南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか⑥

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:35 投稿番号: [30363 / 41162]
>九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ監視兵ヲ附ス
   午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル結果、
   各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ連連五十名宛レ出シ、第一中隊ハ
   路営地南方谷地   第三中隊ハ路営地西南方凹地   第四中隊ハ露営地
   東南谷地ニ於テ刺殺セシムルコトトセリ
   但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ察知
   サレザル如ク注意ス

   各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分刺殺ヲ
   終リ聯隊ニ報告ス
   第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
   捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、銃剣ノ前ニ乗リ
   出シ従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願セル
   モノアリ   特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ

↑これは日本軍の書式と違うものである。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか⑥

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:33 投稿番号: [30362 / 41162]
南京で銃撃が行われたという事実は、南京国際委員会の誰もが証言していない。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか⑤

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:18 投稿番号: [30361 / 41162]
戦闘詳報の中で、捕虜殺害の命令を受けた事実は何処にも書いてない。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか④

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:17 投稿番号: [30360 / 41162]
捕虜の殺害を命じた命令書は何処にも無い。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか②

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:16 投稿番号: [30359 / 41162]
南京で少なくとも、捕虜の解放をした事実は記録写真に残っている。

嘘はいかんよ。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか①

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:15 投稿番号: [30358 / 41162]
南京事件は、東京裁判の陳述の中でも証明出来ていない、嘘はいかんよ。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか①

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2009/12/24 21:07 投稿番号: [30357 / 41162]
日本軍の捕虜を惨殺して当たり前のシナ兵に対しては、何も言えない我罪。

米軍の日本兵に対する虐殺には何にも言えずの、我罪〜。

有象無象が何度も同じコピペ  (笑

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/24 21:03 投稿番号: [30356 / 41162]
ヤレヤレー    (笑

読まないけどな    (大笑

南京虐殺はなぜ起きたのか⑨

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:30 投稿番号: [30355 / 41162]
国際委員会の要請も無視して、難民区での掃蕩作戦は凄惨をきわめた。
第九師団第七歩兵聯隊長の日記では
「三日間ニ亘ル掃蕩ニテ約六戦五百ヲ厳重処分ス」
また、戦闘詳報では
「刺射殺数(敗残兵)六六七〇」(資料集「南京城内掃蕩成果表」)
との記録が   残されている。

この市内掃蕩は、国際委員会が難民保護にあたっていた安全区を
主な舞台として行なわれた。
このことから、当時から世界中に広く知られることになった。
そのやり方は、青壮年を狩り集め、額に日焼けの線がある者、
靴ずれのある者、姿勢のよい者、眼つきの鋭い者などの
いい加減な基準で「兵士」を選び出し、処刑の対象にしていった。

この難民区での「掃蕩」については、多くの国際委員会関係者の証言が
残されているだけでなく、日本軍側の聯隊長や兵士の証言も残されており、
歩兵第七聯隊の戦闘詳報の裏づけとなっている。
大虐殺否定論者は、この掃蕩は「戦闘行為の継続」なのだから、
不法行為ではない、などと主張してみせる。   だが、実際は
きわめて曖昧な基準で「便衣兵」を選び出して   処刑したのだ。

また、たとえ兵士であったとしても、
裁判にもかけず   いきなり殺したのは   違法であり、非人道的行為だ。
日本も批准公布していたハーグ会議での陸戦法規条約は
「武器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を
厳格に禁じている。
武器を捨て、軍服を脱ぎ、ひたすら死を逃れようとしていた者を、
それが兵士であったとしても、すぐに殺してよいということはない。

それは不法殺害であり、虐殺という部類に当然入るはずだ。
一個聯隊だけの市内掃蕩で6,000名以上の「敗残兵」の国際法に背く
殺害が実行されたことが、公式に記録され、証言で裏づけられている。

大虐殺否定派の中には   苦し紛れに、便衣兵はゲリラ活動する者だから
国際法の捕虜としての資格はない   などと主張している者もいる。
しかし、すくなくとも南京の場合、「便衣兵」がゲリラとして
意図的に敵対行動をとっていた事実はなく、殺されるのを怖れ
平服に着替えて隠れていた戦意を失った兵士や、
兵士の疑いのある市民が   殺害されたのだ。
しかも   その舞台の一部が、国際安全区だったのだ。

日本人が、日本人らしさを最も失っていた軍国時代に起きた悲劇。
その現実に向き合わなければ、未来に責任を持つことはできない。
歴史を省みることは   自虐でもなければ   恥でもない。
恥だとすれば、歴史を都合よく歪曲することだ。
国際社会が進展している現代にあっても、いまだに   他国の人々を
侮蔑しようとする傲慢な日本人がいる。
「中国兵捕虜は、他国人のように国際法に基く処置をしなくてもよい」、
「殺しても問題にはならない」という侮蔑が、
違法な残虐行為の根底にあったことを   忘れてはならない。

南京虐殺はなぜ起きたのか⑧

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:28 投稿番号: [30354 / 41162]
「宮様」も参加する南京入城式の成功に向けて、
すでに戦闘能力を失った敵に対し、徹底した掃蕩作戦が展開された。
12月13日に   第十軍が発令した南京城内攻撃作戦命令では、
「各兵団は城内に対し砲撃はもとよりあらゆる手段を尽くして
敵を殲滅すべし」   「これが為要すれば城内を焼却し特に敗残兵の
欺瞞行為に乗ぜられざるを要す」   と示していた。

仮に、中国の敗残兵が潜んでいたとしても、
非戦闘員である市民の居住区、さらに外国人も残留している城内に対し、
砲撃や焼き払いなどを行なう   というのは、まさに   無差別攻撃だ。
さらに、驚くべき命令が出る。
第十六師団の歩兵第三十旅団が12月14日午前4時50分に下達した
城内掃蕩命令では、「各隊ハ師団ノ指示アル迄捕虜ヲ受付クルヲ許サズ」

