南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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>>サヨクの嘘、捏造  無知か?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/25 06:21 投稿番号: [5932 / 29399]
>日本軍が軍政を敷き、強制栽培をした証拠になりません。
強制栽培をし、飢餓を招いた証拠を提示しなさい。
私の父は1944年半ばまでハノイに駐留し、フランス兵と共に市内警備にあたったと言っていた。


笑わしてはいけないよ!

アジアきっての米の産地で、何故、ヒマ、や   ジュートを栽培しなけりゃならないのかを、、、

ヒマ=航空機の潤滑油などに使われた。
ジュート=略奪物資、米、鉱物などを梱包して日本に輸送する、梱包材を作る。

ただの警備兵に何が分かるというのでしょうかね?
日本軍の米倉の警備してたのでしょうかね?

100万に以上の餓死者が出ていた時期にも、日本軍の倉庫には米が山のように保管されていたという目撃情報もありますよ。

もっと、真実を聞いてみなさいな。
息子に自分達の犯した罪を告白することが出来るのでしょうかね?

事実を告げれる親であれば、それはご立派な方だと思いますが、ほとんどの元兵士は黙りを決め込んで墓まで犯した贖罪を持って行っていますよ。

>>また小林よしのりか(笑

投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/08/24 16:25 投稿番号: [5931 / 29399]
ともだちんこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
wwwwwwwwwwwwwwwwwww

>また小林よしのりか(笑

投稿者: jiyuu_to_byoudou01 投稿日時: 2004/08/24 15:15 投稿番号: [5930 / 29399]
>まだ漫画家を持ち出してるノータリンいるの??(笑
いいレベルだぜwwwwwww
おぼっちゃまくうううううんん!!!
あははははあははは!!
苦しい!!!



「反論できないけど否定したいから必死に罵倒」というレベルだな。可哀想に(嘲

>また小林よしのりか(笑

投稿者: modena914 投稿日時: 2004/08/24 15:01 投稿番号: [5929 / 29399]
私も同感ですね。肩書きは関係ないと思います。毎日新聞、本多勝一によって「100人斬り」の汚名を着せられた故向井氏の娘さんの、東京地裁における陳述書は非常に興味深いです。
www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=1

oityantyanは

投稿者: jyoui 投稿日時: 2004/08/24 13:20 投稿番号: [5928 / 29399]
日本の戦争責任でダブハンを使用していたろう。

>>サヨクの嘘、捏造

投稿者: jyoui 投稿日時: 2004/08/24 13:18 投稿番号: [5927 / 29399]
>その結果、12月米、英、蘭、との開戦に至り、仏印全域にわたって、日本支配が確立されている。

日本軍が軍政を敷き、強制栽培をした証拠になりません。
強制栽培をし、飢餓を招いた証拠を提示しなさい。
私の父は1944年半ばまでハノイに駐留し、フランス兵と共に市内警備にあたったと言っていた。

そもそもyuukouheiwaがインチキ中国人?

投稿者: jnwing2001 投稿日時: 2004/08/24 13:05 投稿番号: [5926 / 29399]
最初の投稿の文章からしてとても日本人の考えとは思えない。yuukouheiwaさんは他にも投稿しているが、文章の内容からして中国が行っている反日教育そっくりである。

それはさておき、南京虐殺があったかなかったか、それは人数の問題だと思います。理由はどうであれ、殺された人にとっては数人でも、数百人でも虐殺だと言うでしょう。   しかし、中国政府は何の証拠や根拠もなく30万人を主張している。

そこに中国人らしい意図を感じる。もし虐殺が300人だったら中国政府も反日キャンペーンとしては問題にし難いから、インチキな30万と言う数字を掲げているのだろうが、そもそも20万しかいなかった南京市民をどうして30万人も殺せるか、中国側は何の証拠も示していない。   それが嘘の証拠である。

売国奴共へ・平成16年東京地裁

投稿者: liberman777 投稿日時: 2004/08/24 12:51 投稿番号: [5925 / 29399]
でっちあげ「南京百人斬り」の裁判における、故向井敏明氏の娘さんの陳述書が、西村真吾代議士のHPに掲載されております。
www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=1
中国共産党の犬、売国奴本多勝一。

南京事件に至るまで〜17

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/24 06:28 投稿番号: [5924 / 29399]
南京事件に至るまで〜17(南京波状進軍1)

冷静な判断力をもった指導者ならば国民政府の重慶移転宣布(11月20日)により、すでに首都ではなくなった南京を短時日で攻略するほどの戦略的意味がないことは明白である。

結局は陸軍中央部内で「下克上」的に主導権を掌握しようとした拡大派の党派心と   南京占領=中国の屈伏の殊勲者という時代錯誤的な功名心にかられた中支那方面軍・第10軍の上級指揮官たちの野心とが相乗して、正式命令のないまま、南京攻略戦が開始強行されてしまったのである。

大規模な報道陣を送り込み、従軍記者に少なからぬ被害者を出しながら、「南京城に日章旗が翻るまで、、」という報道合戦を繰り広げ、国民の戦意高揚をはかったのである。

12月1日大本営は「中支那方面軍司令官は、海軍と共同して敵国首都南京を攻略すべし」(大陸命第8号)との南京攻略を下命し、中支那方面軍の独断専行を正式に追認した。

同時に松井石根を司令官とし、上海派遣軍と第10軍から編成される中支那方面軍の「戦闘序列」が正式に下命された。

翌日皇族の朝香宮鳩彦王中将が上海派遣軍司令官に任命され(7日着任)松井司令官は派遣軍と方面軍の兼任を解かれた。
が、
全軍の統括、統制するのに不可欠な兵站機関を持たない、正規の軍では無いことに変わりはなかったのである。

