ビックリ台湾!?

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

新型流感

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/05/20 11:08 投稿番号: [1861 / 3149]
豚流感のウイルスが変形したので、新型流感と呼ばれることになり、日本が世界第4位の発生数に達したが、台湾には今の所発生していない。流感は夏が来ると自然に消えるから、日本は今がピークであろうし、台湾は発生ゼロで乗り越すであろうと、医学門外漢のわしは楽観している。

天津甘栗

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/05/18 22:20 投稿番号: [1860 / 3149]
  甘栗の殻を剥いて袋詰めにしたのは日本人のアイディアである。10年ほど前、「甘栗むいちゃいました」というネーミングでコンビニに登場し、大変なヒット商品になった。だが、それはすべて中国の工場で中国人が手で剥いたものだ。もちろん、冷えて袋にパックされそれは熱い石で砂糖と一緒に煎った天津甘栗の香ばしい風味はない。その剥いた甘栗はすでに日本人にはすっかりお馴染みで「物珍しさ」などはまったくないのだが、来日も浅く、日本語も解さない大勢の若い男たちが中華街の路上で通行人に立ち塞がり、「中国にはこんな旨い物があるぞ」と言わんばかりに「試食品」を突きつけてくる。ただのサービスだと思ってその一かけらを手にすると猛烈な押し売りが始まり、大声を出して付き纏ってくるが日本では許される商法ではない。たしかに、小袋の剥き甘栗が2000円で売れれば利益は凄まじいだろう。

Re: オタク

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/05/17 18:49 投稿番号: [1859 / 3149]
  台湾では「宅男」というそうだ。「オタク」は確かに日本の若者文化の一翼を担っていて、秋葉原こそが彼らの「聖地」である。、もちろん「宅男」にとっても憧れの地であり、張さんの弟が来て今日で六日目だが電車を乗り継いでもう二回も出掛けている。朝9時頃出て夜に帰ってくるのだが、あの狭い地域をどう歩いているのだろう。個人的な趣味を脇から良い悪いと批判すべきではないが、漫画と人形に集約された架空の世界に浸ってどういう意味があるのか私にはわからない。

横浜中華街

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/05/16 19:37 投稿番号: [1858 / 3149]
  相変わらずの賑わいぶりだが以前よりは人出が少なくなった気もする。ひところ、休日などは「押すな、押すな」の騒ぎで歩くのも困難だったが人気が落ちたのか。
中華街で出される料理はほとんど例外なく日本風にアレンジされていて、大陸や台湾では当たり前の「五香」「十三香」で風味付けされたものは絶対に出てこない。何事も変遷するもので、いつ頃からか、ファーストフードよろしくおもてで「肉まん」を売っている店が多くなった。「店先で肉まんを売るのはどうか」と、中華街の有力者間で問題になったこともある。たいしたものでもないのに一個500円は暴利に近いと思うが、それでも薄給の日本の若者には大通りの店でテーブルを囲むのは厳しい。
暴利といえば「甘栗」だ。昔は「天津甘栗」の看板を掲げて石焼胡麻で売っていたが、近頃は袋入りの甘栗を道端で1000円、2000円で売っている。これが「押し売り」に等しく、若い中国人が小さなプラスチックの籠に入れたサンプルの甘栗を配っていて、さすがに暴力沙汰にはならないがそれに手を出したらあとが煩い。それが「中央通り」に何十人もいてこの街のイメージを酷く傷つけている。

Re: 海上保安庁

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/05/12 21:33 投稿番号: [1857 / 3149]
>「つまりですね、手紙を入れて栓をした空瓶は昔から海上や孤島で救援を求める遭難者の通信手段として使われてきたのです。ですから、国際法でそうした空瓶を見つけた船員は必ずそれを拾い上げるように義務付けられているのです。したがって、遭難者でない者は海に栓をした空瓶を捨てることを禁止されているのですよ」
____________________

