竹島

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park_sinyang_corea氏の証明はまだ?

投稿者: gp01_zephy 投稿日時: 2008/04/20 15:24 投稿番号: [16473 / 18519]
早く「独島は分明に韓国地」と言う明確な証明をしてください。

re6b)クリッパートン島事件の判例

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/20 10:28 投稿番号: [16472 / 18519]
>↑はtake8591さんと同様の結論だと思います。

   いいえ。これは、私の意見ではありません。外務省のパンフレットをコピペしただけです。
   そして、自分の意見をも付け加えようとして、背伸びしているので大変困っています。


   さて、ご紹介のWeb頁は、冒頭部分のみを読ませていただきました。
   クリッパートン島事件の判例を引いて、独島領有の正当性を主張されているようですね。

   クリッパートン島事件の事実経緯は次のようです。
   1858年秋に、フランスがクリッパートン島を発見し、ホノルルの新聞にフランスの領有宣言文が掲載された。その後、フランスによる実効支配は執行されず、又、他国がフランスの領有に異議を唱えることも無かった。1897年、同島でのアメリカ国旗の掲揚についてフランスは抗議した。1897年12月13日、メキシコが派遣した軍艦の兵士が上陸した。1898年1月8日、メキシコの行為にフランスが抗議し外交問題化する。両国は1909年その帰属問題を裁判で解決することに合意した。判決は1931年に出た。

   この判決は、先ず、「領有意思の公告により領有権が成立する」旨の判断をしています。これを引いて、或る韓国人は、「勅令41号で独島の領有を公告した」と主張します。しかし、公告された文字は「石島」であり、その意図を解読できる外国人は皆無でしょう。しかも、大韓帝国人が「石島=独島」と理解していた痕跡は無く、「石島=独島」説が生まれたのは1960年代と思われ、大韓民国人も1960年頃迄「石島=独島」と理解していた痕跡がありません。これで、他国人に「石島=独島」と理解せよというのは無理な話でしょう。
   又、違う韓国人は、「于山島が朝鮮領であることを日本人が知っていたので、日本に限っては独島の領有権を主張できない」と主張します。しかし、「于山島=独島」であることを確認できる官撰史料はありません。ただ、朝鮮王が「漂流の愚民」と切り捨てた安龍福にかかる日本側史料に「于山島=独島」の認識が残ります。

   この判決は、次に、「フランスが同島を放棄する意思をもったことはないから、成立した領有権は継続する」旨の判断をしています。これを引いて、或る韓国人は「于山島=独島又は石島=独島で成立した領有権を、韓国は放棄する意思を持ったことはない」と主張します。しかし、某日本人は「17世紀に成立した現竹島の領有権は、その後の或る時期あいまいになったが、他国により占拠された形跡が認められなかったので、1905年に領有権の継続を確認した」と主張します。

游歴日本図経 & アメリカからの証言

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/20 08:43 投稿番号: [16471 / 18519]
尖閣の資料を探すと、少なからず竹島資料にぶち当たります。久しぶりに、「シリーズ・何やってんだ日本!」です。ところで、下記のドキュメント番組は非常に面白いので見て下さい。

零戦との闘い−アメリカからの証言
http://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9B%B6%E6%88%A6%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%97%98%E3%81%84%EF%BC%8D%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80&search_type=

さて、掲題の件ですが、シリーズ・何やってんだ日本!『游歴日本図経』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/yuureki-1889/
島根県に竹島がありませんね。中国の文献にはこのような図が多いです。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka51/yuureki-1889/a17.jpg

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)



next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「出雲丸が沖縄県庁に報告書提出」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『最近朝鮮事情要覧』
『Korea and Her Neighbours』
『游歴日本図経』(本日アップロード完了)
『大日本輿地図』
『韓国地理』
『大韓帝国石島上申書』


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「長野オリンピック ゴールドメダルラッシュ」
http://www.youtube.com/watch?v=UxjA_3hS6oY&feature=related
「スキージャンプ団体 感動の金メダル」
http://www.youtube.com/watch?v=0Cbb3MPqIR0&feature=related
「船木〜」って原田が言っていたのが印象的でしたね。

Re: 6b)石島への観念的領有意思

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/04/19 22:54 投稿番号: [16470 / 18519]
>6-7   いずれにせよ、仮にこの疑問が解消された場合であっても、同勅令の公布
>前後に、朝鮮が竹島を実効的に支配してきたという事実はなく、韓国による竹島
>の領有権は確立していなかったと考えられます。

「バーチャル国際司法裁判所、石島は竹島ではないか」http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3500/1115388422/
というところで次のような投稿が出ています。

55 名前:sage 投稿日: 2005/10/21(金) 06:00:55
>>42

>だいたい国際司法裁判所で解決しようと働きかける側
>すなわち事実上の提訴者が
>それを拒む側の竹島支配のもとの主張たる「石島=トクト」
>の偽を立証できなくてどうするのか?
>提訴者が相手の主張の偽を立証するのが法廷のマナーです。

立証責任は誰が負担するかということが全然分かっていない。
権利根拠規定=権利の発生を定める規定の要件事実は、その権利を主張する者が証明責任を負う。
例で言うと、相続権を主張する者は自分が相続人であることを証明しなければ
ならないということです。つまり、石島=トクトがほぼ間違いないと裁判官を
納得させなければならないのは韓国のほうなのです。
石島=トクトを主張するのは勝手ですが、裁判官に対して「発音が同じだから
石島=トクトが証明できます。」ではまず相手にされないでしょう。中学生に
だって通用しませんね。さらに、韓国はクリッパートン島の如く、ごく接近し
て領有宣言を行ったわけでもありません。トクトがクリッパートン島のごとき
絶海の孤島なら話は違うのでしょうが、1900年以降も何ら実効支配を及ぼした
形跡はありません。クリッパートン島のように絶海の孤島なら領有宣言後の放
置も大目に見られる場合もあるでしょうが、トクトはそうではない。実効支配
を及ぼそうと思えばいくらでも出来たにもかかわらず朝鮮はそうはしなかった。
結局、1905年以降の日本の実効支配に対抗できるような領有権原を韓国は持っ
ていないという結論になります。

↑はtake8591さんと同様の結論だと思います。石島=独島が証明出来てもなお韓国は領有権原を持っていたとは言えないということです。
上記投稿後、石島が独島ではないという資料が見つかっていますから、韓国の主張はもうお話にならないということです。

木村文造著『朝鮮国全図』 & 李明博

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/19 22:53 投稿番号: [16469 / 18519]
李明博大統領が来日するということで歓迎しております。ハンナラ党の系譜を辿るとハンナラ党←新韓国党←民自党ですので、日本側としては大歓迎です。半月城さんは、「韓国の民自党は日本の自民党とずぶずぶの関係だった。しかも李明博は大阪生まれである。わが国の大統領は韓国で生まれ育った人物でなければならない。100%韓国人でなければならないのに、あいつはどこの国の大統領だ」と仰るかも知れませんが、私から言わせればとても良いことです。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/president_lee_myung_bak/

