竹島

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>世宗実録の2つの島

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/02/09 20:39 投稿番号: [3630 / 18519]
>世宗実録の2つの島と言うのは鬱稜島と竹島(獨島)を云うのではなく鬱稜島本島と周囲の島を云ったのか又は竹島(獨島)を2つの島と云ったのかいずれに間違いない

  私的には、東西・南北二息(2.5km?)で周回八息(10km?)で男女11戸、60人が定住していた武陵島以外の島。つまり、白加勿が丁稚あげた流山国島のなれの果てだと思ふ。竹島やchukdoとも方角が真逆で、鬱陵島と形状が類似し若干小さめで、現実にはありえない島が地図に表記されるのも、白加勿の嘘がベースだからでしょ。

  架空の島が、安龍福以降の探査で鬱陵島の知識が増えるにつれ、chukdoの名称へと変化したと。

いえ

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 20:27 投稿番号: [3629 / 18519]
これはソウル大学シンヨンハ教授の文章を半月城さんが翻訳したものです。資料で勝手に物語を作らないで欲しいものです。

こじつけと言うより

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 20:14 投稿番号: [3628 / 18519]
>>しかし、李奎遠は古代の于山国の基盤が鬱陵島・竹嶼島・于山島(獨島)の三島で構成されていたと確信し認識を強固にして戻った。

これは捏造に当たりますね。こういう在日がいることに、他の在日の方はどう思われているのか知りたいところです。

世宗実録の2つの島

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 20:06 投稿番号: [3627 / 18519]
>世宗実録の2つの島と言うのは鬱稜島と竹島(獨島)を云うのではなく鬱稜島本島と周囲の島を云ったのか又は竹島(獨島)を2つの島と云ったのかいずれに間違いない

世宗実録は実際に現地を探索して書かれた物ではない為に証拠にはなりません。

伝説の于山島を鬱稜島の別名同島と認識できるだけの知識が当時の朝鮮になかったことを証明するだけの資料ですね。

ここです

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 20:03 投稿番号: [3626 / 18519]
ちなみに先にリンクした問答でこじつけと言うのは、ここです。

>李奎遠一行は、この過程で鬱陵島のすぐ近くにある岩島の竹嶼島(または通称、竹島)を探しだし観察したが、鬱陵島から 49カイリも離れた于山島(獨島)は鬱陵島滞在者から存在するという話だけを聞き、現地調査は風浪を恐れ実行しなかった。

>しかし、李奎遠は古代の于山国の基盤が鬱陵島・竹嶼島・于山島(獨島)の三島で構成されていたと確信し認識を強固にして戻った。

>さてと

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/09 19:54 投稿番号: [3625 / 18519]
>一島説では成宗7年の記述に矛盾が生じる問題に目をつぶっての、

全く矛盾はありませんが?まぁ、金自周の報告にある「巖石列立」をどう考えるかだけが、たった一つの疑問です。

>三峯島=鬱陵島説のこじつけ作業は進んでおりますでしょうか。

あまり進んでいません。こじつけ作業をするほど想像力は逞しくないので、周辺資料をあたっています。

ちなみにこじつけというのは以下のようなものをいうのですよ。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&action=m&mid=3137&mid=

で、アホさんの意見はこんな感じですか?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1515

韓国のこじつけ作業

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 19:45 投稿番号: [3624 / 18519]
>三峯島=鬱陵島説のこじつけ作業は進んでおりますでしょうか。

確かに「一時米軍の爆撃演習地になったことがありますので、なるほど島の形が変わることは充分に有り得そうな話です」ね。下のリンクの写真が、もう少し完璧な「三石列立」に見えたかもしれません。ただ、韓国のこじつけ作業では、その後の弁明が現実とはかけ離れた嘘ですよ。

あなたが韓国寄りの在日であることには同情しますが、真実を見るためには、少し民族意識から離れた目線で物事を見る必要がありますね。

http://www.ullungdo.com/spboard/board.cgi?id=kch_photo&action=view&gul=82&page=10&go_cnt=

さてと

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/09 18:40 投稿番号: [3623 / 18519]
一島説では成宗7年の記述に矛盾が生じる問題に目をつぶっての、三峯島=鬱陵島説のこじつけ作業は進んでおりますでしょうか。

東北から西を見たり、浚渫説や色んな考えが出てきているようで、興味深く拝見しております。
さて、島の姿が昔のままであるとは限らない意味では、良い収穫をさせて貰いました。
獨島は一時米軍の爆撃演習地になったことがありますので、なるほど島の形が変わることは充分に有り得そうな話です。

やはり そうであったか!