国際法にそういう規定があるとは知らなかった。万人の首肯できる規定ですね。聞いただけで嬉しくなります。

定額給付金

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/05/11 13:06 投稿番号: [1856 / 3149]
  皇恩万民に遍く聖徳八紘に光被すとされた戦前でさえ、統治権を総攬する天皇陛下が災害など特別の理由もなくして臣民に現金を下賜されたことはなかった。ところが、お情け深い「自民・公明連立政権」のおかげで日本国民だけでなく、定住する外国人にさえ一万二千円、年寄りと子供には二万円という大金をくださることになり、その「申請用紙」などが封書で送られてきた。
ご丁寧に寄付の申し出をする用紙も同封されていて、その「使い道」もA〜Dまで指定できる。わたしは「C」を選んで寄付するつもりだが、その領収書が出るとは書かれていない。このあたりが役所仕事なのだろうが、いかに「陰徳」を積む大切さとは言え、ここはやはり「寄付金受領書」が欲しいところだ。さらに酷いのはカネを銀行や郵便貯金に振り込んで貰うには「身分証明書」と「通帳」の写しが必要で、それを用紙の裏に糊で貼るように指示されていることだ。なんという役所的感覚だろう。なぜ、そんなことをするのか、その理由がわからない。カネをくれるのなら書留で小切手でも送って、それを銀行か郵便局に持っていけば済むことではないか。今日、「寄付なんかしない」という高齢の母の分をやってあげたが、一人暮らしの年寄りにコンビニまで足を運ばせてやり方もわからない「コピー」をさせようとするこの国の役人の無神経さは尋常ではない。

自転車

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/05/10 16:45 投稿番号: [1855 / 3149]
「そちらに自転車はあるか。できたら一人で市内観光したい。中華街に行きたい」
「自転車はないが貸し自転車を用意しておく。しかし、自転車だと市の中心部まで一時間はかかるが大丈夫か」
「先日は(台湾で)五時間も乗った。地図とグーグルアースで地理を勉強しているから問題ない」

ヤフーの翻訳に助けられて張さんの弟とこのようなメールのやりとりをした。だが、自分の不明だったが、いまどき観光地でもない限り「貸し自転車」などはどこにもなかった。自転車などは大型スーパーやホームセンターで一万円から売っている。そこで、「新車を買っておく」とメールしたが余計な出費をさせては悪いと思ったらしく「危ないし地理もわからないから自転車には乗らない」と返事があった。

話は大きく跳ぶ。10年ほど前、新興住宅地にあるわが家に母子の訪問者があった。キリスト教系の布教者で、どこの家のドアもノックして小冊子などを置いていく人たちだ。かれらはそれを「奉仕活動」と言うが、その「奉仕」は創造者の神に対してであって、「為服務人民」ではない。かれら、一軒、一軒尋ねてもたいていは玄関払いを喰らうから、部屋にあげて話を聞いた私などは無信仰だがハルマゲドンの恐怖を免れるかも知れない。まぁ、それはともかく、それがきっかけでその人たち、特に彼女の若い息子が尋ねてくるようになった。驚いたことに地元の大地主で邸宅住まいである。駅前にも随分土地を持っている大資産家で、聞くところでは、駅前に何軒もある不動産屋もこの家に不始末をすると商売ができないという。正直なところ、こういう人たちとつき合って損はない。
で、彼に「自転車」の話をした。「貸してあげますよ、チャリンコくらい。そうだ、親父が去年、電動自転車を買って最近は全然乗ってないから…」と言ってすぐに電話してくれた。昨日、新車同様のそれを充電器と一緒に軽トラックで運んできてくれた。歳は離れているが友達はありがたい。電動自転車は100円のビニールカバーを掛けられ、門扉にワイヤー・キーで繋がれて明後日の張さんの来日を待っている。

海上保安庁

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/05/10 10:03 投稿番号: [1854 / 3149]
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00154691.html