さて、掲題の件ですが、下記に木村文造著『朝鮮国全図』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenkoku-1882/

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)



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「船木〜」って原田が言っていたのが印象的でしたね。

韓国水産業調査報告 & 台湾南西諸島水

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/19 22:06 投稿番号: [16468 / 18519]
善光寺がスタート地点になることを断った途端、外電が続々と伝えています。
http://news.yahoo.com/s/ap/20080418/ap_on_re_as/japan_olympic_torch
今まで非仏教国を通過して、今日初めて仏教国のタイを通過しましたが、その数日前に善光寺辞退のニュースが海外に流れましたので、インパクトありました。特に下記のコメントが良かったです。

「善光寺は仏教、宗教の寺だ。(中国政府が)無差別殺人を行ったということもあるし、チベットの宗教者が立ち上がって、それに対して弾圧を行った。それはやはり憂慮するものであった」
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/torch_relay/

さて、掲題の件ですが、下記に『台湾南西諸島水路誌』と『韓国水産業調査報告』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/taiwannanseishoto-1941/
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kankokusuisangyo-1904/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)



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『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「出雲丸が沖縄県庁に報告書提出」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『朝鮮国全図』(木村文造)
『韓国水産業調査報告』(本日アップロード完了)
『台湾南西諸島水路誌』(本日アップロード完了)
『最近朝鮮事情要覧』
『Korea and Her Neighbours』
『遊歴日本図経』
『大日本輿地図』
『韓国地理』


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「長野オリンピック ゴールドメダルラッシュ」
http://www.youtube.com/watch?v=UxjA_3hS6oY&feature=related
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「船木〜」って原田が言っていたのが印象的でしたね。

外務省パンフレットへの批判4、(3)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/19 16:12 投稿番号: [16466 / 18519]
   以下は余談です。
  『竹嶋之書付』などの鳥取藩関係資料は、日韓で竹島=独島論争が盛んだった 1954年ころは鳥取県立中央図書館に「秘蔵」されていました。それを当時、島根県広報文書課の田村清三郎が特別に借用したり、外務省条約局第1課の川上健三や東洋文庫の田川孝三らが特別に閲覧したので、かれら三人はその内容を十分に把握していました。
   その三人は日韓竹島=独島論争で大いに活躍した「竹島三羽ガラス」ですが、かれらは日本に不利と思われる史料の内容は決して公表しようとしませんでした。特に田村や川上は、公務員の悲しいサガとでも言うのでしょうか、目先の「利益」にとらわれ、真実を国民の前に明らかにしようという姿勢は皆無だったようでした。

   その後、島根県や鳥取県はそうした情報を公開しましたが、外務省は未だに情報隠しの伝統を大事にしているようです。それを今回のパンフレットにありありと見ることができます。
   外務省は限定的に公開した情報から「竹島は日本の固有領土」というキャッチフレーズを作りだしましたが、因果応報なことに、今ではそれが自縄自縛になり、竹島=独島を版図外とした太政官指令のような重要事件に関してまったく見解を示せないという苦境に陥っているようです。
   かつての外務省は情報隠しにより、韓国政府とのディベートで一時的に優位に立ちましたが、歳月を経るうちに研究も進み、昔のキャッチフレーズが今や外務省のアキレス腱になってしまったようです。

   ちなみに、竹島三羽ガラスの主な役割分担は次のようなものでした。
田村清三郎:   鳥取藩の古文書や、竹島=独島渡海関係など島根県関係資料調査
川上健三:    江戸幕府や明治政府関係などの資料調査、大谷家古文書の調査
田川孝三:    朝鮮史書を始めとした文献調査

   田村や川上は公務員なので近視眼的な資料隠しは予想できるのですが、学者肌の田川までもが田川や田村と同様の資料隠しをおこなったようです。その一端はすでに書いたように、彼の于山島認識に見ることができます(注2)。
   現在、彼の著書『李朝貢納制の研究』は古本屋で3万円以上の値がついていますが、そのような業績も、なまじっか日韓両政府の竹島=独島論争に首を突っこんだばっかりにかすんで見えます。

   竹島三羽ガラスにより秘蔵されてきた情報は、80年代になって徐々に明るみに出されました。1985年、国会図書館の塚本孝氏により『竹嶋之書付』が翻刻されたのに続いて(注3)、1987年には京都大学の堀和生教授により太政官の版図外指令などの重要史料が発掘され、竹島=独島問題に画期をもたらしました(注4)。
   その後、鳥取藩や島根県の郷土史料が島根大学の内藤正中教授により全般的に解読されたのに続き(注5)、対馬藩の『竹島紀事』は2004年になって名古屋大学の池内敏教授により後半を中心に翻刻されました(注6)。

   以上、メルクマール的な史料の学術研究をざっと見ましたが、研究が進むにつれ、外務省の立場はますます不利になるばかりのようです。

(注1)『御用人日記』5月21日条、および『竹嶋之書付』
(注2)半月城通信<安龍福が見た于山島はチクトウ(竹島)?   下條氏への批判>
  http://www.han.org/a/half-moon/hm128.html#No.947
(注3)塚本孝「竹島関係旧鳥取藩文書および絵図」『レファレンス』411号,1985,P75
(注4)堀和生「一九〇五年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987
(注5)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』2000、多賀書店
(注6)池内敏『竹島一件の歴史学的研究』科学研究費成果報告書、2004

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

外務省パンフレットへの批判4、(2)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/19 15:51 投稿番号: [16465 / 18519]
   対馬藩はその書簡に満足せず、あくまで竹島(欝陵島)の完全領有を狙い、朝鮮の書簡から「弊境の欝陵島」を削除するよう強く求めました。
   無理難題を突きつけられた朝鮮政府は、あらためて安龍福を取調べ、その供述から対馬藩の計略を感じとり、一転して強硬姿勢に転じました。結局、竹島と欝陵島は同一の島で朝鮮領であるとする強硬な書簡を対馬藩へ渡し、同藩の要求をつっぱねました。当然のごとく、対馬藩との交渉は暗礁に乗りあげました。

   外務省のパンフレットは、日本の要求が途方もない無理難題であったことを伏せ、日本は「友好関係を尊重」したので朝鮮に全面譲歩したかのように装い、こう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、1696年1月、朝鮮との友好関係を尊重して、日本人の鬱陵島への渡航を禁止することを決定し、これを朝鮮側に伝えるよう対馬藩に命じました。この鬱陵島の帰属をめぐる交渉の経緯は、一般に「竹島一件」と称されています。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   外務省は、幕府が渡航を禁止した真の理由を無視しているようです。実は、幕府は竹島(欝陵島)の調査をおこなった結果、日本の要求が無理であったことを悟ったので日本人の竹島渡海禁止を決定したのでした。その概略はこうでした。
   1696年1月(元禄8年12月!)、老中・阿部豊後守は、竹島に関する調査のために、鳥取藩へ7か条の質問をおこないました。この時に3年前の勘定奉行による調査を知らなかったのか、似たような質問をしました。
   その第1条を口語訳にすると「因州、伯州に付属する竹島はいつのころから両国の付属か?・・・」となります。老中は、竹島が因幡・伯耆の両国を支配する鳥取藩の所属と思いこんでいたようです。