12月2日、蒋介石から駐華ドイツ大使トラウトマンに日本側の和平条件を認める意向を伝えてきたが、南京陥落間近という興奮にかられた近衛内閣の閣僚たちは”日本側から要請した”にも関わらず、トラウトマン和平工作をないがしろにし、

広田弘毅外相は「犠牲を多く出したる今、かくのごとき軽易なる条件をもってしてはこれを容認しがたい。」と述べ、近衛首相は「大体、敗北者としての言辞無礼なり」と強行意見を述べている。

杉山陸将も「この度はひとまず、ドイツの斡旋を断りたい」と申し出た。

近衛内閣は、日中戦争の停戦、和平の実現を目指したトラウトマン和平交渉を棚上げにしてしまい、戦局収拾の可能性を自ら絶ってしまったのである。

「あきれ果てる大臣どもである、、もう行き着くところまで行って目がさめるより他、致し方なし。日本は本当に国難にぶつからなければ救われないだろう」と石射猪太郎は日記に記す。

南京事件に至るまで〜18(県城と村で始まった虐殺)につづく)

おい mituru171819

投稿者: mildseven10or05 投稿日時: 2004/08/23 21:59 投稿番号: [5923 / 29399]
>事実を認めたわけですね(笑

おめ中国人か?朝鮮人か?またイジメルぞコラ!

虐殺・婦女暴行してねぇ国があったら教えてくれや(藁

それともオメェラあれ以来Mちゃんになっちゃってイジメられるのが快感の
ミンジョクになっちまったニカ?w

>サヨクの嘘、捏造 当方は左翼ではない

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/23 20:59 投稿番号: [5922 / 29399]
>1945年の7月まで、ベトナムを支配していたのはフランスです。
日本軍は援蒋物資の流入監視を目的に進駐していました。(フランス政府の同意を得て)
フランスの支配を無視して、日本軍が軍政を敷き、「強制栽培」などできる訳がありません。


ご冗談でしょう?
それとも、ご存じない?
1940年7月西原一策少将を長とする国境監視団(西原機関)がハノイに潜入、国境監視ポストが開設されている。中国最南端の日本軍を仏印に「平和裡に進駐」させるべく仏印側と交渉に入ったが.9月23日以降日本軍は一方的に進駐を強行した。

外務省に保存されている文書によれば、ドーソンの海岸に上陸した西原琢磨少将は早くも、26日「いくら動物的程度の安南人でも女とみれば、(日本兵が、、)何をしでかすか分からないので慰安所の設置をを急がせた、」と記されている。

ビジー政権(フランス)は部分的な抵抗をしただけで、日本に屈し、日本とビジー政権の共同支配が行われたが、この同盟において日本が盟主的存在であったことは明らかである、その後の南部仏印侵攻を見ればさらに明らかである。

仏印当局は、日本の要求する「援蒋ルート遮断要求」に応じて、雲南ーベトナム間の鉄道レールを切断した(1940年7月13日)
西原機関はフランス側(ビジー政権)立ち会いの元でその状況を視察している。

1940年9月23日仏印国境の日本軍(中村兵団)は越境して、ドンダン方面のフランス軍を攻撃し、ランソンへの進駐を強行している(ランソン事件)

1941年7月   南部仏印に進駐ベトナム南部、カンボジア、ラオスを支配下におく。
その結果、12月米、英、蘭、との開戦に至り、仏印全域にわたって、日本支配が確立されている。
戦争によってより一層の過酷な生活は抗日に向かい、独立解放へと発展させる契機ともなっている。

と言うことですよ!

私は左翼ではありませんで〜す。
もっと、事実を見つめるべきでしょう。

>また小林よしのりか(笑

投稿者: etranger20012001 投稿日時: 2004/08/23 20:00 投稿番号: [5921 / 29399]
>まだ漫画家を持ち出してるノータリンいるの??(笑
いいレベルだぜwwwwwww
おぼっちゃまくうううううんん!!!
あははははあははは!!
苦しい!!!

個人的には小林よしのりは嫌いだし、彼の書いたモノは読みませんが、歴史家だろうが、評論家だろうが、漫画家だろうが、彼らが書くことが事実なら問題はないのでは?

また、彼らの書いているモノが事実かどうかは私には解らない。しかし、私には、南京の都市で日本軍が万を超える中国人を超える大虐殺したことには疑問を感じる。

事実がはっきりしないモノは、自分なりに本を読みながら仮説を立てるしかない。書いた人間を基準にそれが正しいかどうかを判断するのはおかしい思う。漫画家が描いたから、間違っていると言うことないでしょう。(^^   また、その漫画家が多くの本を参考したから、その漫画家の描くことが事実と信じるのもおかしい。

ようは、自分がどのように判断するかでしかない。

また小林よしのりか(笑

投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/08/23 16:25 投稿番号: [5920 / 29399]
まだ漫画家を持ち出してるノータリンいるの??(笑
いいレベルだぜwwwwwww
おぼっちゃまくうううううんん!!!
あははははあははは!!
苦しい!!!


>もし、たとえば、「証人がいるから」「国が認めたから」
「教科書に載っているから」「証拠写真があるから」
>などの理由で、南京大虐殺は事実だと
信じている
>人がいましたら、まず小林よしのり氏の
「新ゴーマニズム宣言第五巻」
>「新ゴーマニズム宣言:戦争論」「新ゴーマニズム宣言:戦争論2」を
>読んでみて下さい。

左翼的な主張をする人は、事実関係を

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/23 13:41 投稿番号: [5919 / 29399]
知らないのではないかと思います。
プロパガンダとして南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は
事実と喧伝している人は別にして。

もし、たとえば、「証人がいるから」「国が認めたから」
「教科書に載っているから」「証拠写真があるから」
などの理由で、南京大虐殺は事実だと
信じている
人がいましたら、まず小林よしのり氏の
「新ゴーマニズム宣言第五巻」
「新ゴーマニズム宣言:戦争論」「新ゴーマニズム宣言:戦争論2」を
読んでみて下さい。

