日韓歴史論争

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

おめでたい日本人

投稿者: trek011 投稿日時: 2003/06/05 23:55 投稿番号: [414 / 6952]
>例えば、韓国が北朝鮮を吸収合併したとして、全ての権利を韓国人並みに、一気に引き上げることが可能でしょうか?

ドイツでは可能だった。
それにしても日本は朝鮮を経済開発して一人前の独立国にするために併合したのかな。

だとすれば、おめでたい民族といわなければならない。

大体朝鮮半島は収奪すべき

投稿者: kuuboakagi123 投稿日時: 2003/06/05 23:17 投稿番号: [413 / 6952]
物などない貧乏半島だし。

インドネシアみたいに、田んぼにサトウキビうえさせて輸出品つくることができるわけじゃないし。

植民地とは収奪のたいしょうのことなんだなあ。恩恵の対象は植民地とはいわんね。

>>平等ではない。

投稿者: chaoticblue93 投稿日時: 2003/06/05 23:03 投稿番号: [412 / 6952]
ちなみに、朝鮮併合は、(王と両班の私物である)朝鮮に対する、完全侵略だと思いますね。
しかし、それとは別に、朝鮮をインドネシアのような植民地であると考えるのは、無理があるのでは?

朝鮮兵の評判

投稿者: kuuboakagi123 投稿日時: 2003/06/05 22:56 投稿番号: [411 / 6952]
>反日義勇軍に加入した。評判は極めて悪いです。

こんな意味だよ。


>昭和の日本軍
2003/ 5/26 22:09
メッセージ: 5047 / 5548

投稿者: kkohshien2 (男性/兵庫県)
7,8年ほど前、フィリピン人との会話で偶々戦時中の話になった。そのフィリピン人は、「日本兵は悪くなかった。民衆に酷い事をしたのは朝鮮人であり、私の周りのフィリピン人は皆そのことを知っている。当時の日本の中尉さんが、フィリピンに来た時は必ず、私の祖母に会いに来て旧交を温めてくれる。」と言っていたな。    

アジアでは華僑が日本軍を悪く言っているが、彼等はイギリス人やオランダ人の手先となり、何百年も現地の人々から搾取の上前をはね旨い汁を吸って来た。その薄汚い権利を守るため、華僑ゲリラとして日本軍を攻撃した。当然日本軍にゲリラ掃討をされても仕方が無い。シンガポールのリークワンユーが日本経済新聞の’私の履歴書’に書いてあったが、ゲリラでない華僑は酷い仕打ちを受けず釈放されたと。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2b g4bf7de&sid=1835396&action=m&mid=5047&mid=


以前ledzep氏が身内からきいたものとして、投稿していたものによると、[朝鮮兵の敵やそこの人間の殺し方は、日本人兵が唖然とするほどだった」というのがあったかな。

>反日義勇軍に加入した。

雲南に派遣された光復軍のいちぶになった?   雲南に派遣されたのは数人の飯炊きだったということで思わず笑ってが。

>平等ではない。

投稿者: chaoticblue93 投稿日時: 2003/06/05 22:55 投稿番号: [410 / 6952]
>>日本人と朝鮮人が平等かどうかの話だろう。

>>朝鮮人は準日本人だっただろう。

>朝鮮には衆議院議員の選挙権も被選挙権もなかった。
>地方議会すら設置さていない。
>まだ間接支配の方がましだ。

  内地在住の朝鮮人には、選挙権も被選挙権もありました。逆に、朝鮮半島在住の内地人には、選挙権も被選挙権がありませんでした。つまり、属地主義だったということです。開発独裁で、開発レベルを内地に近い水準まで、引き上げる必要があったのでは?

>朝鮮人には徴兵制も実施されず、1945年になって日本兵の不足から朝鮮でも徴兵制が実施され、見返りに衆議院選挙権を与えると約束したが、結局実施されなかった。

  敗戦による朝鮮の分離で、選挙は実施されませんでしたが、衆議院議員選挙法が改正され、参政権は付与されてます。

>台湾も同様。
>内地並みの沖縄と比べれば、朝鮮や台湾が植民地だったことは明らかだ。

  長期的に見れば、内地並みを目指していたのでは?例えば、韓国が北朝鮮を吸収合併したとして、全ての権利を韓国人並みに、一気に引き上げることが可能でしょうか?

