★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

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Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: nyannyanwanwanwe 投稿日時: 2009/04/30 23:04 投稿番号: [65 / 65]
ヒーロー

結婚を考えてる彼女に聞いた

投稿者: kabumakenaiyo 投稿日時: 2009/04/24 08:48 投稿番号: [64 / 65]
日本人で良かった。
しつこく聞いたら、しつこいと怒られた。
あと最近、女友達に彼氏が三世だか四世と聞かされ、お前は日本人だが子供は在日になるぞ!やめとけ!と、説得した!
とても良いことをした。

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: nyannyanwanwanwe 投稿日時: 2009/04/24 08:39 投稿番号: [63 / 65]
一切居ません

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/04/19 09:34 投稿番号: [62 / 65]
その熊本藩が守る小倉城を攻めた高杉軍は
肥後勢の鉄砲の前に、手痛い打撃を受けた

高杉さん、死傷者は百五十を越えています
これ以上は無理です

分かっている、懇ろに弔い
一旦下関に引き上げよう

下関に戻った高杉は、軍議を開き打開策を
講じる、まず小倉藩の要所赤坂の目前に
砲台を構え無言の圧力を掛けたのである

この砲台の威力は、先の戦いで幕府軍は
骨の髄まで思い知らされていた、無論時折の
威嚇射撃も忘れなかった

更に砲台には、篝火が焚かれ光々と夜空を
焦がしていた

これを見た幕府軍は一気に厭戦気分に襲われる
各地で幕府軍敗退の報も伝えられていた
更に将軍家茂が急死、老中小笠原は江戸に
引き上げてしまった

これに乗じて諸藩の軍勢も一斉に引き上げ
幕府軍は、事実上の敗北を喫する
小笠原の行動が、勝敗を決するものとなった

慶応二年八月一日、小倉城に火の手が上る
高杉軍に攻め込まれるのを恐れた、小倉勢が
自ら火を放ったのである

僅か千人足らずで、五万の大軍に勝利を
収めた奇兵隊高杉晋作、炎上する小倉城を
見て何を想っただろう

酒と詩をこよなく愛した高杉は、同志が眠る
桜山神社に招魂場を設け、次のような詩を
捧げている

猛烈の奇兵、何の志す所ぞ
一死を持って、邦家に報いんと欲す

欣(よろこ)ぶべし   名遂げ功成るの後
共に招魂場上の、花とならん
                        
               高杉晋作春風

やがて持病の労咳が悪化し、小倉城炎上から
七ヵ月後、余りに短い二十九年の生涯に
幕を閉じた

この小倉城の戦いは幕府倒壊の序章となった
この後数年で、明治政府が誕生するのである

高杉晋作、維新の先駆けとなった熱情の志士
そう言えるかも知れない

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/04/19 09:29 投稿番号: [61 / 65]
維新の先駆けとして華々しく戦い、散って
いった 高杉晋作、2回に分けて


   峻烈   奇兵隊

慶長二年八月、第二次長州討伐の幕府軍は
十万の大軍を擁して長州を目指していた

迎え撃つ長州軍は約三万、圧倒的な戦力の差は
第一次長州討伐と同様、長州藩の敗北を
予感させるものであった

幕府軍司令官、老中小笠原長行は軍議の席で
壮語する

長州の者共、再び頭(こうべ)を
垂れるであろう

将軍家の御威光、些かも揺るぎなし

元来、官僚畑の小笠原が司令官として指揮を
取ったのは、長州は戦わずして降伏するで
あろうという、幕府の安易な思惑であった

この思惑は見事に外れ、後々大きな禍根を
残す事になる

第一次長州討伐の後、長州藩では幕府に従順な
保守派が実権を握っていた、反幕府勢力は
粛清され、多くの志士達が切腹、打ち首の
憂き目に逢わされた

これに敢然と立ち向かったのが、高杉晋作で
あった

高杉晋作   諱(いみな)は春風   萩に生まれ
十九歳の折吉田松陰の松下村塾に入門、英才を
発輝して久坂玄瑞と共に、松門の双璧と称された

高杉は、檄を飛ばす

今や尊皇攘夷が事、火急の時なり
共に起ちて、奸物を討ち果たさん

元治元年十二月、高杉の檄文に応じて功山寺に
結集した八十余名は、尊皇攘夷を掲げて決起する

この時高杉はこう述べている

長州男児の心意気、得と御覧に入れ申す

高杉は民兵組織、奇兵隊を組織し保守派の討伐に
全精力を傾けた 、この奇兵隊は正式な軍隊では
なく、農民や下級武士で構成されていた

徹底した訓練と、西洋式の装備で力を蓄え
次々と保守派を打ち破り、長州は再び倒幕派が
実権を握ったのである

我等、再び起ちて   尊皇の志
貫(つらぬ)かん

第二次長州討伐軍の主力は、九州小倉城に
入城していた、その兵力は約五万対して
迎え撃つ高杉奇兵隊は僅か一千、対岸の
下関に布陣する

一対五十   数で圧倒的に不利な高杉は徹底した
ゲリラ戦法を取った、小倉藩の軍港、田野浦を
急襲し、幕府軍が用意していた二百艘に登る
軍船を焼き払い。同時に下関の砲台から
幕府軍の陣営に大量の砲弾を浴びせたのである

幕府軍は大混乱に陥り、初戦は高杉軍の
大勝利となった

この年は厳しい猛暑が続き、諸藩寄せ集めの
幕府軍は、疲労と食料不足で戦闘意欲を失い
前線を支えるのは、小倉藩だけという状況で
あった

その小倉藩も打撃を受け、小笠原に援軍を
要請する

我が藩のみ矢面(やおもて)に立つは
納得出来かねる

然るべく、援軍を御願いしたい

援軍として、小倉城に入城したのは
熊本藩であった、当時熊本藩は銃身の長い
鉄砲を揃え、幕軍最強の呼び声が高かった

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/04/12 12:05 投稿番号: [60 / 65]
逆に幸村の勇猛さに感じ入った家康は
何度も使者を立て、徳川軍に寝返りを
勧めている

それも城持ち大名として処するという
破格の物だった

勿論、幸村は一願だにしなかった

私はそんな物の為に戦って
いるのではない

秀頼様の御恩、武士としての本分
それだけで御座る

これを聞いた家康は

さすがは幸村、あの仁こそ武士の鏡なり
感慨深げに話したと言う


大阪冬の陣は和睦の結末となった
これには大きな罠が仕掛けられていた

和睦の条件である、外堀の埋め立てだけ
ではなく内掘まで埋められ、大阪城は裸城に
さてれしまったのである

難攻不落と詠われた大阪城も、もはや風前の
灯火であった

慶長二十年五月、再び家康が十五万の大軍を
擁して大阪城に姿を見せた、迎え撃つ豊臣方は
五万

幸村は決断する、

もはや奇襲しかない

朝靄の煙る五月七日早朝、大阪城を取り囲む
徳川軍の真っ只中を、六文銭の旗をなびかせ
怒涛の如く駆け抜ける騎馬軍団があった

目指すは、家康の首!   いざ押出せー!

