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出口調査
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/15 23:59 投稿番号: [2012 / 3669]
>事前の世論調査やKBS出口調査の予想さえ大きく覆してしまった。
出口調査とずいぶん差が大きいんだけど、こんなことってありうるんだろうか。
出口調査に答えた人が嘘ついた?
何のために?
これは メッセージ 2011 (trek022 さん)への返信です.
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ハンナラ健闘
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/15 22:24 投稿番号: [2011 / 3669]
開票はまだ完全には終わっていないが、テレビのニュース速報では現在、ウリ党152議席、ハンナラ党122議席、民主党、民労党各9議席などとなっている。
選挙戦が始まる前にはハンナラの選対責任者は100議席自信ないといっていたが、予想を大きく上回る議席を獲得しつつある。得票率でもウリ党に迫っている。事前の世論調査やKBS出口調査の予想さえ大きく覆してしまった。さすがに韓国国民もウリ党一色になってしまうことを警戒したのだろう。
これでは「ハンナラ群小政党転落」どころか、ウリ党とハンナラ党の2大政党制になってきた。パク・クネ効果は絶大なものがある。
これは メッセージ 2010 (trek022 さん)への返信です.
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KBS出口調査結果
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/15 19:25 投稿番号: [2010 / 3669]
これは メッセージ 2009 (trek022 さん)への返信です.
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>ウリ党圧勝!!!
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/15 19:09 投稿番号: [2009 / 3669]
まだ正式の開票結果は出ていないが、予想通りウリ党が地すべり的勝利を収めた模様です。
また韓国のマスコミは今回の総選挙では金権がほとんど影を潜め、韓国史上希に見る公正な選挙が実現されたと自画自賛しています。
国民の関心も高く、投票率は60%を越えた模様。
>これから本格的な正義・民主の歴史が
始まります。
北朝鮮も韓国国民に投票を呼びかけたウリ党が勝利した以上、平壌の将軍様も祝杯をあげているでしょうね。
これは メッセージ 2008 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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ウリ党圧勝!!!
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/15 18:23 投稿番号: [2008 / 3669]
犬鍋さん、残念ですね。
貴下の好みのハンナラ親日派・
軍事クデター党は
群小政党へ転落しましたね。
これから本格的な正義・民主の歴史が
始まります。(マンマンセ)
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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野口シカの手紙
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/15 12:49 投稿番号: [2007 / 3669]
円谷幸吉の遺書も泣けるけど,野口英世の母,シカの手紙も泣ける。
http://tekipaki.jp/~gon/park/material/haha1.gifシカは,この手紙を書くために,文字を習ったそうだ。
野口英世の母シカの手紙
明治45年1月21(3?)日付
おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけ(驚ろき)ました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。よこもり(夜篭り)を。いたしました。
べん京なぼでも(勉強いくらしても)。きりかない。
いぼし。ほわ(烏帽子=近所の地名 には)こまりおりますか。
おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。
はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドか(どうか)はやく。きてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにこきかせません。それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。
はやくきてくたされ。
はやくきてくたされ
はやくきてくたされ。
はやくきてくたされ。
いしよ(一生)のたのみて。ありまする。
にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ。しております。
きた(北)さむいてはおかみおります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。
ついたち(一日)にわしおたち(塩絶ち)をしております。
ゐ少さま(栄昌様=修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。
なにおわすれても。これわすれません。
さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。
はやくきてくたされ。
いつくるトおせて(教えて)くたされ。
これのへんちちまちて(返事を待って)をりまする。
ねてもねむれません。
これは メッセージ 2001 (bosintang さん)への返信です.
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手前は戦争のときに生まれたら
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/15 09:55 投稿番号: [2006 / 3669]
よかったのに。
時代を遅れて生まれたのか。
まぁ、そのときだって
神風特攻隊で米軍艦にぶつかり
「天皇陛下バンザイ!」と
叫んでは死んでいるはずだが。
それが価値のある死だった
だろうか。
しかし口ではそうだといっても
実際そういう状況になると
一番早く逃げるはずだ。
本来口だけうるさい奴に限って
さっさと逃げるんだからね。(爆)
これは メッセージ 2004 (shinkuuboakagi00 さん)への返信です.
