竹島
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亜細亜東部略図 文士の国vs武士の国
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/22 21:16 投稿番号: [16490 / 18519]
これは メッセージ 16485 (senkaku_islands さん)への返信です.
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外務省パンフレットへの批判5、(2)
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/22 20:56 投稿番号: [16489 / 18519]
外務省のパンフレットは、安龍福が虚偽の供述をおこなったもう一つの例として、第二次渡日事件をこう記しました。
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さらに、韓国側の文献によれば、安龍福は、1696年の来日の際に鬱陵島に多数の日本人がいた旨述べたとされています。しかし、この来日は、幕府が鬱陵島への渡航を禁じる決定をした後のことであり、当時、大谷・村川両家はいずれも同島に渡航していませんでした。
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安龍福のこの供述に対し『粛宗実録』は何のコメントを加えずに記述したのですが、韓国政府はこれをほぼ事実と認める旨の書簡を日本へ送りました。日韓どちらの主張が正しいのか、ささいな史実の追求ですが、両国政府のメンツにかかわる問題だけに、それなりの検証を要します。
日本政府の主張ですが、たしかに幕府が日本人の竹島(欝陵島)への渡航を禁じたのは、安龍福の渡日前である1月でした。また、鳥取藩が「竹島渡海免許」を返納したのは翌月でした。しかし、禁止されたといっても、その命令は大谷・村川家にすぐには伝えられませんでした。
渡海禁止令の伝達は、鳥取藩主が「御帰国のうえでもって右の(禁止令の)ことを市兵衛、甚吉へ命じるようにとの(老中)大久保加賀守の御指図により、今日制禁の旨を命じられました」とされました(『御用人日記』1696.8.1)。
すなわち、大谷・村川両家に渡海禁止令が伝えられたのは8月になってからでした。したがって、春の時点で両家は禁止令を知らず、例年どおり渡海した可能性があります。史料の上からは、外務省がいうように「当時、大谷・村川両家はいずれも同島に渡航していませんでした」とは決して断言できません。
ただ、いろいろな状況から考えると 1696年の渡海はなかったものと思われるが、その前年の1695年なら、あるいは安龍福は竹島で日本人に出会った可能性があるとする研究もあります(注2)。
その場合、安龍福の第2次渡日時における供述は大筋で認められることになります。第2次渡日事件に関して田保橋潔は、安龍福の供述を「徒(いたずら)に大言を弄するの嫌いはあるが、大体に於て事実と信ぜられる」と評価しました(注3)。
いずれにせよ、安龍福の供述において注意すべきは、史実と、かれ独特の大言壮語とをよく見きわめることです。その際、些末なことにとらわれず、事件全体の本質を把握することが何よりも重要です。それを抜書きすると下記のとおりです。
(1)安龍福は 1696年に欝陵島から竹島=独島を経由して来日したことにより、竹島=独島の位置などを当時の水準でほぼ正しく認識していた。
(2)かれは、欝陵島は竹島であり、竹島=独島は子山島で日本で松島と呼ばれていると明確に認識していた。
(3)両島は朝鮮の江原道に属する朝鮮領であることを隠岐国などへ訴えた。
これらの重要な史実は、2005年に発見された村上家古文書により確認されました。村上家古文書、正しくは『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之覚書』ですが、これは幕府の代官手代により書かれた公文書なので、第一級の資料価値を有します。
ところが、外務省のパンフレットはそれには一言半句もふれませんでした。ここの章でも、同省にとって都合の悪い資料や不利な資料は一切無視するという方針が徹底しているようです。
その一方で同省は『粛宗実録』を拾い読みしてか、あるいは意図的にか、時には『粛宗実録』の意図を曲解してパンフレットを作成したようです。
(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」『レファレンス』2002.6月号
(注2)朴炳渉『安龍福事件に対する検証』韓国海洋水産開発院
(近刊予定、日本語および韓国語併記、販売は韓国の政府刊行物販売センター)
(注3)田保橋潔「鬱陵島その発見と領有」『青丘學叢』第3号、1931、P20
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 16488 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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外務省パンフレットへの批判5、(1)
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/22 20:55 投稿番号: [16488 / 18519]
5.安龍福の渡日事件
外務省のパンフレットは、韓国で英雄とされる安龍福の拉致事件(第1次渡日)について、こう記しました。
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韓国側の文献によれば、安龍福は、来日した際、鬱陵島及び竹島を朝鮮領とする旨の書契を江戸幕府から得たものの、対馬の藩主がその書契を奪い取ったと供述したとされています。
しかし、日本側の文献によれば、安龍福が1693年と1696年に来日した等の記録はありますが、韓国側が主張するような書契を安龍福に与えたという記録はありません・・・
その供述には、上記に限らず事実に見合わないものが数多く見られますが、それらが、韓国側により竹島の領有権の根拠の一つとして引用されてきています。
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ここでも外務省は「韓国側」という曖昧な用語を使用していますが、韓国政府の公式書簡に「安龍福は・・・竹島を朝鮮領とする旨の書契を江戸幕府から得た」などとする主張は痕跡もありません(注1)。外務省は韓国政府の公式見解をまったく確認せず、またもや幻の主張に振りまわされているようです。
韓国政府がそのような主張をしなかったのは当然です。安龍福と同時代の歴史を記した最も重要な官撰史書『粛宗実録』によれば、朝廷は安龍福がもらったという「書契」なるものを疑問視していたのでした。同書は、朝鮮側の「欝陵島争界」第二次交渉責任者である兪集一の見解をこう記しました。
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近年、臣が東莱にて使者を務めた時に安龍福を尋問したところ、言うには「伯耆州でもらった銀貨と文書を対馬島の人が奪った」としたが、今回、彼が伯耆州に呈文したことでは「対馬島の人が2千金で私を贖って本国へ送ると嘘をつき、その銀は本国で受けるとした」としたが、前後の話がとても食いちがっている。また対馬島の人は元々銀で贖うことがなく、壬戌約條も秘密なのに、安龍福がどうやって聞くことができるだろうか?