>lakshmi2032氏に質問-彌勒寺の特徴

投稿者: lakshmi2032 投稿日時: 2003/06/05 22:25 投稿番号: [409 / 6952]
彌勒寺に対する研究は皇竜寺より遅れました.研究結果も少ないです.

(本人も黄竜寺と皇竜寺を区分することができない場合がたまにあったんですが正確な表現は皇竜寺です.)

皇竜寺は敷地が2万5千坪です.彌勒寺より規模が少ないです.彌勒寺は3塔3金堂で3金堂が一つのお寺に包攝された構造です.それで基本的に規模が大きいと思います.

新羅と百済のお寺は皆沼を埋め立てて建立したことが特徴です.百済の首都も沼を埋め立てて建立しました.


彌勒寺の特徴は地下に水路があることが特徴です.新羅時代の感恩寺も地下に水路があって海水が通じました.
感恩寺の場合は竜がお寺下を通り過ぎると企てたからだが彌勒寺の場合は分からないです.敷地が池だったから排水のために排水路を作ったという説が有力です.

p,s
以前の文章は漢字語が誤訳が多かったです.

>敷地でいったら、奈良時代の「元興寺」
坪で言ったら、60万坪を超えます。

本当に? すごいね.

自家撞着

投稿者: trek011 投稿日時: 2003/06/05 22:18 投稿番号: [408 / 6952]
>兵隊にいきたかったんだな

>でも、朝鮮兵の評判はわるかったからな。

朝鮮人が日本の兵隊になりたくてうずうずしていたのなら、兵隊にいけば奮戦するでしょう。実際には中国戦線に連れていかれた朝鮮兵は敵の陣地に駆け込んで降伏し、反日義勇軍に加入した。評判は極めて悪いです。インドネシア人と同じですよ。

兵隊にいきたかったんだな

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2003/06/05 20:34 投稿番号: [407 / 6952]
でも、朝鮮兵の評判はわるかったからな。

で、数値でいったらどうなるのかな。

日本人の権利−朝鮮人の権利=?1

オランダ人の権利−インドネシア人の権利=?2

1と2をくらべたらどうなる?

平等ではない。

投稿者: trek011 投稿日時: 2003/06/05 19:07 投稿番号: [406 / 6952]
>日本人と朝鮮人が平等かどうかの話だろう。

>朝鮮人は準日本人だっただろう。

朝鮮には衆議院議員の選挙権も被選挙権もなかった。
地方議会すら設置さていない。
まだ間接支配の方がましだ。

朝鮮人には徴兵制も実施されず、1945年になって日本兵の不足から朝鮮でも徴兵制が実施され、見返りに衆議院選挙権を与えると約束したが、結局実施されなかった。
台湾も同様。
内地並みの沖縄と比べれば、朝鮮や台湾が植民地だったことは明らかだ。

ハメンクブオノ9世でしょう

投稿者: kuuboakagi123 投稿日時: 2003/06/05 18:25 投稿番号: [405 / 6952]
>ジョグ・ジャカルタ侯による歓迎の酒宴に招かれたと語っていますね。

スハルトの初期の時代に大臣、副大統領をやってますね。

テレビに出ていたのは多分その息子でしょう。

ま、ジャワの王室もインドネシア独立の御輿にはなりえなかったんですが。そのテリトリーは結局ジャワに限定されていましたからね。

>スルタンとレヘント

投稿者: kuuboakagi123 投稿日時: 2003/06/05 18:10 投稿番号: [404 / 6952]
>オランダの東インド政庁が直接支配できたのはバタビアとその周辺だけ。多くの地方はマタラム王国の在地首長をレヘント(地方長官)に任命して、地方支配にあたらせた。

オランダにひさしを貸して、母屋をのっとられたんだろう。新マタラム王朝もオランダの軍門に下っただろう。間接統治だろう。

日本人と朝鮮人が平等かどうかの話だろう。

朝鮮人は準日本人だっただろう。

インドネシア人が準オランダ人だったか。

ここんとこを説明してみろ。

スルタンとレヘント

投稿者: trek011 投稿日時: 2003/06/05 13:24 投稿番号: [403 / 6952]
>ま、統治といっても、スルタンが統治の根本に関わる権力をもっていたわけじゃない。一種名誉職だろう。それが統治の一手段となることもあるが。