死を覚悟の幸村の突撃である、本陣を固める
旗本を蹴散らし、家康は目前であった

家康公、真田幸村   これに見参!
御覚悟!

しかし、家康を討ち取ることは出来なかった
体制を立て直した家康軍は、騎馬に矢を射かけ
鉄砲を放ち、さしもの真田騎馬軍団も壊滅の
憂き目を見たのである

稀代の名将、真田幸村も首を打たれ
四十八年の生涯に幕を閉じた

幸村に遅れる事一日、秀頼親子も自害して果て
これにて豊臣家は終焉を迎えた

後に幸村の死を聞いた、兄の信幸は

幸村こそ、当代一の名将であった
兄として、同じ武将として誇りに思う

そう述べている

信幸が祖となった信州松代藩では、幕末に
なるまで代々守られて来た、宝物(ほうもつ)が
あった

寝ずの番を置いて、幕府の目から守って
来た物は、信幸と幸村が交わした幾通かの
書状であった

幸村こそ真の武将である、幸村が事
夢々忘れまじ

そんな信幸の、気持ちの表れであった

江戸の世になり幸村は逆賊として扱われ
講談、歌舞伎など幸村の活躍を描くものは
厳しい処罰を受けた

しかし名を変え、時代設定を変え、幸村の
生涯は演じら語り継がれてきた

江戸の庶民は、そんな芝居を見ると大喝采を
送ったそうである

義を重んじ小よく大を制す、そんな幸村の
生き様に人々は深い共感を持ったのかも
知れない

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/04/12 11:58 投稿番号: [59 / 65]
探してもなかったので、消滅したと
思っていた、まだ生きていた(笑)

そこで、戦国時代のヒーロー
真田幸村について、これも長いそう
なので2回に分けて

      九度山の虎

慶長五年、天下の状勢は俄かには緊迫し
石田三成と徳川家康の衝突は、避けられない
状況となった

大名諸将、何れに付くか   御家の存亡を
賭けて瀬戸際の選択を迫られていた

信州真田家も例外ではなかった

当主真田昌幸は、西軍に付く事を主張する

徳川勢とは、先年より因縁ありて
これに組するは、我が意にあらず

西方にて、御家の安泰を計るべし

真田と徳川は、これまで幾度と無く小競り
合いを繰り返しており   昌幸は徳川に
組みするのを良しとしなかった

対して嫡男信幸は、徳川に付くべく反論する

父上   天下の形勢は、既に徳川に
傾いております

治部殿を持ってしても、西方勝利は至難の業
何卒、御再考を

話し合いは幾度となく繰り返された、しかし
結論は出ず互いに信ずる道を、進む事に
なったのである

昌幸と幸村は西軍に、信幸は東軍に
親兄弟、敵味方に分かれる事になった

尤もこの信幸の判断が、結果的に真田家を
幕末まで存続させる事になった

(信州松代藩)

慶長五年九月、徳川軍は二手に分かれて
進軍を開始する、家康は東海道を秀忠は
本隊三万八千を率いて中山道を進んだ

中山道の秀忠を待ち受けていたのが、信州
上田城の真田親子であった

軍勢は僅か二千五百、秀忠軍の十分の一にも
満たない

しかし自在の戦略は秀忠軍を翻弄し   一刻も
争う行軍は十日余りも、足止めを余儀なく
された

この為秀忠は、肝心の関が原に間に合わず
後々家康から激しい叱責を受けた
万一西軍が勝利すれば、第一の功労者は
真田親子であった

その関が原はあっけない幕切れとなった
西軍は総崩れと成り三成は戦死   昌幸
幸村も捕らえられ、紀州九度山に蟄居の
身となった

九度山に預かりの身となってより十五年
幸村は次第に老いていく己が、疎ましかった

姉に宛てた書状で

我既に齢(よわい)四十七、歯は欠け
髪は白く弱き身となり申した

もやは、朽ち果てるを待つばかり

武士の面目も叶わず、捕われ人で
九度山に、屍(しかばね)を晒すのみ

我が定めを嘆く幸村に、ある時一通の書状が
届けられた、豊臣秀頼からの勧誘状である

此度、関東勢と一戦交えるものなり
貴殿の御高名、天下に知らぬ者なし

大阪城に入城されたし、委細はその後(のち)

天は我を見放さなかった、幸村は心躍らせ
勇躍大阪城に向かって行った

その頃、天下は風雲急を告げていた

家康は豊臣家が建立した、方広寺の鐘に
刻まれた国家安康の文字が、家康を呪った
物だとして、強硬な態度に出る

明らかにこれは口実であった、豊臣家の存在が
邪魔になった家康が、豊臣家滅亡を決意した
のである

もやはこれまで、淀君始め、重臣達は諸国の
大名に参陣を呼びかける
しかし、承諾する大名は誰一人としていなかった

既に徳川政権は、磐石となっておりこれに
背くのは自殺行為に近かった

やむなく、諸国に溢れる牢人に声を掛けた
のである

これに呼応して、天下に名の知れた武将達が
続々大阪城に入る   後藤又兵衛、長宗我部盛親
塙団右衛門

幸村もそんな一人であった、雌伏十五年
思えば長く辛い年月であった

幸村は、一人瞑想に耽る

秀頼様の大恩、如何にして報いん
我、凡庸にして、思い及ばず

大阪城に入った幸村は、知略を尽くして策を
献上する、しかし秀頼側近の重臣達は聞き
入れず、用いられる事は滅多になかった

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: nyannyanwanwanwe 投稿日時: 2009/04/12 00:08 投稿番号: [58 / 65]
名誉毀損

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: k09ukyoi7tt 投稿日時: 2009/04/08 15:49 投稿番号: [57 / 65]
いたら死にます

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/04/05 09:02 投稿番号: [56 / 65]
此度こそ、小谷の二の舞は繰り返すまい