   しかるに、鳥取藩の回答は「竹島は因幡、伯耆の付属ではありません」として自藩領ではないことを明言しました。そもそも、竹島への渡海許可は鳥取藩主によるものではなく、幕府の老中4人が連署した奉書によってなされたので、鳥取藩の回答は当然でした。
   幕府は、他に竹島の大きさや渡海の実情などを尋ねましたが、注目されるのは第7条の「竹島の他に両国へ付属する島はあるか?」との質問です。これに対する鳥取藩の回答は「竹島や松島、その他、両国に付属する島はありません」として、松島(竹島=独島)も鳥取藩の付属でないことを明言しました。

   この時、幕府は実は松島の存在を知らなかったのでした。幕府は回答書に松島の名が新たに登場したことに関心を示し、追加質問をおこなったくらいでした。その質問書は発見されていませんが、その質問に対する鳥取藩の回答書が『竹嶋之書付』に残されました。
   それによれば、鳥取藩は「松島はいずれの国へ付属する島ではないと承知しています」「竹島へ渡海の節、通り道なので立ち寄って猟をおこないました」などと回答しました。
   このように、幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったので、同島に対する領有意識がなかったことはいうまでもありません。しかるに、外務省のパンフレットはこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   その一方で、竹島への渡航は禁止されませんでした。このことからも、当時から、我が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   日本が竹島=独島を「自国の領土」と考えていなかったのは『竹嶋之書付』から明白なのに、その史実を無視した外務省のパンフレットは白々しさを通り越しているようです。
   また、竹島がいずれの国にも属さないので渡海が禁止されたのであるから、同じくいずれの国に属さない松島も暗黙裏に渡海が禁止されたと解釈すべきです。この点、外務省のパンフレットは我田引水が過ぎるようです。
(つづく)

外務省パンフレットへの批判4、(1)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/19 15:50 投稿番号: [16464 / 18519]
4.幕府の渡海禁止令

   1693(元禄6)年、大谷家の渡海船が竹島(欝陵島)で安龍福と朴於屯のふたりを拉致したことをきっかけに、日本と朝鮮の間で同島をめぐる領有権交渉「竹島一件」が始まりました。この交渉について外務省のパンフレットはこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   状況を承知した幕府の命を受けた対馬藩(江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口であった。)は、安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに、朝鮮に対し、同国漁民の鬱陵島への渡航禁制を要求する交渉を開始しました。しかし、この交渉は、鬱陵島の帰属をめぐって意見が対立し合意を得るに至りませんでした。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   意見の対立は当然でした。そもそも幕府の命令は当初から無理なものでした。その命令に対し、対馬藩ではすぐに疑問の声があがったくらいでした。前藩主である天龍院(宗義真)は幕府の真意をいぶかって、次のような疑義を提起しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   竹島の儀は磯竹島ともいう。先年、大献大君(徳川家光)の時代、その島へ磯竹弥左衛門、仁左衛門(ママ)と申す者が居住していたのを召し捕えて差し出されるようにと(公儀から)光雲院公(宗義成)へ仰せつけられ、すなわち此方より召し捕られて差し出したことがあった。
   しからば、竹島の儀は日本の伯耆にある島と公儀でお考えならば、伯耆藩主のほうで弥左衛門・仁左衛門を召し捕えて差し出されるようにと仰せつけられるはずであるのに、当国へ仰せつけられたのは、朝鮮の竹島とお考えであると見られる。
   この次第を一応、公儀へ伺うことを考慮するよう留意して、朝鮮へ申し入れるべきである(『竹島紀事』9月4日)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   天龍院の疑問はもっともなことでした。かれは、朝鮮とのいきさつから竹島(欝陵島)が朝鮮領であることを熟知していたので、幕府が潜商事件の弥左衛門親子を捕える仕事を鳥取藩でなく対馬藩へ命じたのは、幕府も同島を朝鮮領と考えているからではないかと疑っていたのでした。
   しかし、この時の藩論は、幕府の公命には背けないので、幕府へ事情を正すようなまねはできないという結論でした。その結果、対馬藩は幕府の真意がわからないまま、朝鮮領である竹島(欝陵島)へ朝鮮人が来ないように要求するという無理難題を朝鮮へふっかけることになりました。

   一方、幕府内では潜商事件が忘れ去られていたのか、あるいは組織の問題で受け継がれなかったのか、幕府は竹島(欝陵島)について改めて調査を始めました。1693年5月21日、勘定奉行の松平美濃守は江戸の鳥取藩邸へ竹島渡海に関する質問をおこないました。
   これに対して鳥取藩は、竹島は鳥取藩の支配地でないと明言し、「竹島は離れ島にて人の居住はありません。もっとも、伯耆守が支配する所でもありません」と回答しました(注1) 。
   この回答書により、幕府は竹島(欝陵島)が鳥取藩領でない、ひいては日本領でないことを悟ったのですが、そうかといって、対馬藩へ出した命令を取り下げたりはしませんでした。察するに、朝令暮改で幕府の威信に傷がつくことを懸念したのでしょうか。

   他方、対馬藩の要求を突きつけられた朝鮮政府は、欝陵島が官撰書『東国輿地勝覧』などに記載されていることから、同島の領有を確信していました。しかし、日本との摩擦を避けるため、一時的に宥和政策をとって交渉に臨みました。
   朝鮮政府は、欝陵島が日本でいう竹島であることを知りながら、欝陵島と竹島をあたかも別の島であるかのように扱い、形式上で朝鮮人の竹島への渡航禁止という日本の要求を受けいれました。その一方で「弊境の欝陵島」という原則的な立場は堅持し続けて対馬藩へ書簡をしたためました。
(つづく)

Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?

投稿者: gp01_zephy 投稿日時: 2008/04/19 15:16 投稿番号: [16463 / 18519]
>逆に質問するが、対馬島が日本地であると証明する必要があるか?<
1.質問を質問で返さないでください。
2.論点をずらさないでください。

まぁ、アホな質問ですが、返答しておきましょうか。
係争対象になれば対馬も日本領と証明する必要があります。

Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?

投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/19 14:26 投稿番号: [16462 / 18519]
>>独島は分明に韓国地なのに<
>まずはこれを証明してください

逆に質問するが、対馬島が日本地であると証明する必要があるか?
それと同じことだ。

Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?

