竹島

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獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 19:52 投稿番号: [2741 / 18519]
Q.竹島は鬱陵島から肉眼で見えるのですか?

ANS.「肉眼」で見えるかどうかは未確認です。韓国側がよく提示する鬱陵島から竹島が見えたとする証拠写真ですが、ニコンFM2 レンズ500mmで撮影されたとのことです。
肉眼で見えることの証明に、35mm程度のレンズを使わずに500mmを使った理由は不明です。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 19:51 投稿番号: [2740 / 18519]
Q.日本懲罰戦争後にアメリカのサンフランシスコ市で調印された対日講和条約では、日本は明文では獨島を放棄していませんが?

ANS.日本は、元々自分のものではないので獨島を放棄することはできません。
第一、対日講和条約は韓国以外の第三国同士で結ばれた条約であって、その如何なる条文も韓国の権利を規制できません。
第二、国境の画定は第一義に二国間問題です。太政官指令のように当事者が納得すればいいのであって、第三者は国際機関であろうとも関係ない話です。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 19:45 投稿番号: [2739 / 18519]
Q.鬱陵郡守は獨島迄の正確な距離を知らなかったのでは?

ANS.はい。確実に知りませんでした。また、それ以前に竹島の存在を郡守が知っていたことを証明する史料も存在しません。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 19:41 投稿番号: [2738 / 18519]
Q.鬱陵郡守は獨島迄の正確な距離を知らなかったのでは?

ANS.はい、その可能性はあります。
鬱陵島から見える獨島までの正確な距離を測っていなかっただけのことで、当時の地方制度上郡守が自らの所管する島に対して、正確な距離を測定する義務は課されていませんので、何ら問題有りません。見えてれば充分だったのでしょう。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 19:37 投稿番号: [2737 / 18519]
Q.それでは、大韓帝国政府の竹島領有の根拠は何なのですか?

韓国側の言い分では勅令41号の「石島」がそうらしいのですが、位置も不明確なのです。その後、官有地にしたのかどうかも不明です。勅令以外には、島根県第三部長が知らせたあとの報告書しか存在しません。何れにしても実効的支配にはほど遠い話です。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 19:35 投稿番号: [2736 / 18519]
Q.しかし日本政府は獨島を日本固有の領土と主張していますが?

ANS.最新の研究成果では、その主張の根拠となった「松島渡海免許」は全く実在しないことが明らかになっています。
元々、どちらの固有領土かが重要な争点であったわけですが、日本側のこの重要な根拠が崩れるや、どうでも良い手続き上の正当性に議論をすり替えようとしていますので注意が必要です。
日本国内限定の手続きが正当であろうと無かろうと、韓国の知ったことでないのは云うまでもありません。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 19:29 投稿番号: [2735 / 18519]
Q.鬱陵郡守は獨島を認識していなかったか?

日本の通知から 1ヶ月もたって、倍半分の距離という杜撰な地理把握にて報告しております。また、「大寒帝國政府」の大寒全図では竹島は描画範囲にも入っていない「お寒い」状況であります。大寒帝国が竹島を認識していたとする明確な史料さえ存在しません。実効的支配以前の問題といえるでしょう。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 19:24 投稿番号: [2734 / 18519]
Q.鬱陵郡守は獨島を認識していなかったか?

ANS.1906年3月に獨島調査の帰りに島根県第三部長が鬱陵島に寄り、鬱陵郡守に獨島編入を知らせると、船の便が悪くて報告が遅れることはありましたが、自分の所管する獨島を日本が編入し調査したとの報告を上層部に上げています。
しかし「竹島」なる虚偽呼称を大寒帝國政府が理解できなかったのか、その様な事実は全く無いと認識していたようです。この事から見ても、内部の回覧に過ぎない島根県告示を公知したなどとは全くの出鱈目だとわかります。
まんまと騙し取られたわけですが、勿論その様な事は一切認める必要はありません。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 19:17 投稿番号: [2733 / 18519]
Q.獨島を韓国領とする日韓の共通認識は裏付けられますか?