お市は心を定め、勝家の再三の脱出要請にも
関わらず夫と共に火を放ち、自害して果てる

最愛の母を亡くした   茶々、於初(おはつ)
於江(おごう)の三人姉妹

北ノ庄落城の折、姉妹はお市から厳しい
言付を受けていたのである

そなた達、この母亡き後は利家殿を頼るが
よい、かの御仁は温厚にして誠実

けっしてそなた達を、悲しませるような
事はあるまい

ただし、秀吉だけには弱みを見みせるでない
よいな、分かりましたな

しかし運命の皮肉か、長女お茶々は秀吉の
側室となった、秀吉にしてみれば望んでも
手が届かなかったお市の方の面影を、娘茶々に
見ていたのかも知れない

秀吉の側室となり、世継ぎ秀頼が産まれるに
至って茶々、いや淀君は豊臣家の中に
どっぷりと浸かっていった

一方次女於初は   淀の斡旋により京極高次の
元へ輿入れし、小浜城にて平穏な生活を
送っていた

やがて高次が亡くなると出家して、常高院と
名乗る

三女於江(おごう)は徳川秀忠の元に嫁ぐ
恐らく秀吉の政略的な考えだったろう

於江に限らず、政略結婚は戦国の世の常であった

時は下って大阪夏の陣の折リ、内堀まで
埋められた大阪城は裸同然であった、この時
姉淀君を案じる、姉妹の必死の工作が行われた

常高院は、徳川方、豊臣方を何度も往来し
合戦の中止を訴える

妹於江の方も徳川の意を汲み、淀君の説得に
当たる

三姉妹が揃って大阪城で何を話したのだろうか
遠い小谷の思い出か、それとも今は亡き母
お市の事か

やがては敵味方になる淀と於江、中に立ち
苦悩する常高院

淀君と妹達、最後に常高院が大阪城を後に
したのは落城の一日前のことであった

慶長二十年五月八日、難攻不落を誇った
大阪城は無情にも落城、秀頼と淀君も共に
自刀して果てる

秀吉が夢に描いた天下無双の大阪城
ここに豊臣家は完全に滅亡し、徳川の天下と
なったのである

後に三代将軍家光の生母として、権勢をふるう
於江の方を、常高院は度々江戸城に訪ね
昔話に花を咲かせたと言う

この時ばかりは、流石に恐い物はない
於江の方も

あね様、あね様と

昔のあどけない娘の頃に帰ったそうである

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/04/05 09:02 投稿番号: [55 / 65]
お市の方の話が出たので、長いそうなので
2回に分けて

        お市と娘達

信長の妹お市の方、大変な美貌の持ち主で
家臣団の羨望の的であった

そうした家臣達の眼差しを知ってか知らずか
お市の方は永禄十年、信長の命により近江小谷
城主浅井長政に嫁ぐ

この婚姻で一番落胆したのが籐吉郎秀吉で
あった、雲の上の御方と分かっていても募る
慕情は隠しようが無かった

お市様が御幸せならば、ぜひも無し

やがて秀吉はおねを嫁として迎え、二人三脚で
出世街道を邁進する

一方小谷のお市は、優しい夫長政と睦まじく
平穏な日々を送っていた、しかしここにも
戦国の荒波が押し寄せる

兄信長と夫が対峙し、衝突は免れぬ事に
なったのである、天正元年両者は激突し
小谷城は陥落、長政は自刀を決意する

お市も後を追うべく、長政に願い出る

殿、何卒、お市も御供を

長政はお市に向い、諭すように

お市、わしの後追いは許さぬ
その方が自害致せば   幼き子は何とする

年葉もいかぬ子を、父はおろか母なし子に
致すつもりか

それに、そなたは信長殿の愛しい妹御
粗略にはされますまい

されど兄は兄、われはわれ
殿と一緒に、参りとう御座います

ならぬ、わしの今生の願いじゃ
どうか聞き届けてくれ

お市は、長政の遺言ともいえる言葉に
従う他はなかった

信長の元に娘三人と共に身を寄せたお市に
再び家臣団は色めき立った

取り分け秀吉は、何かとお市に便宜を図り
付け届けを繰り返していた

しかし、お市は大の秀吉嫌い

わらわは、猿の顔など見とうもない
二度と進物など無用じゃと伝えてたもれ

されどお方様、秀吉殿は御味方の中でも
指折りの御方

あまりじゃけんになされては

かまわぬ、元はと言えば兄上の草履取り
何を恐れる事があろうか

この時お市には、この後降りかかる過酷な
運命を知る由もなかった   柴田勝家に嫁ぎ
共に過ごす穏やかな日々もそう長くは
続かなかった

天正十年六月、本能寺で信長が明智光秀の
謀反により変死を遂げると、山崎の合戦で
光秀を討ち果たした秀吉は、柴田勝家に
牙を剥いたのである

秀吉は勝家の居城北ノ庄を攻め、落城寸前と
なった

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/04/03 08:44 投稿番号: [54 / 65]
自称なのでかなり怪しい   ただ知恵袋によると

質問

織田無道と織田信成君は親戚同士ですか?
質問日時: 2007/7/10 11:22:50

回答

織田無道は織田信長の妹、お市の方の直系ですね。

織田信成君は織田氏家系。織田信長の17代目の
末裔(信長の七男・信高の流れを汲む)


真実は闇の中、しかしあの生ぐさ振りを見ると
子孫とは思えない

やはり、成り済まし(笑)

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: fff2252 投稿日時: 2009/04/03 00:26 投稿番号: [52 / 65]
>なるほど、信成ね

織田信成

信長から十七代目に当たる、スケート選手
ホトトギスの歌が洒落ている




韓国系詐欺師と呼ばれている織田無道という、強欲ならず者坊主はどーよ?

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/30 08:43 投稿番号: [51 / 65]
なるほど、信成ね

織田信成

信長から十七代目に当たる、スケート選手
ホトトギスの歌が洒落ている

信長
鳴かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス

信成
鳴かぬなら、それでいいじゃん、ホトトギス

歌の才能がある(笑)

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2009/03/30 00:41 投稿番号: [50 / 65]
現在は子孫信成の野望

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: cgi_perl_load 投稿日時: 2009/03/30 00:37 投稿番号: [49 / 65]
正論

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/22 08:45 投稿番号: [48 / 65]
ヒーローと言えるかどうか、ただ戦国時代の
3大英傑の内、尤も華があるようです
と言う訳で信長を

     風雲   桶狭間

お濃、湯漬けを持て!

