえんでしょう。

リピアのような惨め結果を招くのはなしですが、それも、陣痛みたいなものですね。

タイワンが革命を経由しないで、民主制度に転化できたのは、李登輝氏のような理想と、政治良心のある人が、推動したのに、ゆえんします。

大陸には、そのような人がありません。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/15 04:49 投稿番号: [786 / 825]
natunokaze001様:専制政治は一度崩壊しだすと直ぐ倒壊するものですが、そこまでの道程がちょっと困難であり、時間がかかります。そしてその結果が上手く行くと人民も進めるのですが、上手く行かないとリビヤの如く、犠牲がおおすぎますね。

本島人で立法議会議長の王金平氏みたいにかっては李前総統と近い関係を
維持していました。海峡外交関係で渉外をやる江丙坤は日本留学組であるが、どうも親日タイプではなさそうです。日本語は大変上手ですね。彼は
外省人か本省人ですかね?国民党の中も人様々ですね。
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