また、倭人は皆 竹島が伯耆州の食邑としているのに、安龍福が一度話したからといって、朝鮮領とすぐには言わないだろうし、安龍福の呈文では欝陵島は本国の地であると何度も述べたが、倭人と問答した文書や安龍福を送るとした文書には一切ふれられていない。このような事情はとても疑わしいので、再び調査して実情がわかった後に罪を論じるのが適当である(粛宗22(1696)年10月23日条)。
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この意見はもっともです。突然拉致された、外交使節でもない一漁夫が連行された先でいくら竹島(欝陵島)は朝鮮の領土だと主張したところで、まともに取りあってもらえないことは誰しも考えそうなことです。
朝鮮で第1次交渉責任者であった洪重夏も安龍福の話をまったく信用しませんでした。さらに、当時の最高権力者である領府事の南九萬も同様であり、こう述べました。
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安龍福が癸酉(1693)年に欝陵島へ行ったが、倭人に捕まり、伯耆州に入ったところ、本州で欝陵島は永久に朝鮮に属するとする公文を作ってやり、贈り物も多かったが、対馬島を経て来る途中で公文と贈り物をすべて対馬島の人に奪われたというが、その話を必ずしも信じられると感じはしなかった(粛宗22(1696)年10月13日条)。
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このように少なくとも『粛宗実録』は安龍福の供述をそのまま載せても、それをそのまま真実と受けとめたのではなく、その真偽を見きわめた経過なども記したのでした。
といっても、朝廷はかれの供述を完全に検証できるわけではありません。事件の舞台がほとんど日本だったので、検証には限界があります。真偽の見きわめが困難な供述に対して『粛宗実録』はコメントも加えずにそのまま載せました。そのような記事は単なる参考程度の意味しかありません。
したがって、私人である安龍福個人がどのような発言をしようが、それ自体だけではあまり意味がありません。その発言が当時の社会や後世にどう影響したのかが重要です。
そうした基本的なことを素通りして、外務省のパンフレットは、当時の朝廷から虚偽とされた安龍福の上記の供述を特筆大書しましたが本末転倒です。そもそも、外務省は『粛宗実録』をきちんと読んだのでしょうか?
素朴な疑問がわきます。
(つづく)
これは メッセージ 16464 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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善光寺
投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2008/04/22 09:01 投稿番号: [16487 / 18519]
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=3494156&tab=five
なんか善光寺が高い評価を欧米マスコミから受けている。
時事ニュース No.3250491 投稿者: stupid_b
作成日: 2008-04-21 11:33:40 閲覧数:16531
推薦ポイント:15 / 0
「善光寺が発した静かな怒りは、世界の全仏教徒のみならず宗派を超えた宗教指導者が身を切るほどの警告となった」@CNN(アメリカ)
「ZENKOUJIは一滴の血も流さず、一個の石(投石?)も用いずに最大級のデモンストレーションを成し遂げた」@NBC(アメリカ)
「日本の対中外交の勝利をもたらしたのは、政治家ではなく若き僧侶だった」@F2
「2000年の時を越えて、遠い東の国にBuddismの精神が変わらず受け継がれていることをZenkojiはこれ以上にない方法で示した。我々は、我々と同じ価値観を共有する日本国民と日本の仏教界に強い尊敬と親しみの念を覚える。」@IDN(インド)
「物静かで政治的な主張をしないことで知られる日本が動いた。拡声器もプラカードも用いないその静かな抗議の声はしかし、どんな喧騒よりも深く強く世界の人々の心に届くに違いない。」@BBC(イギリス)
「聖火リレーのボイコットを表明したその日も、Zenkojiは静かだった。その日、Zenkojiの境内で取材を続ける私は、全身にしみこむ鐘楼の深く低い音に思わず立ち尽くした。憎しみや悲しみを洗い流すこの聖なる音色が1300年にわたり受け継がれていることは世界の奇跡である。」@AE通信(オーストラリア)
これは メッセージ 16468 (senkaku_islands さん)への返信です.
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竹島の望楼は舞鶴鎮守府所管
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/04/21 23:32 投稿番号: [16486 / 18519]
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最近朝鮮事情要覧 & 島根県破綻
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/21 23:05 投稿番号: [16485 / 18519]
これは メッセージ 16471 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/04/21 21:34 投稿番号: [16484 / 18519]
>一般人でさえかなりの知識を持つようになりましたよね
知識量の問題ではないと思います。
韓国には議論自体が存在しないんだと思います。
口論しか存在しない。
儒教倫理の問題じゃないかと思います。
特にこの問題は、言論による国土防衛戦争なんで、口数で圧倒するだけでも
いいんです。
日本だって、空気できめちゃう非論理がありますが、西欧化のおかげで事実や論理の重大性は認識されてますね。
さらに重要なのは、日本が敗戦によって、それも中途半端な敗戦によって、右左両方の激しい論戦が存在することだと思います。
事実と論理がないと、負けます。
これは メッセージ 16480 (boshind さん)への返信です.
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re6a)日露戦争と現竹島
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/21 21:14 投稿番号: [16483 / 18519]
これは メッセージ 16482 (take_8591 さん)への返信です.
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re6a)他国の占領が認められない
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/21 20:53 投稿番号: [16482 / 18519]
中井氏の履歴書は、半月城通信に次のとおりです。
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html
「本島の鬱陵島を付属して韓国の所領なりと思はるるを以て、将に統監府に就て為す所あらんとし上京して種々画策中、時の水産局長牧朴眞の注意に由りて必らずしも韓国領に属せざるの疑を生じ、其調査の為種々奔走の末、時の水路部長肝付将軍断定に頼りて本島の全く無所属なることを確かめたり。
依て経営上必要なる理由を具陳して、本島を本邦領土に編入し且つ貸付せられんことを内務外務農商務の三大臣に願出て、願書を内務省に提出したるに、内務当局者は此時局に際し韓国領地の疑ある莫荒たる一箇不毛の岩礁を収めて、環視の諸外国に我国が韓国併呑の野心あることの疑を大ならしむるは、利益の 極めて小なるに反して事体決して容易ならずとて、如何に陳弁するも願出は将 に却下せられんとしたり。
斯くて挫折すべきにあらざるを以て、直に外務省に走り、時の政務局長山座円二郎氏に就き大に論陳する所ありたり。氏は時局なればこそ其領土編入を急要とするなり、望楼を建築し無線若くは海底電信を設置せば敵艦監視上極めて 届竟ならずや、特に外交上内務の如き顧慮を要することなし、須らく速かに願書を本省に回附せしむべしと意気軒昂たり。此の如くにして、本島は竟に本邦領土に編入せられたり」
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上記「時の水路部長肝付将軍断定に頼りて本島の全く無所属なることを確かめ」を受けて、半月城さんは[No.4629]で次のように述べます。
軍人である肝付兼行水路部長はリヤンコ島(竹島=独島)を「無主地」のごとく中井に回答したようですが、実はこの人こそ同島を朝鮮所属と判断し、それを『日本水路誌』でなく『朝鮮水路誌』に入れて刊行した責任者でした。