オランダの東インド政庁が直接支配できたのはバタビアとその周辺だけ。多くの地方はマタラム王国の在地首長をレヘント(地方長官)に任命して、地方支配にあたらせた。レヘントは世襲権、軍事権、徴税権、司法権、警察権など強大な権限を有し、内政に干渉されることはほとんどなかった。日本植民地時代の朝鮮人知事の権限よりはるかに強大な地方権力だった。
またマラヤでは錫を産出する西海岸の土侯国はイギリス人理事官の監督下に置かれたが、ジョホールや東海岸の土侯国はほぼ完全な自治が認められていた。名誉職とはいえない。

スルタンと言えば

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/06/05 13:02 投稿番号: [402 / 6952]
ジョグ・ジャカルタ侯が有名になりましょうか。今でもインドネシアという国家の中にあって、伝統的権威として住民から尊崇されていますよね。(テレビの受け売りですが。)
侯の宮廷に出仕する事は、給金は安くても非常に名誉な事だと、若い従僕が語っていました。
宮廷に出仕する人々は、たとえ供御の運搬や、壁掛け時計の時間合わせみたいなどんな簡単な仕事でも、真心を込めて勤めていました。

「中攻」の著者、故・巌谷二三男海軍少佐は、海軍陸上攻撃機隊の指揮官の一人として、ジョグ・ジャカルタ侯による歓迎の酒宴に招かれたと語っていますね。

>>併合は侵略ではないのか

投稿者: trek011 投稿日時: 2003/06/05 12:55 投稿番号: [401 / 6952]
>ナチスのオーストリア併合はオーストリア国民からも支持されてたから侵略とはいえないかも。

ナチスのオーストリア併合を指示したオーストリア人はオーストリア・ナチスだけ。ナチスはこれを宣伝に使って、国民全体の支持であるかのように偽った。
当時政権についていたオーストリア社会民主党もハプスブルク王党派も併合には大反対だったが、ナチスは軍事侵略の脅しをかけて屈服させた。

>日本との併合を求める大署名運動を展開した韓国最大の政党もあったし。

オーストリア・ナチスと同じ。

>現地人のスルタンがいた。

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2003/06/05 12:44 投稿番号: [400 / 6952]
既存の勢力利用の間接統治じゃないの。

ま、統治といっても、スルタンが統治の根本に関わる権力をもっていたわけじゃない。一種名誉職だろう。それが統治の一手段となることもあるが。

オランダにしろ、イギリスにしろ、統治のための公務員や官僚を全部本国からつれてくるわけにはいくまい。オランダが創った大学は、現地人統治のための[中級]官僚養成だな。高級官僚は全部本国人だ。インドネシアじゃ、華人が税徴収の役目をになったが。

インドネシア人やマレー人が、イギリス人、オランダ人と「ほぼ」対等であったわけじゃなかろう。

>併合は侵略ではないのか

投稿者: toraneko_yh 投稿日時: 2003/06/05 12:31 投稿番号: [399 / 6952]
>この論理でいえば、ナチス・ドイツのオーストリア併合は侵略ではないし、仮に中国が台湾を占領して併合だといえば、侵略ではなくなる。

  どうして?   台湾侵攻は侵略そのものでしょう。
  ナチスのオーストリア併合はオーストリア国民からも支持されてたから侵略とはいえないかも。

  で、日本は、大韓帝国と条約を結んで、それにより併合しました。
  完全に侵略とはいえないな。
  日本との併合を求める大署名運動を展開した韓国最大の政党もあったし。

>歴史の認識としてそれでよいのでしょうか。まして日本と朝鮮では異民族、同じ民族同士の併合とはいえないでしょう。

  同じ民族か否かは併合云々と全く関係なし。

併合は侵略ではないのか

投稿者: trek011 投稿日時: 2003/06/05 12:17 投稿番号: [398 / 6952]
>日本の朝鮮併合は、
飽くまでも併合であって侵略ではなかった、

この論理でいえば、ナチス・ドイツのオーストリア併合は侵略ではないし、仮に中国が台湾を占領して併合だといえば、侵略ではなくなる。

歴史の認識としてそれでよいのでしょうか。まして日本と朝鮮では異民族、同じ民族同士の併合とはいえないでしょう。

>そもそも、ふつーの植民地政策で、支配される側の民族が
県知事になんてなれるわけねーだろが。

植民地政策のことなど何も知らない発言ですね。オランダ領東インド(インドネシア)やイギリス領マレーシアには現地人のスルタンがいた。

れ:麻生は創氏改名を知っとんのか?

投稿者: jaway 投稿日時: 2003/06/05 11:09 投稿番号: [397 / 6952]
両班体制破壊の総仕上げ

もう少し勉強したら?

