竹島

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

修正

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 18:03 投稿番号: [1432 / 18519]
たいした影響があるわけでもないのだが、一応修正ね


また、日本が1905年2月から1906年3月の間に何も抗議が無かったという主張をしているのであれば、「告示された証拠の有無」が論点となるでしょうね


また、日本が1905年2月から1906年3月の間に【韓国から】何も抗議が無かったという主張をしているのであれば、「告示された証拠の有無」が論点となるでしょうね

必要ないからねえ

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 18:00 投稿番号: [1431 / 18519]
せっかく色々長々とお書きのようですが

そもそも「告示されたという証拠」が必要となるのは韓国の主張が次の場合である時に限られます

・日本への編入の事実を知らなかったので抗議できなかった


さて、残念ですが、1906年3月(韓国独島発見記念日)に島根県の神田由太郎が鬱陵島郡守沈興沢に編入した事実を告げ、竹島で捕獲したあしか一頭をプレゼントしております。

またこれが重要ですが、この報告を受けた韓国政府はなんら行動を起こしてませんね。

正直なところ、この時韓国政府が何らかの抗議行動を起こしていれば、竹島領有問題は全く違う様相を呈していたでしょう

また、日本が1905年2月から1906年3月の間に何も抗議が無かったという主張をしているのであれば、「告示された証拠の有無」が論点となるでしょうね

しかしながら残念なことにどちらも当てはまりません

つまり、「告示されたという証拠の有無」は全く論点となり得ないことが子供でもおわかりいただけるかと思います。

で、先占の要件となる実行支配の根拠は見つかりましたか?

さてお立ち会い

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 17:33 投稿番号: [1430 / 18519]
「島根県告示はなかった。」とされれば、普通は実際に告示された証拠を出せば済む話であろう。
論ナシゴミキャラが何を喚こうとも、実際に告示された証拠が無ければ話にならないと思われ。
ジクーリ高見の見物としゃれこむべえ。

独島博物館よりコピペ
『島展望ロビーにはいわゆる「島根県告示40号」が実際告示されなかったことを証明する日本の官報及び新聞資料が集中的に展示されている。この展示物は第2展示室の展示内容と繋るものである。 日本は「無主地先占論」の根拠として彼らが1905年2月22日独島編入事実を告示したという 「島根県告示40号」を取り上げている。しかし、この告示が実際告示されたという証拠は現在探すことができない。

一番目、まず島根県庁に告示が掲示されたという1905年2月22日、島根県報と訓令報にはどこにも「島根県告示40号」の内容がない。それのみならず当時日本政府の官報においても「島根県告示40号」という告示は掲載されなかった。最後に日本にただ1枚保管されている「島根県告示40号」の原文は告示用ではなく回覧用である。それでは1905年2月22日独島編入事実が告示されたという証拠はどこにもない。 二番目、独島不法侵奪約3ヶ月後に行ったロシアバルチク艦隊との海戦で勝った日本は当時 海戦状況官報号外と新聞に載せた。どころが、1905年5月29日と30日発行の官報号外には3ヶ月前に告示されたという 「島根県告示40号」の内容が反映されなかった。即ち、告示を通じて「竹島」に名称が変更された独島を依然と以前の名称である「リヤンコルド岩」で指称した。また 1905年5月30・31日〜6月1日に掛けてバルチク艦隊との海戦の勝利を伝えた当時の日本新聞も 等しく独島を「竹島」と言わずに、「リヤンコルド岩」と表記した。この新聞の内容は当時日本の聯合艦隊司令官である東郷平八郎の報告電文を資料に作成されたものである。


それでは、告示が行って3ヶ月も過ぎているのに日本政府の官報発行機関と連合艦隊の司令官、そして日本の新聞、皆は「島根県告示40号」という告示の存在を知らなかったこと、即ち 独島の日本領土編入事実を知らなかったことになる。「竹島」という名称が日本官報に現れたのは1905年6月5日、以前の官報号外が修正されて以後であり、日本の新聞も同じく訂正記事を掲載した官報が出た後一斉に「竹島」という名称を使い始めた。


以上の事実は独島の領土編入が極秘裡に進行された不法的なものであり、いわゆる告示というのはごく少数の人のみが読み回した回覧に過ぎないもので、決して告示として存在しなかったことを証明してくれる。もしこの告示が日本の主張とおり明らかに告示されたものであればそれを 証明することは日本の分である。 しかし、日本はまだこれを証明できる資料を提示しなかった。結局、日本が韓日間の独島領有権論争において明白であり唯一な近代法的証拠として先に立たせる 「島根県告示40号」は国際法のみならず国内法的にも全く法的根拠のないものであり、むしろ所謂「合法的領土編入」は実は「不法的強制占領」であった事実を反証する明白な証拠資料になる。』

先占とは

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 17:30 投稿番号: [1429 / 18519]
はっきり言ってこのトピのほとんどの参加者には釈迦に説法なのですが、お一人ほど「絶望的に理解力に欠ける」お方がおられるようなので、国際法のおさらいでもしときましょう。

この「絶望的に理解力に欠ける」お方はなんと「かつて見た島影がそうだったかもしれん」事実を持って、「先占」であるというとんでもない勘違いをされているようです。

「絶望的に理解力に欠ける」お方は、同時に「絶望的に無知なお方」でもあるようですね。

先占の解釈をあげときます。はてさて、見たかもしれないという事実は何を意味するのでしょうか?