肝付はリヤンコ島が朝鮮領であることを知ったうえで、日露戦争を有利に遂行するため、竹島=独島に望楼を築いてロシア艦を監視するという軍事利用に協力すべく、同島の「領土編入」を後押しした人物でした。その目的のためにウソも方便でリヤンコ島を「無主地」と強弁したとみられます。
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又、堀和生氏は、「1905年日本の竹島領土編入」において、「日本海軍の『朝鮮水路誌』1894年と99年版には、鬱陵島と並んでリアンコール列岩が載せられている。つまり、19世紀末に、日本海軍の水路部当局が竹島=独島を朝鮮領だと認識していたことは、疑いのないところである。(106頁)」と述べています。
しかるに、「水路部長の回答」を1905年の閣議決定の資料にしたというのです。これは矛盾しているように見えます。
そこで実際の朝鮮水路誌を見てみると、逆に、リャンコ島が朝鮮領でないことを明らかにしていたのです。ここに矛盾はありません。半月城さんと堀和生氏の指摘が間違っていたのです。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/hydrograph1894/
朝鮮国は亜細亜の東部にあり 其地勢たる狭長なる一大半島を成し 数多の島嶼 之を圍繞す 其位置は北緯33度15分より同42度25分 東経124度30分より同130度35分に至る・・・
鬱陵島(一名松島)・・・而して其中心北緯30分東経130度53分に、・・・
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朝鮮の東限は東経130度35分であり、鬱陵島が朝鮮の東限の東にあると記されています。これにより、「他国に於て之を占領したりと認むへき形跡なく」は、「水路部長の認識」が示されている「朝鮮水路誌」に明らかであると言えます。
牧朴眞は、1903年の『韓海通漁指針』に発刊の辞を書いています。山座円次觔は、1904年の『最新韓国実業指針』に序文を書いています。(両著共に、リャンコ島を江原道の項で説明しています。)この様に朝鮮通のお二人ですから、その版図を熟知し、勅令41号も知っていたと思われます。それでも、リャンコ島編入を積極的に勧めたというのです。「他国に於て之を占領したりと認むへき形跡なく」は、朝鮮通のお二人がリャンコ島編入を積極的に勧めたことでより確かなものになります。
すると、「外務、農商務、両次官、並びに島根県知事の回答」を捜査するまでも無く、「他国に於て之を占領したりと認むへき形跡なく」が明らかです。
これは メッセージ 16481 (take_8591 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16482.html
re6a)1905年の閣議決定
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/21 20:33 投稿番号: [16481 / 18519]
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui981-1905/
明治38年1月28日
別紙内務大臣請議無人島所属に関する件を審査するに、
右は北緯37度9分30秒東経131度55分、隠岐島を隔る西北85浬に在る無人島は、他国に於て之を占領したりと認むへき形跡なく、
一昨36年、本邦人中井養三郎なる者に於て、漁舎を構へ人夫を移し猟具を備へて海驢猟に着手し、今回領 土編入並に貸下を請願せし所、
此際所属及島名を確定するの必要あるを以て、該島を竹島と名付け、自今島根県所属隠岐島司の所管と為さんとすと謂ふに在り。
依て審査するに、明治36年以来中井養三郎なる者が、該島に移住し漁業に従事せることは関係書類に依り明なる所なれば、国際法上占領の事実あるものと認め、之を本邦所属とし、島根県所属隠岐島司の所管と為し差支無之儀と思考す。
依て請議の通り、閣議決定相成可然と認む。
この閣議には、次の資料が付されていました。
一、中井養三郎より請願書
一、水路部長の回答
一、外務、農商務、両次官、並びに島根県知事の回答
この内、「中井養三郎より請願書」は、「リャンコ島領土編入並びに貸下願」として外務省のHPにありますが、他の2つの資料を私は探し出せません。
これは メッセージ 16427 (take_8591 さん)への返信です.
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Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?
投稿者: boshind 投稿日時: 2008/04/21 13:15 投稿番号: [16480 / 18519]
>詭弁がいくらひどくても
ごめんなさい。ここで吹いてしまいました^^;
あははw
韓国人の主張ってほとんどparkさんみたいなんですよね。
Naverなんかに出入りしてるのでよくわかります。昔は確かに竹島問題って日本人にはあまり理解されてませんでしたけど、今は日本人の職人気質もあって、一般人でさえかなりの知識を持つようになりましたよね。
だから一般人レベルでは韓国人は日本人に勝てない。だから屁理屈や感情に走るみたいですね。
詭弁を尽す某氏が韓国でこの問題の権威とされるのもわかるような気がします^^;
これは メッセージ 16477 (husenoyaji さん)への返信です.
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独島地価は8億4千万ウォン、
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2008/04/21 12:35 投稿番号: [16479 / 18519]
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Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/04/20 22:23 投稿番号: [16477 / 18519]
parkさん、ここは、貴方のような屁理屈を書くところじゃないです。
ほかの投稿をしっかり読んでください。
詭弁がいくらひどくても論拠や資料にもとづいて議論しているところですよ。
対馬と獨島は全然違います。
対馬には、日本語を話す人たちが、いつからかわからないくらい昔から住んでおります。
獨島は、19世紀以前には地図にのってません。
于山島が獨島だという主張はでたらめです。
現に、今世紀に入ってからでも于山島がどこだか明確でないと考える一般人はたくさんいたことが、この掲示板でも証明されたばかりです。
くだらないことを書く前に、ほかの投稿をしっかり読みなさい。
これは メッセージ 16459 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16477.html
クリッパートン島と竹島の違い
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/04/20 20:26 投稿番号: [16476 / 18519]
take_8591さんのおっしゃるとおり、クリッパートン島と竹島では大きな違いがあります。それは、クリッパートン島に関して島の同一性の疑義がないということです。クリッパートン島という名前は、島に住み着いたイギリスの海賊の名前からつけられたものであり、フランスが領有を宣言する前に英国の海図にも示される等、その島の名前が世界的に認知されてました。
更に言えば、フランスは領有宣言の前にクリッパートン島の上陸を試みると共に(上陸は失敗)、詳細な地理明細を記録に残しております。つまり、フランスが領有を宣言したクリッパートンが現在のクリッパートン島であることに他国も含めて疑いの余地はなかったわけです。
まぁクリッパートン自体が実効支配の要件を緩和しすぎと国際法学者からかなり批判のある判例ですけどね。
これは メッセージ 16472 (take_8591 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16476.html
Re: park_sinyang_corea氏の証明はまだ?
投稿者: gp01_zephy 投稿日時: 2008/04/20 20:23 投稿番号: [16475 / 18519]
>その前におまえが人間であることを証明してみろよ。<
話を逸らさないで質問に答えてくださいよw
これは メッセージ 16474 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16475.html
Re: park_sinyang_corea氏の証明はまだ?
投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/20 19:46 投稿番号: [16474 / 18519]
その前におまえが人間であることを証明してみろよ。
これは メッセージ 16473 (gp01_zephy さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16474.html
park_sinyang_corea氏の証明はまだ?
