南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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アジャ〜、化けの皮がはがれちゃったじ

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/25 16:18 投稿番号: [23120 / 41162]
>(google参照)

誰が、何を根拠に書いたかわからない    (笑

そんなものを、ただ写した    (笑

あほう    (笑

アジャ〜、化けの皮がはがれちゃったじゃん!!

アジャ〜、化けの皮がはがれちゃったじゃん

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/25 15:24 投稿番号: [23119 / 41162]
(google参照):

「日本の占領地経済をまとめていた興亜院が阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。
日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売したため、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。

さすがに、日本政府による阿片販売は国際問題とされ、国際連盟の議題となっている。

『天津の日本人居留地は、今や世界のヘロイン製造、及び阿片喫煙の神経中枢として知られている。洋行あるいは外国商会名で経営される阿片あるいはヘロイン魔窟の数はまさしく千を超えている。

しかのみならず、白色麻薬を公然販売するホテル店舗、その他の建物が数百ある。……中国人・ロシア人及び外国人が汚れた板の上に横たわっており……魔窟の第1室には朝鮮人の女が。ヘロインと不純物とを混合する仕事に忙しい。……注射は汚い注射器で、時には自製の物でなされる。針は決して洗ったり、消毒したり、取り替えることはない。

梅毒が自由に針を介して一人の阿片常用者から他の者へ蔓延する。私は、胸一面が腐って壊疽のような肉塊をなしており、拳全部を差し込むことができるような穴が体にある阿片常用者を幾人も見たことがある。こんな腐敗しつつある辛うじて生命を保っている死体に、麻酔剤の注射器を次から次へと差し込むのである。(国際連盟阿片諮問委員会議事録よりエジプト代表ラッセル・パッシャの陳述)』

なんとも酷い、日本による阿片汚染の実態である。これが大東亜共栄圏の実態である。」

麻薬ほど素敵な商売はない

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/25 15:07 投稿番号: [23118 / 41162]
(google参照):

「北朝鮮による覚せい剤密輸事件が新聞を賑わしているが、そんなの大日本帝国が侵略地中国において行ってきた阿片ビジネスと比べれば、カワイイもんだ。
ケシ類未熟果実に傷をつけて滲出する乳液を乾燥乾固したものが阿片だ。

阿片に含まれているモルヒネは、鎮痛・鎮静・催眠・快楽をもたらす薬剤となる。末期癌患者に使用されることが多い。しかし、連用すると中毒となり、常用しないと禁断症状に苦しむこととなる。

モルヒネにアセチルを化合したのがヘロインで、薬効・中毒作用は、更に強くなる。中毒に陥ると、増量して使用しないと禁断症状を起こして死亡するし、常用すれば衰弱して早死にする恐ろしい麻薬だ。この阿片の中毒作用を利用して儲けようとする悪いやつは後を絶たない。国家自体が関わって中国へ密輸したのが、オランダとイギリス、そして我が日本なのだ。

日本は、阿片戦争に驚き、当初は、ケシの栽培や阿片の輸入を厳禁した。しかし、すぐに、医薬品としての鎮痛・麻酔剤としてモルヒネ・ヘロインが必要となり、日本は、阿片の製造・売買や輸出入を政府の許可・専売制とした。
やがて、中国侵略に伴い、中国の阿片問題に介入していくのである。日清戦争後に台湾を領有したことで、日本は阿片中毒者対策で阿片を必要とし、ケシ栽培と阿片輸入は本格化することとなった。

大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善するため、ケシ栽培に取り組んだ。モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めた。

さらに、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。」

Re: 日本はアジアを解放したか?

投稿者: harahorohire2010 投稿日時: 2008/04/25 14:52 投稿番号: [23117 / 41162]
>「あの戦争は、アジア諸国の独立を促した」とか「日本はアジアの解放者だ」といった主張は、それがアジア諸国からなされたのであればともかく、日本の政治家がそれを公然と口にするのは、見識がないといわざるを得ません。

あれ?中国も同じこと言っているじゃない。
「チベットを解放」って、でもチベット人が「解放された」って言っていないよ。
日本に見識がないなんて言えるのかい。

北朝鮮ブタ金もびっくり

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/25 14:49 投稿番号: [23116 / 41162]
(google参照):

「1943年には、米国が効果的な海上封鎖体制を確立したため、そのような方法は取れなくなった。財宝はマニラの波止場で山のようになりだした。秩父宮はそこで地下壕建設のための特殊な技師の集団を作り、分捕り品を地下に隠す作業を始めた。マニラではかつてスペインの町であったイントラムロスの地下が使用され、巨大な収容能力を持つ場所を提供できた。

  品物を慎重に移送できる一つの通路が波止場とイントラムロスの間を直接に結びつけた。秩父宮は歴史的な場所や教会、大学など、爆撃がほとんど無いあらゆる場所をつなぐように選んでいった。