虐殺が合ったことを示す証言・写真などがいかにでたらめか、
悪質きわまるプロパガンダなのかが、事実関係をもとに
きちんと検証されています。

そして、そのでたらめを元にして実に多くの本や公式見解が
出されていることも驚くばかりです。
すでに完全に嘘や捏造だと言うことがわかっている証言
を元にして作られた公式見解や文書が訂正もされずに
今も残っていたりするのです。
ですから、それを信じる人が多いのは当然です。
この実態は、実に恐るべき事です。

日本人は、ありもしなかった戦争犯罪によって罪の意識を
植え付けれて誇りを奪われ、「自分たちなどいないほうがいい」
と無意識のうちに思わされています。
アメリカがが終戦直後から行った、日本人洗脳計画である
ウォーギルドプログラム(だったかな?)の成果です。


日本人は、アメリカと中国によって計画的に完全に洗脳されました。
恐ろしいことです。

私も2ヶ月ほど前までは、すっかり南京大虐殺は事実だと
思い込んでいましたから、実はなかったというこを
信じられないという気持ちはよくわかるのですが、
是非ご自分で調べてみて下さい。

こういう事は、人から聞いただけでは、どうしても
信じ切れない部分がありますが、自分で調べてみるとわかってきます。


「新ゴーマニズム宣言:戦争論」だけでも参考文献は
100冊を越えています。
漫画形式ではありますが、実によく調べてあると思います。

サヨクの嘘、捏造

投稿者: jyoui 投稿日時: 2004/08/23 09:18 投稿番号: [5918 / 29399]
>5年間の日本支配によって、仏印で生じた食糧危機は1944年末から翌45年に至る冬のベトナム北部一帯で占領日本軍の戦争政策による生産と生活の破壊が行われ、米の収奪、トウモロコシなど食用作物にかわるジュートの強制栽培により、食料飢餓がおこり100万人から150万人の餓死者を出している。


1945年の7月まで、ベトナムを支配していたのはフランスです。
日本軍は援蒋物資の流入監視を目的に進駐していました。(フランス政府の同意を得て)
フランスの支配を無視して、日本軍が軍政を敷き、「強制栽培」などできる訳がありません。
私の父も1944年半ばまで仏印にいましたが、市内の警備などはフランス軍と共に行動したそうです。
日本軍に主導権などありませんよ。

南京大虐殺が事実なら証拠を提示しよう!

投稿者: new_gene02 投稿日時: 2004/08/23 09:11 投稿番号: [5917 / 29399]
  どうもここの掲示を読む限り、「南京大虐殺は事実」であるという主張をされていますが・・・・

  じゃあ、その虐殺数や、その根拠は何を元に主張されているのでしょうか?

  実際にあったなら、証明すればよいだけでしょう。
  多くの資料はあるのに、ただ結論の「あった!」「事実だ!」の主張ばかり。
  で、その根拠はと言えば証言者によるものばかり。証言も大事ではありますけど、記録された資料などを見比べていないとしか思えない掲示が多く感じますね。

平頂山事件、シンガポール華僑事件はウソ

投稿者: new_gene02 投稿日時: 2004/08/23 09:06 投稿番号: [5916 / 29399]
  平頂山事件と言われる事件ですが、今から16年前に、田辺敏雄さんによってとうの昔にウソであることが証明されています。
  結論から言えば、匪賊による襲撃を迎撃しただけです。戦後サヨクが作り出した虚構。以下の書籍を参照されてはどうですか?

  田辺敏雄著『追跡   平頂山事件』(図書出版社)

  さらにマレー半島などの華僑ゲリラ掃討作戦ですが、英軍に協力していた華僑のゲリラ行為について英軍指揮官は止めるよう説得していました。国際法違反のゲリラ行為は即処刑です。正統な軍事行動であり、何ら虐殺行為に当たる訳ではありません。以下の書籍を参考にされて見て下さい。

  中島みち著『日中戦争いまだ終わらず   マレー「虐殺」の謎』(文藝春秋)

  しかし…すでに南京事件や平頂山事件、華僑虐殺事件なんてウソである事は証明されているのに、サヨクって呆れますね。

はぁあああ・・

投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/08/23 07:52 投稿番号: [5915 / 29399]
日本人らしい考えですねえ!
ようは事実を認めたわけですね(笑

>やるかやられるかの文明の時代に虐殺・婦女暴行なんて当たり前だろ。

南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

投稿者: mildseven10or05 投稿日時: 2004/08/23 06:45 投稿番号: [5914 / 29399]
やるかやられるかの文明の時代に虐殺・婦女暴行なんて当たり前だろ。

交戦・侵略不可能にて迎合・敗北の繰り返しで現在の朝鮮半島のような
腐れ精神の日本になったほうが良かったのかい?

アジアから目を離して考えてみろ。愛と慈悲が売り物の宗教でさえ
虐殺・拷問の時代だぞ。

何で日本だけが戦後の反省と補償を迫られるのかを考えたほうが
今後の外交のためになるってモンだな!

タイトルについては中国・朝鮮半島諸国の教育の中における表現の
大げさな部分が問題なのであって、あいつらだって近現在において
同じような事をしているではないか!

チベット・ベトナムに戦後補償や謝罪は済んでいるのか?    さよなら

虐殺事件は、、南京だけではない!