信長の怒号が、清洲城に鳴り響いた

永禄三年五月、駿河の太守今川義元は上洛を
決意し、四万五千の大軍を擁して駿河を出発

同月十七日、織田方の小城を次々と陥落させた
今川軍は、田楽桶狭間にて昼食(じき)の為
軍勢を休ませていた

桶狭間は名にしおう難所、谷が入り組みその上
谷底には深田が作られ、一旦布陣が崩れると
収拾がつかなくなるは必定であった

今川軍、桶狭間にあり、この知らせ聞いた
信長は

勝てる!そんな予感がした

人間五十年   下天の内をくらぶれば
夢幻の如くなり

一度生を得て   滅せぬ者のあるべきか

敦盛を一さし、舞い終わると

よいか!今川勢は大軍を盲信し
油断あり、我が勝機ここにあり

誰ぞ、具足を持て!

素早く具足を身に付けた信長は、馬に跨るや
疾風の如く城門を駆け抜けて行った、従うのは
近習僅か五騎

一方、桶狭間の義元は上機嫌であった
小競り合いにて織田勢を蹴散らし、行く手を
阻む物は何もなかった

尾張勢は手も足も出まい、僅か五千足らずで
何程の事が出来ようぞ

京は目前じゃ!

この時、義元は背後の北条氏康、武田信玄と
盟約を結び越後の脅威、上杉謙信包囲網を
敷いていた

いわいる三国同盟である

後願の憂いを無くした義元の天下取りは
並み居る諸将から、京の童子に至るまで
当然の如く受け取られていた

清洲城を後にした主従六騎は、駆けに駆け抜けた
熱田に到着した頃には、信長出陣を聞き付けた
郎党達が集まり、その数は弐百程に達していた

そこから善照寺砦に入り、兵の集結を
待ったのである、やがて兵を整え桶狭間に
到着した信長は、眼下に今川勢を見下ろし
激を飛ばす

皆の者、よく聞くがよい!

小軍なりとも、大敵を怖るる事なかれ
運は天に在り、古来よりの言い伝えじゃ

織田家の命運、この戦さにあり
各々手柄を立て、功名を残すべし

いざ、押し出せー!

ウオォー!

黒い稲妻が今川軍目指して殺到した、不意を
付かれた駿府勢は、ひとたまりもなかった

折りしも、雨でぬかるんだ田畑に足を取られた
兵士達は逃げ場を失い、次々と首を打たれ
さながら地獄絵図の様相を呈していた

義元が事の重大さに気付いたのは、周りを
固める手勢が、僅か二十騎程になった時で
あった

殿、もはや尾張勢、防ぎ切れませぬ
どうか、御覚悟を

信長にしてやられたか
天下を目指す余が、斯くも安々果てるとは

これが定めか、無念じゃ!

享年四十二歳、京を目前に無念の最後であった

これは源氏の流れを汲む名門として、南北朝の
時代より駿府、遠江に君臨してきた今川家の
凋落の始まりでもあった

嫡男氏真に、戦国の世を切り開く力は無く
迷走を重ね最後は、家康の庇護の元に入って
いった

ともあれ、この桶狭間の戦いは、天下を
震撼させるものであった、天下取りは一気に
混迷の度を深め、戦国武将達は密約、寝返りを
繰り返し、その機会を窺ったのである

この戦いにて尾張の弱小大名、織田信長の
名は一挙に知れ渡り、信長も又天下取りに
向けて第一歩を踏み出した

それは信長の野望、第一章でもあった

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/15 18:16 投稿番号: [47 / 65]
       エピローグ   静御前

文治二年   義経と吉野山での、雪中の別れを
余儀なくされた静御前は、京に戻る途中
捕らえられ、鎌倉へ護送された

鎌倉での詮議は厳しかった、義経の行方を
追及する官吏の、夜を徹しての詰問が続けられた

しかし静(しずか)は頑として口を割らなかった

判官殿は、何れにおわす!
そなたが、知らぬ筈はあるまい

素直に申されるがよい!

何れにおわすのか、この静(しずか)より
お尋ねしとう御座います

吉野の御山にては、何も聞かされておりませぬ

幾度繰り返しても埒があかず、とうとう
根負けをしている

そんな折、北条政子のたっての願いで鶴岡
八幡宮の回廊で舞いを奉納する事になった
頼朝始め、鎌倉の主だった重臣達も顔を
揃えている

静(しずか)は穏やかに、そして華麗に舞った

吉野山   峰の白雪践み分けて   入りにし
人の跡ぞ恋しき

しづやしづ   しづのをだまき繰り返し
昔を今になすよしもがな

義経を慕い別離を悲しむ舞であった   さすがは
都随一の白拍子、重臣達を始め見物に訪れた
人々は感涙にむせんだという

しかし頼朝は激怒した

鎌倉を鎮府する八幡宮の回廊で、事もあろうに
謀反人を慕う舞いを舞うとは、

許せぬ   誰ぞ静(しずか)の首を跳ねて参れ!

静に同情していた政子は、頼朝を諌めて

佐(すけ)殿、それはなりませぬ
考えても御覧なされ

静御前は九朗殿を、命を賭けて慕うて
おりまする

憶えておいでか、伊豆で謀反人として
流罪の佐殿をこの政子がどれだけ案じたか

あれと同じ事、

誉めこそすれ、命を奪うなどとは
正気の沙汰とは思われませぬ

この政子の諫言は頼朝の心をを打った
自分の非を詫び、静(しずか)には
褒美に、卯の花襲の衣を届けている

しかし受難は、これだけではなかった

身篭っていた静(しずか)が男子を出産した為
直ちに由比浜に捨てられてしまったのである

赤子を離そうとしない静の手元から、剥ぎ取る
ように奪われていった

静は我が身の定めを嘆いた、義経の形見を失い
母としての哀しみは大きかった

その後放免された静(しずか)は、矢も盾も
たまらず義経を追い、奥州に向って行った

しかし途中で力尽き、岩代の国(郡山市)にて
池に身を投じ生涯を閉じる   (諸説あり)

当代随一の舞の名手静御前と、天才武将義経の
悲恋は都はおろか諸国に知れ渡り、各所に
静御前の足跡が残されている

義経を巡る女達の中でも、最も悲哀に包まれた
静御前   享年二十一歳であった

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/15 18:00 投稿番号: [46 / 65]
         平泉の夢

兄上は何ゆえ、この九郎の気持ちを
御分かりに成らぬ、二心無き物を

腰掛状を始め、何度弁明の書状を送っても
頼朝から許しが出ない、梶原景時の讒言により
謀反の恐れありと疑われ、義経とその一行は
京を捨て吉野の山に逃れていた

御曹司、いずれ鎌倉殿も御分かりになります
お二人は腹違いとはいえ、血を分けた御兄弟
必ずやお許しも頂けましょう

傍らに控える弁慶の慰めも、虚ろに聞こえてくる
頼朝の性分を考えれば、勘気が解けるとは
到底思えない

思えば文治元年三月、壇ノ浦で平家を打ち破り
栄光の座にあってより僅か数ヶ月、一転して
追われる身となった

京にあって、後白河法王の寵愛を受けるも
武家勢力を代表する頼朝と、法王との確執の
渦に巻き込まれ、政治力に疎い義経は弾き
飛ばされてしまった

かくなる上は、藤原の殿の元へ参りましょうぞ
彼の地までは鎌倉殿も追っては来ますまい

伊勢の三郎が進言する

うむ、平泉は麗しき都じゃ
御屋形様も、御壮健であろうか

弁慶、そなたの所存は?

