竹島
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
あれだね
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/02/01 14:58 投稿番号: [3521 / 18519]
売国奴扱いしてる金玉均の言ってることを信じるのは親日派がいう妄言(韓国人の言う)を信じるのと同じなんだろ?矛盾に矛盾がはびこってるなあ、この理論は。半月城は脳内ネットワークがちゃんと連絡取れてないみたいだ。
これは メッセージ 3520 (Gaenara さん)への返信です.
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捏造癖 II
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/01 14:06 投稿番号: [3520 / 18519]
>金玉均など開化党は「近代国家」意識が強かったために鬱陵島・竹嶼島・独島に日本人が入りこむのを懸念して再開拓事業に熱心であった。
1894年に暗殺された金玉均は、「独島」に関して、1899年に発行された「大韓全図」よりも正確な認識を持っていた、と言っているわけだな。(笑)
http://www.ullungdo.com/map/12.htm
これは メッセージ 3516 (hangetsujoh さん)への返信です.
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捏造癖
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/01 13:04 投稿番号: [3519 / 18519]
は治らないみたいだな、半月城。
>鬱陵島の朝鮮人が増えたことで竹島=独島の認識がより確実なものになりました。
そう書くのであれば、「于山島=独島の認識がより確実なものになりました」と捏造しないと駄目だな。(笑)
これは メッセージ 3516 (hangetsujoh さん)への返信です.
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念のため
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/01 11:43 投稿番号: [3518 / 18519]
念のため入っておきますが、
>同行した船の一隻が鬱陵島に立ち寄っているのに、どこをどう読んでも三峯島を鬱陵島と勘違いするなんて有り得ません。
朴宗元らは三峰島が鬱陵島のほかにあるかを探索しに行きましたが、遭難して鬱陵島のほかには何も見つけられなかったということ。つまり、鬱陵島と三峰島を勘違いしていたわけではありません。
一方、金漢京は三峰島を実は鬱陵島と勘違いしていたのであり、金自周が見たのも当然に鬱陵島でした。これは鬱陵島と三峰島を見誤ったのです。ということを申し上げました。
これは メッセージ 3473 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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>>三峰島(その他部分)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/01 11:33 投稿番号: [3517 / 18519]
レスをし忘れていた部分にお答えしておきます。
>そもそも鬱陵島とは別島があるので探索が行われたのです。
別島がある「かどうかを確認しようと」探索が行なわれたのでしょう。
>従って、三峰島探索を鬱陵島の記事と勘違いする方には失笑を禁じ得ません。
「失笑」するほどのことはありません。資料をそのままに受け入れればいいことです。
三峰島探索は、結局、鬱陵島しか見つけられなかったのであり、三峰島と考えた島も鬱陵島を勘違いしたものでした。
私は以下のことを指摘しました。
①「西距島七八里許到泊」を「島を西にして…」の意味で考えうること。
②咸鏡北道から行ったので当然「四昼三夜」かかること。
③金漢京は鬱陵島を三峰島を考えていたこと。
④何年か後、咸鏡北道観察使は金漢京を罰することを進言していること。
⑤朴宗元探索隊は独島をまったく見ていないこと。
独島資料を集めたサイトをご紹介いただきましたが、三峰島に関する成宗実録の記録にも独島に関する知見、その存在を確認できるものは何もありません。
これは メッセージ 3470 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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獨島問答 Q50-52
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/01 10:41 投稿番号: [3516 / 18519]
獨島問答 Q50
いつ、どのように鬱陵島「再開拓事業」が本格的に実行されたのか?
獨島問答 Q51
東南諸島開拓使 兼 捕鯨使・金玉均は鬱陵島、独島の再開拓に成功したのか?