  マニラの北で竹田宮が洞窟を使って地下壕の網の建設を監督した。専門家たちが恐ろしいほど効果的な大量のワナの兵器を仕掛けた。爆発物、毒ガスのカプセル、水や砂を使ったワナ。南京虐殺の実行者の息子であるもう一人の皇族の朝香宮孚彦親王と、シンガポールのヒーローであり差し迫った米軍の攻撃に立ち向かうためにフィリピンに派遣された山下将軍が、この地下での作戦に加わった。技師たちと奴隷たちは組織的に生きながら地下に埋められた。

  マッカーサーがフィリピンを再征服し始めたとき、皇族たちは急いで未だ地下に入れることができなかった財宝を隠そうとした。黄金を積んだ船が船員を乗せたまま沈没させられた。日本の敗戦はマニラ市民の虐殺と占領を終わらせたが、その後に皇族たちは潜水艦で逃亡した。

  1945年から米国の諜報機関が黄金の百合の存在に気付いた。諜報員であるジョン・バリンジャー(John Ballinger)は、漁民に変装して黄金をいっぱいに入れた箱が病院船に積み込まれるのを観察することができた。マッカーサーは彼のライバルである山下を逮捕した。」

こーぞくというより山賊だんべ〜

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/25 14:38 投稿番号: [23115 / 41162]
(google参照):

「中国では軍隊が全面的に統制不能に陥っていた。1937年に大勢の役人たちが中国での盧溝橋事件で戦闘を起こした。この事件は非公式の天皇の援助を受けた日本軍によるこの国への侵略に直結したものであった。秩父宮はすでに無効となった日英の同盟の考えを断念し、アドルフ・ヒトラー総統と会談するためにニュルンベルグへ向かった。

  米国大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトが日本の侵略『熱』に終止符を打ちたいと願う宣言をする間、軍事侵攻は一人の皇族の命令による前例の無い虐殺を犯そうとしていた。実際に『穏健派』首相近衛文麿は朝香宮を南京での軍の司令官に据えた。朝香宮は上海派遣軍司令官として南京に侵攻した。

  朝香宮はその軍をこの都市で捕虜を作らないようにさせた。数日の間に兵士たちはその命令を文字通り実行した。何万人もの中国人が、多くの西欧人の見ている前で非情な状況の中で殺害された。兵士たちは人間を銃剣の訓練のためにマネキン人形のように利用し、役人たちを首切りの実践のために使った。

  婦人や少女たちは家族の目の前で集団暴行の犠牲者となった。その間に秩父宮と竹田宮は略奪の成果を帝国の手に渡らせる作業に没頭していた。専門家たちは銀行の書類の分析をし、一方で秘密警察は南京の金と富に関する情報を持っていると思われるあらゆる人間を拷問にかけた。

  軍が略奪の成果を不要に浪費しないことを確実にするために、裕仁は黄金の百合と呼ばれる一つの組織を作り出した。それは、ゆすり・たかりのエキスパート(会計士、財務の専門家など)、ヤクザの首領たち、帝国の皇族たちの下にある産業の重鎮たち、天皇の意に沿うわずかの人間たちの集まりであった。秩父宮がすべての仕掛けを統括していた。」

はえ〜話が山賊だんべ〜

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/25 14:32 投稿番号: [23114 / 41162]
(google参照):

「1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。

『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。

  1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。

  実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。

  同様のシステムが、岸信介の手とヤクザ組織の元で、満州を作り上げた。この属州によって日本は中国北部の商業港との海上交通をコントロールすることができた。傀儡政府は大陸浪人、役人たち、戦闘団の長、麻薬密売人たちの支配の下に置かれた。やる気満々のヤクザたちは略奪のための実質的な私兵組織を作り上げた。

天皇の名の下に、あるいはアヘンとその加工物の販売網をコントロールするための中国人の首領たちと手を組んだ。」

Re: 日本はアジアを解放したか?

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/25 14:15 投稿番号: [23113 / 41162]
もう少し資料を精読しなさい。

摘み読みでは何の役にも立たん。

単なる受け売りに過ぎないようだからな。

受け売りのスローガンは馬鹿みたいにしか聞こえんぞ。

Re: 日本はアジアを解放したか?

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n_d 投稿日時: 2008/04/25 13:45 投稿番号: [23112 / 41162]
>「あの戦争は、アジア諸国の独立を促した」とか「日本はアジアの解放者だ」といった主張は、それがアジア諸国からなされたのであればともかく、日本の政治家がそれを公然と口にするのは、見識がないといわざるを得ません。

日本は「日本の国益のため」に、植民地化していたアジア諸国から欧米を追い出した」がそれは「結果的にアジア諸国の独立につながった」ということです。
その中には「チャイナ」も含まれていますし毛沢東も日本軍に感謝しています。

反対に日本が戦っていなかったら、日本やタイも対抗できずに「アジア全てが植民地化されていた」でしょうし、未だに独立できないどころか植民地政策や搾取がさらに酷くなっていたかもしれません。