そのペットボトルを海に投げ入れた子供がわかり、海保は記念のプレゼントをするという。以下はわたしが横須賀海上保安部に架電した内容だ。

「このニュースなんですが、おかしいと思いませんか」
「ええ、そういう電話が来ています」
「どういう内容ですか」
「海を汚す行為に記念品はおかしいということですね。ずいぶん抗議の電話をいただいています」
「わたしが電話したのはそういうことではないのです。これは国際法違反なんですよ」
「国際法?」
「知りませんでしたか」
「…ええ」
「つまりですね、手紙を入れて栓をした空瓶は昔から海上や孤島で救援を求める遭難者の通信手段として使われてきたのです。ですから、国際法でそうした空瓶を見つけた船員は必ずそれを拾い上げるように義務付けられているのです。したがって、遭難者でない者は海に栓をした空瓶を捨てることを禁止されているのですよ」
「……」
「海上保安庁がそれを知らなかったのですか。あなた方はそうしたプロじゃないですか」
「…」
「あなたにも上司がおられると思いますが、このことを伝えていただけませんか」
「はい、わかりました。わざわざありがとうございました」


   まったく、プレゼントはこっちが貰いたいくらいだ。

Re: 豚流感

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/05/08 20:28 投稿番号: [1853 / 3149]
2003年春のSARS流行のときは、台湾には数百人程度の病人が出たと記憶する。そのとき最初に病人を出した病院(台北市和平医院だったかな)では適切な防衛処置を取らなかったため、台湾中に伝播させたという責任を問われ、院長や医師1〜2人が免職になったらしい。正確なことは記憶していないが。

そのとき日本や韓国にはSARS病人が発生しなかった。

SARSのときはWHOとか何とか呼ぶ国際機関が共匪に媚びて台湾へ情報を送らなかったから、台湾の医学界は病気の厳重生や伝染力の強さを全く知らなかった。和平医院の院長、医師は冤罪である。

今回の豚流感(豚から人間に感染した後にウイルスが変形したので、今は新型流感と呼ばれているようだ)ではは、韓国はすでに病人が発生し、日本も発生の疑いがあるらしいが、台湾は今の所無事である。

オタク

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/05/05 13:11 投稿番号: [1852 / 3149]
  OTAKUという言葉が世界の若者に浸透している。確たる定義はないが、狭義には人気漫画やゲーム、さらには、その登場人物の人形などに夢中になっている若者のことを言うようだ。語源は、そうした趣味人が互いに「お宅は…」と呼び合うところからきているという。相手を前にして無難な呼び方なのだろう。まぁ、だいたいが内向的で人付き合いはせず、彼女もいない、アウトドアの運動などは好まないといった連中だ。そうした者の「聖地」が東京の秋葉原で、かつての世界的な家電の街も大きく変貌してしまった。家電などは大型量販店がどこにもあって、秋葉原はわたしも十年以上行っていない。

今月、張さんとその弟がわが家に来るが、弟君は何はさておいて「秋葉原に行きたい」という。台湾にだって「オタク」いるし、そうした「信徒」が東京圏に来れば秋葉原に「参詣」しないはずはない。わたしとしても相手が男だから面倒な付き添いのガイドはしない。本人もウキウキ気分であこがれの「聖地」を何時間も歩き回るつもりだろう。

Re: 豚流感

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/05/01 11:14 投稿番号: [1851 / 3149]
  わたしは風邪を引いて寝込んだことがない。「バカは風邪を引かない」というがその根拠はなんなのか、手元の「諺辞典」には載っていないからただの風評だろう。サラリーマン時代には無欠勤で通し、社長から「じつは自分は毎年二回も三回も風邪を引くんだ。君は風邪を引かないそうだが、その秘訣を教えてくれないか」と聞かれたことがある。社内電話ではあったが、一部上場の会社の社長から直接なにかを聞かれたのは後にも先にもそれだけである。
「はい、バカは風邪を…」
「いや、なにかあるだろう」
「そうですね、一つあるとすれば…」
「それを聞こうじゃないか」
「私は非常に寒がりでして、いつも厚着なんです。思い当たるのはそれだけです」
「冬は何枚くらい着るのかな」
「通勤のときは七枚は着ています」
「うーん、それなら風邪は引かないかも知れんな。なるほど、言われてみればコロンブスの卵だな」