--

領域権原   領域取得を国際法上有効に他国に主張しえる根拠となる事実

原始取得   いずれの国の領域にも属していなかった地域の領域への編入

  先占 無主地を実効的に支配することによる領域の取得
    ①無主地    いかなる国の領域でもないこと
     # 1975年西サハラ事件
      当該時期(19世紀後半)の国家実行によれば、社会的・政治的組織を有する部
     族や人民の居住する地域は無主地とはみなされていなかったと判示
    ②平穏かつ実効的占有   その土地に国家権力が現実に及んでいること
     ・関係地域における地方行政の実施、裁判権の行使、立法行為
       *1953年マンキエ・エクレオ諸島事件
     ・絶海の孤島や極地の場合の定期的査察や行政的取締
     ・利害関係国の抗議の欠如
     − 国旗や掲示板をたてるなどの象徴的な行為では不十分
       # 領有宣言という象徴的な領土編入行為による占有を認めた事例もある
          * 1941年クリッパートン島事件
     − 発見は未成熟な権原であり実効的占有による補完が必要
        *1928年パルマス島事件
    ③領有の意思   領有宣言、公式地図への記載、立法・行政上の措置

>>>>三石列立

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 17:27 投稿番号: [1428 / 18519]
お前さん、方向感覚あんのか。
ちょい北の方から見れば、西は右だろ。

ちょい北からのアングルで、西島の手前右側に小島が写ってるね。
これを西側に回り込めば、西島正面の手前になるだろ。
西島の手前は、西島の西だろうが。

>>>三石列立

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 17:17 投稿番号: [1427 / 18519]
>ちょい北側からのアングルだが、西島の手前に小島がちゃんと映ってるね。

  手前じゃなくて中島の「西」ね。何れにしても順番、アングルがめちゃくちゃ。

残念ながら

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 17:15 投稿番号: [1426 / 18519]
>現在日本領派が最後の砦にしている「島根県告示40号」すら「告示されていなかった。」んですねえ。

残念ながら韓国以外はそう思ってないらしいですね

しかもちゃんと翌年には韓国内でも告示の事実を知られております。それが証拠にようやく「独島」と呼ぶようになったではないですか(笑

島根県の告示が韓国での竹島の発見に等しい事実であることを忘れてはなりません(笑

もっとびっくりするのは

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 17:12 投稿番号: [1425 / 18519]
http://www.gbtour.net/Nadri/jpn_photo_read?search=ALL&searchstring=&p_startpage=1&p_currpage=1&photo_no=148

20世紀まで存在すらまともに認識していなかった国の国民が他国領にここまで横恋慕することでしょうな

まったくストーカー国とは言いえて妙です

教育ってのは恐ろしいです

>>三石列立

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 17:10 投稿番号: [1424 / 18519]
ああ、こっちも訂正しとこう。

http://www.gbtour.net/Nadri/jpn_photo_read?photo_no=129&search=ALL&searchstring=&p_startpage=1&p_currpage=4

ちょい北側からのアングルだが、西島の手前に小島がちゃんと映ってるね。

次々暴かれる日本側の大嘘

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 17:07 投稿番号: [1423 / 18519]
いやはや、ビクーリすますた。

現在日本領派が最後の砦にしている「島根県告示40号」すら「告示されていなかった。」んですねえ。

日本が朝鮮の島を不法に強奪しようと、秘密裏に編入したことは明白ですねえ。

>三石列立

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 17:05 投稿番号: [1422 / 18519]
http://www.gbtour.net/Nadri/jpn_photo_read?photo_no=135&search=ALL&searchstring= &p_startpage=1&p_currpage=3

「望見則」です。アングルがばらばらですな。西から見たのに拘りがあったんじゃないの?西島の西の「小島」は?

>ほんとうは

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:56 投稿番号: [1421 / 18519]
本国にも真面目な良サイトあり。
以下独島博物館のコピペ

『島展望ロビーにはいわゆる「島根県告示40号」が実際告示されなかったことを証明する日本の官報及び新聞資料が集中的に展示されている。この展示物は第2展示室の展示内容と繋るものである。 日本は「無主地先占論」の根拠として彼らが1905年2月22日独島編入事実を告示したという 「島根県告示40号」を取り上げている。しかし、この告示が実際告示されたという証拠は現在探すことができない。

一番目、まず島根県庁に告示が掲示されたという1905年2月22日、島根県報と訓令報にはどこにも「島根県告示40号」の内容がない。それのみならず当時日本政府の官報においても「島根県告示40号」という告示は掲載されなかった。最後に日本にただ1枚保管されている「島根県告示40号」の原文は告示用ではなく回覧用である。それでは1905年2月22日独島編入事実が告示されたという証拠はどこにもない。 二番目、独島不法侵奪約3ヶ月後に行ったロシアバルチク艦隊との海戦で勝った日本は当時 海戦状況官報号外と新聞に載せた。どころが、1905年5月29日と30日発行の官報号外には3ヶ月前に告示されたという 「島根県告示40号」の内容が反映されなかった。即ち、告示を通じて「竹島」に名称が変更された独島を依然と以前の名称である「リヤンコルド岩」で指称した。また 1905年5月30・31日〜6月1日に掛けてバルチク艦隊との海戦の勝利を伝えた当時の日本新聞も 等しく独島を「竹島」と言わずに、「リヤンコルド岩」と表記した。この新聞の内容は当時日本の聯合艦隊司令官である東郷平八郎の報告電文を資料に作成されたものである。