投稿者: daimanjisan 投稿日時: 2004/02/09 15:00 投稿番号: [3622 / 18519]
朴宗元・咸鏡北道観察使・成宗実録巻72   等はおかしく

金漢京・金自周・永安道観察使   等は正直だったか

いずれにしても古文書・歴史書の解釈する者におかしなの(AHO)が居ると更におかしくなる

半島東海岸チュクピョンから最短で150km。江原道太白山脈からは鬱稜島は見える。これが三峯島に見えた訳だ。

最短で220km離れた竹島(獨島)は小さい岩礁である為   物理的に見えない。

鬱稜島から90km離れた竹島(獨島)は海面のモヤで物理的に見えない。

世宗実録の2つの島と言うのは鬱稜島と竹島(獨島)を云うのではなく鬱稜島本島と周囲の島を云ったのか又は竹島(獨島)を2つの島と云ったのかいずれに間違いない

当時の朝鮮の造船技術と航海術や外洋探索心は非常に貧弱で乏しく山から見えた島に行こうとしてもなかなかたどり着けなかった。

1970年頃   外航船員の時   江原道束草大浦に行ったが(岸壁が整備してないから
沖に錨泊)荷役人夫の質や町の雰囲気は日本より50年遅れていると皆云ってた。

その時   日本は世界一の造船王国と海運王国で有った訳だが。

よってましてや何百年も前に現在の竹島に往く能力もないし往く必要も無かった訳だ

我が国はご存知のように400年前から後朱印船・千石船・松前船など大型帆船が日本海を往来していたし小型船でも伝馬船やカンコ船は今でも使用されて居るぐらい優れています。

よって我が国の方が先に現在の鬱稜島を竹島、現在の竹島を松島として往来していたのです。その後韓国も日本によって発達すると近くの鬱稜島を領土化し現在の竹島までも日本が大人しくしていると思っているのか領内に入れようとしているのです。

AmIAHOは独断と偏見で日本と朝鮮の歴史書を自分の都合のいいように解釈・捏造していたのです。

アムアイアホよ   オヌシモ   ヤルヨノ〜ォ

tokdo.co.kr

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/02/09 12:40 投稿番号: [3621 / 18519]
こんにちは。

http://www.tokdo.co.kr/board/main/read.cgi?board=gallery&y_number=44&nnew=2

ご紹介の「獨島守護隊」のドメイン(tokdo.co.kr)は昨日2月8日で登録期間切れになっていて今日からは繋がらないですよ。

資金難とは思えないですが、韓国のいい加減な一面ですね。

竹島に関しても、いい加減なでっちあげで自爆するのは目に見えていますから、日本としては暖かく見守るのがいいのでしょう。

植え込まれた意識

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 11:59 投稿番号: [3620 / 18519]
>韓国人の「獨島」への思いは、嘘を並べることによって植え込まれた意識から来ているのです。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/01/14/20020114000040.html

上のページでも、嘘を書くことによって誤った意識を植え込もうとする例が見受けられます。

「連合国の最高司令部が指令第677号を通じて、独島を含む韓半島全域を韓国に返還することを明示した」と韓国人教授は言っていますが、同教授は知りながらも「この指令(第677号)中の条項何れも、ポツダム宣言の第八条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない」と明記されている規定のことは隠蔽しているわけです。

因みに、同教授の事実の歪曲を暴くのごとく、米太平洋軍司令部は竹島(韓国名、獨島)を日本領として認めていますね。

http://www.tokdo.co.kr/board/main/read.cgi?board=gallery&y_number=44&nnew=2

韓国人の「獨島」への思い

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/09 10:24 投稿番号: [3619 / 18519]
>19世紀末頃から狙った植民地化の最初が独島を日本領土化することだったという意識から来ていると思います。

そういう意識があるのは理解しています。しかし、それは植え込まれた意識と言えます。

竹島(韓国名、獨島)が韓国領であった証拠はありません。 あるのは、嘘を並べて捏造したものばかりです。

韓国人の「獨島」への思いは、嘘を並べることによって植え込まれた意識から来ているのです。

>>三仙岩

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/08 21:49 投稿番号: [3618 / 18519]
>その二岩石の左横に立っている小岩石が「鬱稜島外図」にある「四石列立」の一つと思われますね。