後日、この話が社長談として社内報に出てたのには驚いたが、その後、社長からはなんの音沙汰もなかった。

豚流感

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/05/01 02:16 投稿番号: [1850 / 3149]
流感は風邪の一種とちがうか。「ぶたかぜ」と言ったほうが語呂がよいな。

わしが高雄の小学校の小学生だった時代、すなわち昭和5年から11年までの間にも流感がはやって、学校で流感予防注射をしたことが2、3回はあった。あの時代にも流感の予防ワクチンが作れたのかと感心する。人が飛行機で旅行することはなかったから、豚流感が流行することはなかったと思う。流行ったのはおそらくは鳥流感であろう。当時は鳥や豚が流感のバイキンを伝播をするという知識がなく、バイキンが風に乗って伝播するのだとされていた。

あの時代にもマスクの使用が奨励された。薬局で売っているマスクは外面が黒で、内面は白だった。中にセルドイド製のちょっとした装置を取り付けて、マスクの布地と口鼻をすこし離しておくようにし、呼吸が苦しくならないようにしてあった。流感の流行開始から終止まで一人一個のマスクで押し通した。その時代の名俳人が作ったユーモラスな句に、

マスクして汝と我にてありにけり    虚子

というのがある。俳句の約束では、マスクは冬を表す季語である。お互いにマスクしていたから、そばにいた人が知人だとはなかなか気がつかなかったという意味である。「汝と我」はそのころ非常に尊敬されていた哲学者西田幾太郎の著書の題である。「汝と我」といういかめしい語の挿入が、この句のユーモア味を更に増強した。

消費券

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/27 23:10 投稿番号: [1849 / 3149]
台湾で政府が国民一人について3,600元の消費券を配布したのは、旧正月前後だった。旧正月より前だったか後だったか、もう忘れた。配布の第一日、わしの末娘が、わしの分とわしの老妻の分とを娘自身の分と一緒にもらってきた。老妻は自分の分をすぐ娘にやってしまった。わしは引き出しにしまいこんでおいたが、ついに使いどころなしと悟って、昨日末娘にやってしまった。

台湾中でまだ消費券をもらっていない人が十数万人あるそうで、4月末でもらう期限が締め切りなるから、早くもらいに行けと新聞やテレビが言っていた。消費券の有効期限は今年の9月末で、それ以後はただの紙切れになる。

Re: 男女分校

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/23 12:32 投稿番号: [1848 / 3149]
yuwfui 様

わしは昭和5年の4月1日に小学1年生になった。わしは純粋な台湾人だが、入ったのは在台日本人のために建てられた小学校で、台湾人の学童は5%程度しかなかった。各学年3クラスあって、男子組、女子組、男女組となっていた。男女組は同じ教室の中で男の子が右、女の子が左に分けられていた。

毎年入学してくる子が180人ほどあって、男女各半々であった。よって4月から12月までに生まれた男の子、女の子をそれぞれ男子組、女子組みとし、1、2、3月生まれの男の子、女の子を一緒にして男女組にしたのである。すると都合よく男子組、女子組、男女組が各々60人になった。

今にして思うに、男女組の学童の人数がが男子組や女子組と同じだったことは、1、2、3月の三ヶ月に生まれる子の密度が、残りの月よりも高かったことを意味する。するとあの時代の男は5、6、7月に、ほかの月よりも熱心に奥さんを愛撫したことになる。

Re: 男女分校

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/04/23 09:46 投稿番号: [1847 / 3149]
  私は18年生まれですから、戦前の教育システムは解りませんが

  「男女七歳にして、席を、同じくせず」とは、小学1年より

  組が違ったり、同室でも左右に分かれていたんですか?

