南京事件に至るまで〜17
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/24 06:28 投稿番号: [5924 / 29399]
南京事件に至るまで〜17(南京波状進軍1)
冷静な判断力をもった指導者ならば国民政府の重慶移転宣布(11月20日)により、すでに首都ではなくなった南京を短時日で攻略するほどの戦略的意味がないことは明白である。
結局は陸軍中央部内で「下克上」的に主導権を掌握しようとした拡大派の党派心と
南京占領=中国の屈伏の殊勲者という時代錯誤的な功名心にかられた中支那方面軍・第10軍の上級指揮官たちの野心とが相乗して、正式命令のないまま、南京攻略戦が開始強行されてしまったのである。
大規模な報道陣を送り込み、従軍記者に少なからぬ被害者を出しながら、「南京城に日章旗が翻るまで、、」という報道合戦を繰り広げ、国民の戦意高揚をはかったのである。
12月1日大本営は「中支那方面軍司令官は、海軍と共同して敵国首都南京を攻略すべし」(大陸命第8号)との南京攻略を下命し、中支那方面軍の独断専行を正式に追認した。
同時に松井石根を司令官とし、上海派遣軍と第10軍から編成される中支那方面軍の「戦闘序列」が正式に下命された。
翌日皇族の朝香宮鳩彦王中将が上海派遣軍司令官に任命され(7日着任)松井司令官は派遣軍と方面軍の兼任を解かれた。
が、
全軍の統括、統制するのに不可欠な兵站機関を持たない、正規の軍では無いことに変わりはなかったのである。
12月2日、蒋介石から駐華ドイツ大使トラウトマンに日本側の和平条件を認める意向を伝えてきたが、南京陥落間近という興奮にかられた近衛内閣の閣僚たちは”日本側から要請した”にも関わらず、トラウトマン和平工作をないがしろにし、
広田弘毅外相は「犠牲を多く出したる今、かくのごとき軽易なる条件をもってしてはこれを容認しがたい。」と述べ、近衛首相は「大体、敗北者としての言辞無礼なり」と強行意見を述べている。
杉山陸将も「この度はひとまず、ドイツの斡旋を断りたい」と申し出た。
近衛内閣は、日中戦争の停戦、和平の実現を目指したトラウトマン和平交渉を棚上げにしてしまい、戦局収拾の可能性を自ら絶ってしまったのである。
「あきれ果てる大臣どもである、、もう行き着くところまで行って目がさめるより他、致し方なし。日本は本当に国難にぶつからなければ救われないだろう」と石射猪太郎は日記に記す。
南京事件に至るまで〜18(県城と村で始まった虐殺)につづく)
これは メッセージ 5912 (kinngyoya301 さん)への返信です.
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