南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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〔中国の洗脳は〕完全な真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/21 16:21 投稿番号: [39200 / 41162]
第二次大戦末期の44年7月,米国は中国共産党の根拠地延安に軍事視察団を派遣した.当時八路軍は捕虜を反戦兵士として育成し,日本軍に対する有効なプロパガンダ戦を展開していた.米国は八路軍の戦略を学んで,日本兵の戦闘心をそぐことによって太平洋戦線での自軍の犠牲を減らすとともに,来るべき日本占領を円滑に進めたいと考えていた.また中国共産党も,自らを世界に宣伝する格好の機会ととらえ,視察団に進んで情報を提供する.本書は,視察団派遣の44年7月から,米国と中国共産党との関係に陰りが兆す45年前半までの束の間の「米中蜜月時代」に,米戦時情報局によって作成・配布された71本のリポートの全訳である.加えて本書では,リポートで取り上げられたビラのうち土屋礼子氏(大阪市立大学教授)が収集したもの約270点を併せて収録した.巻末の年表・地図などの付録とともにリポートの立体的解読を可能にするものである.
  本レポートの取り扱うテーマは多岐にわたるが,その柱は以下の三点である.1)共産党・八路軍の日本人捕虜に対する処遇の歴史及びその実態.開戦以来「日本人捕虜を優遇せよ」とたびたび命令してきた八路軍の戦略が具体的に記されている.2)野坂参三が米軍に提供した情報の詳細.彼個人の経歴から,秘密ルートを通じてもたらされる日本国内の最新情報にまで及ぶ.野坂は当時延安にあって岡野進と名乗り,捕虜教育等の諸活動に当たっていた.3)日本兵捕虜たちによる反戦活動の内容,彼らを対象にした,さまざまな意識調査の結果,米軍が作成した日本兵向けビラや放送原稿に対する批評など.
  本書によって明らかになることは多いが,とりあえず3点だけをあげておく.まず,1)当時の米中関係の実態は,その後の情勢の急変(冷戦)で長い間ベールに包まれていたが,今回その一端が明らかになる.2)米国は44年の後半には日本の敗北を確信し,その後は日本進駐時の自軍の人的被害を避ける方策を探っていた.その米国が日本占領のデザインを考える上で天皇と天皇制を極めて慎重に検討していたことが,野坂への意見聴取,捕虜へのアンケート調査などから明らかになる.3)敗北後の日本の民主化について野坂がどのような見方をもっていたのか.戦後の政治状況の変化の中で秘されてきた当時の野坂の見解が史料によって示される.

Re: 1.洗脳、坦白大会などの認罪運動

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/03/21 12:12 投稿番号: [39199 / 41162]
>降伏して投降を認めて収容した日本軍将兵を、戦犯でもないのに戦犯に仕立てて、
何年間も洗脳することは許されない。

当然ながら、捕虜に戦犯の疑いがあるから取り調べのために留置したわけだな。
今まで間違った価値観を持っていた人間が間違いに気づき、今まで隠していた
みずからの悪事を告白したというのを洗脳と呼ぶなら、およそ世の中には
洗脳が溢れていることになるな。小は警察での容疑者取り調べによる自白から、
大は敗戦後の米軍による占領の結果として現在の日本人が自由と人権に価値を
置いて昔の軍国主義が誤っていたという認識を持つに至ったことまで、すべてが
洗脳であろう。戦前の日本の軍国主義教育や、軍隊での暴力による価値観の強制も、
当然ながら洗脳であろう。自分の思想と異なることを主張する他人に対して、
おまえは洗脳されたと言ったところで無意味だろう。当然ながらそのように言う
本人もどこかで洗脳されているのである。

世の中のあらゆる主義主張が多かれ少なかれ洗脳の結果であるとするなら、
洗脳であるか否かが問題なのではなく、洗脳の結果として主張していることが
真実なのか嘘なのかが問題であろう。仮に中帰連の人々が洗脳されたとしても、
彼らが言っていることが嘘であるという根拠はどこにもない。職業軍人を長く
続けて師団長までやった将校が自分の経験を告白していることの意味は重い。
日本軍が中国で殺人放火略奪強姦の戦争犯罪を行ったことは、中帰連と何の
関係もない元日本兵が言っていることと矛盾がない。中帰連の元軍人たちが
帰国して何十年もたち、中国当局の圧力などはすでにあり得ない状況に
おいても、彼らの言動には何のぶれもない。これは戦後にシベリアに抑留
されて帰国した人の中に帰国直後は共産主義やスターリンを賛美する人
が多くいたが、その後時間が経つにつれて言動は変わり、抑留への恨みのみ
が残ったことと対照的である。中帰連の人々が戦後何十年経っても日本国内
に潜む中国の諜報員に監視され続け、特定のことを言えと強制されている
(特定のことを言うなということでなく)というのは妄想以外の何ものでも
あるまい。むしろ彼らが中国大陸での経験を語ることにより、日本国内の
気違い右翼から誹謗と脅迫を受けていることによる恐怖の方がはるかに大きい
はずだ。そのような不利益を顧みずに彼らがみずからの経験を語り続けるのは、
それがイデオロギーなどとは全く無関係の歴史的真実であることを示している。

Re: 〔中国の洗脳は〕真っ赤なうそ

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/21 10:43 投稿番号: [39198 / 41162]
>中帰連(中国帰国者連盟)という売国奴の連中の団体がある。これは米戦時情報局(OWI)による「延安リポート」にも書かれている中国共産党(中共)による対日プロパガンダや日本捕虜に対する"洗脳的教化”により売国奴に成り下がった連中です。>