投稿者: gp01_zephy 投稿日時: 2008/04/20 15:24 投稿番号: [16473 / 18519]
早く「独島は分明に韓国地」と言う明確な証明をしてください。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16473.html
re6b)クリッパートン島事件の判例
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/20 10:28 投稿番号: [16472 / 18519]
>↑はtake8591さんと同様の結論だと思います。
いいえ。これは、私の意見ではありません。外務省のパンフレットをコピペしただけです。
そして、自分の意見をも付け加えようとして、背伸びしているので大変困っています。
さて、ご紹介のWeb頁は、冒頭部分のみを読ませていただきました。
クリッパートン島事件の判例を引いて、独島領有の正当性を主張されているようですね。
クリッパートン島事件の事実経緯は次のようです。
1858年秋に、フランスがクリッパートン島を発見し、ホノルルの新聞にフランスの領有宣言文が掲載された。その後、フランスによる実効支配は執行されず、又、他国がフランスの領有に異議を唱えることも無かった。1897年、同島でのアメリカ国旗の掲揚についてフランスは抗議した。1897年12月13日、メキシコが派遣した軍艦の兵士が上陸した。1898年1月8日、メキシコの行為にフランスが抗議し外交問題化する。両国は1909年その帰属問題を裁判で解決することに合意した。判決は1931年に出た。
この判決は、先ず、「領有意思の公告により領有権が成立する」旨の判断をしています。これを引いて、或る韓国人は、「勅令41号で独島の領有を公告した」と主張します。しかし、公告された文字は「石島」であり、その意図を解読できる外国人は皆無でしょう。しかも、大韓帝国人が「石島=独島」と理解していた痕跡は無く、「石島=独島」説が生まれたのは1960年代と思われ、大韓民国人も1960年頃迄「石島=独島」と理解していた痕跡がありません。これで、他国人に「石島=独島」と理解せよというのは無理な話でしょう。
又、違う韓国人は、「于山島が朝鮮領であることを日本人が知っていたので、日本に限っては独島の領有権を主張できない」と主張します。しかし、「于山島=独島」であることを確認できる官撰史料はありません。ただ、朝鮮王が「漂流の愚民」と切り捨てた安龍福にかかる日本側史料に「于山島=独島」の認識が残ります。
この判決は、次に、「フランスが同島を放棄する意思をもったことはないから、成立した領有権は継続する」旨の判断をしています。これを引いて、或る韓国人は「于山島=独島又は石島=独島で成立した領有権を、韓国は放棄する意思を持ったことはない」と主張します。しかし、某日本人は「17世紀に成立した現竹島の領有権は、その後の或る時期あいまいになったが、他国により占拠された形跡が認められなかったので、1905年に領有権の継続を確認した」と主張します。
これは メッセージ 16470 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16472.html
游歴日本図経 & アメリカからの証言
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/20 08:43 投稿番号: [16471 / 18519]
これは メッセージ 16469 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16471.html
Re: 6b)石島への観念的領有意思
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/04/19 22:54 投稿番号: [16470 / 18519]
>6-7
いずれにせよ、仮にこの疑問が解消された場合であっても、同勅令の公布
>前後に、朝鮮が竹島を実効的に支配してきたという事実はなく、韓国による竹島
>の領有権は確立していなかったと考えられます。
「バーチャル国際司法裁判所、石島は竹島ではないか」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3500/1115388422/というところで次のような投稿が出ています。
55 名前:sage 投稿日: 2005/10/21(金) 06:00:55
>>42
>だいたい国際司法裁判所で解決しようと働きかける側
>すなわち事実上の提訴者が
>それを拒む側の竹島支配のもとの主張たる「石島=トクト」
>の偽を立証できなくてどうするのか?
>提訴者が相手の主張の偽を立証するのが法廷のマナーです。
立証責任は誰が負担するかということが全然分かっていない。
権利根拠規定=権利の発生を定める規定の要件事実は、その権利を主張する者が証明責任を負う。
例で言うと、相続権を主張する者は自分が相続人であることを証明しなければ
ならないということです。つまり、石島=トクトがほぼ間違いないと裁判官を
納得させなければならないのは韓国のほうなのです。
石島=トクトを主張するのは勝手ですが、裁判官に対して「発音が同じだから
石島=トクトが証明できます。」ではまず相手にされないでしょう。中学生に
だって通用しませんね。さらに、韓国はクリッパートン島の如く、ごく接近し
て領有宣言を行ったわけでもありません。トクトがクリッパートン島のごとき
絶海の孤島なら話は違うのでしょうが、1900年以降も何ら実効支配を及ぼした
形跡はありません。クリッパートン島のように絶海の孤島なら領有宣言後の放
置も大目に見られる場合もあるでしょうが、トクトはそうではない。実効支配
を及ぼそうと思えばいくらでも出来たにもかかわらず朝鮮はそうはしなかった。
結局、1905年以降の日本の実効支配に対抗できるような領有権原を韓国は持っ
ていないという結論になります。
↑はtake8591さんと同様の結論だと思います。石島=独島が証明出来てもなお韓国は領有権原を持っていたとは言えないということです。
上記投稿後、石島が独島ではないという資料が見つかっていますから、韓国の主張はもうお話にならないということです。
これは メッセージ 16428 (take_8591 さん)への返信です.
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木村文造著『朝鮮国全図』 & 李明博
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/19 22:53 投稿番号: [16469 / 18519]
これは メッセージ 16468 (senkaku_islands さん)への返信です.
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韓国水産業調査報告 & 台湾南西諸島水
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/19 22:06 投稿番号: [16468 / 18519]
これは メッセージ 16445 (senkaku_islands さん)への返信です.