投稿者: sulumeman 投稿日時: 2003/06/05 10:47 投稿番号: [396 / 6952]
創氏改名では、改姓なんてさせてないよ?
氏を作っただけ。
氏と姓の違いはわかってるよね?
それをわからず言っているのならあまりに無知だし、
それを知ってて言っているのなら極めて卑怯な隠蔽だ。

しかも氏を作ったからといって姓を消したわけではない。
戸籍にはしっかりと姓を記録している。
つまり、日本側の管理名としての氏を制定した、ということ。
もし日本が本当に皇民化を進めようと思えば、
「姓」を廃し、氏と名を「強制的に」日本風に変えさせただろう。
少なくとも「法定創氏」で日本風の氏をつけるよう制定したはずだ。
当時の日本にはそれができた。しかししなかった。この意味わかるよね?

また改名にはお金が必要だったって知ってる?
もし改名も強制するつもりなら、わざわざそんな手続きや手数料なんてとらない。

また、朝鮮人側から日本名を名乗れるよう要求があったのもまた事実。
だってそれまでは「朝鮮人は日本風の名前をつけてはならない」
なんて法律があったくらいだから。
むしろ、そっちの「日本風の名前をつけてはならない」という方を
糾弾した方がいいんじゃない? (笑

朝鮮姓のままの氏を名乗り、改名しなかった朝鮮人でも出世した人物もいる。
この事実はどう判断されますか?

そもそも、ふつーの植民地政策で、支配される側の民族が
県知事になんてなれるわけねーだろが。
朝鮮人県知事がいた、という事実からして、日本の朝鮮併合は、
飽くまでも併合であって侵略ではなかった、
ということが伺えるね。

Re>推測の連続ですか?

投稿者: natto125 投稿日時: 2003/06/05 08:25 投稿番号: [395 / 6952]
>> 百済の首都だった漢城(ソウル)からは、
>>寺院遺跡は一つも見つかっていません。

> 歴史の基本も分からないんですね.漢城時代は仏教の伝来以前時代です.

自国の歴史も良く御存知ないようですね。
1394年に首都になったと
思っているのではないですか?

百済の歴史
4世紀前半〜660   の内、
〜475年までは、ソウルが百済の首都ですよ。
百済への仏教伝来は384年です。
90年程の時間がありますね。
この間に仏教遺跡が、まるで無いと言っているのです。

lakshmi2032氏に質問

投稿者: WIZ_1961 投稿日時: 2003/06/05 06:32 投稿番号: [394 / 6952]
> 百済には東洋最大のお寺彌腕大寺があります.
>彌腕寺は敷地7万坪で二つの基の石塔が28m,中央の木塔が60mです.

翻訳が巧くいっていないのでしょうか?

当時の最大は新羅の「黄竜寺」ではないのですか?
それにこれは当時としてはという意味ですよね。
最大の寺院は
建物の大きさでいったら、「東大寺」
敷地でいったら、奈良時代の「元興寺」
坪で言ったら、60万坪を超えます。

麻生は創氏改名を知っとんのか?

投稿者: kdm0709 投稿日時: 2003/06/05 05:15 投稿番号: [393 / 6952]
創氏改名の制度が朝鮮民族にたいして施行されたのは、前年の昭和十五年二月だった。初めは表向き創氏改名を朝鮮民族に押しつけるのではなく、朝鮮式の姓名を日本式の姓名に変更を希望するものにたいしてはこれを認めるという主旨で発足する形が採られ、政策的にはむしろ民族懐柔策のようにも感じられた。

  朝鮮の「族譜」制度は非常にわかりにくい内容だったが、折に触れて級友からも説明を聞くことがあった。クラスでの席も近かったので、予科の学生の頃は普段から私は朝鮮の慣習や政策的諸制度の説明を朱宰黄君から聞くことが多かった。特にこの族譜制度については、創氏改名の政策が施行された予科を修了する頃、彼から詳しくわかり易く解説してもらっていたので、これが朝鮮民族にとって容易なことではない事情をかなり理解していた。族譜を重んずる朝鮮民族にとってこれが各家族の自由意志のみによるものならばまだしも、皇民化政策の一環として国家的に強制する気配が見えて来たとき、皇民化の方向をやむを得ないと妥協する者でさえ、先祖にたいする尊崇の念を否定する政策として深い感情的反感を生み出す結果となっていた。しかし総督府としては各種の実質的な効果の上がる方策をとって、朝鮮民族全体にこれを押し進めようとしていた。