中帰連の元日本兵が中国に洗脳されたという事実は全く無い。
バカウヨの悪質なデマである。

Re: 〔中国の洗脳は〕真っ赤なうそ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/21 10:02 投稿番号: [39197 / 41162]
中帰連(中国帰国者連盟)という売国奴の連中の団体がある。これは米戦時情報局(OWI)による「延安リポート」にも書かれている中国共産党(中共)による対日プロパガンダや日本捕虜に対する"洗脳的教化”により売国奴に成り下がった連中です。
延安リポート
以下引用
  第二次大戦末期に作成された。米戦時情報局(OWI)による「延安リポート」が初めて一つにまとめられ、邦訳が出版される。延安リポートは、中国共産党(中共)による対日プロパガンダや日本捕虜に対する"洗脳的教化”の実態を調査したものだが、戦後の米国の対日・対中政策にも影響を与えたとみられており、貴重な一次資料といえそうだ。
  一九三〇年代、中国紅軍(中共軍)と党中央は長征後、延安に移り、抗日・革命運動拠点とした。米国は、国民党政府の蒋介石の反対を押し切る格好で四四年七月から約十一カ月問、軍やOWIなどの情報将校を軍事視察団として派遣、中共の全面的な協力という異例の蜜月状態の下、「延安リポート」を作成した。
  リポートの「捕虜の扱い方」では、中共は「一般的に日本人の自尊心は非常に強い」と洞察し、日本人捕虜を質間するさいには「優しく、穏やかに」と指導。また、負傷した捕虜には手当てを施し、戦場の日本兵の死体を「一時的な感情」から損傷することを戒め、逆に大事に葬り、墓標を立てるべきだ、と説く。
こうした指示は一見、人道的だが、その根底には一般の日本兵や日本人が戦争を遂行する指導部を憎悪し、「否定的な厭戦気分から積極的な反戦意識」を持つように教化するための中共の冷徹な計算があった。後に中共側の九十八人の日本兵捕虜に対し米側が行った「意識調査」では戦争や天皇制を否定する声が九割を超した。意識調査を担当した主要執筆者の一人、外交官ジョン・エマーソンは「平均的な日本人兵士の信念と態度がシステマチックな教化によって変えられることの一つの証明である」とコメントしている。
  エマーソンは後に連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官の政治顧問付補佐官を務めた。編訳者の山本武利・早大政経学部教授は「リポートは全体として、米国の戦後の対日・対中政策、さらにいえば、台湾を含む現在の東アジア情勢の原点を考える格好の資料となるのではないか」と話している。七十一回にのぼる延安リポートは米国立公文書館に分散して保存されており、山本教授が十年がかりでまとめ、神田外語大外国語学部の高杉忠明教授とともに全訳した。翻訳は二十四日、岩波書店から発売される。(関厚夫)

コピペしては罵詈雑言在日fukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/03/21 09:59 投稿番号: [39196 / 41162]
コピペは罵詈雑言の前置きに過ぎない。だから同じものを、論破されても何度でもコピペする。中味の妥当性など無関係なのである。

日本人に対して罵詈雑言を吐く。それが在日fukagawatoheiの全生活である。

議論に意味は無い。在日とはそんなやつらなのである。

<在日fukagawatoheiとの議論は有害無益>
fukagawatohei   は左翼ではない。日本人を憎悪する在日である。誰でもいいから悪口雑言を書きたいだけである。嘘や矛盾を指摘しても無駄、同じ事を何回でも繰返す。

相手になるのは悪口のチャンス与えるだけである。fukagawatohei   の書き込みが不愉快なら娑婆の在日に報復すればいい。fukagawatoheiがやっているように。

中味は見なくていい。何なら無視リストに入れて置け。
掲示板ではfukagawatoheiが投稿したことは分かるから、その数だけ娑婆で報復すればいい。

重ねて、fukagawatoheiと掲示板でやり取りするのは無駄である。fukagawatoheiが喜ぶだけ、有害無益である。

<   在日fukagawatoheiの狂気の真の理由   >

在日同胞の婚姻状況(民団統計   2007年)

婚姻件数       8889
同胞間婚姻       847(   9.5%)
外国人との婚姻        (90.4%)
内日本人との婚姻    妻    (24.8%)
           夫    (63.0%)
          合計    (87.8%)
その他外国人         (   2.5%)

日本人と結婚する女性と結婚できない男性の比率が高いことを意味する。
ここ十年この傾向は変らない。

在日fukagawatohei狂気の真の理由はこれである。

Re: 〔中国の洗脳は〕真っ赤なうそ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/21 09:56 投稿番号: [39195 / 41162]
  「洗脳」の実例
  上記のエドワード・ハンターの著作をはじめ、いくつかの書物でもこの「洗脳」の実例がでてきます。
  ここでは、朝鮮戦争時、アメリカ軍の「細菌兵器」使用にかかわる「洗脳」例を見ておきましょう。   米軍が細菌兵器を使用したかどうか、長期にわたって論争がつづいていました。「国際科学委員会」等の調査報告書は「クロ」の判定で、日本でもかぎりなく「クロ」に近いとの見方が幅をきかしていたのではないでしょうか。
  ところが、旧ソ連秘密文書 は、細菌兵器使用は中国・北朝鮮によるねつ造 であったことを明らかにしました。
    1998年1月8日付、産経新聞(下写真。一部カット)はソ連共産党の秘密文書などを含め、詳細に報じています。
  これによれば、
  〈   朝鮮戦争の後半に入った1952年2月、中国、北朝鮮、ソ連側は、米軍がコレラやペストなどの細菌に感染したハエやノミ、ダニを北朝鮮上空から航空機で多量に投下したと非難、その後、細菌戦が中国東北部にまで拡大したとの宣伝を始めた。米軍は全面的に細菌戦を否定し、二つの国際調査団が現地を調査したが、お互いの主張は平行線をたどり、同問題の真相はなぞとなっていた。 〉
  というものです。
  これに対し、「ソ連秘密文書」は、ベリヤ内相からスターリンの後継者であるマレンコフ首相にあてた報告書(1953年4月21日付)は、次のように伝えていました。
  〈   52年3月、北朝鮮に法律家らによる国際調査団が訪問する前、イグナチエフ・ソ連国家保安相のもとに、グルホフ・北朝鮮社会安全省元顧問と、スミルノフ北朝鮮内務省元顧問から報告書がとどいた。
  そこには、ラズバエフの協力で、北朝鮮と中国での米軍の細菌兵器使用をねつ造するため、北朝鮮に偽りの細菌汚染地域を二ヵ所作り出したことが報告されている。死刑を求刑され、地下壕に閉じ込められていた北朝鮮人二人には、細菌が感染させられた。うち一人はその後、毒殺された。
  報告書は政治的に重要な意味をもっていたが、イグナスチエフは同件について報告しなかった。その結果、ソ連は国際舞台で、甚大な政治的損害を受けた。同問題について事情を調査し、犯罪者を罰するよう要請する。 〉