投稿者: gp01_zephy 投稿日時: 2008/04/19 13:32 投稿番号: [16461 / 18519]
>独島は分明に韓国地なのに<
まずはこれを証明してください。

re3)隠州視聴合記

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/19 12:40 投稿番号: [16460 / 18519]
隠州視聴合記は次のように要約されます。
   隠州は北海中にある。
   その南東にある地を島前と言う
   その東にある地を島後と言う
   南に雲州美穂関。南東に伯州赤碕浦。南西に石州温泉津。
   西北に松島竹島がある。
   よって、日本の北西の地は隠州である。


   冒頭にある隠岐島の説明を読んで、隠州が南東にある島前と東にある島後のみにより構成される、という解釈は不自然です。隠州を紹介するのに、南東と東にある地域のみを示して、これで全てだとする論法は無いからです。当然、西又は西北に残りの隠州があると推定されます。
   読み進めると、「西北に松島竹島がある」という文章に当り、納得できるのです。
   松島竹島という地名は、地域名が冠されていません。このことから、松島竹島が雲州・伯州・石州に属さないことが判ります。又、隠州視聴合記において、地域名を冠さない地名が表れた場合、それは全ての場合「隠州の地」を示しています。すると、この松島竹島が「隠州」の松島竹島であることに間違いありません。
   そして、松江藩預り領の隠州とそれ以外の隠州を、間に美穂関・赤碕浦・温泉津を入れることにより区別していることが判ります。


   尚、「此二島無人之地」「見高麗如自雲州望隠岐」は、松島竹島の現況を述べたに過ぎず、領土論を述べたとは考えられません。松江藩官僚が幕府の専管事項を論ずることはありえません。
   敢えて領土論とするならば、大谷村川両家以外の者が松島竹島に行かないのは、松島竹島まで徳川家の威光が行き届いているからである。そして、この威光は朝鮮にまで及んでいる。何故なら、朝鮮にこれほどまでに近い島であるにも関わらず、この40年間松島竹島で一人たりとも朝鮮人を見たことが無いからである。と。

なぜ他国の領土に口を出すのか?

投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/19 12:36 投稿番号: [16459 / 18519]
独島は分明に韓国地なのに、なぜ日本は他国の領土を自国地と強弁するのか?帝国主義的野心の強欲はもう時代錯誤だと思わないのか?

たとえば韓国が対馬島が韓国地と主張したらどう思うか?荒唐な主張だろう?日本の独島領有権主張はそれと同じ脈絡だ。

ロシアとも領土紛争、中国とも領土紛争。。。。終わりのない日本の領土強欲。。。周辺国への終わりない紛争欲心。

日本はいつまで19世紀的価値観で世界各国と葛藤するか。
アジアの孤児はいつまで続けるか?

re3)幕府と両家は公的・継続的な関係

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/19 12:25 投稿番号: [16458 / 18519]
   1999年の池内氏の論文「竹島渡海と鳥取藩」の続きです。

  その大谷・村川の公義御目見は、四、五年に一度ずつ阿部四郎五郎家が寺社奉行へ申入れることによって実現されたから、仲介者が継続の努力を払って初めて維特されるものであった(後述)。とすれぱ、幕府と大谷・村川両家との関係は、必ずしも公的・継続的なものではなく、代々の阿部四郎五郎家による仲介の努力によって維持された私的・不定期の関係であった。
    ・・・・・・・
  ところで、延宝9(1681)年3月29日日、阿部四郎五郎正重は小普請入りとなリ公務を離れることとなった。このためこの年から大谷・村川両家の公儀御目見は鳥取藩が取り持つこととなった。
    ・・・・・・
  これまで大谷・村川・阿部三家は、その代替りごとに竹島渡海に関わって相互に再確認しあい、密接な関係を継続・保持してきた。その関係を前提にして阿部の仲介による大谷・村川の公義御目見が実現し、竹島渡海の利権が護られてきた。それが、延宝9年7月の事態を境にして、公義御目見の取持ちが阿部四郎五郎家から鳥取藩に切り替わった。このとき、新任寺社奉行に対し御目見の先例について鳥取藩が説明しなおしたと同様な意昧合いで、大谷・村川家の側が竹島渡海の先例・由緒について改めて説明しなおす必要があると考えても当然である、それはいきおい由緒正しさを強調することとなったから、竹島渡海の歴史をより古く遡らせて説明することともなった。ここに寛永初年竹島渡海免許を元和四年のものと主張する根拠があった。
  ----------------------

   池内氏は、「幕府と大谷・村川両家との関係は、必ずしも公的・継続的なものではなく、私的・不定期の関係であった。」と言われます。
   (「後述」という部分に読み落としがあるのかも知れませんが、)
   しかし、大谷村川両家は日本の公共資産を排他的に独占使用しているのですから、日本の主権者が4・5年に一度その見直しをするのは当然です。その継続を申請できるのは公的機関だったようです。阿部家が公的機関である立場を失った時、替わって申請手続きを執ったのは公的機関たる鳥取藩でした。

   芹田健太郎の「日本の領土(中公業書)」153頁につぎのとおりです。
   「日本政府はこの領土編入行為を無主地に対する先占行為とは認めておらず、この点に関する日本の主張は、開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本で日本の領土と考え、日本の領土として扱い、他国がそれを争わなけれぱ、それで領有するには充分であった、と認められる、というものである。」

   江戸幕府で竹島松島を担当したのは寺社奉行だったようです。この事から、「実際に日本で日本の領土と考え」「日本の領土として扱」っていたことが確認できます。又、竹島松島渡海事業を「他国がそれを争」った事実はありません。すると「それで領有するには充分であった、と認められる」。

re3)竹島渡海免許の目的

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/19 12:09 投稿番号: [16457 / 18519]
   1999年の池内氏の論文「竹島渡海と鳥取藩」に次の内容がありました。