日本の政治家が言うべきではないかもしれませんが、「誰かが声をあげるべき」ですしそんな発言ができる人間なら「政治家を目指す」のは不自然ではないでしょう。


>そもそも、アジア諸国が独立を果たしたのは、日本が敗北したからです。

日本は統治時代から、現地人を統治者サイドに登用し「現地から日本がいなくなっても管理できるよう」に考えていましたし、子供たちにも計算や読み書きができるように教育に力を注いでいました。(現地語や埋もれかけた現地文化をむしろ掘り起こしていました)

また銃を持たせなかったとはいえ軍事教練や武器の扱い方を教え込んでおり、それがインドネシア独立などに生かされました。

それはむしろ「日本が負けていなくなっても大丈夫なように考えていた」ともいえます。


>もし、日本が勝っていれば、列強に代って日本がアジアの盟主として君臨しただけです。

チャイニーズはおろか満州人ですら「弱肉強食」思想でしたが、日本は戦前から「共存共栄」思想をもっていました。
台湾や朝鮮に対しても現地からの搾取どころか日本国内から搾取して現地に投入し続けていました。

南方を領土化する政策を決定したのでさえ、「山本五十六が戦死しサイパンが玉砕する状況になってから」であって、「もはやそうせざるを得ない状況」に追い詰められての「ギリギリの決断」であることがわかります。
(これがチャイナなら「なんの葛藤を感じることも無く既成事実を着々と積み上げていった」でしょう)


>「列強の植民地支配からのアジアの解放」というスローガンを唱えたに過ぎません。いわば「後知恵」の類です。

実際の行動や結果を見ると、それが「ただのプロパガンダ」などではなく「本当に実行していた」ことが分かります。

お偉いfukagawatohei様はどこの大学?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/25 13:23 投稿番号: [23111 / 41162]
亜細亜大学、国士舘大学、拓殖大学を、

学生も卒業者も職員も、

十把人からげに、馬鹿と書いた、

お偉い、お偉いfukagawatohei様は、

どこの大学を、ご卒業あそばしたのだい?   (大学を出たと書いたよな)

ちゃんと答えろよ。

(google参照)、なんだ?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/25 13:20 投稿番号: [23110 / 41162]
なんの意味がある?

だれが、なにを、してる?

日本はアジアを解放したか?

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/25 13:16 投稿番号: [23109 / 41162]
(google参照):

「あの戦争は、アジア諸国の独立を促した」とか「日本はアジアの解放者だ」といった主張は、それがアジア諸国からなされたのであればともかく、日本の政治家がそれを公然と口にするのは、見識がないといわざるを得ません。

「結果としてよかった」というのは、その結果をもたらした側が主張するものではないでしょう。そもそも、アジア諸国が独立を果たしたのは、日本が敗北したからです。もし、日本が勝っていれば、列強に代って日本がアジアの盟主として君臨しただけです。

1940年、第1次近衛内閣当時に出された「東亜新秩序声明」など、日中戦争が拡大する中で、通州事件の頃に喧伝された「横暴な中国を懲らしめる」というスローガンだけでは大義名分が立たないという考えから、「列強の植民地支配からのアジアの解放」というスローガンを唱えたに過ぎません。いわば「後知恵」の類です。」

国士大生は全員馬鹿か、fukagawatohei ?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/25 10:23 投稿番号: [23107 / 41162]
お前が投稿   No.22693   で

>日本の三大バカウヨ大学:
ボクチカン大学
バカショク大学
アジアパー大学

と書いた、ボクチカン大学とは、国士舘大学のことで、

国士舘大学の学生は全員馬鹿で、教職員も卒業者も、

全員が馬鹿か?

そういうことか?

拓大生は全員馬鹿か、fukagawatohei ?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/25 10:21 投稿番号: [23106 / 41162]
お前が投稿   No.22693   で

>日本の三大バカウヨ大学:
ボクチカン大学
バカショク大学
アジアパー大学

と書いた、バカショク大学とは、拓殖大学のことで、

拓殖大学の学生は全員馬鹿で、教職員も卒業者も、

全員が馬鹿か?

そういうことか?

亜大生は全員馬鹿か、fukagawatohei?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/25 10:19 投稿番号: [23105 / 41162]
お前が投稿   No.22693   で

>日本の三大バカウヨ大学:
ボクチカン大学
バカショク大学
アジアパー大学

と書いた、アジアパー大学とは、亜細亜大学のことで、

亜細亜大学の学生は全員馬鹿で、教職員も卒業者も、

全員が馬鹿か?

そういうことか?

Re: ジャップは立派だね

投稿者: yuken7771098 投稿日時: 2008/04/25 08:59 投稿番号: [23104 / 41162]
頭おかしいよ。変な外国人は日本から出て行きなさい。スパイでもしてるの?

▲▼司法で在日に実刑判決!▲▲

投稿者: fff2252 投稿日時: 2008/04/24 22:57 投稿番号: [23103 / 41162]
私は法律には詳しい人間だ。
その業界で仕事をしていた経歴がある。

そこでだ。

今から100%起こり得る近未来を想定し、今まで追軍朝鮮売春婦詐欺をしてきた本人や支持者(韓国の新大統領になった在日韓国人など)に挑戦状を叩き付けます!!