すでに城内の各所で掃討作戦が行なわれている時点で、
「敵を捕虜にするな」   ということは、いったい   何を意味するのか。
13日から14日にかけての城内掃蕩によって、どれだけの中国兵
もしくは   敗残兵と見なされた中国人が殺されたのか明確ではないが、
中山路以南の掃蕩を担当した第九師団だけに限っても
「7千余ノ敗残兵ヲ殲滅セリ」(第九師団作戦経過概要)と記録する。
このことから、他の師団を合わせれば   何万人もの中国人が、
短期間に殺されたことが   はっきりと分かる。

日本軍の市内掃蕩で   多くの中国人が殺されたが、
一部は国際委員会が管理する難民区に逃げ込んだ。
これについて   国際委員会のラーベ委員長(ドイツ人)は、
彼らを武装解除して収容しているから、その生命を助けてくれという
要請書を日本軍に提出した。
(笠原十九司「南京難民区の百日」、岩波書店)
これを受けて   中支那方面軍は、難民区には入らないように指示した。

しかし、この指示は   まったく守られなかったといえる。
入城直後から日本兵が難民区に侵入し、掠奪や強姦を
繰り返したことについては、おびただしい数の外国人の証言があるし、
さらに   第九師団歩兵第七聯隊の戦闘詳報や   従軍者の日記にも
この時期、難民地区にまで侵入し、徹底的に敗残兵の捕捉殲滅作戦が
行なわれていたことが   記録されている。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか⑥

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:27 投稿番号: [30353 / 41162]
歩兵第六十六聯隊第一大隊の戦闘詳報の13日の記事には、
さらに   次のような記述がある。

九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ監視兵ヲ附ス
   午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル結果、
   各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ連連五十名宛レ出シ、第一中隊ハ
   路営地南方谷地   第三中隊ハ路営地西南方凹地   第四中隊ハ露営地
   東南谷地ニ於テ刺殺セシムルコトトセリ
   但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ察知
   サレザル如ク注意ス

   各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分刺殺ヲ
   終リ聯隊ニ報告ス
   第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
   捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、銃剣ノ前ニ乗リ
   出シ従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願セル
   モノアリ   特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ

武装を解除し   一旦収容された捕虜を、裁判にもかけず殺すことは、
明かに陸戦条約違反であり、人道に反する残虐行為にほかならない。
一つの部隊だけでも、上記のような数日にもわたる組織的な大量殺害が
実行されたのだ。日本軍全体での捕虜殺害は、どれ程のものだったのか
想像を絶する膨大な犠牲者であったことは   間違いないだろう。

南京大虐殺として事件が国際的に知られるようになったのは、
市内での「敗残兵の掃蕩」と難民区からの「便衣兵の摘出」による
集団処刑が   外国人の眼にふれたことによってだった。

中国軍の南京防衛軍司令官   唐生智恵は、12月12日夕刻
「各隊各個に包囲を突破せよ」と命令し、揚子江を渡って脱出した。
このため中国軍は一挙に崩壊し、脱出するもの、投降するもの、
武器を捨て軍服を脱ぎ、便衣(中国人の平服)に着替えて
市内に潜伏するものなど、完全に四散して
軍隊としての戦闘能力は   すでに   消滅していた。

これに対し   日本軍は、市内の「中国軍」の徹底的な「殲滅」を命じ、
14日以降も   市内の掃蕩を行なった。
この掃蕩は、皇族の朝香宮も参加する17日の「入城式」以前に、
市内に潜む「中国兵」狩りを目的としたものだった。

南京虐殺はなぜ起きたのか⑥

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:25 投稿番号: [30352 / 41162]
支隊長の日記には、捕虜の処置について軍司令部と打ち合わせしたこと、
その結果、皆殺しにせよとの支持があった   ということが記されている。
さらに   日記は続く。
18日に「捕虜ノ仕末ニテ隊ハ精一杯ナリ、江岸ニ之ヲ視察ス」とあり、
19日には「捕虜仕末ノ為出発延期、午前総出ニテ努力セシム」とある。
(「南京戦史資料集Ⅱ」偕行社、1993年)

この日記には、捕虜の「仕末」についての具体的な「方法」は
記述されていない。
しかし、記述されていないこと自体が、その実態を   物語っている。
前後の記述を見れば、部隊が軍司令部の指示により   殺害したことは
明白であり、他の幹部や兵士の日記と照らし合わせればより確実になる。
それらは   いずれも17〜19日にかけて
部隊総出で大勢の捕虜を揚子江岸で   射刺殺したことを記述している。

一つの支隊だけで、少なくとも1万数千人の捕虜を殺したことが分かる。
第九師団については史料が乏しいが、入城後の敗残兵摘出で、
歩兵第七聯隊戦闘詳報では6,670、
同聯隊長の日記では6,500を「処断」した   と記されている。

南京にいたる間の戦闘や入城時に   同師団のその他の部隊が
まったく捕虜を殺していないということはあり得ないことであり、
数は膨大なものになった   と考えるべきだろう。

第十軍の第百十四師団では、歩兵第六十六聯隊第一大隊の戦闘詳報が
残されており、12月10日から13日のあいだに
捕虜1,657人を捕らえたこと、この捕虜を   旅団命令で
14日に   すべて殺したことを、具体的に記述している。
記述によれば、数日間にわたって収容していた捕虜を、
上部の命令で組織的に虐殺したことがあきらかにされている。
以下に   13日の記事の一部を抜粋してみよう。

   八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
    イ.旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ  
      其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
    ロ.兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シテ置クベシ
    ハ.聯隊ハ旅団命令ニ依リ主力ヲ以テ城内ヲ掃蕩中ナリ
      貴大隊ノ任務ハ前通リ

南京虐殺はなぜ起きたのか⑤

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:10 投稿番号: [30351 / 41162]
南京後略戦に直接参加した部隊の中で、上海派遣軍では
第十六師団の歩兵第三十三聯隊と歩兵第三十八聯隊、
第九師団の歩兵第七聯隊、第三師団の歩兵第六十八聯隊の第一、第三大隊、
第十軍では第百十四師団の歩兵第六十六聯隊第一大隊と歩兵第百五十聯隊、
国崎支隊、歩兵第四十一聯隊の第三大隊、同第十二中隊の戦闘詳報が、
防衛研究所図書館に所蔵されている。
その関係部分が   偕行社の『南京戦史資料集』に   収録されている。