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外務省パンフレットへの批判4、(3)
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/19 16:12 投稿番号: [16466 / 18519]
以下は余談です。
『竹嶋之書付』などの鳥取藩関係資料は、日韓で竹島=独島論争が盛んだった 1954年ころは鳥取県立中央図書館に「秘蔵」されていました。それを当時、島根県広報文書課の田村清三郎が特別に借用したり、外務省条約局第1課の川上健三や東洋文庫の田川孝三らが特別に閲覧したので、かれら三人はその内容を十分に把握していました。
その三人は日韓竹島=独島論争で大いに活躍した「竹島三羽ガラス」ですが、かれらは日本に不利と思われる史料の内容は決して公表しようとしませんでした。特に田村や川上は、公務員の悲しいサガとでも言うのでしょうか、目先の「利益」にとらわれ、真実を国民の前に明らかにしようという姿勢は皆無だったようでした。
その後、島根県や鳥取県はそうした情報を公開しましたが、外務省は未だに情報隠しの伝統を大事にしているようです。それを今回のパンフレットにありありと見ることができます。
外務省は限定的に公開した情報から「竹島は日本の固有領土」というキャッチフレーズを作りだしましたが、因果応報なことに、今ではそれが自縄自縛になり、竹島=独島を版図外とした太政官指令のような重要事件に関してまったく見解を示せないという苦境に陥っているようです。
かつての外務省は情報隠しにより、韓国政府とのディベートで一時的に優位に立ちましたが、歳月を経るうちに研究も進み、昔のキャッチフレーズが今や外務省のアキレス腱になってしまったようです。
ちなみに、竹島三羽ガラスの主な役割分担は次のようなものでした。
田村清三郎:
鳥取藩の古文書や、竹島=独島渡海関係など島根県関係資料調査
川上健三:
江戸幕府や明治政府関係などの資料調査、大谷家古文書の調査
田川孝三:
朝鮮史書を始めとした文献調査
田村や川上は公務員なので近視眼的な資料隠しは予想できるのですが、学者肌の田川までもが田川や田村と同様の資料隠しをおこなったようです。その一端はすでに書いたように、彼の于山島認識に見ることができます(注2)。
現在、彼の著書『李朝貢納制の研究』は古本屋で3万円以上の値がついていますが、そのような業績も、なまじっか日韓両政府の竹島=独島論争に首を突っこんだばっかりにかすんで見えます。
竹島三羽ガラスにより秘蔵されてきた情報は、80年代になって徐々に明るみに出されました。1985年、国会図書館の塚本孝氏により『竹嶋之書付』が翻刻されたのに続いて(注3)、1987年には京都大学の堀和生教授により太政官の版図外指令などの重要史料が発掘され、竹島=独島問題に画期をもたらしました(注4)。
その後、鳥取藩や島根県の郷土史料が島根大学の内藤正中教授により全般的に解読されたのに続き(注5)、対馬藩の『竹島紀事』は2004年になって名古屋大学の池内敏教授により後半を中心に翻刻されました(注6)。
以上、メルクマール的な史料の学術研究をざっと見ましたが、研究が進むにつれ、外務省の立場はますます不利になるばかりのようです。
(注1)『御用人日記』5月21日条、および『竹嶋之書付』
(注2)半月城通信<安龍福が見た于山島はチクトウ(竹島)?
下條氏への批判>
http://www.han.org/a/half-moon/hm128.html#No.947(注3)塚本孝「竹島関係旧鳥取藩文書および絵図」『レファレンス』411号,1985,P75
(注4)堀和生「一九〇五年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987
(注5)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』2000、多賀書店
(注6)池内敏『竹島一件の歴史学的研究』科学研究費成果報告書、2004
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 16465 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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外務省パンフレットへの批判4、(2)
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/19 15:51 投稿番号: [16465 / 18519]
対馬藩はその書簡に満足せず、あくまで竹島(欝陵島)の完全領有を狙い、朝鮮の書簡から「弊境の欝陵島」を削除するよう強く求めました。
無理難題を突きつけられた朝鮮政府は、あらためて安龍福を取調べ、その供述から対馬藩の計略を感じとり、一転して強硬姿勢に転じました。結局、竹島と欝陵島は同一の島で朝鮮領であるとする強硬な書簡を対馬藩へ渡し、同藩の要求をつっぱねました。当然のごとく、対馬藩との交渉は暗礁に乗りあげました。
外務省のパンフレットは、日本の要求が途方もない無理難題であったことを伏せ、日本は「友好関係を尊重」したので朝鮮に全面譲歩したかのように装い、こう記しました。
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対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、1696年1月、朝鮮との友好関係を尊重して、日本人の鬱陵島への渡航を禁止することを決定し、これを朝鮮側に伝えるよう対馬藩に命じました。この鬱陵島の帰属をめぐる交渉の経緯は、一般に「竹島一件」と称されています。
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外務省は、幕府が渡航を禁止した真の理由を無視しているようです。実は、幕府は竹島(欝陵島)の調査をおこなった結果、日本の要求が無理であったことを悟ったので日本人の竹島渡海禁止を決定したのでした。その概略はこうでした。
1696年1月(元禄8年12月!)、老中・阿部豊後守は、竹島に関する調査のために、鳥取藩へ7か条の質問をおこないました。この時に3年前の勘定奉行による調査を知らなかったのか、似たような質問をしました。
その第1条を口語訳にすると「因州、伯州に付属する竹島はいつのころから両国の付属か?・・・」となります。老中は、竹島が因幡・伯耆の両国を支配する鳥取藩の所属と思いこんでいたようです。
しかるに、鳥取藩の回答は「竹島は因幡、伯耆の付属ではありません」として自藩領ではないことを明言しました。そもそも、竹島への渡海許可は鳥取藩主によるものではなく、幕府の老中4人が連署した奉書によってなされたので、鳥取藩の回答は当然でした。
幕府は、他に竹島の大きさや渡海の実情などを尋ねましたが、注目されるのは第7条の「竹島の他に両国へ付属する島はあるか?」との質問です。これに対する鳥取藩の回答は「竹島や松島、その他、両国に付属する島はありません」として、松島(竹島=独島)も鳥取藩の付属でないことを明言しました。
この時、幕府は実は松島の存在を知らなかったのでした。幕府は回答書に松島の名が新たに登場したことに関心を示し、追加質問をおこなったくらいでした。その質問書は発見されていませんが、その質問に対する鳥取藩の回答書が『竹嶋之書付』に残されました。
それによれば、鳥取藩は「松島はいずれの国へ付属する島ではないと承知しています」「竹島へ渡海の節、通り道なので立ち寄って猟をおこないました」などと回答しました。
このように、幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったので、同島に対する領有意識がなかったことはいうまでもありません。しかるに、外務省のパンフレットはこう記しました。
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その一方で、竹島への渡航は禁止されませんでした。このことからも、当時から、我が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。
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日本が竹島=独島を「自国の領土」と考えていなかったのは『竹嶋之書付』から明白なのに、その史実を無視した外務省のパンフレットは白々しさを通り越しているようです。
また、竹島がいずれの国にも属さないので渡海が禁止されたのであるから、同じくいずれの国に属さない松島も暗黙裏に渡海が禁止されたと解釈すべきです。この点、外務省のパンフレットは我田引水が過ぎるようです。
(つづく)
