イラク難民問題

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

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テロが正当化できるのか?

投稿者: evangelical_knight 投稿日時: 2005/04/06 10:52 投稿番号: [862 / 1657]
お前〜、武装勢力がテロしたことについて、

「正当だった」とでも考えているのか?

あ?




もし、そう思っているのなら、

お前の心は人間の心じゃねぇな〜

鬼畜だな!

原爆が正当化できるのか?

投稿者: fufufusan 投稿日時: 2005/04/06 10:46 投稿番号: [861 / 1657]
>なかには平和主義の日本に突然アメリカが原爆を落としたと思ってる子までいるのには参ったよ。

おい、カカシ!

お前〜、アメリカが原爆を落としたことについて、

「正当だった」とでも考えているのか?

あ?




もし、そう思っているのなら、

お前の心は人間の心じゃねぇな〜

鬼畜だな!





オレはそう思うぜ!







ニャハハ

保護者として

投稿者: oxnardnokakashi 投稿日時: 2005/04/06 10:35 投稿番号: [860 / 1657]
>私は保護者として
学校で政治運動の戦場にするな!
子ども政治闘争の尖兵に使うな!
と主張しているのだ。

同感!   そういうことをやってる暇があったら、きちんと歴史や古典を教えろ!   といいたい。

私はヤフーの掲示板で出あった若いひとたちのなかで、第二次世界大戦がどう始まって、どう終わったのか、全然解ってない人がいるのを不思議におもっていた。なかには平和主義の日本に突然アメリカが原爆を落としたと思ってる子までいるのには参ったよ。

もっともアメリカの教育委員会は日本よりひどいね。ベトナム戦争と南北戦争を混乱してる大学生なんてざらだよ。いちど歴史の時間冷戦について論文を書けという宿題がでて、「冷戦てなーに?」と同級生に聞かれてたまげた。共産圏と民主主義圏の戦いだよと教えてあげたら、「ふ〜ん、どっちが勝ったの?」といわれて本当にずっこけた。

これでいいのか日米教育!   国旗だの国歌だのってレトリックにこだわってるばやいか?

>掲示板のモラル

投稿者: fufufusan 投稿日時: 2005/04/06 09:05 投稿番号: [859 / 1657]
>私と生ハム君はフフフを誘い込んだ。

なぬ?

lighter101rethgil〜

オマエがこのオレをここに誘い込んだだと?

は?



オマエ、随分とのぼせ上がってんだなぁ

自意識過剰なんだよ、オマエはなぁ



事実を直視しろ!

オマエの妄想の世界と事実は乖離してるぜ!

ん?




オレがな〜

このカテ、このトピに戻ってきたのはよー

このオレになー、「fufufusan」HNを使って書くようにとの通達があったからなんだよー!

ん?




なぜ通達があったかって?




それをよー

知りたけりゃぁなー

ウニッちに聞いてみな!

ん?






ニャハハハ〜

>掲示板のモラル

投稿者: fufufusan 投稿日時: 2005/04/06 09:05 投稿番号: [859 / 1657]
>私と生ハム君はフフフを誘い込んだ。

なぬ?

lighter101rethgil〜

オマエがこのオレをここに誘い込んだだと?

は?



オマエ、随分とのぼせ上がってんだなbr>
自意識過剰なんだよ、オマエはなぁ



事実を直視しろ!

オマエの妄想の世界と事実は乖離してるぜ!

ん?




オレがな〜

このカテ、このトピに戻ってきたのはよー

このオレになー、「fufufusan」HNを使って書くようにとの通達があったからなんだよー!

ん?




なぜ通達があったかって?




それをよー

知りたけりゃぁなー

ウニッちに聞いてみな!

ん?






ニャハハハ〜

竹島?

投稿者: fufufusan 投稿日時: 2005/04/06 08:56 投稿番号: [858 / 1657]
韓国に譲ればいいのさ!

ん?



それが日本のせめてもの罪滅ぼしだ!

過去の侵略に対するお詫びだ!

誠意だ!




竹島を韓国に譲り渡すことで

日韓の友好関係は

確固たるものになるのだ〜よ!

ん?





ニャハ♪

>目をしかめる

投稿者: fufufusan 投稿日時: 2005/04/06 08:49 投稿番号: [857 / 1657]
>目をしかめると言う用法は確かに私の間違いだ。

lighter101rethgil〜♪

オマエ、恥っずかしいなぁああ!

歳いくつだ?

あ?



「目をしかめる」だってな〜



生き恥晒してやんの

大笑いだぜ!

ニャハハニャハハニャハハハのハ〜♪



lighter101rethgil〜

生ハムさんに感謝するんだな〜

お礼を言ったか?

あ?




しっかし、やっぱり

ここはサル山だな〜

「目をしかめる」という言葉を間違いだと指摘した生ハムさんを、

「その指摘が間違いだ」といって、捨てHNで書くヤツがいるんだもんな〜

ここは、おサルさんの溜まり場か?

ん?




笑えるぜ!

は?





ニャハハハ〜

嘘吐きahuramazda1945〜

投稿者: fufufusan 投稿日時: 2005/04/06 08:39 投稿番号: [856 / 1657]
よぉアフラ〜♪

なにやってんだぁ?

こんなとこでよー!

ん?



ここはサル山?

ん?



にゃる〜

おサルさん相手ならお前の嘘も通じるだろうぜぇ!

は?




ニャハハハ〜

訂正

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/06 07:28 投稿番号: [855 / 1657]
>これは、「沈黙の自由」に還元されるように

還元→換言の変換ミスです。

竹島チャット・・・

投稿者: lighter101rethgil 投稿日時: 2005/04/06 07:27 投稿番号: [854 / 1657]
アフロ氏も駄目か・・・

>私も上記に同じく、妻には知らせていない・・・・。

判る!判るよ〜

***********************************

一番興味があるのは
韓国の人は国際法に関してどのくらい知識があるのか!

チャットには参加したくても出来ない人が多いんだ
エトちゃん何かほかに方法は無いのかね?

一本釣りで連れてくるとか・・・

アリス君へ:内心の自由

投稿者: lighter101rethgil 投稿日時: 2005/04/06 07:18 投稿番号: [853 / 1657]
内心の自由の説明ありがとう。

さて、質問があります。

>心の中では、どんなコトを考え、あるいは想像しても自由なのです。

心の中で何を考えるかを侵害する事は非常に難しい事だと私には思えるのです。
『内心の自由の侵害』の例を挙げてみてもらえますか?

「半旗」論争 フランス

投稿者: lighter101rethgil 投稿日時: 2005/04/06 07:13 投稿番号: [852 / 1657]
法王の死に対して半旗を持って
フランスが喪に服すのは
『政教分離』に違反すると思うな。

フランスがコレまで他国の国家元首の死に対して半旗で喪に服していた事例があれば別だけど。

そこんとこはどうなのだろう?

