ビックリ台湾!?
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Re: 中型バス
投稿者: monogusa_ummo 投稿日時: 2012/01/06 19:11 投稿番号: [2604 / 3149]
これは メッセージ 2585 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: デフレ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/06 12:53 投稿番号: [2603 / 3149]
わしは年のせいで腰が痛いので、町を歩くことはなくなったが、タクシーで
見た限りでは台北市にシャッター街は見かけない。しかし衡陽路を何年もタ
クシーで通ったことがない。戦前そこは栄町という内地人の商店街で、台北
市でいちばん繁栄していた。戦後衡陽路になってからも繁栄が続いていた
が、今から10年ぐらい前歩行で通ったとき、衰えを感じた。今はどうなっ
たことやら。
これは メッセージ 2602 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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デフレ
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2012/01/04 22:29 投稿番号: [2602 / 3149]
はじめての訪台の時はまだ「角」という通貨単位があって、実際に食堂などで使った記憶がある。その後、台湾の爆発的な経済成長が続き、「角」などはとっくに姿を消して、当時、12元のタクシーの初乗りが今は70元だというから台湾のインフレも確実に進んだことになる。経済のことはわからないが、インフレと経済の成長は表裏一体で進み、そして、いまの日本のように超老齢化社会になって成長が止まり、人民の購買力が収縮すると、こんどは一転してデフレになる。なにしろ、老人たちはモノ、とくに耐久消費財を買わない。しかも、近年は「アジア価格の襲来」で、物価がたしかに安くなった。量販店が必死になって安売りをしているなか、安閑としてこれに乗り遅れた小売店などはひとたまりもない。商店街がシャッター通りになったのにはそうした理由があるわけだが、先進国台湾もその筋書きから逃れられないだろう。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: 箪笥貯金
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2012/01/02 12:31 投稿番号: [2601 / 3149]
> わしは儲かっているかも知らん。
その20万円は現在、1元=2.54円ですから、新台幣78735元になります。6年前なら、1元=3.5円として57142元、なんと、2万元以上儲かっている計算です。しかも、日本経済の長期低迷、崩落でデフレが収まらず、カメラ、電気製品などは大きく値崩れしていますから、20万円はかなり使いでがありますよ。
これは メッセージ 2600 (unhoo さん)への返信です.
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箪笥貯金
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/02 12:04 投稿番号: [2600 / 3149]
>その場合、東電の上場を廃止するほかはないから、株券は紙くずになる。
↑ネットで日本の経済状態が楽観を許さないらしいことを知っているけれど
も、老人が沢山貯金をしているという情報もある。ケインズの理論からする
と日本の老人はけしからん。
台湾の経済情勢はどうなのだか、さっぱり情報がない。
わしは6年前に日本へ旅行したときの¥の使い残りが20万円あって、その後
日本へ行かなかったから、いつの間にか箪笥貯金になった。¥の相場が上が
ったというから、わしは儲かっているかも知らん。
これは メッセージ 2599 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 餅(もち)
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2012/01/01 11:41 投稿番号: [2599 / 3149]
謹賀新年。
東京電力株価、大納会の終値が183円。震災前は2000円台、4年ほど前のリーマンショック以前は4000円台の優良資産株だった。それがいま183円。このままではすぐに負債超過の破綻会社になるから「国有化」が現実課題になっている。その場合、東電の上場を廃止するほかはないから、株券は紙くずになる。
これが今年は現実になるだろう。悲惨な日本の近未来を象徴している。
これは メッセージ 2598 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 餅(もち)
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/01 04:56 投稿番号: [2598 / 3149]
戦前の話である。戦前であることを表示するために、内地人、本島人という
言葉を使ったけれども、通じ無かったとは意外。現在では内地人、台湾人は
廃語である。
現在の台湾には純日本式のお菓子屋はない、長崎かすてらと同質のかすてら
を売っている店はある。店名「一之郷」で。この名の店が台北市だけで十数
軒あって、一箇所で製造して、十數軒へ送って売るのであろう。
和菓子を売っている店は多数あるが、全然別々の店である。
日本式の餅を売っている店は今はない。
これは メッセージ 2597 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 餅(もち)
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/31 19:12 投稿番号: [2597 / 3149]
unhoo先生、「年末になると内地人のお菓子屋が…」というのは今のお話ですか。台湾に和菓子を商う日本人がいても不思議ではありませんが商売になっていますか。
子供のころ、わが家にも石の臼があって、正月が近くなると両親や近所の人が集まって餅つきをしました。今はスーパーにパックされた切り餅がありますから、臼と杵の餅つきなぞは余程の田舎でもまずお目にかからない風景です。
三が日、たいていのクルマがフロントグリルに正月の飾りをつけて走っていましたが、世の中に余裕がなくなったか、いま、そんなクルマは絶えて見ません。
。
これは メッセージ 2596 (unhoo さん)への返信です.
