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不立文字

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/06 00:43 投稿番号: [843 / 1657]
(ふりゅうもんじ)
悟りは文字・言説をもって伝えるころができず、心から心へ伝える物である意。(広辞苑)―由来は禅

この広辞苑の説明は、まだ不十分だ。
心から心へというより、意識から意識へ伝わるといった方がより適切。心を通じて伝わるのは、思いと感情だけ。形而上学的なものは、メンタル意識での同調が起こらないと伝わらない。
これをよく言い表した挿話に、「拈華微笑(ねんげみしょう)」というのがある。

拈華とは、華を手に持つこと。
釈迦が説法の際、会場で献じられた花を会場で静かにつき出した。
会場の者達は意味が分からず、ポカンとしている。その時、摩珈迦葉(まかかしょう)だけが釈迦の意を察してニヤリを微笑んだ。
それから釈迦の意識と摩珈迦葉の意識の感応によって、あらゆる真理が伝達されたということです。
つまりは感応道交が起こったということです。

このような、意識の伝達の経験が私にもあります。
非常に神秘的な体験でした。
高次の意識活動をする方の話を聴講していた時のことです。
そこに出来た高次のメンタル磁場に感応して、通常では分からなかったことが勝手に分かったり、無意識層に蓄積されていた(過去世?)かつての知識(禅やカバラ)が蘇ったりという体験をしたのです。
同時に、その方の声が、私の耳ではなく内部から聞こえてくる感覚を体験しました。相手と意識が一体になる。これを禅では「入我我入(にゅうががにゅう)」の状態というようです。
合理主義の人達には、オカルト話と誤解されかねないので、この話はこれくらいにしましょう。

別に真理云々じゃなくても、例えばケーキの味を説明された際、「甘くて、まったりとした舌触りで、とても美味しいケーキだった」と言われて、その味を自分の中で如実に再現することができるだろうか?
どんなに言葉を尽くされても、実際に食べてみないことには絶対に分からない味ですよね。先の意識の共有に対して、ここでは体験の共有が必要です。
ここに言葉の限界があります。
何でも言葉で説明できる、あるいは言葉で説明できないものは非論理的だと打ち消せない現実があるわけです。私達は、あまりにも言葉に頼りすぎている。
これもまた「不立文字」の世界です。

※言葉という伝達手段を持たない赤ちゃんと母親は、以心伝心でコミュニケーションを図っている。
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