  周恩来首相やソ連が、「(アメリカ軍は)冷酷残忍な細菌戦を実行している」などとさんざん攻撃していた「細菌戦」が、中国、北朝鮮、それにソ連も絡んだデッチ上げ   であったことが明らかになりました。
  ソ連は毛沢東 あてに、「ソ連政府とソ連中央委員会は誤解していた。米軍が北朝鮮で細菌兵器を使用したとの報道は、ねつ造された情報に基づいていた。米国に対する非難は虚構のものであった。」とした書簡を送っています。

Re: 〔中国の洗脳は〕真っ赤なうそ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/21 09:55 投稿番号: [39194 / 41162]
「洗脳」は中国語
  まず洗脳の存否について、「洗脳・中共の心理戦争を解剖する」 (エドワード・ハンター、法政大学出版局。1953=昭和28年)から、次の引用文をご覧ください。
  著者のエドワード・ハンターは極東通のアメリカ人ジャーナリストで、非常に有名な人だったそうですが、この本の「洗脳」の章に、中国の政治教育学校なかで最も大きい華北人民革命大学を卒業した中国人が、自分の体験をE・ハンターに次のように話しています。
   〈   その話は中国で最も新しい事柄、つまり「思想改造」「自己批判討論会」、それに全体としては、共産中国で行われている共産主義教育の方法に関する問題であった。中国の質朴な人民たちは、この全教科課程にたいして、いくつかの天啓的な新語を生み出している。人民たちは生来の簡明直截は表現力を用いて、この教科課程を 「洗   脳」 または 「変   脳」 と名づけている。
  この洗脳運動は、中国共産党が中国本土を制圧するや、その全土において重要な活動となってあらわれた 〉

  「洗脳」「変脳」   の原語は、それぞれ「brain washing」 「brain changing」です。
  これで明らかなように、「brain washing」 は中国語「洗脳」の訳語であって、その逆ではないことです。ですから、「洗脳」を「反中国の人の用語」とする類の多くの辞書の方が間違っているのです。そして、brain washing は、今は英語としてもすっかり定着しています。

〔中国の洗脳は〕真っ赤なうそ

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/21 09:46 投稿番号: [39193 / 41162]
>日本軍将兵を、戦犯でもないのに戦犯に仕立てて、何年間も洗脳することは許されない。>

中国が日本兵を洗脳したというのはバカウヨのウソです!

現名古屋市長河村たかし氏の   歩兵第一〇一旅団指令部伍長であった亡父、河村誧男氏(かねお)は、昭和二〇年八月一六日に武装解除されていた南京に到着し、南京市郊外の棲霞寺に翌二一年の一月まで滞在、同年三月に帰国した。同寺には司令部の約二五〇人が滞在していたが、彼の地で大変手厚く遇され、生き永らえることが出来たと感謝していた。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/20 16:40 投稿番号: [39192 / 41162]
「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

↑これは文意不明の文章、すなわち、できそこないの文章である。だから
この文章の意味を探求する必要はなく、中島師団が何をしたかを調べるだけ
でよい。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/03/20 11:06 投稿番号: [39191 / 41162]
反日バカサヨは、中島師団による捕虜虐殺の事実など確認されていなかったのに、「捕虜ハセヌ方針」と記述されたこの日記を証拠として、日本軍が南京で捕虜を片っ端から虐殺したと宣伝した。

しかし、そもそも中島師団が確保した捕虜を殺害した他の資料がなかったどころか、中島師団が確保した大量の支那兵は殺害されずに捕虜として収容された証拠(資料)があるので、この日記を単純に日本軍による捕虜虐殺の証拠とするのことには無理があった。

中島日記の「捕虜ハセヌ方針」の記述については、今でも完全な疑問解消とまではいかないが、概ね以下のような解釈で問題ない。


――――――
(3)本当に処刑されたのか?
中島日記に関して(その一)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page028.html
(抜粋)
以上のように中島日記に記載された仙鶴門付近で確保した約7千人の捕虜は、殺害されずに南京に収容されたと考えられます。複数の史料による裏づけがあるということです。



(4)捕虜ハセヌ方針(東中野説)
中島日記に関して(そのニ)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page029.html
(抜粋)
  では、問題の「捕虜ハセヌ方針」とは、何であったのか。三つのことが考えられる。

  まず、銃殺の方針であったという従来の通説である。しかし、銃殺が当初からの方針であったのであれば、すでに述べたように、中島師団長は「大体捕虜にはしない銃殺の方針であったから、投降兵が来るや、これを片端から銃殺しようとするのだが、千、五千、一万の群集ともなると多過ぎて、銃殺することすら出来ない」と記していたことであろう。

  ところが、陣中日記の作者は、「銃殺することすら出来ない」とは書かなかった。従って、即時処刑の方針ではなかったことになる。

  では、捕虜にする方針であったのか。しかし、これは、言うまでもなく、「捕虜ハセヌ方針」に反する。となると、残るは、投降兵の追放しかない。戦場の投降兵にたいしては、処刑するか、捕虜とする、追放するか、三つの方針しかないからである。
従って、「捕虜ハセヌ方針」とは「投降兵は武装解除後に追放して捕虜にはしない方針」という意味になる。