   「多聞院日記」天正20(1592)年5月19日条に、伯耆人弥七が「いそたき入参」を持参して奈良興福寺多聞院英俊のもとを訪れたとする記事がある。中村栄考はこの記事から、磯竹島が薬草としての人参の産地として知られていたことを推測する[中村業幸460頁]。
   元和4(1618)年七月、出雲三尾関の住人馬多三伊ら7名が鬱陵島出漁中に漂流して朝鮮に至り、
   元和6(1620)年には、ひそかに竹島渡海を行っていた対馬人弥左衛門・仁右衛門が捕えられて処罰された、
   こうした事例からすれば、寛永1(1624)年竹島渡海免許が大谷・村川両名に発給される以前、偶然の漂着ではなく意識的な竹島渡海を行う者が既に存在した。
   ここで、元和4年に竹島渡海を行ったのは出雲三尾関の住人であった。大谷・村川が竹島渡海を行う際には、米子から出雲雲津を経由して隠岐島後福浦へ渡リ竹島へかったというから、出雲・隠岐の住人が独カで竹島渡海を行うこともありえた。
   そして寛文6(1666)年朝鮮に漂着Lた大谷船の場合、乗員22名の生国の内訳は、伯耆13名・隠岐9名であった(竹島考・大谷之船漂到朝鮮国)。
   万治3年〜延宝9(1660-81)年の間の時期には、材木伐採を目的に大谷・村川以外の「他所の者」が竹島に入り込み、「脇より訴訟人達の六ケ敷事出来」という(大谷家2-20.29)。
   また、享保7(1722)年、石見国安濃郡の3名が7年以前に竹島で潜商行為をはたらいたとして処分された(内藤正中1995、16頁)。
   さらに[史料8]に登場する鳥取城下の初期商人石井宗悦は何らかのかたちで竹島渡海に関与しようとした、
   おそらく因幡国も含めて山陰地域の人々には竹島渡海とその利益にあずかる可能性があり、大谷と村川が互いに競争者となりうる可能性すら皆無ではなかつた。
   このように藩領を越えた各地に潜在的に競合する勢カがあったから、大谷・村川は鳥取藩の免許ではなく幕府の免許をこそ求めた。それが「寛永初年竹島渡海免許」であった。そうして競合する勢カを排除しあるいは配下に収めながら、大谷・村川は竹島渡海の利権を排他的に確保Lていった。
   もっとも「竹島渡海免許」は寛永2年(又は元年)の一回限りに発給されたものであり、その後更新されることはなかった。そのため「竹島渡海免許」発給を機に始められた公義御目見と、そこに形成された幕閣とのつながりを誇る由緒が、競合者を排除する役割を補完した。

re3)御老中様へ得御内意申候

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/19 12:08 投稿番号: [16456 / 18519]
   池内氏の論文に「史料7」が示されており、そこには「来年より竹島之内松島へ貴様舟御渡之筈に御座候旨、先年四郎五郎御老中様へ得御内意申候」とあります。*1)
   http://take8591.web.fc2.com/06web/9100etc/080417/ss07.jpg
   この意味は、次のようなものであると考えます。
   既に竹島渡海免許は発布済みであるが、来年より「竹島之内松島」への渡海免許を得たいとの申出があったので、老中に伺いを立てたところ、「竹島之内松島であれば、新しく渡海免許を発行するまでも無く、竹島渡海免許の拡大解釈で松島に渡海できる」との御内意を得た。

   現代風にいうと、本庁の課長である阿部四郎五郎が老中の内意を得たと、係長の亀山が民間業者の大谷に渡した文書と考えられます。この様に考えると、立派な公文書であり、松島領有の有力な証拠となります。

   しかし、外務省や島根県が、この文書を示しコメントを加えた事実を知りません。
   「国による資料や認識と個人的なそれとは峻別したいものです*2)」と述べられておられる半月城さんは、「江戸時代の史料に、松島(竹島=独島)は「竹嶋之内松島」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋近所之小嶋」などと書かれました。[No.16447]」と言われています。上記「史料7」は間違いなく公文書なのでしょう。
   又、henchin_pokoider01さんが、「幕府の領有意思を推認できる史料である」というような事を言われていたと記憶しますが、投稿noが判らないので判然としません。


  *1)次の1999年の池内氏の論文「竹島渡海と鳥取藩」より抜粋
    http://www.kr-jp.net/ronbun/ikeuchi/ikeuchi1999.pdf
  *2)本掲示板[No.886]、及び歴史資料から考える独島論争(2007年3月発行)

Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人

投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2008/04/18 11:23 投稿番号: [16455 / 18519]
マヌケなレスだな。

火病を発症し、脊髄反射か。笑

逃げ回り、論理的思考の出来ぬバカチョン。

量産型雑魚の典型だな。

よって、お前はそろそろ放置だな。

Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人

投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/17 12:41 投稿番号: [16454 / 18519]
>ま、良い。最後は武力行使しかないからな。

おまえが兵隊になって渡航して奪還してみろよ。
おまえが手本を見せてみろよ。おまえが率先してやってみろよ。
ネットのチキンボーイよ。

Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人

投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2008/04/17 12:38 投稿番号: [16453 / 18519]
対馬を持ち出し、問題すり替えかよ。

朝鮮人の思考回路は何本か断裂してるな。バカ丸出しだぜ。

>韓国領土に対する文句だけでなくロシアとも中国とも領土問題紛争を頻繁に起こす日本。

尖閣諸島は、古来より日本の領土。SF条約締結後米国から返還された。その時点では中国は異論をまったく唱えなかった。

しかし、尖閣諸島近海で石油など地下資源の埋蔵があると発表されたあと、覇権主義の支那が難癖つけてきたもの。支那は南沙諸島問題でもベトナム、フィリピン、マレーシアと紛争してるぜ。

北方4島は、戦後のどさくさに紛れロシアが不法占拠した日本の領土。それを返せというのが何処が悪い。

何も知らんバカの分際で卑劣なことを書くなよ。朝鮮人

おい、それよか、サッサと高裁司法裁判所で決着つけようじゃないか。

お前朝鮮人が、屁理屈つけて逃げ回ってるのは、裁判だと負けると内心で思ってるのだろ。

ま、良い。最後は武力行使しかないからな。

Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/04/17 11:44 投稿番号: [16452 / 18519]
>頭がおかしいのはお前だろう。たとえば、対馬島が韓国の地と主張したら日本人はどう思う?あまりに荒唐無稽だろう。それと同じくらい荒唐無稽を日本は韓国に主張していることが理解できないか?

アホか?対馬と同じで、竹島は日本領だっつうのwww
無知はだまっとれや?カスが
日本領なのに、竹島主張を抜かすから、だったら国際裁判でけりとつけろって言ってんだよ。ボケ
同様に、対馬の領有を韓国が言うなら、国際裁判で蹴りをつけてやんよ。それをしねえから貴様ら朝鮮人は、国際条約も守らないカス民族だって言われてんだろうがボケナス

Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人

投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/17 11:17 投稿番号: [16451 / 18519]
>お前、頭おかしいのじゃないか。そんな証明はされてない。

頭がおかしいのはお前だろう。たとえば、対馬島が韓国の地と主張したら日本人はどう思う?あまりに荒唐無稽だろう。それと同じくらい荒唐無稽を日本は韓国に主張していることが理解できないか?
自国領土なのにそもそも証明する必要がない。当然のこと。

韓国領土に対する文句だけでなくロシアとも中国とも領土問題紛争を頻繁に起こす日本。
いったい他国の領土をどれだけ侵奪すれば満足するのか?
もう21世紀なのに帝国主義的野心は捨てたら?強欲すぎると思わないか?