なるほど。 その小岩石である可能性は高いね。

これは

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/08 17:41 投稿番号: [3617 / 18519]
シンヨンハ教授の文のままの表現ではないでしょうか。半月城さんの個人的な作為でもないかと思います。

ちなみに私としては半月城さんの「独島問答」は、韓国側の考えがどういうものであるのかを整理して理解するのに大変便利であると考えています。この翻訳に反対・批判する人が多いですが、内容について批判するにせよ同意するにせよ一応は半月城さんの翻訳作業には敬意を払ってよいと考えます。文章を訳すのも時間がかかる作業ですから。

ただし、半月城通信などを見る限り、考え方の偏りや研究者の言及の都合のいい部分だけの引用など、あまり同意できない部分がかなりあります。それはそれでまた論じればよいことかと。しかし、いかんせん半月城さんとは議論がかみ合いそうにもない気もしますね。もとよりあまりここにはいらっしゃいませんし。

とにかく「独島問答」は韓国側がいかに粗い研究をしているか、それを何でそのままに韓国人の皆が100%受け入れられるのかの問題を考えるいい材料であるように思われます。韓国人は、どうしてこんなにも粗い記事に疑問をもたないのでしょうか。

そもそも私が1ヵ月半前に竹島に関心を持ったのも、この記事に「怪しい」臭いがしたからでした。ですから、ある意味で、この記事の怪しさのおかげで私は竹島問題に入門できたわけで…。

必然性のないところに

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2004/02/08 17:10 投稿番号: [3616 / 18519]
>「鬱陵島・獨島は朝鮮(大韓帝国)の領土」と「獨島」を別に入れないで済むところにわざわざ入れないと領有権を主張できないところが、韓国にとっては痛いところですね。

必然性のない所にわざわざ「独島」の文字を入れて、あたかも独島と関連のあることであるかのように見せなきゃ気が済まないのは半月城さんの文章の特徴でもあります。

>>獨島問答 Q53-55

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/08 16:06 投稿番号: [3615 / 18519]
Gaenaraさんも3577番のメッセージで仰られている通り、領有権は言えば(書けば)済むものでは無いという事ですね。

http://www.ullungdo.com/spboard/board.cgi?id=kch_photo&action=view&gul=187&page=5&go_cnt=

>獨島問答 Q53-55

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/08 15:58 投稿番号: [3614 / 18519]
>こうして鬱陵島・獨島は朝鮮(大韓帝国)の領土ではあるが、鬱陵島の材木は 1896年から25年間、帝政ロシアが「伐採権」を持つようになったのである。

「鬱陵島・獨島は朝鮮(大韓帝国)の領土」と「獨島」を別に入れないで済むところにわざわざ入れないと領有権を主張できないところが、韓国にとっては痛いところですね。

獨島問答 Q53-55

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/08 13:46 投稿番号: [3613 / 18519]
獨島問答 Q53
  日本人たちは鬱陵島から撤収した後、ふたたび入る意図はなかったのか?

Q54(ロシア)
  鬱陵島の木材を日本が切望していたのは経済的な価値が大きかったためだろうが、朝鮮政府はなぜ木材を伐採して外国に輸出する政策を樹立しなかったのか?

ANS.
  清・日戦争後の陽暦 1895年10月8日、日本は景福宮を夜襲して閔妃(明成皇后)を弑虐
するという蛮行を犯した。これに対し、国王の高宗は日本の毒牙から抜けだすため 1896年2月11日、ロシア公使館に移る、いわゆる「俄館播遷」をおこなった。
  国王の高宗がロシア公使館内で新政府を樹立して政事を行うようになるとロシア側は影響力を行使して、新政府は親ロシア守旧派政府で組織され、国王の高宗はロシアをはじめとする西欧列強から利権侵奪の要求を受けた。
  このとき、ロシアは高宗に圧力を加え 1896年9月「豆満江・鴨緑江流域対岸の山林と鬱陵島の森林伐採権」をロシアの会社(代表 J.I.Briner)に「利権」として25年間譲渡するようにした。
  こうして鬱陵島・獨島は朝鮮(大韓帝国)の領土ではあるが、鬱陵島の材木は 1896年から25年間、帝政ロシアが「伐採権」を持つようになったのである。したがって1896年9月以降は朝鮮政府は鬱陵島の木を伐って外国に輸出できないようになった。

Q55(日本の再侵入)
  大韓政府がロシアに鬱陵島の森林伐採権を渡したのに、日本人が侵入して鬱陵島の森林を不法伐採し、三国のあいだに国際紛争は発生しなかったのか?