  例えば、朝鮮全体で十三名の道知事が置かれており、そのうち五名は朝鮮人から任命されていた。創氏改名は自分の自由意志によることになっているからと、施行後一年たってもこれを実行しない知事二名は遂に辞任せざるを得ない結果となってしまわれたようだった。

  このようにして、金という姓を金山や金川に変更したり李という姓を李家と変更したりして次第に改姓者は増加していった。しかし昭和十六年の夏が過ぎた頃になっても、大学の朝鮮の学友たちで改姓した者は誰も居なかったと記憶している。

>強国だった気がします。

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/06/05 02:03 投稿番号: [392 / 6952]
百済に対しては、軍事債権国でしたからね。
40回前後、派兵要求が来ていましたから。

その結果が、『隋書倭国伝』にある、「新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來」となった訳ですね。

い、イタすぎ…

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/06/05 01:49 投稿番号: [391 / 6952]
>>あ~百済滅亡,高句麗滅亡以後ですね

>仏教伝来から100年後には、百済も高句麗もまだ存在してますよ。
仏教伝来は、538年とされているので。
なお、もっとも遅く仏教伝来の都市を解釈しても552年なので、どちらにしても百済・高句麗はその100年後には滅んでいません。

アチャー。
すごいやりとりですな…。
こりゃヒットですな…。
サラリとしているところが、余計に鮮烈。

>「日本人は韓国にコンプレックスるがあるはずだ」
と言う意見を見ますが、私は自分の周りでそうしたコンプレックスを持っている人を見たことがない。

然り。
いや、全体的に簡潔ながら、鮮烈でした…。

訂正

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2003/06/04 21:33 投稿番号: [390 / 6952]
都市→年

lakshmi2032さん

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2003/06/04 21:32 投稿番号: [389 / 6952]
>>日本は仏教伝来、100年で530程の寺を建立しています。
>あ~百済滅亡,高句麗滅亡以後ですね.

伝承に従う限り、仏教伝来から100年後には、百済も高句麗もまだ存在してますよ。
仏教伝来は、538年とされているので。
なお、もっとも遅く仏教伝来の都市を解釈しても552年なので、どちらにしても百済・高句麗はその100年後には滅んでいません。

>対韓コンプレックスが多いですね.

すぐそれに結びつけるの止めたほうが良いと思いますよ。
ときどき、
「日本人は韓国にコンプレックスるがあるはずだ」
と言う意見を見ますが、私は自分の周りでそうしたコンプレックスを持っている人を見たことがない。

修正.

投稿者: lakshmi2032 投稿日時: 2003/06/04 21:21 投稿番号: [388 / 6952]
>残念だがあなたが引用した資料では古墳の酸っぱいのが5~6世紀です.
任那地域ではない韓半島中部以南で発見される間欠的な古墳を日本勢力の進出路認めたら飛鳥地域で多数発見される百済係横穴式墓はどんな意味?


残念だがあなたが引用した資料では古墳の時期は5~6世紀です.
任那地域ではない韓半島中部以南で発見される間欠的な古墳を日本勢力の進出として認めたら飛鳥地域で多数発見される百済係横穴式墓はどんな意味?

臆測の連続

投稿者: lakshmi2032 投稿日時: 2003/06/04 21:16 投稿番号: [387 / 6952]
残念だがあなたが引用した資料では古墳の酸っぱいのが5~6世紀です.
任那地域ではない韓半島中部以南で発見される間欠的な古墳を日本勢力の進出路認めたら飛鳥地域で多数発見される百済係横穴式墓はどんな意味?

>百済の首都だった漢城(ソウル)からは、
寺院遺跡は一つも見つかっていません。

歴史の基本も分からないんですね.漢城時代は仏教の伝来以前時代です.

>寺院遺跡は一つも見つかっていません。
百済時代全体を通じても50程なのです。

残念だが百済には東洋最大のお寺彌腕大寺があります.彌腕寺は敷地7万坪で二つの基の石塔が28m,中央の木塔が60mです.
日本のお寺が小規模の形態で地方豪族たちの支援に建設されたら韓半島は中央にある貴族たちが総力的に大塔と大寺を建設したと思います.

>日本は仏教伝来、100年で530程の寺を建立しています。

あ~百済滅亡,高句麗滅亡以後ですね.