それでは、告示が行って3ヶ月も過ぎているのに日本政府の官報発行機関と連合艦隊の司令官、そして日本の新聞、皆は「島根県告示40号」という告示の存在を知らなかったこと、即ち 独島の日本領土編入事実を知らなかったことになる。「竹島」という名称が日本官報に現れたのは1905年6月5日、以前の官報号外が修正されて以後であり、日本の新聞も同じく訂正記事を掲載した官報が出た後一斉に「竹島」という名称を使い始めた。


以上の事実は独島の領土編入が極秘裡に進行された不法的なものであり、いわゆる告示というのはごく少数の人のみが読み回した回覧に過ぎないもので、決して告示として存在しなかったことを証明してくれる。もしこの告示が日本の主張とおり明らかに告示されたものであればそれを 証明することは日本の分である。 しかし、日本はまだこれを証明できる資料を提示しなかった。結局、日本が韓日間の独島領有権論争において明白であり唯一な近代法的証拠として先に立たせる 「島根県告示40号」は国際法のみならず国内法的にも全く法的根拠のないものであり、むしろ所謂「合法的領土編入」は実は「不法的強制占領」であった事実を反証する明白な証拠資料になる。』

いっけねえ

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:47 投稿番号: [1420 / 18519]
>>どこが?三石はどれ?その次の小島は?巌石は?中島は?その西の小島は?それに、これは北からの写真でおま。

>うんにゃ、ちょい南よりからのアングル。
右が東島ね。

悪ぃ、間違えた。
北からのアングル。左が東島が正しい。

三石列立

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:44 投稿番号: [1419 / 18519]
http://www.gbtour.net/Nadri/jpn_photo_read?photo_no=135&search=ALL&searchstring=&p_startpage=1&p_currpage=3

>どこが?三石はどれ?その次の小島は?巌石は?中島は?その西の小島は?それに、これは北からの写真でおま。

うんにゃ、ちょい南よりからのアングル。
右が東島ね。

http://www.gbtour.net/Nadri/jpn_photo_read?photo_no=129&search=ALL&searchstring=&p_startpage=1&p_currpage=4

中島は東島だろう。手前に小島も見える。
東島と西島の間に小島や巌石もしっかりある。
勿論、相互間に海水が流入していることは言うまでもない。

>三峯島は独島である

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 16:39 投稿番号: [1418 / 18519]
>そのまんまやんけ。

どこが?三石はどれ?その次の小島は?巌石は?中島は?その西の小島は?それに、これは北からの写真でおま。

三峯島は独島である

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:32 投稿番号: [1417 / 18519]
-------------------------------------------- -
25日、島の西7,8里に碇泊し望見した。島の北には三石が列立し、次に小島がある。次に巌石が列立し、次に中島がある。中島の西にまた小島がある。みな海水が通じて流れている。
-------------------------------------------- -

http://www.gbtour.net/Nadri/jpn_photo_read?photo_no=131&search=ALL&searchstring=&p_startpage=1&p_currpage=4

そのまんまやんけ。

ほんとうは

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/03/09 16:29 投稿番号: [1416 / 18519]
竹島トピには在日の方ばかりじゃなく、韓国本国人にこそ、どんどん参加して議論してほしいと思っています。

韓国本国人の方たちはほんとうに韓国人としてのプライドがあるなら在日トピを荒らしたりせず、韓国の名誉をかけて、こういうところで議論をちゃんとやってほしいものだと思っています。

せっかく在日の半月城さんや師匠が頑張っているのに・・・


ときたまここに現れる韓国本国人は竹島は問答無用で韓国のものだから根拠を求められることさえ屈辱的だとか何とか言って、感情論を爆発させるだけで、ちゃんと冷静に根拠論で論戦できる人が誰もいないんですよね。
少なくとも今までは誰もいませんでした。
いても既に論破されているシンヨンハ教授の説のコピペがせいぜい。
あとは、我々はこんなに独島を愛しているとか、そんな感情論ばかり。

韓国にも根拠なり理屈はあるが、日本にも根拠も理屈もある。
話し合いさえ拒否する韓国の態度をよく思わない日本人は少なくないと思います。
このことが韓国にとって、かなりイメージダウンにつながっていることは理解してください。

いつか、冷静に正面からこういう議論をできるようになってこそ日韓関係が成熟したときなのかなと思います。

実質的には漁業問題さえ円満に解決できれば、感情論になりがちで、やりだしたら韓国としても後には引けない議論は当面棚上げというのが現実的な選択なのでしょう。

遊んでくれてありがとうございました。

>>>写真で三峰島

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 16:25 投稿番号: [1415 / 18519]
>島の東から見たと言いたい訳か。中島の西の二つの小島が良く見えたな。

------------------------------------ -
高麗大学校申教授の主張
「金自周が語った島の北方に三石が列立しているというのは、西島北方に高くそびえた三つの岩島をいったものである」といい、また、中島は西島のことで、小島と岩石とは東島と西島の間に散在している無数の岩を指している
------------------------------------ -

10mに満たない無数の岩が512mの西島の陰にかくれずに、よく見えましたな。しかも、金自周は、島と石を区別してるのに、「無数の岩」でごまかしてるし(笑)

>>写真で三峰島

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:03 投稿番号: [1414 / 18519]
>それは、半けつ解釈。もともとは、「西距島七八里許到泊」。島「へは」西7,8里という解釈もできるんじゃないの?漢文に詳しい方よろぴこ。