内心の自由の限界<alice_realworldさんへ

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/06 07:07 投稿番号: [851 / 1657]
alice_realworldさん、初めまして。
詳しく、分かりやすいご説明どうも有り難うございます。

>ひとたび外へ向かって表現されたならば、
>公共の福祉による制約を受けることになります。
>名誉毀損・プライバシー侵害・選挙違反・猥褻物頒布etc。

仰る通りですね。
信仰の自由を口実にして、他人の人権を否定することは、公共の福祉に反することです。
ついでに、先に私が記した言葉で、誤解を受けやすい表現がありましたので補足しておきます。

③の、思想・良心を外部に現すことを強制されない。(還元すれば、沈黙の自由)

これは、「沈黙の自由」に還元されるように、自らの思想や信ずるものを、外部から強制的に「はき出させる」ことは出来ないという意味です。逆に言うなら、その強制に対して、沈黙することを認められている。
例えば、江戸時代の「踏み絵」のような形での、思想や信仰に対する強制的な試み、同時にそのような行為に対して沈黙することの自由です。

生ハム君へ

投稿者: lighter101rethgil 投稿日時: 2005/04/06 07:06 投稿番号: [850 / 1657]
『論無し誹謗中傷キャラ』

根拠、根拠とやたら主張する私から主張しよう。

根拠無く相手を罵倒する事を誹謗中傷と言う。
根拠を持って相手を批難する事を指摘と言う。


まず、話題は国旗国歌論争であった。
で・・・君は国旗国歌論争に対して建設的な意見を主張しているかね?
していない!しているとすればメッセージ番号を出してくれ。

次に、君の投稿の多くは
根拠も無く他者を罵倒したものだ。
罵倒された他者は君の投稿に根拠が無いから反論のしようが無い。
ただの『誹謗中傷』だから反論が出来ないのだ。

他者は大人として
誹謗中傷の報復合戦を避ける為に
誹謗中傷を甘んじなければならない。

掲示板で良く見かけるが
卑劣な行為の一種だ
************************************
『目をしかめる』

私の住む地域では使う言葉だ・・・
方言を侮辱するかね?

しかし、論点は別にある。
掲示板での議論の最中に
論敵の
『言葉尻を取る』『揚げ足を取る』『言葉の用法を指摘する。』
は良く見かける光景だ

不利な立場の者が話をスリカエル時に使う手段としてね。
私もたまに使うが。。。( ̄ー ̄)ニヤリ

有利な者なら本題で勝負するはず・・・
違うかね?

掲示板のモラル

投稿者: lighter101rethgil 投稿日時: 2005/04/06 06:52 投稿番号: [849 / 1657]
>とにかく、事を構えるのは俺わ感心しない。君がやるのは自由だが、勝手にやってくれ。

私と生ハム君はフフフを誘い込んだ。
これが現実だ・・・
確かにモラルの規制を厳しくすれば居心地は悪くなる。
また多少の誹謗中傷はトピをなぁ〜なぁ〜にさせない香辛料となる。

あくまで論を持つ者の場合だ
論無しの誹謗中傷は話を交ぜ返しそして
アラシを呼び込む隙を作る。

私はこれまで生ハム君程度の
論無し誹謗中傷キャラを容認するスタンスを取っていたが
このスタンスを変えるべきときが来たのでは無いかと思う。

************************************

イラクトピの対アラシ対策はまったく機能しなかったのだ。
コレが現実だ・・・

補足です。。。

投稿者: alice_realworld 投稿日時: 2005/04/06 06:42 投稿番号: [848 / 1657]
あ、誤解を招きそうだったので、補足しておきます。

憲法20条の「信教の自由」には、①信仰の自由、②信仰上の儀式(行為)の自由、③信仰上の結社の自由、が含まれるとされてます。
これらのうち、絶対的な内心の自由は①だけです。

ちなみに、憲法20条では政教分離も規定されてますが、こちらは人権保障でなく、制度的保障とされてます(通説・判例)。したがってもちろん、内心の自由ではありません。



朝っぱらから私は、どうも偉そうでイケマセンね…。 (^ ^)ゞ ポリポリ

内心の自由 横横

投稿者: alice_realworld 投稿日時: 2005/04/06 06:37 投稿番号: [847 / 1657]
バッタママさん、いつも愉しくロムさせていただいてます。
今日はたまたま私の専攻だったので、つい横から失礼します。

憲法学で『内心の自由』とは、公共の福祉でも制約されない絶対的な自由権とされてます。心の中では、どんなコトを考え、あるいは想像しても自由なのです。

ただし、ひとたび外へ向かって表現されたならば、公共の福祉による制約を受けることになります。名誉毀損・プライバシー侵害・選挙違反・猥褻物頒布etc。

日本国憲法で内心の自由に該当するのは、「思想良心の自由」(19条)及び「信仰の自由」(20条)とされてます。

>第三者は少なくとも邪魔するな。

投稿者: neo_con_spiracy 投稿日時: 2005/04/06 05:11 投稿番号: [846 / 1657]
>>区別がついてないバカが多いんじゃないの?

>少なくともこの時点で、貴方は問題を良くわかっていなかったでしょう?

興味無かったから、わかってなかったよ。
でも間違ってないじゃん。
assaraamaaleicomnjpさんが引用した部分なんか、
まさに「区別がついてないバカ」の思考パターン。

>昨年は前代未聞の、式典での国歌斉唱時の
>不起立教員の大量処分がありましたが、今年はさらに進んで、
>生徒・児童や保護者にも「強制」が及んでいます。
>子どもたちや教員の思想・良心の自由が奪われ、
>服従の教育がいやおうなく押しつけられるとき、

↑ここまで「強制」という手段の批判。

↓以下の結論部分は   軍国主義化という目的の批判。つまり反日の丸・君が代   運動の発想。

>私たちはふたたび戦争のできる国づくりへと歩まされていることを実感します。
(次のセンテンスは支援のお願いなんで関係無)

明仁さまの指摘をまつまでもなく強制という手段はおかしいから、
裁判でもなんでもして排除すればいいというのは
私も投稿820で書いたとおり。

でも、上の文章を吟味する限り、軍国主義化という
目的をどこからか持ってきてしまっているので
A「日の丸君が代の強制」が   軍国主義化につながるのか
B「教育現場のあらゆる強制」が軍国主義化につながるのかについては
"区別がついてないバカ”

手段と目的の区別がついておらず、
下手すれば手段の具体的範囲についても区別がついてない。

ね、間違ってないでしょ。

>少なくとも邪魔はしないでいただきたいと切に願う

Yahoo掲示板の"イラク難民"トピで
上記のような意見を繰り返した程度のことで
具体的に運動ましてや裁判を"邪魔"をすることなど不可能。

どう考えても存在し得ない被害をでっちあげて
「邪魔するな」と願うって本当に assaraamaaleicomnjpさんらしいよね。

ものごとを整理して理解するのが苦手みたいだから教えてあげるけど、
assaraamaaleicomnjpさんの典型的な発想として
"「自分(たち)は被害者である」と主張することで自分の立場を有利にしよう"
というパターンがある。

存在しない被害を前提に私を邪魔者あつかいするのもそう、
"権力者"とやらを過大評価するのもそう。

これらは、assaraamaaleicomnjpさんが、
理路整然とものごとを説明する能力にとぼしいから、
取り敢えず自分を有利な立場に置いておきたいという
チンケな不安の発露でしかない。

みっともないことやめたら、人の親なんでしょう?

