③
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/04/10 14:00 投稿番号: [1979 / 3669]
その後,主人公は貧困と差別に苦しみながら,戦況悪化の中,最後の救いを「天皇」に見いだすようになる。そして,天皇のために人間魚雷に乗る決意をする。
「わたしは,特攻隊になるという思いのなかに,出口のないどうどうめぐりを断ち切るいとぐちを見つけたのです。それはこの戦争のはじまりの時期に,日本人じゃない日本人として生まれて,この戦争に育てられてきたわたしが,一人でありあまる苦しみを打ち破ろうとしたとき,すでに末期にさしかかっていた戦争から,最後に差し出されたたった一つの恐ろしい出口だったといえるでしょう。
ことばを換えて言うと,それは戦争が,その戦争を否定することを知らない人間につきつける最後の結論であり,また,この戦争の中で生まれ,この戦争の中でのみ育てられてきたわたしが,最後にもつことのできた,たった一つの出口だったのです。」
しかし,突然,日本は負ける。
「それにしても,三〇年前,わたしがそこから出発せざるをえなかった混沌は,なんと深いものだったことでしょう。敗戦という現実は,わたしを死から解放してくれたのですが,戦争にあまりにも深くおかされていたわたしには,この死からの解放が,すぐにはけっして喜びにならなかったのです。死ぬ必要がなくなって,かえって生きていることが不安になったともいえるでしょう。しかもこの不安は,その当時の大きな混乱に包まれ,もみくちゃにされる運命にあったのでした。死のせとぎわまで連れられていった者が,急に死ぬ必要がなくなったからと言われて,すぐに生きる道を見つけ出すことができるものでしょうか」
「あの当時,わたしにとって,救いとなるものがあったとするなら,それは父でした。わたしの身のまわりでは,日本の敗戦を前にして,まったく動ずる様子のなかったのは,父だけだったのです。父にとって,敗戦という事実はなかったのでした。その父の姿は,たえまない不安にふるえていたわたしにとって,深い救いであると同時に,じつに大きななぞだったといえるでしょう。
戦争のとき,がんこに沈黙を守りつづけ,にこりともしなかった父は,一度として朝鮮人であることをやめたことのない人だったのでした。朝鮮人の一人として,あの戦争をきっぱりと拒みつづけていた父のうえに,どうして敗戦ということが起こりうるでしょう。
すべてはあとになって思いあたったことですが,あの戦争を憎む父の思いは,ほんとうに強いものだったといえます。この父は「8月15日」のあとも,いつもと変わりなく土方仕事に出かけたものでした。その父の顔には,かつて見たことのない微笑があったといえます。
父は,軍国主義日本の敗戦を心から,喜んでいたのでした。でも,この父は,同時にその深い心の底において,人びととしての日本人を,自分の朝鮮を限りなく愛していたと同じように思うことができる人だったのでした。
戦後まもなく,駅の近くに闇市ができはじめたころのことです。この闇市から,悪いうわさが流れてきたことがありました。朝鮮人が闇市でいばっている,といううわさです。多くの朝鮮人がみんなそうだったわけではないとしても,なかにはそうしたことが事実としてあったのでしょう。このうわさが,父の耳に入ったときのことです。父は,きびしくまゆをひそめて,およそ次のように言ったものでした。
〈朝鮮は,いまやっと解放を迎えたばかりだとういのに,よくもまあ,いばっている暇があったもんだ!〉
そしてまた,父はつづけたのでした。
〈日本人は,朝鮮が困っているとき,助けてくれようとしなかった。じゃが,いまは,日本が困難にみまわれているときじゃろ。朝鮮人は,この困っている日本人を踏みつけにして,うらみを買うようなことをしていいのじゃろか。これまでの日本人と同じことをしては,なんにもなるまい。他人のうらみを買うことをしたら,あとできっとそれは我が身に返ってくることになるんじゃ。困っているときは,だれとでも助け合うのが,人のとる道じゃろ。この人の道を踏みはずしたら,朝鮮の解放もありゃせん。解放されたというからには,困っている人を助けてこそ,ほんとうの解放というもんになるのじゃないのか。いま困っている日本人を,困っているからといって踏みつけにするようにやつは,また朝鮮を滅ぼすようなことをするにちがいないんだ〉