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/23 06:14 投稿番号: [5913 / 29399]
>日本人居留民が大虐殺された済南事件や通州事件の犠牲者の名簿はあるのだが、南京大虐殺や平頂山事件の犠牲者の名簿はないと思う。

南京虐殺事件の被害者の埋葬記録は残っています。

また、虐殺事件は南京だけで起こったのではありません。南京事件は日本軍が起こした、虐殺事件の一部であると言うことも事実です。

また、5年間の日本支配によって、仏印で生じた食糧危機は1944年末から翌45年に至る冬のベトナム北部一帯で占領日本軍の戦争政策による生産と生活の破壊が行われ、米の収奪、トウモロコシなど食用作物にかわるジュートの強制栽培により、食料飢餓がおこり100万人から150万人の餓死者を出している。

マレー半島では「適性華僑狩り」を実施、「老若男女を問わず徹底的に掃蕩」した(第5師団歩兵第11連隊第1大隊命令、1942年3月2日)
現在日本国内からの募金などで、追悼碑などが建てられているがマレー半島だけで、30数カ所に及んでいる。

南京事件に至るまで〜16(南京攻略3

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/23 05:57 投稿番号: [5912 / 29399]
南京事件に至るまで〜16(南京攻略3)

大本営の正式命令もないまま、参謀本部の統制に反する形で、中支那方面軍司令部が独断専行で発動した南京侵攻作戦は方面軍の進撃が停滞した場合には、南京攻略に反対である多田参謀次長らに前進停止を命ぜられる可能性があったため、それを回避する、
かつ
進撃を軍中央に追認させるためには南京進撃を成功させ、方面軍の南京攻撃の態勢が可能であった事を戦果で誇示する必要があった。

武藤章参謀副長は疲弊した上海派遣軍を挑発し第10軍と「南京一番乗り」を 競わせるよう、11月26日第16師団参謀長中沢三夫大佐に書簡を送った。

「貴師団は上陸以来天候、地形の不良なる結果、未だ十分に師団の真価を発揮せらるるの機会なく、誠にお気の毒に存じ候、
同じく北支より転用されたる第6師団は武運に恵まれ先般、赫赫たる戦功をたてられたるを思い、ますます、その感を深くし申し候、
派遣軍の無錫付近の戦闘ぶりより見れば常州占領は何時のことやらと、焦心致し候、、、、、(中略)
現在の態勢をもって守備に移るがごときは皇軍の威武を内外に顕揚するゆえんとは断じて考えられず候、

もし、戦況の進展思わしからざるにおいては、中央部より前進停止を命ぜられるるの処あり。
この点もお含み願い上げ候。」(第16師団関係資料)

南京攻略を承認させていない状況のもとで、上海戦で疲弊しきった第16師団を南京進撃へとけしかけたのである。
およそ、近代戦においては、大部隊は前線と後方の兵站部隊(食料、弾薬その他、補給部隊)とで編成され、

戦闘部隊は後方兵站部隊からの食料、軍事物資の補給を受けながら、前進していくものである。
従って、兵站部が補給可能な位置まで接近してから戦闘部隊は前進するのが常識的な作戦である。

ところが中支那方面軍の独断専行で開始された南京攻略戦ではこの作戦常識が無視された。

そのため、中支那方面軍は糧秣(食料、軍馬の飼料)のほとんどを現地で徴発するという「現地調達主義」をとった。

これは「糧食を敵中に求む」「糧食を敵による」という戦法であり、通過地域の住民から食料を奪って食べるということである。

また、軍の上官たちは性的蛮行を「兵の元気をつくるに必要」「「中国女性を征服し、力づくで女をモノにする」という婦女陵辱行為を戦場の役得と黙認する風潮があった。
(国府台陸軍病院附軍医早尾逓雄中尉「戦場における特殊現象と対策」)

南京事件に至るまで〜17(南京波状進軍1)に続く

平頂山事件

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2004/08/23 03:41 投稿番号: [5911 / 29399]
>発掘された白骨化した頭蓋骨の数がまるっきり違いますよ。
>数千、数万の数ですよ。
>これは後日、資料を探しましょう。


匪賊が撫順炭坑を襲撃したので、日本の撫順独立守備隊との間で戦闘が起こった。
日本側の11名を含む双方に死傷者が出た。
匪賊の襲撃から数時間後、撫順独立守備隊は平頂山に調査に行くことを決定した。
井上中尉が約40名を率いて平頂山を調査したところ、前夜の襲撃現場からの盗品が続々と見つかり、平頂山の住民が匪賊(ゲリラ)と行動を共にしていたことが明確になった。
1932年10月2日付満州日報には、「匪賊の再襲来や焼討ち事件のため、撫順付近の中国人の3分の1が撫順を離れ、郷里の山東方面へ避難」との記事が掲載。
1932年10月15日付満州日報に、「匪賊の被害者に撫順県公署が救済開始」との記事が掲載されており、その記事には、平頂山村の人口が1369人であったこと、うち死者400人であったことが記載されている。

よく、数千、数万の村民が皆殺しになったと言われるが、そのようなマトモな資料は見たことがない。
日本人居留民が大虐殺された済南事件や通州事件の犠牲者の名簿はあるのだが、南京大虐殺や平頂山事件の犠牲者の名簿はないと思う。

戦後処理が大変

投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/22 14:45 投稿番号: [5910 / 29399]
>何故、武器も持たない、年寄りや女性、子供に日の丸を付けさせているかを、考えるべきではないでしょうか?
中国国旗ではなく、日の丸を、、です。

の主旨が分かりません。

  武器を持っていれば抗戦意思を意味し、殺戮対象にされるわけです。
  ですから難民は基本的に武器を持っていないのは当然なわけです。

  それに更衣兵などを掃討しなければいけない時期に、
  なぜ抗戦意欲を掻き立てるかもしれない中国国旗を付けさせるという発想になるのか理解できません。

  また、当時難民は一人残らず登録し「良民証」を受け取らなければならないとされました。

  その意味は、安全区に逃げ込んだ更衣兵を狩り出すためと、住民確認等と考えられます。
  人口が分からないと食料、生活物資等の必要量が分からず混乱の原因ともなります。

  イラク戦争を見れば分かると思いますが、開戦より戦後処理が大変なのです。
  日中戦争で日本の勝ち過ぎが、いろいろな問題を引き起こしたとも考えられます。

「平頂山」は?数が違いますね。

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/22 12:39 投稿番号: [5909 / 29399]
>攻撃側の日本兵に対し容易に気を許せるはずはありませんし、中国人は皆腕に日本の国旗らしき腕章を付けています。
  ですから、一般人と更衣兵を区別し兵士でないことを確認された人たちのみが写っているのです。
  しかし、これを見る限り、難民を無差別に虐殺してはいないと言えると思いますがいかがでしょうか。


貴方はナチスがユダヤ人に「ダビデ」の印章を付けさせた事をご存じないのでしょうか?