第三者は少なくとも邪魔するな。

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2005/04/06 02:03 投稿番号: [845 / 1657]
>この件に限っていえば、私はassaraamaaleicomnjpさんの質問に答えているのがはじまり。

違いますよ。
貴方の
***********************
>ちなみに、最近これをやってる人達は国旗・国歌に反対しているのか
>日の丸・君が代に反対なだけで別の国旗・国歌ならいいのか、
>区別がついてないバカが多いんじゃないの?
* **********************
という貴方の勘違いに対して私が疑問を持ってからの質問が始まりですよ。

少なくともこの時点で、貴方は問題を良くわかっていなかったでしょう?

>第三者ですよ。<中略>だから無責任といわれてもこまります。

子どもの親でもないんですね?
私は、親として子どもの将来を考えるときに、とても第三者でいられません。

私が「裁判が始まりつつある。」と書いたのは、勿論私がリンクしたのは、福岡の裁判であるということから解るように裁判が始まっている事は知っているし、貴方が教えてくださったのは、東京都の裁判であるわけです。そして、この前の某米長教育委員の発言でもわかるように、彼らの(任務だと思っている)仕事は「日本全国津々浦々の子供たちに強制的に、日の丸を掲揚し、君が代を歌わせる。」(そのためにわざわざ教育の場に政治を持ち出して、影響力のある教師を恫喝しながら強要して子どもを指導させて歌わせる。)ということにあるわけですから、この風潮は、どんどん全国の都道府県に拡大の方向を見せていますよね?
だから、当然東京・北九州方式の「強制」が全国的におこなわれ、各地方自治体で、広範にその被害者が出てくることになり、その度に強制が妥当であるかどうかの裁判がおこなわれはじめているということを書いたつもりです。つまりこの広がりは、やがて全国的な広がりを持つことは間違いないと思います。

あまり問題の意味が良くわかっていない「鈍感」な人が、良く解っていないにも関わらず、現実に起こっている「弾圧」に対して抵抗する人たちに対して、従来の問題と混同して否定的な立場をとって、「区別がついてないバカが多いんじゃないの?」という書き込みをしたことに対して、私は違うと思うので質問したことが始まりですよ。



>上のサイト読めばわかる様に
>少なくとも訴訟起こしてる人たちは
>反日の丸・君が代運動と反国家・国旗運動とを厳密には区別してない。

貴方は自分のイデオロギーアレルギーに毒されて、どうやら正確な読解力も失うことがあるようだ。
始めから、「反日の丸・君が代運動と反国家・国旗運動とを厳密には区別してない。」などの問題ではないよ?
あくまで「強制反対」ということが主眼でしょう?
下↓は私にはそう読めますけどねえ?
**********************
昨年は前代未聞の、式典での国歌斉唱時の
不起立教員の大量処分がありましたが、今年はさらに進んで、生徒・児童や保護者にも「強制」が及んでいます。
子どもたちや教員の思想・良心の自由が奪われ、服従の教育がいやおうなく押しつけられるとき、私たちはふたたび戦争のできる国づくりへと歩まされていることを実感します。
どうぞ社会のさまざまな場所から、国旗・国歌の強制に反対する声をあげてください。そして人権と民主主義を守るための闘いとなった私たちの抵抗を支えてくださるようお願いします。
***********************

>私は assaraamaaleicomnjpさんが期待するよりはだいぶ鈍感なんで、
>訴訟起こしてる本人達がごちゃごちゃにしている点を
>わざわざ踏みこんで理解してあげる義理をかんじないよね。


まあ第三者なんだから仕方がないですねえ。
特に鈍感で、他人事の、しかも文章がちゃんと読解できない第三者は、
少なくとも邪魔はしないでいただきたいと切に願う今日この頃。

↓これ

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/06 00:47 投稿番号: [844 / 1657]
「こころのマンダラ」トピに書くべきだったかな。
いや、「愛国心」なる含みのある言葉が飛び交っているから、ここでも良いか。

また、今日もついついこんな時間までやってしまった。汗
予定外の議論?もあったしなぁ・・・。
色々と、まじヤバイで。大汗

不立文字

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/06 00:43 投稿番号: [843 / 1657]
(ふりゅうもんじ)
悟りは文字・言説をもって伝えるころができず、心から心へ伝える物である意。(広辞苑)―由来は禅

この広辞苑の説明は、まだ不十分だ。
心から心へというより、意識から意識へ伝わるといった方がより適切。心を通じて伝わるのは、思いと感情だけ。形而上学的なものは、メンタル意識での同調が起こらないと伝わらない。
これをよく言い表した挿話に、「拈華微笑(ねんげみしょう)」というのがある。

拈華とは、華を手に持つこと。
釈迦が説法の際、会場で献じられた花を会場で静かにつき出した。
会場の者達は意味が分からず、ポカンとしている。その時、摩珈迦葉(まかかしょう)だけが釈迦の意を察してニヤリを微笑んだ。
それから釈迦の意識と摩珈迦葉の意識の感応によって、あらゆる真理が伝達されたということです。
つまりは感応道交が起こったということです。

このような、意識の伝達の経験が私にもあります。
非常に神秘的な体験でした。
高次の意識活動をする方の話を聴講していた時のことです。
そこに出来た高次のメンタル磁場に感応して、通常では分からなかったことが勝手に分かったり、無意識層に蓄積されていた(過去世?)かつての知識(禅やカバラ)が蘇ったりという体験をしたのです。
同時に、その方の声が、私の耳ではなく内部から聞こえてくる感覚を体験しました。相手と意識が一体になる。これを禅では「入我我入(にゅうががにゅう)」の状態というようです。
合理主義の人達には、オカルト話と誤解されかねないので、この話はこれくらいにしましょう。

別に真理云々じゃなくても、例えばケーキの味を説明された際、「甘くて、まったりとした舌触りで、とても美味しいケーキだった」と言われて、その味を自分の中で如実に再現することができるだろうか?
どんなに言葉を尽くされても、実際に食べてみないことには絶対に分からない味ですよね。先の意識の共有に対して、ここでは体験の共有が必要です。
ここに言葉の限界があります。
何でも言葉で説明できる、あるいは言葉で説明できないものは非論理的だと打ち消せない現実があるわけです。私達は、あまりにも言葉に頼りすぎている。
これもまた「不立文字」の世界です。

※言葉という伝達手段を持たない赤ちゃんと母親は、以心伝心でコミュニケーションを図っている。

死して尚皮を残す

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 23:42 投稿番号: [842 / 1657]
今、この混迷の時に、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世が逝った。
この死は、彼が生きている時以上に、多くの人に無言の平和へのメッセージとなったのではないだろうか?