  その「武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ」という表現から、当初の方針(即ち捕虜にはしないで武装解除してから追放することなど)など、とても遂行できないという悲鳴が聞こえてくるのである。



(5)捕虜ハセヌ方針(南京戦史)
中島日記に関して(その三)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page030.html
(抜粋)
  以上のように状況を含めて考察すると「捕虜を受け入れるな」という命令の意図が見えてくるのではないでしょうか。常に捕虜を受け入れるな、投降を認めるな、という意味合いではなく、ある限定された状況下においては「勝手に戦闘を停止して投降兵を収容するな、なぜならば軍全体が危機に陥る可能性があるからだ」という内容であることが推察されるわけです。

  以上を踏まえて私が個人的に中島日記を意訳するとこうなります。
「軍の方針は、捕虜とは呼ぶな、尋問が終わったら適時解放せよというものだが、一万人もの敵兵が投降してくるとは誰も想定していなかったではないか。武装解除もままならないのでこのままでは釈放もできないし、収容といっても場所、食料の問題もあり大変だ。取り敢えず部隊を増派して野外で監視しているが、このまま延々置いておくわけにもいかない。7千人となると処刑も大変だ。大きな壕があればまとめて放り込んで処刑できるかも知れないが平地だとそうもいかない。数十人単位に小分けして処刑したほうがよいか。どうしたものか」
  という感じになると思います。

  中島中将個人としては処刑の方向で考えていたようですが、その後戦場が一段落し捕虜の収容が可能と判断されたので、仙鶴門付近の捕虜約7000人は南京城内に護送され収容されたと考えられます。中島中将が捕虜を使役している状況を見て叱責したのは「銃器の管理が杜撰であり危険だ」という意味での叱責であり、捕虜を使役した行為についてはむしろ賞賛していることからも、ことごとく全ての捕虜を殺害する方針ではなかったと考えられます。
――――――

Re: 真実を伝えた産経新聞に抗議をしよう!

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/03/20 10:25 投稿番号: [39190 / 41162]
>蒋介石秘録12 日中全面戦争」1976年12月17日にサンケイ新聞社から出された本


蒋介石が1938年1月22日の日記に、「寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。」と書いたことを以って、蒋介石は南京大虐殺を認識していたというのは見当違いだ。

まず、日記の原文には「殘殺」という言葉が使用されており、蒋介石が「市民大虐殺」について記述するなら「屠殺」とか「大屠殺」と書くはずで、「殘殺」という言葉は、南京占領後の便衣兵などの処刑を指していると考えられる。
そもそも、蒋介石が日記で日本軍の悪口が書くのは当り前だし、何故1月22日の日記なのか疑問だ。
一体、1月22日頃、どこに虐殺があったと言うのか?
どうして早々に南京から逃げ出した蒋介石がそのような誰も知らないことを知っていて、何応欽将軍などが大虐殺を全く知らなかったのか?
ましてや、その日記の約5ヵ月後、支那事変一周年目の7月7日に蒋介石が発表した『日本国民に告げる書』に「広州などへの爆撃」については述べて、「南京虐殺」については述べなかったのだから認識はなかったのだ。


また、国連支那代表の顧維鈞が1938年の2月の総会で、南京での残虐行為について演説したことを以って支那や国連が南京大虐殺を認識していたというのも見当違いが甚だしい。
その顧維鈞の演説は、誰でもすぐに分かるような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダが満載だった。
顧維鈞自身が本当に南京で大虐殺があったと認識していたら誰でもすぐに判るような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダと一緒に南京のことを演説することはない。
実際に、1938年5月に国際連盟理事会が「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したのにも拘わらず、「虐殺」非難の文言が一切なかった。
つまり、2月の顧維鈞の演説は国際社会からも「出鱈目だらけで信憑性なし」と認定された訳だ。


蒋介石が1938年7月7日の『日本国民に告げる書』で、「一地區占據後、貴國軍隊は奪掠焚焼を肆にし、無辜の良民及負傷兵士を大規模に殺戮す。或は千百人を廣場に縛し機銃を以て掃射し、或は敷十人を一室に集め油火を以て焚焼す。甚しきは殺人の多寡を競ひて矜持と爲す。」と述べたことを以って、蒋介石は南京大虐殺を認識していたなどと馬鹿なことを言う奴がいる。

しかし、包括的かつ冷静に分析すれば、この『日本国民に告げる書』こそ、蒋介石が、日本軍による南京市民虐殺を認識していなかった証拠なのだ。

『日本国民に告げる書』で蒋介石は、「八月十三日に上海を進犯す」と述べたが、8月13日に上海を大軍で攻撃したのは蒋介石自身だ。

更に蒋介石は日本軍による毒ガス使用を非難するが、違法毒ガスを使用したのは支那軍であり、『日本国民に…』を発表した少し前の1938年6月20日頃にも支那軍は山西で違法毒ガスを使用し付近の住民を巻き添えにしたばかりだった。

『日本国民に…』は、次に日本軍占領地区における無辜の良民及負傷兵士の大規模殺戮を非難するが、これも事実は全く逆だ。
例えば、日本軍の占領によって支那軍の攻撃から開放された上海へは、支那軍が戻って来た南京などから大勢の市民が避難して行った。
そして、日本軍が南京を占領すると、今度は上海などから多くの市民が南京に戻って来て南京の人口は増加に転じた。
支那事変が始まってから、日本軍は半年間で北京などの北支や、上海・南京など揚子江流域の大半の主要都市を占領したが、いずれの地域でも日本軍占領前より治安は改善されたのが史実だ。
満州事変以降、年間百万人を超す支那人が満州国へとなだれ込んだ事実だってある。