これはユダヤ人であるという証明ですよ。
付けていなければ、即時   射殺されたのですよ。
中国人も同じ立場におかれたものと思いますね。

何故、武器も持たない、年寄りや女性、子供に日の丸を付けさせているかを、考えるべきではないでしょうか?

中国国旗ではなく、日の丸を、、です。

ここに20歳前後の青年が何人写されていると思われますか?

>経緯を要約すると
  郊外に匪賊が集結中との情報が入り、防備隊600名を非常召集、警官約200名を加えて、塔連、竜鳳、新屯、万達屋、老虎台、東ガ岡の発電所に配置された。
  一部を守備隊に待機させ、古城子、楊柏堡、千金牧場、塔連方面に分散配置した。

発掘された白骨化した頭蓋骨の数がまるっきり違いますよ。
数千、数万の数ですよ。

これは後日、資料を探しましょう。
現在は写真があるだけです。
それもおびただしい数の頭蓋骨、大腿骨が写っているだけです。

追伸 ここで本当に戦闘があったのか?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/22 12:23 投稿番号: [5908 / 29399]
>「南京陥落後に撮影された風景」
http://www.history.gr.jp/nanking/fukei.html


南京陥落直後という説明ですが、どこにも戦傷者がいません、街にも戦死者が横たわってもいません、
それに、家屋のガレキ、煉瓦のかけら一つ、ゴミ一つありませんが、、戦場だったとは、常識で考え、見て、思えませんが、、、いかがでしょうか?

この戦場報道カメラマンは何を撮ろうとしていたのか?
写真からは読み取ることはできませんが、
かえって、その戦争の惨めさを写さなかったことで、逆にその悲惨さ、残虐性が浮き彫りとなっているのではないでしょうか?。

戦場はこの地とは別世界であったのか、すでに、難民を使って死体、ガレキを片づけ、きれいにしたのか?

上海派遣軍司令官が訪問する直前に大掃除をしたとの報告文もありますが、、、
そうなんでしょうかね?。

それにしても、街がきれいですね。
屋根が落ちているのは、海軍飛行隊の爆撃によるものでしょう、それにしても道路はきれいにゴミ一つ無く、片づいています。

戦場報道カメラマンとは名ばかりでしょう。
これならば、ベトナム戦争も国民の反感を買うことなく、アメリカの戦争指導者は思い通りの作戦を遂行できたでしょう、アメリカはベトナムで勝利したことでしょう。
カメラマン、キャパも死ぬことはなかったでしょうね。名を残すことなく、単なる傍観者で終わったでしょう。

「平頂山」は

投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/22 12:14 投稿番号: [5907 / 29399]
  >1938年12月の写真を南京陥落後と説明されていますが、・・

  一部に日付誤りがあるようですが、具体的にどれを指すのでしょうか?

  それと中国人の表情に対するご指摘はそのとおりだと思います。
  攻撃側の日本兵に対し容易に気を許せるはずはありませんし、中国人は皆腕に日本の国旗らしき腕章を付けています。
  ですから、一般人と更衣兵を区別し兵士でないことを確認された人たちのみが写っているのです。
  しかし、これを見る限り、難民を無差別に虐殺してはいないと言えると思いますがいかがでしょうか。

  それと
  >南京の「平頂山」で大量の頭蓋骨が発掘され、その写真が公開されています。
  とのことですが、
  これは1932年、撫順市の平頂山山頂部分にあった平頂村での事件と思います。
  1937年12月の南京事件と混同されていませんでしょうか。

「満洲どよよん紀行6 撫順 平頂山」
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/doyoyon/doyoyo6.html

経緯を要約すると
  郊外に匪賊が集結中との情報が入り、防備隊600名を非常召集、警官約200名を加えて、塔連、竜鳳、新屯、万達屋、老虎台、東ガ岡の発電所に配置された。
  一部を守備隊に待機させ、古城子、楊柏堡、千金牧場、塔連方面に分散配置した。

  しかし、匪賊は満人の中に通匪の網を張っており、16日午前1時頃、防備隊の裏をかいて、手薄な個所を狙って襲撃してきた。

  匪賊は三部隊に分れ、一は楊柏堡・同火薬庫、一は東郷採炭所、他は東ガ岡・老虎台両採炭所を、ほとんど同時刻に襲った。

このとき、守備隊は重傷2名、炭鉱職員は死亡4名重傷2名、社員家族は死亡1名重傷2名、匪賊は遺棄死体約50、捕虜数名であった。
その後、炭鉱業務はしばらく停止を余儀なくされた。

この襲撃に際して、匪賊は相当期間、撫順の警備状況を探索したと思われ、それには撫順の満人が通牒したことは疑いがなかった。
井上中尉は襲撃の足がかりとなった平頂山が、最も通匪の嫌疑が濃厚とにらみ、独断で一小隊(40名)を率い同部落を調査した。
すると、前夜の襲撃現場からの盗品が続々と見つかり、部落民が匪賊と行動を共にしたのは明確となった。

しかし、平頂山村部落民を訊問してものらりくらりと容易に白状しない。
井上中尉は激怒し、徹底的に調査するとし、住民に一時立ち退きを命じ、崖下に集合させ、部下に軽機で掃射させたのだった。