  不可能です。そもそも1906年3月に竹島調査の帰りに島根県第三部長が鬱陵島に寄り、鬱陵郡守に竹島編入を知らせると、1ヶ月もたってから「鬱陵島から40km程度の距離」という地理把握が出鱈目な報告をしております。大韓全図のことも考慮すると、大韓帝国が竹島の領有どころか、存在を認識していたかどうかさえ疑われます。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 19:13 投稿番号: [2732 / 18519]
Q.過去の帝国主義時代であれば、当事国間の共通認識を覆して領土を奪取することも可能ではありませんか?

ANS.はい可能でした。
獨島が歴史的に朝鮮固有の領土であっても、侵略野欲を容認する時代には力ずくで奪うことは可能でした。しかし、その様に獲得した領土から日本を駆逐するのが現在の国際社会の基本です。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 19:03 投稿番号: [2731 / 18519]
Q.獨島を韓国領とする日韓の共通認識は裏付けられますか?

ANS.はい、このことは日本政府の最高機関であった太政府が「竹島外一島」と云う形で松島(=獨島)を我が国(日本)に関係なしと自主的に決定したことを見ても強力に裏付けられます。
つまり、日本は獨島を朝鮮領と自主的に納得して認めていたのです。
二国間の国境を画定するには、当事国の共通認識があれば充分です。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 18:53 投稿番号: [2730 / 18519]
Q.領域権原はどのように決定されるのですか?

ANS.前述のpalmas島の判例にもあるとおり、16世紀半ばまでは、宣言だけで権原取得とみなされた場合がありますが、19世紀には実効的支配に置き換えなければ、効力を失うとされています。実効的支配と条約による割譲等により取得されることになります。いづれにおいても韓国側には根拠が一切存在しないこととなります。
また、江戸幕府と李朝との間において竹島の所属が問題となった事実はありません。

>問答 Q43(2)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/23 18:52 投稿番号: [2729 / 18519]
ところで、半月城さんは以下のように仰っていらっしゃいます。
------ -
さらに、伺い書に書かれた竹島=独島の位置関係は、江戸時代の松島・竹島関係の諸文献にもよく合致しています。というよりも、それら文献の位置関係は大谷・村川両家の資料にもとづいているといっても過言ではないので当然すぎるくらいです。したがって、ずっと後に命名された架空の島「アルゴノート」島などとまぎれる可能性はみじんもありません。
------ -
私はなぜ「みじんもありません」とまで断言できるのか理解できません。島根県の伺いに従来からの理解として間違いはなかったにせよ、政府側の理解ははたしてどうだったかは先ほど書いた通りです。政府において地理的な混乱があったことは、「竹島考証」をご覧になれば充分に推測できることかと思います。政府で江戸時代の資料だけではなく西洋の資料を用い検討していたことはいくらでも窺えることです。

さて、政府は竹島外一島を日本領土とは関係が無いとしました。3年後、政府は正式に軍艦で実測調査し、竹島をchuk-do、松島を鬱陵島と結論付けています。ここで混乱に一旦終止符が打たれるわけです。政府の立場としては結局、測量においても鬱陵島とchuk-doだけを日本領ではないとしたということになりそうです。

ちなみに、島根県の伺いに対する内務省の決定以前に、すでに政府は鬱陵島を松島と考える向きがあったようですね。あるいは島根県の伺いの頃も同様に、政府は松島を鬱陵島と考えていたのでしょうか。「竹島考証」第14号(明治10年)に以下のような記録も見えます。
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松島は朝鮮の鬱陵島にて我版図中ならず斉藤某の願意は許可するの権なき旨答ふべし(p.210)
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(ただし、何しろ「竹島考証」は読んでいると頭が痛くなる文章で飛ばし飛ばしにしか読んでいませんから、私の誤解があればどうぞご指摘くだされば幸いです。)

>ところで ahirutousagi2さんは、明治政府が竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を放棄した事実を認めるのでしょうか?

放棄という言葉が適当かどうかは知りませんが、明治政府が島根県の伺いたてた竹島・松島を日本国領土としなかったことは明示されているかと思います。私としては島根県は伝統的な知識から竹島・松島を正確にとらえていたようにも思われるのですが、政府としてはここに現竹島を含めていないとしなければならないようです。

長々と失礼いたしました。また、間違いがありましたら後ほど訂正させていただきます。なにしろ、資料を眺めている程度の水準で、あまりちゃんと読み込んでいません。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 18:49 投稿番号: [2728 / 18519]
Q.于山島は竹島なのですか?