あなた達が全員詐欺者であり、実刑判決を受ける義務がある事をココに断言します!!

先ずはあなたから、追軍朝鮮売春婦詐欺は正当であると言うのなら、ココは法廷と仮定し、意見してみてください。

あなた達が正直ならば、真実を垣間見た日本全国民からも支持を得る事でしょう。

それとは逆に、やはり韓国人は先祖代々100%の悪質極まりない(まるで韓国発のオレオレ詐欺と同じ!)と判断された時は、事実上、気が狂う程の厳しい仕打ちが君達在日韓国人や、嘘を支持してきた韓国形日本人に下される事を覚悟するが良い。


さ、ココは法廷だ。

今まで日本の中学や高校で教師をし、『真っ赤な嘘!』で日本の生徒をだましてきた韓国(朝鮮)系日本人教師達よ!

ココで君達の意見をしたまえ!

全部非常識な詐欺である事を立証してやろう!!

fukagawatohei、国士舘大学のことか?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/24 21:18 投稿番号: [23102 / 41162]
お前が投稿   No.22693   で

>日本の三大バカウヨ大学:
ボクチカン大学
バカショク大学
アジアパー大学    と書いた、ボクチカン大学とは?

十把一からげに「バカ大学」と書いたのは?

fukagawatohei、拓殖大学のことか?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/24 21:17 投稿番号: [23101 / 41162]
お前が投稿   No.22693   で

>日本の三大バカウヨ大学:
ボクチカン大学
バカショク大学
アジアパー大学    と書いた、バカショク大学とは?

十把一からげに「バカ大学」と書いたのは?

fukagawatohei、亜細亜大学のことか?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2008/04/24 21:15 投稿番号: [23100 / 41162]
お前が投稿   No.22693   で

>日本の三大バカウヨ大学:
ボクチカン大学
バカショク大学
アジアパー大学    と書いた、アジアパー大学とは?

十把一からげに「バカ大学」と書いたのは?

Re: 元祖南京の真実

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2008/04/24 16:28 投稿番号: [23099 / 41162]
>世界じゃ〜通用しないでしょ〜ね。

この点に関してはトウヘイ爺さんこと56工作員が正しいと思います。

チャンの本が欧米で普及しているし、レオンチンのも含めた英語版反日南京映画が欧米で氾濫しているようだし。要するに英語が通じるところではチャンが広めたイメージあるいはそれと大同小異のイメージが定着していてそれを変えるのは不可能ではないまでも相当困難と私は見ています。

Re: おとぼけ「南京の真実」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 16:26 投稿番号: [23098 / 41162]
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/ff282557_m477e9141/bc/54a3/__hr_/4e4f.jpg?bcY7thIBvN6tHXCx

之が松井石根の日記の抜粋である。

昭和二十年十二月。

南京の便衣兵

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 16:18 投稿番号: [23097 / 41162]
(google参照):

「戦闘行為で敵の兵士を殺害するのは、戦時国際法違反ではない。それが戦争というものだ。問題は、旧日本軍が南京占領後、投降兵や既に戦意をなくして自ら武装を解除した兵士を殺害した点である。

特に、司令官が逃げ出して南京の将兵がすっかり戦意を失い、生き延びるために武器を放棄して軍服を脱いでいたことは、看過してはならないだろう。平服を着ていたとはいえ、第2次上海事変当時の、武器を隠し持ち戦闘を意図していた便衣兵とはその点で異なる。

南京では、総崩れになった国民党軍が城内に武器を放棄して逃げたことが、当時のダーディン記者の記事にもある。戦うために、民間人を装っていたわけではない。実際、安全区で掃討作戦(便衣兵狩り)を行ったとき、中国側から武力で抵抗を受けたという記録はない。

武器を隠し持ち戦闘を意図していた便衣兵がいたかどうかは、疑問である。もし、仮に、戦うために民間人を装っている便衣兵がいたとしても、日本はハーグ陸戦条約(「陸戦の法規慣例に関する条約」)の加盟国(日本の批准は1911年)なのだから、容疑者は軍律法廷にかける必要があった。 それらの正規の手続きを形式的にでも踏むことなく容疑者を殺害してしまったのだから、旧日本軍の不法性が問われているのである。

  これも教科書には載っていないようだが、日本は、日清戦争(1894−1895)時に旅順事件を起こしている。1894年11月21−24日にかけて、旧日本軍は、婦女子、敗残兵合わせて約6万人を旅順で虐殺し、この事件は欧米で大々的に報道された。

この事件を教訓としたのか、日露戦争(1904−1905)の際には、開戦詔書でも国際法の遵守を唱っており、実際に旧日本軍は捕虜を人道的に処遇した。にもかかわらず、南京占領の際には戦時国際法に則った正規の手続きで処罰がなされなかったのだ。」