しかし、撫順という都市で住民が調査もされずに一挙に処刑された、という事実は匪賊の襲撃にも劣らぬマイナス面を生じた。

とあります。
  諜報の証拠があったとしても、村民全員を対象にした殺戮は日本軍による大変な失態としか言いようがありません。

  しかし、日中戦争・南京事件と結び付けられるものではないと思います。

>当時の南京の写真集(お笑い集)

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/22 07:35 投稿番号: [5906 / 29399]
>「南京陥落後に撮影された風景」
http://www.history.gr.jp/nanking/fukei.html
南京大虐殺がなかった証拠にはなりません。
しかし、少なくとも戦後言われている大虐殺が日本軍によって本当に行われたとは疑いたくなるような情景です。

大虐殺がなかったという証拠写真は一枚もありません。
あなたの言われる通りです。

まして、1937年12月10日に日本軍は南京総攻撃を開始しています。

にもかかわらず、1938年12月の写真を南京陥落後と説明されていますが、
1年後の写真に死体が転がっているはずも破壊のあともありませんね。

また、戦争中であるにも関わらずに戦死者が一人も写っていませんよ。
狭い空間でしか撮影がされていません。
このあたりの矛盾があります。

また、中国人の子供をのぞいて、ほとんどの中国人の大人たちはうつむいたりして、真の笑顔が見えません。

難民区においても、中国人は手に物を持っている者がいない。
表情が暗い、ほとんどが下を向いている。
笑顔が少ないにもかかわらず、説明文は
楽しそうに踊っている。

食料の配給写真だけが活気を感じるのは、、いかに食料が無いかだろうね。

これは軍部による報道規制、演出ではないでしょうかと思います。

笑ったのは、
南京場内にて餃子を販売している写真です。
「客は日本軍兵士が一番乗り、」などと説明文がありますが、先ほどまで(と言うよりまだ、戦闘中だとおもいますよ、)敵として戦っていた民族と、まして、差別意識の高い日本軍人とが同じ卓を囲んで、餃子を食するものでしょうかね?

それに周りには、物珍しそうに、取り囲んで眺めている中国人達、彼らの顔にも笑顔はありません。一応に暗い顔をしていますよ。そして、女主人の作業台には販売を目的とした材料そのものが貧弱です。
明らかに、その場しのぎで、演出し、報道写真として写されたものでしょう。とおもいます。

当時の報道は、、大本営陸海軍部発表でしょう。

また、階行社とは、どのような人達の団体かを、お調べになられてはいかがでしょうか?

戦後、南京の「平頂山」で大量の頭蓋骨が発掘され、その写真が公開されています。
あなたはこれを、日本人の骨だと思われるのでしょうか?
また、埋葬記録なども残っています。
これも日本人の物でしょうか?

なんでも欲しがる日本人ですか?

しらんなあ??(笑

投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/08/21 15:09 投稿番号: [5905 / 29399]
じゃりんこちえ???
なんだ??そりゃあ??
低レベルな話はわからんぞおおお(笑
おまえじゃ相手にならんなああwwwwwwww


>中国人の手による虐殺でもあったのか?馬鹿みつるよ〜!
>お前はジャリンコチエに出てくる、悪口ばっか言うみつるとおんなじだな?
>やることがせこいんだよ!ボケ

しかもボキャ不足(笑

ほー

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2004/08/21 04:44 投稿番号: [5904 / 29399]
中国人の手による虐殺でもあったのか?馬鹿みつるよ〜!お前はジャリンコチエに出てくる、悪口ばっか言うみつるとおんなじだな?やることがせこいんだよ!ボケ

南京事件に至るまで〜15(南京攻略2

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/20 22:54 投稿番号: [5903 / 29399]
南京事件に至るまで〜15(南京攻略2)
軍規頽廃した上海派遣軍を南京攻略に動員するのは無理と判断し、再建の方策として予備役、後備役兵の早期招集解除と国内帰還、将校、下士官の短期再教育の徹底を痛感、考慮している最中の11月20日参謀本部に第10軍から

「集団は19日朝、全力をもって南京に向かって追撃を命令」という報告が届いた。

参謀本部次長多田駿中将(石原完爾派)は非常に驚き、急を要するので直ちに中止せよ、制令線から後退させよ、と指示を出した。

拡大派の下村第1部長は内心は南京追撃論であったので、本問題は中支方面軍の統帥に任せるべきであると意見を述べた。しかし、多田次長の強い意見に従い、20日夕方、中支方面軍参謀長あてに

「第」10軍の南京追撃は臨命第600号(作戦地区)指示の範囲を免脱している」と打電した。

前後するが、これより先、11月15日第10軍は軍司令官柳川平助中将臨席のもと
に幕僚会議を開き、軍主力をもって独断南京追撃を敢行することをすでに、決定していた。

制令線を設定して奥地に侵攻することを禁じた軍中央の対する、明らかな命令違反である。

11月24日第10軍に続いて、今度は中支那方面軍から「事変解決を速やかならしむる為、現在の敵の頽勢に乗じ、南京を攻略するを要す」とう意見書が参謀本部に届いた。

下村第1部長は多田参謀次長を説得し、中支那方面軍の作戦地域を制限している制令線の撤去を指示した。(大陸指第5号)

それでも多田参謀次長は戦線拡大を深く憂慮し、中支那方面軍参謀に「南京方面へは進撃しないように」電報を打っている。

11月20日天皇に直属する最高戦争指導機関である大本営が設置され、24日には天皇臨席のもとに、参謀本部、陸軍省、軍令部、海軍省の最高首脳が出席して第一回大本営御前会議が開かれた。

同会議では参謀本部の下村第一部長の中支那方面軍の作戦計画について参謀本部で起案した原稿を読むかたちで次のように説明している。

「この軍(中支那方面軍)は上海付近の敵を掃滅するを任務とし、かつ同地を南京方面より孤立せしむることを主眼として編組されております関係上、その推進力には相当制限がございます