ANS.伝統的な呼称では松島です。日本政府の虚偽的な呼称では竹島になります。
遅くとも17世紀には、倭の松島は朝鮮の于山島であり朝鮮領であるとする両国の共通認識が形成されています。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 18:45 投稿番号: [2727 / 18519]
Q.于山島は竹島なのですか?

ANS.朝鮮の史書で一番最初に鬱陵島以外の島が記述されるのは太宗12年4月巳巳条の白加勿の嘘による架空の島「流山国島」です。この嘘の島が脳内妄想で拡大され、これ以降の不正確な史書の記述や地図へと反映されます。そして、犯罪人等が松島にあてた場合もあったようですが、鬱陵島の認識が正確になってくると、近傍のchukdoに于山島をあてるようになります。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 18:42 投稿番号: [2726 / 18519]
Q.韓国側の「領域権原の根拠」は何ですか?

ANS.そもそも伝統的な二国間関係で共通認識がありながら「領域権原の根拠」が問題になった例を知りません。
それが問題になるのは、帝国主義的な植民地獲得競争や、その後の独立国による承継を争う場合です。
日本と韓国との場合には、獨島は韓国領とする伝統的な共通認識があったので「領域権原の根拠」は関係有りません。江戸時代に決着した問題です。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 18:36 投稿番号: [2725 / 18519]
Q.島根県の「告示」は後日新聞記事の中で「竹島」なる嘘の名で紹介されたから公知じゃないんですか?

ANS.嘘を公知とはいいません。
公然と知らせるなら、堂々と本来の呼称を使うはずです。
しかも先述したように、そもそも「無主地の先占」自体が成立しませんから、告示の元となった閣議決定自体が無効です。
仮に無効なものを公知したとしても、何ら効力の発生しないことは云うまでもありません。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 18:33 投稿番号: [2724 / 18519]
Q.韓国側の領域権原の根拠は何ですか?

ANS.実効的支配の根拠が韓国側で皆無である上に、SF条約において日本が放棄しなかったことは明らかなので、私にもわかりません。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 18:26 投稿番号: [2723 / 18519]
Q.島根県の「告示」は後日新聞記事の中で紹介されたことで「公知」になりませんか?

前掲のClipperton島事件のThe Polynesianにおいても、「フランスの主権はすでに布告されている」という事後報告及び紹介記事で「公知」とされております。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 18:23 投稿番号: [2722 / 18519]
Q.島根県の「告示」は後日新聞記事の中で紹介されたことで「公知」になりませんか?

ANS.なりません。
韓国との日本との伝統的な共通認識は「松島」です。公然と知らせるならば、伝統的な「松島」の呼称を使用するはずです。日本側の手前勝手なミスで付けられた「竹島」では、公然と知らせることになりません。こっそり盗もうとしたのかもしれませんが。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 18:15 投稿番号: [2721 / 18519]
Q.島根県の「告示」は新聞にも掲載されておりますが?

ANS.編入の「公知」で十分であります。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 18:09 投稿番号: [2720 / 18519]
Q.島根県の「告示」は新聞にも掲載されておりますが?

ANS.掲載されていません。
回覧から相当の月日を経て、新聞記事の中で紹介されただけであり、県による告示は全くありませんでした。
しかも伝統的な呼称である「松島」の用語は用いずに、新たに「竹島」と命名しておりますので、積極的に公知すると云うよりも、むしろなるべく知られないように秘密裏に処理しました。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 17:59 投稿番号: [2719 / 18519]
Q.しかし国際司法裁判所の判例では、実効支配の有無が問題になるが?