>「韓国が伝えた、韓国にも同じ様な文化があったに違い無い。」と
帰納的に考えてしまうようですが、
そうであるとは限りません。

対韓コンプレックスが多いですね.
自画自賛,自問自答.

う〜ん任那日本府

投稿者: natto125 投稿日時: 2003/06/04 06:04 投稿番号: [386 / 6952]
以前は「当時の半島の方が進んでいたハズ。
ありえない!」と
思っていたんですが、
最近は「倭人は半島で、かなりの勢力を
持っていたのでは?」と考えています。
下の様な遺跡証拠

http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/history2-5-28.htm

後漢書・東夷伝の弁辰条の記述、
「国出鉄・倭・馬韓並従市之」
「南部弁辰の地(弁韓後の加耶地域)で産出する
鉄鉱石の製練が行われ倭・韓の人たちが買っていた」

更に「曲り田遺跡」などのBC3世紀の鉄製品の発見(もちろん輸入品でしょうが)
半島より、鉄の使用開始が早い事になってしまいます。
最近の、縄文時代が500年繰り上がった事も、稲作、文化の伝播で
半島より中国との直接の結びつきが強かった事に
なります。
古代の日本は思ったより、進んでいた強国だった気がします。
逆に、半島の影響は考えられているより
小さかったのではないでしょうか。
例えば仏教です。
百済の首都だった漢城(ソウル)からは、
寺院遺跡は一つも見つかっていません。
百済時代全体を通じても50程なのです。
日本は仏教伝来、100年で530程の寺を建立しています。
これでは半島の文化が伝わったというより、
日本という土地を得たから花開いたと考えた方が自然だと思うのですが。
韓国人は日本に立派な寺院、仏像が残っているから、
「韓国が伝えた、韓国にも同じ様な文化があったに違い無い。」と
帰納的に考えてしまうようですが、
そうであるとは限りません。

いつまで日本人は<<これを読んで

投稿者: cyon555 投稿日時: 2003/06/03 17:27 投稿番号: [385 / 6952]
発言しましょう

*「日本のイメージ」

  わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)
ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を主張すると、韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのではありませんか、
という身の程を知らぬ質問をした。
そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。
「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている。
しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを助長する結果をもたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。

高麗大学教授   金鉉球

鄭大均   「日本のイメージ」(中公新書刊)より

>朝の番組で

投稿者: dokudamin2003 投稿日時: 2003/06/03 17:18 投稿番号: [384 / 6952]
>ノムヒョンさんの前で言って恥かけばいいんですよ
>とコメントするところが朝日らしいなと思いました(笑)


同意します<笑>

朝の番組で

投稿者: onbinni710 投稿日時: 2003/06/03 16:04 投稿番号: [383 / 6952]
ノムヒョンさんの前で言って恥かけばいいんですよ
とコメントするところが朝日らしいなと思いました(笑)

>麻生氏が陳謝

投稿者: dokudamin2003 投稿日時: 2003/06/03 15:37 投稿番号: [382 / 6952]
日韓の学者間で両国における歴史問題を会議する場が二年前に行われようとしたが韓国側の不参加でお流れになったように記憶しております。

麻生太郎さんはこれを機会に議論をしようと韓国側に呼びかければよかったと思います。
すぐに謝る事ないです。言論の自由は日本にはあります。
十分に議論したあとで間違った事があれば詫びれば良いです。

>自民党の麻生政調会長が日本統治下の創氏改名について当時朝鮮人が「日本名」を求めて来たと語った事に、在日韓国人青年会が反発麻生氏の謝罪と辞職を求めた・・・。

在日は自民党員でもないし選挙権も無いのによくもまあそんなのこといえますね。
さっさと半島に帰れば?

麻生氏が陳謝

投稿者: pzc2544 投稿日時: 2003/06/03 15:10 投稿番号: [381 / 6952]
自民党の麻生政調会長が日本統治下の創氏改名について当時朝鮮人が「日本名」を求めて来たと語った事に、在日韓国人青年会が反発麻生氏の謝罪と辞職を求めた事に麻生氏は陳謝、発言の撤回はしなかった、又しても歴史認識の相違だが、私は麻生氏は根拠が有っての発言だろうが、例の如く問答無用じゃなく在日の人は自分達の意見を発表論争すれば良いと思う、以前自民党の武藤総務会長が殖民地時代日本はインフラや鉄道道路衛生改善等良い事も行ったと言って当時大統領の金泳三の辞任要求に政府が謝罪武藤氏を更迭した事を思い出す、日本の歴史論争はすべて歪曲とされる、6日盧武鉉大統領が来るのに、麻生は余計な事を言うとテレビで言ってたが、それで歴史問題は解決出来るのか?
皆さんどう思いますか・・・