男女分校

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/22 13:21 投稿番号: [1846 / 3149]
二次大戦終戦の年に生まれた人は今年は64歳になる。戦後の日本は小学から大学まで男女同校だから、今どきの日本人は男子だけの学校、女子だけの学校の時代があったことを知らないかもしれない。戦前は小学校を卒業すると、男子は5年制の女人禁制の中学校へ入り、女子は4年制の「高等女学校」に入った。

現在台湾では3年生の初級中学と、3年制の高級中学とは男女分校である。戦後生まれの日本人には、男女分校とは珍しい話かもしれない。

Re: 中国語の先生

投稿者: keireiwang 投稿日時: 2009/04/17 22:21 投稿番号: [1845 / 3149]
今やすくて、便利な中国語を学習する方法がありますよ。
ネットで1対1で教えているwebができましたよ。
1ヶ月6000円で、毎日25分間、しかも毎日に行ってもいいですよ。
下記のホームページをご覧になってください。
  http://www.ichina.jp

中国語の先生

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/16 03:20 投稿番号: [1844 / 3149]
  街角やスーパーマーケットの入り口などにはよく「掲示板」があって、「探偵」「便利屋」「盗聴器発見」だのと様々な宣伝や勧誘のチラシが貼ってあるが、最近になって目に付くのが「中国語教えます」というやつだ。もちろん、中国人のアルバイトで、多少の日本語が話せるようになると元手が不要でわずかでも稼ぎになると考えるのだろう。一週間ほど前、その「先生」に電話をいれてみた。若い男の声でどうにか日本語は聞き取れたが、夜間の「授業」で一時間三千円だという。だったらCD付きの中国語の本で勉強したほうがいい。

Re: 台湾のインスタント麺

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/15 18:10 投稿番号: [1843 / 3149]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E7%99%BE%E7%A6%8F

  このかたがインスタントラーメンの発明者です。同じような物は「かたやきそば」としてすでにあったのですが、これに中華風の醤油味をしみこませたあと、乾燥させて油で揚げたのが「発明」だったわけです。「お湯を入れて二分でラーメンができる」というテレビの宣伝が当たりました。いま考えるとあまりにもお粗末な食品でした。その後、昭和47年ごろ「カップラーメン」を売り出し、これが爆発的に売れてこの会社は急成長しました。どこの会社でも「残業食」として箱単位で買い置きしていましたね。

台湾のインスタント麺

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/15 17:41 投稿番号: [1842 / 3149]
在日台湾人の某氏(名前が思い出せない)がインスタント麺を製造、販売して大成功したので、台湾でもさっそく模倣品が出現出したが、まずくて売れなかった。そのうちにある企業家が作り出したインスタント麺が「新生麺」という商品名で売り出されて、これは味がよかったので大いに売れた。今から37、8年ほど前のことだ。するとたちまち模倣品が幾種類も現れた。新生麺は大衆に好まれたが、価格競争で敗れて、惜しまれながら廃業してしまった。新生麺は出現から廃業まで5、6年しかなかった。

↓↓ 2.28紀年公園⇒紀念公園と訂正

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/15 17:12 投稿番号: [1841 / 3149]
日本では記念だが、台湾へ外省人が持って来た書き方では紀念である。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/04/15 14:22 投稿番号: [1840 / 3149]
25年以上前(1983年)にインスタント袋麺(当時、300円くらい?)から大ブレイクしたマダム・ヤ〜ン(楊夫人)で御馴染みの湯蘭花さんが20年振りくらいに新曲を出しました。・・・60歳近く?に見えません。
確か・・・?湯蘭花さんは、阿里山の原住民出身の台湾人です。

2.28紀年公園

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/15 09:35 投稿番号: [1839 / 3149]
2.28紀年公園は昭和元年にはすでにあったらしい。あまり大きくはないがよく整っている。日本時代の名称は「新公園」。戦後はいつのまにか「同志」(男の同性愛なかま)が相手を探す場所になっていたそうだ。今でもそうかもしれない。「同志」には「高級外省人」が多いと言われている。