ANS.palmas島の判例において、「19世紀以来支配的な見解では、未成熟な権原は、合理的な期間内に実効的支配によって補完されなければならない」とされており、それ以降の判例でもこの実効的支配の考え方は支持されております。あいにく例外をしりません。

Q.島根県の「告示」は単なる関係者の回覧に過ぎないと云われていますが、これは「公知」に該当しますか。

ANS.新聞にも掲載されており「公知」です。なお、Clipperton島事件では、ホノルルの新聞The Polynesianの掲載により「公知」と判断されております。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 17:58 投稿番号: [2718 / 18519]
Q.『「ホルネットロックス」の我国(日本)に属するは各国の地図皆然り』とする発言が記録されていますが、これは獨島の領有権と関係がありますか?

ANS.ありません。
外国の地図を根拠に、自国の領土を決めることはできませんし、そもそもが明治初頭の地籍編纂でホルネツトロツクスは全く取り扱われておりません。
従って、「ただ云ってみただけ」以上の意味を見いだすのは困難です。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 17:48 投稿番号: [2717 / 18519]
Q.何故日本は鬱陵島を「松島」と誤認したのでしょう?

ANS.当時の日本外務省内部でも様々な議論があり、調査の為に軍艦を差し向けること自体が「他人の宝を盗む行為」とする意見があったためか、当然あって然るべき朝鮮王国に対する照会がありませんでした。
当時の朝鮮王国では鬱陵島は日本で云う「磯竹島」または「竹島」、獨島は日本で云う「松島」と正しく認識していましたので、照会さえあれば日本側の勝手なミスは防げたものと思われます。
しかし、その様な照会は一切ありませんでしたので、韓国側の関知することではないのは云うまでもありません。

>問答 Q43(1)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/23 17:45 投稿番号: [2716 / 18519]
今までいろいろと議論されて来たことでしょうが、私に対する半月城さんの言葉がありましたから、あくまで個人的な考えを書かせていただきます。

>内務省は「版図の取捨は国家の重大事」と認識して太政官に伺書を提出しましたが、太政官はその趣旨を認識したうえで竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を放棄しました。決して安易な判断がくだされたわけではありません。この重大決定は徳川幕府の判断を引き継いでなされましたが、その慎重な判断の過程は下記の資料から跡づけられます。

島根県からの伺いにおいて竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)が意識されていたのは確かかと思いますが、政府側でそれを意識していたかどうかは疑問であるとすでに申しあげました。いくら慎重に考えたとはいえ、政府が当時、西洋の地図の混乱の影響を受けていた可能性があるということです。

もとより、政府としてはどういう意識で島根県に竹島・松島について問い合わせたのでしょうか。島根への問い合わせに先立つ文書にこういう部分があります。(「竹島考証」より)

>彼竹島なる者は朝鮮の鬱陵島とし   幕府偸安の儀遂に彼に委す   故に此所所謂松島なる者   竹島なれは彼に属し   若し竹島以外にある松島なれは   我に属せさるを得さるも   之を結論する者無し…因て先す島根県に照会し…(p.189)

>「ホル子ツトロツクス」の我国に属するは各国の地図皆然り   他の二嶋(「アルゴナウト嶋」と「デラセ嶋」…アヒル注)に至りては各国其認むる所を同ふせす   我国論又確據無し(p.191)

つまり、現竹島については政府は明確に領土意識を持っていましたが、松島・竹島の名称規定については現竹島の他に「ニ嶋」とあるようにかなり混乱していたのであり、それを島根に問い合わせたということではないでしょうか。

一方で、当時、松島について政府が伝統的な立場からの認識を持っていたのも確かでしょう。以下のものは伝統的な政府の理解です。西洋の地図を念頭に置かない日本の原則論でしょう。

>我国と朝鮮との関係を論ずれは旧幕府無事を好むより竹島を以て唯彼地図に鬱陵島と均しきと其地の遠近を以て朝鮮に譲与せりと雖も松島竹島ニ島あり松島は竹島より我近き方にあれは日本に属し朝鮮又異論ある能はす(p.199)

しかし、あくまで西洋の地図による混乱を合理的に理解しようと努力する中で、最後に決定したのが竹島外一島が日本領土でないという立場だったようです。この政府の立場に現竹島が含まれていたとは私の見た資料の印象では思えません。

というのは政府が「外一島」文書で竹島外一島としたのは、あくまで「ホル子ツトロツクス(現竹島)」以外のニ島を指さなければ、その他の文書の前後関係からも一貫性が損なわれるように思われるからです。