>一国の英雄の撃退者を英雄視すること

投稿者: qitiandashen03 投稿日時: 2003/06/02 08:48 投稿番号: [380 / 6952]
Helloloversさんへ
  即刻返事せずにおりまして済みません。
  世界的に見ればたいていの国や地方でやったりやられたりしており、みんな栄光の歴史を誇っています。それで一方的に惨めな思いをすることはなく、犬猿の仲のような独仏でもおあいこさまと言う感じでないでしょうか。其の反面、ヨーロッパなど支配階層である王族、貴族はヨーロッパ中が親族だったりして民族対立から親類付き合いは超越してるってことがありましたよね。だからネルソンの像があろうがビスマルクの像があろうがフフーンってなものでしょう。ところが朝鮮人は通信使の時代から清正ゆかりの寺だとか言うと立ち寄りたくないとかごねている。過去ずーっと一方的にやられっぱなしであったというのがフラストレーションのもとであるのではないかと思います。清朝には首根っこを押さえられてごめんなさいを言わされた。その抜きがたい屈辱感が日本に対する文化的優越感になると思います。さらに現代ではインドネシアやヴェトナムのように凄惨な独立戦争を闘い抜いた訳でもなく、またインドのように知恵を絞って宗主国に認めさせたわけでもなく、ある日突如として独立がやってきた。それもタナボタで。よその国には独立闘争のヒーローがいるのにウリにはそれがないって訳ですよ。それでかなんか知らないけれど今の若いのは頭の中で独立闘争のヒーローを演じたい。で日本をなんとかしてこの世から抹殺したい、日本とつけば「日本」海もなかったものにしたいって未来永劫に述呪してる隣人をもったのが日本の不幸ですかね。「親の因果が子に報い」ってならないように塩でも撒いておきますか。

あまりまともな返事が書けずにすみません。

論争ネタかも

投稿者: kdurmha 投稿日時: 2003/06/01 01:03 投稿番号: [379 / 6952]
麻生氏の率直な発言…
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030601-00000066-mai-pol

どうですかね・・・

投稿者: cindy_kyun 投稿日時: 2003/05/31 17:25 投稿番号: [378 / 6952]
差別なんて見た事ないし・・・
差別ってそういうものではないと思う。
他国に住んでる物がその地で不利益を
被ることなど、どこでも実在していますネ。

今は逆に、在日の方が特権階級ですし。
実際、何の施設などでも先にその地域に
作らないと集団で暴れたり抗議に来てたようです。
差別でなく、自分達で嫌われていっただけなのです。

性格悪い人と仲良くしたいですか?

韓国の独立運動家や初代大統領の評価

投稿者: hellolovers 投稿日時: 2003/05/31 13:53 投稿番号: [377 / 6952]
日本では、米国やインドの独立運動家や初代大統領・首相のように韓国の韓国の独立運動家や初代大統領の伝記を読むことは難しいようです。
ワシントンやフランクリン、ガンジーやネルーほどにはメジャーではないと思います。ましてや近代日本の立役者である坂本竜馬や福沢諭吉のようには。
しかし、私は相手が「日本」であるからといって読むのを避けるべきではないと思います。(といいつつも読んだことがないのですが)
確かに独立運動家の中に暗殺(しかも相手は皮肉にも近代日本の立役者でもあった伊藤博文)という手段を取ったものがあることや、初代大統領の政策は対日政策以外においても苛烈だったこと(ネルーはそうではなかった)、何より朝鮮半島が分断国家であることなどを考えると、彼らの生き様を日本人が理解するように書くことが難しいためでもあるでしょうが。もしガンジーのような非暴力運動が独立の主要因だとしたら別だったかもしれませんが。あるいはインドの独立運動や米国独立戦争の世界史的な知名度と韓国のそれとの差が日本にも影響を及ぼしているのかもしれませんが。