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餅(もち)
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/31 17:02 投稿番号: [2596 / 3149]
年末になると内地人のお菓子屋が鏡餅や板状の餅(切り餅と言っていたか)
や小さな可愛らしい餅を店に並べるから、本島人もつい買ってしまう。さ
て、どうやって食うのか見当がつかない。炭火で焙るとやわらかくなり香ば
しくて一応は食えるが、すぐ飽きる。食い残した餅は日が経つと固くなり、
包丁で切るのに苦労する。日本の餅は搗いているうちに空気中のカビの種
(胞子)を搗きこんでしまうから、買って一週間もたつと中からカビが成長
する。家族の誰かが油揚げにして食おうと言い出した。家にはいつも料理用
のラードがある。それで揚げて食った。
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Re: バター
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/25 18:16 投稿番号: [2595 / 3149]
戦前の新聞の復刻版に「輸入防圧」という活字があった。そういえば、戦後も長い間、輸出が「善」、輸入は「悪」という図式が当然の如く罷り通っていて、外貨を稼ぐ企業は「輸出貢献企業」として通産省の「表彰状」がどこでもズラリと飾られていたのである。台湾は戦禍もごく少なく、日本が遺した資産もあって輸出代替産業を興すのは比較的容易だった。それでも、わたしの初めての訪台のころは、下着などは化繊に限られ、「綿製品」は禁止だと聞いて驚いたことがある。やがて台湾は使い道に困るほどの外貨を溜め込むことができ、一時は世界一の外貨保有国の地位についた。今は今で中国相手にしたたかに稼いでいる。台湾はまもなく周辺国(日本を含む)が羨むほどの金満福祉国家になるだろう。
これは メッセージ 2594 (unhoo さん)への返信です.
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Re: バター
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/25 16:48 投稿番号: [2594 / 3149]
戦後蒋政権時代、ドル為替不足で外国製品が何もかも輸入禁止だったのに、
豪州産とニュージーランドのバター!ポンド缶3種がいつも買えた。そのう
の1種はtokyo_cachito3
さんのおっしゃるAnchor牌で、他の2種は今思い
出せない。3種とも品質がしょっちゅう変って、今はどの牌がよいと友人親
戚が知らせ合った。
そのころ台湾に脳溢血患者増え始めた。やがてアメリカの医学者がコレステ
ロール学説を提出し、脳溢血は脳血管の内部にコレステロールが沈積したた
めに起こると説き、コレステロール含有量の多い食物のリストが発表され
た。その冒頭に置かれたのがバターであった。それで台湾からバターをトー
ストに塗って食う人がバタバタ消滅し、バターの売れ行きが止まった。
今でも台湾人はバターを有毒食品だと思っている。お菓子の中にバターが入
っていることは承知だから、お菓子もあまり食わないことにしている。
これは メッセージ 2592 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: バター
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/24 11:08 投稿番号: [2593 / 3149]
そのフィリッピンでカリフォルニア産の葡萄を食べたことがある。あまりの美味さに仰天、絶句で、「これがブドウか!」と、まさに「井の中の蛙、大海を知らず」だった。「Trans-Pacific Partnership」が実現したら、日本の農業、酪農はその大半が壊滅するだろう。もちろん、民意の過半を切り捨てる小選挙区制で、都市部と地方の一票の格差が「あって当たり前」の日本では、いまのところ、その心配はない。
これは メッセージ 2592 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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バター
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/24 10:54 投稿番号: [2592 / 3149]