次に『日本国民に…』で蒋介石は日本軍による広州などへの爆撃を非難する。
しかし、最も悪質で被害も大きかった爆撃も支那軍による上海の市街地爆撃だった。

上海で戦争を始めたのも、違法毒ガスを使用したのも、支配地(占領地)で暴虐・悪逆の限りを尽くしたのも、爆撃で多大な犠牲者を出したのも、全て蒋介石の支那軍なのに、支那はその都度自分たちの暴虐・悪逆を日本軍の仕業に転嫁して宣伝した。

蒋介石の『日本国民に…』は、国民党や外国人工作員が常日頃から行なっていた嘘・デタラメを羅列する低俗で卑劣な宣伝工作を凝縮したものに過ぎない。

この低俗で卑劣な宣伝文書を読んで、蒋介石が日本軍による南京市民の大規模虐殺を認識していたと言う奴は脳タリンだ。
当時の日本国民や支那人や外国人が読んでも誰もそんなことは思わなかった。

Re: 1.洗脳、坦白大会などの認罪運動

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/03/20 10:23 投稿番号: [39189 / 41162]
>オマエの持論では戦争で捕虜になったらぶっ殺されてもしかたがないんだろ。

投降を認めて収容した捕虜を殺しちゃ駄目だよ。

投降を認めずに捕虜にせず殺すことは一定の条件で正当化できる。



>命を助けてもらい、泣いて喜ぶ、めでたしめでたしじゃないか。

降伏して投降を認めて収容した日本軍将兵を、戦犯でもないのに戦犯に仕立てて、何年間も洗脳することは許されない。

いつまで経っても阿呆は阿呆

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/03/19 20:50 投稿番号: [39188 / 41162]
中島日記を持ち出しているが当時の一級資料ではない。
内容が客観的に検証されてない以上こんなものは何の価値もない。

日記に書いてある通りの死体でも出てきたかね。

コピペしては罵詈雑言在日fukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/03/19 16:57 投稿番号: [39187 / 41162]
コピペは罵詈雑言の前置きに過ぎない。だから同じものを、論破されても何度でもコピペする。中味の妥当性など無関係なのである。

日本人に対して罵詈雑言を吐く。それが在日fukagawatoheiの全生活である。

議論に意味は無い。在日とはそんなやつらなのである。

<在日fukagawatoheiとの議論は有害無益>
fukagawatohei   は左翼ではない。日本人を憎悪する在日である。誰でもいいから悪口雑言を書きたいだけである。嘘や矛盾を指摘しても無駄、同じ事を何回でも繰返す。

相手になるのは悪口のチャンス与えるだけである。fukagawatohei   の書き込みが不愉快なら娑婆の在日に報復すればいい。fukagawatoheiがやっているように。

中味は見なくていい。何なら無視リストに入れて置け。
掲示板ではfukagawatoheiが投稿したことは分かるから、その数だけ娑婆で報復すればいい。

重ねて、fukagawatoheiと掲示板でやり取りするのは無駄である。fukagawatoheiが喜ぶだけ、有害無益である。

<   在日fukagawatoheiの狂気の真の理由   >

在日同胞の婚姻状況(民団統計   2007年)

婚姻件数       8889
同胞間婚姻       847(   9.5%)
外国人との婚姻        (90.4%)
内日本人との婚姻    妻    (24.8%)
           夫    (63.0%)
          合計    (87.8%)
その他外国人         (   2.5%)

日本人と結婚する女性と結婚できない男性の比率が高いことを意味する。
ここ十年この傾向は変らない。

在日fukagawatohei狂気の真の理由はこれである。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/19 16:47 投稿番号: [39186 / 41162]
実に其の通り、嘘吐く君。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/19 16:34 投稿番号: [39185 / 41162]
>失敗するのは兵隊でも同じと謂うこと>

いいえ、日本兵は一人も中国人を殺していません。(藁

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/19 16:33 投稿番号: [39184 / 41162]
失敗するのは兵隊でも同じと謂うこと、嘘吐く君。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/19 16:21 投稿番号: [39183 / 41162]
>森田は刀を使ったことがなかった

だから森田は三島の首を斬る(介錯)ことに失敗してるんだけど、
それが何か?(嘲笑)

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/19 15:56 投稿番号: [39182 / 41162]
森田は刀を使ったことがなかった、嘘吐くなよ。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/19 15:55 投稿番号: [39181 / 41162]
敗残兵の掃蕩

一.各守備隊は数回に亘り担当地区内の掃蕩を実施し殆ど其の影を見ざるも時々三,五の敗残兵を捕獲しつつあり
   示威、挑発、行軍等の目的を兼ね不断実行せらるを可とす

一.南京市内の敗残兵は避難民中に混淆し占領当初大いに手を尽くし分離を行い概ね之を終わりたるも尚完全と謂い難し今後は密偵を使用し摘出するを可とす
   先般も八八師の大隊長を捕縛せり

一.時に注意すべきは各国外交機関内に隠匿しある相当階級の人物あることなりとす   右八八師大隊長の自白により米国大使館内に団長及び営長隠れあり   連れ出しの上捕縛を要す

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/19 15:50 投稿番号: [39180 / 41162]
>↑捕縛されて身動きのできない捕虜を斬るのに、腕前なんかいるもんか。
作り話だから、辻褄が合わんのだ>

じいさん、三島由紀夫事件知らないの?
少し勉強してチョ〜ダイ。

三島事件

1970年11月25日、陸上自衛隊東部方面総監部(市ヶ谷駐屯地)の総監室を「楯の会」メンバーと共に「総監に刀を見せる」と訪れ、自慢の名刀を益田兼利総監に見せた後、総監が刀を鞘に納めた瞬間を合図に総監に飛び掛って縛り、人質に取って籠城、バルコニーで自衛隊決起を促す演説をしたのち割腹自殺した。

(原因は三島自身が演説している最中「三島ーっ。頭を冷やせ!!!!」「何やってんだバカヤローっ!!!!」と自衛隊員から野次を飛ばされたことに愕然としたからだといわれる。)