のみならず、目下その前線部隊はその輜重はもとより、砲兵のごとき戦列部隊すらなお遠く後方にあるものすくなくございません。

従って一挙直ちに南京に到達し得べしとは考えておりませぬ」、以上は前線からの報告に基づき、

中支那方面軍の現状では南京攻略は無理である事を述べたもので、多田参謀次長の承認を得たものであった。が、下村部長は多田参謀次長に無断で原稿にない事を発言したものである。

「この場合中支那方面軍その航空隊をもって海軍航空兵力と協力して南京その他の要地を爆撃し、かつ絶えず、進撃の気勢をしめして敵の戦意を消磨せしむることと存じます。統帥部といたしましては、今後の状況いかんにより該方面軍をして新たなる準備態勢を整え、南京、その他を攻撃せしむる事をも考慮しております」(下村定大将回応答録)

下村部長の発言から海軍航空隊の南京爆撃が陸軍の南京攻略の前哨戦の意味を示すものでることが露呈されている。

下村作戦部長と中支那方面軍司令部とが共謀して参謀本部と命令系統を無視して南京攻略作戦を「下克上」的に進めたのである。

南京事件に至るまで〜16へ

南京事件に至るまで〜15(南京攻略2

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/20 22:44 投稿番号: [5902 / 29399]
南京事件に至るまで〜15

11月中旬、日本軍は上海全域を制圧した。上海派遣軍の本来の目的である「日本人居留民保護」はこれで達成された。

約3ヶ月におよんだ上海戦に多大な犠牲を強いられ、心身共に消耗した兵士は、これで本国へ凱旋できるはずであった。

陸軍省の作成した「上海付近の作戦一段落に当たり政府の行う声明案」(10月28日)によれば、

「上海戦を制すれば、直ちに軍事行動を停止し、欣然日支の友交をおさむるに吝かならず」と記されていた。(軍令部第1部甲部員/支那事変処理)

陸軍中央部にとっては上海派遣軍の士気低下、軍規の弛緩、不法行為の激発が深刻な問題となっていた。

陸軍省軍務局軍事課長田中新一大佐は「軍規粛正」として所見を書いている。

「軍規頽廃の根元は、召集兵にある。高年次招集者にある。招集の憲兵下士官などに唾棄すべき知能犯的軍規破壊行為がある。

”現地依存の給養上の措置”が誤って軍規破壊の第一歩ともなる。すなわち、地方民から物資購買が徴発化し、掠奪化し、暴行に転化するごときが、それである。、、、補給の停滞から第1線を飢餓欠乏に陥らしめることも軍規破壊のもととなる。

軍規粛正の道はそれらの全局面にわたって施策せられなければならないが、当面緊急の問題は、後方諸機関にある。後方諸機関の混乱は動員編成上並びに指揮系統上の見落としものもちろん起因するが、後方特設部隊の軍紀的乱脈が大問題である。

軍事的無知、無規律、無責任、怠慢などおよそ、国体行動の要素は皆無というべく、これをこのまま放置しておいては全軍規律を動揺せしめることにもなる。

問題は制度や機構よりも人事的刷新にある」(田中新一   支那事変記録   その3)

松井石根中支那方面軍司令官が南京を占領して国民政府に代わる新政権樹立する意図を表明してはばからないことに対して田中新一は、

「松井大将としては南京攻略を切望す。目的は蒋介石を倒す、、ただし、師団の現状では戦闘能力なかんずく攻撃力に不足するものと,見あり。

軍紀風紀の維持については、憂慮すべきもの多く、その原因の重大なるものは、指揮官各級の威力なきにあるといえる。

軍再建に関する件として、情況上、整理可能なるに従って予後備役の招集解除を行い、できるだけ速やかに平常の体制に移し、兵員の不足は補充兵、新兵をもって充足する。

下士官の精違整理を行い、徹底させる短期再教育を行う、将校についても同断、戦地教育の徹底をはかる。」(田中新一   支那事変記録   その4)

南京事件に至るまで〜16(南京攻3)
へつづく、、、、

あったのさ(笑

投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/08/20 07:39 投稿番号: [5901 / 29399]
>南京大虐殺はこんなちゃちな掲示板で語ることはできない!!!!
>こんなトピを作ったやつはそんなことにも気づかんのかい?そんな事言ったらほかのトピも馬鹿らしくなっちゃうんだけどね・・・・・・
>おれは虐殺無かった派


あったのさ(笑
人数は未定だがな
虐殺はあったのさ

このトピ消してよし

投稿者: amago2981 投稿日時: 2004/08/18 20:19 投稿番号: [5900 / 29399]
南京大虐殺はこんなちゃちな掲示板で語ることはできない!!!!
こんなトピを作ったやつはそんなことにも気づかんのかい?そんな事言ったらほかのトピも馬鹿らしくなっちゃうんだけどね・・・・・・
おれは虐殺無かった派

YellowFlute = mituru171819

投稿者: hoax_cn 投稿日時: 2004/08/18 18:46 投稿番号: [5899 / 29399]
元マルタ

当時の南京の写真集

投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/18 18:30 投稿番号: [5898 / 29399]
  何十万人もの大虐殺があったと言われる当時の南京写真がありますので見てください。


「南京陥落後に撮影された風景」
http://www.history.gr.jp/nanking/fukei.html

  南京大虐殺がなかった証拠にはなりません。
  しかし、少なくとも戦後言われている大虐殺が日本軍によって本当に行われたとは疑いたくなるような情景です。

  真実は野次馬記事、扇動記事からでは分かりません。
  「南京大虐殺」問題を政治問題として利用しようとする国砕主義者達や左翼活動のデマに惑わされないようにしたいと思います。