また、この資料集には、多くの関係将兵の日記も収められている。
第十六師団長の日記によると、同師団は12月13日の1日だけで
2万4千〜5千人の捕虜を「片づけた」   と記録しており、
同師団の旅団長も「我支隊のみで二万以上の敵は解決した」としている。
また、同師団隷下の歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報では、
13日に捕虜2,896を「処断」した   と記録されている。

上記の師団長日記が、もしも   誇大な数を記したものと仮定しても、
第十六師団全体で、少なくとも2万人を超す捕虜を   殺したことになる。

上海派遣軍のなかで、もっとも組織的に捕虜の大量殺害を実行したのは
第十三師団歩兵第百三旅団指揮下の歩兵第六十五聯隊基幹Y支隊とされる。
同支隊は、12月14日に幕府山付近で   14,777名を捕虜にした。
この人数は、当時の国内の新聞にも報道されており、
同支隊の幹部や兵士の日記にも記録されている。
そのほか、17,000名とか20,000名という記述もある。

上海派遣軍の参謀長の12月15日の日記にも
「Y支隊ノ俘虜東部上元門附近ニ一万五、六千アリ、尚増加ノ見込」
とあることから、14日以降も捕虜は増え続けていたことがわかる。

支隊は、この大量の捕虜を   いったんは収容したが、
隊の兵力の数倍にのぼる数で、その給養にも困惑した。
支隊長の日記によると、14日には
「恰モ発見セシ上元門外ノ学校ニ収容セシ所、一四七七七名ヲ得タリ」
「斯ク多クテハ殺スモ生カスモ困ツタモノナリ」、
また   15日には
「捕虜ノ仕末其他ニテ騎兵少尉ヲ南京ニ派遣シ連絡ス」
「皆殺セトノコトナリ」   と記されている。


南京虐殺はなぜ起きたのか④

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:08 投稿番号: [30350 / 41162]
軍や師団の幕僚が   捕虜の殺害を指示していたという証言には、
次のような例もある。
上海派遣軍の右翼を進んだ独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊の中尉は、
12月14日仙鶴門鎮付近で大部隊を捕虜にした際の状況を証言している。

   捕虜の数は約一万でしたが、早速軍司令部に報告したところ、
   「直ちに銃殺せよ」と言ってきたので拒否しましたら
   「では中山門まで連れて来い」と命令されました。
   「それも不可能」と断わったら、やっと「歩兵四コ中隊を増援
   するから連れて来い」ということになり、私も中山門近くまで
   同行しました。(中略)
   「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、誰が命令を下したのか。
   当時、私の胸が痛かった印象は、従軍中はもとより今日に至るまで、
   私の脳裡から離れません。
   (畝本正巳「証言による『南京戦史』(5)」)

師団副官が捕虜を殺せと指示したという歩兵第三十八聯隊副官の
次の証言もある。

   聯隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、
   彼我入り乱れて    混戦していた頃、師団副官の声で、
   師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」
   と電話で伝えられた。(中略)
   部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、
   拡大隊に下達しましたが、拡大隊からは、その後何ひとつ
   報告はありませんでした。

師団が捕虜の処置を決めて指示したという史料も残されている。
第十三師団は、10月9日付師団司令部名で「戦闘に関する教示」を出し、
中国人捕虜の扱いについての方針を   次のように示していた。

   (前略)捕虜中将校ハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、
   師団司令部ニ護送スルヲ要ス   此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ
   宣伝ニ利用スルモノニ付、此ノ点部下各隊ニ徹底セシムルヲ要ス
   但シ少数人員ノ捕虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スルモノトス
   (防衛研究所図書館所蔵「第十三師団戦闘詳報別紙及附図」第一号)

武装を解除した後の捕虜を、裁判もなしに   その場で処刑することは
明白な国際法違反であることは   言うまでもない。
もちろん、捕虜になる意思を示して自ら降伏してくる敵も同様だ。
しかし、「事変」と称した大量殺戮の場では   国際法は適用されず、
道義的規範は   完全に無視されたのだ。

南京虐殺はなぜ起きたのか③

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:06 投稿番号: [30349 / 41162]
当時の方面軍司令は、捕虜の処置についての関心は
あまりなかった   と思われる。
その証言(吉田裕『南京事件と国際法』より)の中で、
南京での捕虜殺害について、次のように   述べている。

   捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせる物もない。
   さういふ状態で戦闘しつつ捕虜が出来るから始末することが
   出来ない。
   それで   ちよん斬つてしまうといふことになった。

   それで大したことではないのだが、南京の東南方の鎮江との間の所で
   一万余の捕虜があつたのだけれども、そんなのは無論追撃中だから
   戦闘中と見てもよろしい、又捕虜となつても逃亡する者もあるし、
   始末が付かぬものだからシヤーシヤーと射つてしまつたのだ。

   その死骸が川に流れた。   それから問題になつたのだ。

捕虜の大量処刑を「戦闘行為の一部」として済まそうとした
というのだ。
どうやら、日本軍の司令官は、中国軍捕虜を処分することを
国際法上の犯罪とは考えていなかったことがうかがえる。

このほかにも、軍や師団が   捕虜の「処分」を命令または指示し、
組織的な殺害がおこなわれていたという史料は、数多く存在している。
派遣軍司令部の情報主任参謀で方面軍参謀を兼ねていた中佐が、
捕虜をどうするか   という師団からの問い合わせにたいして、
くりかえし「ヤツチマエ」と命令していた   という証言がある。
これは、当時少佐で方面軍司令の専属副官であった人物の証言だ。

おそらく、南京虐殺「まぼろし説」を振りかざす否定派などは、
こうした数々の証言を   すべて   捏造だ、ウソだ、などと
否定しようとするだろう。
しかし、前述に引用した陸軍次官通牒や戦闘詳報など日本軍の記録には
これらの証言を裏付けるように、日本軍の中国軍兵士への認識や
対処方針などが示されており、資料的価値は十分にあるものだ。