店頭からバターが姿を消して一ヶ月あまり。これが欧米なら上を下への大騒ぎになるだろうが、あくまでも生産者優位、過保護、そして消費者不在の日本ではなんのこともない。日本の酪農がいかに脆弱で薄っぺらなものかを露呈したわけが、食品業界で使う業務用バターだけは緊急輸入の許可が下りたようだ。つまり、バターは事実上の輸入禁制品なのである。日本が「自由貿易国」だと思ったら大間違いで、これ以外にも「輸入割当」という既得権保護の禁輸品は数多い。フィリッピンで口にした「anchor」という豪州だかニュージーランドだかのバターがあまりにも旨くて大量に買い込み、土産として会社のオバサンたちに配ったことがある。悲しいかな、日本人は「明治」か「森永」の「不味い」バターしか知らないから、あのバターの「独占販売権」を手に入れて一括輸入ができれば大儲けなのだが、そうはいかない。台湾のバターは印象がないがどうなのだろうか。そうそう、以前にも書いたが、台湾のホテルで朝食にでたトーストの旨さに飛び上がって驚いたことがある。「小麦粉には等級があるのか」と思い至ったが、実際はどうなのかわからない。小豆には数段階の等級があるから、小麦にもたぶん、あるのだろう。
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冬至 文章訂正
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/22 13:15 投稿番号: [2591 / 3149]
×
冬至の日は1年で一番日出がおそく、日没がおそいのだと思ったがそうでなかった。
(文章書き間違い}
○
冬至の日は1年で一番日出がおそく、日没が早いのだと思ったがそうでなかった。
(と文章を訂正)
事実は日出、日没ともに冬至が過ぎた後の方が遅い。冬至が一番日が短く、夜が長いことは間違いありません。
これは メッセージ 2589 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 冬至
投稿者: pinglong1 投稿日時: 2011/12/22 11:11 投稿番号: [2590 / 3149]
私達は冬至が一番夜が長いと
教わりましたが違うんですね。
これは メッセージ 2589 (unhoo さん)への返信です.
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冬至
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/22 02:59 投稿番号: [2589 / 3149]
12月22日は冬至で、台北だけでなく世界中が冬至である。冬至の日は1年で一
番日出がおそく、日没がおそいのだと思ったがそうでなかった。
2011年冬至の日から年末まで台北の日出、日没の時刻。
12月
日出
日没
日出から日没まで
19日
6時33分
17時09分
10時36分
20日
6時34分
17時09分
10時35分
21日
6時34分
17時09分
10時35分
22日
6時35分
17時10分
10時35分
23日
6時35分
17時10分
10時35分
24日
6時36分
17時11分
10時35分
25日
6時36分
17時11分
10時35分
26日
6時37分
17時12分
10時35分
27日
6時37分
17時12分
10時35分
28日
6時38分
17時13分
10時35分
29日
6時38分
17時13分
10時35分
30日
6時38分
17時14分
10時36分
31日
6時39分
17時15分
10時36分
2012年の学術暦をまだ手にいれていないから1月に日出日没時刻がどう変化す
るか調べられない。
今年冬至の日、東京では(日本の時刻で)
12月
日出
日没
日出から日没まで
22日
6時47分
16時32分
09時45分
(台湾より50分日が短い)
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邸宅
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/18 11:16 投稿番号: [2588 / 3149]
フィリッピン人の一団と付き合いがあった時分、彼らから異口同音に「日本はいい国だ」と聞かされた。「日本はEqual(平等)だ。誰でもクルマが買える。貧乏な家もない代わりに豪邸もない。これはすばらしい」というのである。マニラでは例の「世界最悪の場所」、スモーキーマウンテンからトンドのスラム街、翻ってはタガイタイの高級別荘地、さらにはマルコスのログハウスまで見たが、「これではあまりに酷い」とフィリピン人の不甲斐なさに苛立ちさえ覚えたものだ。あのタラタラとしか出ない水道だけでもなんとかならないのか。