ANS.金玉均など開化党は「近代国家」意識が強かったために鬱陵島・竹嶼島・独島に日本人が入りこむのを懸念して再開拓事業に熱心であった。いくつか例をあげれば次のとおりである。
(1)政府の主導下に江原道、慶尚道、全羅道地域を中心に移住民や志願者を集め、鬱陵島へ移住させ、積極的に支援した。その結果、移住民の数が1883-84年に急速に増加した。
(2)政府と開拓使は、日本へ日本人の鬱陵島不法侵入を強硬に抗議し、鬱陵島に入ってきた日本人をみな撤収させるのに成功した。日本の内務省は 1883年9月、官吏と巡査など 31名を乗せた越後丸という船を鬱陵島に派遣し、それまで鬱陵島に不法侵入し居住していた日本人 254名をみな乗船、撤収させた。
その結果、鬱陵島に日本人はひとりも残らなかった。これは開拓使・金玉均の鬱陵島、独島再開拓事業の大きな成果であった。
(3)開拓使・金玉均は、政府の許可なく日本船籍の天寿丸船長に米穀をもらって鬱陵島の森林伐採許可証を発給した鬱陵島島長・金錫奎を罷免、処罰した。金玉均は、鬱陵島の森林は国家にとり外貨を稼ぎだせる重要な資源とみなした。
(4)開拓使・金玉均は、朝鮮政府が鬱陵島の森林を伐採し日本に輸出する政策を採択したので、開化党の白春培を1884年8月、日本に派遣し、日本船の萬里丸船長と販売契約を締結した。金玉均は鬱陵島の森林伐採と林業、漁業開発に必要な資金調達のため鬱陵島の森林を担保に借款導入を交渉した。
しかし 1884年12月、甲申政変に失敗した金玉均たちが日本に亡命するや、開化党の鬱陵島、独島再開拓事業は障壁に当面した。
Q52.甲申政変後、鬱陵島・独島再開拓事業はどのような障壁に当面したのか?
ANS.中断はされなかったが、閔妃(明成皇后)を中心とする守旧派政府は関心を持たなかった。そのため、閔妃政府は鬱陵島に専任の島長をおかず、開港以前の捜討制度時と同じように平海郡越松浦の水軍萬戸に鬱陵島を兼任で管理させるようにした。
甲申政変失敗後、政府の鬱陵島再開拓事業は熱意がさめたが、一般民衆のあいだでは南海岸の多島海地方から鬱陵島に移住する民が着実に増加した。
1894年に穏健改革派が執権するや、1894年12月、鬱陵島の捜討制度を廃止して再び専任の島長をおいたが、1895年8月には島長を島監に換え、判任官職級に格上げし、初代島監に蠔季周を任命した。
これにより鬱陵島の再開拓事業は再び活気をおびた。「独立新聞」に1897年3月現在の鬱陵島再開拓事業統計がのっているが、造成した村が 12洞里、戸数が 379戸、人口が1134名(男子622名、女子 472名)、開墾した農耕地が合計 4775斗落であった。
コメント:後に記すように、鬱陵島の朝鮮人が増えたことで竹島=独島の認識がより確実なものになりました。
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 3262 (hangetsujoh さん)への返信です.
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竹島=独島は見えるか2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/01 10:39 投稿番号: [3515 / 18519]
つまり鬱陵島の、200 - 300m の高度の東南がひらけた場所からなら、竹
島=独島は水平線上に小さくではあるがとにかく見える。そうした視認可能地
点は地図を開いてみれば鬱陵島には随処にあることが分かる。
・・・
1438年に空島政策が最終的に実行されるまでは少なくとも、公式的に
も鬱陵島には多くの朝鮮人民が定住していた。
つまり当然漁業だけではなく農業を行っていたと推定されるのだが、鬱陵
島もやはり海岸部は概して急峻で、むしろ 200 - 300mの台地上に比較的平坦
な開墾適地が多く、現在もそんな土地に少なからず人家があり畑が開かれてい
る。
特に旧時の火田式農耕なら、そんな土地がまず開墾された可能性が高いは
ずなのである。従って、(川上氏がいうように)密林にさえぎられてどこから
も見えなかったとはどうしても考えられない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
梶村説からすると、鬱陵島から竹島(独島)が実際に見えたようです。そ
うならば、『世宗実録』にある「二つの島はそれほど離れておらず、天気が清
明な日には望み見ることができる」という記述はやはり妥当と思われます。
同時に、多くの資料や地図が、竹島(独島)は鬱陵島の属島ないし兄弟島
として扱ってきたことも納得がいきます。これについて梶村氏はこう続けまし