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自殺は自慢じゃない
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/15 09:49 投稿番号: [2005 / 3669]
手前のカキコでは自殺を賛美するように
聞こえる。
三島由紀夫も軍国主義復活を
主張して切腹したが。
お陰で日本は世界でも見事な
右翼軍国国家になったね。
過去事で学ばない民族に発展は無い。
あの選手の場合、社会と国家が
死へ押しかけたような感じだね。
いわば国家や国民が加害者というか。
これは メッセージ 2002 (shinkuuboakagi00 さん)への返信です.
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別カテでチョンカン氏の応援で
投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2004/04/14 23:52 投稿番号: [2004 / 3669]
忙しかったなあ。
憲法は、それが作られた時点での現状追認の宣言文だよな。
それで、憲法の変遷などいう理論がでてくる。
中央大の橋本教授あたりは、この理論で、自衛隊は合憲になった、などといっているが、東大の芦部一派はこの理論に反対している。
これは メッセージ 2003 (kdm0709 さん)への返信です.
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赤城よ!靖国参拝違憲で切腹したんかと
投稿者: kdm0709 投稿日時: 2004/04/14 23:41 投稿番号: [2003 / 3669]
これは メッセージ 2002 (shinkuuboakagi00 さん)への返信です.
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自衛隊員だったことも大きかったのでは
投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2004/04/13 20:09 投稿番号: [2002 / 3669]
ないかとおもいます。当時でも、民間出身の選手が同じ状態に陥ってら自殺してただろうか、おそらくはそうではなかろうと思います。
私が自衛隊・自衛隊員を信頼する理由の一つが、円谷選手ですね。
これは メッセージ 2001 (bosintang さん)への返信です.
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円谷幸吉の遺書
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/13 19:23 投稿番号: [2001 / 3669]
これは メッセージ 1999 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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知ってます
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/13 17:40 投稿番号: [2000 / 3669]
トレックより
トラックのほうが
おもしろそうで。
ははは。
これは メッセージ 1998 (trek022 さん)への返信です.
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柳美里の「自殺」
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/13 17:37 投稿番号: [1999 / 3669]
エッセイですね。
在日作家として学校の時代、数回
自殺を敢行、失敗したものの
「自分にとっては自殺は
進行形だ」と述べてます。
まぁ、在日なのでイジメの対象
だったのは可哀相だとは
思いますが。
(私は在日で生まれなくて
親に感謝をすべきか)(爆)
その内容中には日本の
オリンピックマラソン出戦予定
だった選手が国民全体からの
期待から派生した重圧感に
勝てなく、首の動脈を切って
自殺し、残した遺書を引用した
部分があります。
「お兄さんに奢っていただいた
お寿司、美味しゅうございました」
悲しかったにだ。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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あの、、
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/13 14:04 投稿番号: [1998 / 3669]
トラック(truck)ではなく、トレック(trek)です。
よろしくお願いします。
これは メッセージ 1995 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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Re:岡真史『岡真史詩集 ぼくは12歳』
投稿者: saru_timbanco_v6_turbo 投稿日時: 2004/04/13 14:03 投稿番号: [1997 / 3669]
>>1996
ご紹介、ありがとうございました。
うーん、何か書きたいのですが、言葉にならないです。
これは メッセージ 1996 (bosintang さん)への返信です.
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岡真史『岡真史詩集 ぼくは12歳』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/13 13:24 投稿番号: [1996 / 3669]
これは メッセージ 1989 (saru_timbanco_v6_turbo さん)への返信です.
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トラックさん、詳しいですね
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/13 12:28 投稿番号: [1995 / 3669]
探索実力があるというか。
これは メッセージ 1988 (trek022 さん)への返信です.
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>雨降る永東橋
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/13 11:32 投稿番号: [1994 / 3669]
橋名が永東橋だったのね。
サンクス。
華僑だけどハーフじゃないかな。
彼女のお父さんだけが
中国人だと覚えてますが。
これは メッセージ 1990 (kdm0709 さん)への返信です.
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>雨降る永東橋
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/12 22:19 投稿番号: [1992 / 3669]
「嶺東橋」と書くとソウルのような感じがしなくて、調べてもはっきりしなかったのですが、「永東橋」と書くと何となくソウルにそんな橋があったのを思い出しました。
>華僑
周は中国の姓ですね。ただ鉉美(ヒョンミ)は完全に韓国の名前ではないでしょうか。
これは メッセージ 1990 (kdm0709 さん)への返信です.