日本だって猛烈な貧富の差はあるのだが、傍目にはそれがあまり目立たないのは確かかも知れない。わたしの家の近くに東証一部上場、世界的なカメラメーカーの社長の家があるが、いかにサラリーマン社長とはいえ、あれではホノルル郊外の普通の住宅のほうがマシだろう。ホノルルで思い出したが、オアフ島のどのあたりだったか、海岸沿いの崖の上に城郭のような大邸宅があったが、ハワイの「パイナップル王」の屋敷だと聞けば頷かざるをえない。
ソウルの江南地区は邸宅街で、分厚い石材を組み上げた正真正銘の大邸宅がならんでいる。「いやはや、邸宅とはこれらをいうのか」と感心するやら呆れるやらで、まぁ、あれならビバリーヒルズ(行ったことはないが)に持っていっても大威張りではないかと思う。もっとも、ソウルタワーの山の斜面に何百何千という木造小屋が密集した貧民窟があったのも書いておかなければならない。
台北の天母はハイクラスの住人の町で、30年近く前でも、ごちゃごちゃした下町とは隔絶した雰囲気があった。台中の清明街あたりに大理石の大きな新築のお屋敷があったが、庭園らしきものもなく、まわりの雰囲気からは浮いたゴテゴテとした成金趣味が残念だった。もちろん、持ち主の耳に入れば「大きなお世話だ、貧乏人めが」と言われるだろう。そうそう、昇竜中国を忘れていた。いつぞやのテレビでむこうの金持ち夫婦が紹介されていた。中国でプール付き邸宅とはご同慶の至り、恐れ入るほかはないが、いや、霙の降りそうな寒天のなか、三つ揃いの旦那がプール脇のテーブルでワイン片手に気取ったところはなんとも言いようのない光景でした。
これは メッセージ 2586 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 屏東縣にはまだきれいなのが
投稿者: pinglong1 投稿日時: 2011/12/17 12:35 投稿番号: [2587 / 3149]
monogusa様
わざわざ、写真までアップして頂き
有り難う御座いました。
台湾の片田舎に居りましたので、色々な形の
鉄牛車って言うんですか?観た事が懐かしいです。
これは メッセージ 2579 (monogusa_ummo さん)への返信です.
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タイル
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/17 10:37 投稿番号: [2586 / 3149]
これもなかなか気が付かなかったが、台湾の建築には外壁や家の中までタイルが多用されている。そういえば、張さんの以前のマンションは床までタイルだった。なぜかと考えたが、結論は「防暑」だろう。これは断熱になり、蓄熱もしないから台湾の夏には適しているようだ。モップひとつで掃除もできるから衛生的だ。ははぁ、それで張さんのところには掃除機がなかったのか。
これは メッセージ 2585 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 中型バス
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/16 16:12 投稿番号: [2585 / 3149]
自動車工業は総合産業なので、その製造は一級の工業国でなければできないという先入観がありますが、ボディだけを金型プレスで製作すれば、あとの部品はすべて輸入で事足ります。その典型がフィリッピン製ジープ。ウィルスMB、あるいはフォードGPWのボディ金型はフランス、フィリッピン、そして一説には台湾に渡ったとかで、以前、比国では組み立てたボディにトヨタカローラの3K型エンジンを載せて比国内で販売していました。輸出ができなかったのは「保安基準」がなきに等しく、サイドブレーキまで省略されていたからです。これにはステンレスのボディまであって、25年ほど前の邦貨との換算で60万円でしたから、いま、その価格が変わらないとすればおよそ20万円という計算になります。知り合いに、そのステンレスボディだけを輸入して三菱やウィリスのジープに換装すれば四駆マニアに需要があると見込んで相談にきた人がいましたが、結局、話だけにおわりました。昔は、商品はあっても販路がないとして輸入をあきらめる人が多かったのですが、いまはインターネットで販売できるので、品物さえ確かならだれでも「小売り商人」になれますね。まあ、それでも大抵は損をして引き下がるのが普通ですが…。
これは メッセージ 2582 (monogusa_ummo さん)への返信です.