ANS.発生しないはずがない。駐韓ロシア公使が何度も抗議文を送ってきた。とくに1899年、ロシア側は大韓政府に日本人が不法に鬱陵島に入って森林を伐採し運んでいるので、これを禁止してほしいと強硬に抗議してきた。
  大韓政府はロシア側の抗議はもちろん、何より開港場ではない韓国領に日本人が不法侵入し、勝手に森林を伐採していることに驚いて、これを止めさせ同時に鬱陵島の移住民にたいする行政管理のため 1899年5月、蠔季周を鬱陵島の島監に再任し派遣した。
  大韓政府はロシア側と日本側の疑心を解くために、蠔季周とともに、釜山港の税務司に勤務している外国人税務使を同行させ、日本人の鬱陵島侵入の実態を観察し報告するようにした。

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

>三仙岩

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/08 11:46 投稿番号: [3612 / 18519]
http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/ssa_gw.htm

上の写真は「三仙岩」を観音島から見たもので後ろに見えている岩石は「一仙岩」と呼ばれ、手前の二岩石と合わせて「三仙岩」と呼ばれています。

その二岩石の左横に立っている小岩石が「鬱稜島外図」にある「四石列立」の一つと思われますね。

岸にも

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/08 11:36 投稿番号: [3611 / 18519]
あ、海岸に小さく突き出た小岩が一つ有るのですが、これを指すのですか。でしたら三仙岩と別ですね。失礼しました。ただ海上にはないし、ほかの三つの岩に比べてかなり小さいのでちょっと判断が難しいところですね。でも、確かに、ありうるかもしれませんね。

三仙岩

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/08 11:30 投稿番号: [3610 / 18519]
既出ですが、これは三仙岩が重なって見えているものでしょう。

>三峰島=鬱陵島

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/08 09:18 投稿番号: [3609 / 18519]
>同外図の北東に描かれている「四石列立」は作者のケンチャナヨなミスで実際には「三石列立」、今の「三仙岩」に当たる。

横から失礼します。

「鬱陵島外図(1882年)」の「四石列立」ですが、謎が解けました。 下のリンクの写真を見て頂くとわかりますね。 どうやら、対岸近くに立っている小岩石のことのようです。

http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/gwdo.htm

http://www.ullungdo.com/map/11.htm

>>歴史の再編

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 21:36 投稿番号: [3608 / 18519]
当時の鬱(稜)島郡守、沈興澤が「本郡所屬 獨島」と書いた件に言及しますと、その後に続く沈興澤の「在於本部外洋百餘里」と書くところが変ですね。

1903年に鬱(稜)島第二代郡守として赴任してきた沈興澤が、3年も同島に滞在しながら「獨島」の位置を鬱稜島から「外洋百余里」としているところです。 正確な「獨島」の位置の認識があれば「外洋二百余里」と書くはずなのですが、沈興澤は正確な「獨島」の位置を知らなかったのでしょう。

これも韓国にとっては不利な文献になりますね。

アメリカの立場

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 20:59 投稿番号: [3607 / 18519]
http://www.tokdo.co.kr/board/main/read.cgi?board=gallery&y_number=44&nnew=2

中立の立場にあるアメリカ(米太平洋軍司令部)は韓国の行動を不法占拠と見ており、上の地図にもあるように「竹島」は日本領として表記されています。

韓国にとっては痛いところですね。

>歴史の再編 II

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 18:59 投稿番号: [3606 / 18519]
>1881年といえば、「清明之日 登高遠眺 則千里可窺 以更無一拳石一撮土」と書いた李奎遠らの鬱稜島倹察(1882年)の一年前の出来事になる。

1881年から「獨島」と呼ばれていたことを証明する文献は見つかっていませんが、日本には豊富に存在する竹島(韓国名、獨島)往来の記録が韓国には一つもないことが、韓国も弱点だということを分かっていて悪く言えばでっちあげる必要に迫られたのでしょうね。

韓国にとっては、呼び名はどうであれ実際に「獨島」に上陸した記録がないことが領有を主張する上での弱みと言えます。

>歴史の再編

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 14:36 投稿番号: [3605 / 18519]
>「獨島」の名前使用に関して、これまでの1906年からが「1881年」からに捏造されているね。