た。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
両島の関係は、八丈島と青ヶ島の関係のようなもので、兄弟島と規定する
ことは、自然地理学的に不自然な主張とはいえない。
現在の国際法ないしは慣行では、決して自然地理学的条件が領土問題のき
めてとはされていないが、兄弟島であることが歴史的経緯に影響をもたなかっ
たはずはない。
実際、日本側でも昔は両島をそうした関係のものととらえてきたといえる。
後述のように、江戸時代の日本では鬱陵島を「竹島」ないし「磯竹島」と呼び、
いまの竹島=独島を「松島」と呼んでいたが、松も生えないのに「松島」と呼
ぶのは、「竹島」の呼称の方が先にあって、それと対になる名称として後から
生まれたものとしか理解しがたいのである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この説を裏付けるかのように、江戸時代、代表的な長久保赤水の地図など
が、竹島(独島)と鬱陵島を一対に描いてきたことはすでに記したとおりです。
したがって、竹島(独島)は鬱陵島の近くにある属島という朝鮮側の認識
はまず妥当であると思います。
(注1)堀和生「1905年日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』
24号(1987)
(注2)視力(日立デジタル平凡社『世界大百科事典』より抜粋)
・・・視力の単位は国際協定により決められ,視標とするランドルト環
Landolt ring(太さ1.5mm,直径7.5mm)の切れ目(1.5mm角)を5m離れて見分けら
れる視力を〈1.0〉とする。この切れ目の視角 visual angle はほぼ1分(1度の
1/60)である。外界の1点と眼を結ぶ線を方向線というが,2本の方向線のはさ
む角が視角であり,この逆数で視力が表される。そこで,この2倍の大きさ,
あるいは半分の距離で見分けられるとき,視角は2分となり視力は〈0.5〉とな
る。・・・
(注3)梶村秀樹「竹島=独島問題とは何か」『朝鮮研究』182号 1978.9
あるいは、梶村秀樹『朝鮮史と日本人』明石書店、1992
(注4)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』古今書院,1996(初版,1966)
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 3514 (hangetsujoh さん)への返信です.
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竹島=独島は見えるか
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/01 10:38 投稿番号: [3514 / 18519]
半月城です。竹島=独島が鬱陵島からみえるかどうかの議論はどうやら結論がでたようですが、念のために4,5年前に書いた文を転載します。
http://www.han.org/a/half-moon/hm066.html#No.434「歴史会議室」
【名
前】半月城
【タイトル】竹島(独島)は見えるか
【メッセージ】12/19 09:45
鬱陵島から 95km も離れた小島の竹島(独島)が本当に見えるのかどうか、
実は私も半信半疑だっただけに、みなさんの議論は参考になりました。これは
『世宗実録』など韓国側資料の文献批判に影響する重要な問題なので、この際、
すこし真剣に考えたいと思います。
まず、実際に鬱陵島から竹島(独島)を見たという報告ですが、『軍艦新
高行動日誌』(1904.9.25)に、<松島東南望楼臺ヨリ望遠鏡ヲ以テ見タル「リ
ャンコ」島>として島の観測図が紹介されています(注1)。
その図で島は三つに分かれていますが、水平線近くまでよく見えているよ
うです。ただし、望楼台の高さなどくわしいことはわかりません。
さて望遠鏡が一般的でなかった『世宗実録』の時代、竹島(独島)が肉眼
で見えたかどうかですが、目の視力や気象条件など事情は複雑なようです。
まず目の視力ですが、1.0というのは 5m 離れた所からC字型をしたラン
ドルト環の切れ目 1.5mmを見分けられる能力と定義されています。これは視角
がほぼ1分、すなわち 1/60度に相当します(注2)。
竹島(独島)の場合、高さが174mですが、かりにそのうち100mを見るとす
るとその視角は 3.6分になり、視力的には千里眼や遠視でなくても十分識別可
能といえます。ちなみに、この視角は 5m先で 5.2mmの識別能力に相当します。
したがって目の能力からすれば、竹島(独島)は肉眼で十分観測可能とい