おとぼけ「南京の真実」

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 15:49 投稿番号: [23096 / 41162]
>有名な話しほど眉唾物が多いと言うことを知らないの?>

(google参照):

「映画「南京の真実」では、この松井氏の遺言が収録されているかというと、

完全に飛ばされてるんですね。

「南京の真実」という、南京事件をテーマにしたノンフィクション
が、七人の中で唯一南京事件に関係のある死刑囚である松井石根氏の語った、
最期の南京事件に対する言葉をスルーしてるんです。

わざわざ「最期の一日を正確に描く」と銘打っておいて、最期に立ち会った人の記録をそのままセリフにしときながら、

肝心の南京事件について語った部分をカットしているんです。

なぜ?

考えられる可能性として、

1.脚本を書く段階で、気づかなかった

2.気づいたが、特に映画に必要でないと思い、省略した

3.自分の流すプロパガンダに都合が悪いとの意図により、わざと隠した。

これくらいがありえるでしょう。

1.は確実にない。資料をたどっていけば、絶対、あの文章に生きあたるはずだし、その前後の文は網羅してるんだから、水島氏が気づかなかったはずが無い。

2.もありえないでしょう。少なくても、映画見た人が、松井さんの遺言を知れば、まず間違いなく「なぜこの文章をスルーする?この映画は事実をねじ曲げる捏造映画なのか?」という疑念を抱くことは避けられないわけで、そんな訳の分からん省略をするはずがない。

残ったのは3.のみ。

「映画だけみて、何もウラとらずに愛国者きどってる満足してるパーだけ騙せればいいや」

っていう計算のもと、意図的に隠したのでしょう。

他に可能性があるっていうのなら、ぜひ教えてくれ。

これで分かったこと。

水島さんは、南京事件が事実だと知っている。知ってて愛国商売のために、映画を製作している。

東中野や田中正明の同類である。

自らの愛国商売のために、自ら責任をとって見事な最期を遂げた英霊の意志を自分の商売のために踏みにじる、

正真正銘のクズである。」

だそうです。

Re: 松井大将はんせい〜!

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 15:28 投稿番号: [23095 / 41162]
>こんな有名な話知らないの〜?

↑有名な話しほど眉唾物が多いと言うことを知らないの?

>軍刀を持っている向井少尉の写真は新聞記者のやらせ?
命令書って〜の見せてね。

↑命令書を見せるまでもなく、前線では刀を持っていることで、狙撃兵の標的になると言うことだな。

之が刀携帯禁止の理由だね。

それでも携帯すると言うことは、射的場の標的と同じだったと言うことだね。

服装も指揮官は兵卒と同じにするようにと言う命令が出ているからね。

服装が揃う目で、出帆しないようにとね。

見たければ見せても良いけどね、自分で捜したら?

簡単に見つけられるよ。

Re: 松井大将はんせい〜!

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 15:15 投稿番号: [23094 / 41162]
>之は何処から出てきた物か知らないが、>

こんな有名な話知らないの〜?

>チャンと命令書を調べましょうね。>

軍刀を持っている向井少尉の写真は新聞記者のやらせ?
命令書って〜の見せてね。

Re: 松井大将はんせい〜!

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 14:49 投稿番号: [23093 / 41162]
>「死刑判決の後、松井大将は教誨師の花山信勝氏に以下のような言葉を漏らしています。

↑之は何処から出てきた物か知らないが、回想を記述した物が残っていると言うことを勉強しましょうね。

知らないことは、悪いことですよ。

Re: 元祖南京の真実  向井少尉

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 14:46 投稿番号: [23092 / 41162]
砲兵隊平時携帯兵器

本部付き軍曹   三十二年式軍刀乙   十四年式拳銃
軍曹        同上
軍曹・伍長    三十年式銃剣     十四年式拳銃
兵        三十年式銃剣

↑と言うことで、一般兵は銃の所持をして居なかった。

南京戦に関しては柳川司令官の命令で、軍刀の所持は禁止されていた。

之は内地を出発するときから携帯を許されていなかった。

チャンと命令書を調べましょうね。

松井大将はんせい〜!

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 14:29 投稿番号: [23091 / 41162]
(google参照):

「死刑判決の後、松井大将は教誨師の花山信勝氏に以下のような言葉を漏らしています。

南京事件はお恥ずかしい限りです。・・・・私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。

慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にそれを落としてしまった。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。

従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。」

Re: 元祖南京の真実  向井少尉

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 14:26 投稿番号: [23090 / 41162]
>砲兵隊の携帯武器をチャンと調べることだろうな。 >

百人斬りで一躍有名になった向井少尉って、歩兵砲小隊長だったよね。
白兵戦になれば、砲兵隊も刀を使うんじゃないの〜。

(google参照):

「ある意味で「不運」だったのは、百人斬りの野田・向井両少尉です。彼らは南京大虐殺の責任者でもなければ、唯一無二の実行者でもありません。戦場には彼らと同様の行為をおこなった将兵がいくらでもいたのです。ただ、新聞に名前が載ってその名が日本中に知れ渡ってしまったことから訴追されたのです。それは、しかし彼らがやってもいないこと (冤罪) ではなく、確かにやったことなのですから、仕方がないことというべきでしょう。」

Re: 元祖南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 13:56 投稿番号: [23089 / 41162]
>じゃ〜、その戦闘要図とやらをだしてね〜、ニャンちゃん。

↑何回も出して居るんだけどね、一度も見たことがないの?

http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/ff282557_m477e9141/bc/54a3/__hr_/e4bf.jpg?bcI4rhIBmPGg_sVJ

之で良いのかい?