順を追って申し上げると次の通りです。

①従来より竹島は朝鮮領土であり、松島は日本領土との認識があった。しかし、松島がどの島かは明確でなかった。一方、「ホル子ツトロツクス」が日本に属するのは自明のことである。政府は他の不明の二島、竹島・松島について島根に照会。

②これに対し島根県より地籍編入の伺いが提出される。島根県としては竹島・松島については従来からの理解を踏襲しつつ、それを編入するように政府に伺いを立てる。

③これに対し政府にて竹島外一島は日本領土でないとの結論を出し、太政官にて原案通り承認指令にいたる。島根県に通達。(その後、三年後には軍艦の実測調査がなされ松島は鬱陵島に、竹島はchuk-doで決定される)

上で②において島根県が外一島を伝統的な松島(現竹島)として考えたことは先に私も認めたとおりですが、それよりも①から③、あるいはそれ以前、以後の政府の主張の整合性を考えれば、政府が外一島を現竹島と見ていた可能性はほぼ無いように思われます。

韓国で重要視されるこの②はどこまでも島根県の理解と伺いであって政府はもとより「ホル子ツトロツクス」は日本と考えており、結論を申しますと日本は「竹島外一島」に西洋の地図に則って竹島・松島に「ホル子ツトロツクス」以外の二つの島を見ていたといえそうです。

こうした理解はアルゴノート、ダジュレー、ホーネットをそれぞれ記したような当時の地図の混乱した実情ともはっきりと符合するのではないかと思われます。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 17:37 投稿番号: [2715 / 18519]
Q.しかし国際司法裁判所の判例では、実効支配の有無が問題になるが?

ANS.それは「無主地の先占」が争点になる場合の特殊例です。
韓国の各種公文書や日本側の公文書でも明らかなように、獨島は「無主地」などではありません。「朝鮮領」です。
従って、実効支配の有無は問題にはなりません。
また判例ではありませんが、50年間平穏に支配を継続した場合には、領有権が移るのではないかとの議論もありますが、これについても1905年の島根県編入からマッカーサーラインによる日本の領域からの分離、1948年大韓民国の成立によって50年要件は満たされませんので成立しません。
何れにしましても、この問題で実効支配が問題になることはないでしょう。
そもそも日本の完全な内政上の手続きミスに過ぎませんから、国際法を云々すること自体が不適当です。

Q.島根県の「告示」は単なる関係者の回覧に過ぎないと云われていますが、これは「公知」に該当しますか。

ANS.公然と知らせるのが「公知」です。単なる「回覧」では「公知」とは云えません。
内政上秘密裏に処理しただけです。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 16:03 投稿番号: [2714 / 18519]
Q.1905年の島根県編入が日本の一方的ミスとしても、国際法上は有効なのでしょうか?

ANS.ミスではありません。Clipperton島の判例にもあるとおり、慣習法としての通知の義務の成立を否定しており、何らかの手段で公知すれば十分です。ベルリン議定書の後の1919年サンジェルマン条約ではアフリカ海岸の通知義務も破棄されました。Lindley,M.F., The Aquisition and Government of Backward Territory in International lawによると、通知の国家実行も極めて例外的にしか行われていない(原文は未確認)。

Q.しかし当時の朝鮮には獨島の位置を正確に記した地図がありませんが、これは問題になりませんか?

ANS.Clipperton島の判例にもあるとおり、国家の命令で作成された地図は証拠となりえます。この点で、大韓帝国謹製の大韓全図においてchukdoを于山とし、竹島が描写範囲からも外れているのは致命的でしょう。

獨島問答 pocoider流

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/12/23 15:41 投稿番号: [2713 / 18519]
Q.では何故日本は1905年に獨島を「無主の地」として「編入」したのですか?

ANS.日本、大韓帝国を含め、国際法における実効的支配が何れの国によってもなされていなかったから。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 14:47 投稿番号: [2712 / 18519]
Q.1905年の島根県編入が日本の一方的ミスとしても、国際法上は有効なのでしょうか?