えますが、問題は気象条件です。島の明るさや大気の清澄度、気温と水温の差
によっては、たとえ望遠鏡を使っても見えません。
島の明るさからいうと、浅見さんのコメントにあったように西日が射す午
後や夕方が有利なようです。
また大気の温度は海水温よりかなり低いと海面にもやがたつので、寒風が
強い日は無理と思われます。他方、大気の清澄度は天高く馬肥える秋が一番と
いえます。
こうしてみると、竹島(独島)を見やすいのは秋の午後といえます。軍艦
「新高」が、鬱陵島の望楼台から竹島(独島)を観測した日付が9月25日に
なっているのもうなずけるところです。
ところで、気象条件は最良と仮定して見える距離 D(海里)と見る人の高度
h(m)や対象物の高さ H(m)の関係式は下記のようになります(注4)。ただし
RTSQは平方根を表します。また、1海里は 1852mになります。
D = 2.09 (RTSQ(H) + RTSQ(h))
この式を使って、島の見え方を梶村氏はこう解説しました(注3)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
竹島=独島の最高峰を 174m として計算したばあい、49海里離れた鬱陵
島からでも、海抜 120m以上の所からなら見えることになる。ただし 120m地点
からでは、頂上の一点が点として見えるにすぎない。
竹島=独島の海抜 50m以上の部分が面として視認できるのは、鬱陵島の海
抜 284mの地点である。また海抜 200mの地点からなら、約 96m以上の部分が見
えることになり、少なくとも竹島=独島の西島頂部の三角形が見えることにな
る。
(つづく)
これは メッセージ 3379 (guiseinoyuu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3514.html
>三峯島探査
投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/01 01:40 投稿番号: [3513 / 18519]
に強い証拠性を持ってると思っているみたいですが、客観的に考えて無理だと思います。
もちろん三峯島が竹島の可能性を100%否定するわけではありませが、証拠性は皆無です。
先にAHOさんが貼り付けたリンクの上側の写真を見てください。
http://www.ullungdo.com/dokdo/summary.htm地図と照らし合わせると西から若干南よりから取った写真に見えます。
つぎに成宗実録、以下は半月氏のHPからの抜粋です。
「25日に島の西方7,8里(2.8-3.2km)に到着し停泊して観察しました。
島の北側に三つの岩が並び立ち、次には小島、次には巌石が並び立ち、次には
中島があります。
中島の西側にはまた小島があり、全て海水が通じ流れています。また、海
と島の間には人形のようなものが30ほど並び立っており、不思議に思い恐れ
て直には接岸できず、島の形を絵に描いて持ち帰りました」
全く風景が違いますね。ですので証拠性は全く議論の対象にはならないと思われます。
これは メッセージ 3502 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3513.html
訂正
投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/01 01:17 投稿番号: [3512 / 18519]
投稿番号2004は投稿番号3494の間違いです。
これは メッセージ 3511 (dennpashounenn さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3512.html
AHOさん
投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/01 01:14 投稿番号: [3511 / 18519]
返事がありませんのでもう一度
>由来記には「その後大猷院(徳川家光)様御代、竹島海道にて松島と申す島を見出し、御注進申奉り候えば、竹島の通り支配御許し遊ばされ、右両島へ渡海仕り来り・・・」と記されている。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~koukokutenbo/asahi-sinnbunn.htm松島の支配を許すとあることについて異存はありませんか?
依存がないならば投稿番号2004でAHOさんが指摘している外務省に対する2項目
1.松島に渡海する免許
許可されたと「竹島渡海由来記拔書控」にある。
2.当然、許可の史実があれば再確認で問題ない。
で、よろしいですか?
