竹島

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獨島問答 Q43

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/12/23 09:16 投稿番号: [2709 / 18519]
Q43.しからば、当時の日本の最高機関である太政官(総理大臣府)は鬱陵島と獨島をどの国の領土と判定したのか?

ANS.太政官ではこれ(内務省からの伺書、半月城注)を検討し、鬱陵島とその外一島の獨島(松島)は内務省の判断のように、やはり日本とはなんら関係がなく、朝鮮領と判定して最終結論をだした。
   太政官(右大臣・岩倉具視)は内務省の伺書を受けて検討した後、調査局長の起案にて 1877年3月20日「伺いの趣である竹島(鬱陵島)外一島(松島)の件は本邦(日本)と関係がないと心得ること」という指令文を作成し、これを最終決定した。
   日本の最高国家機関である太政官は最終決定であるこの指令文を 1877年3月29日、正式に内務省に送り、指令手続きを完了した。日本の内務省はこの指令文を1877年4月29日付で島根県に送り、現地でもこの問題を完全に終結した。
   日本の明治政府の最高国家機関である太政官は 1877年3月29日付で「鬱陵島と獨島は日本領とは関係ない地であり、朝鮮領土である」と最終決定した指令文を再確認して公文書で内務省と島根県に送ったのである。

   当時、鬱陵島・獨島が朝鮮領であり日本領ではないという 1877年3月29日付の日本最高国家機関の最終決定は、それに先立つ徳川幕府将軍が1696年1月28日にくだした決定と同様に画期的なものであった。
   明治維新当時、日本の最高国家機関である太政官が鬱陵島、獨島は朝鮮領であり日本領ではないという要旨の決定をくだし、内務省と島根県に公文書を指令したことは「獨島が韓国領である」という真実を日本側資料が再確認する決定的な資料であり、今日の日本政府がごり押しをして、獨島が日本領であるという主張の虚構性をよく証明する決定的な日本の公文書であるといえる。

コメント.
   明治政府の国家最高機関である太政官の指令や、その際に審査した内務省からの伺書ならびに島根県からの伺書などの原文や読み下し文などは下記サイトに書いたとおりです。ahirutousagi2 さんが探していた付属文書の原文も下記にあります。
   内務省は「版図の取捨は国家の重大事」と認識して太政官に伺書を提出しましたが、太政官はその趣旨を認識したうえで竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を放棄しました。決して安易な判断がくだされたわけではありません。この重大決定は徳川幕府の判断を引き継いでなされましたが、その慎重な判断の過程は下記の資料から跡づけられます。

   ところで ahirutousagi2さんは、明治政府が竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を放棄した事実を認めるのでしょうか?

<太政大臣の竹島=独島放棄>
http://www.han.org/a/half-moon/hm084.html#No.580

<内務省「竹島外一島」伺い書>
http://www.han.org/a/half-moon/hm083.html#No.572
http://www.han.org/a/half-moon/hm083.html#No.574

<島根県から内務省宛「竹島外一島」伺い書>
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.564
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.565
http://www.han.org/a/half-moon/hm082.html#No.566
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