「獨島」という名前が初めて韓国の文献に登場するのが1906年、日本の調査団が鬱稜島を訪れた翌日に、当時の鬱(稜)島郡守、沈興澤が「本郡所屬 獨島」と書いた報告書の作成日からですが、韓国としては、この日を「獨島」名を使い出した日とする事は、自分で嘘を認めていることになる訳です。

鬱稜島・半島沿岸住民が以前から「獨島」と呼んでいた島を沈興澤が採用して書いたと弁明するほうが都合がいいからですね。

常識から考えると、一官吏の沈興澤が「石島」と大韓帝国官報に明記されている島をうっかり「本郡所屬 獨島」と書く訳はなく、「本郡所屬(と思える別島 )獨島」の意味で書いたものと思われます。

>三峰島=鬱陵島 III

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 14:01 投稿番号: [3604 / 18519]
http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/haedong.jpg

この地図からしますと、「西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流」の記述が合っているように思います。

問題は同地図に描かれている「小島(観音島)」と「中島(竹島)」の間の「巌石列立」がどこに消えたかでしょうね。

>観音島の隣のもう一つの島

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/07 12:59 投稿番号: [3603 / 18519]
横から失礼します。

確かに観音島の南東側すぐのところに小岩石と岩礁があります。

以下のリンクから写真が見られますが、ユーザー登録しないと見られないようになっていますから、韓国の住民登録番号をお持ちでないと登録は無理だと思います。

写真を見ての私見ですが、「岩石列立」とは言いがたいですね。

http://www.soguri.com/gyeongsangbuk-do/ulleung-gun/2000-09/37430_17_4_402.html

「太宗実録」 堂々完成!

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/02/06 22:32 投稿番号: [3601 / 18519]
韓国は現在、于山島は獨島であると主張しているが、これは明らかに
誤りである。竹島は人の住めない無人島であり、まして86人もの人間が
生活出来るような島ではない。この太宗実録に出てくる于山島なる島は
大竹や芋を産するとある。つまり人が住めて竹を産するこの于山島と
は現在の鬱陵島を指すのである。

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/Takeshima/

韓国人の皆さん、反論出来ますか?

三峰島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/06 19:20 投稿番号: [3600 / 18519]
>加えて、以下の地図上覧の「物産(特産物)」の中に「可支魚(ニホンアシカ)」と表記されていることが、鬱稜島が「可支島」とも呼ばれた可能性を裏付けるものと言える。

可支島と蓼島については具体的な話があるわけでもありませんし、何とも確定しづらいと思っています。鬱陵島に「可支」がいるかどうかは関心があった部分で、ご指摘の資料は参考になります。

現在、鬱陵島でアシカの話は全然出てこないのではないでしょうか。検索をしても引っかからないのでは?アシカといえばやはり独島のイメージですが、鬱陵島でアシカがとれたという話は興味深いです。

>「西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流」の解釈だが、18世紀の「海東地図」から見ても鬱稜島を北東から南へ下って見る解釈は合わないと思う。

これについては、私は北東がもっとも妥当であると判断します。ご指摘の可能性もあるかもしれませんが、私は「西に島を隔てて7・8里」と読んでいますので、ちょっと視角が変わってきます。いずれにしてもこれが独島を指すかどうかは、ちょっと疑問に思っています。

あなた、甘いです...

投稿者: golsin399 投稿日時: 2004/02/06 17:24 投稿番号: [3599 / 18519]
>竹島問題を感情的にならずに冷静に話>し合い出来るようになったとき、本当>の意味で日韓が友人になれると思いま>す。 よ、隣同士。そんだけ。

そういうときは永遠に来ません。
やはり日本人は、朝鮮人が日本人と同じ先進国の住民だと錯覚しているのですよ。
朝鮮人はあくまで、アジアの後進国の住民であって、近代化を経ていない停滞国の民族なのですよ。
近年の経済発展は、日本の模倣によって何とかしのいでいますが、しょせん中身は張り子の虎ですので、いずれ襤褸が出るでしょう。

三峰島=鬱陵島 IV

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/06 17:16 投稿番号: [3598 / 18519]
>鬱稜島の北側を西へと解釈する私の持論が合うようだ。

誤解のないように言っておくが、「獨島」は、どこからどう見ても「西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流」の記述には当てはまらない。

さらに言えば、高麗大学(校)の申とやらが、「三峰島」の記述が「獨島」の形状と一致するとでっち上げても反論・批判が聞こえてこないのが韓国のお粗末な学会の実情だと言える。 (笑)