よろしければ投稿番号2004の撤回をお願いします。
もちろん異存があるなら、根拠をお願いします。
これは メッセージ 3501 (dennpashounenn さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3511.html
三峰島 VI
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/01 00:12 投稿番号: [3510 / 18519]
これは メッセージ 3507 (Gaenara さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3510.html
>三峰島探索
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/31 23:41 投稿番号: [3509 / 18519]
>三峯島探索については、国王への正式な報告である「啓」で民間人が居住していないことが確認されています。居住していれば、危険を冒してでも民間人を連れ戻す必要があるので兵船を連ねて行ったのです。これは自国領土への司法権の行使に他なりません。
おそらく、それで正しいと思います。鬱陵島ですから。実録などに記された三峰島は、くり返しますが、鬱陵島にほかなりません。
これは メッセージ 3492 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3509.html
防衛庁長官の発言
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/01/31 23:35 投稿番号: [3508 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3508.html
三峰島 V
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/31 23:33 投稿番号: [3507 / 18519]
これは メッセージ 3498 (Gaenara さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3507.html
阿呆(AHO)へ
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/31 23:22 投稿番号: [3506 / 18519]
お前が「日本の外務省は嘘吐きです」と言い出す時は、お前が窮地に陥って話題を変えようとする時なんだが。(笑)
これは メッセージ 3494 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3506.html
>成宗実録
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/31 21:49 投稿番号: [3505 / 18519]
ソウル大学の奎章閣サイトにこんなに便利なのがあることは知りませんでした。これは大感謝です。ありがとうございます。ただ、確かに骨が折れますね…。巻数がはっきりしているものでないと、ぺらぺらめくって探すというのは無理でしょうね。
>成宗3年には難破して三峯島には至っていませんが、成宗7年には三峯島沿岸に到達しています。
先にご提示の引用文に「成宗二年有告別有三峯島者乃遣朴宗元往見之」とありましたので、それについてレスしました。もちろんこのとき三峰島には行っていません。
次の成宗7年のことですが、これはまず金漢京らが島に行って上陸せずに帰り、その後に金漢京および金自周らが調査に出かけましたが、この前者のことを仰っていらっしゃるのでしょうか。
前者も後者も鬱陵島でしょう。そもそも金漢京が以前に漂着したのは鬱陵島だったわけかと思います。
これは メッセージ 3502 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3505.html
韓国グーグルに登録しました。
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/01/31 21:32 投稿番号: [3504 / 18519]
これは メッセージ 3496 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3504.html
>>三峰島(金漢京部分)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/31 21:24 投稿番号: [3503 / 18519]
>金自周の三峰島探索には幾度も鬱陵島を訪れている金漢京が同行しています。
金漢京が何を言っていたか言葉を引用して見ましょうか。
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諭永安道観察使鄭蘭宗曰 金漢京言 在慶興 遇清明日 可望見三峯島 自会寧 向東舟行七昼夜而到 向北行四昼夜而還 前年遣人 往尋茂陵島 自蔚珍 向東舟行一昼夜而到 西行三昼夜而還. 其所言地勢 有可疑者 世伝茂陵島之北 有蓼島 無一人往還者 是亦可疑 卿 更訪問沿海古老舟人 詳究以啓 海路険悪 今若遣人尋求 宜募願行者 人言邊民 逃賦 往投 不可置而不問 亦不可以難信之言 渉険冒危 或致傾敗 卿其審情 度勢以啓 (成宗実録:成宗4年)
------
-
金漢京は咸鏡北道から「三峰島」が見えるとしていますが、果たして本当に見えるでしょうか。その程度の認識だったのでしょう。また彼は何度も「独島」へは行っていないでしょう。おそらく一度も。三峰島だと思って行ったのはほかでもなく鬱陵島だったことでしょう。
なお、ここに出ている「前年遣人 往尋茂陵島 自蔚珍 向東舟行一昼夜而到 西行三昼夜而還」は朴宗元の探索のことでしょうか。
これは メッセージ 3470 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3503.html
成宗実録
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 21:05 投稿番号: [3502 / 18519]
これは メッセージ 3499 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3502.html
>>>追加です
投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/01/31 20:59 投稿番号: [3501 / 18519]
先の私の投稿にある通り
>(松島も)竹島の通り支配御許し遊ばされ
でよろしいんですね?
渡海禁止が竹島のみなのか松島も含むのか、または朝鮮国が竹島のみに抗議したのか松島にも抗議したのかは別に議論が必要でしょう。ここでは松島(現竹島)に対して幕府が渡海許可を与えたことをAHOさんに確認できたと思っても宜しいですか?
2.赤水図の件
了解しました。ありがとうぞざいます。
3.4.
