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愛の次元

投稿者: battamama 投稿日時: 2005/04/05 20:09 投稿番号: [829 / 1657]
>>愛に順番などあるわけ?
>あると思いますよ。
>まず、愛し合って結婚して子供をもうける。
>人類がこれをしなくなったら、人類は滅びます。

どうやら、私の言いたかったことが伝わっていないようですね。
私の言う順番というは、ものごとの「順序」という意味じゃなくて、愛に「順位付け」があるのかということ。
愛にあるのは、順位じゃなくて、次元の違いがあるのみだと私は言っているのです。
だから、結果として、次元の違う「愛」を、全て同じ平面上でしか捉えない人には、当然「愛」に順番が存在するでしょうし、順位をつけたがる。そのように主張したのです。
この意味の違い分かりますでしょうか?

>もし、人が死を恐れず、生きつづける欲求(自己愛)が欠如していれば、自殺者の数が膨れ上がり、
>これまた人類滅亡の危機になると思います。

自殺する人達は、死を恐れなかったから自殺できたのでしょうか?
自殺する人の動機は様々です。人が死を恐れる以上に、死ぬことの方を選ぶ時は、得てして平常な精神状態ではなくなっている時です。
辛さや、絶望で、何も考えられなくなっている場合には、死の恐怖すら入り込む余地がなくなっているわけです。
それより、現実の苦しみから、何とかして逃れたい。死ねば楽になれる。そう思う人が大半かもしれない。
つまりは、「死」や「死後」に対する無知ゆえに死に取り憑かれる。
死んて肉体を失った後も、感情的な苦しみが意識として残存し続けるなどと思ったら、そうそう容易く死ねるものではありません。

では逆に聞きます。
人は死が怖いから自殺しないのでしょうか?
もちろん、そのような人もいるでしょう。
死にたくても、死が怖くて死ぬ勇気がない場合もあるでしょう。
それより何より、死ねないのは「生」に対する愛着があるからですよね。
それは、責任感だったり、使命感だったり、あるいは世間体だったりの物理的な理由。
そして、仰るように、大半の人間(動物)の命のDNAに刻まれた、生きるという欲求のためです。
そして、自殺する動機とは違う意味で、死を恐れない人も多く存在します。
つまり、「人は死んでも死なない」という「命の永遠」を知っている人達です。(イエスがそうだったように)

>正視と言うものは

小難しいことではありません。原理は至極単純です。
つまり、感情を混入する余地のない、研ぎ澄まされた直感力があるならば、自ずと人は正視の状態になります。
ただ、大なり小なり人間は感情の支配を受けているから、そうあることが難しいのです。

>自己愛を通し、自分の中の神性に気づいた聖者こそが、
>全ての人の中に神性を見出す事ができるのではないかこんな形で考えております。

聖者じゃなくても、自己の神聖に気づくことは出来ます。ただ、その「神聖な状態」を生き続けることが難しいのです。
つまりは、禅の最高公案である、
「随所に主となれば、立つ処皆真なり」
(至る所で真我(神聖意識)の状態でいるならば、あらゆる環境は皆聖なる場所になる)

この意識を生き続けることが、人生における最大の課題です。
易にもあるように、万物は常に変化し続けています。当然、人間の意識、心の状態も一定ではありません。
それゆえに、たとえ聖者と呼ばれるような人であっても、この不完全な感情と肉体を持っている限りは常に聖なる状態であり続けることは不可能だということです。
肝心なのは、常にそのように生きようとする意志と、そのプロセスにあると思います。

だからと言って、真理はひとつではありません。
10万の人がいれば、10万の真理があります。
そして、その意識が進歩すれば、その人の中の真理も変化していきます。
よって、その人の意識の段階に応じて、「愛の概念」「愛の現し方」「愛する対象」が変わっていくと言うことです。(愛の次元の変化)
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