>問答 Q43(1)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/23 17:45 投稿番号: [2716 / 18519]
今までいろいろと議論されて来たことでしょうが、私に対する半月城さんの言葉がありましたから、あくまで個人的な考えを書かせていただきます。
>内務省は「版図の取捨は国家の重大事」と認識して太政官に伺書を提出しましたが、太政官はその趣旨を認識したうえで竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を放棄しました。決して安易な判断がくだされたわけではありません。この重大決定は徳川幕府の判断を引き継いでなされましたが、その慎重な判断の過程は下記の資料から跡づけられます。
島根県からの伺いにおいて竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)が意識されていたのは確かかと思いますが、政府側でそれを意識していたかどうかは疑問であるとすでに申しあげました。いくら慎重に考えたとはいえ、政府が当時、西洋の地図の混乱の影響を受けていた可能性があるということです。
もとより、政府としてはどういう意識で島根県に竹島・松島について問い合わせたのでしょうか。島根への問い合わせに先立つ文書にこういう部分があります。(「竹島考証」より)
>彼竹島なる者は朝鮮の鬱陵島とし 幕府偸安の儀遂に彼に委す 故に此所所謂松島なる者 竹島なれは彼に属し 若し竹島以外にある松島なれは 我に属せさるを得さるも 之を結論する者無し…因て先す島根県に照会し…(p.189)
>「ホル子ツトロツクス」の我国に属するは各国の地図皆然り 他の二嶋(「アルゴナウト嶋」と「デラセ嶋」…アヒル注)に至りては各国其認むる所を同ふせす 我国論又確據無し(p.191)
つまり、現竹島については政府は明確に領土意識を持っていましたが、松島・竹島の名称規定については現竹島の他に「ニ嶋」とあるようにかなり混乱していたのであり、それを島根に問い合わせたということではないでしょうか。
一方で、当時、松島について政府が伝統的な立場からの認識を持っていたのも確かでしょう。以下のものは伝統的な政府の理解です。西洋の地図を念頭に置かない日本の原則論でしょう。
>我国と朝鮮との関係を論ずれは旧幕府無事を好むより竹島を以て唯彼地図に鬱陵島と均しきと其地の遠近を以て朝鮮に譲与せりと雖も松島竹島ニ島あり松島は竹島より我近き方にあれは日本に属し朝鮮又異論ある能はす(p.199)
しかし、あくまで西洋の地図による混乱を合理的に理解しようと努力する中で、最後に決定したのが竹島外一島が日本領土でないという立場だったようです。この政府の立場に現竹島が含まれていたとは私の見た資料の印象では思えません。
というのは政府が「外一島」文書で竹島外一島としたのは、あくまで「ホル子ツトロツクス(現竹島)」以外のニ島を指さなければ、その他の文書の前後関係からも一貫性が損なわれるように思われるからです。
順を追って申し上げると次の通りです。
①従来より竹島は朝鮮領土であり、松島は日本領土との認識があった。しかし、松島がどの島かは明確でなかった。一方、「ホル子ツトロツクス」が日本に属するのは自明のことである。政府は他の不明の二島、竹島・松島について島根に照会。
②これに対し島根県より地籍編入の伺いが提出される。島根県としては竹島・松島については従来からの理解を踏襲しつつ、それを編入するように政府に伺いを立てる。
③これに対し政府にて竹島外一島は日本領土でないとの結論を出し、太政官にて原案通り承認指令にいたる。島根県に通達。(その後、三年後には軍艦の実測調査がなされ松島は鬱陵島に、竹島はchuk-doで決定される)
上で②において島根県が外一島を伝統的な松島(現竹島)として考えたことは先に私も認めたとおりですが、それよりも①から③、あるいはそれ以前、以後の政府の主張の整合性を考えれば、政府が外一島を現竹島と見ていた可能性はほぼ無いように思われます。
韓国で重要視されるこの②はどこまでも島根県の理解と伺いであって政府はもとより「ホル子ツトロツクス」は日本と考えており、結論を申しますと日本は「竹島外一島」に西洋の地図に則って竹島・松島に「ホル子ツトロツクス」以外の二つの島を見ていたといえそうです。
こうした理解はアルゴノート、ダジュレー、ホーネットをそれぞれ記したような当時の地図の混乱した実情ともはっきりと符合するのではないかと思われます。