島の東から見たと言いたい訳か。
中島の西の二つの小島が良く見えたな。

三峯島は明らかに独島である。

>写真で三峰島

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 15:59 投稿番号: [1413 / 18519]
それは、半けつ解釈。もともとは、「西距島七八里許到泊」。島「へは」西7,8里という解釈もできるんじゃないの?漢文に詳しい方よろぴこ。

>>>>>写真で検証 三峰島

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 15:50 投稿番号: [1412 / 18519]
henchin_pokoider01 wrote
-------------------------------------------- -
25日、島の西7,8里に碇泊し望見した。島の北には三石が列立し、次に小島がある。次に巌石が列立し、次に中島がある。中島の西にまた小島がある。みな海水が通じて流れている。
-------------------------------------------- -

henchin_pokoider01は、三峯島は鬱陵島だと言う。
だが、鬱陵島の西7,8里に碇泊した船から望見するだけで、島の反対側にある竹嶼まで望見できるのか。
観音島すら望見できるか怪しいものである。

鬱陵島は透明だとでも言いたいのだろうか。訝しいこともあるものだ。

三峯島は明らかに独島である。

>>>>写真で検証 三峰島

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 15:47 投稿番号: [1411 / 18519]
>で、お前は鬱陵島の西から竹嶼が望見できたと言いたいわけ?

もともとは、「西距島七八里許到泊」ね。解釈は半けつさんのものだから。泊まった位置でしょ。壬辰条及び描写の状況から三峯島は、鬱陵島と判断して間違いないでしょ。

竹嶼は見えない

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 15:31 投稿番号: [1410 / 18519]
henchin_pokoider01 wrote
-------------------------------------------- -
25日、島の西7,8里に碇泊し望見した。島の北には三石が列立し、次に小島がある。次に巌石が列立し、次に中島がある。中島の西にまた小島がある。みな海水が通じて流れている。
-------------------------------------------- -

henchin_pokoider01は、三峯島は鬱陵島だと言う。
だが、鬱陵島の西7,8里に碇泊した船から望見するだけで、島の反対側にある竹嶼まで望見できるのか。
観音島すら望見できるか怪しいものである。

鬱陵島は透明だとでも言いたいのだろうか。訝しいこともあるものだ。

三峯島は明らかに独島である。

>>>写真で検証 三峰島

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 15:21 投稿番号: [1409 / 18519]
で、お前は鬱陵島の西から竹嶼が望見できたと言いたいわけ?

やって見せて。

>>写真で検証 三峰島

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 15:19 投稿番号: [1408 / 18519]
>東と西の区別出来てるか?

  おおこれは、失礼!!

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2800/takeshima/ullungdo-map.jpg
  けど、奥にあるね。明確に2つの「島」が。これはシミじゃないな。ご忠告でより一層、はっきり鬱陵島周辺の島を西から北から南へと描写したことが明らかになりました。ありがとう。

>写真で検証 三峰島

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 15:14 投稿番号: [1407 / 18519]
相変わらず妄想逞しい奴。

>【中島の西にまた小島】
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2800/takeshima/ullungdo-map.jpg
を見ると、chukdoの西に2つのシミのようなものがある。写真は見つけられなかった。

東と西の区別出来てるか?
まあ、せいぜい血眼になって探してみ。

写真で検証 三峰島

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 14:59 投稿番号: [1406 / 18519]
-------------------------------------------- -
25日、島の西7,8里に碇泊し望見した。島の北には三石が列立し、次に小島がある。次に巌石が列立し、次に中島がある。中島の西にまた小島がある。みな海水が通じて流れている。
-------------------------------------------- -

【三石】
http://welcome.korea.com/japanese/cities/gyeongju_around03.html
上がサムソナムの写真。
http://member.nifty.ne.jp/VEA02651/ullung_meisyo.gif
サムソナムの位置

【次に小島】
http://member.nifty.ne.jp/VEA02651/ullung_kanumdo.jpg
右が観音島で左が鬱陵島。2つの間の真ん中に小さい島が見える。

【次に巌石】
http://member.nifty.ne.jp/VEA02651/ullung_kanumdo.jpg
右が観音島

【次に中島】
http://member.nifty.ne.jp/VEA02651/ullung_chukto.jpg
chukdo

【中島の西にまた小島】
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2800/takeshima/ullungdo-map.jpg
を見ると、chukdoの西に2つのシミのようなものがある。写真は見つけられなかった。

-------------------------------------------- -
三石=サンソナム、その次の小島=観音島と鬱陵島の間の小島、巌石=観音島、中島=chukdo、中島の西の小島=chukdo西のシミ?
-------------------------------------------- -

で鬱陵島の西のほうから北→南に向けて描写したとすれば、ピッタリ!!
写真を見ると「みな海水が通じて流れている」という表現も頷ける。地図のchukdoの西のシミが岩礁なのか本当のシミなのか確認はできてません。もう少し詳細な地図か写真がほしいな〜。

ああ ややこしくない

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 14:15 投稿番号: [1405 / 18519]
>大韓帝国の末期、竹島は島根県の一部になった。

日本の国内に限定した手続きが有効であっても、既に独島を領有している韓国が割譲した事実はないので完全に無効。

>日本に併合された大韓帝国は、日本が敗戦したあと、独立し、大韓民国となった。
>日本の領土領海は、サンフランシスコ条約に規定された。
>サンフランシスコ条約文中に、島根県竹島が大韓民国に所属するという記述はない。

