南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: ◆ありがとう日本人 この誇り高き民族

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:45 投稿番号: [38785 / 41162]
日本人であれば自分の生まれた国、祖国を褒められれば素直にうれしいと思います。
また、逆に祖国を貶めるような嘘の歴史や捏造には怒りを覚えるでしょう。
それが人間として至極当然のことだと思います。

しかし、彼らは日本の国が褒められることを喜びません。むしろ、そのことを否定します。
また、どういうわけか「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」など日本にとってマイナスになるような嘘出鱈目を嬉々として語ります。

彼らが「日本人」というのならこれ以上の『恥』はありません。

◆笑うに笑えないwadatumi_voice21の珍論

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:29 投稿番号: [38784 / 41162]
相も変わらずお馬鹿投稿を繰り返す wadatumi_voice21なる反日バカサヨが以前、こんな珍論を披歴していた。

『他国を   武力を用いて   攻撃・占領するためには、
少なくとも   「軍事力の脅威を排除する」という口実が必要だ。
軍事力を持たない日本には   「脅威」は   存在し得ない。』

      by wadatumi_voice21



戦争をするのに「少なくとも軍事力の脅威を排除するという口実が必要だ」などというおバカ丸出しの物言いにも呆れるが、

「軍事力を持たない日本には   「脅威」は   存在し得ない」

に、いたっては笑いを止めるのに苦労するが、笑ってばかりもいられない。
なにせ本人は「本気で言っている」のだから・・・

なぜこのようなバカげた珍論を大真面目に語るのか?
それは、wadatumi_voice21をはじめとする頭空っぽのバカサヨが「御バカ念仏平和主義者」であるからに他ならない。

例えば日本がどこかの国に攻められる。そして占領される。そして「日本国憲法」が停止されるということは、世界の歴史を見れば、充分に考えられることである。するとそういうことがないようにはどうすればいいかというと、当たり前の話だが、そのための軍隊を持っておく。つまり憲法を護るための軍隊を持っておくということである。これはバカ以外は当然そう考えるから、どこの国でもちゃんと憲法に規定された軍隊がある。永世中立国といわれるスイスにもある。いや、むしろ自前のしっかりした軍隊があるからこそ、永世中立を掲げることが出来るのである。ところがバカだけは、軍隊があると戦争を呼ぶんじゃないか。だからないほうがいい。しかしまったくないのも不安だから、軍隊とは呼ばずに「自衛隊」といおうと。内容でも変わっているのかというと、全然変わっていない。ただ、言葉で誤魔化しているだけである。

自衛隊は常識的に見れば、どこの国の誰が見ても、軍隊である。しかし、軍隊といわずに自衛隊という。日本には軍隊はないんだと安心する。だけど自衛隊はある。またそれで安心する。こういう奇妙な言葉の上での誤魔化しの二重構造の上にバカの論理(「日本に軍事力は無い」)は成り立っているのである。

「雨が降ると言えば雨が降るという世界」では、日本に軍隊はありませんといえば、無いんです。実際にはあっても、それはどう見ても軍隊じゃないかというものがあっても、言葉の上だけで打ち消しておけば、無いんです。そして、そのことによって安心する。

全くもって呆れ果てて屁も出ないとはこのことである。

Re: ◆ありがとう日本人 この誇り高き民族

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/02/11 15:18 投稿番号: [38783 / 41162]
反日サヨは、日本人の良い面を悉く否定している売国奴なんですよね〜。

自分の祖先を貶め、戦争で亡くなった日本軍人を貶め、御満足の日本人モドキ。こいつ等ハヨ、反日特亜三民族に鞍替えすれば良いものを。

何故か日本人のまま死にたいと思っているんでしょうかね〜。

◆ありがとう日本人 この誇り高き民族

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:08 投稿番号: [38782 / 41162]
ガザリー・シャフェー(元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)

「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』 と。」


  トモ(インドネシア元情報相)

日本軍が、米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は、白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり我々がやらねばならなかった。そして実は、我々の力でやりたかった。


  アジス(マレーシア・マラヤ大学副学長)

私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。
日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。


  モハマド(マレーシア外務省情報センター所長)

これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのですが、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。
民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立ち上がったのです。
これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。


  ネール(インド首相)

アジアの一国である日本の(日露戦争の)勝利は、アジアの総ての国々に大きな影響を与えた。ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたびそうであったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。
ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の叫びが起きた。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった。


  アブドル・ハリス・ナシオン(インドネシア元国防軍参謀総長)

独立できたの要素の第一は、日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。第二は、日本軍の猛烈な軍事訓練です。日本軍は大変立派なことをしてくれました。
日本は、歴史に残ることをしてくれました。誰も変えることのできない真実です。

◆世界連邦の礎石を置いた大東亜戦争

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:08 投稿番号: [38781 / 41162]
アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

  日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57〜65ページ)

 

   ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

  我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。

 
  朱   耀翰 {韓国   元国会議員   ゴーマニズム宣言第六巻p232}

  「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの国だ?黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」

 

   ニミッツ元帥(アメリカ   太平洋艦隊司令長官)

  この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!

 

   スリム中将(イギリス第十四軍司令官)

  たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。(「敗北から勝利へ」)

  かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。(同書)

 

   蒋介石

  ラモウ・騰越を死守しある日本軍人精神は、東洋民族の誇りたるを学び、範として我が国軍の名誉を失墜せざらんことを望む

 

   ベルナール・ミロー(フランス   ジャーナリスト)

  これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。(『神風』)


H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


    世界連邦の礎石をおいた!