時に、偉大なる人は、その死によって時代を動かす。

>>愛の次元(電波ではなく、主観)

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 23:08 投稿番号: [841 / 1657]
>この世に生を受けたと言う事は、この世(物質界)の法則で生きる事、そのものが、
>私達に課せられた宿題だと言う事です。

もちろん、この世の艱難辛苦や制限や、人間関係等々の物質界ならではの諸々を体験するために、人類はこの物質界に降りて(生まれて)きました。
しかし、人間は、物質である肉体を持っていると同時に、非物質である感情やスピリッツも同時に有しています。
人間は三次元である物質界と、感情という四次元界、そして精神という五次元界、スピリッツ等々の多次元を同時に生きています。
だから物質界の法則のみで生きるだけが、私達に課せられた宿題ではないわけです。
人間が物質界に存在することの意味は、制限のある物質界の中で喜怒哀楽や痛みを体験し、如何に感情という厄介なものをコントロールし、精神を昇華させ、自由自在にできるようになるのための訓練の為なのです。

>それが、お米を慈しんで育てている農家や
>子供をそっと見つめる母親に、神性を見出す事だと思います

これを否定はしません。
だからと言って、これのみが全ての人の意識の原点とは言えないわけです。
だから10万の人がいれば、10万人の真理があると言ったのです。
価値の多様性であり、意識のありようの多様性です。
ただ一つ言えることは、「悉有仏性」という言葉があるように、森羅万象全ての物に神の命が宿っているということです。
問題は、それを感じ取れる感性と知性があるかどうかです。

>理路整然と真理のみあれば良いと言うのであれば
>主神のみが、いらっしゃれば良かったのではないでしょうか

私は、そういうことは言っていません。
本当に、言葉での伝達というものは難しい。
人間は、その人の意識の進歩に応じた真理を得る。ここで言う真理とは、発見でも気づきでも成長でも何でもいいのです。
そういう意味で使用したものであり、究極の悟りの真理という意味では使用したわけではありません。
だから、以下のように語ったのです。
『その意識が進歩すれば、その人の中の真理も変化していきます。
よって、その人の意識の段階に応じて、「愛の概念」「愛の現し方」「愛する対象」が変わっていくと言うことです。(愛の次元の変化) 』

そして、これはとりもなおさず、そこに『時』が必要だと言っていることと同義なのです。

>感情もメガネや尺度の一つです
>私は、感情を伴って、物を見ても良いと思います。
>ただ、必要な時にそれ(感情)を外せば良いのではないでしょうか?

先に私が言いたかったことは、感情を伴うことの是非ではありません。
感情は私達の成長のための大切な『道具』です。それは取るとか外すとかの問題ではなく、ただそれは『在る』のみです。

>利己愛と利他愛は表裏一体であり、それが一神(真理)多神(現実)が表裏一体だと言う事ではないでしょうか?

「自他一如」ってことでしょう。
私はそれは否定していません。
あくまでも、自己愛にも、他を愛するにも、愛には次元の差があると言っているのです。
一口に「自己愛」と言っても、エゴの塊である利己愛もあれば、自己を慈しむという次元の自己愛もあるわけです。
他を愛するにも、見返りを求めるエゴの愛もあれば、無償の愛もあります。
何度も言うように、「愛の対象」「愛の表現」「愛の概念」は、平面一列ではなくて、次元の違いがある。それは、その人の意識の進歩によって変化するものだと言っているわけです。
その変化には『時間』というものを要する。
結論は、この最後の数行です。
全く違う話をしている訳じゃないんだから、延々と議論するような問題じゃないですよ。

「○旗」論争 in フランス

投稿者: dragon888888888888888888888888k 投稿日時: 2005/04/05 22:35 投稿番号: [840 / 1657]
■ローマ法王死去で「半旗」論争   フランス

  政教分離をとりわけ重んじるフランスで、ローマ法王の死を受けて公共施設に半旗を掲げたことが論議を呼んでいる。政府は、「宗教指導者ではなく『バチカン国家元首』としての法王への儀礼だ」として、葬儀がある8日も半旗にする方針だ。

  フランスでは法王死去翌日の3日、政府通達により全国の公共施設の国旗が半旗となった。これに対し、緑の党所属のパリ市助役や社会党上院議員らが「信教の自由への介入ではないか」と反発し、役場の半旗を拒否する共産党首長も出た。

  政教分離の監視組織、非宗教家族連合は4日、「公立学校で宗教シンボルの着用を禁じたばかりなのに、この国は今もカトリックの長女なのか」と指摘。さらに「法王の映像や説教を流し続ける公共テレビは教会の宣伝機関だ」と批判した。

  首相府は「大切な国の元首の死に際し、わが国の伝統を適用した。過去の法王の死でも前例がある」と突っぱねる。左派系の作家、マックス・ガロ氏も「欧州の友好国の元首だから当然。法王は政教分離の形式主義を超えた人格だ」と政府を擁護した。

  一方、内部に批判論を抱える社会党は「世界中のカトリック信者が悲しんでいる時にすべき論争ではない」(報道官)と腰が引けている。

2005年04月05日   asahi.com

http://www.asahi.com/international/update/0405/009.html

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

国旗そのものに関する論争ではないが、反旗をあげることについて、フランスでは論争が行われているらしい。

政教分離の問題から論争は始まったようです・・・。

読めば、誰でも解かるか・・・。

汗。

「○旗」論争 in フランス

投稿者: dragon888888888888888888888888k 投稿日時: 2005/04/05 22:35 投稿番号: [840 / 1657]
■ローマ法王死去で「半旗」論争   フランス

  政教分離をとりわけ重んじるフランスで、ローマ法王の死を受けて公共施設に半旗を掲げたことが論議を呼んでいる。政府は、「宗教指導者ではなく『バチカン国家元首』としての法王への儀礼だ」として、葬儀がある8日も半旗にする方針だ。

  フランスでは法王死去翌日の3日、政府通達により全国の公共施設の国旗が半旗となった。これに対し、緑の党所属のパリ市助役や社会党上院議員らが「信教の自由への介入ではないか」と反発し、役場の半旗を拒否する共産党首長も出た。

  政教分離の監視組織、非宗教家族連合は4日、「公立学校で宗教シンボルの着用を禁じたばかりなのに、この国は今もカトリックの長女なのか」と指摘。さらに「法王の映像や説教を流し続ける公共テレビは教会の宣伝機関だ」と批判した。

  首相府は「大切な国の元首の死に際し、わが国の伝統を適用した。過去の法王の死でも前例がある」と突っぱねる。左派系の作家、マックス・ガロ氏も「欧州の友好国の元首だから当然。法王は政教分離の形式主義を超えた人格だ」と政府を擁護した。

  一方、内部に批判論を抱える社会党は「世界中のカトリック信者が悲しんでいる時にすべき論争ではない」(報道官)と腰が引けている。

2005年04月05日   asahi.com

http://www.asahi.com/international/update/0405/009.html

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

国旗そのものに関する論争ではないが、反旗をあげることについて、フランスでは論争が行われているらしい。

政教分離の問題から論争は始まったようです・・・。

読めば、誰でも解かるか・・・。

汗。

一人の死と、国際社会と・・・  ③

投稿者: dragon888888888888888888888888k 投稿日時: 2005/04/05 22:35 投稿番号: [839 / 1657]
4月4日付・読売社説(2)

[ローマ法王死去]「冷戦終焉の立役者でもあった」


  歴代法王の中でも3番目となる長期在位だった。冷戦の終焉(しゅうえん)や9・11テロなど歴史的な事件が次々と起き、四半世紀を超える在位期間は、そのまま激動の現代史に重なる。

  ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世が死去した。84歳だった。

  100回以上も外遊し、「空飛ぶ聖座」と呼ばれた。法王として前例のない精力的な活動ぶりは、カトリック信徒のみならず、世界の耳目を集めた。

  中でも、法王に選ばれて間もない1979年のポーランド訪問は、その後、国際政治の構造を変えることになる重要な意味を持っていた。

  社会主義政権下にあった母国で、法王は、ポーランド国民に「恐れることはない」と、信教の自由や脱冷戦を呼びかけた。この訴えが国民を鼓舞し、自主管理労組「連帯」を中心とする民主化運動を精神的に支えることになった。

  これが旧ソ連・東欧の社会主義政権の崩壊につながる契機の一つとなった。ヨハネ・パウロ2世が、冷戦終焉の立役者の一人と目されるゆえんである。

  宗教間対話に心を砕き、カトリック教会の過去の過ちを認めることにも、やぶさかではなかった。

  十字軍によるイスラム教徒らに対する侵略性を認め、謝罪した。ローマ法王としては初めて、ユダヤ教とイスラム教の礼拝所も訪れた。東方教会の拠点であるギリシャ訪問も実現させたが、これも、11世紀、東西教会に分裂してから初めてのことだった。

  92年には、かつて地動説を是認し、宗教裁判にかけられた天文学者ガリレオ・ガリレイについて、「教会の措置は誤りだった」とし、その名誉を回復した。

  対外的には、カトリック教会にまつわる「頑迷」という印象を緩和しながら、社会問題に関しては、保守の姿勢を貫いた法王でもあった。

  同性間の結婚、人工妊娠中絶、聖職者の結婚には反対を続けた。後天性免疫不全症候群(AIDS)を予防するためのコンドーム使用にも反対した。こうした姿勢が、エイズ禍の拡大を食い止められず、結果的にカトリック離れを招いた、との批判を呼ぶことにもなった。

  体調を崩したヨハネ・パウロ2世は最期まで法王位にあった。教会法では、退位には法王自身の自発的な辞任の意思確認が必要とされ、事実上の終身だ。

  後継法王は、近く、法王選出会議で選ばれる。約10億と見られる信徒を擁する大組織の長である。今後の国際社会においても、新法王は一定の影響力を持ち続けるだろう。

(読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050403ig91.htm

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

正当な批判には応じ、過ちが過ちであったなら、その過ちを認め、謝罪するーーーーーー簡単なように一見思えそうだが、非常に難しいことの1つであると思う。

一人の死と、国際社会と・・・  ③

投稿者: dragon888888888888888888888888k 投稿日時: 2005/04/05 22:35 投稿番号: [839 / 1657]
4月4日付・読売社説(2)

[ローマ法王死去]「冷戦終焉の立役者でもあった」


  歴代法王の中でも3番目となる長期在位だった。冷戦の終焉(しゅうえん)や9・11テロなど歴史的な事件が次々と起き、四半世紀を超える在位期間は、そのまま激動の現代史に重なる。

  ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世が死去した。84歳だった。

  100回以上も外遊し、「空飛ぶ聖座」と呼ばれた。法王として前例のない精力的な活動ぶりは、カトリック信徒のみならず、世界の耳目を集めた。

  中でも、法王に選ばれて間もない1979年のポーランド訪問は、その後、国際政治の構造を変えることになる重要な意味を持っていた。

  社会主義政権下にあった母国で、法王は、ポーランド国民に「恐れることはない」と、信教の自由や脱冷戦を呼びかけた。この訴えが国民を鼓舞し、自主管理労組「連帯」を中心とする民主化運動を精神的に支えることになった。

  これが旧ソ連・東欧の社会主義政権の崩壊につながる契機の一つとなった。ヨハネ・パウロ2世が、冷戦終焉の立役者の一人と目されるゆえんである。

  宗教間対話に心を砕き、カトリック教会の過去の過ちを認めることにも、やぶさかではなかった。

  十字軍によるイスラム教徒らに対する侵略性を認め、謝罪した。ローマ法王としては初めて、ユダヤ教とイスラム教の礼拝所も訪れた。東方教会の拠点であるギリシャ訪問も実現させたが、これも、11世紀、東西教会に分裂してから初めてのことだった。

  92年には、かつて地動説を是認し、宗教裁判にかけられた天文学者ガリレオ・ガリレイについて、「教会の措置は誤りだった」とし、その名誉を回復した。

  対外的には、カトリック教会にまつわる「頑迷」という印象を緩和しながら、社会問題に関しては、保守の姿勢を貫いた法王でもあった。

  同性間の結婚、人工妊娠中絶、聖職者の結婚には反対を続けた。後天性免疫不全症候群(AIDS)を予防するためのコンドーム使用にも反対した。こうした姿勢が、エイズ禍の拡大を食い止められず、結果的にカトリック離れを招いた、との批判を呼ぶことにもなった。

  体調を崩したヨハネ・パウロ2世は最期まで法王位にあった。教会法では、退位には法王自身の自発的な辞任の意思確認が必要とされ、事実上の終身だ。

  後継法王は、近く、法王選出会議で選ばれる。約10億と見られる信徒を擁する大組織の長である。今後の国際社会においても、新法王は一定の影響力を持ち続けるだろう。

(読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050403ig91.htm

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

正当な批判には応じ、過ちが過ちであったなら、その過ちを認め、謝罪するーーーーーー簡単なように一見思えそうだが、非常に難しいことの1つであると思う。

一人の死と、国際社会と・・・ ②

投稿者: dragon888888888888888888888888k 投稿日時: 2005/04/05 22:35 投稿番号: [838 / 1657]
【天声人語】2005年04月04日(月曜日)付

  ポーランドの古都クラクフは、中世の町並みを今もなお色濃く残している。後にローマ法王ヨハネ・パウロ2世となるカロル・ボイチワは、クラクフ郊外の町バドビツェで生まれた。

  近くには、後に強制収容所がつくられたアウシュビッツがある。数年前、クラクフを流れるビスワ川のほとりに立って、三つの町の位置関係と法王の人生に、運命的なつながりを感じた。

  ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった時、カロルは哲学科の学生だった。独軍によって大学は閉鎖される。ドイツで強制労働をさせられる国外追放を避けるため、クラクフ郊外の石切り場で働いた。

  「聞いてごらん。ハンマーが規則正しく石を打つ音を……ある想いが私の内で育って行く。仕事の真の価値は、人間の内面にあるのではないだろうかと」。自作の詩について、法王は後年、「当時の異常な体験がなかなか適切に表現されている」と自伝『怒涛に立つ』(エンデルレ書店)で述べている。

  やがて地下活動で神学を学び、司祭になり、クラクフ大司教を務めた。法王としては、故国で民主化を求める「連帯」を励まし、教会が封印してきたことを謝罪し、イラク戦争に反対した。歴史と平和についての明確な発言と行動が際だっていた。

  10年前、バチカンで法王と握手する機会があった。若き日にハンマーを握ったかもしれない手には、厚みがあった。「戦争は人間のしわざです。戦争は死そのものです」。81年に広島で発した言葉が、その手から伝わってくるようだった。

http://www.asahi.com/paper/column20050404.html

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

1981年。広島。

「戦争は人間のしわざです。戦争は死そのものです」か・・・。

戦争の惨禍を実体験するものの言葉は、重い。

さりとて、実体験しなくても理解できる人間は人類にいないのか?