ところで、私は近代の日本の韓国統治には恨まれても仕方ないことがあったと思っていますが、それと近世の朝鮮出兵を結びつけ、近世の朝鮮出兵が今に生きる政治問題・民族問題であるかのように問うことには違和感を感じるのです。
日本国内では藩閥政治の跡形もない今、東北地方の人が戊辰戦争を政治問題として問うことは考えられず、また織田信長に焼き討ちされた延暦寺も、1992年にではありますが彼を許しています。
しかし、それは同一民族同士しかも日本だからのことのようで、他民族同士の場合は近世以前の抗争の恨みが今に生きることは、特に世界的には多いようです。
東南アジアでも(アンコールワットがカンボジアのものかタイのものかなど)英国諸島でも(イングランドVSスコットランドなど)みられます。日本でいえば琉球に対する徳川幕府や薩摩藩の政策への評価に似ているのかもしれません。

それにしても、なぜ日本にきた韓国人・朝鮮人への差別というものがおきるようになったのでしょうか?
昭和30年代、京都市内に新幹線が作られたとき、新幹線の車窓からの美観を損ねるということで、賀茂川岸の在日韓国人・朝鮮人の住む仮設住宅が撤去されたなど、戦後も自治体政策にそれが残存していたようなのです。無論今ではほとんどないようでしょうが。
これがなければ歴史的出来事を引き合いに出されずに済んだとさえ思います。

一国の英雄の撃退者を英雄視すること

投稿者: hellolovers 投稿日時: 2003/05/31 13:35 投稿番号: [376 / 6952]
自民族の暴君と他民族の名君とどちらがましか、という話題へのご意見、浅学な私にはよい示唆となります。
また、耳そぎは拷問ではなく打ち首の一種で、主に敵兵のものであること、明も打ち首をした(主敵の日本の武将だけでなく援軍のはずの朝鮮の軍勢まで)ことなどもわかりました。ですが、「高麗博物館」(東京の新大久保にあります)の本によりますと、婦女子を含む非戦闘員に対しても耳そぎがなされたということです。そのような説があることをご理解ください。

さて、本日の本題に移ります。
韓国では、朝鮮出兵を海軍力(亀甲船)で撃破したとされる(される、と書いたのは亀甲船の戦力を疑問視する考えがあるため)李舜臣を英雄視し、ソウル・釜山に巨像があるほか各地に銅像があるようです。
ですが、これは決して極端な見方の発露ではないと思います。
一国(時には世界史的な)の英雄の撃退者を英雄視することは珍しくないのです。
英国のロンドンには、ナポレオン戦争の海戦での功績者、ネルソンの像があるトラファルガー広場があります。「トラファルガー海戦」は英国近海ではなくスペイン沖の地中海で行われたので純粋には防衛戦と言い難いかもしれませんが、いずれにせよこのことでナポレオンは英国上陸を諦めたとされます。
ですが、この像に象徴されるのは(現代では)決して反仏感情ではなく英国海軍の栄光の顕彰もしくか彼の歴史的功績への顕彰と思います。
また、フィリピンにはマゼラン(世界一周航海中にルソン島で小競り合いとなり死亡)を戦死させた族長の銅像があるそうです。確かマニラの国際空港の近くのようです。
この族長にしても、支配する領民に対して善政を敷いていたかは疑問が残りますが、要はマゼランは、当時のルソン島社会にとって外敵でありその撃退は当然という史観から来ているのだと思います。
ですが、決して今日フィリピンは反欧米・西洋的な国ではありません。その位置付けは英国のネルソンに近いものだと思います。
これらを考えたとき、李舜臣の顕彰も理解できる範囲のものだと考えます。
また、壬申倭乱にしてももはや韓国人同士ではユーモアの対象とされることが多く、「壬申」と発音が同じ「妊娠」にかけて恋人が妊娠したことを「壬申倭乱」といった例もあるようです。
李舜臣にしても親しまれていはいるが神聖不可侵なものとはみなされていないようです。

qitiandashen03様はどう思われますか?
異論のほか、補説などありましたら承ります。

>乗員乗客が4000人しかいないのに

投稿者: kkohshien2 投稿日時: 2003/05/30 23:44 投稿番号: [375 / 6952]
>どうして犠牲者が5000人にもなるんでしょうか。

関東大震災で在日朝鮮人が258名殺されたが、それが6000名というのと、
南京事件で当時南京に20万名しか住んでおらず、南京陥落後の翌年には25万人の
人口増になっているにも拘らず、30万人虐殺とか南京陥落で当時共産党は蒋介石の戦術を非難し、軍の公文書にも大虐殺
の記録が無いにも拘らず、40万人虐殺にエスカレートするのと同じです。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)