南京虐殺はなぜ起きたのか②

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:04 投稿番号: [30348 / 41162]
前述したように、日本軍には   すくなくとも中国兵捕虜に対しては、
他国の兵士のような処置は不要である、という差別意識が根付いていた。
さらに、念頭に置くべきことは、日中戦争が全面化し始めたとき、軍部は
これを   「戦争」ではなく「事変」であるから、戦時国際法は適用しない
と決定したことだ。

支那駐屯軍が華北で総攻撃を開始した直後の1937年8月5日、
陸支密第198号支那駐屯軍参謀長宛陸軍次官通牒「交戦法規ノ
適用ニ関スル件」で、次のように示されている。

   一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
    「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
    具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ

さらにまた、「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ
言動、例ヘバ戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」などは
「つとめて避けよ」   と指示している。
つまり、国際法規は適用しない、俘虜という言葉は使うな、と命じたのだ。
要するに、中国兵は   国際法上の捕虜として処遇しなくともよい――
ということになる。

こうした軍中央部の方針は、ただちに現地軍に伝えられた。
現地の日本兵は、これを   捕虜はつくるな、捕虜にせず殺せ、と受け止めた。
とくに   上海戦での苦戦によって   敵愾心にあふれた第一戦部隊に、
捕虜を躊躇なく殺す例が   数多くあらわれたのは   こういう理由だ。

「他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁」する必要はない、
「之レヲ殺害」しても「問題トナルコト無シ」と侮蔑していた中国兵を、
わざわざ収監したり   護送したりするなどの面倒な手間は   いらなかった。
しかも、国際法規を気にする必要はない   と指示されたのだ。
条約に基づく人道的扱いなど、日本軍の念頭から消えたのは   当然だった。

日本軍の包囲網が完成したことにより、南京城内及び周辺地域には  
少なくとも10万人程度の中国兵が逃げ遅れて投降したと推定される。
これに対し   日本軍側には、捕虜収容の用意は   まったくなかった。
これを裏付けるものとして、
大量の捕虜の処置に窮し、上級司令部が殺害を命じたという証言がある。

南京虐殺はなぜ起きたのか①

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/24 20:03 投稿番号: [30347 / 41162]
南京周辺における戦闘にさいしての日本軍による大虐殺の中で、
とくに問題になるのは、婦女暴行や   民間人虐殺ばかりでなく、
大量の捕虜の殺害が   組織的に行なわれたことにある。
裁判にもかけずに捕虜を殺害するのは、明白な国際法違反にあたる。
1899年に制定された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」には、
日本帝国政府も加入し、1912年に批准している。

これは   捕虜に対する人道的処遇について定めたものであり、
人権尊重の観念の生まれた近代社会になって、
戦争の遂行について   はじめて国際的な規範を示したものだった。
日本は、みずからを近代国家として世界に認知させようとしている間は、
戦時国際法を遵守する努力をしていた。たとえば、日露戦争における
ロシア人捕虜や第一次大戦におけるドイツ人捕虜を収容所で厚遇するなど、
当時の日本は   国際条約の「模範的」な履行者だった。

しかし、欧米人に対する場合と   アジア人に対する場合には
異なった基準があり、それは   軍国主義が強まる昭和に入って露骨になる。
満州事変を経たのちの   1933年1月、陸軍歩兵学校は
「対支那軍戦闘法ノ研究」というパンフレットを参考書として配布した。
その中に「捕虜ノ処置」という項目があり、以下のように書かれている。

   捕虜ハ他列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁シテ戦局ヲ
   待ツヲ要セズ、特別ノ場合ノ外現地又ハ他ノ地方ニ移シ釈放シテ
   可ナリ
   支那人ハ戸籍法完全ナラザルノミナラズ特ニ兵員ハ浮浪者多ク
   其存在ヲ確認セラレアルモノ少キヲ以テ   仮ニ之レヲ殺害又ハ
   他ノ地方ニ放ツモ世間的ニ問題トナルコト無シ

中国兵捕虜は、他国人のように国際法に基づく処置をしなくてもよい、
殺害しても世間的に問題にはならない――   と述べているのだ。
この文書には、あきらかに   中国の人々への蔑視があらわれている。
当時、日本人には   他のアジア諸国民を見下す思想が植付けられていたが、
それに加えて   日本軍の、少なくとも陸軍将校は、
このような参考書によって、対中国戦術を   学んでいたことになる。

事実はひとつ

投稿者: kozagawano1921318konotamaisi 投稿日時: 2009/12/24 10:53 投稿番号: [30346 / 41162]
日本軍による南京大虐殺や日中戦争南京戦の始まりと南京落城の月日・盧溝橋事件の真相などは、そして張作霖爆殺・満鉄爆破などの真相は。
つまり、東京軍事裁判の結審結果とその歴史史観は。

1994年から1996年にかけてロシアが中心となって戦勝国は、公式文書で天皇家の命の保障と引き換えに、戦勝国の戦争犯罪を日本が受け入れて終った結果であり。
史実に反すると表明しているよ。

公式文書の公開は、捏造歴史を守る事を条件に日本人となり、国会議員やメデアで活躍する人びとになったとバレる。
皇位継承権のない事を確認されて、今上天皇や常陸宮となったとバレる。
と言う事で外交機密文書となっている。

この件で言い逃れできない一つのしるしとして。
事前に、金玉とサオを捏造歴史肯定派の方々と賭け。
みなさん、公式文書を確認し、負けを認め、金玉とサオをカットしている。
皇室を含め、1800人以上のカットなった。

今回の歴史研究会の結論は、捏造歴史を守る事を条件に日本人となった、民主党の考えだろう。

金玉やサオを大量にカットされて、捏造歴史を認めるように圧力をかけるとは、さすが元朝鮮人だわさ。

有象無象のコピペより

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/24 09:57 投稿番号: [30345 / 41162]
中国のプロパガンダ機関であるcenturychina(センチュリーチャイナ)を直接見ればいい。