これは メッセージ 16464 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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外務省パンフレットへの批判4、(1)
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/19 15:50 投稿番号: [16464 / 18519]
4.幕府の渡海禁止令
1693(元禄6)年、大谷家の渡海船が竹島(欝陵島)で安龍福と朴於屯のふたりを拉致したことをきっかけに、日本と朝鮮の間で同島をめぐる領有権交渉「竹島一件」が始まりました。この交渉について外務省のパンフレットはこう記しました。
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状況を承知した幕府の命を受けた対馬藩(江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口であった。)は、安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに、朝鮮に対し、同国漁民の鬱陵島への渡航禁制を要求する交渉を開始しました。しかし、この交渉は、鬱陵島の帰属をめぐって意見が対立し合意を得るに至りませんでした。
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意見の対立は当然でした。そもそも幕府の命令は当初から無理なものでした。その命令に対し、対馬藩ではすぐに疑問の声があがったくらいでした。前藩主である天龍院(宗義真)は幕府の真意をいぶかって、次のような疑義を提起しました。
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竹島の儀は磯竹島ともいう。先年、大献大君(徳川家光)の時代、その島へ磯竹弥左衛門、仁左衛門(ママ)と申す者が居住していたのを召し捕えて差し出されるようにと(公儀から)光雲院公(宗義成)へ仰せつけられ、すなわち此方より召し捕られて差し出したことがあった。
しからば、竹島の儀は日本の伯耆にある島と公儀でお考えならば、伯耆藩主のほうで弥左衛門・仁左衛門を召し捕えて差し出されるようにと仰せつけられるはずであるのに、当国へ仰せつけられたのは、朝鮮の竹島とお考えであると見られる。
この次第を一応、公儀へ伺うことを考慮するよう留意して、朝鮮へ申し入れるべきである(『竹島紀事』9月4日)。
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天龍院の疑問はもっともなことでした。かれは、朝鮮とのいきさつから竹島(欝陵島)が朝鮮領であることを熟知していたので、幕府が潜商事件の弥左衛門親子を捕える仕事を鳥取藩でなく対馬藩へ命じたのは、幕府も同島を朝鮮領と考えているからではないかと疑っていたのでした。
しかし、この時の藩論は、幕府の公命には背けないので、幕府へ事情を正すようなまねはできないという結論でした。その結果、対馬藩は幕府の真意がわからないまま、朝鮮領である竹島(欝陵島)へ朝鮮人が来ないように要求するという無理難題を朝鮮へふっかけることになりました。
一方、幕府内では潜商事件が忘れ去られていたのか、あるいは組織の問題で受け継がれなかったのか、幕府は竹島(欝陵島)について改めて調査を始めました。1693年5月21日、勘定奉行の松平美濃守は江戸の鳥取藩邸へ竹島渡海に関する質問をおこないました。
これに対して鳥取藩は、竹島は鳥取藩の支配地でないと明言し、「竹島は離れ島にて人の居住はありません。もっとも、伯耆守が支配する所でもありません」と回答しました(注1) 。
この回答書により、幕府は竹島(欝陵島)が鳥取藩領でない、ひいては日本領でないことを悟ったのですが、そうかといって、対馬藩へ出した命令を取り下げたりはしませんでした。察するに、朝令暮改で幕府の威信に傷がつくことを懸念したのでしょうか。
他方、対馬藩の要求を突きつけられた朝鮮政府は、欝陵島が官撰書『東国輿地勝覧』などに記載されていることから、同島の領有を確信していました。しかし、日本との摩擦を避けるため、一時的に宥和政策をとって交渉に臨みました。
朝鮮政府は、欝陵島が日本でいう竹島であることを知りながら、欝陵島と竹島をあたかも別の島であるかのように扱い、形式上で朝鮮人の竹島への渡航禁止という日本の要求を受けいれました。その一方で「弊境の欝陵島」という原則的な立場は堅持し続けて対馬藩へ書簡をしたためました。
(つづく)
これは メッセージ 16446 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?
投稿者: gp01_zephy 投稿日時: 2008/04/19 15:16 投稿番号: [16463 / 18519]
>逆に質問するが、対馬島が日本地であると証明する必要があるか?<
1.質問を質問で返さないでください。
2.論点をずらさないでください。
まぁ、アホな質問ですが、返答しておきましょうか。
係争対象になれば対馬も日本領と証明する必要があります。
これは メッセージ 16462 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16463.html
Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?
投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/19 14:26 投稿番号: [16462 / 18519]
>>独島は分明に韓国地なのに<
>まずはこれを証明してください
逆に質問するが、対馬島が日本地であると証明する必要があるか?
それと同じことだ。
これは メッセージ 16461 (gp01_zephy さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16462.html
Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?
投稿者: gp01_zephy 投稿日時: 2008/04/19 13:32 投稿番号: [16461 / 18519]
>独島は分明に韓国地なのに<
まずはこれを証明してください。
これは メッセージ 16459 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16461.html
re3)隠州視聴合記
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/19 12:40 投稿番号: [16460 / 18519]
隠州視聴合記は次のように要約されます。
隠州は北海中にある。
その南東にある地を島前と言う
その東にある地を島後と言う
南に雲州美穂関。南東に伯州赤碕浦。南西に石州温泉津。
西北に松島竹島がある。
よって、日本の北西の地は隠州である。
冒頭にある隠岐島の説明を読んで、隠州が南東にある島前と東にある島後のみにより構成される、という解釈は不自然です。隠州を紹介するのに、南東と東にある地域のみを示して、これで全てだとする論法は無いからです。当然、西又は西北に残りの隠州があると推定されます。
読み進めると、「西北に松島竹島がある」という文章に当り、納得できるのです。
松島竹島という地名は、地域名が冠されていません。このことから、松島竹島が雲州・伯州・石州に属さないことが判ります。又、隠州視聴合記において、地域名を冠さない地名が表れた場合、それは全ての場合「隠州の地」を示しています。すると、この松島竹島が「隠州」の松島竹島であることに間違いありません。
そして、松江藩預り領の隠州とそれ以外の隠州を、間に美穂関・赤碕浦・温泉津を入れることにより区別していることが判ります。
尚、「此二島無人之地」「見高麗如自雲州望隠岐」は、松島竹島の現況を述べたに過ぎず、領土論を述べたとは考えられません。松江藩官僚が幕府の専管事項を論ずることはありえません。
敢えて領土論とするならば、大谷村川両家以外の者が松島竹島に行かないのは、松島竹島まで徳川家の威光が行き届いているからである。そして、この威光は朝鮮にまで及んでいる。何故なら、朝鮮にこれほどまでに近い島であるにも関わらず、この40年間松島竹島で一人たりとも朝鮮人を見たことが無いからである。と。
これは メッセージ 16424 (take_8591 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16460.html
なぜ他国の領土に口を出すのか?
投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/19 12:36 投稿番号: [16459 / 18519]
独島は分明に韓国地なのに、なぜ日本は他国の領土を自国地と強弁するのか?帝国主義的野心の強欲はもう時代錯誤だと思わないのか?