そうではなかろう。

「平和ボケだから悪い」とか「平和ボケだから阿呆」いう言葉で批判している場面を掲示板上でよく見かけるが、平和を維持するつまりkeepことがどんなに難しくかつ努力を必要とすることが、解かっていて言っているのかどうか・・・

殺すことは、容易に可能。

死にかけた人を生かすことがどれほど大変なものか、解かる人には解かるだろう・・・。

生きるということは大変なことである・・・。

一人の死と、国際社会と・・・ ②

投稿者: dragon888888888888888888888888k 投稿日時: 2005/04/05 22:35 投稿番号: [838 / 1657]
【天声人語】2005年04月04日(月曜日)付

  ポーランドの古都クラクフは、中世の町並みを今もなお色濃く残している。後にローマ法王ヨハネ・パウロ2世となるカロル・ボイチワは、クラクフ郊外の町バドビツェで生まれた。

  近くには、後に強制収容所がつくられたアウシュビッツがある。数年前、クラクフを流れるビスワ川のほとりに立って、三つの町の位置関係と法王の人生に、運命的なつながりを感じた。

  ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった時、カロルは哲学科の学生だった。独軍によって大学は閉鎖される。ドイツで強制労働をさせられる国外追放を避けるため、クラクフ郊外の石切り場で働いた。

  「聞いてごらん。ハンマーが規則正しく石を打つ音を……ある想いが私の内で育って行く。仕事の真の価値は、人間の内面にあるのではないだろうかと」。自作の詩について、法王は後年、「当時の異常な体験がなかなか適切に表現されている」と自伝『怒涛に立つ』(エンデルレ書店)で述べている。

  やがて地下活動で神学を学び、司祭になり、クラクフ大司教を務めた。法王としては、故国で民主化を求める「連帯」を励まし、教会が封印してきたことを謝罪し、イラク戦争に反対した。歴史と平和についての明確な発言と行動が際だっていた。

  10年前、バチカンで法王と握手する機会があった。若き日にハンマーを握ったかもしれない手には、厚みがあった。「戦争は人間のしわざです。戦争は死そのものです」。81年に広島で発した言葉が、その手から伝わってくるようだった。

http://www.asahi.com/paper/column20050404.html

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

1981年。広島。

「戦争は人間のしわざです。戦争は死そのものです」か・・・。

戦争の惨禍を実体験するものの言葉は、重い。

さりとて、実体験しなくても理解できる人間は人類にいないのか?

そうではなかろう。

「平和ボケだから悪い」とか「平和ボケだから阿呆」いう言葉で批判している場面を掲示板上でよく見かけるが、平和を維持するつまりkeepことがどんなに難しくかつ努力を必要とすることが、解かっていて言っているのかどうか・・・

殺すことは、容易に可能。

死にかけた人を生かすことがどれほど大変なものか、解かる人には解かるだろう・・・。

生きるということは大変なことである・・・。

一人の死と、国際社会と・・・  ① 

投稿者: dragon888888888888888888888888k 投稿日時: 2005/04/05 22:34 投稿番号: [837 / 1657]
社説:
ローマ法王   寛容の精神で世界を変えた



  世界の平和と変革にささげた生涯だった。84歳で死去したローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、81年の訪日も含めた頻繁な外遊によって「旅する法王」「空飛ぶ聖座」と呼ばれた。「宗教と政治」という大きなテーマに意欲的に取り組み、積極的に政治問題に関与した「闘う法王」でもあった。ほぼ四半世紀にわたる法王の貢献をたたえたい。

  ポーランド人では初、イタリア人以外では約450年ぶりの選出とされる異色の法王だった。華々しい業績の背景には、辛酸をなめた故国ポーランドの歴史が透けて見える。1920年に同国南部に生まれ、幼い時に母親が死去した。その後、妹や兄、父を次々に失った。世界大恐慌、ナチスの台頭、ドイツ軍侵攻、独ソ戦開始も含めて、ポーランドが歴史の荒波にもまれた時代だった。法王が人間の尊厳と生命の大切さを訴え続けた背景に、こうした悲しみの時代への心の痛みがあることは想像に難くない。

  法王として初めてユダヤ教のシナゴーグ(礼拝所)やアウシュビッツ強制収容所の跡地を訪問した。第二次大戦時のユダヤ人大虐殺(ホロコースト)に対し、カトリック教会は見て見ぬふりをしたのではないかという反省と謝罪の気持ちからだった。カトリック教会の歴史的な問題点を率直に問い直し、ユダヤ人や南米先住民への迫害を謝罪する一方で、異宗教間の交流や東西キリスト教の和解を訴えた。

  戦争の恐ろしさと悲惨さを知り尽くしていた法王は、91年の湾岸戦争や03年のイラク戦争を批判した。また、人間の尊厳を軽視する政治体制への批判を繰り返し、寛容の精神に基づく社会改革や変革を求めた。

  ポーランドの自主管理労組運動の精神的支柱として、同国の社会主義政権が崩れるきっかけを作った。これが「ベルリンの壁」の崩壊につながり、ソ連・東欧社会主義体制の大崩壊へと発展していった。こうした世界政治の激動は、法王の存在抜きでは決して語れないものである。

  その一方で、「資本主義は勝利者となり得るか」と現代経済の在り方に疑問を呈し、グローバリゼーションについては「途上国の貧困を招いた」と批判した。

  政治問題では革新的な立場を取り、従来の教会の枠にとらわれない、カトリック的世界観の変革と拡大を打ち出したが、人間の生命に関する倫理問題では保守的路線を貫いた。妊娠中絶や安楽死に反対し、エイズ予防のコンドームの使用にも反対した。

  法王の生きた時代は激しい殺りくと戦争が繰り返された。人間の価値がおろそかにされ、暴力がまかり通った。荒れ狂う時代の流れに、声高ではなく、静かに、穏やかに異議を唱え、命の大切さを訴えた法王は、カトリックのみならず平和を求める人々の間で大きな存在感を持っていた。

  幅広い層から敬愛された法王の死は、今の世界のあり方を問い直す機会にもなるだろう。

毎日新聞   2005年4月4日

http://www.mainichi-msn.co.jp/column/shasetsu/news/20050404k0000m070107000c.html

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

私はと或る人からjokeで「ヨハネ・パウロみたいな奴だ」という風に例えられた。

たぶん、最晩年でよぼよぼで何もできない時代の彼を私に喩えたんだと思う。

今こうして日本の各三大新聞社と呼ばれる新聞社がコメントする故ヨハネ・パウロ2世を読むと、恐れ多いと考えてしまう・・・。

「戦争の恐ろしさと悲惨さを知り尽くしていた法王は、91年の湾岸戦争や03年のイラク戦争を批判した。また、人間の尊厳を軽視する政治体制への批判を繰り返し、寛容の精神に基づく社会改革や変革を求めた。」か・・・・・。