ANS.完全に無効です。
獨島が実態として「無主地」であれば、手続き上有効とする主張も可能であるかもしれません。
しかし、元来朝鮮領として放棄した経緯がありますから、国際法上は「無主地の編入」は不可能です。
それでも日本領としたいならば、韓国側から割譲されなければなりませんが、その様な事実は一切ありません。
または韓国側に事前に照会するなり、事後であっても公式に通告があれば、韓国側が放棄したと見なすことも可能であるかもしれませんが、その様な事実もありません。島根県の告示も日本政府の内部で回覧しただけで実際には告示されていませんので、どう見ても日本の内政問題上のミスに過ぎません。
また合邦期間中も獨島を慶尚道の管轄から外した記録もありませんので、完全に韓国とは無関係の日本の内政問題と云えるでしょう。
韓国側の立場としては、日本の内政上の単純ミスに過ぎないものを、外交案件として取り扱う必要はないと思われ、国際法論議は不要と思われます。

Q.しかし当時の朝鮮には獨島の位置を正確に記した地図がありませんが、これは問題になりませんか?

ANS.全く問題になりません。
そもそも国の領土は、近代的測量が登場する以前から継承されており、近代的測量法に基づく経度緯度正確な地図がなければ統治できなかったわけではありません。
しかし、政府の公式な地誌には獨島が表記されており、付属の絵図面にも東海上に二島(鬱陵島と芋山島)が描かれており、厳密な位置が正確でなくとも統治上問題なければ良いのです。
加えて獨島の場合は、関係両国ともに朝鮮領と一致して認識していましたので、尚更厳密な地図が必要とは云えません。

獨島問答 AHO流

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/12/23 13:34 投稿番号: [2711 / 18519]
Q.では何故日本は1905年に獨島を「無主の地」として「編入」したのですか?

ANS.それは日本の勝手な勘違い、或いは間違いに過ぎません。
日本の最高機関である太政官は獨島を完全に放棄しましたが、当時の航海術の未熟さから、隠岐から獨島迄の距離を70里(約280km)と実際よりも多く見積もっていました。
このため、ウラジオストック航路などから鬱陵島(隠岐から約250kmくらいか)を望見したり、軍艦を派遣して調査した結果、これを「松島」と勝手に勘違いしたのです。
そうすると、あら不思議、「松島」の東海上にあるリャンコ島は本来の松島(=獨島)とは完全に無関係の新たに発見した無手の地と解釈できてしまうわけです。
無論、この様な日本側の一方的なミスに過ぎないものを認めるバカはいません。

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/12/23 09:33 投稿番号: [2710 / 18519]
>Q43.しからば、当時の日本の最高機関である太政官(総理大臣府)は鬱陵島と獨島をどの国の領土と判定したのか?


上記Q43ですが、「鬱陵島」はよいとしても「獨島」などという名称をはじめから用いているところに無理はありませんか?

どうも印象操作というか、最初から結論ありきでおかしな文章になっていませんか?
日本は鬱陵島とそれに付随する小さな島を放棄したというところまでは異論はないと思います。
その小さな島が現在いうところのどこか?が論点なのではないですか?
その論点を無視し、初めから獨島であることを前提として、「鬱陵島と獨島をどの国の領土と判定したのか?」
などと言うから話しがおかしくなるのではないですか?

獨島問答 Q43

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/12/23 09:16 投稿番号: [2709 / 18519]
Q43.しからば、当時の日本の最高機関である太政官(総理大臣府)は鬱陵島と獨島をどの国の領土と判定したのか?

ANS.太政官ではこれ(内務省からの伺書、半月城注)を検討し、鬱陵島とその外一島の獨島(松島)は内務省の判断のように、やはり日本とはなんら関係がなく、朝鮮領と判定して最終結論をだした。
   太政官(右大臣・岩倉具視)は内務省の伺書を受けて検討した後、調査局長の起案にて 1877年3月20日「伺いの趣である竹島(鬱陵島)外一島(松島)の件は本邦(日本)と関係がないと心得ること」という指令文を作成し、これを最終決定した。
   日本の最高国家機関である太政官は最終決定であるこの指令文を 1877年3月29日、正式に内務省に送り、指令手続きを完了した。日本の内務省はこの指令文を1877年4月29日付で島根県に送り、現地でもこの問題を完全に終結した。
   日本の明治政府の最高国家機関である太政官は 1877年3月29日付で「鬱陵島と獨島は日本領とは関係ない地であり、朝鮮領土である」と最終決定した指令文を再確認して公文書で内務省と島根県に送ったのである。