たとえば韓国が対馬島が韓国地と主張したらどう思うか?荒唐な主張だろう?日本の独島領有権主張はそれと同じ脈絡だ。
ロシアとも領土紛争、中国とも領土紛争。。。。終わりのない日本の領土強欲。。。周辺国への終わりない紛争欲心。
日本はいつまで19世紀的価値観で世界各国と葛藤するか。
アジアの孤児はいつまで続けるか?
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16459.html
re3)幕府と両家は公的・継続的な関係
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/19 12:25 投稿番号: [16458 / 18519]
1999年の池内氏の論文「竹島渡海と鳥取藩」の続きです。
その大谷・村川の公義御目見は、四、五年に一度ずつ阿部四郎五郎家が寺社奉行へ申入れることによって実現されたから、仲介者が継続の努力を払って初めて維特されるものであった(後述)。とすれぱ、幕府と大谷・村川両家との関係は、必ずしも公的・継続的なものではなく、代々の阿部四郎五郎家による仲介の努力によって維持された私的・不定期の関係であった。
・・・・・・・
ところで、延宝9(1681)年3月29日日、阿部四郎五郎正重は小普請入りとなリ公務を離れることとなった。このためこの年から大谷・村川両家の公儀御目見は鳥取藩が取り持つこととなった。
・・・・・・
これまで大谷・村川・阿部三家は、その代替りごとに竹島渡海に関わって相互に再確認しあい、密接な関係を継続・保持してきた。その関係を前提にして阿部の仲介による大谷・村川の公義御目見が実現し、竹島渡海の利権が護られてきた。それが、延宝9年7月の事態を境にして、公義御目見の取持ちが阿部四郎五郎家から鳥取藩に切り替わった。このとき、新任寺社奉行に対し御目見の先例について鳥取藩が説明しなおしたと同様な意昧合いで、大谷・村川家の側が竹島渡海の先例・由緒について改めて説明しなおす必要があると考えても当然である、それはいきおい由緒正しさを強調することとなったから、竹島渡海の歴史をより古く遡らせて説明することともなった。ここに寛永初年竹島渡海免許を元和四年のものと主張する根拠があった。
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池内氏は、「幕府と大谷・村川両家との関係は、必ずしも公的・継続的なものではなく、私的・不定期の関係であった。」と言われます。
(「後述」という部分に読み落としがあるのかも知れませんが、)
しかし、大谷村川両家は日本の公共資産を排他的に独占使用しているのですから、日本の主権者が4・5年に一度その見直しをするのは当然です。その継続を申請できるのは公的機関だったようです。阿部家が公的機関である立場を失った時、替わって申請手続きを執ったのは公的機関たる鳥取藩でした。
芹田健太郎の「日本の領土(中公業書)」153頁につぎのとおりです。
「日本政府はこの領土編入行為を無主地に対する先占行為とは認めておらず、この点に関する日本の主張は、開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本で日本の領土と考え、日本の領土として扱い、他国がそれを争わなけれぱ、それで領有するには充分であった、と認められる、というものである。」
江戸幕府で竹島松島を担当したのは寺社奉行だったようです。この事から、「実際に日本で日本の領土と考え」「日本の領土として扱」っていたことが確認できます。又、竹島松島渡海事業を「他国がそれを争」った事実はありません。すると「それで領有するには充分であった、と認められる」。
これは メッセージ 16457 (take_8591 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16458.html
re3)竹島渡海免許の目的
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/19 12:09 投稿番号: [16457 / 18519]
1999年の池内氏の論文「竹島渡海と鳥取藩」に次の内容がありました。
「多聞院日記」天正20(1592)年5月19日条に、伯耆人弥七が「いそたき入参」を持参して奈良興福寺多聞院英俊のもとを訪れたとする記事がある。中村栄考はこの記事から、磯竹島が薬草としての人参の産地として知られていたことを推測する[中村業幸460頁]。
元和4(1618)年七月、出雲三尾関の住人馬多三伊ら7名が鬱陵島出漁中に漂流して朝鮮に至り、
元和6(1620)年には、ひそかに竹島渡海を行っていた対馬人弥左衛門・仁右衛門が捕えられて処罰された、
こうした事例からすれば、寛永1(1624)年竹島渡海免許が大谷・村川両名に発給される以前、偶然の漂着ではなく意識的な竹島渡海を行う者が既に存在した。
ここで、元和4年に竹島渡海を行ったのは出雲三尾関の住人であった。大谷・村川が竹島渡海を行う際には、米子から出雲雲津を経由して隠岐島後福浦へ渡リ竹島へかったというから、出雲・隠岐の住人が独カで竹島渡海を行うこともありえた。
そして寛文6(1666)年朝鮮に漂着Lた大谷船の場合、乗員22名の生国の内訳は、伯耆13名・隠岐9名であった(竹島考・大谷之船漂到朝鮮国)。
万治3年〜延宝9(1660-81)年の間の時期には、材木伐採を目的に大谷・村川以外の「他所の者」が竹島に入り込み、「脇より訴訟人達の六ケ敷事出来」という(大谷家2-20.29)。
また、享保7(1722)年、石見国安濃郡の3名が7年以前に竹島で潜商行為をはたらいたとして処分された(内藤正中1995、16頁)。
さらに[史料8]に登場する鳥取城下の初期商人石井宗悦は何らかのかたちで竹島渡海に関与しようとした、
おそらく因幡国も含めて山陰地域の人々には竹島渡海とその利益にあずかる可能性があり、大谷と村川が互いに競争者となりうる可能性すら皆無ではなかつた。
このように藩領を越えた各地に潜在的に競合する勢カがあったから、大谷・村川は鳥取藩の免許ではなく幕府の免許をこそ求めた。それが「寛永初年竹島渡海免許」であった。そうして競合する勢カを排除しあるいは配下に収めながら、大谷・村川は竹島渡海の利権を排他的に確保Lていった。
もっとも「竹島渡海免許」は寛永2年(又は元年)の一回限りに発給されたものであり、その後更新されることはなかった。そのため「竹島渡海免許」発給を機に始められた公義御目見と、そこに形成された幕閣とのつながりを誇る由緒が、競合者を排除する役割を補完した。
これは メッセージ 16456 (take_8591 さん)への返信です.