このまますれば、本当にアジアの孤児に続けるだぞ。

Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人

投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2008/04/17 10:17 投稿番号: [16450 / 18519]
>そもそも自国の領土なのに、日本が文句を言うからといって裁判をする必要は全くない。

お前、頭おかしいのじゃないか。そんな証明はされてない。

日本が敗戦後、連合軍の統制下で主権を失っているときに

日韓併合の実態を知らぬ米国帰りの李承晩が勝手に李承晩ラインを引いて

日本領の竹島を組み込んだに過ぎない。

だから、領土問題になってるのだろ。

グダグダいわず、国際司法裁判所で決着つければよいだけじゃないか。

日本の外務省はそれを表明してきたが、逃げ回ってるのは韓国。

逃げ回る理由は、韓国政府が後ろめたく思ってるとしか断じようがないな。

おい泥棒やろう。さっさとお白州にでて決着をつけようぜ。

そうすりゃ、お前等朝鮮人が持ち出す下らん資料がいかさまかどうかはっきり判る。

自信があるならグズグズせず、サッサト行動しろ。

時間延ばしはお前等には不利、憲法改正すれば、武力にて竹島の主権を奪回できるようになる。

平和裏に解決したけりゃ、裁判で争え。バカな朝鮮人ども

Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/04/16 22:08 投稿番号: [16449 / 18519]
手前は、SF条約でも勉強してこい。とんだ無知野郎

>韓国戦争特需で経済成長した漁夫の利国家
大爆笑wwwなんも知らん典型的な在日か?

>そもそも自国の領土なのに、日本が文句を言うからといって裁判をする必要は全くない。
>いちゃもんをつけるのはやくざと一緒でしょう。
国際常識すらない愚か者には、理解出来まい?ww

笑わせる

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/04/16 21:57 投稿番号: [16448 / 18519]
お前のその理論で行くなら、当然韓国領土だと言う根拠もないわけだ?さすがだな?お前たちの理論は?滑稽だ

外務省パンフレットへの批判3、(2)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/16 21:11 投稿番号: [16447 / 18519]
   かつて、外務省は江戸時代における領有権の根拠として必要な要件を次のように主張していました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本の領土として取り扱い、他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認められる(注5)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   ここに書かれた「実際に日本の領土として取り扱い」という要件を満たすためには、竹島=独島が官撰書や官撰図などの公文書にしかるべく記載されていることが必要です。しかし、そのような公文書は存在しません。
   公文書では、次節にみるように、史料『竹島之書附』などで竹島=独島は日本領でないとされます。さらに、官撰図でいえば、幕府の絵図や伊能忠敬などの地図に竹島=独島が記載されていないことは周知のとおりです。一方、鳥取藩の一部の地図に竹島=独島が記載されていますが、これは次節にみるように、当の鳥取藩が竹島=独島は自藩領でないと明言しているので問題外です。
   なお、長久保赤水の「日本輿地路程全図」を堀和生氏は官撰地図としていますが、赤水図はたとえ幕府の許可を得たとしても、幕府が発行したものではないので官撰地図とは呼べません。

   結局、日本は17世紀に竹島=独島を「日本の領土」ではないと考えていたことが明らかです。それでは、日本は同島をどこの領土と考えていたのでしょうか?

   江戸時代の史料に、松島(竹島=独島)は「竹嶋之内松島」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋近所之小嶋」などと書かれました。松島は竹島(欝陵島)の属島として扱われたことが明らかです(注6)。
   松島は、松の木が一本もないにもかかわらず松島と呼ばれたのは、竹島とペアで考えられ、縁起物の松竹という発想から命名されたようです。外務省が強調する赤水図でも両島はペアないしは一体に表記され、両島間に「見高麗猶雲州望隠州」などの書き込みがなされました。同図で松島・竹島は密接不可分の関係です。

   つぎに、ペアの一方である竹島(欝陵島)が朝鮮領と考えられていたことは幕府の外交文書を収めた『通航一覧』から明らかです。同書の巻129に「元和六庚申年、宗對島守義成、命によりて、竹島[朝鮮國屬島]に於て潜商のもの二人を捕へて、京師に送る」と書かれ、竹島は朝鮮国の属島とされました。。
   同書にいう潜商とは鷺坂弥左衛門・仁右衛門親子ですが、かれらが磯竹島(欝陵島)で材木を伐っていることが朝鮮に知られ、それを朝鮮通信使から指摘されたので、幕府としてはかれらを捕えざるを得なかったのでした。
   また、かれらを捕えた対馬藩は、かつて欝陵島へ移住したいと朝鮮へ申入れ、それを朝鮮から拒否されたことがありました。このように当時の幕府および対馬藩は欝陵島を朝鮮領と認識していたのでした。

   そのような欝陵島の属島である松島(竹島=独島)で大谷・村川両家が漁獲を行うことは、朝鮮国での密漁ないし略奪行為になることはいうまでもありません。そうした密漁や略奪を重ね、それを根拠に「領有権を確立した」と主張するのは、空き巣犯の居直りではないでしょうか。

(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」
   『レファレンス』2002.6月号,P52
(注2)池内敏<「隠州視聴合記(紀)」の解釈をめぐって>
   『大君外交と「武威」』2006,P323
(注3)大西俊輝『続日本海と竹島』東洋出版,2007
(注4)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、1996,P2
(注5)外務省情報文化局「竹島の領有権問題の国際司法裁判所への付託につき韓国政府に申入れについて」『海外調査月報』1954年11月,P70
(注6)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(復刻版)古今書院、1996、P74,78,80

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

外務省パンフレットへの批判3、(1)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/16 21:08 投稿番号: [16446 / 18519]
3.(江戸時代の領有権)
  外務省曰「日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、
   遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました」

   外務省の「竹島」パンフレットは日本が17世紀半ばに「竹島の領有権」を確立した根拠として、大谷・村川両家が竹島=独島を下記のように利用したと記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は、航行の目標として、途中の船がかりとして、また、あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されるようになりました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   驚いたことに、パンフレットで外務省のいう根拠はこれがすべてです。一体、以前の公式見解はどうなったのでしょうか?   かつての外務省は下記のように主張していました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   欝陵島への往復の途次、船がかりの地として、またアワビ等の魚採地として利用されていたのが当時松島の名でよばれていた今日の竹島であり、この島に対して大谷、村川両家が、さきの鬱陵島と同じく幕府から渡海免許を受けるようになったのは、明暦2年(1656年)またはそれ以降のことであった。
  ・・・
  『隠州視聴合紀』(1667年)も、松島(今の竹島)及び竹島(鬱陵島)をもって日本の西北の限界と見ている(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   もし、かつての外務省がいうように、大谷・村川両家が幕府から「松島渡海免許」を受けていたのなら、幕府は竹島=独島に領土意識をもっていたことになり、領有の有力な根拠になります。
   また 1667年当時、隠岐国を管轄する雲州松江藩の命により編纂された『隠州視聴合紀』に竹島・松島が日本の西北の限界であると書かれていたのなら、これも竹島=独島に対する領有の強力な根拠になります。