中国のプロパガンダがどんなものであるか、分かる    (大笑

http://www.centurychina.com/wiihist/

有象無象はコピペする  (笑

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/24 09:50 投稿番号: [30344 / 41162]
同じものをなんども、なんども    (笑

誰も読まんぞ    (大笑

Re: nyankotyanndamonの非衛生を示す資料

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 15:08 投稿番号: [30343 / 41162]
お前のことだよ、馬鹿目。

相手の居ない馬鹿なお前さんのことだよ、馬鹿目。

Re: nyankotyanndamonの非衛生を示す資料

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/23 14:38 投稿番号: [30342 / 41162]
ほほう、お前は手淫出来ることが自慢なのかね。WWWWWWWWW

Re: nyankotyanndamonの非衛生を示す資料

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 13:58 投稿番号: [30341 / 41162]
可哀相に夢精しかできないのかい、馬鹿目。

nyankotyanndamonの非衛生を示す資料

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/23 13:30 投稿番号: [30340 / 41162]
そういうお前は、5年前から夢精で汚し続けのパンツを一度も洗わずにはいちょるそうやないけ。W

Re: 南京虐殺の原因(まとめ)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 13:05 投稿番号: [30339 / 41162]
南京事件当時、南京国際安産委員会は、避難民の総数と、残留した中国兵の概数を日本軍に報告していたことは、極東軍事裁判の記録で明らかである。

南京国際安全委員会の行った、昭和12年12月13日以降翌年4月までの報告書には、避難民と中国兵の数が減ったという記載は無い。

戦死者及び、戦傷者の葬儀の記録があるのみ。

中国人の非衛生を示す資料

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 12:48 投稿番号: [30338 / 41162]
強姦未遂事件

日本兵が、占領地でマッチがなかったのである部落へ出かけていった。

そこで、成人の女と出会い、これを輪姦しようと数名で話し合い、いざ襲おうとしたが、余りの股間の臭さに、先に襲おうとした兵隊は断念し、次いで行おうとした兵隊も其の臭いに我慢できずに、断念した。

然し乍ら、強姦未遂は重罪であるので、憲兵隊に引き渡され、上官は監督不行届で、処罰を受けてた。

これは、史実であり、当時の一般的中国人の女は、風呂にも入らず、体は汚れたままだったので、日本人にははとうてい相手をすることが出来なかった。

独立歩兵第百十大隊第四連隊補充兵役陸軍一等兵   某等三名の記録である。

留守担当者   神奈川県■妻某
       神奈川県■実父某
       神奈川県■実父某

責任者処罰
   独立歩兵第百十大隊第四中隊長   予備役陸軍中尉   諸■   某
   独立歩兵第百十大隊第四中隊小隊長   予備役陸軍少尉   望■   某
   独立歩兵第百十大隊第四中隊分隊長   現役陸軍軍曹   石■   某

南京虐殺の原因(まとめ)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 12:34 投稿番号: [30337 / 41162]
当時の日本軍には、人権の無視、人命軽視という性格が存在し、
さらに   兵器や装備の不足を精神でおぎなうのだという精神主義が
強まって、捕虜を軽蔑し   否定するようになっていた。
さらに   アジア諸国にたいする差別意識、侮蔑的観念を育てて
欧米人に対するのと中国人に対する対応が違うという二重の基準を
もつことになり、これが中国人捕虜の大量虐殺を招いた。

さらに日中戦争は、国民に明示する戦争目的を見出せないまま、
予期せぬ規模に拡大し、いまだ経験したことのない規模の大軍を
広大な大陸の各戦場に   送らねばならなくなった。
日本軍は、それを年齢の高い予後備兵に頼らざるを得なかった。
また   この時期の軍幹部は、特種エリート教育で偏狭な武断主義に
凝り固まり、国際知識も人権感覚も欠いた独断、積極主義者が
中核となっていた。それが   南京攻略戦における捕虜の処刑、
敗残兵と疑われた人々の大量殺戮を招いた。

また   大軍の動員により   応召兵が主体となったこと、
幹部の不足と素質の低下、幕僚層の独善は、軍紀の紊乱と低下を招き、
それに加えて   中国軍のはげしい抵抗は、戦争目的があいまいなまま
突然召集されて損害多出の戦場に投入された兵隊たちを   自暴自棄の
行動にかりたてることになってしまった。
これらが   軍紀風紀の頽廃、志気の低下を招いて、
大規模な残虐行為をひきおこすことになったのだ。

南京虐殺事件から   すでに70年以上が経過している。
しかし   事件の全貌と、
その責任が   すべて明らかにされているわけではない。
その原因の一つは、敗戦の時点で   軍も政府も   戦争責任の追及を恐れ
証拠湮滅のために   多くの関係書類を焼却したことによる。
また   戦後の日本で、戦争の原因や責任の究明が   きちんと行われず、
戦争を美化し   戦争犯罪を隠蔽しようとする勢力が温存されたことも
関係している。

だが、事件の存在そのものは、動かしがたい歴史の事実だ。
かりに   被害者数については議論の余地があるとしても、
大量の捕虜を組織的に処分したこと、「敗残兵」を不法に処刑したこと、
一般住民への大規模な残虐行為が行われたことは、否定できない事実だ。
その事実を、いっそう正確に解明することと、
なぜ   そのようなことが行われたのか、という原因を究明することが、
現在の残された課題だろう   と思う。

どんな忌まわしい過去であっても、歴史の真実を直視し、
そこから真摯に教訓を学びとり、
二度と過ちをくり返さないようにしなければならない。
そうすることこそが、戦争で犠牲となった内外の人々に
報い得る   唯一の道である、と思う。

「慰安ノ施設ニ留意スルヲ要トス」

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 12:33 投稿番号: [30336 / 41162]
日本軍自身が   「極メテ悪質ナルモノ多発シアリ」として認識していた
犯罪や非行の中でも、とりわけ多発した強姦は、軍にとって深刻だった。
相手国民に与える影響も大きく、日本への憎悪と敵愾心を
かきたてるものだということは、自覚されていた。
だが   その唯一の対策が、軍が管理統制する「慰安施設」の設置だけ
というのは、近代軍の考え方としては、次元が低いと言わざるを得ない。