介錯は森田必勝および古賀浩靖。最初は森田が斬りつけたものの二度失敗し刀を曲げてしまい、有段者の古賀に交代してやっと果たせた。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/19 15:44 投稿番号: [39179 / 41162]
>その剣士という人の腕前を確かめるために、それだけのために捕虜7名を
斬らせたのです。

↑捕縛されて身動きのできない捕虜を斬るのに、腕前なんかいるもんか。
作り話だから、辻褄が合わんのだ。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/19 15:40 投稿番号: [39178 / 41162]
師団は南京入城後十二月十七日歩兵第二十二連隊段列の到着を以て一先ず師団全力を南京付近に集結し得たり

目下軍命令に基づき夫々新配置に移動中にして二十五日までには概ね其の配置に付得る見込みなり

↑南京到着後軍命に依り次期作戦の準備と移動に費やされた、嘘吐く君。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/19 15:35 投稿番号: [39177 / 41162]
>上海派遣軍揚子江上流方面上陸計画昭和十二年十一月七日   上海派遣軍司令部
第一   要領
一.軍は重藤支隊、第十六、第十一師団を以て×日未明より除六芤口以東高浦塘沽付近に亘る間に上陸したる後重藤支隊を以て速やかに常熟付近に第十六師団を以て先ず支塘鎮付近に進出せしむ第十一師団の進出方面は状況に依り決す
二.第三艦隊は軍の作戦に協力す
   輸送兵団区分竝護衛艦隊の護衛兵力別紙の如し
第二   偵察輸送
三.偵察は海軍艦艇及び陸軍機を以て行う企図秘匿の為上陸直前のものは実施せず
四.重藤支隊は月浦鎮付近終結後準備訓練を実施す
五.輸送船碇泊場材料竝揚陸作業部隊は十一日迄に逐次呉淞付近に到着す
六.重藤隊は×-三日より呉淞付近に於いて乗船×-一日揚子江付近に於いて陸海軍総合訓練を実施す其の実施の細部に関しては別に定第十六師団輸送船隊は×-一日呉淞沖に到着し上陸を準備す
七.第一輸送兵団の第一船団(重藤支隊軍直轄部隊の一部)は×-一日午後三時揚子江を出発し×日午前三時泊地進入を完了す第二船団(第十六師団)は×-一日夕迄に呉淞沖に到着せるものは概ね第一船団に続行し下流泊地に侵入上陸を準備す輸送船隊区分泊地及び其の碇泊隊形は上陸兵団長と護衛隊指揮官との協定に依る
第三   上陸部署及び同日程
八.重藤支隊は除六芤口以東口浦塘沽付近にある門に上陸したる後常熟を急襲占領す
九.第十六師団は重藤支隊先頭部隊に引き続き上陸し一部を以て白茆口を占領し主力を以て支塘鎮に向ひ前進す
>第十六師団長と雖も軍の命令以外を為すことは許されない


こんなのカンケイねぇ〜、こんなのカンケイねぇ〜(大笑い)

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/19 15:32 投稿番号: [39176 / 41162]
君のは嘘だからね、嘘吐く君。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/19 15:31 投稿番号: [39175 / 41162]
上海派遣軍揚子江上流方面上陸計画昭和十二年十一月七日   上海派遣軍司令部

第一   要領

一.軍は重藤支隊、第十六、第十一師団を以て×日未明より除六芤口以東高浦塘沽付近に亘る間に上陸したる後重藤支隊を以て速やかに常熟付近に第十六師団を以て先ず支塘鎮付近に進出せしむ第十一師団の進出方面は状況に依り決す

二.第三艦隊は軍の作戦に協力す
   輸送兵団区分竝護衛艦隊の護衛兵力別紙の如し

第二   偵察輸送

三.偵察は海軍艦艇及び陸軍機を以て行う企図秘匿の為上陸直前のものは実施せず

四.重藤支隊は月浦鎮付近終結後準備訓練を実施す

五.輸送船碇泊場材料竝揚陸作業部隊は十一日迄に逐次呉淞付近に到着す

六.重藤隊は×-三日より呉淞付近に於いて乗船×-一日揚子江付近に於いて陸海軍総合訓練を実施す其の実施の細部に関しては別に定第十六師団輸送船隊は×-一日呉淞沖に到着し上陸を準備す

七.第一輸送兵団の第一船団(重藤支隊軍直轄部隊の一部)は×-一日午後三時揚子江を出発し×日午前三時泊地進入を完了す第二船団(第十六師団)は×-一日夕迄に呉淞沖に到着せるものは概ね第一船団に続行し下流泊地に侵入上陸を準備す輸送船隊区分泊地及び其の碇泊隊形は上陸兵団長と護衛隊指揮官との協定に依る

第三   上陸部署及び同日程

八.重藤支隊は除六芤口以東口浦塘沽付近にある門に上陸したる後常熟を急襲占領す

九.第十六師団は重藤支隊先頭部隊に引き続き上陸し一部を以て白茆口を占領し主力を以て支塘鎮に向ひ前進す

↑第十六師団長と雖も軍の命令以外を為すことは許されない、嘘吐くな。

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/19 15:27 投稿番号: [39174 / 41162]
>説諭後路銀を渡し、帰京せしめるべきこと

面白いジョークだね(藁

Re: 「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/19 14:41 投稿番号: [39173 / 41162]
説諭後路銀を渡し、帰京せしめるべきこと、嘘吐く君。

「大体、捕虜はせぬ方針なれば」

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/19 14:02 投稿番号: [39172 / 41162]
南京攻略戦を指揮した第16師団長・中島今朝吾中将の日記
出典:「南京攻略戦『中島師団長日記』」『歴史と人物 増刊 秘史・太平洋戦争』(1984年)261頁。