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>>>詩「雨の降る品川駅」
投稿者: kdm0709 投稿日時: 2004/04/12 21:04 投稿番号: [1991 / 3669]
それにしても、発表の際、お上の目に触れて、
ただ伏字にされるだけで、なんの咎めもなかったんでしょうか。
不敬罪とかに問われてもおかしくないと思うのですが。
これは メッセージ 1985 (trek022 さん)への返信です.
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Re:高史明『生きることの意味』①
投稿者: saru_timbanco_v6_turbo 投稿日時: 2004/04/12 19:40 投稿番号: [1989 / 3669]
>>1977
中学生くらいのときに読んだ記憶があるけど、
子供向けに編集されていたのか、敗戦の下りは記憶に無いです。
この人、息子さんを自殺か何かで亡くしてませんでしたっけ。
これは メッセージ 1977 (bosintang さん)への返信です.
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>雨の降る嶺東橋
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/12 18:49 投稿番号: [1988 / 3669]
これは メッセージ 1986 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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あの主人公のお父さんは
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/12 15:06 投稿番号: [1987 / 3669]
親日派じゃなく民族自尊心を
守ろうと努力する方ですね。
冬、雪が降り全てが隠れて
銀世界になってもただ一つの
緑を発し独夜青々な松木の
ように。
尊敬すべき方だと存じます。
これは メッセージ 1979 (bosintang さん)への返信です.
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雨の降る嶺東橋
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/12 12:41 投稿番号: [1986 / 3669]
夜雨降る嶺東橋をひとり歩く心。
あの人は知らないよ知る分けないよ。
雨に濡れ悲しみに濡れ痛みに濡れ、
止め処もなく迷う夜雨降る嶺東橋。
忘れようとしても忘れられないのは
未練未練未練のためでしょうね。
わるいですね。これは20年前
韓国で流行ったはやり唄の歌詞ですね。
歌手は薬剤師出身の周賢美。
バス運転手さんの18番でした。
これは メッセージ 1985 (trek022 さん)への返信です.
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>>詩「雨の降る品川駅」
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/12 12:02 投稿番号: [1985 / 3669]
1923年の関東大震災から数年以内に作られた作品なので、過激になるのもやむをえないでしょう。
文学理論ではいろいろ理屈をこねていますが、この詩には関東大震災における朝鮮人虐殺が大きく影を落としているとみています。
なお、1926年にこの詩が発表された時は検閲のため赤字部分は伏字になっており、伏字は朝鮮語訳から復元されたという因縁があります。
http://www.sinsyakaibunka.com/poem3.htm
これは メッセージ 1984 (kdm0709 さん)への返信です.
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>詩「雨の降る品川駅」
投稿者: kdm0709 投稿日時: 2004/04/11 22:18 投稿番号: [1984 / 3669]
こんな過激な内容だったとは、いやはや。
これは メッセージ 1982 (trek022 さん)への返信です.