ヤフー掲示板には「同性婚」というトピがあって、それは掲示板の編集部が作ったトピだから、長期間投稿がなくても消滅することはない。今から半年か1年前にわしがこのトピをみつけて、ちょっと質問を書き込んだ。さっそくレスがついた。その後投稿が減少し、今では死火山みたいになった。今の所はわしが書いたものが最後の投稿となっている。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552019568&tid=f1c0adbaa7&sid=552019568&mid=32

Re: 誰もが騙される

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/10 19:23 投稿番号: [1838 / 3149]
  ちょっと説明不足だったかも知れませんが、この「バラエティ番組」というのは出演者全員がテレビタレントで応募の一般視聴者ではありません。ですから、どんないたずらでも許されるのです。昔は宝くじ一等一億円のいたずらなんかもありました。これを専門にやっていたのが「ドッキリ・カメラ」でした。発祥はアメリカの「CANDID CAMERA」で、台湾にも同様の番組がありました。日本人は生真面目でユーモアがないなどと言われてきましたがとんでもない誤解です。

Re: 誰もが騙される

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/10 18:57 投稿番号: [1837 / 3149]
そんなのは、冗談として許すことのできる範囲内ではないと思う。テレビを見ている人たちも笑わずに、苦い顔をするのじゃないかね。

誰もが騙される

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/10 15:55 投稿番号: [1836 / 3149]
   お笑い系の安いタレントを集めたバラエティ番組はどこの局でもやっている。こんなものをハイビジョンの大画面テレビで見る価値があるのかと思うが、先日のやつは一捻りがあって面白かった。わずか四問のクイズ正解で200万円の現金をくれるという。しかもその200万円がパネルに貼り付けられていて興奮した出演者が一斉にその現金に駆け寄った。話はマジである。司会者はさらに、100万の札束の入った封筒を掲げ、三問正解でも100万をプレゼントするというからスタジオには緊張が走る。問題は比較的やさしくて、三問正解の女の子が二人残った。彼女たちの興奮度はさらに跳ね上がった。四問目はやたらに難しくて正解者なし。司会者は二人で50万づつ分けてくださいとその封筒を女の子に渡した。

封筒の札束を取り出した女の子はキョトンとしていた。韓国の一万ウォンが100枚はいっていたのである。日本円でたかだか7万5千円だ。司会者は「100万とは言ったけど、100万円とは言ってませんよ」とクギをさした。
パネルに貼った200万円がすばらしい騙しのシチュエーションになっていたのである。これが台湾なら番組としての効果はさらに大きい。

シチュエーション【situation】
1 境遇。立場。状態。2 事態。形勢。局面。3 小説・劇・映画などで、筋を展開させるために設定された状況。

四月五日午後九時?

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/06 12:43 投稿番号: [1835 / 3149]
時差を忘れている。わしが午後八時すぎ、テレビドラマを見ている奴からチャンネル権を取り上げて、NHKのチャンネルにしたら、立派な髭を生やした後藤新平が出てきた。結局見たのは後半だけ。日本で放送された原版には蒋介石による台湾人虐殺があったが、海外版では削除されたんだそうだ。

台湾人は豚のしっぽを食うってほんとかいと老妻に聞いたら、ほんとよ、とってもおいしいのよ・・・。わしは食ったことないが、生涯食わなくてもいいよ、一億人以上の日本人が二千年来食ったことがないじゃないか。

わしの小学校では本島人学童が5%以下、弁当のおかずを内地人の学童が覗きに来ることはなかった。台北一中の内地人生徒が本島人生徒の弁当を覗いたのか。人間としてのマナーがないな。それはそうと、弁当というものは日本人の発明で、日本人の家庭のおかずは弁当に詰めて冷めた後も風味が落ちないものがいくらでもあるが、弁当というものがなかった台湾人の家庭のおかずは、弁当に詰めたら不味くて食えないものが多い。たとえば豚肉の角煮がそれ。

台湾人はみなし子になった?北一中の本島人生徒は士気がないな。戦後、日本への熱情は片思いだったと思い知らされたことは事実だが、そうわかれば台湾人としての自立を志せばよい。