  ただし、これも写真など視野が狭いものですから撮る位置などによって見え方が大きく変わることも確かです。

>>知らないということは怖いことです

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/18 02:09 投稿番号: [5897 / 29399]
アメリカには真摯さなどまるでないということと、
日本の戦争責任の有無は全く別の話です。

アメリカは、自らの手で自国民を大量虐殺し、それを他国のせいにして
戦争をふっかけ、相手の国をさんざん蹂躙獅して領土などを奪う。
しかも、そのあげく相手を悪の化身のように仕立て上げる。
アメリカは、そういう国である、ただそれだけです。

おすすめHP(大東亜戦争の海外の評価)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=2597

お前本物のあほだろ

投稿者: mathercom0121mov 投稿日時: 2004/08/17 22:50 投稿番号: [5896 / 29399]
いつも虐殺はあったと言ってるくせに今知っただと?
お前猿以下の記憶力だな。
しかも捏造された歴史を信じるとは。哀れの一言に尽きる。

Re南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ

投稿者: mituru171819 投稿日時: 2004/08/17 19:11 投稿番号: [5895 / 29399]
ひどいなああああ!!!
そんな事実があったのかあああ!!
ひどおおおいいいいい!!

・・・・・・・・・・・・・・

南京大虐殺   ナンキンだいぎゃくさつ

日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大量虐殺事件。
中国では南京大屠殺(とさつ)という。1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)
大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占領した際におき
た。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された中国人は数万人とする説から43万人
とする説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。

1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・
華北にしだいに戦線を拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強な抵抗
で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物資補給のために略奪をくりかえし、
敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。12月13日に
南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京
城内外で敗残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえし
た。

南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ

投稿者: lebenkorper 投稿日時: 2004/08/17 19:09 投稿番号: [5894 / 29399]
南京大虐殺   ナンキンだいぎゃくさつ

日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大量虐殺事件。
中国では南京大屠殺(とさつ)という。1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)
大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占領した際におき
た。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された中国人は数万人とする説から43万人
とする説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。

1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・
華北にしだいに戦線を拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強な抵抗
で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物資補給のために略奪をくりかえし、
敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。12月13日に
南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京
城内外で敗残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえし
た。

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Microsoft Encarta(R) 総合大百科より

南京事件に至るまで〜14(南京攻略1)

投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/15 22:34 投稿番号: [5893 / 29399]
南京事件に至るまで〜14(南京攻略 )

11月中旬、日本軍は上海全域を制圧した。

上海派遣軍の本来の目的である「日本人居留民保護」はこれで達成された。

約3ヶ月におよんだ上海戦に多大な犠牲を強いられ、心身共に消耗した兵士は、これで本国へ凱旋できるはずであった。

陸軍省の作成した「上海付近の作戦一段落に当たり政府の行う声明案」(10月28日)によれば、「上海戦を制すれば、直ちに軍事行動を停止し、欣然日支の友交をおさむるに吝かならず」と記されていた。(軍令部第1部甲部員/支那事変処理)

陸軍中央部にとっては上海派遣軍の士気低下、軍規の弛緩、不法行為の激発が深刻な問題となっていた。

陸軍省軍務局軍事課長田中新一大佐は「軍規粛正」として所見を書いている。

「軍規頽廃の根元は、召集兵にある。高年次招集者にある。

招集の憲兵下士官などに唾棄すべき知能犯的軍規破壊行為がある。

”現地依存の給養上の措置”が誤って軍規破壊の第一歩ともなる。

すなわち、地方民から物資購買が徴発化し、掠奪化し、暴行に転化するごときが、それである。、、、補給の停滞から第1線を飢餓欠乏に陥らしめることも軍規破壊のもととなる。

軍規粛正の道はそれらの全局面にわたって施策せられなければならないが、当面緊急の問題は、後方諸機関にある。

後方諸機関の混乱は動員編成上並びに指揮系統上の見落としも、もちろん起因するが、後方特設部隊の軍紀的乱脈が大問題である。

軍事的無知、無規律、無責任、怠慢などおよそ、国体行動の要素は皆無というべく、これをこのまま放置しておいては全軍規律を動揺せしめることにもなる。

問題は制度や機構よりも人事的刷新にある」(田中新一   支那事変記録   その3)

松井石根中支那方面軍司令官が南京を占領して国民政府に代わる新政権樹立する意図を表明してはばからないことに対して田中新一は、

「松井大将としては南京攻略を切望す。目的は蒋介石を倒す、、ただし、師団の現状では戦闘能力なかんずく攻撃力に不足するものと,見あり。

軍紀風紀の維持については、憂慮すべきもの多く、その原因の重大なるものは、指揮官各級の威力なきにあるといえる。

軍再建に関する件として、情況上、整理可能なるに従って予後備役の招集解除を行い、できるだけ速やかに平常の体制に移し、兵員の不足は補充兵、新兵をもって充足する。

下士官の精違整理を行い、徹底させる短期再教育を行う、将校についても同断、戦地教育の徹底をはかる。」(田中新一   支那事変記録   その4)

陸軍中央において、武藤章とともに拡大派の中心であった田中新一でさえ、軍紀紊乱した上海派遣軍を南京攻略に動員するのは無理と判断し、上海派遣軍の再建の方策として、予後備役兵の早期召集解除と国内帰還、将校・下士官の短期再教育の徹底を痛感していたのである。

予後備役兵の召集解除ということになれば、予備役大将の松井石根司令官の召還も対象となったはずである。(河辺虎四郎少将回想応答録)

参謀本部もこうした軍紀頽廃した将兵からなる上海派遣軍を南京攻略に駆り立てれば軍紀を逸脱した不法行為、残虐行為が激発する可能性を懸念し、上海戦を一段落として派遣軍を整理し、休養を与える必要を考慮していた。

その矢先に、、、参謀本部に「集団は19日朝、全力をもって、、、、、」の報告が第10軍より届く、、、

南京事件に至るまで〜15(南京攻略2)
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