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シドニーブルース−19−営業マンの哀歓
投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2004/04/11 17:15 投稿番号: [1983 / 3669]
最初オーストラリアに来て英語学校に通いながらアルバイトを探してみたがなかなか見当たらない。昼間には学校に行かなきゃならないので夕方の仕事や週末にしかできないのに当時は豪州経済が急転直下だったので外国学生がこうした職業を取るのはほとんど不可能だった。女ならアソコ商売でもできたかな。持参金は毎日減っていくのでだんだん不安になって未来に対する心配で目の前が暗くなるほどだった。
クラスメイトの中に背は低くあちこちよくうろつき回る韓国人男がいた。それからインドネシアから来た女の子がいたのに見るだけで漏れてしまう。中国系なので色白に淫談が上手くて人気があった。金持ちなのか毎日ファッションが変り昼食代でめちゃくちゃ高級食にお金を使う。家からサンドウィッチを持って来たり1ドル50セントの食事で過ごす我々にとっては気落すことだった。この男、結婚したくせに物凄く女好きで後ろを付いていくので男同士で争奪戦が開かれ同じクラスの日本の男が従業中にもこの女の子の傍に座って冷かしする。日本の男は自国政府が与える奨学金で通うので毎日女の子たちと遊びばかりだった。筆者があの韓国人男に「結婚したくせになんでそんなに他の女を誘うのか」と聞いたらば「知らないのか?肉も食べてみた人がその味が分かるのだ」と答えるのだ。
この韓国人男が偶然に韓国人が経営するカーペットクリニング会社で営業をするするようになったと学校に来て騒いで一緒にやろうと誘った。ある土曜日その男が教えてくれた住所を持ってバスと電車を乗換え、遠くまで乗っていったらば社長に出会ってその日から働くことになった。仕事の内容なあちこちノックして主人が出ると会社のクリニング方式を説明して注文を受けて来たらその分のコミションをもらう。文字とおり door to door sale である。そしたら約束した洗濯の日にクリーナーが装備を車に載せていってカーペットを洗ってやるのだ。
仕事は先ず会社に営業マンが集まってミニバスに同乗、その日の目的地まで走る。作業番長兼運転手さんがその地域の地図をみせて各自に営業区域を分割して配当する。さて金持ちの密集した良い地域は白人営業マンたちが全部取り、我々は貧乏の地域や家もほとんどない果てしない大平原に降ろす。そのときから夕方バスが乗せにくるまで足が痛いほど歩き回り注文を受けなければならない。
オーストラリアの個人家屋は垣は高くない。しかし大概猛々しい犬を育てる所が多く注意しないと噛まれる。そしたら治療費がかかる。当時の海外留学生は医療保険がなかったので怪我したら自費治療するしかないので出血が大きくて緊張しなければならない。前門を開けて庭を渡って玄関門を叩くと主人が出て来る。筆者もそうだったけど家に営業マンが訪ねると大体面倒臭がるし嫌がる。しかも黒い髪の毛をした東洋人が来てはクリニングしろとせがむと露骨的に軽蔑し無視する顔をする。追い出されるのは茶飯事で人間より猛々しい犬に後ろつけられ逃げるケースがほとんどである。朝から夕方まで百軒を訪ねても一件もできず足だけ腫れてバスが来るのを待つ。
帰るバスの中で白人たちがその日いくら稼いだと誇ると腹が立つ。会社の立場では良い地域はプロが担当してたくさん注文を取って来るので同じ韓国人だから良い所に降ろせといってくれるはずがないし地域配当は番長所管なのでどうしょうもできない。社長の家に着いて夕飯を奢ってもらい逆順で電車、バスの順序で乗って家に帰ってきたら赤字である。
ある日にはルームメイトを連れていった。この男は営業術がいいせいか初日から2―3件注文を受けて来た。帰るバスの中で皆その日のことを話しながら笑うのに、この男曰、ある家に入って一所懸命説明して注文を請じたところ、主人のお婆さんがじっと考えた後、「英語をもっと勉強して来い」といったそうだ。多分拒否する名分を考えたのではないか。6ヶ月間歩いていたら夢の中でも注文を受けに歩き回ってる自分を発見したこともある。その間ポケットには一銭なしだったけどそれでも学んだことはある。それは英語話術、地域民たちの生活相およびガッツというか。みんな嫌がる営業マンになり彼らの哀歓を体験してみるのもわるくなかった。
