Re: 元祖南京の真実
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2008/04/24 13:51 投稿番号: [23088 / 41162]
>第16師団は、「捕虜はせぬ方針」の師団長を筆頭に躊躇なく投降兵の殺戮を行っていますが、山田支隊はその場で殺すことはさすがに躊躇したらしく、いったんは捕虜として受け入れたのですが、結局は長参謀長からの命令で、16日と17日の2回に分けて揚子江の川辺で機関銃と小銃を乱射して皆殺しにしたのです。歩兵第65連隊第2大隊第8中隊の遠藤高明少尉は、16日の陣中日誌にこう書いています。
↑歩兵第65連隊は、第13師団に属して、山田支隊の一部と言うことだな。
歩兵第65聯隊第二大隊第八中隊の隊長代理は鈴木一雄中尉だな。
山田本隊と山田支隊は一二月一七日協同で戦闘を行って水口鎮を攻略している。
十八日除県攻撃も行っている。
その間対岸の、浦口、江浦、金椒と迂回した部隊と直接向かった部隊がある。
之が作戦要図に書かれている事実だよ。
当然南京攻略後山田支隊渡河北上と記してある。
>山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊の黒須忠信上等兵の陣中日誌によると、以下のとおりです。
午後1時、我が段列より20名は残兵掃湯 (掃討) の目的にて馬風 (幕府) 山方面に向かう。2、3日前捕慮 (捕虜) せし支那兵の一部5千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す。その后銃剣にて思う存分に突き刺す。自分もこの時ばがり (ばかり) と憎き支那兵を30人も突き刺したことであろう。
山となっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは、鬼お (を) もひひ (し) がん勇気が出て力いっぱい突き刺したり。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りもいれば子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた。こんなことは今まで中にない珍しい出来事であった。
帰りし時は午後8時となり、腕は相当疲れていた。
↑砲兵隊の携帯武器をチャンと調べることだろうな。
これは メッセージ 23085 (fukagawatohei さん)への返信です.
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