他国の人民を蕃族と蔑視した皇軍(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/10 23:59 投稿番号: [38759 / 41162]
靖国神社には、「台湾理蕃」で
先住民「討伐」の過程において
戦死した 約1500名の 「英霊」が 合祀されている。
しかし、その「英霊」を含む 皇軍兵士によって、天皇に逆らう
蛮族として 攻撃され、まるで虫けらのように 殺戮されていった
はるかに多数の先住民の死者は、誰一人として 記録されていない。
台湾原住民による 抗日運動は、「台湾理蕃」 終了から後の
昭和に入ってからも 発生した。 1930年10月に起きた
霧社事件などが 有名で、多数の死傷者が 出る事態となった。
もちろん 暴動事件のきっかけを作ったのは 日本人ではなく、
原住民だったかも知れないが、根底には 力による 民族支配、
その弊害が存在していた事実を 無視することは できない。
当時、世界各地の 植民地では 自主権回復の気運が 昂揚し、
実際に 白人支配から脱して 独立する国々が 相次いでいた。
日本の植民地となっていた朝鮮でも、他のアジア諸国民と同様に、
民族自決の原則に基づく 祖国の独立を求め、幾度も立ち上がり、
そのたびに 日本軍部による 過酷な武力弾圧を 受け続けた。
特に有名なものとしては、3・1運動や 5・4運動などがある。
1919年1月21日、ソウルの徳寿宮で、日本に退位を迫られ
幽閉されていた李太王が 突然 死んだ。 日本は「脳溢血」と
発表したが、人々は、誰も その発表を 信じなかったという。
この事件をきっかけに、3・1独立運動が 発展し、
ついに 同年3月1日、ソウルのパゴダ公園は 大勢の民衆で
あふれかえり、9年間使用禁止だった太極旗が 高々と翻った。
集会後、デモ行進が市内に向けて開始されたが、それに圧倒され、
鎮圧にきた日本の憲兵隊も 一時退却したほどだった という。
朝鮮全土に広がった独立運動は、しかし、出動した日本軍の武力
弾圧により、徹底的に 押し潰された。
結局、朝鮮人が 悲願の独立を果たし、自主権を回復するのは、
日本帝国の無条件降伏、皇軍の壊滅を 待たねばならなかった。
日本帝国の支配が 台湾や朝鮮の近代化に寄与した側面はある。
しかし、「台湾理蕃」にしても 朝鮮の独立運動への弾圧にしても、
他国民の主権を侵して 武力で従わせることは、侵略行為であって
けっして「自衛戦争」 などではない。
仮に、「蕃族」を 文明化・近代化させるため だからといって、
他国による武力侵略が 許されることには ならないのだ。
「暴戻支那膺懲」を大義名分にして 中国大陸に大軍で押し寄せ、
各地で「事変鎮圧」に邁進した皇軍には、こうした“伝統的”な
意識が、根強く染み付いていた。 「支那人ハ戸籍法完全ナラザル
ノミナラズ 特ニ兵員ハ浮浪者多ク 其存在ヲ確認セラレアルモノ
少キヲ以テ」 「之レヲ 殺害」 しても 「問題トナルコト無シ」
と、侮蔑していた 中国軍兵士に対して、躊躇なく 残虐な行為が
繰り返されたのは、ごく 自然のことだった と言えるだろう。
戦死した 約1500名の 「英霊」が 合祀されている。
しかし、その「英霊」を含む 皇軍兵士によって、天皇に逆らう
蛮族として 攻撃され、まるで虫けらのように 殺戮されていった
はるかに多数の先住民の死者は、誰一人として 記録されていない。
台湾原住民による 抗日運動は、「台湾理蕃」 終了から後の
昭和に入ってからも 発生した。 1930年10月に起きた
霧社事件などが 有名で、多数の死傷者が 出る事態となった。
もちろん 暴動事件のきっかけを作ったのは 日本人ではなく、
原住民だったかも知れないが、根底には 力による 民族支配、
その弊害が存在していた事実を 無視することは できない。
当時、世界各地の 植民地では 自主権回復の気運が 昂揚し、
実際に 白人支配から脱して 独立する国々が 相次いでいた。
日本の植民地となっていた朝鮮でも、他のアジア諸国民と同様に、
民族自決の原則に基づく 祖国の独立を求め、幾度も立ち上がり、
そのたびに 日本軍部による 過酷な武力弾圧を 受け続けた。
特に有名なものとしては、3・1運動や 5・4運動などがある。
1919年1月21日、ソウルの徳寿宮で、日本に退位を迫られ
幽閉されていた李太王が 突然 死んだ。 日本は「脳溢血」と
発表したが、人々は、誰も その発表を 信じなかったという。
この事件をきっかけに、3・1独立運動が 発展し、
ついに 同年3月1日、ソウルのパゴダ公園は 大勢の民衆で
あふれかえり、9年間使用禁止だった太極旗が 高々と翻った。
集会後、デモ行進が市内に向けて開始されたが、それに圧倒され、
鎮圧にきた日本の憲兵隊も 一時退却したほどだった という。
朝鮮全土に広がった独立運動は、しかし、出動した日本軍の武力
弾圧により、徹底的に 押し潰された。
結局、朝鮮人が 悲願の独立を果たし、自主権を回復するのは、
日本帝国の無条件降伏、皇軍の壊滅を 待たねばならなかった。
日本帝国の支配が 台湾や朝鮮の近代化に寄与した側面はある。
しかし、「台湾理蕃」にしても 朝鮮の独立運動への弾圧にしても、
他国民の主権を侵して 武力で従わせることは、侵略行為であって
けっして「自衛戦争」 などではない。
仮に、「蕃族」を 文明化・近代化させるため だからといって、
他国による武力侵略が 許されることには ならないのだ。
「暴戻支那膺懲」を大義名分にして 中国大陸に大軍で押し寄せ、
各地で「事変鎮圧」に邁進した皇軍には、こうした“伝統的”な
意識が、根強く染み付いていた。 「支那人ハ戸籍法完全ナラザル
ノミナラズ 特ニ兵員ハ浮浪者多ク 其存在ヲ確認セラレアルモノ
少キヲ以テ」 「之レヲ 殺害」 しても 「問題トナルコト無シ」
と、侮蔑していた 中国軍兵士に対して、躊躇なく 残虐な行為が
繰り返されたのは、ごく 自然のことだった と言えるだろう。
これは メッセージ 38757 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.