Re: 元祖南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 13:51 投稿番号: [23088 / 41162]
>第16師団は、「捕虜はせぬ方針」の師団長を筆頭に躊躇なく投降兵の殺戮を行っていますが、山田支隊はその場で殺すことはさすがに躊躇したらしく、いったんは捕虜として受け入れたのですが、結局は長参謀長からの命令で、16日と17日の2回に分けて揚子江の川辺で機関銃と小銃を乱射して皆殺しにしたのです。歩兵第65連隊第2大隊第8中隊の遠藤高明少尉は、16日の陣中日誌にこう書いています。

↑歩兵第65連隊は、第13師団に属して、山田支隊の一部と言うことだな。

歩兵第65聯隊第二大隊第八中隊の隊長代理は鈴木一雄中尉だな。

山田本隊と山田支隊は一二月一七日協同で戦闘を行って水口鎮を攻略している。

十八日除県攻撃も行っている。

その間対岸の、浦口、江浦、金椒と迂回した部隊と直接向かった部隊がある。

之が作戦要図に書かれている事実だよ。

当然南京攻略後山田支隊渡河北上と記してある。

>山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊の黒須忠信上等兵の陣中日誌によると、以下のとおりです。

午後1時、我が段列より20名は残兵掃湯 (掃討) の目的にて馬風 (幕府) 山方面に向かう。2、3日前捕慮 (捕虜) せし支那兵の一部5千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す。その后銃剣にて思う存分に突き刺す。自分もこの時ばがり (ばかり) と憎き支那兵を30人も突き刺したことであろう。
山となっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは、鬼お (を) もひひ (し) がん勇気が出て力いっぱい突き刺したり。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りもいれば子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた。こんなことは今まで中にない珍しい出来事であった。
帰りし時は午後8時となり、腕は相当疲れていた。

↑砲兵隊の携帯武器をチャンと調べることだろうな。

Re: 元祖南京の真実

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 13:30 投稿番号: [23087 / 41162]
>之は山田支隊が提出した戦闘要図とは異なって居ますですよ。>

じゃ〜、その戦闘要図とやらをだしてね〜、ニャンちゃん。

Re: 元祖南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 13:17 投稿番号: [23086 / 41162]
>「捕虜の殺戮を行ったのは山田支隊でした。山田支隊は、佐々木支隊の後方から、やや北よりのルートを通って、同じく城門を迂回して南京の後背に回ろうと進撃してきました。彼らは13日夜から14日の早朝にかけて、下関より数キロ手前の幕府山という拠点に進出し、そこで膨大な敗残兵と避難民を発見し、これを捕虜としたのです。その人数は、手記によって差がありますが山田支隊長の日誌によれば1万4777名、あるいは他の将校の陣中日誌では1万7025人などとなっています。

↑之は山田支隊が提出した戦闘要図とは異なって居ますですよ。

ちゃんとした物を勉強せんかい、馬鹿目。

Re: 元祖南京の真実

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 13:13 投稿番号: [23085 / 41162]
>チャンと戦闘詳報や、警備、掃蕩、等々を誰がしたかをしらべることですな。>

はいはい!

(google参照):

「捕虜の殺戮を行ったのは山田支隊でした。山田支隊は、佐々木支隊の後方から、やや北よりのルートを通って、同じく城門を迂回して南京の後背に回ろうと進撃してきました。彼らは13日夜から14日の早朝にかけて、下関より数キロ手前の幕府山という拠点に進出し、そこで膨大な敗残兵と避難民を発見し、これを捕虜としたのです。その人数は、手記によって差がありますが山田支隊長の日誌によれば1万4777名、あるいは他の将校の陣中日誌では1万7025人などとなっています。

第16師団は、「捕虜はせぬ方針」の師団長を筆頭に躊躇なく投降兵の殺戮を行っていますが、山田支隊はその場で殺すことはさすがに躊躇したらしく、いったんは捕虜として受け入れたのですが、結局は長参謀長からの命令で、16日と17日の2回に分けて揚子江の川辺で機関銃と小銃を乱射して皆殺しにしたのです。歩兵第65連隊第2大隊第8中隊の遠藤高明少尉は、16日の陣中日誌にこう書いています。