二国間の国境は、いずれか一方の国が第三国と締結した条約に影響されない。
従って、サンフランシスコ条約によっては日本と韓国との国境は画定されない。

関係ない話を持ち出すな。馬鹿

>わからんじんさん

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 13:52 投稿番号: [1404 / 18519]
>朝鮮が鬱陵島に空島政策を実施していたころ、日本は江戸時代に鬱陵島を竹島、現竹島のことを松島と呼んで幕府は渡航許可をあたえて実行支配していたことはご存じのとおりです。
>これは私人の行為とはいえ幕府が許可を与えているのだから幕府の公認ですよね。

幕府が松島渡航許可を与えた証拠はない。
元外務官僚の川上某が「松島渡海免許」を捏造したことは既に発覚して居る。

>後に朝鮮国とトラブルがあり、安龍福事件などもあって、竹島(現鬱陵島)の方は朝鮮国のものと認め、渡航を禁止しましたが、一方、松島(現竹島)は渡航禁止にしませんでした。
>江戸時代から領有していたという証拠はあります。

いや、全くない。
唯一証拠らしき「松島渡海免許」も大嘘だったね。

>ただし、人も居住していない、作物がとれる訳でもない小さな島に台帳までは作らなかったのでしょう。正式な図版に編入したのは鳥取県に編入したのが最初なのでしょうね。

島根と言いたいのだろう。
そもそも江戸時代に領有していたのなら、幕府から政権を引き継いだ明治政府が明治初頭の地籍編纂時に編入しているはず。だが、朝鮮領なので出来なかった。

日本は朝鮮から島を奪おうとしたのだ。

わからんじんさん

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/03/09 13:40 投稿番号: [1403 / 18519]
いや、師匠・・・
ぼくは師匠のこと嫌いじゃないですよ。
楽しいキャラを作って遊んでください。

>松島は即ち朝鮮の于山島である。
>于山島には三峯島、可支島などの別称がある。

于山島、三峯島、可支島って竹島(韓国名:独島)であるという確たる証拠はないんじゃないでしょうか?
そう思いたい気持ちはわかりますが、むしろ鬱陵島である可能性のほうが強いと思います。
三国遺事に書かれた于山国が鬱陵島ってのは間違いないでしょ?
人がたくさん居住していて国とまで言われていたんだから。
それを于山国と于山島は別物で于山国は鬱陵島だけど于山島は竹島(韓国名:独島)っていう都合の良い半月城説にもかなり無理がありますし・・・
また地図で鬱陵島の西側に描かれた島を竹島(韓国名:独島)であるとするのもかなり無理があります。

いづれにしろ韓国(朝鮮)が竹島(韓国名:独島)を支配したって証拠は何もないんです。
ロマンティックな仮説としてはいろいろ考えられるとは思います。

朝鮮が鬱陵島に空島政策を実施していたころ、日本は江戸時代に鬱陵島を竹島、現竹島のことを松島と呼んで幕府は渡航許可をあたえて実行支配していたことはご存じのとおりです。
これは私人の行為とはいえ幕府が許可を与えているのだから幕府の公認ですよね。

後に朝鮮国とトラブルがあり、安龍福事件などもあって、竹島(現鬱陵島)の方は朝鮮国のものと認め、渡航を禁止しましたが、一方、松島(現竹島)は渡航禁止にしませんでした。
江戸時代から領有していたという証拠はあります。

ただし、人も居住していない、作物がとれる訳でもない小さな島に台帳までは作らなかったのでしょう。正式な図版に編入したのは鳥取県に編入したのが最初なのでしょうね。


一方、韓国はいくら国家事業だ何だと言っても、それが竹島(韓国名:独島)のことであると証明されなければ何の意味も価値もありません。

立派なものを提示すれば、たとえそれが勘違いでも、思いこみでも、疑義があり確定されなくても、立派な根拠があるとは言えないと思います。
根拠とは証明されてこそ価値のあるものだと思います。


>1900年には既に独島と呼ばれて居った。ただし表記は「石島」とすることもある。

それは何かの勘違いではないでしょうか?
1900年から漢字で独島と表記して、現在の竹島(韓国名:独島)の位置を現していましたか?

石島=竹島(韓国名:独島)説も単なるロマンティックな説としては拝聴しますが、確証はありません。

また暇なときにでもおつきあいください。

>>三峯島は竹島ね〜

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 13:39 投稿番号: [1402 / 18519]
また、得意のトリミング技ですか?

>>三峯島は竹島ね〜

投稿者: kusuo1 投稿日時: 2003/03/09 13:38 投稿番号: [1401 / 18519]
>それが四昼三夜を要するのだから、鬱陵島より遠方である(即ち独島である)ことは明白。

三峯島の記述が事実なら、竹島は水もない人の住めない無人島だから 三峯島とは違うな。
鬱陵島より遠方で人が住んでいるのは日本の隠岐があるから、竹島に気がつかずに通り越して日本まで来てた可能性もあるな。