いかにも三郎殿の申す通り、ここは一旦
平泉に退き、力を蓄えいずれ京に登られるのが
得策かと

相分かった、これより我等一同は北陸道を進み
平泉を目指す

文治三年一行は、ようやく懐かしい藤原京に
辿り着く

義経十七歳の折   鞍馬山を出て兄頼朝の
旗揚げに参じるまでの、五年の歳月を過ごした
思い出の地

しかし、義経を我子のように慈しんでくれた
当主、藤原秀衝は既に死期を迎えようとしていた

秀衝は死出の旅に向かう際、三人の息子達に
遺言を残す

よいか、このわし亡き後は御曹司を当主となし
鎌倉殿より御守りせよ

鎌倉勢は一兵たりとも、この地に入れてはならぬ

義経は幼くして父(義朝)をなくし、父親の
愛情を知らない、秀衝をまことの父のように
慕っていた

殿、御気を確かに、この九郎
尾屋形様より受けた御温情終生忘れませぬ

今一度九郎と共に、駒を走らせましょうぞ

義経の願いも届かず、秀衝は帰らぬ人となった
義経は溢れる涙をこらえようともせず
ただ声を殺して泣くばかりだった

この後、嫡男泰衝の裏切りに会い文治五年四月
衣川の合戦に敗れ自刃   享年三一歳

数々の武勲を立てた義経、しかし兄頼朝の
猜疑を受け無念にもその若い命を散らして
しまった

世の人々は、彼の余りに無情な死を悼み
後にジンギス、ハーン、義経という
いわゆる義経伝説を作った程である

彼ほど日本各地に伝説が残っている武将も
珍しい、西は壇ノ浦から北は奥州平泉まで

討伐の遠征あり、逃亡の道行きあり

それぞれに多くの逸話を残しながら、今も
愛され続ける義経、それは日本人の心の琴線に
触れるものがあるからかも知れない

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/15 17:57 投稿番号: [45 / 65]
決戦 壇ノ浦

屋島での合戦に敗れた平氏一門は、関門海峡
近くの小島、彦島に辿りつく、体制を立て直し
最後の戦いに、望みを繋いだのである

時は文治元年、三月二十四日早朝、追ってきた
義経を始めとする源氏との雌雄を決すべく
壇ノ浦、決戦の火蓋が切って落とされた

平氏の擁する軍船は五百隻余り、一方源氏方は
八百五十隻に及んだ

緒戦は潮の流れに乗った平氏が優勢に
戦いを進め、源氏は苦戦を強いられていた

しかし天才武将、義経はしたたかであった

皆の者、船頭に矢を射かけよ
他は捨て置け!

この義経の機略で、船頭に狙いを定め矢を
射掛けると、たちまち形勢は逆転していった

船頭を失った平家の軍船は、行き場を失い
海上を彷徨するばかりであった   この機を逃さず
平家の軍船に乗り込んだ源氏勢は、次々に
斬りかかり、平家方は大混乱に陥ってしまった

勝敗の行方は、これにてほぼ決着を見のである

平氏の総大将宗盛を助けて、軍勢を取り
仕切っていた勇将知盛(とももり)が再び
浮上せぬよう、鎧を二重(ふたえ)に着込んで

見るべき物は、すべて見た

と言い残し海中に沈んでは、壇ノ浦の戦いも
終結を迎えたのであった

もう一つの戦いも、やがて終わろうとしていた

清盛の正室、二位ノ尼は自らの孫、安徳天皇を
胸に抱き(いだき)舟縁にと進んでいた

数え歳八歳の安徳天皇は、いぶかしげに
二位ノ尼に御尋ねになる

尼御前、私をどこに連れていくのか

二位ノ尼は答えて

御心配には及びませぬ
波の下にも、都はありましょうほどに

安徳天皇を抱いて海中に身を投じ、海の藻屑と
消えてしまったのである

これに続いて建礼門院、それに女官、女御達が
次々に身を投げていった

海上はさながら、阿鼻叫喚の様相を呈していた
浮き上がり泣き叫ぶ女御達、これを熊手にて
捕らえんとする源氏の郎党

建礼門院も海上より引き上げられ、奇跡的に
一命を取り止めたのであった

助け出された建礼門院は、その後髪を下ろし
大原の地に庵を結ぶと、二十八年もの永きに
渡って、我が子安徳天皇と平家一門の霊を弔い
読経三昧の日々を送ったのである

この壇ノ浦での勝利で、義経の輝きは最高潮に
達し、京に凱旋した天才武将を、都人は喝采を
持って迎えた

しかし、これを最後に運命が暗転していくのを
義経自身、知る由もなかった

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/15 17:54 投稿番号: [44 / 65]
         黄瀬川の対面

治承四年   頼朝伊豆での挙兵の一報は直ちに
平泉にも伝えられた

緒戦の石橋山の合戦でこそ大敗したものの
力を蓄え今や、相模   武蔵を圧する大勢力と
なっていた

義経は、はやる心を押さえる事が出来なかった

どのような御人柄か、一刻でも早く会いたい
共に平家打倒の為、精進つかまつらん

義経は秀衝に口上を述べる

御屋形様、只今より兄上の本陣目指し
出発致します

五年の永きに渡り、格別の御芳情を賜り
九郎、この御恩生涯忘れませぬ

秀衝は旅立つ若獅子に、我が子以上の感慨を
込めて別れの言葉を贈る

名残は尽きぬが行かれるが良い
新たな門出じゃ

昇竜となりて、天空を羽ばきなされ
そなたはその定めにある

兄上と良く睦んで、宿願を遂げられよ
体をいとうてな、さらばじゃ   義経殿

然らば、御免!