1937年12月13日の日記です。師団長ですから当然、師団司令部で指揮を執っているわけです。13日は南京陥落の日ですから、南京のすぐ外側に司令部があったと思われます。

「「一、本日正午、高山剣士来着す」」(読み易くするため、日記を現代用語ふうに直しています。以下、日記は同様)。──剣士というのですから、すごい剣道の達人なんでしょうね。「「時あたかも捕虜七名あり。直ちに試し斬りを為さしむ」」。

まず司令部に連れて来た捕虜7名を試し斬りさせた。その剣士という人の腕前を確かめるために、それだけのために捕虜7名を斬らせたのです。

「「到るところに捕虜を見、到底その始末に堪えざる程なり」」。投降した中国兵がいっぱい居て始末に負えない、ということです。

その次ですが、「「大体、捕虜はせぬ方針なれば」」と言って、捕虜に取ることはしない方針だ、と言っています。

国際法上はすでにジュネーブ条約というものが1929年に締結されています。日本は批准していないのですが、戦時においては捕虜を確保した方がそれを保護する義務がある。

しかし、捕虜はしない方針だ、と言うんです。「「片端より之を片付くることとなしたれども、中々実行は敏速には出来ず」」。捕虜にはしない、片っ端から片付けろ、ということです。「片付ける」ということはどういうことなのか、段々判ってきます。

「「一、佐々木部隊」」──これは16師団に属している一つの大隊なんです。「「佐々木部隊だけにて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇、その仙鶴門付近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る」」。ここで「処理」と言っています。

一個大隊は800人ぐらいですが、その人数で1万5千人を処理したと言っている。それから一中隊、200人ぐらいでしょうか、それで1300人ぐらい処理した、と言っています。

で、どんどん捕虜が増えてきて、「「この七、八千人これを片付くるには、相当大なる壕を要し」」──壕というのは、穴のことです。「「中々見当らず。一案としては百、二百に分割したる後、適当の箇所に誘(いざな)いて処理する予定なり」」。

16師団は内陸の方から攻めてますから、河がない。そうすると「処理する」というのは、殺害して穴に埋めてしまうということです。7000〜8000人の人間を埋める穴はないから、分割して埋めると言っているわけです。こういう遺体は、のちに掘り出され骨になったものが発見されています。

ここでは計画的に、最初から捕虜にしないで殺害して埋めてしまおうということを、師団長が言っているわけですから、この方針であったということが分かります。

朝日の生首写真は嘘だった。

投稿者: ar_ti_cle21 投稿日時: 2012/03/16 23:33 投稿番号: [39171 / 41162]
3年後にようやく訂正記事。
反日新聞の朝日は、数々の「誤報掲載」する。

何なんだ、このクズ新聞は。

Re: 百人斬り報道

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/16 23:20 投稿番号: [39170 / 41162]
わしは当時旧制中学(5年制中学)の1年生だった。わしはその報道を熱心
に読んでいた。数日置きに百人斬り競争のニュースが出て、A少尉はこれまで
の合計 x 人、B少尉はy人と報道された。あるときはA少尉が20人もリード
していたが、B少尉が次第に追い詰め、やがて両少尉とも百人を超過し、どち
らが先に百人に達したのか不明というところで、この報道のシリーズが終わ
った。

その報道は一つの新聞の1人の記者の報道が唯一のソースであった。わしの
家ではその新聞を取っていなかったから、わしは足繁く友人の家に通って、
新聞を見せてもらった。

>100人以上の敵を斬ったという残虐と思われる記事が軍の検閲を通って平然
と掲載されていることに注目したい。

↑百人斬り報道では「白兵戦で切り殺した敵兵の数」と毎回明記して
あった。戦後、勝者といなって、好きなだけ日本人を殺すことができた支那
の軍事裁判では、百人斬りの報道のうちの白兵戦と言う部分無視して、平民
や捕虜の首を刎ねたものとして、両少尉を報復殺害した。

「活動写真」発展期の昭和一桁時代では、時代劇はチャンバラ物が人気があ
って、1人の名剣客が数十人の敵(たとえば悪代官の手下)に囲まれて、1
人1人と斬り倒し、全部切り倒す。最後の1人を切り倒したとき、観客は拍
手して大喜びだった。

「チャンバラ活動」の名優片岡千恵藏をパソコンで検索すると、当時の「チ
ャンバラ活動」の一端を見ることができる。百人斬リ報道が、新聞記事とし
て成立したのは、当時(昭和12年)の日本人がまだチャンバラに出てくる
名剣士の実在を信じていたからである。

昭和13年から吉川英治の長編小説『宮本武蔵』が朝日新聞に連載された。
吉川英治の史実を調査して書いた名文で、日本人のチャンバラの名剣客と
いう幻想は崩壊した。

Re: あじゃ〜、味方を撃っちまったぞ。

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/16 18:10 投稿番号: [39169 / 41162]
南京城周辺で中国督戦隊が支那兵を銃殺した、南京城内で銃殺された屍体は見せしめの為に道路上に放置されていた、ロイター電、嘘吐くんじゃないよ。

コピペしては罵詈雑言在日fukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/03/16 17:03 投稿番号: [39168 / 41162]
コピペは罵詈雑言の前置きに過ぎない。妥当性など無関係なのである。

日本人に対して罵詈雑言を吐く。それが在日fukagawatoheiの全生活である。

議論に意味は無い。在日とはそんなやつらなのである。

<在日fukagawatoheiとの議論は有害無益>
fukagawatohei   は左翼ではない。日本人を憎悪する在日である。誰でもいいから悪口雑言を書きたいだけである。嘘や矛盾を指摘しても無駄、同じ事を何回でも繰返す。

相手になるのは悪口のチャンス与えるだけである。fukagawatohei   の書き込みが不愉快なら娑婆の在日に報復すればいい。fukagawatoheiがやっているように。