「竹島一件」後の于山島認識2

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/09 13:27 投稿番号: [1400 / 18519]
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   なお、安龍福は前述のとおり元禄6年に日本へ連れ帰られているが、同人を連れ返った船は松島(今日の竹島)に立ち寄っている。したがって、同人は記録上今日の竹島に赴いた最初の朝鮮人ということになる。
   同人はその際今日の竹島を見、その名称(松島)も聞いたと考えるのが自然であるが、そうであれば後に同人が「松島はすなわち于山である」と述べたのは、この時の体験に鬱陵島・于山島があるという朝鮮における伝承を当てはめた結果であると考えられる(注4)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   塚本説は下條説よりはるかに説得力があります。下條氏は文献考証が恣意的なのか、安龍福の取り調べ時における3、4年前の手柄話をそのまま真実であるかのように採用し、我田引水的な主張を行っているようです。同氏の傾向を如実に示した例といえましょう。これでは学術論文に同氏の主張が引用されないのも無理はありません。

   さて「竹島一件」以降、朝鮮政府は日朝間で問題になった鬱陵島を定期的に捜討するようになりました。これは必然的に鬱陵島周辺の関心をよびおこしました。『粛宗実録』40年条によれば 1714年、江原道御使の趙錫命が嶺東地方の海防を論議しましたが、そこで鬱陵島周辺のことがこう記されました。
  <浦人の話をくわしく聞いてみると、「平海、蔚珍は鬱陵島からもっとも近い距離にあって、海路が少しもさえぎられることがない。鬱陵島東側から島嶼が続いて倭の境界と接している」ということである>
   この一節は日本との国境付近に朝鮮領の島があったことを示唆していると同時に、日本との境界付近まで浦人が行った可能性を語っています。国境付近のその島は名前が記されませんでしたが、これは于山島と考えるのが妥当なところです。もし、そのように『粛宗実録』に記されていたなら、竹島=独島問題に重要な史料になったことは疑いありません。

   さて「東国文献備考」に書かれた于山島=松島という認識は、その後の官撰史料でも再確認されました。まず『萬機要覧』(1808)をあげることができます。宋炳基氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「東国文献備考」に続いて19世紀はじめ(1808・純祖8年頃)には王命により『萬機要覧』が編纂された。そしてその軍政編4,海防東海条には『増補文献備考』に載せられた「東国文献備考」蔚珍条の付録記事、すなわち鬱陵島・于山島の位置と沿革、鬱陵島領有権紛糾、安龍福渡日事件等を余すところなく無くそのまま転載している。
   これは、于山島は朝鮮領であり、日本側で呼んでいる松島であるという「東国文献備考」の見解を『萬機要覧』でもそのまま継承使用していたことを意味しているのである。『萬機要覧』は国王が座右に置いて参考にする目的で編纂された政務指針書であった(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  『萬機要覧』にも「輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である」と書かれ、于山島=松島という認識は朝鮮でも盤石になりました。

(注1)下條正男「竹島問題、金炳烈氏に再反論する」『現代コリア』1999,5月号,P59
(注2)李燦「韓国古地図にみる獨島」(韓国語)『鬱陵島・獨島學術調査研究』韓国史學會,1978,P119
(注3)宋炳基『鬱陵島と獨島』(韓国語)檀国大学校出版部,1999
(注4)塚本孝「竹島領有問題の経緯(第2版)」『調査と情報』第289号、国会図書館,1996

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

>三峯島は竹島ね〜

投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 13:26 投稿番号: [1399 / 18519]
『有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流』

独島以外の何者でもない。

『乗舟行四昼三夜』

15世紀当時、鬱陵島へは順風で半日、風が悪くても二日あれば足りる。
それが四昼三夜を要するのだから、鬱陵島より遠方である(即ち独島である)ことは明白。

壬辰条に不利な点は何もない。

「竹島一件」後の于山島認識1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/09 13:26 投稿番号: [1398 / 18519]
   半月城です。
   私が安龍福の個人的な于山島=松島という認識を書いたのは、ある人の「東国文献備考」改竄発言を検証する意味あいもありました。それを具体的にみる前に再度確認すると「東国文献備考」(1770)に于山島と松島の関係がつぎのように記されました。
  「輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である」

  「東国文献備考」は官撰史料であるだけに、于山島=松島という認識は当時の朝鮮政府の見解を示すものでした。そのときの松島は現在の竹島=独島をさすだけに、下條氏は于山島=松島の記述にいたく不満なようで、そのためか改竄発言がこうなされました。
  <申景濬は、安龍福の供述で成立した「松島は即ち于山島なり」説に従い、あたかも『輿地志』の説のように(「東国文献備考」を)改竄したのである(注1)>

  「改竄」とはただならぬ言葉遣いです。そもそも「輿地志」(1656)の実物が現存しない以上、改竄したかどうかは知るすべがありません。すなわち改竄の証明は不可能です。それにもかかわらず、改竄したと言い切るなんて下條氏は研究者失格といわざるをえません。
   ここの会議室でも下條氏の説をすっかり信じ切っている人が多いようですが、『太宗実録』の誤読といい、『世宗実録』地理志の曲解といい、下條氏の発言にはあきれるばかりです。このような人の存在が竹島=独島問題をまぎれさせているのではないでしょうか。