「わたしは,特攻隊になるという思いのなかに,出口のないどうどうめぐりを断ち切るいとぐちを見つけたのです。それはこの戦争のはじまりの時期に,日本人じゃない日本人として生まれて,この戦争に育てられてきたわたしが,一人でありあまる苦しみを打ち破ろうとしたとき,すでに末期にさしかかっていた戦争から,最後に差し出されたたった一つの恐ろしい出口だったといえるでしょう。
ことばを換えて言うと,それは戦争が,その戦争を否定することを知らない人間につきつける最後の結論であり,また,この戦争の中で生まれ,この戦争の中でのみ育てられてきたわたしが,最後にもつことのできた,たった一つの出口だったのです。」
しかし,突然,日本は負ける。
「それにしても,三〇年前,わたしがそこから出発せざるをえなかった混沌は,なんと深いものだったことでしょう。敗戦という現実は,わたしを死から解放してくれたのですが,戦争にあまりにも深くおかされていたわたしには,この死からの解放が,すぐにはけっして喜びにならなかったのです。死ぬ必要がなくなって,かえって生きていることが不安になったともいえるでしょう。しかもこの不安は,その当時の大きな混乱に包まれ,もみくちゃにされる運命にあったのでした。死のせとぎわまで連れられていった者が,急に死ぬ必要がなくなったからと言われて,すぐに生きる道を見つけ出すことができるものでしょうか」
「あの当時,わたしにとって,救いとなるものがあったとするなら,それは父でした。わたしの身のまわりでは,日本の敗戦を前にして,まったく動ずる様子のなかったのは,父だけだったのです。父にとって,敗戦という事実はなかったのでした。その父の姿は,たえまない不安にふるえていたわたしにとって,深い救いであると同時に,じつに大きななぞだったといえるでしょう。
戦争のとき,がんこに沈黙を守りつづけ,にこりともしなかった父は,一度として朝鮮人であることをやめたことのない人だったのでした。朝鮮人の一人として,あの戦争をきっぱりと拒みつづけていた父のうえに,どうして敗戦ということが起こりうるでしょう。
すべてはあとになって思いあたったことですが,あの戦争を憎む父の思いは,ほんとうに強いものだったといえます。この父は「8月15日」のあとも,いつもと変わりなく土方仕事に出かけたものでした。その父の顔には,かつて見たことのない微笑があったといえます。
父は,軍国主義日本の敗戦を心から,喜んでいたのでした。でも,この父は,同時にその深い心の底において,人びととしての日本人を,自分の朝鮮を限りなく愛していたと同じように思うことができる人だったのでした。
戦後まもなく,駅の近くに闇市ができはじめたころのことです。この闇市から,悪いうわさが流れてきたことがありました。朝鮮人が闇市でいばっている,といううわさです。多くの朝鮮人がみんなそうだったわけではないとしても,なかにはそうしたことが事実としてあったのでしょう。このうわさが,父の耳に入ったときのことです。父は,きびしくまゆをひそめて,およそ次のように言ったものでした。
〈朝鮮は,いまやっと解放を迎えたばかりだとういのに,よくもまあ,いばっている暇があったもんだ!〉
そしてまた,父はつづけたのでした。
〈日本人は,朝鮮が困っているとき,助けてくれようとしなかった。じゃが,いまは,日本が困難にみまわれているときじゃろ。朝鮮人は,この困っている日本人を踏みつけにして,うらみを買うようなことをしていいのじゃろか。これまでの日本人と同じことをしては,なんにもなるまい。他人のうらみを買うことをしたら,あとできっとそれは我が身に返ってくることになるんじゃ。困っているときは,だれとでも助け合うのが,人のとる道じゃろ。この人の道を踏みはずしたら,朝鮮の解放もありゃせん。解放されたというからには,困っている人を助けてこそ,ほんとうの解放というもんになるのじゃないのか。いま困っている日本人を,困っているからといって踏みつけにするようにやつは,また朝鮮を滅ぼすようなことをするにちがいないんだ〉
これは メッセージ 1978 (bosintang さん)への返信です.
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