アーメン。

一人の死と、国際社会と・・・  

投稿者: dragon888888888888888888888888k 投稿日時: 2005/04/05 22:34 投稿番号: [837 / 1657]
社説:
ローマ法王   寛容の精神で世界を変えた



  世界の平和と変革にささげた生涯だった。84歳で死去したローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、81年の訪日も含めた頻繁な外遊によって「旅する法王」「空飛ぶ聖座」と呼ばれた。「宗教と政治」という大きなテーマに意欲的に取り組み、積極的に政治問題に関与した「闘う法王」でもあった。ほぼ四半世紀にわたる法王の貢献をたたえたい。

  ポーランド人では初、イタリア人以外では約450年ぶりの選出とされる異色の法王だった。華々しい業績の背景には、辛酸をなめた故国ポーランドの歴史が透けて見える。1920年に同国南部に生まれ、幼い時に母親が死去した。その後、妹や兄、父を次々に失った。世界大恐慌、ナチスの台頭、ドイツ軍侵攻、独ソ戦開始も含めて、ポーランドが歴史の荒波にもまれた時代だった。法王が人間の尊厳と生命の大切さを訴え続けた背景に、こうした悲しみの時代への心の痛みがあることは想像に難くない。

  法王として初めてユダヤ教のシナゴーグ(礼拝所)やアウシュビッツ強制収容所の跡地を訪問した。第二次大戦時のユダヤ人大虐殺(ホロコースト)に対し、カトリック教会は見て見ぬふりをしたのではないかという反省と謝罪の気持ちからだった。カトリック教会の歴史的な問題点を率直に問い直し、ユダヤ人や南米先住民への迫害を謝罪する一方で、異宗教間の交流や東西キリスト教の和解を訴えた。

  戦争の恐ろしさと悲惨さを知り尽くしていた法王は、91年の湾岸戦争や03年のイラク戦争を批判した。また、人間の尊厳を軽視する政治体制への批判を繰り返し、寛容の精神に基づく社会改革や変革を求めた。

  ポーランドの自主管理労組運動の精神的支柱として、同国の社会主義政権が崩れるきっかけを作った。これが「ベルリンの壁」の崩壊につながり、ソ連・東欧社会主義体制の大崩壊へと発展していった。こうした世界政治の激動は、法王の存在抜きでは決して語れないものである。

  その一方で、「資本主義は勝利者となり得るか」と現代経済の在り方に疑問を呈し、グローバリゼーションについては「途上国の貧困を招いた」と批判した。

  政治問題では革新的な立場を取り、従来の教会の枠にとらわれない、カトリック的世界観の変革と拡大を打ち出したが、人間の生命に関する倫理問題では保守的路線を貫いた。妊娠中絶や安楽死に反対し、エイズ予防のコンドームの使用にも反対した。

  法王の生きた時代は激しい殺りくと戦争が繰り返された。人間の価値がおろそかにされ、暴力がまかり通った。荒れ狂う時代の流れに、声高ではなく、静かに、穏やかに異議を唱え、命の大切さを訴えた法王は、カトリックのみならず平和を求める人々の間で大きな存在感を持っていた。

  幅広い層から敬愛された法王の死は、今の世界のあり方を問い直す機会にもなるだろう。

毎日新聞   2005年4月4日

http://www.mainichi-msn.co.jp/column/shasetsu/news/20050404k0000m070107000c.html

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

私はと或る人からjokeで「ヨハネ・パウロみたいな奴だ」という風に例えられた。

たぶん、最晩年でよぼよぼで何もできない時代の彼を私に喩えたんだと思う。

今こうして日本の各三大新聞社と呼ばれる新聞社がコメントする故ヨハネ・パウロ2世を読むと、恐れ多いと考えてしまう・・・。

「戦争の恐ろしさと悲惨さを知り尽くしていた法王は、91年の湾岸戦争や03年のイラク戦争を批判した。また、人間の尊厳を軽視する政治体制への批判を繰り返し、寛容の精神に基づく社会改革や変革を求めた。」か・・・・・。



アーメン。

竹島チャット・・・・残念です。

投稿者: ahuramazda1945 投稿日時: 2005/04/05 22:19 投稿番号: [836 / 1657]
======
非常に興味があるので
アフロ氏に参加するように頼んで見よう。
竹島問題なら彼が一番強い
彼ならポイントを掴んで解説してくれると思う。
======

  竹島かあ、参加してみたいね〜っ。
だけど、ボイスチャットは問題大ですね。

======
私が掲示板に書き込みしている事を妻は知らない。
======

  私も上記に同じく、妻には知らせていない・・・・。
  ボイスチャットなぞしようものなら、「家庭内紛争勃発」!(涙)
仕事場で行おうにも流石にボイスはまずいな・・・・。

  興味大なのですが、参加は見合わせなくてはいけないようですね・・・。(悲)


経過だけでもかいつまんで、(韓国の国民認識に興味)憲法トピでの紹介をしていただけませんか?


  お誘いに答えることができずに申し訳ありません。

>愛の次元 (電波再び 3)

投稿者: nanntyattesamurai 投稿日時: 2005/04/05 22:06 投稿番号: [835 / 1657]
>どうやら、私の言いたかったことが伝わっていないようですね。

そんな事はありませんよ

私の言いたい事は一つ
この世に生を受けたと言う事は
この世(物質界)の法則で生きる事
そのものが、私達に課せられた宿題だと言う事です。
(それが、お米を慈しんで育てている農家や
  子供をそっと見つめる母親に、神性を見出す事だと思います)

理路整然と真理のみあれば良いと言うのであれば
主神のみが、いらっしゃれば良かったのではないでしょうか。
この物質界を、創る意味さえ無かったのではないでしょうか?

この世を神が創ったのであるならば
唯心と唯物は表裏一体であり
唯心のみでも間違いですし、唯物のみでも間違いです。

又、人の神性の行き着く先が主神であるならば
利己愛と利他愛は表裏一体であり
それが一神(真理)多神(現実)が表裏一体だと言う事ではないでしょうか?

そこに、異文化との共存の可能性があり
世界政府の可能性が在ると信じております。

ただし、愛にも順番が存在すると思います。
それが「時」なのです。

物質界でなければ、愛に順番や順位は必要無いのかもしれません。
しかし、物質界では話が違います。
この世の存在は「物質界の法則に則る事」そのものに意味がある訳ですから
「時」と言うものに縛られます。

たとえそれが真理でも「時」を過てば
「偽真理」と見なされるかもしれませんし
この世に災いをもたらすかもしれません。

真理(愛)を説くにも時があり
真理(愛)を行うにも時があります

大本教の教祖の言葉
「神とても時には勝てぬ」も
そう言った意味ではないでしょうか。

これが、物質界に生きると言う事であり
時の概念でもあると思います。
(キリストは死の時を知っていた
自らの死が、神の経綸を動かす事を知っていたのではないでしょうか?)