Re: 四月五日午後九時

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/06 10:56 投稿番号: [1834 / 3149]
「我々は孤児(みなしご)にされたんだ」「命をかけて国の為に尽くしたんだよ。それなのに…」テレビカメラの周りに集まった日本語世代の年配者が嘆いていた。「それなのに…」のあとが続かないのは悲痛である。「差別を受けた」と激昂する人もいた。
摂政宮が台北の神社を参詣するシーンがあったが、今の園山大飯店あたりだろう。

四月五日午後九時

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/04 19:39 投稿番号: [1833 / 3149]
NHKスペシャル   シリーズ   JAPANデビュー   第1回「アジアの“一等国”」

1895年、日清戦争に勝利した日本は、初の植民地として台湾を支配した。敗戦まで半世紀に及んだ台湾統治の実像に迫り、近代日本とアジアの関係の原点を探る。
1895年、日清戦争に勝利した日本は、初の植民地として台湾を支配し、敗戦まで半世紀に及んで統治した。1930年代後半になると、台湾人を強制的に日本人へと変える皇民化政策が進められ、多くの台湾人が日本兵として戦場に送り込まれた。日本統治時代を生きた台湾の人々の証言、近年台湾で発見されたフィルム、2万6000冊の台湾総督府文書などを手がかりに統治の実像を明らかにし、近代日本とアジアの関係の原点を探る。

゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛
  当時の貴重なフィルムの予告映像を見たが、こうした番組はNHKでなければ出来ない。台北の街頭では地元の年配者が日本語で話をしていた。話の途中、急にこわい表情で「日本は酷い」と声を荒げたのには驚いたが理由は聞かずともわかる。明日、見たあとでここに感想を書きたい。

ペスト菌予告

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/03 12:44 投稿番号: [1832 / 3149]
このトピ、もし落ちそうになったら、こんどはペスト菌のことでも書くほかない。ペスト菌はコレラ菌より単純でわかりやすい。

コレラ菌

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/31 02:22 投稿番号: [1831 / 3149]
コレラ菌の研究はまだ医学的に解決していない。たいへん複雑な一大学問であることがわかりました。コレラ菌に効く抗生剤もまだない。しかしコレラ患者に水と電解質の補給を絶やさぬようにすれば、死亡することはない。半世紀前の台湾コレラのことで検索した結果、ちょっとした素人コレラ学者になりました。電解質とは何ぞや、素人だからもう忘れた。

Re: 台湾コレラに、ついて

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/03/29 08:02 投稿番号: [1830 / 3149]
unhoo様

  お気遣い有難う御座います。   もう半世紀近く前の事です。

  前に記したとうり、姉は痴呆症になり昔の事は全然解りませんので

  困っている状態ですので察して下さい。仰るとうり記録は、のぞめません

  がもしかしたらと、思い書き込みました。

  どうぞご自愛の程を。

Re: 台湾コレラに、ついて(訂正)

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/27 13:21 投稿番号: [1829 / 3149]
今から37、38年前のことだし    (間違い)
今から47、48年前のことだし    (と訂正)

前回は計算違いでした。今から半世紀ほども昔のことですね。ため息が出ます。あの時20歳の若い看護婦だった女性は、その後如何なる人生を渡って、今は幸せな生活を送っているだろうか・・・と。

Re: 台湾コレラに、ついて

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/27 05:49 投稿番号: [1828 / 3149]
今から37、38年前のことだし、日本から医療チーム派遣というのでは大事件ではないので、当時の記録が発見される可能性はほとんどゼロです。当時一緒に働いた台湾人看護婦の名前や年齢がわかっているのですか。