駒も潰れよとばかり、一行は駆けに駆けた
それだけ義経の意気込みは凄まじかった

供をするのは弁慶、伊勢三郎の義経主従と
新たに加わった佐藤継信、忠信兄弟
それに、秀衡より与えられた三百余騎

しかし余りの強行軍に、武蔵の国に入った
頃にはその数は半分までに減っていた

その上肝心の頼朝軍の行方が、洋として
知れなかった

さすがに弁慶が進言して

御曹司、暫し駒を休ませそうらえ
このままにては、対面も叶わず

佐(すけ)殿の本陣も、今だ掴めておりませぬ

弁慶、相い分った   されば兄上は彼辺に
おわすのか、誰ぞ探索に出向いて参れ!

必至の探索の末、ようやく頼朝軍の居所を
突き止めたのは三日の後(のち)であった

目指すは駿河の国、黄瀬川の宿

皆の者、いざ、黄瀬川に参ろうぞ
宿年の願い、今こそ果たさん

義経の胸は高まった、二歳の折別れたきりの
兄と対面が叶う、この日が来るのをどれだけ
待ちわびた事か

待たれよ兄上、九郎、間もなく見参!

一行が黄瀬川に着いたのは、治承四年十月
頼朝との運命の出会いが、こうして実現した

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/15 17:51 投稿番号: [43 / 65]
予定を繰り上げて、残りを今日中に

        藤原三兄弟

奥州に向った義経一行は、平泉の都に入ると
その足で 当主秀衝の元に出向いて行った

義経はこの時すでに名を、遮那王から九郎
義経と改めている

御屋形様には、初めて御尊顔を拝し奉ります
今は亡き源義朝が九男、九郎義経で御座います

御厚情に甘え、かく参上致しました
宜しく御引き回しの程、御願い申し
上げます

想像以上に凛凛しい義経の若武者振りに
秀衝は愕きを隠せなかった

何と、絵巻物から抜け出た如き
武者振りではないか

源氏の行く末は、この若武者にかかって
いるやも知れぬ

御曹司、よくぞ御無事で参られた
長旅でさぞ御疲れであろう、暫し
養生なさるがよい

入用の物あらば、何なりと申されよ
ここを我が館と思い、遠慮は御無用に
願いたい

慈愛に満ちた秀衝の眼差しに、義経は
父の面影を見る想いであった

数日後、義経主従を持てなす酒宴の席が
設けられ   秀衝の息子達三兄弟が
紹介された

長男国衝(くにひら)腹違いの二男
泰衝(やすひら)同じく三男忠衝(ただひら)

義経殿、我せがれ達じゃ、そなたの良き
相談相手になるであろう

何事も包まず、肝胆相照して共に歩まれよ

ははー!   何かと不調法多く、御三方には
造作を御掛けします

この義経、力の限り精進つかまりまする

この言葉にたがわず、馬術に武芸に鍛錬を
重ねる義経を、三兄弟は三者三様の思いで
見つめていた

国衝は微妙な立場にいた、長男ではあっても
母の身分が卑しく、家督を継げない事は
分かっていた、

頼朝が正室の息子であった為、二人の兄を
差し置いて家督を継いだのと同じである

何れ泰衝が家督を相続する、泰衝に逆らうのは
得策ではない

義経殿にも、当たり障り無き様
御付き合いする他はあるまい

泰衝は違った、

父上の義経殿   御贔屓は目に余る   幾ら源氏の
御曹司とは言え、こちらも名門藤原氏の家柄

何ゆえ、風下に立つ必要があろう
この泰衝当主の暁には、即刻御退去願うべし

しかし理解者もいた、義経を一番好意的に
見ていた三男忠衝である

さすが源氏の御曹司、武術   軍略   どれを
取ってもその力量計り知れぬ

いずれ並み居る源氏の諸将を差し置き
大武勲を立てられるに相違ない

義経もこの忠衝と気が合った、二人して
早駆けを繰り返し、小高い丘に登っては
戦術を競い合った

この時の思惑が、義経二度目の奥州入りに
おいて、兄弟達の行動を決定付けたのである

ともあれ、奥州での五年の歳月は矢の様に流れ
頼朝挙兵が迫っていた

義経が勇躍時を得て、時代の寵児になるのも
間近であった

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/14 08:00 投稿番号: [41 / 65]
日本人は、悲劇のヒーローを好む傾向が
あるようです

道真公、西郷さん、そして判官びいきの義経
そこで義経を

これは長くなるので、週に一回、5回に
分けて投稿します


       遮那王(しゃなおう)

春の息吹が心地良い、弥生三月のある夜
鞍馬山の牛若の元に、一人の僧が尋ねてきた

源氏ゆかりの修行僧で名は正門坊
挨拶はそこそこに、早速話し始める

牛若殿、鞍馬の修行は如何で御座るか
東光坊様に伺し所、会得する事
尋常ならざる早さとか

さすが、源氏の御曹司と感服しておりまする

御曹司、義経には初耳だった、別当殿には
ただ源氏に繋がる家柄と、聞かされている
だけであった

正門坊は続ける

兄上の頼朝殿は伊豆におられます

今や平家討伐の機運高まり、諸国の源家が
蜂起するのは時間の問題でありましょう

兄上が伊豆に、御坊   それは誠でしょうか

相違ありませぬ

義経はこの時初めて、己の出自と世の情勢を
知る事になった

もしこの牛若が、源氏の嫡流ならば、
兄上と共に、平家を打ち倒さん

それから義経は、人が変わったように武術の
鍛錬に時間をさくようになった

万が一の合戦にて、後れを取る事のなきよう

夜な夜な貴船神社に出向き、源氏安泰の
祈願をすると、辺りの木々を平氏に見立て
黄金の太刀を振りまわし、技を磨いて行った

この姿は度々目撃され、鞍馬の御山には
天狗と神童がいる、そんな噂が京の町を
駆け抜けていった

名も遮那王と改め、出家を勧める東光坊には
丁重に断り   武蔵坊弁慶などとの出会いもあり
平家打倒の一念は、益々燃え滾っていった

金売り吉次が尋ねてきたのはそんな頃であった
京と奥州を行き来し、金の商いをする者で
奥州藤原家とも通じていた

当主秀衡が、義経に興味を持っている事
源平の合戦あらば、奥州勢揃って源氏に
合力するなど、事細かく話して聞かせた

元来、奥州藤原家と源氏は繋がりが深く
源氏に肩入れするのは、自然とも言えた

御曹司、ぜひ奥州へ行きなされ
藤原十八万騎、悉く御味方になりましょう

この吉次も、同行して案内つかまりまする

義経の決断は早かった、数日の内に郎党を従え
奥州に旅立った

途中平家の監視が厳しく、苦労の末奥州に
辿りついたのは、安元一年   (1175年)
義経十七歳、秋も深まった頃であった

Re: ビジネスで成功する秘訣

投稿者: rannbo4 投稿日時: 2009/03/14 02:13 投稿番号: [40 / 65]
3Fさんお久しぶりです。

覚えておいででしょうか?

