Re: ★★★日本のヒーロー・ヒロイン★★★
投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/04/12 12:05 投稿番号: [60 / 65]
逆に幸村の勇猛さに感じ入った家康は
何度も使者を立て、徳川軍に寝返りを
勧めている
それも城持ち大名として処するという
破格の物だった
勿論、幸村は一願だにしなかった
私はそんな物の為に戦って
いるのではない
秀頼様の御恩、武士としての本分
それだけで御座る
これを聞いた家康は
さすがは幸村、あの仁こそ武士の鏡なり
感慨深げに話したと言う
大阪冬の陣は和睦の結末となった
これには大きな罠が仕掛けられていた
和睦の条件である、外堀の埋め立てだけ
ではなく内掘まで埋められ、大阪城は裸城に
さてれしまったのである
難攻不落と詠われた大阪城も、もはや風前の
灯火であった
慶長二十年五月、再び家康が十五万の大軍を
擁して大阪城に姿を見せた、迎え撃つ豊臣方は
五万
幸村は決断する、
もはや奇襲しかない
朝靄の煙る五月七日早朝、大阪城を取り囲む
徳川軍の真っ只中を、六文銭の旗をなびかせ
怒涛の如く駆け抜ける騎馬軍団があった
目指すは、家康の首!
いざ押出せー!
死を覚悟の幸村の突撃である、本陣を固める
旗本を蹴散らし、家康は目前であった
家康公、真田幸村
これに見参!
御覚悟!
しかし、家康を討ち取ることは出来なかった
体制を立て直した家康軍は、騎馬に矢を射かけ
鉄砲を放ち、さしもの真田騎馬軍団も壊滅の
憂き目を見たのである
稀代の名将、真田幸村も首を打たれ
四十八年の生涯に幕を閉じた
幸村に遅れる事一日、秀頼親子も自害して果て
これにて豊臣家は終焉を迎えた
後に幸村の死を聞いた、兄の信幸は
幸村こそ、当代一の名将であった
兄として、同じ武将として誇りに思う
そう述べている
信幸が祖となった信州松代藩では、幕末に
なるまで代々守られて来た、宝物(ほうもつ)が
あった
寝ずの番を置いて、幕府の目から守って
来た物は、信幸と幸村が交わした幾通かの
書状であった
幸村こそ真の武将である、幸村が事
夢々忘れまじ
そんな信幸の、気持ちの表れであった
江戸の世になり幸村は逆賊として扱われ
講談、歌舞伎など幸村の活躍を描くものは
厳しい処罰を受けた
しかし名を変え、時代設定を変え、幸村の
生涯は演じら語り継がれてきた
江戸の庶民は、そんな芝居を見ると大喝采を
送ったそうである
義を重んじ小よく大を制す、そんな幸村の
生き様に人々は深い共感を持ったのかも
知れない
これは メッセージ 59 (rie2376 さん)への返信です.
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