   当時、鬱陵島・獨島が朝鮮領であり日本領ではないという 1877年3月29日付の日本最高国家機関の最終決定は、それに先立つ徳川幕府将軍が1696年1月28日にくだした決定と同様に画期的なものであった。
   明治維新当時、日本の最高国家機関である太政官が鬱陵島、獨島は朝鮮領であり日本領ではないという要旨の決定をくだし、内務省と島根県に公文書を指令したことは「獨島が韓国領である」という真実を日本側資料が再確認する決定的な資料であり、今日の日本政府がごり押しをして、獨島が日本領であるという主張の虚構性をよく証明する決定的な日本の公文書であるといえる。

コメント.
   明治政府の国家最高機関である太政官の指令や、その際に審査した内務省からの伺書ならびに島根県からの伺書などの原文や読み下し文などは下記サイトに書いたとおりです。ahirutousagi2 さんが探していた付属文書の原文も下記にあります。
   内務省は「版図の取捨は国家の重大事」と認識して太政官に伺書を提出しましたが、太政官はその趣旨を認識したうえで竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を放棄しました。決して安易な判断がくだされたわけではありません。この重大決定は徳川幕府の判断を引き継いでなされましたが、その慎重な判断の過程は下記の資料から跡づけられます。

   ところで ahirutousagi2さんは、明治政府が竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を放棄した事実を認めるのでしょうか?

<太政大臣の竹島=独島放棄>
http://www.han.org/a/half-moon/hm084.html#No.580

<内務省「竹島外一島」伺い書>
http://www.han.org/a/half-moon/hm083.html#No.572
http://www.han.org/a/half-moon/hm083.html#No.574

<島根県から内務省宛「竹島外一島」伺い書>
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.564
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.565
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.566

竹島は日本領土とはっきりしたので

投稿者: age_age_man_2003 投稿日時: 2003/12/22 01:12 投稿番号: [2708 / 18519]
Age

llllowollllさん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/19 00:45 投稿番号: [2707 / 18519]
赤面の次第です。今回の書き込みは失敗だらけでした。自分としては大いに勉強になりましたが…。竹島問題もどうも簡単ではありません。日本海問題とは比較にならない深さがあります。

また、手の届く範囲でいろいろと調べて見たいと思います。ちなみに私はあまり公平ともいえません。やはり日本側の主張を信じたい気持ちはあります。それを確信するためにまた資料を確認し、韓国の主張を読み、という繰り返しです。まだまだ入門で恥ずかしい次第です。

感心しました

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/12/18 23:34 投稿番号: [2706 / 18519]
非常に冷静で厳密にかつ公平に資料を検討したり解釈される姿勢には本当に感心しました

ついつい感情的になって公平な視点を見失いがちになる自分を反省し、見習わせて貰いたいと思ってます

今後ともそういう視点で竹島問題に興味を持ってもらえると嬉しいです

>全くの入門レベルで失礼しました。

とんでもないです。こちらこそ勉強させてください

半月城氏にあなたのような姿勢が少しでもあれば、このトピももっと身のある議論ができて有意義なものになるんでしょうけどね。

>>あった

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/17 21:46 投稿番号: [2705 / 18519]
どうも有難うございました。消失した邦貴さんのトピは数日前に流し読みしましたが、このトピの方は飛び飛びにしか見ていませんでした。ご指摘いただいたところ早速読ませていただきました。ぜひとも参考にさせて頂きます。

もともと私が今回、竹島問題に興味を持ち書き込みに至ったきっかけは、半月城氏提示のシンヨンハ問答文にどうも前からずさんな印象を受けていたこと、これは信じるに足るのかと疑われて、取り掛かりとして「竹島松島朝鮮附属に相成候始末」から実際に原文にあたってみたことにはじまります。