以前あるトピで朝鮮人について「わかってない」「わかってませんね」とお叱りを受けました。(笑)

ただし朝鮮人はわれわれ日本人とは相容れない人間だと私は一貫して考えておりこの点は貴方と共通だと思うのですが・・・・・。

ところで3Fさんビジネス好調とのこと、よかったですね。(祝)

Re: ビジネスで成功する秘訣

投稿者: fff2252 投稿日時: 2009/03/13 23:07 投稿番号: [39 / 65]
>飲食業だよね?(笑)


んな訳ねーだろ!

韓国を否定するとは、今までの日本社会の全ての悪を否定するという事だぞ?

例えば消費者金融もそうだし、不法賭博もそうだし、売春もそうだし、他にも飲食業界、メディア、ネット、本、色々あるよね!

全ての業界で韓国を否定しているところだけが、景気が良い。   笑

TSUTAYAは韓国ドラマを売り込んで、経営が苦しくなった。   常識だが、誰も日本では、全世界で完全無視された韓国ドラマを観る、奇特なマニアは居ない。笑

Re: ビジネスで成功する秘訣

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2009/03/11 20:31 投稿番号: [38 / 65]
>どんな業種かは言わないが、具体的に何をやった結果そのようになったかを教えてあげよう。

飲食業だよね?(笑)

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/08 20:04 投稿番号: [37 / 65]
fff2252さん

ありがとう御座います
時々お邪魔させて下さい

では又

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: fff2252 投稿日時: 2009/03/08 14:43 投稿番号: [35 / 65]
rieさん、ご投稿ありがとうございます。

また遠慮なくご投稿ください。

Re: ビジネスで成功する秘訣

投稿者: fff2252 投稿日時: 2009/03/08 14:42 投稿番号: [34 / 65]
>えっ!   過去最高の売上??
どんな業種なのか教えてくれ!


どんな業種かは言わないが、具体的に何をやった結果そのようになったかを教えてあげよう。

先ず!韓国を否定する事!   韓国は『悪』だよね?   だから、悪を否定し、悪を認めない!!
だから、ビジネスでも韓国を一切支持しないし、韓国を否定し、ライバル会社が韓国と提携していても、こちらは韓国と関わっていないのを売りにする!

当然、1億3千万人殆どの日本人は韓国が大嫌いだから、私のビジネスが一人勝ちとなる。

基本だよ。   基本。

悪を社会に認めない!   悪(韓国)と関わってない姿を最大の特徴とし、クリーンさをアピール!

韓国と関わっているという事は、不法やニセモノやインチキが必ず関わっているという証拠となるからね。

常識を持てば分かるのだが、あっち系の経営者が多いだけに、ついあっち系を推してしまう。   当然墓穴!   大笑

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/07 12:08 投稿番号: [33 / 65]
忠敬が第一歩を踏み出してから三年後測量を
終えた忠敬は、地球の大きさの算出に取り
掛かった

計算によると約四万キロ

但しこれを証明するするのは困難であった
忠敬と至時は思案に暮れる

丁度その頃、オランダから天文に関する
書物が至時の手に入った   蘭学に明るい至時が
解読してみると地球の大きさは約四万キロ
忠敬の計算と一致していた

推歩先生、あなたの推量は正しかった

先生、総て先生のお陰です

二人は、手を取り合って喜んだ

忠敬にとって至時は、師であり良き友であった
その至時も四十六歳の若さで、病に倒れ息を
引き取る

忠敬の落胆は大きかった、毎朝のように
至時の墓に向かって手を合わせ、頭を垂れた

至時の死後七か月、忠敬は完成した東日本
測量図を幕府に献上する

江戸城大広間で、披露されたその地図に
誰もが息を呑んだ、壮大かつ緻密、地名が
びっしり書き込まれ居並ぶ老中達も
感嘆の声を挙げた

十一代将軍、徳川家斉も同様であった

伊能忠敬、大儀である   我が日ノ本の姿
斯くの如しとは

その方を西国に使わす   日ノ本総てを
描いて参れ

ははー、仰せの如く

こうして忠敬の西国への旅が始まった
それはもはや個人的な物から、国家事業と
なったのである

再び測量の旅に出てから十一年、忠敬は
江戸に戻り地図の完成に没頭していた

しかし多年の無理が祟ったのか、文政元年四月
病を得てその生涯に幕を閉じた

(享年七十四歳)

忠敬の死は伏せられ、弟子達が地図の
完成に励んだ、あくまで師忠敬の仕事である
という彼等の想いであった

文政四年七月、大日本沿海興地全図は完成し
幕府に献上される、伊能家はこの功績により
帯刀を許され、武家並みの扱いを受ける
ようになった

忠敬の作った地図は、今の衛星を利用した
最新の物と変わりがなく、精巧なものであった

幕末、明治と時代が変わり、日本は近代国家へと
突き進む   この時、忠敬の地図が重要な役割を
果たす事になる

鉄道、道路網の整備、近代国家への水先案内人と
なった

伊能忠敬、心の中に流れていたのは少年の
頃の夢   輝く夜空の星、天空の不思議

忠敬の生涯は、子供の頃の夢を成し遂げ
後世に多大な貢献を残した、栄光の生涯だったと
言えるかも知れない

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/03/07 12:04 投稿番号: [32 / 65]
ヒーローと言えば,地味ですが五十から
手習いを始め、ついに全日本地図を
完成させた伊能忠敬