◆植民地解放の端緒を開いた大東亜戦争

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:06 投稿番号: [38780 / 41162]
第二次世界大戦後の世界の大きな流れの一つが、世界各地の植民地解放運動である。そのきっかけが日本の大東亜戦争であった。
  東南アジアにおける英米仏蘭の植民地は、日本軍の占領によって白人支配から解放され、新国家の建設が始まったのである。日本が負けると、白人は一時的に植民地に戻ってきたものの、もはや過去のように支配を続けていくことはできなかった。

  日本の戦いぶりに励まされ、民族意識、国家意識に目覚め、そして日本人によって国家運営の訓練を施されていた諸民族は、もはや白人支配に甘んじることはなかった。かくして東南アジアでは独立戦争が展開され、この新しい時代の潮流は、地球上の植民地に拡散していった。その結果として、敗戦国だけでなく戦勝国だったはずの列強も、次々と植民地を手放さざるを得なくなった。

  もちろん大東亜戦争の目的は「東亜の解放」だけではない。しかしアジアから列強勢力を駆逐し、諸民族と共存共栄を図らなければ、日本の国家としての生存権は守り難いとの認識は国民に一般的だった。そこから生まれたのが大東亜共栄圏の構想であり、それを実現するために「東亜の解放」が必要不可欠だと考えられたのだ。

  <日本軍によって白人世界帝国が終焉した事実>

  ・東南アジアの抵抗運動には、白人と提携していた華僑の反抗もあったし、日本の敗色が濃いと見て、イギリス側に寝返ったビルマ軍の例もあった。日本軍を「支配者」というなら、たしかに支配者として君臨していたし、当然のことながら統制も行い、作戦遂行中ゆえ、軍事的にも動員も行った。アジアの防衛戦争を継続中なのだから、独立を与えてすぐさま撤退するなどできるはずがない。

  日本人は、実直すぎる民族で、外交が下手である。東南アジアの住民は、歓迎の熱が冷めれば、厳格な日本軍は「嫌な存在」に変わったことは想像に難くない。しかし長く付き合えば無二の友邦にもなったであろう。そもそもわずか3年にも満たない進撃、占領期間で、前記も後期もあるまい。

  中国にいたっては、1951年に、「農奴解放」を大義名分に人民解放軍がラサに入り、チベットを軍事占領した。1959年には反中国暴動が発生しているが、いまだに占領は解かれていない。
 
  それに対して日本は、わずか3年足らずの間で、東南アジアの住民に近代国家のあるべき姿を教育し、次々と政府を樹立させていった。

  アジア諸国の独立は、やがて連鎖的にアフリカ植民地の独立をも誘発する。日本の植民地解放戦争は、白人世界帝国解体への起爆剤となったのだ。


  アメリカのJ・C・レブラ『東南アジアの解放と日本の遺産』

  「日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを、イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになる」ー東南アジア全域の独立運動について、日本軍占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力が、西洋植民地支配に対抗する決定力になったことを指摘している。

 
  A・トインビー

  「アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間、信じられてきたような不敗の神でないことを、西洋人以外の人種に明らかにした」−日本人が歴史に残した功績である。

 
  パラディ・デサイ博士(インド法曹界の長老)1947(昭和22)年

  「インドはまもなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで三十年も早まった。インドだけでなく、ビルマもインドネシアもベトナムも、東亜民族はみな同じである。インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興には惜しみない協力をしょう」

◆人種差別の壁を崩した日本 2

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:05 投稿番号: [38779 / 41162]
日本の提出した人種差別撤廃法案

  第一次大戦後、戦後処理を行った「パリ講和会議」(1919年1月18日開会)において、アメリカ全権であったウイルソン大統領は、世界秩序回復の為の、14か条を提唱した。しかし、この会議には、実は日本の代表団が提出した、「15番目の提案」があった。それは、「国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべき事」と言う提案であった。法案提出の事情には、当時、唯一有色人種の国家として、先進国の仲間入りをしつつあった日本が、人種的偏見によって不当に扱われるのを避ける狙いもあったであろう。しかし、1919年当時としては、「人種差別を撤廃する」と言うのは非常に画期的な主張であったと思われる。事実、当時アメリカで人種差別と闘っていた、「全米黒人新聞協会」は、「我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」、「全米1200万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」とコメントしている。

  アメリカのウイルソン大統領は、理想的人道主義者のように言われているが、自分の国内の事情もあり(注)、この法案の投票結果が17対11で賛成多数となると、突如、このような重要法案は、「全会一致でなければならない」として、「不採決」を宣言し、日本の提出した「人種差別撤廃法案」を葬り去ってしまった。

  当時、日本が取った行動と、アメリカがそれを葬り去った現実を比べてみると、一概に「日本が人種差別主義で、アメリカが人権の擁護者」と決め付けて良いのだろうか?