三峯島探索についてはあまりにも弱い証拠と言わざるをえません。贔屓目な推察が必要に感じます。
これは メッセージ 3492 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3501.html
うぅ
投稿者: snowwhiteleader 投稿日時: 2004/01/31 20:50 投稿番号: [3500 / 18519]
なんか松島と竹島を混同してたかも。。。
これは メッセージ 3497 (snowwhiteleader さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3500.html
>>>>三峰島(地理誌部分)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/01/31 20:41 投稿番号: [3499 / 18519]
>三峯島探索以降は地理誌にも「成宗二年有告別有三峯島者乃遣朴宗元往県之因風濤不得泊而還同行一船泊鬱陵島只取大竹鰒魚回啓云島中無居民矣」と記されるようになるなど二島説が定着するのは明らかです。
ご紹介の地理誌は知りませんが『新筯東國輿地勝覽』に全くの同文が見られます。それを念頭においてレスします。「県」→「見」ですね。
まず、これは朴宗元に命じて三峰島にこれを見に行かせたが風濤が船をつけられるほどでなく戻ってきたという話でしょう。朴は三峰島を見ていないのです。ただ、探索に行ってそれに失敗したに過ぎません。根拠は以下の通りです。
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-
三峯島敬差官朴宗元 與所領軍士 分乘四船 去五月二十八日 自蔚珍浦發去 即遇大風四散 朴宗元之船 東北去 二十九日平明 向東南望見武陵島 可十五里 復遇大風 船纜絶 漂流大洋中 不知東西者七晝夜 本月初六日午時 到杆城郡芿簡津 司直郭永江等三船 去五月二十九日 至武陵島留三日 搜索島中 不見居人 只有舊家址而已 島中有竹 其大異常(成宗実録:成宗3年)
------
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朴は明らかに三峰島を見ていません。鬱陵島を東南に見て6kmの距離。そこから漂流したのであり、他船は鬱陵島で調査したに過ぎません。
二島説はちなみにこの時期からは定着したとは思いません。私は以下の資料をどう捉えるべきかよく知りませんが、いずれにしてもこの頃はまだ正確なことは何もわからず、結局三峰島という名称は鬱陵島を指すものとして理解されていったのではないでしょうか。
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(三峰島…アヒル注)前者往来者 或云遥見 或云不得見 莫辨真偽 今也 遣人捜覓 如終無此島 則将初発言金漢京輩 明其 語惑衆之罪 置之極刑 伝屍一道 以示衆目 則愚民亦知三峯島之必無 而其胥動之惑 自解.(成宗実録:成宗12年、永安道監察使)
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これは メッセージ 3473 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3499.html
三峰島 IV
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/31 20:34 投稿番号: [3498 / 18519]
これは メッセージ 3495 (Gaenara さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3498.html
>いいえ
投稿者: snowwhiteleader 投稿日時: 2004/01/31 20:26 投稿番号: [3497 / 18519]
あなたの主張通りに奉書が最初から存在しないなら、「竹島渡海由来記抜書控」の筆者は、でたらめを書いたことになります。
>ごきげんよう。
ご返事をお待ちしております。
これは メッセージ 3493 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3497.html
韓国語版「三国史記」 堂々完成!