Re: 神馬

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/19 09:55 投稿番号: [1827 / 3149]
さすがにインターネットである。ちょっと不鮮明だが台中神社の神馬を見つけることが出来た。

http://blog.goo.ne.jp/taiwankatakura/e/c4c3a348eee1b712dd4b1d63d7817ffd

Re: 神馬

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/18 15:10 投稿番号: [1826 / 3149]
  先生からのご指摘で「神馬」と入力してちょっと調べてみたが、神社にある馬は神が乗るもので武将は関係ないらしい。皇居前広場の楠正成や仙台の青葉山公園にある伊達政宗は立派な馬に乗っているので「あれにも武将が乗っていたに違いない」と勝手に判断し、とすれば鞍もあったはずとこれも思い込みで不正確なことを書いてしまった。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/d/d5/%E7%A5%9E%E9%A6%AC%E5%83%8F.jpg
「神馬」の写真を見つけたが、台中公園にあった馬の銅像は力強く生き生きとした実に見事なもので、この写真にあるぼってりした生気のない馬ではなかったことは確言しておきたい。
戦後、こうした「職人技」は目を覆うばかりに廃れてしまって、あの漫画のような「馬」でも護国神社に堂々と奉納して恥じることもない。。

神馬

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/18 12:29 投稿番号: [1825 / 3149]
わしは昭和一桁の小学生時代を高雄市で過ごし、高雄神社は遊び場所のひとつであった。だから高雄神社の境内に馬の銅像が二匹あったことをよく覚えている。その馬は実物大で、石の台(中身はコンクリート?)に乗っていた。馬だけで、騎馬の人物はなかった。馬に鞍があったかどうかは覚えていない。神馬は「しんめ」と読むのだと記憶していたが、今回確かめて間違いないとわかった。

Re: 鳥居

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/15 17:05 投稿番号: [1824 / 3149]
さて、ちょっと気になったので加筆したい、その二頭の馬にそれぞれ武将が乗っていたとして、一人は尊皇一途の楠正成に違いあるまいが、もう一人は誰だろう。戦前、足利尊氏は逆賊として忌避されていたから彼ではないだろう。源頼朝あたりが無難だろうか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のなかでなら、秀吉だろうか。

Re: 鳥居

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/15 16:41 投稿番号: [1823 / 3149]
鳥居は大きく分けて二種類あるという。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85
台中公園のものは神明鳥居に間違いなさそうだ。「ウィキペディア」で仕入れたばかりの知識だが、「笠木」とは鳥居の一番上の横柱を言う。「なーるほど・ザ・台湾」によると、台中公園の芝に寝かせてあるその「笠木」には「台中神社」という字が縦に彫ってあるから、それが笠木であるはずがないという。だが、それが柱だとすると余計おかしなことになる。鳥居は四本の柱を組み合わせたもので、それらの寸法の違いから、やはりそれは「笠木」でいいのではないかと思う。

さて、話は33年前に戻る。今でもハッキリ覚えているが、初めての訪台で区公所に勤務の張さんと知り合い、台中公園に案内していただいた。
「ここは昔、神社があったのです。銅で出来た大きな鳥居がありました」
「鳥居は今もありますか」
「今はありません」
という会話を覚えている。グーグルアースで見ると、それも「寝かせた鳥居」のあたりだ。ただ、その時はそれがあったのかどうか気がつかなかった。しかもそれは木製で銅ではないようだ。その近くに、向き合った二頭の堂々とした銅製の馬がコンクリートの台座の上にあって、鞍に彫ってあったはずの紋章がグラインダーで削られていたのも覚えている。おそらく、その馬上には有名な日本の武将が騎乗していたのだろうと推測するがどうだろうか。鞍をつけた馬だけでは不自然である。だとしてもご当人たちはとっくに馬から下ろされて行方はわからない。

台湾コレラに、ついて

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/03/14 09:13 投稿番号: [1822 / 3149]
   natunokaze様

  昭和36〜37年頃台湾でコレラが流行り、日赤(日本赤十字)から

  医療チームが派遣されました。人数は判りませんが、私の姉も看護婦

  として台南へ行ったそうですが現在病気で何も覚えて無いようです。

  10年前在台当時に調べようと思いましたが、何の伝手も無く方法

  も判らず諦めましたが、心残りです。日赤が治療を施した病院名

  や一緒に働いた台湾の看護婦の方々の消息を、知る術はないですか?
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)