(注)当時のアメリカの状況について

  我々日本人が、アメリカの歴史の中で、如何に白人が黒人を差別し、黒人が差別撤廃のために闘って来たかを想像するのは容易な事ではない。アメリカでは、1857年に最高裁判決で、「差別をしても憲法違反にならない」、「黒人は市民ではなく、奴隷であり、憲法は白人のためのみにあるものであり、黒人は、白人より劣等な人種である」とはっきりと宣言している。その後の歴史はまさに、リンチと暴動と、暗殺の歴史である。特に、武器が民間人にも容易に手に入るアメリカにおいては、白人が集団で黒人をリンチし、むちで叩くとか、家を壊す、火をつける、ひどい場合には、電柱につるして銃で蜂の巣にするような事が公然と行われた。1908年(スプリングフィールド)の暴動では、黒人、白人あわせて2百人が拘留されたが、「白人で処罰された者は、一人もいなかった」。なぜだと思われるか?
  パリ講和会議が行われたのと同じ1919年には、シカゴで大規模な暴動が起きている。原因は、ミシガン湖畔で、「白人しか遊泳が許されていない水泳場に、無断で泳いで行った黒人青年が溺死した」事が発端であった。暴動によって街は無法地帯と化し、双方に多数の犠牲者が出た。家を焼かれたり壊されたりした黒人の数は、1000人を超え、同じ年に、アーカンソー、ネブラスカ、テネシー、テキサス、コロンビア特別区でも同様の暴動が起きている。ややさかのぼるが、1905年には、カリフォルニアで「日本人排斥運動」が起きている。
  これが、日本が「人種差別撤廃」を打ち出した当時、これを否定したアメリカ国内の偽らざる状況である。

◆人種差別の壁を崩した日本 1

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/02/11 15:04 投稿番号: [38778 / 41162]
戦後の徹底した情報操作とwadatumi_voice21のような反日バカサヨの跋扈に自分の頭で物事を考えることのできない日本人は日本は戦前戦中ひどいことををした国だと思っているのではないか?そんな人のために今まで目に触れ無いように隠されていた事柄に光を当てることによって真実はどうであったのかを知って頂きたいと思う。


1)人が人をつないだ鉄の鎖(ワシントンの博物館で見たもの)

  筆者は以前、ワシントンの国立自然博物館において、かつてアフリカの奴隷をアメリカにつれてくる際に使われた、鉄の鎖を見た。人が人を犬のようにつないだ鉄の鎖である。1441年、ポルトガルは、航海王ヘンリーの時代から、盛んにアフリカ西海岸を、探検し、多数の黒人を捕らえて奴隷として連れ帰る事を始めた。これ以来、スペインなど他のヨーロッパ諸国も追従し、黒人は、「黒い象牙」と呼ばれ、「商品」として売買された。スペインは、無敵艦隊の威力を背景に、盛んに中南米にも進出し、激しい植民地支配を行った。黒人奴隷達は、ヨーロッパ本国についで、キューバ、ハイチ、ブラジルなどの砂糖のプランテーションで働く労働者として盛んに連行された。イギリスは、後に奴隷貿易の独占的支配権を持つようになり、ヨーロッパの安価な品物を、ギニアの海岸で奴隷と交換し、大西洋を超えて西インド諸島に運んで、砂糖や鉱物と交換し、本国へ持ち帰ると言う、「三角貿易」を盛んに行うようになる。当時の支払い例によると、男一人あたりラム酒100ガロン、女一人あたり85ガロンであったと言う。奴隷となった黒人は、会社の印のついた「焼きごて」を胸に当てられ、狭い奴隷船にほとんど身動きできないほど詰め込まれて航海した。あまりの不衛生のため、奴隷船は3回も航海すれば捨てられたが、それでも莫大な利益が上がったという。航海の途中、多くの奴隷が発病し、それに加えて反乱を起こした者も、容赦無く海に投げ捨てられた。

  アメリカと言う国は、今でこそ、自由と民主主義の国、あるいは人権の擁護者のように振舞っているが、その根底は、人種差別と奴隷制度によって支えられて来た国である。人が人を犬のように鎖につなぎ、あるいは、家畜のように市場で品定めをして売買する。ヨーロッパ人が言う、キリスト教的な博愛とは、「同じ宗教を信ずる白人同士に限られた話」であって、異教徒や有色人種は、当時、博愛の対象ではなかったことを記憶されたい。(もしこの博愛が、全人類的博愛であれば、宗教戦争も、世界の植民地化もありえない事である。)

  国立アメリカ歴史博物館では、第2次大戦中の「日系人」に対する差別の展示もあった。法の下の平等とは言っても、それは言葉の上の事で、程度の差はあるものの、ほとんどの白人は、心のどこかに有色人種に対する優越感を持っている。第2次大戦中、米国民であるはずの日系人12万人が、家や財産を没収され、強制収用所に送られている。しかし、同じ敵性国民であった、ドイツ系、イタリア系アメリカ人が、強制収用所に送られる事は無かった。その理由はなぜだろうか?

