麻生は創氏改名を知っとんのか?
投稿者: kdm0709 投稿日時: 2003/06/05 05:15 投稿番号: [393 / 6952]
創氏改名の制度が朝鮮民族にたいして施行されたのは、前年の昭和十五年二月だった。初めは表向き創氏改名を朝鮮民族に押しつけるのではなく、朝鮮式の姓名を日本式の姓名に変更を希望するものにたいしてはこれを認めるという主旨で発足する形が採られ、政策的にはむしろ民族懐柔策のようにも感じられた。
朝鮮の「族譜」制度は非常にわかりにくい内容だったが、折に触れて級友からも説明を聞くことがあった。クラスでの席も近かったので、予科の学生の頃は普段から私は朝鮮の慣習や政策的諸制度の説明を朱宰黄君から聞くことが多かった。特にこの族譜制度については、創氏改名の政策が施行された予科を修了する頃、彼から詳しくわかり易く解説してもらっていたので、これが朝鮮民族にとって容易なことではない事情をかなり理解していた。族譜を重んずる朝鮮民族にとってこれが各家族の自由意志のみによるものならばまだしも、皇民化政策の一環として国家的に強制する気配が見えて来たとき、皇民化の方向をやむを得ないと妥協する者でさえ、先祖にたいする尊崇の念を否定する政策として深い感情的反感を生み出す結果となっていた。しかし総督府としては各種の実質的な効果の上がる方策をとって、朝鮮民族全体にこれを押し進めようとしていた。
例えば、朝鮮全体で十三名の道知事が置かれており、そのうち五名は朝鮮人から任命されていた。創氏改名は自分の自由意志によることになっているからと、施行後一年たってもこれを実行しない知事二名は遂に辞任せざるを得ない結果となってしまわれたようだった。
このようにして、金という姓を金山や金川に変更したり李という姓を李家と変更したりして次第に改姓者は増加していった。しかし昭和十六年の夏が過ぎた頃になっても、大学の朝鮮の学友たちで改姓した者は誰も居なかったと記憶している。
これは メッセージ 382 (dokudamin2003 さん)への返信です.
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