捕虜総数1万7025名、夕刻より軍命令により捕虜の3分の1を江岸に引き出しI (第1大隊) において射殺す。1日2合給養するに百俵を要し、兵自身徴発により給養しおる今日、到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたるもののごとし。

山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊の黒須忠信上等兵の陣中日誌によると、以下のとおりです。

午後1時、我が段列より20名は残兵掃湯 (掃討) の目的にて馬風 (幕府) 山方面に向かう。2、3日前捕慮 (捕虜) せし支那兵の一部5千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す。その后銃剣にて思う存分に突き刺す。自分もこの時ばがり (ばかり) と憎き支那兵を30人も突き刺したことであろう。
山となっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは、鬼お (を) もひひ (し) がん勇気が出て力いっぱい突き刺したり。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りもいれば子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた。こんなことは今まで中にない珍しい出来事であった。
帰りし時は午後8時となり、腕は相当疲れていた。

「年寄りもいれば子供もいる」という記述から、この捕虜には、実際には軍人ばかりでなく民間人も混在していたことがわかります。翌17日の捕虜殺害については、第65連隊第1大隊の荒海清衛上等兵の陣中日誌がこう記しています。

今日は南京入城なり (一部分) 。俺等は今日も捕虜の始末だ。1万5千名。今日は山で。

この殺害の後始末は、とてもその日一日で終わるようなものではなかったようで、第65連隊第2大隊第7中隊の小寺隆上等兵の陣中日誌にはこうあります。

12月18日   昨夜まで殺した捕リョは約2万、揚子江に2ヶ所に山のように重なっているそうだ。7時だが方付け (片付け) 隊は帰ってこない。

12月19日   午前7時半整列にて清掃作業に行く。揚子江の現場に行き、折り重なる幾百の死骸に警 (驚) く。石油をかけて焼いたため悪臭はなはだし、今日の使役兵は師団全部、午後2時までかかり作業を終わる。昼食は3時だ。

「便衣兵」狩りのエスカレートを招いたのが、12月17日に行われた南京入城式でした。松井石根は、一国の首都占領という「壮挙」 (実際には、1ヶ月前に首都は移転していたとはいえ) に酔い、周囲の反対を押し切ってその記念式典を、それもできるだけ早く実施することにこだわりました。入城式では上海派遣軍司令官の朝香宮鳩彦王中将 (皇族) が騎馬で行進したため、その身に何かあってはならないというので、城内の徹底的な掃討が行われ、それによって多くの犠牲者が出たのです。」

Re: 元祖南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 12:44 投稿番号: [23084 / 41162]
>「ゼロだというのは、投降兵に殺害、捕虜の殺害、便衣兵の殺害、
以上のような兵、ゲリラ兵と見誤った殺害が、すべて国際法上なんの問題も無いか、または問題があったとしても合計ゼロ件であった、という主張でしょう。

↑この様な主張その物が何の役にも立たないと言うことですな。

若し当時、国際法上の問題があれば、国際連盟で取り上げれば良かったのである。

聯盟で中国が訴えているようですからね、別の件か此の件かは判りませんけどな。

国際赤十字の英国であった国際赤十字総会でも取り上げられていない。

ここには、中国から政府代表と中国赤十字代表が出席している。

中国と英国は近い筈なんだけどな。

昭和十三年四月のことだな。

一言も南京の話は出ていないようだな。

英国赤十字が纏めた本があるから読んでみると勉強になるかもな。

Re: 元祖南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 12:14 投稿番号: [23083 / 41162]
チャンと戦闘詳報や、警備、掃蕩、等々を誰がしたかをしらべることですな。

殆どの部隊は城外で野営していると言うことを勉強しなさい。

Re: 元祖南京の真実

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 11:54 投稿番号: [23082 / 41162]
>南京市内に駐留していたのは、第十六師団、第九師団歩兵第七聯隊、三十五聯隊、第十野砲聯隊。
以上が南京市内の日本軍の兵隊だな。>

だから〜?

「日本軍は三方から南京城に入ったんですが、南から行った部隊は確かに
やってないんですよ。
北から揚子江沿いに行った部隊と真ん中から行った部隊が、非常に
危険なことをやってるんです。
だから、南から行った部隊の人たちだけを集めて、たとえば座談会を
やると南京事件はゼロなんです。」

「ゼロだというのは、投降兵に殺害、捕虜の殺害、便衣兵の殺害、
以上のような兵、ゲリラ兵と見誤った殺害が、すべて国際法上なんの問題も無いか、または問題があったとしても合計ゼロ件であった、という主張でしょう。
でも、裁判なしの、投降兵、捕虜の殺害や、兵と見誤った民間人の
殺害が国際法上合法なんてことはないし、揚子江に多数の死体が流れてきた
というような証言はいくらでもあるから、合計ゼロ件ということもない。
なにを考えているんだろうと思いますけどね。」

(オフレコ別冊、半藤、田原氏対談より)

Re: 元祖南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 11:33 投稿番号: [23081 / 41162]
南京市内に駐留していたのは、第十六師団、第九師団歩兵第七聯隊、三十五聯隊、第十野砲聯隊。

以上が南京市内の日本軍の兵隊だな。

チャンと史実を確認しなさいね。

Re: 元祖南京の真実

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/04/24 11:01 投稿番号: [23080 / 41162]
>入城した兵隊の数を知ってのことか?