  アメリカと言う国は、歴史的に調和を欠いた国である。白人と黒人、白人とインデアン、キリスト教徒とユダヤ教徒、黒人と韓国人、韓国人と日本人、さまざまな対立と闘争が、ずっと繰り広げられてきた。また、アメリカの歴史とは、開拓の歴史であり、開拓の歴史とは、すなわち侵略の歴史とほぼ等しい。

This land is mine, God gave it to me.と言う歌があるが、白人の勝手な言い分に聞こえるのは私だけだろうか。今でこそ、「人種差別はいけないこと」と言うけれど、人類の歴史には、いずこにおいても人種差別の概念があり、特に白人が、躊躇なくアフリカ、中南米、北米、そしてアジアを次々と侵略し、植民地としてきた歴史の裏側に、「根強い人種差別意識」がある事を忘れてはならないだろう。

  「人種差別の壁」によって近代の世界は形成され、白人の利益を基準にコントロールされてきたことを、我々は、もしかすると忘れてしまったのではないだろうか。

Re: 糧食送付

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/02/11 14:37 投稿番号: [38777 / 41162]
公娼制度で如何に多くの女性が救われたのかを知らないようだなぁ〜。

所詮、人間も動物、食欲、物欲、性欲有って当り前。

そう言った女性を貶める、反日サヨに迎合する無かれ〜。

Re: 糧食送付

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 14:23 投稿番号: [38776 / 41162]
禁欲主義者に一般人のことが判るかというと、夫れには無理が在るよね。

逆に禁欲主義者のことも一般人には理解するのは無理があるよね。

途中から禁欲したのならば、一般人のことも理解出来るだろうけどね。

一般人が途中から禁欲したとすればそれはそれで理解出来るだろうけどね。

君の論理を理解せよというのには無理があるよ、君は反省しなさい。

Re: 糧食送付

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/02/11 13:22 投稿番号: [38775 / 41162]
>行ったことが無ければ内部の事情は知らないんだね。

私は禁欲主義者であり、それらの施設に行くことはこれからもありえない。

君は行ったことがあるようだが、だからといってすなわちそれの労務規定が軍隊に適応したものであるかは未知数である。

したがって、貴殿のソープ嬢募集計画は無理と判断します。

Re: 糧食送付

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 13:03 投稿番号: [38774 / 41162]
行ったことが無ければ内部の事情は知らないんだね。

君が一回行って来てからお話ししましょうね。

そうしないと利用の形態が理解出来ないでしょう?

Re: 糧食送付

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/02/11 12:31 投稿番号: [38773 / 41162]
もちろん行ったことないよ。

蕃族の宗教間其の三

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 10:03 投稿番号: [38772 / 41162]
雨乞い

ニュフミンショ   シュサンビジョク(只今豚を屠りて供う)

アナキャハンモツ   ハミレクガガガ(仮令紊りに習慣を破る者ありとも)

カモアラフショ(雨ふらせ給え)

マホッケルサミウジャイ(我等は死の苦しみにあり)

バッカウットフガ   カモアラフショ   カモアラフショ(神よ我等を愛するならば雨を降らしめ給え降らしめ給え)

蕃族の宗教観其の二

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 09:49 投稿番号: [38771 / 41162]
舎加路番

神(リュットフ)   善神(ビッラクリュットフ)
          悪神(ヤッカイリュットフ)

神の善悪は結果によりて判断す神其の者には善悪なし
悪人は災害を受くるも神の悪しきによらず人の悪しき為なり
仲悪き者を夢に見たる時は「ヤッカイリュットフ」なり
仲良き者を夢に見たる時は「ビッラクリュットフ」
魂あればこそ人は互いに談話するを得
祖霊の保護あればこそ人は生活し得るなれされど何処に居るや不明なり唯夢にて其の姿を見得る

↑悪神を「ヤッカイ」と云う様だが、日本では厄介な出来事という表現を使うよね。

日本と非常に似た言葉だよね。

この様な人を日本人が馬鹿にする事は無いし、馬鹿にした事実は無い。

Re: 糧食送付

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 09:34 投稿番号: [38770 / 41162]
君は行ったこと在るの無いの、人に聞く前に自分の経験を教えるのが常識だよね。

それとも常識の無い人なの?

蕃族の宗教観

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 09:32 投稿番号: [38769 / 41162]
加拉歹番

神(リュツトノ)   善神(ビスチックリュットフトゥミンヌン)
          悪神(ヤッッカイリュットフ)

人には魂あり死後神となる而して魂は一つあるのみ
夢によりて神あるを知る
人の死後霊魂は「アトハン」に赴く
「アトハン」は「ビットンガサル」
霊魂は虹を渡りて「アトハン」に赴く而して馘首せざる男機織りの術を知らざる女は其橋を渡る能わず途中で死す
幽霊は人の形なり
・・・・云々

日本人に或る意味近い宗教観なんだね。

読まんぞ、wadatumi_voice21

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/02/11 09:22 投稿番号: [38768 / 41162]
ウザッタラシイだけだ、馬鹿!!

Re: 糧食送付

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/02/11 09:14 投稿番号: [38767 / 41162]
>従軍慰安婦の募集しなくてもソープ嬢を募集すれば良いんですよ。

ソープ嬢って、いわゆるソープランドというところで働いてる人のことだよな。

君はそういうところへ行ったことがあるのかい?

Re: 他国の人民を蕃族と蔑視した皇軍(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 08:54 投稿番号: [38766 / 41162]
加拉歹番

巴禺誇蘭番

舎加路番

鹿場番

汝水番

太湖番

屈尺番

■(草冠に奇)拿餌番

以上が蕃族の呼称だね。

之を知らずに馬鹿は捏造するんだね、いい加減な出任せを。

捏造とでっち上げが好きなワダツミの声

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2012/02/11 08:37 投稿番号: [38765 / 41162]
>>事件があったか   なかったか   などという論議は、既に無意味だ

と書いてあるのだから、書いた本人が、
・私が書いたことは、事実に基づくものではない
・私が書いたことは、捏造、出鱈目だらけです、
・私が書いたことは、でっち上げと嘘に基づきます

と自白した訳だ、、、、笑い

Re: 他国の人民を蕃族と蔑視した皇軍(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/11 08:36 投稿番号: [38764 / 41162]
蕃族とは中国人の言い方、日本人はその様な奥ゆかし言い方はしません、中国の呼称に習っただけです。

茲に根本的間違いが在るんだね、中国人の評価に関して。

中国の一般的兵士は中国人の間では、盗賊、殺人者等の犯罪者がなるものと云われているんだよね。

実に其の通りのことが中国で、戦前も、戦中も、戦後も行われて、数千万人の生命が奪われたことは記憶に新しいよね。

ウザイぞ、wadatumi_voice21

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/02/11 00:17 投稿番号: [38763 / 41162]
読まん!!