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Re: 赤峰街
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/16 12:01 投稿番号: [2584 / 3149]
栄枯盛衰は世の習いと言いますが、30年前の赤峰街、クルマに関しては何でもござれと、それぞれの専門店がひしめき合って大変な賑わいでした。いまストリートビューで見ると、すっかり寂れて昔の面影はありませんね。
日本でも師走になると大会社の正面玄関には松竹梅の立派な「松飾」を出しますが、鳶職が一般向けに正月飾りなどを売る街の露店も見かけなくなり、よほどの金持ちでも玄関前の本格的な松飾などはまず出さなくなりました。このご時世、正月の注連縄や松飾は縁起物で値段も安くないのが一因でしょうか。ところが、これがなんと最近では「100円ショップ」に並ぶようになりました。これでは丸太を高く組んだとび職の露天も太刀打ちできません。ただ、ちょっと手の込んだ松飾はさすがに100円ではなくて、300円の値が付いています。とは言ってもチャチな玩具のようなもので、手にとると案の定、中国製でした。一応は藁の注連飾りも付いていて、それらしくはなっていますが、なにしろ、伝統文化の違う場所で作っているので、注連縄の巻き方も緩く、随分だらしない正月飾りになっています。日本の正月、そんな安っぽいものじゃなかったはずですが、衰弱一方のご時世ではいかんともしがたいのでしょうか。
これは メッセージ 2583 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 赤峰街
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/16 03:03 投稿番号: [2583 / 3149]
赤峰街は知っているが中に自動車部分品店があったということは思いだせない。幼稚園があった。
これは メッセージ 2581 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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中型バス
投稿者: monogusa_ummo 投稿日時: 2011/12/15 20:52 投稿番号: [2582 / 3149]
嘉義縣の頂菜園という所に古いキャブオーバーバスの保存車両があるそうです。これも見てくる予定です。キャブオーバーバスというと日本ではもうレントゲン車や中継車ぐらいでしか見られませんが、台湾には結構いたようです。タイでは今も活躍していると聞きました。
バスというと、ボディとエンジン、シャーシは別の所で作る場合が多く、日本からエンジン、シャーシを輸出して台湾で架装したというのも考えられます。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: 赤峰街
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/15 09:41 投稿番号: [2581 / 3149]
その赤峰街、ジープを扱っている解体業者の店に案内されて話をしたところ、すでに日本人やフィリッピンの業者が入り込んでいて値段が折り合わず、わたしも面倒な商売をする気もなくて、結局、なにも買えませんでした。いまでは三菱ジープそのものが消えて、ジープの改造も見られなくなりました。
日本に「農民車」があったとはまったく知りませんでしたが、いやはや、農民の生活力というものは逞しくも頼もしいものです。写真にある台湾の青いオート三輪はなかなか本格的なもので、小なりと言え、ちゃんとしたメーカーが製造したものではないかと思いますが、わたしが今でも知りたいのは、20数年ほど前まで台北などの都市に大量に走っていた中型の乗り合いバスです。鉤型プレスのボディが特徴ですが、どう見ても日本製とは思えず、どんなメーカーが造っていたのか興味があります。
これは メッセージ 2580 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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赤峰街
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/14 23:20 投稿番号: [2580 / 3149]
台北の双連駅近くに赤峰街という細い通りがあって、そこは自動車のパーツ屋が何十軒も集まっていました。当時の台湾ははまだ、日本のように純正部品の供給がスムーズではなく、どの店にもいわゆる「社外品」「解体部品」などが山のように置いてありました。いま、ストリートビューで見ると、撮影の時間帯によるのかとも思いますが、昔日の賑わいはないようです。30数年前、わたしがそこに足を踏み入れたのは米軍払い下げのウィリス・ジープのパーツを探すためでした。戦後、台湾の軍隊は大量のジープを保有していたのですが、さすがに製造から30年以上も経つとウィリスMBなどは退役してスクラップにまわされていたのです。ところが、日本では一部のマニアの間でジープの部品が随分、高値で取引されていました。たとえば、フロントグリル、ウィンドシールドなどは10万円もしたのです。ハンドルでさえ3万円です。というのも、当時、三菱ジープを改造して「かっこいい」ウィリスに改造するのがマニアの間に流行していて、そのために本物のグリルやウィンドシールドがもて囃されていたわけです。以下、明日以降に続きます。
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Re: 屏東縣にはまだきれいなのが
投稿者: monogusa_ummo 投稿日時: 2011/12/14 22:07 投稿番号: [2579 / 3149]
> オート三輪の探索に台湾へお出掛けとは大変な趣味人ですなぁ。
単なる物好きです。いや、過去に台湾には鉄道旅行したりしたのですが、さて、その内容をアップしようと思うと、他の方々と内容が重なるし、写真も文章も下手だし、なんか自分なりの何かをやりたいと思っただけの事です。
> やはり、予め、ストリートビューで探したほうが効率がよかろうと思います。
はい、屏東縣の車城郷あたりは何箇所かみて確認しております。実は屏東縣を調べたのは、下記の方のブログの画像がきっかけでした。
http://blogs.yahoo.co.jp/otoya_ane165/archive/2011/6/1
これ、でかいですよね。高知でトラックを改造して作られたトクサン号もかくやという姿。しかもくたびれていない。現役。興奮してしまいました。
4、5台、すこしずつ形が違う車両を確認しました。全部は無理でもいくつかは見ることができるでしょう。もっとも農閑期は動いていないかもしれません。
> 台北の晴光市場の一角に一台写っていました。
情報ありがとうございます。たしかどこかの夜市の近くでも日本のミゼットくらいの大きさのものを実見しておりますので、見てこようかと思います。
これは メッセージ 2574 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 屏東縣にはまだきれいなのが
投稿者: monogusa_ummo 投稿日時: 2011/12/14 21:44 投稿番号: [2578 / 3149]
>トラックの前面バンパーの上にヤンマーのエンジンを
>載せていたのを、よく見ましたが今でも見た事有りますか?