大体、こんくらい?

「南京攻略に参加した陸軍部隊の編成は以下のとおりです。ごく大雑把に言うと、上海派遣軍は上海から南京までの直線コースに近い北よりのルートを取り、第10軍は南側から迂回して途中から北上するルートを取っています。全部で10個師団、うち直接南京市内に入城したのはそのうちの約半分、4個師団と3個連隊(合計すれば5個師団弱に相当)です。南京戦当時の1個師団の兵力は、定数では約2万2000前後 (実数はもっと多かったらしい) ですから、南京城内を直接攻撃した総兵力は10万人程度と推定されます。

中支那方面軍 (司令官   松井石根大将)
上海派遣軍 (司令官   朝香宮鳩彦王中将) 第10軍 (司令官   柳川平助中将)
  第9師団 (師団長   住吉良輔中将)   第6師団 (師団長   谷寿夫中将)
   歩兵第6旅団   歩兵第7・第35連隊    歩兵第11旅団   歩兵第13・第47連隊
   歩兵第18旅団   歩兵第19・第36連隊    歩兵第36旅団   歩兵第23・第45連隊
   騎兵・山砲兵・工兵・輜重兵各1個連隊    騎兵・野砲兵・工兵・輜重兵各1個連隊
  第16師団 (師団長   中島今朝吾中将)   第114師団 (師団長   末松茂治中将)
   歩兵第19旅団   歩兵第9・第20連隊    歩兵第127旅団   歩兵第66・第102連隊
   歩兵第30旅団 (佐々木支隊) 歩兵第33・第38連隊    歩兵第128旅団   歩兵第115・第150連隊
   騎兵・野砲兵・工兵・輜重兵各1個連隊    騎兵・野砲兵・工兵・輜重兵各1個連隊
  第13師団   第5師団
   歩兵第103旅団 (山田支隊)   歩兵第65連隊    歩兵第9旅団 (国東支隊) 歩兵第41連隊
   第13師団残部は揚子江北岸にあり   第18師団   蕪湖方面に向かう
  第3師団  
   先遣隊   歩兵第68連隊  
   第3師団残部は後方警備  
  第11師団   後方警備  
  第101師団   後方警備  


南京大虐殺とは呼ばれていますが、実際には虐殺は南京市の市街地だけでおこったのではありません。日本軍の進撃路上の各所で起こっています。
たとえば、12月4日、南京市街まで60km以上離れた句容県の倪塘村に第16師団歩兵第20連隊が侵攻し、そのまま宿営しました。村民の多くは既に逃亡していたのですが、逃げ遅れた村民と他村からの避難民約40人を一軒の家に押し込めて、火を付け、焼き殺しました。加えて翌朝には、他村からの避難民と中国軍の敗残兵あわせて80人ほどを捕縛し、機関銃で全員を殺害しています。あわせて120人。

更に同じ句容県内の本湖村では12月5日朝、日本軍が接近してきたのを遠方から見て国民党軍と誤認した村民が、槍や刀をもって整列して歓迎しようとしたところを捕縛され、約40人が酒醸造小屋に押し込まれて、火を放たれ、一人が逃げ延びた他は全員が殺されています。

日中戦争の頃、南京近郊の6県 (南京特別市) には、あわせて150万人もの人口があったと言われています。そして、そのかなりの部分は、日本軍が迫ってきても避難することができませんでした。当時農村ではラジオも新聞もなく、日本軍の接近を正確に知ることができなかったこと、家財道具や家畜などを連れて逃げる交通手段はなかったこと、家畜や家財道具を残して身ひとつで逃げても、何日も避難し続けるだけの食糧を買うお金もないことなどが理由でした。

また、避難する場合でも、殺されたり連行される可能性の高い成人男性が真っ先に逃げ、それから女子どもが逃げ、殺される可能性が低い (と、中国の内戦での経験から農民たちが考えていた) 老人は、たいていの場合家財産を守るために村落に残っていたのです。

こうした集落に残っていた一般民衆が、どれだけ殺されたのか。その全体像は判然としません。小さな村々のことですから、1ヶ所ではそれぞれ数人から多くても数十人の規模の虐殺ですが、それを各部隊が連日のように繰り返していたのです。全体でどれほどの数になるのか、はっきりしません。ただ、スマイス博士が事件の直後から翌年にかけて実施した「南京地区における戦争被害」によると、農村部206世帯に1世帯の抽出調査を行った結果から、近郊6県の半分で26,870人という犠牲者数を出しています。

近郊6県全体ではこれより大きな数字になる可能性がある一方、抽出調査という手法から誤差の範囲も大きいものと思われます。」

(google参照)
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