―The rape of Nanking― (3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 00:05 投稿番号: [38762 / 41162]
陸軍通牒などからも分かるとおり、当時   日本軍にとって、
中国戦線での強姦多発は   深刻な問題となっていた。
その対策として、慰安所の設置が   喫緊の課題となったのだ。
慰安所設置に関し、岡村中将(のち大将、支那派遣軍総司令官)は、
戦後の講演で次のように語っている。   (出典:防衛研究所図書館
所蔵「戦場に反映した国民精神」岡村寧次、昭和29年4月18日)

   軍司令官着任后先ず某師団長を訪問したところ、同師団長は
   「私の師団の将兵は   戦闘第一主義に徹し、勇剛絶倫なるも
   掠奪、強姦等の非行を軽視し、団結心強きも排他心も強い。
   南京事件は前師団長時代のことであるが相当暴行をしたことは
   確実である云々」   と、公平率直に報告した。
    (中略)
   当時各兵団は数十名の慰安婦を同行していた。兵站の重要なる
   一機関に   なっているが、強姦予防のため   上司も黙認と云ふ
   有様であったのである。   日露戦争時代には   慰安婦の同行は
   なかったが   強姦も無かったのである。

   我が陸軍では昭和七年春第一次上海事変の際、海軍側に倣って
   公然慰安婦を設けたのが最初である。   その当時極めて少数で
   あったが   強姦罪が   発生したが、此慰安婦を   始めてからは、
   此犯罪が無くなったのを記憶している。   然るに昭和十二年の
   今日慰安婦を   同行しても、なお多くの   強姦する者を   続出
   するのである。

第十一軍隷下で南京戦に参加し、その後に   師団長が交代したのは
第六師団長だけであるから、ここで「某師団長」とされているのは、
稲葉四郎中将であり、「前師団長」   というのは、戦後の南京の戦犯
裁判で死刑となった   谷壽夫中将のことだろう   と思われる。
以上のように   一般市民への残虐行為には、日本軍の幹部を含めて
加害者、被害者、第三者の   それぞれが、多数の証言を残している。

その時、その現場にいた人々が、実体験あるいは目撃した事実を語り、
記録していることを、ウソだ   捏造だ   などと口をきわめて罵るのは
世界中を探しても   日本国内の   馬鹿ウヨしか存在しない。
いまさら   南京事件はウソだったなどと   血眼で宣伝流布して、
いったい、何の利益があると   言うのだろうか。
むしろ   国際社会に対して   見苦しい醜態を   さらすだけだ。

本来   議論すべきことは、南京事件が   あったか無かったか  
などという   間抜けな話ではなく、そうした組織的な犯罪行為が
なぜ   発生したのか、なぜ   防げなかったのか、ということの
徹底検証であり、重要なことは、そのことによって二度と再び
世界に   悲劇を繰り返さないための教訓を   得ることだと思う。
 
 
 

―The rape of Nanking― (2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 00:04 投稿番号: [38761 / 41162]
岡村寧次大将は   ウソつき、あるいは   妄想家   なのだろうか。
そうでなければ、彼は軍人として   冷静に   状況判断したうえで、
南京攻略時において   「数万の   市民に対する   掠奪強姦等」の
「大暴行があったことは   事実である」   と断言したことになる。
松井司令官も、掠奪や強姦等の発生が事実あった、と認めている。
軍の高級幹部たちも   犯罪の事実を   認めざるを得なかったのだ。

一般民衆に対する   残虐行為の中でも、とくに   強姦が多発した。
当時の中国駐在のドイツ人の報告なども、強姦の多発を強調する。
初期の   中国戦線における   婦女暴行の多さを示す   史料として、
37年2月に   陸軍次官が   陸軍諸部隊に出した   通牒がある。
「支那事変地ヨリ帰還スル軍隊及軍人ノ言論指導取締ニ関スル件」
(出典:『日中戦争史資料9   南京事件Ⅱ』河出書房新社、1973年)

これは   帰還した兵士が、強姦などの事実を   証言することを
取り締まるように   という、「口止め」   のための   通牒だが、
それに添付された   「事変地ヨリ帰還ノ軍隊・軍人ノ状況」という
参考資料には、強姦について   次のような   帰還兵の露骨な言辞が
記録されている。