これは、台湾での事ですよね。私は見たことはありませんが、今でもあるようです。下のURLの中に画像があります。
http://ee.tcc.edu.tw/08community/taan/htm/2-1.htm
この画像の場所以外に、台南の農村で見たという人の話も聞いたことがあります。農家の人が畑に通ったり、収穫したものを持ち帰ったりするのに使われるようですね。
台湾ではこのようなでっち上げトラック(笑)や、町工場で作られたオート三輪、四輪駆動のトラックをまとめて「鉄牛車」と呼ぶのだと最近知りました。
日本ではこのような車両は「農民車」と呼ばれ、淡路島や和歌山のみかん農家で見たという人の話も聞きました。広島、岡山あたりにも今はどうかわかりませんが、過去には存在したようです。
淡路島の農民車については詳しいWEBページがありました。
http://www.page.sannet.ne.jp/tkn203/
これは メッセージ 2575 (pinglong1 さん)への返信です.
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Re: 屏東縣にはまだきれいなのが
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/14 11:59 投稿番号: [2577 / 3149]
その、一介の職工だった本田宗一郎のつくった会社が、いまでは世界的な大会社になっていますが、戦後、浜松で一式陸攻など爆撃機の発電用2サイクルエンジンが焼け残って放置されていたのを拾ってきて、自分の奥方用にそれを自転車につけてベルト駆動で走らせたのがホンダの始まりとか。いまではまったく夢のような話ですね。
これは メッセージ 2576 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 屏東縣にはまだきれいなのが
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/14 11:49 投稿番号: [2576 / 3149]
>
トラックの前面バンパーの上にヤンマーのエンジンを載せていたのを、よく見ましたが今でも見た事有りますか?。
そういうトラックは見たことはありません。何のためにバンパーの上にエンジンを載せるのか見当もつきません。
いまでは、どんないいエンジンでもクルマの廃車とともにスクラップになりますが、昔のエンジンは再生のためにオーバーサイズの数種のピストン、ピストンリング必ず用意されていて、それに合わせてシリンダを研磨してから新ピストンを組み付けることができました。これで、エンジンの「圧縮」が回復するわけです。戦前から昭和20年代はまではそうした専業のエンジン再生工場がいくらもあったそうで、本田宗一郎が昭和初期に東京の虎ノ門で職工として働いていた「アート商会」もそうした工場でした。ボーリングまでは行わず、バルブを研磨して「当たり」を出し、ピストンリングだけを取り替える比較的簡単な作業でも「圧縮」はかなり回復したそうです。昔のエンジンは、材質や冶金技術が良くないためとにかく磨耗が早かったといいます。
これは メッセージ 2575 (pinglong1 さん)への返信です.
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Re: 屏東縣にはまだきれいなのが
投稿者: pinglong1 投稿日時: 2011/12/14 11:07 投稿番号: [2575 / 3149]
トラックの前面バンパーの上にヤンマーのエンジンを
載せていたのを、よく見ましたが今でも見た事有りますか?
これは メッセージ 2574 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 屏東縣にはまだきれいなのが
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/14 09:58 投稿番号: [2574 / 3149]
オート三輪の探索に台湾へお出掛けとは大変な趣味人ですなぁ。日本統治時代の家屋、建物ならいくらも残っていますが、オート三輪に出会うのはなかなか難しいのでは…。やはり、予め、ストリートビューで探したほうが効率がよかろうと思います。台北の晴光市場の一角に一台写っていました。
これは メッセージ 2572 (monogusa_ummo さん)への返信です.