事務所で働きながら各種セールズマンが頻繁に来るけど高くなく余裕があればできるだけ買ってやっている。そのわけで筆者の事務所にはほとんど使わない道具や絵の枠などがいっぱいある。筆者にはじめにその仕事を紹介したあの男は大学院で学位をとり韓国に帰っては今は某大学の教授になっている。数年前、路上で偶然に会ったところ、一年間シドニー大学で交換教授として来ては毎日ゴルフ場で暮らすそうだ。ホールにパーティングするとき、女の子を攻略する気持ちでやってるのでは。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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詩「雨の降る品川駅」
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/10 15:33 投稿番号: [1982 / 3669]
よく憶えてますね。既出でしたか。
ついでに中野重治「雨の降る品川駅」(1926年発表)も紹介しておきます。(これも既出かどうか知りませんが)
韓国語で「ピ
ネリヌン
シナガワ
ヨク」というとなんとなく感じがでます。
雨の降る品川駅
御大典記念に
李北満・金浩永におくる
辛よ
さようなら
金よ
さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する
李よ
さようなら
も一人の李よ
さようなら
君らは君らの父母の国に帰る
君らの国の河は寒い冬に凍る
君らの反逆する心は別れの一瞬に凍る
海は雨に濡れて夕暮れのなかに海鳴りの声を高める
鳩は雨に濡れて煙のなかを車庫の屋根から舞い下りる
君らは雨に濡れて君らを追う日本の天皇を思い出す
君らは雨に濡れて
彼の髪の毛
彼の狭い額
彼の眼鏡
彼の髭
彼の醜い猫背を思い出す
降りしぶく雨のなかに緑のシグナルは上がる
降りしぶく雨のなかに君らの黒い瞳は燃える
雨は敷石に注ぎ暗い海面に落ちかかる
雨は君らの熱した若い頬の上に消える
君らの黒い影は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえる
シグナルは色をかえる
君らは乗り込む
君らは出発する
君らは去る
おゝ
朝鮮の男であり女である君ら
底の底までふてぶてしい仲間
日本プロレタリアートの前だて後ろだて
行ってあの堅い
厚い
なめらかな氷をたたき割れ
長く堰かれて居た水をしてほとばしらしめよ
そして再び
海峡を躍りこえて舞い戻れ
神戸
名古屋を経て
東京に入り込み
彼の身辺に近づき
彼の面前にあらわれ
彼を捕え
彼の顎を突き上げて保ち
彼の胸元に刃物を突き刺し
返り血を浴びて
温もりある復讐の歓喜のなかに泣き笑え
http://www.sinsyakaibunka.com/poem3.htm
これは メッセージ 1981 (bosintang さん)への返信です.
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>「光の中に」
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/10 15:14 投稿番号: [1981 / 3669]
これは メッセージ 1980 (trek022 さん)への返信です.
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金史良(キム・サリャン)
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/10 15:05 投稿番号: [1980 / 3669]
戦前、小説「光の中に」で芥川賞候補になりながら、延安に脱出、朝鮮戦争に従軍中死亡した金史良。
小説「光の中に」は電子文庫で全文読める。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000252/card1398.html作家略歴
Kim Sa-riang。1914(大正3)年3月3日、日本の統治下の朝鮮、平壌(ピョンヤン)の裕福な家庭に生まれる。本名は金時昌。1931(昭和6)年、平壌高等普通学校五年生に在学中、朝鮮各地で起こっていた反日学生闘争に呼応する同盟休校事件に関与し、退学となる。その後、日本に渡り、旧制佐賀高等学校に入学したころから、執筆活動を開始。東京帝国大学卒業と相前後して執筆した「光の中に」が 1940(昭和15)年前期の芥川賞候補作となる。1941(昭和16)年12月、日米開戦とともに拘束、翌年、釈放後、朝鮮に帰る。1945(昭和20)年春、日本軍に徴用された朝鮮出身兵の慰問団の一員として中国に赴いた際、脱出し、朝鮮義勇軍に参加。1950(昭和25)年、朝鮮戦争が勃発し、アメリカ軍の上陸に遭って朝鮮人民軍が撤退する中、持病の心臓病が原因で行方不明となり、死亡したと推定されている。代表作は「光の中に」のほか、「天馬」「草深し」など。
これは メッセージ 1979 (bosintang さん)への返信です.