   ・○○デ   親子四人ヲ捕ヘ、娘ハ女郎同様ニ   弄ンデ居タガ、
    親ガ余リ娘ヲ返セト   言フノデ   親ハ殺シ、残ル娘ハ部隊
    出発迄   相変ラズ弄ンデ   出発間際ニ殺シテ了。
   ・或中隊長ハ、「余リ問題ガ起ラヌ様ニ金ヲヤルカ、又ハ用ヲ
    済マシタ後ハ分ラヌ様ニ殺シテ置ク様ニシロ」ト暗ニ強姦ヲ
    教ヘテヰタ。
   ・戦争ニ参加シタ軍人ヲ一々調ベタラ、皆殺人・強盗・強姦ノ
    犯人許リダラウ。
   ・戦地デハ強姦位ハ何トモ思ハヌ。現行犯ヲ憲兵ニ発見セラレ、
    発砲シテ抵抗シタ奴モアル。
   ・約半歳ニ亘ル戦闘中ニ覚エタノハ強姦ト強盗位ノモノダ。

諸国から「南京レイプ」   と呼ばれたほど   南京では強姦の発生が
多かったが、南京戦だけではなく、中国戦線各地でも多発したのだ。
この対策として、親告罪ではない戦地強姦罪を新設せよという主張が
日本軍の中からまで   出てきたり、慰安所を特設して   強姦の防止を
はかろうとするようになり、武漢攻略戦の際には、はやくも   多数の
慰安婦集団が   動員されて   第一線に追随し、占領直後に   慰安所を
開設したほどだった。

第十軍兵士、東京の岡本健三は   次のように   告白している。
「私たちは杭州湾に上陸した時から女に飢えていました。上官から、
女に手を出したら、後で殺せ、しかし、銃剣で刺殺したり、銃殺は
するな、という不文律のようなものを聞きました。これはおそらく
証拠隠しのためでしょう。しかし、処罰規定など事実上空念仏でした。
今まで処罰された者は一人もいません」

読売新聞従軍記者だった小俣行男は「中国戦線従軍記者の証言」で
上述の事実を、以下のように   補足している。
  「強姦をしなかった日本兵等   ほとんどいなかった」
  「女性は強姦されたあとは   必ずといっていいほど   殺された」

―The rape of Nanking― (1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/11 00:01 投稿番号: [38760 / 41162]
中国で多発した   一般市民への残虐行為、掠奪や強姦等は、
日本軍自身も   頭を悩ませるほどに   頻発、拡大していた。
少数の憲兵だけで、各地で多発する   犯罪の取り締まりは
ほとんど   不可能に近かった   と思われるが、
それでも   目にあまるものは   軍法会議にかけられた。

もちろん   それは、「九牛の一毛」   に過ぎないが、
「第十軍法務部陣中日誌」には、次の数字が   あげられている。

  1938年2月18日調べの   第十軍の被告事件   一覧表では、
  既決事件102人中   強姦22人、殺人27人、強盗殺人2人、
  傷害致死2人。   未決16人中   強姦2人、殺人1人となっている。
(出典:『続現代史資料・軍事警察』みすず書房   1982年、218頁)

これらの   摘発された   犯罪行為が“氷山の一角”であることは、
次に引用する   通牒によって、うかがい知ることができる。
これは、第十軍が   南京攻略の後に   杭州攻略に向かう際、
同軍参謀長が   12月20日付で   麾下諸部隊に   発したものだ。

   掠奪婦女暴行放火等ノ厳禁ニ関シテハ縷次訓示セラレタル所
   ナルモ、本次南京攻略ノ実績ニ徴スルニ婦女暴行ノミニテモ
   百余件ニ上ル忌ムベキ事態ヲ発生セルヲ以テ、重複ヲモ顧ミズ
   注意スル所アラントス

つまり、何度も注意を繰り返しているのに、同軍だけで、しかも
婦女暴行だけに   限っても、100件以上も発生するという事態
について   述べているのだ。

じつは、松井方面軍司令官自身も、その「戦陣日記」   の中に
掠奪、強姦について   記述している。   12月20日の項には
「一時我将兵ニヨリ   少数の掠奪行為   (主トシテ家具類ナリ)
強姦等モ   アリシ如ク、多少ハ   已ムナキ実情ナリ」   とあり、
さらに   12月26日の項には   「南京、杭州附近   又掠奪、
強姦ノ声ヲ   聞ク」   とある。

最高司令官自らが、多少の掠奪、強姦は   「やむをえない」という
認識だったのだから、将兵が人権意識に欠けるのは   当然だろう。
もちろん、「多少の」   件数でも、掠奪や強姦は   犯罪行為だ。
しかも、松井司令官の耳に入った犯罪件数は、ごく   一部だった。
南京攻略の翌38年8月に、武漢攻略戦のため   第十一軍司令官
として赴任した岡村寧次中将は、回想録に次のように書いている。

   上海に上陸して1、2日の間、先遣の宮崎参謀、中支那派遣軍
   特務部長   原田少将、杭州特務機関長   荻原少佐等から
   聴取したところを総合すれば   次のとおりであった。
   一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行が
   あったことは事実である。
   一、第一線部隊は給養を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
   (出典:『岡村寧次大将資料・上』原書房   1970年、291頁)

他国の人民を蕃族と蔑視した皇軍(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/10 23:59 投稿番号: [38759 / 41162]
靖国神社には、「台湾理蕃」で   先住民「討伐」の過程において
戦死した   約1500名の   「英霊」が   合祀されている。
しかし、その「英霊」を含む   皇軍兵士によって、天皇に逆らう
蛮族として   攻撃され、まるで虫けらのように   殺戮されていった
はるかに多数の先住民の死者は、誰一人として   記録されていない。