中味は見なくていい。何なら無視リストに入れて置け。
掲示板ではfukagawatoheiが投稿したことは分かるから、その数だけ娑婆で報復すればいい。

重ねて、fukagawatoheiと掲示板でやり取りするのは無駄である。fukagawatoheiが喜ぶだけ、有害無益である。

<   在日fukagawatoheiの狂気の真の理由   >

在日同胞の婚姻状況(民団統計   2007年)

婚姻件数       8889
同胞間婚姻       847(   9.5%)
外国人との婚姻        (90.4%)
内日本人との婚姻    妻    (24.8%)
           夫    (63.0%)
          合計    (87.8%)
その他外国人         (   2.5%)

日本人と結婚する女性と結婚できない男性の比率が高いことを意味する。
ここ十年この傾向は変らない。

在日fukagawatohei狂気の真の理由はこれである。

あじゃ〜、味方を撃っちまったぞ。

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/16 16:38 投稿番号: [39167 / 41162]
〔南京入城式が行われているその当日、一方では、揚子江岸で捕虜を処分していた。

「「二万以上の事とて、ついに大失態に会い、友軍にも多数死傷者を出してしまった。中隊死者一、傷者二に達す」」とあるのですが、これはどういうことかというと、多くの捕虜を機関銃で撃った。

ところが日本側がぐるっと囲んで撃ったものですから、向こう側にいる日本兵に当たってしまった。大失態とは、そのことを言っているんです。取り囲んで味方を撃ってしまい、それによって死んだ人もいた。

「「中隊死者一、傷者二に達す」」ということですから、日本軍にとっては確かに大失態です。

翌12月18日、「「昨日来の出来事にて、暁方ようやく寝に就く」」とあります。射殺で時間がかかって、明け方までかかった。それでようやく寝に就いた。

「「起床する間もなく昼食をとる様である。午后、敵死体の片付けをなす。暗くなるも終らず、明日又なす事にして引き上ぐ。風寒し」」。

前日一日かけて射殺をして、死体の片付け(揚子江に流すこと)をした。しかし一日やったけど終わらなくて、また明日やることにした、というのですから、死体はすごい数だということです。「「二万人以上の事」」と、この宮本さんは聞いていたというんです。

12月19日になると、「「昨日に引続き、早朝より死体の処分に従事す。午后四時迄かかる」」と書いています。この日も揚子江に遺体を流す作業をやっていたと言うんです。

これらを見ると、17日の南京入城の前日から組織的に捕虜の殺害が行われて、19日までの4日間、この13師団は一生懸命に捕虜の遺体を揚子江に流す作業をやっていたということが判ります。

先ほどお話した、犠牲者の数が判らないというのは、ここなんです。このように無秩序に殺した遺体を、どんどん流してしまった。こんな状況(射殺された遺体が放置されている)がずっと人目に晒されるのはよろしくないので、大急ぎで遺体を流すということをやったために、また、誰も記録を付けているわけでもないので、そこで亡くなった人の数がどれくらいかが判らないのです。〕

Re: 〔中国の洗脳〕はうそだった!

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/16 16:03 投稿番号: [39166 / 41162]
  歩兵第101旅団司令部
旅団長 佐藤正三郎少将(19期)
副官 小原沢幸蔵中佐

Re: 剣豪田中軍吉氏の最期

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/16 16:01 投稿番号: [39165 / 41162]
こうした亀井の思いで製作された本作は、「家を焼き払われた子供たち」「ぼろぼろの軍旗を前に閲兵」「夫の死も知らずに送られた妻の手紙を読む戦友」などが登場する[1]、当時の日本軍を描いた映画ではかなり異質な作品となった。こうした内容が、内務省の検閲(日本における検閲参照)で厭戦的な描写であり「・・・コミンテルンの指令による、新しいかたちの反戦的芸術[2]」「『戦ふ兵隊』どころか『疲れた兵隊』」などと問題視され、映画は上映不許可となり、ネガは処分された。

Re: 被害者の確認は不可能

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/16 15:58 投稿番号: [39164 / 41162]
知らない君が何で知っているの、嘘吐く君。

〔中国の洗脳〕はうそだった!

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/16 13:44 投稿番号: [39163 / 41162]
歩兵第一〇一旅団指令部伍長であった名古屋市長河村たかし氏の亡父、河村誧男氏(かねお)は、昭和二〇年八月一六日に武装解除されていた南京に到着し、南京市郊外の棲霞寺に翌二一年の一月まで滞在、同年三月に帰国した。同寺には司令部の約二五〇人が滞在していたが、彼の地で大変手厚く遇され、生き永らえることが出来たと感謝していた。

百人斬り報道

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/16 13:40 投稿番号: [39162 / 41162]
100人以上の敵を斬ったという残虐と思われる記事が軍の検閲を通って平然と掲載されていることに注目したい。

百人斬りを千人斬り競争にするというのも,勇猛果敢な精神の発露として尊重され,「飢えて血に泣く聲がする」「血の色黒光り」「さつと飛ぴ散る血の吹雪   明日は試さん突きの味」のような表現も,決して大言壮語,事実無根とはみなされない。

だからこそ,過剰に勇猛果敢さを表徴した新聞記事が検閲にかからず報じられた。報道管制の中で敵の斬殺する日本兵という「建て前」記事は,日本軍の勇猛さを称えるものとして,掲載されている。

敵を殲滅,屍の山を築くような内容の記事でも,当時は残虐行為とはみなされなかった。現在からみれば「残虐行為」の百人斬りも,当時の日本軍・日本国民は,日本軍兵士の強さ・勇敢さあるいは敵の弱さを示すものとして,高く評価していた。

その意味では,百人斬りに近い状況があれば,軍としても積極的に報道させた

毎日貼りついて

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/03/16 13:35 投稿番号: [39161 / 41162]
著作権法違反のカス投稿を繰り返す屑がいるな。
よっぽどリアが寂しいんだろう(笑)

f何とかと言う阿呆が。
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