そして、その過程で竹島考証もざっと目を通しその他の資料にも手軽にすぐにあたれるものだけはあたりました。で、概論程度のものも一切見ずに、資料の確認をまずは目標にしていたため失敗もしてしまいましたが、とにかく、入門レベルですから勉強にはなりました。お騒がせして申し訳ありませんでした。

ただ、これまでの議論でもおそらく提示されていなかったのではないかという部分についても僅かながら自分なりの意見は提示できたかもしれません。私が感じたことをまとめておきます。

①「竹島松島朝鮮附属に相成候始末」で申しますと、シンヨンハ氏が「あった」と書いていた指令も実はどのような指令であったか資料的には確認できないものであり(勿論指令はあったでしょうが)、また同時になされた一連の指令がどういう内容や傾向の指令であったかも私は注目すべきであると言及しました。

その上で私がこの資料について考えた結論は、指令がない以上、何の報告か正確には分からないのであり、もとよりこうした報告をもって政府の正式見解とすることもできないというものでした。この資料をもって朝鮮領と認めるものでないという立場そのものは内藤正中氏も同様かと思います。

また、私はこの原文が実はとても謎に思われました。私の文章力ではとても理解しにくかったのです。で、確認してみますと、人によって読み下しが異なり、韓国のキンビョンニョル教授などは大変恣意的な解釈をしていることにも気づきました(2700参照)。

②「外一島」の件に関しましては、本文は図版を見て、附属文書だけは半月城氏の紹介によりましたが、私の印象ではこれは江戸時代から引き継いできた松島を指すと思われました。

そして「この伺いは島根の伺いであるだけに松島をほぼ的確に把握しているように見えますが、あとは政府がどこまで松島の存在を明確に把握していたかですね。西洋の地図の混乱もあったでしょうから、あるいは把握できていなかったのかもしれません」としましたが、こういう意見はすでに今まで指摘された通りです。

一方、私は「とにかく軍艦天城の派遣までの時期は混乱した時期とせざるをえないのでしょうね」と書きましたが、1877-1880年まで政府の方でも松島を正確に把握できていなかったとしなければならないように思われました。別にこの時期に混乱があったからといってどうということもないかと思います。

以上が、今回、私がいろいろと考えさせて頂いた内容です。全くの入門レベルで失礼しました。

>あった

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/12/17 16:13 投稿番号: [2704 / 18519]
とっくにお読みになっているかもしれませんが、その辺りの経緯についてはhenchin_pokoider01さんが、一度このトピでかなり詳細にまとめられていました

今探したのですが、986〜992までだと思います

もしまだでしたら一度読んでください

ご本人がいらっしゃるのに差し出がましく紹介させてもらいました(笑

あった

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/16 17:33 投稿番号: [2703 / 18519]
「あなたもネット人」という掲示板の中に私の探している原文が半月城さんの紹介でありました。(附属文書の島根県「由来の概略」はあれで全文なのでしょうか。)とにかく、なるほど「外一島」は松島になりそうですね。

この伺いは島根の伺いであるだけに松島をほぼ的確に把握しているように見えますが、あとは政府がどこまで松島の存在を明確に把握していたかですね。西洋の地図の混乱もあったでしょうから、あるいは把握できていなかったのかもしれません。

一旦は松島・竹島は政府で放棄が明確にされたとして、この三年後、軍艦天城を派遣してこの地の海図について結論を出しているわけで、そこでは松島が鬱陵島、竹島が附属の小島(現在のchuk-do)とされました。

その後、1905年の日本編入まで一貫して鬱陵島が「松島」とされ、現在の竹島は「リヤンクール列岩」とされたわけですから、当時の政府の立場としては松島(附属小島「竹島chuk-do」含む)は鬱陵島として朝鮮領土ということには一貫性はあるということでしょうか。

とにかく軍艦天城の派遣までの時期は混乱した時期とせざるをえないのでしょうね。

重ねて感謝

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/16 14:09 投稿番号: [2702 / 18519]
重ねて有難うございます。さすがに公文書館までは行く元気がないので、インターネットか近所の図書館で調べられればと思っていたのですが、難しいですね。
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