三峰島=鬱陵島 III

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/06 16:39 投稿番号: [3597 / 18519]
「西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流」の解釈だが、18世紀の「海東地図」から見ても鬱稜島を北東から南へ下って見る解釈は合わないと思う。

やはり、鬱稜島の北側を西へと解釈する私の持論が合うようだ。

加えて、以下の地図上覧の「物産(特産物)」の中に「可支魚(ニホンアシカ)」と表記されていることが、鬱稜島が「可支島」とも呼ばれた可能性を裏付けるものと言える。 又、この地図に於いても、「倭船倉可居」と大きく書かれていることから、当時の同島に於ける日本人達の存在が大きかったことが分かる。

http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/haedong.jpg

>例

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/06 16:14 投稿番号: [3596 / 18519]
わざわざのリンクありがとうございます。

私の勉強不足でした。

最近1年以上ネットから遠ざかっていましたので...軽率でしたね。
皆さんに誤解を与えたことを重ねてお詫びします。



一応、昔の記事載せときます。根も葉もないわけではありませんので。

2002.04.03
>歴史共同研究委の韓国側委員長に、金栄作(キム・ヨンジャク)国民(クンミン)大学教授を内定した。
http://japanese.joins.com/php/article.php?sv=jnews&src=soci&cont=soci0&aid=20020403182612400

2002.04.22
>韓国側の委員長と委員の選任問題などが難航し、1カ月以上も遅延されている。
>金教授は「日本側との交渉の余地もさほどない上に、後で日本と妥協したという非難を受けること間違いない。そんなことを何故やるのか」
>学会の推薦を受けた学者の中には研究委員になることを拒む人が少なくなく、研究委員に内定された学者の中にも、固辞する人がいることが確認されている。ある学者は「少しでも失敗すれば、親日派に罵倒される可能性があり、成果無く終われば、批判されてしまうので、受け持とうとする人は余りいない」と雰囲気を説明した。
>中堅のある歴史学者は「日本の歴史教科書問題は韓国側で主導権を握って推し進めなければならないのに、委員構成もできず、おかしな格好になってしまった。学者たちが積極的に参加できるよう、政府が雰囲気作りをしてくれれば」と話した。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/04/22/20020422000032.html

研究なのに雰囲気ってなんでしょ?

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/06 14:39 投稿番号: [3595 / 18519]
例えば、次の遠山大臣の会見、ずっと下のところの日韓歴史共同研究委員会報告書についての質疑応答をご覧下さい。

http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/03080101.htm

歴史の再編 II

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/06 14:04 投稿番号: [3594 / 18519]
>「獨島」の名前使用に関して、これまでの1906年からが「1881年」からに捏造されているね。

1881年といえば、「清明之日 登高遠眺 則千里可窺 以更無一拳石一撮土」と書いた李奎遠らの鬱稜島倹察(1882年)の一年前の出来事になる。 (笑)

え!

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/06 13:50 投稿番号: [3593 / 18519]
そうでしたか。

それは失礼致しました。

皆さん、それについての無礼な投稿をお許しください。

別の意識とはなんでしょう?

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/06 13:49 投稿番号: [3592 / 18519]
>最初が独島を日本領土化することだったという意識から来ていると思います。

竹島は元々朝鮮領土ではありません。

要は先ほどの私の投稿と同じなのです。
口ではいろいろ言いますが、じゃ裁判所で証明しようかと言えば拒否。

歴史認識も日本が歴史を捏造していると声高に叫ぶ学者も共同歴史研究会には参加したくはない。

姑息だとしか表現ができません。

研究会

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/06 13:47 投稿番号: [3591 / 18519]
>結果もご存知の通り韓国側に参加する学者が1人もいませんでしたので立ち消えになりました。

これはその後、委員が決まり、たしか現在会議が繰り返されているのではなかったでしょうか。近いうちに報告が出る時期なのではなかったかと。正確には忘れましたが。

独島への思いは・・・

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/02/06 13:43 投稿番号: [3590 / 18519]
韓国にとっては、あの島を持つことの利益とは別の意識があると思います。
19世紀末頃から狙った植民地化の
最初が独島を日本領土化することだったという意識から来ていると思います。
そういう意味で、靖国や歴史意識と切り離せないのです。
植民地化を正当化する発言が政府筋から出れば、北風から外套を守るように、独島を抱えこみます。

今の状況で共同利用なんて言葉を受け入れるはずもありません。
ビザなしに相互訪問ができるようになり、お互いの心に国境がなくなるとき、島を握り締めることに、何の意味もなくなります。
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