前述した陸軍の「軍紀振作対策」には、
「主トシテ事変地ニ於テ著意スベキ事項」として、次のような
慰安施設にかんする事項が   掲げられている。

     事変地ニ於テハ環境ヲ整理シ慰安施設ニ関シ周到ナル注意ヲ
    払ヒ、殺伐ナル感情及劣情ヲ緩和抑制スルコトニ留意ヲ要ス
     環境ガ軍人ノ心理延イテハ軍紀ノ振作ニ影響アルハ贅言ヲ
    要セザル所ナリ。故ニ兵営ニ於ケル起居ノ設備ヲ適切ニシ、
    慰安ノ諸施設ニ留意スルヲ必要トス。
    特ニ性的慰安所ヨリ受クル兵ノ精神的影響ハ最モ率直深刻ニ
    シテ、之ガ指導監督ノ適否ハ志気ノ振興、軍紀ノ維持、犯罪及
    性病ノ予防ニ影響スル所大ナルヲ思ハザルベカラズ

性的慰安所に対する指導監督の適否が、志気の振興、軍紀の維持、
そして   犯罪及び性病の予防に   大きくかかわるのだという指摘だ。

南京攻略にあたって、日本軍将兵による中国人女性にたいする
おびただしい数の強姦、強姦殺人が発生したことは、前述したとおり
日本軍自身が認めており、当然のことながら   被害を受けた中国、
さらには   世界中に知られることとなった。
軍中央は、このことが   相手国の敵愾心をかきたてることを危惧し、
また、性病の大量発生が   戦力を低下させるほどに増加したことで、  
戦争遂行に有害であると認識したのだ。

その対策が、慰安婦動員と   慰安施設整備、指導監督の強化だった。
このことに、当時の   日本軍の特質を   見ることができる。
翌年の武漢攻略戦のさいには、兵站の一部のような形で  
慰安婦を同行させたと軍司令官が語っている。
軍が組織的に慰安所を設けることは、たちまち全戦線に広がった。
そのため必要となった大量の慰安婦は、朝鮮、台湾などの植民地、
あるいは占領地から   直接に調達された。
その多くは、「婦人児童の売買禁止に関する国際条約」が禁止している
21歳以下の未成年であり、換言すれば   軍の管理統制下におかれた、
“組織的な強姦”に   ほかならなかった。

「極メテ悪質ナルモノ多発シアリ」

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 12:31 投稿番号: [30335 / 41162]
志気が衰退した状況のうえに   上海の戦場では、予想を超えた
中国防衛軍の   はげしい抵抗に直面し、死傷者が続出した。
戦死者の多くが   家族をかかえた既婚者だった。
軍の志気が沈滞しただけでなく、傷病を負って帰還する兵などを通じ、
戦争の実情が知られるようになると国内にも重苦しい空気が広がった。

そのため   陸軍省は、38年2月19日に
「帰還部隊ノ軍紀風紀及防諜上ノ指導取締ニ関スル件」という通牒を
出しているが、その中で帰還兵の「言動ニ関スル事項」として、
次のように戒めている。

    今次事変ニ於ケル派遣将兵竝傷病帰還者ノ言動通信等ニ依ルニ
    故意ニ上官ニ対シ誹謗的言動ヲ為シ軍紀上注意ヲ要スルモノ、
    或ハ第一線ノ苦戦、損害ノ状況、支那兵ノ戦闘力等ヲ   誇大ニ
    伝ヘ為ニ一般ノ志気ニ悪影響ヲ及ボス虞アルモノ、或ハ我軍
    将兵ノ行動ニ関シ殊更ニ其ノ非行ヲ誇称シ軍ノ威信ヲ失墜スル
    虞アルモノ等一局部又ハ特種ナル事象ヲ捉ヘテ誇称スル等
    言動上注意ヲ要スルモノアリ。

戦線の志気の沈滞が、国内にも波及することを危惧していたのだ。
戦争目的の不明確さからくる軍隊の志気の低下が、
軍紀風紀の紊乱の理由の一つだったのだが、とりわけ   兵の大部分が
生活をかかえ、家郷に心残りの大きい予後備の召集兵であったことも
軍紀風紀の頽廃と志気の沈滞につながっていった。
陸軍省が、開戦2年間の中国の戦場における事例をまとめて作成した
「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」は、この点について
次のように述べている。

     在郷軍人ニ対スル教育指導ニ就テ
    今次事変勃発後二ヶ年間ニ発生セル在支全軍ノ犯罪ヲ役種別ニ
   就テ調査スルニ
     予備役    四六三
     後備役    六一四
     補充兵役   二八五
     現役     三一二
   ニシテ応召者ニ極メテ多ク又応召者ノ犯セシ罪質ハ軍成立ノ根元
   ニ触ルル対上官犯或ハ聖戦完遂ヲ妨害スベキ掠奪、強盗、強姦等
   極メテ悪質ナルモノ多発シアリ。   此ニ依リテ観ルモ軍紀振作上
   在郷軍人ノ教育指導ニハ格別ナル配慮ヲ要スルモノト思料セラル。
(陸密第1955号「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」陸軍省)

とくに応召者に   掠奪や強姦など悪質な犯罪が多発しているとして
注意を喚起し、在郷軍人の指導に配慮が必要であると指摘している。
日中戦争初期の2年間に限っても、すでに軍紀上の犯罪が多発し、
傾向としては   やはり予備役、後備役など召集された兵隊に多く、
それは「聖戦完遂ヲ妨害スル」ほど悪質なものであるということを
軍部当局においても認識されていた   ということだ。

軍の志気衰退が招いた風紀頽廃

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 12:30 投稿番号: [30334 / 41162]
中国戦線の日本軍について、さらに注意すべきことは、
軍隊の志気が衰退していた   という事実にある。
このことは、軍紀風紀頽廃の原因の一つになり、
犯罪や非行の背景ともなっていることから、見逃せない問題だ。

