1937年12月11日 攻撃される外国船
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/09/01 15:31 投稿番号: [1867 / 2250]
石田勇治
編集・翻訳
『資料ドイツ外交官の見た南京事件』
15〜16p
《 ハルクは、日本軍にとっくに知られた場所に停泊し、
同じ場所には英米の商船の他、英国砲艦のクリケット号とスカラブ号も集結していた。
他方、米国砲艦のパナイ号はまだ南京付近にとどまっていた。
一二月一一日土曜日の朝、英国の長江航行汽船黄浦号がわれわれの停泊地にやってきた。
われわれは、その船の方が居住環境がよいとのことで、そちらに移動した。
ハルクでは、この間に焼け落ちたブリッジハウス・ホテルの英国人オーナーたちの
手で立派な食事が提供されてはいたが、そこの生活ときたらまるで大きな木賃宿であった。
下層甲板は四、五〇〇人の中国人難民 − 英国系企業の従業員とその家族 − で
満杯のため、ヨーロッパ人に使えるのは小部屋を三つ備えた大きな事務室一つだけであった。
黄浦号で初めての食事をとった直後、
南京の南側一帯で作戦展開中の日本軍砲兵隊にわれわれが狙われていることに気づいた。
かれらは型どおりの態勢で二手に分かれ、
黄浦号と、英国郵政委員が南京の郵政当局のために緊急避難場所として
チャーターした望東号をめがけて砲撃してきた。
全船舶が上流に向けて出航し、
われわれはさらに一時間以上も砲弾の追撃にさらされながら航行を続けた。
何発かの砲弾が船をかすめて作裂し、破片は甲板に飛び散って救命ボートを貫通した。
ハルクの船上に固定されていた はしけにも砲弾が命中し、三人の中国人が命を落とした。
だが上流に向かっていたのが幸いして、ハルクはそれ以上の砲火を免れた。
黄浦号のマッケンジー船長はきわめて冷静に行動し、
南京上流約一五マイルの地点で停泊することを決めた。
「そこなら、たとえ撃沈されても上部甲板は水面に出たままであろう」
とのかれの言葉は大きな慰めとなった。
オドネル海軍大佐も、砲艦とその他の英国商船を同じ場所に停泊させた。
黄浦号に曳航されたハルクも夜の闇にまぎれてそちらに向かった。
私はこの砲撃事件の後、漢口駐在の 〔ドイツ〕 大使と上海総領事館に電報を送り、
日本に抗議をおこなうことと、今後この種の攻撃や空襲にたいする
われわれの身の安全確保を要請した。
この間、英国海軍少将で長江 〔艦隊〕 提督ホールトは、
参謀将校オドネル大佐に、翌朝蕪湖で自分と落ち合うよう命じた。
かれらの目的は、すでに現地入りしていた日本軍と接触することであった。
私の同僚の英国人書記官と英国大使館付武官が大佐に同行した。
接触はまず一二日の朝、日本軍の奇襲砲撃のさなかにおこなわれた。》
12日に続く
* 日本軍が確認もせずに攻撃してきたのはケシカランと思う人も多いでしょう。
しかし、なぜ、日本軍がこういう態度をとったのかも考えるべきです。
「1675 ルール無用の中国式戦法」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=1675
でも書いたように、中国は外国の旗を悪用していました。
そうすると、船が外国の旗を掲げているからといって信用できません。
また「1679 英国人の中国軍援助」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=1679
でも書いたように、英国人は中国軍に援助していました。
そうなると、外国船を信用しなくなっても仕方がないでしょう。
この船の人たちに罪はありませんが、上海における中国のデタラメなやり方が、
日本軍にこういう行動をとらせたのです。
《 ハルクは、日本軍にとっくに知られた場所に停泊し、
同じ場所には英米の商船の他、英国砲艦のクリケット号とスカラブ号も集結していた。
他方、米国砲艦のパナイ号はまだ南京付近にとどまっていた。
一二月一一日土曜日の朝、英国の長江航行汽船黄浦号がわれわれの停泊地にやってきた。
われわれは、その船の方が居住環境がよいとのことで、そちらに移動した。
ハルクでは、この間に焼け落ちたブリッジハウス・ホテルの英国人オーナーたちの
手で立派な食事が提供されてはいたが、そこの生活ときたらまるで大きな木賃宿であった。
下層甲板は四、五〇〇人の中国人難民 − 英国系企業の従業員とその家族 − で
満杯のため、ヨーロッパ人に使えるのは小部屋を三つ備えた大きな事務室一つだけであった。
黄浦号で初めての食事をとった直後、
南京の南側一帯で作戦展開中の日本軍砲兵隊にわれわれが狙われていることに気づいた。
かれらは型どおりの態勢で二手に分かれ、
黄浦号と、英国郵政委員が南京の郵政当局のために緊急避難場所として
チャーターした望東号をめがけて砲撃してきた。
全船舶が上流に向けて出航し、
われわれはさらに一時間以上も砲弾の追撃にさらされながら航行を続けた。
何発かの砲弾が船をかすめて作裂し、破片は甲板に飛び散って救命ボートを貫通した。
ハルクの船上に固定されていた はしけにも砲弾が命中し、三人の中国人が命を落とした。
だが上流に向かっていたのが幸いして、ハルクはそれ以上の砲火を免れた。
黄浦号のマッケンジー船長はきわめて冷静に行動し、
南京上流約一五マイルの地点で停泊することを決めた。
「そこなら、たとえ撃沈されても上部甲板は水面に出たままであろう」
とのかれの言葉は大きな慰めとなった。
オドネル海軍大佐も、砲艦とその他の英国商船を同じ場所に停泊させた。
黄浦号に曳航されたハルクも夜の闇にまぎれてそちらに向かった。
私はこの砲撃事件の後、漢口駐在の 〔ドイツ〕 大使と上海総領事館に電報を送り、
日本に抗議をおこなうことと、今後この種の攻撃や空襲にたいする
われわれの身の安全確保を要請した。
この間、英国海軍少将で長江 〔艦隊〕 提督ホールトは、
参謀将校オドネル大佐に、翌朝蕪湖で自分と落ち合うよう命じた。
かれらの目的は、すでに現地入りしていた日本軍と接触することであった。
私の同僚の英国人書記官と英国大使館付武官が大佐に同行した。
接触はまず一二日の朝、日本軍の奇襲砲撃のさなかにおこなわれた。》
12日に続く
* 日本軍が確認もせずに攻撃してきたのはケシカランと思う人も多いでしょう。
しかし、なぜ、日本軍がこういう態度をとったのかも考えるべきです。
「1675 ルール無用の中国式戦法」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=1675
でも書いたように、中国は外国の旗を悪用していました。
そうすると、船が外国の旗を掲げているからといって信用できません。
また「1679 英国人の中国軍援助」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552022058&tid=ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfb faj5doc0a47a4dea47a4ga4a6&sid=552022058&mid=1679
でも書いたように、英国人は中国軍に援助していました。
そうなると、外国船を信用しなくなっても仕方がないでしょう。
この船の人たちに罪はありませんが、上海における中国のデタラメなやり方が、
日本軍にこういう行動をとらせたのです。
これは メッセージ 1865 (kir**gotowa**me さん)への返信です.