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③
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/10 14:00 投稿番号: [1979 / 3669]
その後,主人公は貧困と差別に苦しみながら,戦況悪化の中,最後の救いを「天皇」に見いだすようになる。そして,天皇のために人間魚雷に乗る決意をする。
「わたしは,特攻隊になるという思いのなかに,出口のないどうどうめぐりを断ち切るいとぐちを見つけたのです。それはこの戦争のはじまりの時期に,日本人じゃない日本人として生まれて,この戦争に育てられてきたわたしが,一人でありあまる苦しみを打ち破ろうとしたとき,すでに末期にさしかかっていた戦争から,最後に差し出されたたった一つの恐ろしい出口だったといえるでしょう。
ことばを換えて言うと,それは戦争が,その戦争を否定することを知らない人間につきつける最後の結論であり,また,この戦争の中で生まれ,この戦争の中でのみ育てられてきたわたしが,最後にもつことのできた,たった一つの出口だったのです。」
しかし,突然,日本は負ける。
「それにしても,三〇年前,わたしがそこから出発せざるをえなかった混沌は,なんと深いものだったことでしょう。敗戦という現実は,わたしを死から解放してくれたのですが,戦争にあまりにも深くおかされていたわたしには,この死からの解放が,すぐにはけっして喜びにならなかったのです。死ぬ必要がなくなって,かえって生きていることが不安になったともいえるでしょう。しかもこの不安は,その当時の大きな混乱に包まれ,もみくちゃにされる運命にあったのでした。死のせとぎわまで連れられていった者が,急に死ぬ必要がなくなったからと言われて,すぐに生きる道を見つけ出すことができるものでしょうか」
「あの当時,わたしにとって,救いとなるものがあったとするなら,それは父でした。わたしの身のまわりでは,日本の敗戦を前にして,まったく動ずる様子のなかったのは,父だけだったのです。父にとって,敗戦という事実はなかったのでした。その父の姿は,たえまない不安にふるえていたわたしにとって,深い救いであると同時に,じつに大きななぞだったといえるでしょう。
戦争のとき,がんこに沈黙を守りつづけ,にこりともしなかった父は,一度として朝鮮人であることをやめたことのない人だったのでした。朝鮮人の一人として,あの戦争をきっぱりと拒みつづけていた父のうえに,どうして敗戦ということが起こりうるでしょう。
すべてはあとになって思いあたったことですが,あの戦争を憎む父の思いは,ほんとうに強いものだったといえます。この父は「8月15日」のあとも,いつもと変わりなく土方仕事に出かけたものでした。その父の顔には,かつて見たことのない微笑があったといえます。
父は,軍国主義日本の敗戦を心から,喜んでいたのでした。でも,この父は,同時にその深い心の底において,人びととしての日本人を,自分の朝鮮を限りなく愛していたと同じように思うことができる人だったのでした。
戦後まもなく,駅の近くに闇市ができはじめたころのことです。この闇市から,悪いうわさが流れてきたことがありました。朝鮮人が闇市でいばっている,といううわさです。多くの朝鮮人がみんなそうだったわけではないとしても,なかにはそうしたことが事実としてあったのでしょう。このうわさが,父の耳に入ったときのことです。父は,きびしくまゆをひそめて,およそ次のように言ったものでした。
〈朝鮮は,いまやっと解放を迎えたばかりだとういのに,よくもまあ,いばっている暇があったもんだ!〉
そしてまた,父はつづけたのでした。
〈日本人は,朝鮮が困っているとき,助けてくれようとしなかった。じゃが,いまは,日本が困難にみまわれているときじゃろ。朝鮮人は,この困っている日本人を踏みつけにして,うらみを買うようなことをしていいのじゃろか。これまでの日本人と同じことをしては,なんにもなるまい。他人のうらみを買うことをしたら,あとできっとそれは我が身に返ってくることになるんじゃ。困っているときは,だれとでも助け合うのが,人のとる道じゃろ。この人の道を踏みはずしたら,朝鮮の解放もありゃせん。解放されたというからには,困っている人を助けてこそ,ほんとうの解放というもんになるのじゃないのか。いま困っている日本人を,困っているからといって踏みつけにするようにやつは,また朝鮮を滅ぼすようなことをするにちがいないんだ〉
これは メッセージ 1978 (bosintang さん)への返信です.