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Re: 討ち入り前の腹ごしらえ
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/14 09:05 投稿番号: [2573 / 3149]
>わしは日本の食物も台湾の食物もあまり知らない。
これはご冗談を仰います。蕎麦は温かいものもあります。戦前、台湾の人々が蕎麦や素麺を食べる日本人を見て「あんなものに栄養があるのか」と思っていたようです。たしかに、あれでは…。
新暦、旧暦の違いはありますが、今のこの時間は四十七士が吉良の首級を高輪泉岳寺に持ち込んだあたりかと思います。吉良邸から泉岳寺までは直線距離で6キロ程度ですから、徒歩で2時間ほどでしょうか。
これは メッセージ 2571 (unhoo さん)への返信です.
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屏東縣にはまだきれいなのが
投稿者: monogusa_ummo 投稿日時: 2011/12/14 05:51 投稿番号: [2572 / 3149]
台湾のオート三輪、気になる存在でした。
屏東縣の方で見かけたという話を聞いて、あちこちストリートビューで見たのですが、車城郷のあたりで何台か確認できました。
現役かはわかりませんが比較的きれいな状態です。
正月休み(もちろん日本の)に見てきます。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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討ち入り前の腹ごしらえ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/14 02:15 投稿番号: [2571 / 3149]
わしは日本の食物も台湾の食物もあまり知らない。日本の蕎麦は、茹でたの
をザルに盛って、「つゆ」というたいへん味のいい液にちょっと浸して食う。
これで腹ごしらえは出来るが、旧暦12月13日、新暦で1月上旬の寒夜では、
たいへん寒い食事だ、日本には冬の暖かい食べ物はなかったのかな。
これは メッセージ 2570 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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もうすぐ討ち入り
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/13 23:20 投稿番号: [2570 / 3149]
「何用でこうお集まりと蕎麦屋いい」。14日未明が赤穂浪士の討ち入りだから、蕎麦屋に集まったのは13日の晩ということになる。映画では、武具の目利き講などという理由をつけているものもあるが、史実としては蕎麦屋などではなく、江戸に家作を持っていた堀部安兵衛宅など三箇所とされている。わたしの英語の個人教授だったアメリカ婦人が「47RONIN」という小説を持っていて、その感想を聞いたら「Beautiful」だという。
「いかさま憎ていな顔と和尚いい」古川柳が好きな人なら、これだけで、この和尚が泉岳寺の住職だとわかる。
これは メッセージ 2568 (pinglong1 さん)への返信です.
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関渡
投稿者: tefteftw 投稿日時: 2011/12/11 19:22 投稿番号: [2569 / 3149]
いつも楽しく見させてもらっています。そこで物知りの皆様に質問させていただきたく投稿します。
関渡から紅樹林のサイクリングロードが好きで時々サイクリングするのですが、先日関渡は日本時代江頭と言われ、河が始まる場所という意味だったそうですが1946年に改名したとあります。その後40数年前河をスムーズに流すため国連の技術者職員の忠告を受け入れ、淡水河のどこかを壊したことでそれまで潮が上らなかったのに上がるようになり、恐らく今の三重市等を始め全て?の台北の農地が潮の被害で全滅したと聞きました。
それは事実でしょうか?そしてそうだとすればどこを壊したのでしょうか?今の関渡橋あたりでしょうか?どう調べたらよろしいでしょうか?
ぶしつけな質問ですが、よろしくお願いします。
私は今淡水に住んでます。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/a5sa5ca5afa5jbfoqa1aaa1a9_1/2569.html
Re: もうすぐ月食
投稿者: pinglong1 投稿日時: 2011/12/11 10:54 投稿番号: [2568 / 3149]
10時40分になったら雲が出てきて見えず
撮影を諦めました。
これは メッセージ 2567 (unhoo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/a5sa5ca5afa5jbfoqa1aaa1a9_1/2568.html
Re: もうすぐ月食
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/10 23:15 投稿番号: [2567 / 3149]
月食は皆既食に入った時刻だが、台北は重く曇って見えない。
これは メッセージ 2566 (unhoo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/a5sa5ca5afa5jbfoqa1aaa1a9_1/2567.html
もうすぐ月食
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/10 22:05 投稿番号: [2566 / 3149]
台北で曇って月が見えない。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/a5sa5ca5afa5jbfoqa1aaa1a9_1/2566.html
Re: 姑息
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2011/12/08 12:43 投稿番号: [2565 / 3149]
「けふ、大詔奉戴日」なんて言ったって判る人はごく少ない。70年目なのだが、ニュースでもほとんど取り上げない。敗戦の8月15日は喧しいが、この日ばかりは何ごともなく過ぎていく。
これは メッセージ 2564 (unhoo さん)への返信です.
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