  「東国文献備考」以降、「輿地志」の于山島=松島という認識は朝鮮の官撰史料ですっかり定着しました。これ以降、鬱陵島=于山島という一島説は消え去りました。それにともない于山島の地図も変化しましたが、それを宋氏はこう記しました。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   鬱陵島に対する地理的知識の拡大は地図作成にも影響を与え、于山島の位置が明確に浮き彫りにされたことも注目にあたいする。従来の地図、たとえば『新増東國輿地勝覧』に載せられた「八道總圖」や「江原道圖」は于山島を内陸側に、鬱陵島をその東側におき、ほとんど同じ大きさとし接近させて描いている。
   しかるに鄭尚驥(1679-1752)の「東國地圖」になると、鬱陵島が内陸側に、于山島がその東側に移されただけでなく、距離や大きさが正確に表記されたのを見ることができる(注2)。
   これは1694年(粛宗22)に三陟僉使・張漢相が鬱陵島東側300余里(120km)離れたところにある小さな島があるのを確認したことや、安龍福たちが于山島を直接踏査した事実とも関連して考えることができる。
   以来、朝鮮後期の地図には、たとえその位置が鬱陵島東南側に下がったりとか一定していないが、于山島あるいは子山島が継続して表示されている。これは鄭尚驥の「東國地圖」に影響を受けたのである。その一方、鬱陵島の他にある島が于山島という認識が継続しているのを意味しているのである(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  「竹島一件」のおかげで朝鮮では于山島に関する知識が次第に蓄積されてきたようでした。それに「愚民」安龍福の活動が一役かっていることはいうまでもありません。ところで安の「直接踏査」ですが、くだんの下條氏は、安龍福がみたのは于山島でなく隠岐島だったなどと、ここのショービニストが飛びつきそうなことを記しました(注1)。
   しかし、ある「竹島日本領派」の研究者は、安龍福と于山島の関係をもっと冷静に分析しました。塚本氏はこう述べました。
(つづく)

三峯島は竹島ね〜

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 12:38 投稿番号: [1397 / 18519]
金自周が見たのが、竹島だったらよかったのにね(笑)。高麗大学校申教授は、30余りの人形のようなものを「アシカ」と解釈したんだよね。アシカを「朝鮮人」と見間違えたのね。韓国のアシカって白い衣を着て火も使うのね。ビックリ。

【成宗実録72巻 世宗7年10月丁酉】
兵曹啓 永興人金自周供云 李道觀察使 以三峰島尋覓事 遣自周及宋永老 與前日往還 金興 金漢京 李吾乙亡等 十二人 給麻尚船五隻入送 去九月一六日 於鏡城地瓮仇味 發船向島 同日到宿富寧地青巌 一七日 到宿會寧地加麟串 一八日到宿慶源地末應大 二五日 西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流 亦海島之間 有如人形 別立者三〇 因疑惧 不得直到 畫島形而來 臣等 謂往年朴宗元 由江原道 發船遭風 不得直到 今漢京等 發船於鏡城瓮仇味 再由此路出入 至畫島形而來 今若更往 可以尋覓 請於明年四月風和時選有文武才者一人入送 從之

【成宗実録72巻 成宗7年10月壬辰条】
永安道観察使李克均馳啓   永興人金自周言往見三峯島   且図其形送自周以進   命問之自周対曰、於鏡城海浜   乗舟行四昼三夜   見島屹然而有人三十余列立   島口有烟気   其人衣白形貌遠不能詳   然其大?乃朝鮮人也   惧見執不能進也   賜襦衣二領

以上のように申教授の主張は根拠が薄弱なようです。やはり金自周がみた島は今日の鬱陵島と見るべきと思われます。

余談ですが、申教授は生粋の韓国人教授として竹島=独島を韓国領とすべく竹島=独島の史料を調査研究しております。そのなかでなぜか三峯島が鬱陵島だったことを示す重要な壬辰条にはまったくふれませんでした。それを公表すると韓国に不利になるので、故意に資料隠しをしたのではないかと疑われます。そうした教授であるだけに読むときは細心の注意が必要です。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=1079

『大東輿地図』再認識

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/08 08:45 投稿番号: [1396 / 18519]
   半月城です。
   以前、金正浩『大東輿地圖』に于山島は記載されなかったと書いたのですが、実は于山島が記載されている版もあることが判明しました。ちょっとした発見です。塚本氏によれば、国会図書館所蔵の筆彩本(1861頃)第14帖には于山島が描かれているとのことでした(注1)。おそらく最新版なのでしょう。塚本氏はさすが同図書館のプロです。
   塚本氏のコピーをみると、于山島は大きさが鬱陵島の1/15くらい、位置は鬱陵島の東に、形はやや人形のように描かれました。一方、鬱陵島の形は楕円に近く描かれており、いずれも実際の踏査は行われなかったようです。
   それにしても『大東輿地圖』が日本で大切に所蔵されていたとは意外でした。これは陸軍省あるいは朝鮮総督府あたりから受けついだのでしょうか。

(注1)塚本孝「竹島関係旧鳥取藩文書および絵図(下)」『レファレンス』
  1985,5月号,P100、国会図書館の請求記号は 292.1038-Ki 229d<W>

再掲 日本の領有主権の証拠

投稿者: tinopure 投稿日時: 2003/03/07 21:45 投稿番号: [1395 / 18519]
いろいろと議論「たけなわ」なようですが、ここらではっきりしていることだけあげておきます。

1905年   2月20日   島根県告示第40号において、竹島と命名し本県所属隠岐島司の所管と定める。

明治38年   島根県告示第40号
http://members.tripod.co.jp/hideki_kangeki/kokuzino40.JPG

1905年   9月5日   ポーツマス条約調印 第2次日韓協約 1905年11月17日調印
1945年   8月15日   第二次世界大戦   日本敗戦
1948年 8月15日   大韓民国樹立