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②
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/10 13:56 投稿番号: [1978 / 3669]
「わたしは,学校では「木下武夫」という名前で呼ばれていました。点呼は,よどみなく進みます。ところが,「き」のところにきて,返事をしない者がいました。「木下」ではないから,わたしではありません。先生は,声を高めて,もう一度呼びます。
「きんてんさん」
みんなきょろきょろまわりを見まわしました。「きんてんさん」というのは,どの子だろうという顔つきです。わたしも,まわりを見まわしました。先生は二度目に呼び上げると,ほおを紅潮させました。
「きんてんさんというのは,おらんのか!」
教室じゅうが,静まり返ってしまいました。「きんてんさん」という子は,いないのです。わたしは,「あとで,たいへんだぞ!」と思いました。その返事をしない子がほかのクラスにまぎれこんだものと思っていたのです。
先生は,みんなをじろりとにらみまわすと,つかつかと黒板に近づきました。大きな字で,そのきんてんさんという字を書きはじめたのです。
「金
天
三」
先生の三度目のどなり声が,教室に響きわたります。
その瞬間,わたしの心臓は,焼けた鉄板のうえに落ちた水滴のように縮みました。なんと,先生が黒板に大きく書いた名は,わたしの本名だったのです。わたしははじかれたように立ちました。
「はッ,はい」
先生のこわい目が,まっすぐわたしの顔をさしました。
「おまえは,自分の名前もわからんのか!」
教室じゅうの目が,わたしに集まりました。とんでもないうっかり者とは,わたしのことだったのです。
「どうして最初から,返事ができないんだ。おまえは,自分の名前がわからないのか!」
先生は,繰り返して言います。わたしはなにも言えませんでした。先生の言うとおりです。わたしは,長い間「木下」と呼ばれつづけているうちに,本名を呼ばれてもすぐ気づかなくなっていたのです。恥ずかしさのために,わたしの顔は青くなったと思うと,今度は急に赤くなりました。」
この阪井先生は,主人公を本名で呼び続けながらも,朝鮮人を理由に,貧しさを理由に軽蔑することはけっしてなかった。
「先生がおこるのは,わたしが朝鮮人であるのに朝鮮人じゃないようなふりをしたり,貧乏に負けて,こそこそしはじめるのを見つけたときです」
「先生が朝鮮人であるわたしをはげまし,自分で生きていく勇気を与えてくれたことは,事実としてあったことです。それはすなおに考えるなら,先生が朝鮮人であるわたしを一人の生徒として,心から心配してくれたことであり,まさにそのことを通して,先生はわたしに,どんな暗い時代にあっても,また,朝鮮人と日本人の間においても,人と人の心は通じ合わせることができるということを教えてくれたのだとおもうのです。それはことばを換えて言うと,人のやさしさを教えてくれたのだともいえるのです。」
「わたしにとっては,この信じられる人が,先生であると同時に日本人であったということは,さらに幸運なことでした。たとえば,阪井先生が,朝鮮人だったらどうでしょう。わたしはきっと,先生のやさしさを,同じ朝鮮人だからというわくづけのなかで受け取ってしまったにちがいありません。しかし,阪井先生は日本人でした。日本人であった先生が,朝鮮人であるわたしに,人間らしい勇気と,困難を乗り越えていく力を与えようとしてくれたのです」
これは メッセージ 1977 (bosintang さん)への返信です.
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高史明『生きることの意味』①
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/10 13:54 投稿番号: [1977 / 3669]
(1974年,筑摩書房。1986年,ちくま文庫)
「わたしはかつて,なにかを父に相談したことがなかったのでした。わたしのそれまでの生活ときたら,用意してある食物を食べ,遊んで,寝るだけです。たいていのことは兄に話したら,それですみました。
それは,心の心配事のない幼い生活だったといえるでしょう。わたしのほうの,なにも相談しないでこれた原因が,わたしの幼さにあったとすると,父のほうは,その逆に,あまりにも疲れすぎており,あまりにも考え事が多すぎるので,わたしたちにはなにも話さないのです。
父とわたしたちのあまり話し合うことをしない関係は,その後,わたしたち親子の間にもっと深刻な不幸をまねき寄せることになります。こうしたあまり話し合いのない生活が続くうちに,わたしたち兄弟は,日本語だけを身につけていくようになり,父が朝鮮語でなにかを言いかけてきても理解できなくなってしまうからです。親子の間で,たがいに気持ちを伝えあえることばが違ってしまうとは,なんということでしょう。
わたしたちが,なにか心にふれる大事な問題を日本語で話しかけるとき,とつぜん「朝鮮語ヲツカエ」と,どなり出す父の声には,怒りよりも,悲しみのほうがより強くひびいていたものです。」
これは メッセージ 968 (bosintang さん)への返信です.
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戦前から朝鮮語を教えていた天理大学
投稿者: trek022 投稿日時: 2004/04/08 00:02 投稿番号: [1976 / 3669]
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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>金両基「物語 韓国史」
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/05 02:02 投稿番号: [1974 / 3669]
これは メッセージ 1970 (pilar456 さん)への返信です.
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>園児襲撃男に懲役4年
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/05 01:47 投稿番号: [1973 / 3669]
これは メッセージ 1969 (majimenasitumon さん)への返信です.
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