>内務省は「版図の取捨は国家の重大事」と認識して太政官に伺書を提出しましたが、太政官はその趣旨を認識したうえで竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を放棄しました。決して安易な判断がくだされたわけではありません。この重大決定は徳川幕府の判断を引き継いでなされましたが、その慎重な判断の過程は下記の資料から跡づけられます。
島根県からの伺いにおいて竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)が意識されていたのは確かかと思いますが、政府側でそれを意識していたかどうかは疑問であるとすでに申しあげました。いくら慎重に考えたとはいえ、政府が当時、西洋の地図の混乱の影響を受けていた可能性があるということです。
もとより、政府としてはどういう意識で島根県に竹島・松島について問い合わせたのでしょうか。島根への問い合わせに先立つ文書にこういう部分があります。(「竹島考証」より)
>彼竹島なる者は朝鮮の鬱陵島とし 幕府偸安の儀遂に彼に委す 故に此所所謂松島なる者 竹島なれは彼に属し 若し竹島以外にある松島なれは 我に属せさるを得さるも 之を結論する者無し…因て先す島根県に照会し…(p.189)
>「ホル子ツトロツクス」の我国に属するは各国の地図皆然り 他の二嶋(「アルゴナウト嶋」と「デラセ嶋」…アヒル注)に至りては各国其認むる所を同ふせす 我国論又確據無し(p.191)
つまり、現竹島については政府は明確に領土意識を持っていましたが、松島・竹島の名称規定については現竹島の他に「ニ嶋」とあるようにかなり混乱していたのであり、それを島根に問い合わせたということではないでしょうか。
一方で、当時、松島について政府が伝統的な立場からの認識を持っていたのも確かでしょう。以下のものは伝統的な政府の理解です。西洋の地図を念頭に置かない日本の原則論でしょう。
>我国と朝鮮との関係を論ずれは旧幕府無事を好むより竹島を以て唯彼地図に鬱陵島と均しきと其地の遠近を以て朝鮮に譲与せりと雖も松島竹島ニ島あり松島は竹島より我近き方にあれは日本に属し朝鮮又異論ある能はす(p.199)
しかし、あくまで西洋の地図による混乱を合理的に理解しようと努力する中で、最後に決定したのが竹島外一島が日本領土でないという立場だったようです。この政府の立場に現竹島が含まれていたとは私の見た資料の印象では思えません。
というのは政府が「外一島」文書で竹島外一島としたのは、あくまで「ホル子ツトロツクス(現竹島)」以外のニ島を指さなければ、その他の文書の前後関係からも一貫性が損なわれるように思われるからです。
順を追って申し上げると次の通りです。
①従来より竹島は朝鮮領土であり、松島は日本領土との認識があった。しかし、松島がどの島かは明確でなかった。一方、「ホル子ツトロツクス」が日本に属するのは自明のことである。政府は他の不明の二島、竹島・松島について島根に照会。
②これに対し島根県より地籍編入の伺いが提出される。島根県としては竹島・松島については従来からの理解を踏襲しつつ、それを編入するように政府に伺いを立てる。
③これに対し政府にて竹島外一島は日本領土でないとの結論を出し、太政官にて原案通り承認指令にいたる。島根県に通達。(その後、三年後には軍艦の実測調査がなされ松島は鬱陵島に、竹島はchuk-doで決定される)
上で②において島根県が外一島を伝統的な松島(現竹島)として考えたことは先に私も認めたとおりですが、それよりも①から③、あるいはそれ以前、以後の政府の主張の整合性を考えれば、政府が外一島を現竹島と見ていた可能性はほぼ無いように思われます。
韓国で重要視されるこの②はどこまでも島根県の理解と伺いであって政府はもとより「ホル子ツトロツクス」は日本と考えており、結論を申しますと日本は「竹島外一島」に西洋の地図に則って竹島・松島に「ホル子ツトロツクス」以外の二つの島を見ていたといえそうです。
こうした理解はアルゴノート、ダジュレー、ホーネットをそれぞれ記したような当時の地図の混乱した実情ともはっきりと符合するのではないかと思われます。
これは メッセージ 2709 (hangetsujoh さん)への返信です.
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