前述したように、戦場に送られた兵士の大部分は、
突然の令状で召集された予後備兵か   補充兵だった。
彼らは   予期しないときに、急遽   戦場に駆り出された。
その彼らに、祖国の危機に馳せ参じた志願兵にみるような、
愛国の熱情を期待するのは   土台から無理なことだった。

そもそも   国民の愛国心に訴えるような   戦争目的、
つまり   大儀名分が、この「事変」には   存在しなかった。
近代日本が   それまでに経験した3つの戦争、日清・日露・日独の
いずれも、戦争目的は   天皇の宣戦の詔書で   明示された。
しかし   支那事変と称した日中戦争では、かつての   どの戦争よりも
大規模かつ深刻な戦争となったにも関わらず、宣戦布告はなされず、
したがって   宣戦の詔書も   だされなかった。

宣戦の詔勅にかわるものとして発表されたのが、
上海への陸軍派兵を決めた際の   政府声明だった。
この声明では、「支那軍ノ暴戻ヲ膺懲シ以テ南京政府ノ反省ヲ
促ス為今ヤ断乎タル措置ヲトルノ已ムナキニ至レリ」として、
「暴戻支那ノ膺懲」、略して「暴支膺懲」が   戦争目的だとしている。
別に   日本の国土が侵略の危機にさらされているわけではなく、
国家存亡の危機などではないため、「自存自衛」の名目は成り立たない。

そこで「暴支膺懲」を   国家的な合言葉にしたわけだが、
相手が言うことを聞かないから懲らしめてやる、というだけでは
国民を奮起させるのに十分なスローガンとは   言えなかった。
国民にとって   戦争目的が明確でなかったばかりでなく、
軍隊の幹部でさえ   それをはっきり理解できないのが実情だった。
一例をあげれば、第十六師団の歩兵第二十聯隊長大野宣明大佐が、
部下の将校にあたえた訓辞でも、次のような苦しい表現をしている。

   出征ノ目的理解ニ就テ
    今次事変ノ原因一ニシテ足ラズト雖、要ハ蒋介石政権ノ長期ニ
   亘ル排日侮日ニ由来スルモノニシテ、之ヲ膺懲シ抜本塞源ノ道ヲ
   講ズルハ実ニ我ガ皇軍ノ使命ニシテ天業恢弘ノ一過程ナリ。
    諸官ハ克ク今次出師ノ目的ヲ部下軍隊ニ徹底セシメ、忠勇ナル
   下級幹部以下ニ対シ確乎不動ノ信念ヲ培養セシムルヲ要ス。
(防衛研究所所蔵、第十六師団関係資料綴「出征ニ方リ将校ニ与フル辞」)

将校に対してさえ   こういう訓示をしなければならなかったほどだから
下士官以下の兵隊に   戦争目的を理解させ、志気を奮い立たせることは
容易ではなかった。
しかも   兵士の大部分が、年齢の高い予備や後備の召集兵で、すでに
一般社会の生活に馴染み、家族も多く、後顧の憂いを抱えた人々だった。
これでは、とても志気旺盛とはいえないのが実情だったのだ。

日本軍の規律消失を示す資料

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 12:29 投稿番号: [30333 / 41162]
日本軍は、なぜ南京虐殺のような残虐行為を起こしてしまったのか。
それが戦争だ   と言ってしまえばそれまでなのだが、
やはり客観的に原因を究明する必要がある   と思われる。
防衛研究所所蔵資料の中に、旧軍の軍紀風紀関係資料が残っている。
これは、大本営陸軍部研究班による   兵士の性病に関する調査結果だ。

この資料によると、   天津・杭州・蘇州の3箇所の特設病院で、
開設以来1939年までの   性病入院患者は、
じつに   1万6千人を超えていた実態を   記録している。
患者を兵科別、役種別、階級別、年齢別、感染機会別に分けた調査と、
もう一つは   患者のもとの職業別、教育程度別、相手女性国籍別に
分けた調査が   行われていた。

いずれも実数であって   比率ではない。
その結果は、兵科別では輜重兵   砲兵に比較的多く、
役種別では   予後備役、補充兵役に多く、
階級別では   准士官下士官に比較的多く、
年齢別では   26歳〜30歳に多いことが示されている。

そして   明確に判ることは、感染機会が   内地からの帯患者よりも  
戦地での感染者の方が   圧倒的に多くなっている   という事実だ。
また   感染地と相手女性の調査では、備考として
「朝鮮女ノ活躍ハ他ヲ圧倒シアリ将来戦ノ参考タリ得ベシ」と  
じつに意味深長な文章が書かれている。
ちなみに   役種別の患者数の調査結果は   以下のとおり。

   現役     1,156
   予備役    3,795
   後備役    4,363
   補充兵役   1,774
   軍属       809

これを見ると、予備役や後備役兵に感染者が多いことが判る。
限られた期間の、しかも3箇所の病院だけの調査ではあるが、
日本軍に性病患者が   いかに増加していたか、それも戦地での
感染者が圧倒的多数であったかが   示されている。
(引用資料:「支那事変ニ於ケル軍紀風紀ノ見地ヨリ観察セル性病ニ就テ」
防衛研究所所蔵『支那事変ノ経験ニ基ク無形戦力・軍紀風紀資料第5号』)

急速な軍隊の拡大による幹部と兵の素質の低下、とくに後備兵の増加が
軍紀風紀の頽廃の原因となり、その結果が、兵士個人の犯罪である
掠奪、強姦などを多出させたことが   こうした資料からも読み取れる。
その対策の一つが、組織的な慰安婦の動員、慰安施設の導入となり、
軍みずからが   管理と統制に   乗りだすことになったのだ。

Re: 「南京事件」は両論併記、最後迄読め

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 12:23 投稿番号: [30332 / 41162]
日中共に書くことを認めなかったから、嘘を書くことが出来なかった、馬鹿だね。

Re: 作戦命令

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 12:22 投稿番号: [30331 / 41162]
作戦書類