実は、そんなにややこしくない。

大韓帝国の末期、竹島は島根県の一部になった。
日本に併合された大韓帝国は、日本が敗戦したあと、独立し、大韓民国となった。
日本の領土領海は、サンフランシスコ条約に規定された。
サンフランシスコ条約文中に、島根県竹島が大韓民国に所属するという記述はない。

結局、日本が軍隊を持っていない(つまり、軍事力を保持していない)のをいいことに
大韓民国は島根県竹島を不法占拠しているわけです。

以下は、参考にしていただけましたら幸いです。
竹島問題過去ログ
http://www.keroa.net/take/

竹島問題
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2800/takeshima/

竹島問題の現代的課題
http://ww1.enjoy.ne.jp/~koukokutenbo/takesima_monndai.htm#東国文献備考

カイロ宣言
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1943Cairo.html

ポツダム共同宣言
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1945Potsdam.html

日本国との平和条約(通称サンフランシスコ条約)
http://pw.room.ne.jp/~lawtext/1952T005.html
2条のaを参照

日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
http://duplex.tripod.co.jp/joyaku/js40-25.htm

何?前のと同じじゃないかって?
・・・だって、韓国側の主張も進んでないし、新しい証拠も歴史的事実も出てないもの。
いまだ、上記の事実は覆されていないと思います。

【再掲】竹島問題の解決について(まとめ)

投稿者: nobuo_shoudoshima 投稿日時: 2003/03/07 21:44 投稿番号: [1394 / 18519]
何度書いても一部の絶望的に愚かで理解力の劣る方には理解してもらえないので困っています。(苦笑)

領土紛争の解決について、
外務省のサイトによれば、



------------------------------------
(注:1954年(昭和29年)9月、我が国は本件問題につき国際司法裁判所に提訴することを提案したが、韓国側は右提案を拒否。なお、日韓両国間では国交正常化の際に「紛争の解決に関する交換公文」を締結。)
------------------------------------



とあります。


韓国側とは国際司法裁判所への提訴につき合意が成立していないという事実について記載されています。


国際司法裁判所は紛争当事者双方の合意がなければ裁判ができません。

なお、上記の「紛争の解決に関する交換公文」によると



------------------------------------
両国政府は,別段の合意がある場合を除くほか,両国間の紛争は,まず,外交上の経路を通じて解決するものとし,これにより解決することができなかつた場合は,両国政府が合意する手続に従い,調停によつて解決を図るものとする。
------------------------------------



となっています。


紛争の解決手段として、外交経路で解決できなかった場合には調停によって解決する、とされています。


あくまで領土問題で対立するのであれば、国際司法裁判所で解決を図るのが適当です。



国際司法裁判所ではどのように考慮されるのかということについては、検索の結果、下記の事柄がわかりました。



以下、韓国語サイト
http://user.chollian.net/~zstokdo/t_home/txt_03.htm
より引用。



------------------------------------
それさえも我が方の成果なら独島に対する実效的支配を暗黙的にインゾングバッアッダはのであるようだが, なるほどそうかよく見よう. 領有権紛争において実效的支配の認定は両国間の紛争地域が国際司法裁判所にフェブドエあ判決を受ける時有利な場合があるから必要だ. しかし実效敵支配の效果を見ようとすれば二つの要件が充足されなければならない. 一つは版ギョルシ証拠資料採択可否の決定時限になる ‘決定的 期日(critical date)’に属しなければならないというのだ.
現在韓日間にお互いに主張が違うが国際判例や国内多くの国際法学者野の見解では独島問題の決定的期日は日本の主張どおり日本が妻うーん公式抗議を申し立てた 1952年2月 28日になる可能性が高いことでなっている. それならこの以後の実效的支配は領有権判決 の時全然故リョの対象にならないという話だ. 実效的支配の二番目要件は平穏で継続的な支配ではなければならないというのに, 現在私たち警察駐屯の支配が果して平穏な支配に当たるかも論難の対象になる可能性がある.
------------------------------------



まとめると、

国際司法裁判所での審判に重要な要素として、実効的支配の有無がある。
単に「地図に載っていた」「歴史書に記載がある」という程度では無意味である。
そして、過去に朝鮮が竹島を支配していたという証拠は皆無である。

また、実効的支配の効果を満たすには二つの要件がある。



1)証拠資料採択可否の決定時限になる決定的期日(critical date)

2)平穏で継続的な支配



1)については日本が公式抗議を申し立てた1952年2月28日になる可能性が高い。
つまり、それ以降の資料は考慮の対象とはならない。



2)について、警察の駐屯などが平穏で継続的な支配にあたるか疑問。

ということだそうです。

現状では圧倒的に韓国に不利という事実があります。

竹島に警察が駐屯している事実はむしろ韓国側の自爆の可能性もあります。

違う韓国領派が参加しないかな

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/07 21:43 投稿番号: [1393 / 18519]
さっき、なぜ韓国人は、嫌われるのか?トピで結構まともな韓国人と少し話しました。

こんなのばかりですっかりつまんないので、このトピを盛り上げるためにもまともな韓国領派をリクルートしようと思ったんですけどね(笑

韓国人にもまともなやつはいるって分かったんで、なんとか救えないかなと思ってちょっときっかけ与えたつもりだったけど、無駄だったみたいです

コミュニケーション不能のやつ相手にするのもばかばかしくなってきたね
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)