台湾原住民による   抗日運動は、「台湾理蕃」   終了から後の
昭和に入ってからも   発生した。   1930年10月に起きた
霧社事件などが   有名で、多数の死傷者が   出る事態となった。
もちろん   暴動事件のきっかけを作ったのは   日本人ではなく、
原住民だったかも知れないが、根底には   力による   民族支配、
その弊害が存在していた事実を   無視することは   できない。

当時、世界各地の   植民地では   自主権回復の気運が   昂揚し、
実際に   白人支配から脱して   独立する国々が   相次いでいた。
日本の植民地となっていた朝鮮でも、他のアジア諸国民と同様に、
民族自決の原則に基づく   祖国の独立を求め、幾度も立ち上がり、
そのたびに   日本軍部による   過酷な武力弾圧を   受け続けた。
特に有名なものとしては、3・1運動や   5・4運動などがある。

1919年1月21日、ソウルの徳寿宮で、日本に退位を迫られ
幽閉されていた李太王が   突然   死んだ。   日本は「脳溢血」と
発表したが、人々は、誰も   その発表を   信じなかったという。
この事件をきっかけに、3・1独立運動が   発展し、
ついに   同年3月1日、ソウルのパゴダ公園は   大勢の民衆で
あふれかえり、9年間使用禁止だった太極旗が   高々と翻った。

集会後、デモ行進が市内に向けて開始されたが、それに圧倒され、
鎮圧にきた日本の憲兵隊も   一時退却したほどだった   という。
朝鮮全土に広がった独立運動は、しかし、出動した日本軍の武力
弾圧により、徹底的に   押し潰された。
結局、朝鮮人が   悲願の独立を果たし、自主権を回復するのは、
日本帝国の無条件降伏、皇軍の壊滅を   待たねばならなかった。

日本帝国の支配が   台湾や朝鮮の近代化に寄与した側面はある。
しかし、「台湾理蕃」にしても   朝鮮の独立運動への弾圧にしても、
他国民の主権を侵して   武力で従わせることは、侵略行為であって
けっして「自衛戦争」   などではない。
仮に、「蕃族」を   文明化・近代化させるため   だからといって、
他国による武力侵略が   許されることには   ならないのだ。

「暴戻支那膺懲」を大義名分にして   中国大陸に大軍で押し寄せ、
各地で「事変鎮圧」に邁進した皇軍には、こうした“伝統的”な
意識が、根強く染み付いていた。   「支那人ハ戸籍法完全ナラザル
ノミナラズ   特ニ兵員ハ浮浪者多ク   其存在ヲ確認セラレアルモノ
少キヲ以テ」   「之レヲ   殺害」   しても   「問題トナルコト無シ」
と、侮蔑していた   中国軍兵士に対して、躊躇なく   残虐な行為が
繰り返されたのは、ごく   自然のことだった   と言えるだろう。

他国の人民を蕃族と蔑視した皇軍(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/10 23:39 投稿番号: [38757 / 41162]
南京虐殺事件の発生を招いた   大きな原因の一つには、やはり
当時の   皇国思想から醸成される   傲慢で不遜な   民族意識と、
それを反映したところの   他国民蔑視、特に   中国人や朝鮮人に
対する   根の深い侮蔑が、作用していた   と言えるだろう。

南京だけでなく、日本軍が武力侵攻した中国各地で、捕虜や
民衆に対して   残虐行為が多発した   背景には、日本軍に
内在していた   中国人民に対する蔑視、差別意識があった。
さらに   国際世論を恐れた政府が   あくまで   “事変鎮圧”
として片付けようとしたことが   国際法規無視を   招いた。

野蛮な中国人を、先進的で正しい日本人が   力で征伐する――
こうした位置づけが、血なまぐさい戦争を正当化し、
無法な武力侵攻と   残虐行為を   中国領土内に拡大していった。

敵の国民は皆   野蛮人であり、力をもって   討伐することは
「正義」を成すことである   という意識づけが、兵士たちに
刷り込まれた。   そのうえに、日本領土を侵略する   意図も、
その能力もなかった   当時の中国に攻め込む大義名分として
「暴戻支那膺懲」   つまり、中国人を「こらしめる」という
スローガンが   叫ばれた。   主権侵害以外の何ものでもない。

こうした他国民を見下した傲慢な視点は、日中戦争以前から
日本軍の戦略思想の基層には   すでに   存在していたようだ。
その実情を   うかがい知る資料として、『靖国神社忠魂史』を
あげることができる。  

靖国神社は、日本帝国が引き起した   すべての戦争を正当化
するための   宣伝施設としての機能を   常に果たしているが、
この『靖国神社忠魂史』には、日清・日露戦争や第一次大戦
といった   大戦争だけではなく、日本軍の海外派兵のすべてを
「正義の戦争」   として描いている。

その中には、たとえば   日清戦争後の「台湾討伐」(1895年)、
韓国併合後の「韓国暴徒鎮圧」(1906年)、
台湾人武力制圧のための「台湾理蕃」(1896〜1915年)、
満州事変後の「匪賊及び不逞鮮人の討伐」(1931〜1932年)など
植民地における抵抗運動に対する武力弾圧のすべてを   正義とし、
そこで死亡した日本軍兵士の全員を「英霊」   としている。