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/01/31 20:22 投稿番号: [3496 / 18519]
2ちゃんねらーの皆様にお願いです。
下記のHPを韓国の主要BBSに行って貼り付けて下さい。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/Takeshima/今までは全文章をGIF形式にしていましたが、どの大きさのモニター
にも対応させるために、漢文は一フレーズごとに区切りました。
日本語(漢字)と韓国語を混合させると文字化けが起き易くなりますが、
このHPは文字化けせずに日本人の皆さんにもご覧頂けると思います。
しかもハングルは漢文と違ってGIF形式ではないので、コピー&ペースト
も可能になり、使い勝手が格段に良くなっています。
次回は「三国遺事 in 13世紀」を作成します。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3496.html
三峰島 III
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/01/31 20:16 投稿番号: [3495 / 18519]
追って、韓国側の主張の矛盾に言及すると、「西距島七八里許到泊 望見」を「独島」の西、七八里の位置から望見と無理して読んでも、今の「独島」の地形から「於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島」は現実と矛盾しているのは明白。 「独島」の「西島」を「中島」まではいいが、「独島」の「東島」に対する表記がないからだ。
逆に「西距島七八里許到泊 望見」を「独島」の東、七八里の位置から望見と読む場合は、「中島之西又有小島」と言っても「西に小島が有る」のは見えないし、ここでも「独島」の「東島」に対する記述が見当たらない。
拠って、「三峰島」は韓国側が主張する「独島」ではなく鬱稜島であると言える。(笑)
http://www.tokdo.co.kr/kor/tokdo/tokdo_geograph.htm
これは メッセージ 3478 (Gaenara さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3495.html
改訂版「日本外務省の妄言」
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 20:11 投稿番号: [3494 / 18519]
日本外務省の妄言
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/『1650年代に伯耆藩(鳥取)の大谷、村川両家が「松島」を幕府から拝領し経営していたという記録があり』とあるが、これは大嘘。
幕府が町民である大谷・村川両家に領地を与えた記録は存在しない。松島に渡海する免許すら与えていない。
『1905年(明治38年)2月には、閣議決定及びそれに続く島根県告示により、日本政府は近代国家として竹島を領有する意志を再確認。』も嘘。
明治政府発足当初の地籍編纂では版図外とされたので「再確認」はできない。
日本の外務省は嘘吐きです。
これは メッセージ 3471 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3494.html
いいえ
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 20:09 投稿番号: [3493 / 18519]
単に貴殿の意見を全否定しているだけです。
ごきげんよう。
これは メッセージ 3491 (snowwhiteleader さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3493.html
>>追加です
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 20:07 投稿番号: [3492 / 18519]
1.「竹島渡海由来記拔書控」の件
ここで変化球を投げるならば、松島へ渡海するのに竹島渡海免許だけで事足りるのならば話は簡単で、元禄時代の「竹島一件」で松島も同時に放棄したことになりかねませんので、他の日本領派諸君ともよく相談して下さい。
2.赤水図の件
これは指摘のとおり、無彩色である地方は外にもあるようです。
愚生の外務省批判のうち、この部分に関してのみ撤回します。
3.4.
国家によらなくとも、地方政府の領有であっても有効でしょう。
現代の民主主義社会以前には、領土は領主の財産でした。
このことを承知の上で議論して頂きたいものです。
経営云々については、領土問題とは別議論ですね。
三峯島探索については、国王への正式な報告である「啓」で民間人が居住していないことが確認されています。
居住していれば、危険を冒してでも民間人を連れ戻す必要があるので兵船を連ねて行ったのです。
これは自国領土への司法権の行使に他なりません。
本日は、思いの外楽しませて頂きました。
ごきげんよう。
これは メッセージ 3490 (dennpashounenn さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3492.html
>いいえ
投稿者: snowwhiteleader 投稿日時: 2004/01/31 19:52 投稿番号: [3491 / 18519]
タイトルにある「いいえ」が、私の質問に対するあなたの返答ですか?もしそうならあなたは奉書があったと認めたことになるのですが。
これは メッセージ 3489 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3491.html
>追加です
投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/01/31 19:40 投稿番号: [3490 / 18519]
1.「竹島渡海由来記拔書控」の件
私、中身を読んだことがありません。AHOさんは読まれてるみたいですので、そのソースを示していただければありがたいです。
ただし、ここに
>由来記には「その後大猷院(徳川家光)様御代、竹島海道にて松島と申す島を見出し、御注進申奉り候えば、竹島の通り支配御許し遊ばされ、右両島へ渡海仕り来り・・・」と記されている。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~koukokutenbo/asahi-sinnbunn.htm支配を許すとあることを指摘しておきます。
2.赤水図の件
日本列島の中にも無彩色である地方は多くあります。これをもって竹島が朝鮮領との認識は詭弁としか感じられません。
3.4.