昭和12年11月19日丁集団長   柳川平助

軍隊区分

国崎支隊
  配属部隊
   平望鎮支隊(歩兵第二十三連隊の一大隊を骨幹とす)
   独立軽装甲車第二、第六中隊
   野砲兵第六連隊第一大隊及連隊段列三分の一
   独立工兵第三連隊の一中隊(二小隊欠)
   兵站自動車一中隊(一部欠)
   無線電信第五十八小隊
   第十八師団無線一分隊

第十八師団
  欠如部隊
   師団無線一分隊
  配属部隊
   独立軽装甲第九中隊
   野戦重砲兵第六旅団(第十四連隊及旅団輜重半部欠)
   無線電信第四十七小隊
   野戦鳩第十一小隊の二分隊

第百十四師団
  欠如部隊
   歩兵第百五十連隊第一大隊(第四中隊及機関銃一小隊欠)
   歩兵第百十五連隊第二大隊
   騎兵一小隊
   無線一分隊
   工兵一分隊
  配属部隊
   野戦重砲第十四連隊(第二大隊及連隊段列半部欠)
   無線電信第四十六小隊
   野戦鳩第十二小隊の一分隊

第六師団
  欠如部隊
   平望鎮支隊
   野砲兵第六連隊第一大隊及連隊段列三分の一
  配属部隊
   独立機関重大八大隊
   野戦重砲第十四連隊第二大隊及連隊段列半部
   独立野砲第二連隊(第二大隊及段列半部欠)
   無線電信第五十七小隊
   野戦鳩第十二小隊(一分隊欠)

第一後備歩兵団
  配属部隊
   第百十四師団騎兵小隊(二分隊欠)
   第百十四師団工兵一小隊(二分隊欠)
   第百十四師団無線一分隊

第二後備歩兵団
  配属部隊
   第百十四師団騎兵二分隊
   第百十四師団工兵二分隊

軍通信隊
   軍通信本部
    野戦電信第一、第八、第九、第三十三中隊
    無線電信第四十四、四十五、四十八、五十六、五十九小隊
    第二固定無線電信隊
    野戦鳩第十一小隊(二分隊欠)
    兵站電信第一中隊

軍直轄部隊
   歩兵第百五十連隊第一大隊(第四中隊及機関銃一小隊欠)
   歩兵第百十五連隊第二大隊
   第一防空隊
   独立工兵第二連隊
   独立工兵第三連隊(二小隊欠)
   第四師団架橋材料中隊
   第七師団架橋材料中隊
   第十一師団第一、第二架橋材料中隊
   第十二師団第一架橋材料中隊
   第十六師団第一渡河材料中隊
   野戦瓦斯第六中隊
   野戦瓦斯第八小隊
   第一野戦化学実験部


wadatumi_voice21、dorawasabi5001

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/23 12:11 投稿番号: [30330 / 41162]
そのほか有象無象、

fukagawatoheiがへっこんで、

へっこんでいたヤツラが出てきた    (笑

なんでや    (笑

みんなワンパターン    (笑

なんでや    (笑

中味は中国のプロパガンダ機関であるcenturychinaーセンチュリーチャイナーそのままと言っていい    (笑

なんでやねん    (大笑

作戦命令

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 11:51 投稿番号: [30329 / 41162]
第一軍作戦命令   昭和12年9月1日

1〜4省略
5.兵站は懷來を基点とし第5師団の作戦に追随して其補給に任ずべし

兵站監は兵站自動車一中隊を懷來に於いて第五師団に配属すべし

第五師団は第十四師団架橋材料中隊の車両部隊を豊台に於いて台六師団長の指揮に復帰せしむべし

第十四師団長は塘沽に上陸する先頭部隊の歩兵一大隊を唐山に派遣し支那駐屯歩兵第二連隊と交代し天津山海關間の化寧鉄道の警備に任ぜしむべし右部隊は唐山に到着せば方面軍兵站監の指揮に入るものとす
師団主力は上陸に伴い逐次鉄道輸送及び徒歩行軍により北平西側に集結すべし
鉄道輸送に関しては方面軍鉄道監の計画する所に拠るべし
補給は塘沽、天津、豊台、各兵站地より受くべし

Re: 「南京事件」は両論併記、最後迄読め

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/23 11:34 投稿番号: [30328 / 41162]
日中共に南京大虐殺を認めたから、「南京大虐殺虚構説」を書けなかったんじゃろが、腐敗脳の馬鹿チョンめが。WWWWWWWW

お前、ほんまに阿呆過ぎ。虐めてて楽しいぜ。WWWWWWWW

Re: 「南京事件」は両論併記、最後迄読め

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 11:13 投稿番号: [30327 / 41162]
そらみろ、日中共に南京虐殺を認めなかったから、何も書けなかったんだろうが、馬鹿目。

Re: 「南京事件」は両論併記、最後迄読め

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/23 11:02 投稿番号: [30326 / 41162]
>南京事件を書くなどと書いていないだろう、

それみろ、お前ら馬鹿チョンどもが声高に叫ぶ南京大虐殺虚構説は日中両国の有識者から相手にもされておらんではないか、ドアホ。WWWWWWW

Re: 「南京事件」は両論併記、最後迄読め

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 10:58 投稿番号: [30325 / 41162]
南京事件を書くなどと書いていないだろう、馬鹿目。

十三師団進軍記録

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/23 10:58 投稿番号: [30324 / 41162]
11月12日   山田支隊   夜鎮江出発103iB、17K、Ⅲ/19BA、2/13P、DLT1分、S1/3、3FL

11月13日   烏龍山要害攻略占領

11月14日   幕府山要害攻略占領

12月14日   浦口へ渡河

12月17日   水口鎮到着

12月18日   ■(三水遍に除)懸東北陣地攻撃

12月20日   ■(三水遍に除)懸警備、津浦線遮断

13年1月27日迄次期作戦準備

昭和12年12月14日渡河作戦中の写真
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/ff282557_m477e9141/bc/54a3/__hr_/b79c.jpg?bclJCqLBN5_DRYxG
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