   しかし、なぜかパンフレットはそうした有力な「根拠」を満載した過去の主張には一切ふれませんでした。特に『隠州視聴合紀』の解釈に関していえば、その解釈をめぐって韓国政府から日本の西北の限界は隠岐であるとの指摘を受けたにもかかわらず、それに対する反論がないばかりか、その後も『隠州視聴合紀』に関して沈黙したままでした。
   これは韓国政府がいうように、やはり日本の西北の限界を竹島・松島とするのは無理だと判明したからではないでしょうか。『隠州視聴合紀』で竹島(欝陵島)は御朱印を受けた船が行く場所と認識されていたのでした。
   外務省に追いうちをかけるように、池内敏氏は日本の西北の限界は竹島・松島でなく、隠岐島であることを論証しました(注2)。また、『隠州視聴合紀』を徹底分析した大西俊輝氏も同様の論証をしました(注3)。

   他方、外務省が「松島渡海免許」についても沈黙しているのは、やはりその主張も無理だと判断したからではないでしょうか。国会図書館の塚本孝氏も渡海免許は「恐らく出されなかった」と記しました(注4)。下條正男氏ですら「松島渡海免許」を主張していないようです。

   日本におけるこのような研究の結果、外務省のかつての主張は音もなく崩れさったようです。それは砂上の楼閣のような存在でした。その結果、外務省はパンフレットに書かれていることくらいしか領有権の根拠を見出せないようですが、それが不十分であることは明らかです。

南洋諸島及濠洲航海報告 &長野五輪

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/16 21:04 投稿番号: [16445 / 18519]
通常聖火リレーは祝福されるのが普通なのですが、今回ばかりは違いますね。長野の聖火リレーまでちょうど10日後となりました。そこで来週土曜日までの尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。

さて、掲題の件ですが、下記に『軍艦金剛南洋諸島及濠洲航海報告』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kongo-1900/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)

next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「出雲丸が沖縄県庁に報告書提出」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『朝鮮国全図』(木村文造)
『韓国水産業調査報告』
『軍艦金剛南洋諸島及濠洲航海報告』(本日アップロード完了!)
『最近朝鮮事情要覧』
『Korea and Her Neighbours』
『遊歴日本図経』
『大日本輿地図』
『韓国地理』


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「長野オリンピック ゴールドメダルラッシュ」
http://www.youtube.com/watch?v=UxjA_3hS6oY&feature=related

「スキージャンプ団体 感動の金メダル」
http://www.youtube.com/watch?v=0Cbb3MPqIR0&feature=related
「船木〜」って原田が言っていたのが印象的でしたね。

Re: 察するに

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/04/16 11:44 投稿番号: [16444 / 18519]
  目的意識の違うもの同士ですから、ある程度話がかみ合わないのは仕方のないところです。
  領有権の所在しか眼中にないような(韓国人にせよ、日本人にせよ)方たちは、どっちに有利とか不利とか、そういう話に持って行きたがる傾向が見受けられますが、問題の性質上致し方ない面はありますが、いい加減うざったいのも事実です。

  さて、于山島=獨島だという認識は必ずしも一般的ではないのは、そのとおりでしょう。
  特殊な時代背景を勘案すれば、なおのことでしょうね。

Re: 察するに

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/04/16 10:54 投稿番号: [16443 / 18519]
ようするに于山島というものがどこなのか当時は意見の一致を見ていなかったということですよ。

私は何回も「于山島=竹島」という論が併合当時の世論の中にないと言いましたが、逆のアリバイが存在したわけですよ。
だめ押しってやつですね。

于山島は倭の松島なりという記述がいくら文書にあっても、そこから于山島=獨島だという認識は一般的ではなかったということです。

どうと言うこともない話しじゃないですね。

Re: 察するに

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/04/16 09:24 投稿番号: [16442 / 18519]
  「韓国側」が具体的に何を特定した用語なのか良く分かりませんが、倭政(併合時代)当時、民間人が于山島の在処を的確に把握していなかったのは確かでしょうね。
  こういう歴史の破片は大変貴重なもので、一つの側面だけでなく、他の様々な事象と結びついて立体的な解明に役立つものです。単に領有権云々に猪突猛進するのは(気持ちは理解しますけれども)その人の勝手ですけどね(笑)

Re: 察するに

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/04/15 22:02 投稿番号: [16441 / 18519]
  1913年当時、鬱陵島の住民も毎日申報も于山島がどこにあるのか知らなかったことは、歴史上の事実の問題としては特にどうということもない話です。しかし、この事実は、竹島問題をめぐる韓国側の主張のうちの一つ、すなわち、独島は古くから于山島と呼ばれ朝鮮はその存在を知り領有してきた、という類の主張が事実ではないことを示しているわけで、現代における竹島問題論争においては、韓国側の主張の虚構性を示す極めて価値ある良い史料になっています。

朝鮮変乱詳細地図 & 台湾論と日本論

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/15 20:58 投稿番号: [16440 / 18519]
凄く良い本を今日見つけました。ズバリ「台湾論と日本論」です。謝さんの本は文章に温かみがあります。韓国人が書いた「イルボヌン・オプタ」とは全然違いますね。第一章の「私の日本好きの原点」で「父の思い出」「母の思い出」の小見出しがありますが、まさに台湾人の親日は親の影響を過分に受けていると思います。

あと41ページの「日本人は、台湾人の親日を信じたくない?」を読んでいて、むかしの朝生を思い出しました。金美齢さんが日本人を評価する発言をした後、大島監督が怒鳴って「俺は台湾人が親日だとは信じない。そういうこと言うから日本人は台湾人の親日に甘えてダメになるんだ!」的な発言をしていました。金さんはその発言に憤慨して「好きなものを好きと言ってなにがいけないの?」と言っていました。

我々日本人は、かの国の国民から「馬鹿野郎・この野郎」発言を嫌というほど聞かされ、身に染みておりますから、台湾人の親日発言を聞くと、ある種の日本人は「そんなことない。俺たちはやはり馬鹿野郎この野郎の国民なんだ」とパブロフの犬のように条件反射(ここでは自己下卑)してしまうのでしょう。

さて、掲題の件ですが、下記に『朝鮮変乱詳細地図』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenhenran-1894/
(韓国人の捏造主張を防ぐため、鬱陵島拡大図はコメント挿入予定)

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)

next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『皇城新聞』1900年9月23日
『皇城新聞』1906年5月9日
『皇城新聞』1906年7月13日
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「出雲丸が沖縄県庁に報告書提出」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『朝鮮変乱詳細地図』(本日アップロード完了!)
『朝鮮国全図』(木村文造)
『韓国水産業調査報告』
『軍艦金剛南洋諸島及濠洲航海報告』
『最近朝鮮事情要覧』
『Korea and Her Neighbours』
『遊歴日本図経』
『大日本輿地図』
『韓国地理』


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「"独島=韓国の独島"立証する日本古地図発見」
http://www.youtube.com/watch?v=6Ke2NpT6m4w
日本古地図発見…保坂祐二教授   その①
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=96397&servcode=A00§code=A10
日本古地図発見…保坂祐二教授   その②
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=96398&servcode=400§code=420
独島を韓国領と記した日本地図発見、保坂世宗大教授
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080222-00000012-yonh-kr

Re: ソウルからヨボセヨ 韓国で“竹島”人

投稿者: park_sinyang_corea 投稿日時: 2008/04/15 15:21 投稿番号: [16439 / 18519]
>というよりは、確固たる国家観でなく、下らん民族主義による反日の材料に過ぎない。だからハーグ国際法廷で白黒つけるのが怖いのが本音だろう。

そもそも自国の領土なのに、日本が文句を言うからといって裁判をする必要は全くない。
いちゃもんをつけるのはやくざと一緒でしょう。

韓国戦争特需で経済成長した漁夫の利国家はロシアとも中国とも領土問題を抱えている。
いい加減強欲を抑制したほうがいいと思うが。
欲張るにも程度があるのでは?