国家による意思のみが領有とはならないと思われます。民族による長い間の経営こそが最終的にその民族が作る国家の領有になって行くのだと思います。
最後に三峯島探索の件では、上陸していないようですね。探索した島が竹島かどうかも推察の域を出ない上に上陸もしていないのであれば竹島の領土問題での価値は低いと考えております。
よしんば三峯島が竹島としても経営をしていないのであれば無主地のままだと判断するべきでしょう。
これは メッセージ 3484 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3490.html
いいえ
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 19:37 投稿番号: [3489 / 18519]
大谷家で大切に保管されてきた「竹島渡海由来記抜書控」には奉書を受け取った記録でもあるのでしょうか。
是非お示し願いたいものですが、愚生の知る限り、そのような記録は存在しません。
これは メッセージ 3488 (snowwhiteleader さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3489.html
>最初から存在しない
投稿者: snowwhiteleader 投稿日時: 2004/01/31 19:16 投稿番号: [3488 / 18519]
では、あなたは「竹島渡海由来記抜書控」の筆者は、ありもしない「奉書」を控えたといいたいのですか?
これは メッセージ 3486 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3488.html
松島渡海免許
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 19:06 投稿番号: [3487 / 18519]
そもそも外務省HPでは、「記録が存在する」と大嘘を吐いているわけです。
念のため再度指摘しておきます。
これは メッセージ 3486 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3487.html
最初から存在しない
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 19:04 投稿番号: [3486 / 18519]
「竹島渡海由来記拔書」はどこまでも私文書です。
記述を裏付ける幕府発行の「奉書」が存在しなければ可笑しいでしょう。
幕府から承った奉書であれば大切に保管するでしょうし、事実鬱陵島(竹島)については奉書が存在しますが、獨島(松島)については何も存在しません。
そもそも初めから無かったのでしょう。
これは メッセージ 3485 (snowwhiteleader さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3486.html
>安永八年
投稿者: snowwhiteleader 投稿日時: 2004/01/31 18:55 投稿番号: [3485 / 18519]
>「松島渡海免許」は存在しません。
>有るものなら拝見したいですね。
焼失してしまったから存在しないのと、最初から存在しないのとでは大違いですが、あなたはどちらの意味で存在しないと言っているのですか?
これは メッセージ 3482 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3485.html
追加です
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 18:54 投稿番号: [3484 / 18519]
9-72-1,9-72-2も赤水図のようです。
1.「竹島渡海由来記拔書控」の件
よい所に着目しました。
確かに松島について言及されておりますが、松島渡海を免許する奉書は発行されておりません。
何某かの関与があった傍証にはなるであろうと思われますが、外務省のHPにあるような「拝領し経営していた」証拠にはなり得ないでしょうね。
2.赤水図の件
正確には、手彩色の図にあって朝鮮国同様に無彩色である点を指摘しておきましょう。
3.領有意志について
愚生が問題にしている国家による領有の意志です。
4.三峯島探索の件
こちらは国家による探索事業です。
また、国法を徹底させるために、民間人が居住しているのならば連れ帰る使命も帯びていました。
これは メッセージ 3483 (dennpashounenn さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3484.html
返事どうもです。
投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/01/31 18:41 投稿番号: [3483 / 18519]
>「松島渡海免許」は存在しません。
そのようですね。焼失してるようです。
しかし、「竹島渡海由来記拔書控」なるものが存在しているようですがいかがでしょうか?
>赤水図
ご指摘の地図を見ても、先の貴殿の投稿の
>この図では獨島は朝鮮国(当時)と同色で表現されている。
とは理解できませんがいかがでしょうか?
>領有意志の再確認問題
江戸時代に日本人が何度も上陸したことは明白とおもわれますが、領有とは関係ないとのご指摘なので、
先の話題である朝鮮人の三峰島探索で上陸(こちらは多分に推測の域ですが)したかどうかも領有に関係ないとの確認でよいでしょうか?
これは メッセージ 3482 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3483.html
安永八年
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/01/31 18:22 投稿番号: [3482 / 18519]
即ち1779年。
日本人なら、日本の年号くらいは自分で確認して下さい。
この時代の赤水図は9-72-3,9-72-4,9-72-5
その余の根拠
1.大谷家の問題
「松島渡海免許」は存在しません。
有るものなら拝見したいですね。
2.領有意志の再確認問題
1905年よりも前にリャンコ島を領有した事実はありません。
これも、有るのならば拝見いたしましょう。
これは メッセージ 3481 (dennpashounenn さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3482.html
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