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re3)御老中様へ得御内意申候
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/19 12:08 投稿番号: [16456 / 18519]
池内氏の論文に「史料7」が示されており、そこには「来年より竹島之内松島へ貴様舟御渡之筈に御座候旨、先年四郎五郎御老中様へ得御内意申候」とあります。*1)
http://take8591.web.fc2.com/06web/9100etc/080417/ss07.jpg
この意味は、次のようなものであると考えます。
既に竹島渡海免許は発布済みであるが、来年より「竹島之内松島」への渡海免許を得たいとの申出があったので、老中に伺いを立てたところ、「竹島之内松島であれば、新しく渡海免許を発行するまでも無く、竹島渡海免許の拡大解釈で松島に渡海できる」との御内意を得た。
現代風にいうと、本庁の課長である阿部四郎五郎が老中の内意を得たと、係長の亀山が民間業者の大谷に渡した文書と考えられます。この様に考えると、立派な公文書であり、松島領有の有力な証拠となります。
しかし、外務省や島根県が、この文書を示しコメントを加えた事実を知りません。
「国による資料や認識と個人的なそれとは峻別したいものです*2)」と述べられておられる半月城さんは、「江戸時代の史料に、松島(竹島=独島)は「竹嶋之内松島」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋近所之小嶋」などと書かれました。[No.16447]」と言われています。上記「史料7」は間違いなく公文書なのでしょう。
又、henchin_pokoider01さんが、「幕府の領有意思を推認できる史料である」というような事を言われていたと記憶しますが、投稿noが判らないので判然としません。
*1)次の1999年の池内氏の論文「竹島渡海と鳥取藩」より抜粋
http://www.kr-jp.net/ronbun/ikeuchi/ikeuchi1999.pdf
*2)本掲示板[No.886]、及び歴史資料から考える独島論争(2007年3月発行)
これは メッセージ 16424 (take_8591 さん)への返信です.
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Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2008/04/18 11:23 投稿番号: [16455 / 18519]
マヌケなレスだな。
火病を発症し、脊髄反射か。笑
逃げ回り、論理的思考の出来ぬバカチョン。
量産型雑魚の典型だな。
よって、お前はそろそろ放置だな。
これは メッセージ 16454 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
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Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人
投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/17 12:41 投稿番号: [16454 / 18519]
>ま、良い。最後は武力行使しかないからな。
おまえが兵隊になって渡航して奪還してみろよ。
おまえが手本を見せてみろよ。おまえが率先してやってみろよ。
ネットのチキンボーイよ。
これは メッセージ 16453 (kohshien21c さん)への返信です.
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Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2008/04/17 12:38 投稿番号: [16453 / 18519]
対馬を持ち出し、問題すり替えかよ。
朝鮮人の思考回路は何本か断裂してるな。バカ丸出しだぜ。
>韓国領土に対する文句だけでなくロシアとも中国とも領土問題紛争を頻繁に起こす日本。
尖閣諸島は、古来より日本の領土。SF条約締結後米国から返還された。その時点では中国は異論をまったく唱えなかった。
しかし、尖閣諸島近海で石油など地下資源の埋蔵があると発表されたあと、覇権主義の支那が難癖つけてきたもの。支那は南沙諸島問題でもベトナム、フィリピン、マレーシアと紛争してるぜ。
北方4島は、戦後のどさくさに紛れロシアが不法占拠した日本の領土。それを返せというのが何処が悪い。
何も知らんバカの分際で卑劣なことを書くなよ。朝鮮人
おい、それよか、サッサと高裁司法裁判所で決着つけようじゃないか。
お前朝鮮人が、屁理屈つけて逃げ回ってるのは、裁判だと負けると内心で思ってるのだろ。
ま、良い。最後は武力行使しかないからな。
これは メッセージ 16451 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
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Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/04/17 11:44 投稿番号: [16452 / 18519]
>頭がおかしいのはお前だろう。たとえば、対馬島が韓国の地と主張したら日本人はどう思う?あまりに荒唐無稽だろう。それと同じくらい荒唐無稽を日本は韓国に主張していることが理解できないか?
アホか?対馬と同じで、竹島は日本領だっつうのwww
無知はだまっとれや?カスが
日本領なのに、竹島主張を抜かすから、だったら国際裁判でけりとつけろって言ってんだよ。ボケ
同様に、対馬の領有を韓国が言うなら、国際裁判で蹴りをつけてやんよ。それをしねえから貴様ら朝鮮人は、国際条約も守らないカス民族だって言われてんだろうがボケナス
これは メッセージ 16451 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
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Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人
投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/17 11:17 投稿番号: [16451 / 18519]
>お前、頭おかしいのじゃないか。そんな証明はされてない。
頭がおかしいのはお前だろう。たとえば、対馬島が韓国の地と主張したら日本人はどう思う?あまりに荒唐無稽だろう。それと同じくらい荒唐無稽を日本は韓国に主張していることが理解できないか?
自国領土なのにそもそも証明する必要がない。当然のこと。
韓国領土に対する文句だけでなくロシアとも中国とも領土問題紛争を頻繁に起こす日本。
いったい他国の領土をどれだけ侵奪すれば満足するのか?
もう21世紀なのに帝国主義的野心は捨てたら?強欲すぎると思わないか?
このまますれば、本当にアジアの孤児に続けるだぞ。
これは メッセージ 16450 (kohshien21c さん)への返信です.
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Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2008/04/17 10:17 投稿番号: [16450 / 18519]
>そもそも自国の領土なのに、日本が文句を言うからといって裁判をする必要は全くない。
お前、頭おかしいのじゃないか。そんな証明はされてない。
日本が敗戦後、連合軍の統制下で主権を失っているときに
日韓併合の実態を知らぬ米国帰りの李承晩が勝手に李承晩ラインを引いて
日本領の竹島を組み込んだに過ぎない。
だから、領土問題になってるのだろ。
グダグダいわず、国際司法裁判所で決着つければよいだけじゃないか。
日本の外務省はそれを表明してきたが、逃げ回ってるのは韓国。
逃げ回る理由は、韓国政府が後ろめたく思ってるとしか断じようがないな。
おい泥棒やろう。さっさとお白州にでて決着をつけようぜ。
そうすりゃ、お前等朝鮮人が持ち出す下らん資料がいかさまかどうかはっきり判る。
自信があるならグズグズせず、サッサト行動しろ。
時間延ばしはお前等には不利、憲法改正すれば、武力にて竹島の主権を奪回できるようになる。
平和裏に解決したけりゃ、裁判で争え。バカな朝鮮人ども
これは メッセージ 16439 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
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Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/04/16 22:08 投稿番号: [16449 / 18519]
手前は、SF条約でも勉強してこい。とんだ無知野郎
>韓国戦争特需で経済成長した漁夫の利国家
大爆笑wwwなんも知らん典型的な在日か?
>そもそも自国の領土なのに、日本が文句を言うからといって裁判をする必要は全くない。
>いちゃもんをつけるのはやくざと一緒でしょう。
国際常識すらない愚か者には、理解出来まい?ww
これは メッセージ 16439 (park_sinyang_corea さん)への返信です.
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