もともと   日本領土を侵略する意思も、その能力も持っていない
国々を「討伐」し、その主権を奪い、独立を求めての抵抗運動を
武力で制圧する行為を「正義」とする感覚は、まさに帝国主義だ。
古代のヤマト王権が   “まつろわぬ民”を   蝦夷、蕃夷と見なして
「征伐」し続けた血なまぐさい伝統を   引き継ぐ   「天皇の軍」
=皇軍としての   本質が、そこにあった。

たとえば、「台湾理蕃」は   5ヵ年計画で、台湾の先住民を
「討伐」し続け、徹底的に武力制圧して、大正3年までに
「目的を遂げることができた」   と記されている。
理蕃とは、『蕃人や蕃族を治める』   ということだ。

つまり、「文明化の使命」を担う日本帝国が、台湾の野蛮人を
天皇の統治の光輝に浴させるための戦争であり、その過程で
死んだ日本兵は「尊い犠牲を払った」のであるという論理だ。
「理蕃」と「正義」を振りかざし、他民族を力で「征伐」する
皇軍の行動規範には、後に   太平洋戦争の   大義名分となった
民族解放や   独立促進などの志向は、まったく   見いだせない。

fukagawatohei はサヨクではない

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/02/10 20:46 投稿番号: [38756 / 41162]
在日だよ、精神が歪みに歪んだ。   議論は無意味さ。

憎悪は娑婆で返せばいい。

まあな、そういうことだぜ、fukagawatohei 。

Re: 東條とケネディの比較 キューバ危機

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/10 13:41 投稿番号: [38755 / 41162]
>キューバと急場との掛詞

山田君、座布団全部持ってって!

Re: 東條とケネディの比較 キューバ危機

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/10 13:38 投稿番号: [38754 / 41162]
君は知らないのヤバイ時に大統領を殺してキューバを凌ぐ国なんだよ、脳死に近くなったよ君は、嘘吐く君。

キューバと急場との掛詞、嘘吐く君。

東條とケネディの比較 キューバ危機

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/10 13:24 投稿番号: [38753 / 41162]
ケネディ政権がキューバ危機の時に東條内閣の立場を嫌というほど味わったのは有名。

ケネディと東條は本当にヤバイ時に上手く切り抜けられるアメリカと、完全にぶっ壊れるまでどこまでも突き進むバカで間抜けな日本との決定的な違いを世界に示した。

Re: 竹槍事件 勅令?(笑

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/10 12:05 投稿番号: [38752 / 41162]
トウヘイは全くの白痴だという事実を晒しているんだよね、嘘吐く白痴君。

Re: 竹槍事件

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/10 12:03 投稿番号: [38751 / 41162]
明治十八年官報

明治十八年十二月二十二日

任内閣総理大臣兼宮内大臣   伊藤博文

唐変木はいい加減、嘘吐くのを止めなさい、迷惑千万だよ、嘘吐くな。

間違いだらけの資料などは読みたくもないよ、嘘吐き野郎君。

Re: 竹槍事件 勅令?(笑

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/10 11:42 投稿番号: [38750 / 41162]
>出典は総て勅令による>

バカ天の勅令なんかどうでもいいが。
東條某が大バカだという事になぁ〜んの変わりも無いわ(嘲笑)

Re: 竹槍事件

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/10 11:28 投稿番号: [38749 / 41162]
明治三十一年二月一日

本月内閣総理大臣伯爵伊藤博文の臨時外務大臣の兼任を解かれ候・・・云々

↑兼任は明治時代から慣例としてあるんだよ、嘘つくなよ。

Re: 竹槍事件

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/10 11:23 投稿番号: [38748 / 41162]
兼任しては駄目だという慣例は何時から在って、誰が決めたんだい、嘘吐く君。

Re: 竹槍事件

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/10 11:21 投稿番号: [38747 / 41162]
然し乍ら、昭和十九年二月十五日予算委員会の肩書きには内閣総理大臣兼陸軍大臣兼軍需大臣となっているよね、嘘吐く君。

昭和十九年八月八日内閣総理大臣小磯國昭、陸軍大臣杉山となったんだね、嘘吐く君。

出典は総て勅令による、嘘吐かないよ当方は、嘘吐く唐変木君。

Re: 竹槍事件 fukagawatoheiは左翼ではない

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/02/10 11:19 投稿番号: [38746 / 41162]
>〔しかし、東條某って野郎は本当にバカだなぁ〜、嘲笑)

日本人へのイヤガラセである。

在日韓国人が日本人を憎悪じている。それだけが中味である。

wikipediaの杜撰さを指摘されると、「これ有名な人が書いたんだけどね〜」と逃げるほどのノータリンかつ恥知らずなのである。

wikipediaは匿名がウリではないか!

日本人に対する憎悪、憎悪、憎悪、それだけである。

憎悪に対しては憎悪で報いればいい。議論は無駄、無用である。

fukagawatoheiの書き込みが不愉快なら、その分だけ娑婆で在日や韓国人を憎めばいい。

憎悪には憎悪で報いる。それが処理の仕方というものである。

やればいい、思う存分!!

Re: 竹槍事件

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/10 11:16 投稿番号: [38745 / 41162]
>東條英機総理大臣兼軍需大臣だね、陸軍大臣を兼務じゃないよ

はいはい、うそつきニャンコチャン。

(wikipedia参照)

東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。

権力の強化を志向し複数の大臣を兼任し、慣例を破って陸軍大臣と参謀総長を兼任した。

陸軍大臣、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任。
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