その辺を少しだけ、長いそうなので2回に分けて

寛政十二年(1800年)四月、伊能忠敬は
東日本 蝦夷地測量の第一歩を踏み出した

この時すでに五十六歳、日本地図完成の
二十一年前であった

忠敬は九十九里の名主の子に生まれる
少年の頃の忠敬は,毎夜のように夜空を
眺めていた

光り輝く星々   天空の謎を知りたい

それは叶いそうになかった、雑事に
時を取られ夢は次第に遠のいていった

忠敬十八の夏   下総の造り酒屋、伊能家の
婿養子に入る   家業に励む忠敬の心に
去来していたのは少年の頃の想いであった

やがて五十になり、家業を息子に任せ
隠居の身となる、忠敬は夢を実現すべく
江戸に出て第一歩から天文学の修得を思い立つ

選んだのは、当時浅草雷門にあった
天文方暦局、幕府直轄の天文台があり
暦を作るのが主な仕事であった

伊能忠敬と申す

御覧の如く老齢で御座れば、皆様には
何かと御迷惑をお掛け致す

宜しく、御鞭撻を

誰もが忠敬を見て、隠居後の道楽だと冷笑した
忠敬が師事した、天文学者高橋至時(よしとき)も
同じであった

しかしそれが間違いだと気づくのに、そう時間は
掛からなかった 寝る間も惜しんで励んだのである
やがて至時は忠敬を、推歩先生と呼ぶようになる

推歩とは、星の動きを測る事   二十近く
年の離れた二人は至時が病に倒れるまで
熱い絆で結ばれていった

そんな折、忠敬の最大の関心は地球の
大きさにあった   当時地球が丸いと言う事は
西洋から伝えられていた

しかし、大きさはまでは洋として知れなかった

忠敬は至時に

先生、地球は丸いので、ある二点から
北極星を観測し緯度の差を求めれば
大きさが分かるのではないでしょうか

理論上ではそうなりますが、近距離では
誤差が大きく、正確な数値を求めるのは
不可能です

せめて江戸と、蝦夷地位の距離が必要です

先生、私を蝦夷地に行かせて下さい
必ず正確に測ってきます

当時蝦夷に渡るには、幕府の許可が必要であった
この為至時は、東日本及び蝦夷地の測量という
名目で幕府に願い出る

忠敬にしてみれば、蝦夷まで行くのが
第一義であり地図の作成は、その余禄
だったのである

Re: 大阪府 橋本知事 本物のヒーロー登場

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2009/03/06 21:18 投稿番号: [31 / 65]
>私のビジネスでは、過去最高の売上げをこの数ヶ月続けているが、普通の一般者相手のビジネスだけに、如何に朝日系列を筆頭に、不況を煽りたいのか伺えるね。


えっ!   過去最高の売上??

どんな業種なのか教えてくれ!

Re: 大阪府 橋本知事 本物のヒーロー登場

投稿者: fff2252 投稿日時: 2009/03/05 22:57 投稿番号: [30 / 65]
>そうか、それなら安心した。
でも不景気の日本で一月○百万円の給料をかせげるなんてすごいな。
それに一日の大半を掲示板についやすのだから、仕事はほとんど部下にまかせてるんだね。
どのような業種なの?



不況なんて、反日朝鮮メディアが作った嘘だよ。   マジで。   笑

反日朝鮮というのは、在日韓国人だよ。
やつ等は、自分の国がボロボロだから、それとは対照的に強国である日本を(毎度の如く)妬み、必死で不況を煽る記事を書いているのだが、実際には日本の不況というのは、規模が異常に小さい。



呆れるほど小さいのだよ。   笑

私のビジネスでは、過去最高の売上げをこの数ヶ月続けているが、普通の一般者相手のビジネスだけに、如何に朝日系列を筆頭に、不況を煽りたいのか伺えるね。




言っておくが、私は日本の経済が今ほど悪くない○年前は、失業で過去最悪の状態だったよ。

メディアが不況を煽っているだけだね。

失業は、どんな時代でもある常識だぞ!????

失業があるのが常識だぞ??

Re: 大阪府 橋本知事 本物のヒーロー登場

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2009/03/05 22:13 投稿番号: [29 / 65]
>でも今では一月○百万円の給料をもらっている経営者。


そうか、それなら安心した。
でも不景気の日本で一月○百万円の給料をかせげるなんてすごいな。
それに一日の大半を掲示板についやすのだから、仕事はほとんど部下にまかせてるんだね。
どのような業種なの?

Re: 大阪府 橋本知事 本物のヒーロー登場

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2009/03/05 22:02 投稿番号: [28 / 65]
橋下知事だよ。朝鮮人レベルの間違いをするなよ

Re: 大阪府 橋本知事 本物のヒーロー登場

投稿者: fff2252 投稿日時: 2009/03/05 21:35 投稿番号: [27 / 65]
>掃除のおばちゃんの年収が5千万円??
それはちょっともらいすぎだね!
fff2252の月額17万円と比べたら‥(哀)
格差が大きすぎるよ日本は!


お前には分からないだろうが、一発大逆転というのが快感なんだよ。

分かるかな?

私は一月17万どころか、収入ゼロもあったよ。   失業してね。
しかし、別に何とかなったよ。
やろうと思えば何とかなるしね。   以外と金が有り余った現在でも、極端な生活にはならないね。   食いすぎたら太るしね。

そういえば、1週間300円の食費代で生活してた事あるぞ。   お前はそんな苦労した事ないから、どうしたらそんな事ができるのか、想像すらできんだろう。笑

でも今では一月○百万円の給料をもらっている経営者。
明日は北海道から生きたカニが届く。   バフンウニも生でくる。
死ぬほど食う事になるだろう。  
まあ、毎日働いているのだから、それ位は見返りとして悪くないだろう。

Re: 大阪府 橋本知事 本物のヒーロー登場

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2009/03/05 21:18 投稿番号: [26 / 65]
>私も何十年そういう生活してきたが、別に死なないでしょ?月額17万円で?

>大阪府では、掃除のおばちゃんが年収5千万円というのもありましたよね?


掃除のおばちゃんの年収が5千万円??
それはちょっともらいすぎだね!
fff2252の月額17万円と比べたら‥(哀)
格差が大きすぎるよ日本は!

大阪府 橋本知事 本物のヒーロー登場!

投稿者: fff2252 投稿日時: 2009/03/05 17:49 投稿番号: [25 / 65]
橋本知事が、世界一悪質な役所として知られ、汚職まみれの在日韓国人が沢山居る、大阪府の職員の給与を公開する事を決定しました!

世界一悪質で卑劣な大阪(別名=全て在日韓国人がらみ)府が、立ち直ろうとしています!

大阪府では、掃除のおばちゃんが年収5千万円というのもありましたよね?

どれ程のきちがい振りか、公開してみれば良いのです!

そして、国民から判決を受けてもらいましょう!

これ以上大阪府民も税金を無駄にムシリ取られる必要がありません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090305-00000056-jij-pol

朝鮮人

投稿者: nyannyanwanwanwe 投稿日時: 2009/02/27 15:03 投稿番号: [24 / 65]
絶対悪

Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2009/02/22 23:26 投稿番号: [23 / 65]
東郷茂徳は朝鮮人の子孫。
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