(正視)

何時も何時も、抜き身の刀である必要はありません。
必要な時に抜けば良いと思います。

必要な時にメガネを外せば良いのであり
必要な時に、心の尺度を外して
心(概念)に写る、対象の像そのものを
見れば良いと思います。

ただし、必要な事は
自分がどのメガネを掛けていて
どの様な尺度を持っているのか
「それ」を知る事であると思います。

「それ」を知るから(知らなかった事に気づくでも   可)
自らの心(概念)を直視できるのではないでしょうか。

感情もメガネや尺度の一つです
私は、感情を伴って、物を見ても良いと思います。
ただ、必要な時にそれ(感情)を外せば良いのではないでしょうか?

そして、「それ」を知る事が、「開示悟入」の入の世界にたどり着ける
可能性を生むのではないでしょうか?

それは、全ての人の心の中に「神性」があるからであり
自分が分かった所までしか、他人を分かる事ができない、
その理由ともなると思います。

>体の方は御免被る

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 21:52 投稿番号: [834 / 1657]
失礼な奴だ!!!!

Don't touch me!!!!!













この罰当たりもんが!

それにしても、悪文だねぇ

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 21:01 投稿番号: [833 / 1657]
憲法19条   『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』

それも言うなら『思想の自由及び良心を侵してはならない』でしょう。

もし詭弁を弄して、『思想及び良心の自由は、これを(国民)が侵してはならない』
とでも解釈しようものなら、『国民に思想及び良心の自由はない』とさえすり替えることも可能だ。
時に、日本語の表現の多様さが災いすることもある。

>生のハムはまずくて食えない。

投稿者: namahamu3mai 投稿日時: 2005/04/05 20:59 投稿番号: [832 / 1657]
恵まれない人の愛の手を。

それが宇宙市民の使命でしょ♪

くれぐれも愛だけでお願いします。

体の方は御免被る。

ハムラビ法典

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 20:29 投稿番号: [831 / 1657]
ハムスターは可愛い。
アブラハム・リンカーンは偉大だ。
しかし、生のハムはまずくて食えない。

「目には目を、歯には歯を」

(生ハムラビ法典)

>地球市民

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 20:22 投稿番号: [830 / 1657]
>なーんか、愛国心を敢えてすっとばして
「私は地球市民」って言いたがるひとって
田舎のインテリが多いような気がするんだけど、気のせい?

はい、気のせいです。
というか、「愛国心を敢えてすっとばして、私は地球市民」という意味合いに誤認があると思います。
「地球市民」という言葉は、ちょっと笑えますが、少なくともこれは「愛国心」をすっ飛ばしているのではなく、「愛国心」をも包括した上で、地球(世界)を愛する「地球市民」だと言っているのではないでようか。

私は「地球市民」より、もっと大きく出たいので、「私は宇宙人です」と言わせて頂きます。笑

>地球市民

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 20:22 投稿番号: [830 / 1657]
>なーんか、愛国心を敢えてすっとばして
「私は地球市民」って言いたがるひとって
田舎のインテリが多いような気がするんだけど、気のせい?

はい、気のせいです。
というか、「愛国心を敢えてすっとばして、私は地球市民」という意味合いに誤認があると思います。
「地球市民」という言葉は、ちょっと笑えますが、少なくともこれは「愛国心」をすっ飛ばしているのではなく、「愛国心」をも包括した上で、地球(世界)を愛する「地球市民」だと言っているのではないでようか。

私は「地球市民」より、もっと大きく出たいので、「私は宇宙人です」と言わせて頂きます。笑

愛の次元

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 20:09 投稿番号: [829 / 1657]
>>愛に順番などあるわけ?
>あると思いますよ。
>まず、愛し合って結婚して子供をもうける。
>人類がこれをしなくなったら、人類は滅びます。

どうやら、私の言いたかったことが伝わっていないようですね。
私の言う順番というは、ものごとの「順序」という意味じゃなくて、愛に「順位付け」があるのかということ。
愛にあるのは、順位じゃなくて、次元の違いがあるのみだと私は言っているのです。
だから、結果として、次元の違う「愛」を、全て同じ平面上でしか捉えない人には、当然「愛」に順番が存在するでしょうし、順位をつけたがる。そのように主張したのです。
この意味の違い分かりますでしょうか?

>もし、人が死を恐れず、生きつづける欲求(自己愛)が欠如していれば、自殺者の数が膨れ上がり、
>これまた人類滅亡の危機になると思います。

自殺する人達は、死を恐れなかったから自殺できたのでしょうか?
自殺する人の動機は様々です。人が死を恐れる以上に、死ぬことの方を選ぶ時は、得てして平常な精神状態ではなくなっている時です。
辛さや、絶望で、何も考えられなくなっている場合には、死の恐怖すら入り込む余地がなくなっているわけです。
それより、現実の苦しみから、何とかして逃れたい。死ねば楽になれる。そう思う人が大半かもしれない。
つまりは、「死」や「死後」に対する無知ゆえに死に取り憑かれる。
死んて肉体を失った後も、感情的な苦しみが意識として残存し続けるなどと思ったら、そうそう容易く死ねるものではありません。

では逆に聞きます。
人は死が怖いから自殺しないのでしょうか?
もちろん、そのような人もいるでしょう。
死にたくても、死が怖くて死ぬ勇気がない場合もあるでしょう。
それより何より、死ねないのは「生」に対する愛着があるからですよね。
それは、責任感だったり、使命感だったり、あるいは世間体だったりの物理的な理由。
そして、仰るように、大半の人間(動物)の命のDNAに刻まれた、生きるという欲求のためです。
そして、自殺する動機とは違う意味で、死を恐れない人も多く存在します。
つまり、「人は死んでも死なない」という「命の永遠」を知っている人達です。(イエスがそうだったように)

>正視と言うものは

小難しいことではありません。原理は至極単純です。
つまり、感情を混入する余地のない、研ぎ澄まされた直感力があるならば、自ずと人は正視の状態になります。
ただ、大なり小なり人間は感情の支配を受けているから、そうあることが難しいのです。

>自己愛を通し、自分の中の神性に気づいた聖者こそが、
>全ての人の中に神性を見出す事ができるのではないかこんな形で考えております。

聖者じゃなくても、自己の神聖に気づくことは出来ます。ただ、その「神聖な状態」を生き続けることが難しいのです。
つまりは、禅の最高公案である、
「随所に主となれば、立つ処皆真なり」
(至る所で真我(神聖意識)の状態でいるならば、あらゆる環境は皆聖なる場所になる)

この意識を生き続けることが、人生における最大の課題です。
易にもあるように、万物は常に変化し続けています。当然、人間の意識、心の状態も一定ではありません。
それゆえに、たとえ聖者と呼ばれるような人であっても、この不完全な感情と肉体を持っている限りは常に聖なる状態であり続けることは不可能だということです。
肝心なのは、常にそのように生きようとする意志と、そのプロセスにあると思います。

だからと言って、真理はひとつではありません。
10万の人がいれば、10万の真理があります。
そして、その意識が進歩すれば、その人の中の真理も変化していきます。
よって、その人の意識の段階に応じて、「愛の概念」「愛の現し方」「愛する対象」が変わっていくと言うことです。(愛の次元の変化)
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