Re: 察するに

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/04/15 13:26 投稿番号: [16438 / 18519]
  ほほう、どうということもない話ですか。
  なるほど。

  ご指摘の通り、金元俊なる人物は独島が于山島とは考えなかったようですが、同時に竹島(日本名:竹嶼)や観音島が于山島とも考えなかった、当時の意識も窺い知ることが出来ました。
  このことで、現地人の感覚では竹島(日本名:竹嶼)や観音島を于山島に比定するのは相当な無理があるとの感を一層強くしました。おかげさまで、よい史料を拝見させていただきました。

re3)徳川初期の鬱陵島領有意識

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/15 01:28 投稿番号: [16437 / 18519]
  通航一覧129巻に次のとおりです。
  http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka49/tukoichiran-1853/3-06.jpg
   元和六庚申年、宗對馬守義成、命によりて、竹島(朝鮮國屬島)に於て潜商のもの二人を捕へて京師に送る(その罪科いま所見なし)、 -- 以下省略 --
  ----------------------------
   この様に、鬱陵島に対する警察権を徳川幕府が有していたことが明らかです。
   ここにおいて、「竹島(朝鮮國屬島)」の部分のみを捉えて、初期の徳川政権が鬱陵島を朝鮮領と認識していたと主張する人がいますが、この按記は幕末の徳川政権がしたものであり、この認識の変化に合理的理由があるのですから、かかる主張は成立しません。


  又、万機要覧に次のとおりです。
  http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/mankiyouran.html
   倭人が言うには 「鬱陵島が貴国の領土であったことはよく分かるが、壬辰の乱の後には、日本の所になり、人が占拠していると貴国の 《芝峯類説》に書いてあるのではないか?」と言った。
   首席歴官・朴再興が言うには、「芝峯類説の中には誠にその言葉がある。しかし、あるこれにあるからといって、それを絶対にそのように見てはいけない。壬辰の乱の時に、日本兵が我が境の中に深く入って来て、西方では平安道に至ったし、北では咸境道まで至った。大小の海岸地方の郡邑たちは、皆、乱の兵に占領されたところ、鬱陵一島もそうではない。どうして壬辰乱の時に乱の兵たちが占拠したことをもって言うのか?   類説の所論を援用することはできない。さらに文士の一時的な漫筆で何を明らかに証明するになるか」と言った。
  ----------------------------
   この様に、徳川初期において、鬱陵島は「征服」によって日本領となっていたと、朝鮮政府が認めているのです。朝鮮政府が言っているのは、「併合」とか「割譲」による領有権の移転が無いというものに過ぎません。


  世界2005年6月号に、内藤氏の論文が載っています。
   朝鮮政府は15世紀以来、島に人がいたら倭寇が攻めてくるといって、鬱陵島を無人にする空島政策をとってきていたが、もちろん領有権を放棄したわけではない。米子町人は無人島であるために渡海事業をつづけることができたが、それは空家に持主の了解なしに入り込み、宝物を奪って帰るに似た行為といわねばならず、そうした泥棒行為を外務省のホームページのように、「我が国は、遅くとも17世紀半ばには、実効的支配に基づく竹島の領有権を確立していた」というわけにはゆかないのである。
  ----------------------------
   この様に、国家権力が個人財産を保護している論理を、国家間の領有権問題に適用して我論を維持する学者がいます。鬱陵島開発が「泥棒行為」でないことは上のとおりです。仮に、この論理が許されるとして、「空家に持主の了解なしに入り込み、宝物を奪って帰る・・・行為」を平穏に70年間ものあいだ継続した場合、「時効」による取得が成立するのが普通です。
   尚、元禄期の竹島の話をしていて、結論だけ現竹島の話にしてしまうのは、よく取られる詐術です。

Re: 察するに

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/04/14 23:03 投稿番号: [16436 / 18519]
鬱陵島に住む金元俊なる人物は竹島が于山島だとは考えなかったと同時に、このことを報道した毎日申報も于山島の所在について格別の知識は無かったわけですが、これらのことは、歴史上の事実としては別にどうということもない話ですね。

察するに

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/04/14 21:15 投稿番号: [16435 / 18519]
  1913年頃の様子が良く分かります。

1.日本海軍の発行する海図を民間人が入手できた(これは以前指摘したとおり、市販されている)
2.民間にも絵図が伝承されており、欝陵島から相当な距離(北東に4〜50里)に于山島があるとの認識があった。

  その民間人は、海図に記載された獨島(日本名竹島)を于山島だとは考えなかったと同時に、竹嶼とも考えなかったわけですか。
  ふむ

Re: 于山島はどこ? in 1913

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/04/14 20:47 投稿番号: [16434 / 18519]
  興味深い記事ですね。

  欝島郡が慶尚南道から慶尚北道へ移管されるのが丁度その頃です。移管後、時を置かずに「郡」から「島」へ格下げになりますので、1914~15年頃には欝島郡の名称は消滅します。
  1915年の職員録には欝陵島島司茶谷榮治郎の記載があります。
  また、その頃の海図には、勿論「于山島」の記載はなく(「石島」もない)冒険心旺盛な島民が海図にない島を探検したくなったのでしょうか。

Re: 外務省パンフレットへの批判2、(3)

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/04/14 19:45 投稿番号: [16433 / 18519]
  Am I AHOです。

  半月城さん
>   おわりにパンフレットは『新増東国輿地勝覧』の付属絵図を批判しましたが、そもそも絵図は地図と違って、不正確なのが特徴です。しかも『東国輿地勝覧』のように16世紀の絵図とあっては、離島などはその位置や大きさなど、ほとんどデタラメに近くて当然です。

  確かに仰るとおり、16世紀頃の絵図を無理無理地図に重ね合わせれば、位置や大きさなどは、ほとんどデタラメに近くて当然です。
  しかし17世紀から18世紀にかけての「欝陵島図形」では、于山島は「大于山」と「小于山」として記されるなど、現実の独島(東島と西島)に近い表現がされているようです。
  これは三峰島探査の結果、島の中央部に通水していることが判明した結果が、絵図に反映しているものと思われます。
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