南京事件に至るまで〜15(南京攻略2
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/20 22:54 投稿番号: [5903 / 29399]
南京事件に至るまで〜15(南京攻略2)
軍規頽廃した上海派遣軍を南京攻略に動員するのは無理と判断し、再建の方策として予備役、後備役兵の早期招集解除と国内帰還、将校、下士官の短期再教育の徹底を痛感、考慮している最中の11月20日参謀本部に第10軍から
「集団は19日朝、全力をもって南京に向かって追撃を命令」という報告が届いた。
参謀本部次長多田駿中将(石原完爾派)は非常に驚き、急を要するので直ちに中止せよ、制令線から後退させよ、と指示を出した。
拡大派の下村第1部長は内心は南京追撃論であったので、本問題は中支方面軍の統帥に任せるべきであると意見を述べた。しかし、多田次長の強い意見に従い、20日夕方、中支方面軍参謀長あてに
「第」10軍の南京追撃は臨命第600号(作戦地区)指示の範囲を免脱している」と打電した。
前後するが、これより先、11月15日第10軍は軍司令官柳川平助中将臨席のもと
に幕僚会議を開き、軍主力をもって独断南京追撃を敢行することをすでに、決定していた。
制令線を設定して奥地に侵攻することを禁じた軍中央の対する、明らかな命令違反である。
11月24日第10軍に続いて、今度は中支那方面軍から「事変解決を速やかならしむる為、現在の敵の頽勢に乗じ、南京を攻略するを要す」とう意見書が参謀本部に届いた。
下村第1部長は多田参謀次長を説得し、中支那方面軍の作戦地域を制限している制令線の撤去を指示した。(大陸指第5号)
それでも多田参謀次長は戦線拡大を深く憂慮し、中支那方面軍参謀に「南京方面へは進撃しないように」電報を打っている。
11月20日天皇に直属する最高戦争指導機関である大本営が設置され、24日には天皇臨席のもとに、参謀本部、陸軍省、軍令部、海軍省の最高首脳が出席して第一回大本営御前会議が開かれた。
同会議では参謀本部の下村第一部長の中支那方面軍の作戦計画について参謀本部で起案した原稿を読むかたちで次のように説明している。
「この軍(中支那方面軍)は上海付近の敵を掃滅するを任務とし、かつ同地を南京方面より孤立せしむることを主眼として編組されております関係上、その推進力には相当制限がございます
のみならず、目下その前線部隊はその輜重はもとより、砲兵のごとき戦列部隊すらなお遠く後方にあるものすくなくございません。
従って一挙直ちに南京に到達し得べしとは考えておりませぬ」、以上は前線からの報告に基づき、
中支那方面軍の現状では南京攻略は無理である事を述べたもので、多田参謀次長の承認を得たものであった。が、下村部長は多田参謀次長に無断で原稿にない事を発言したものである。
「この場合中支那方面軍その航空隊をもって海軍航空兵力と協力して南京その他の要地を爆撃し、かつ絶えず、進撃の気勢をしめして敵の戦意を消磨せしむることと存じます。統帥部といたしましては、今後の状況いかんにより該方面軍をして新たなる準備態勢を整え、南京、その他を攻撃せしむる事をも考慮しております」(下村定大将回応答録)
下村部長の発言から海軍航空隊の南京爆撃が陸軍の南京攻略の前哨戦の意味を示すものでることが露呈されている。
下村作戦部長と中支那方面軍司令部とが共謀して参謀本部と命令系統を無視して南京攻略作戦を「下克上」的に進めたのである。
南京事件に至るまで〜16へ
軍規頽廃した上海派遣軍を南京攻略に動員するのは無理と判断し、再建の方策として予備役、後備役兵の早期招集解除と国内帰還、将校、下士官の短期再教育の徹底を痛感、考慮している最中の11月20日参謀本部に第10軍から
「集団は19日朝、全力をもって南京に向かって追撃を命令」という報告が届いた。
参謀本部次長多田駿中将(石原完爾派)は非常に驚き、急を要するので直ちに中止せよ、制令線から後退させよ、と指示を出した。
拡大派の下村第1部長は内心は南京追撃論であったので、本問題は中支方面軍の統帥に任せるべきであると意見を述べた。しかし、多田次長の強い意見に従い、20日夕方、中支方面軍参謀長あてに
「第」10軍の南京追撃は臨命第600号(作戦地区)指示の範囲を免脱している」と打電した。
前後するが、これより先、11月15日第10軍は軍司令官柳川平助中将臨席のもと
に幕僚会議を開き、軍主力をもって独断南京追撃を敢行することをすでに、決定していた。
制令線を設定して奥地に侵攻することを禁じた軍中央の対する、明らかな命令違反である。
11月24日第10軍に続いて、今度は中支那方面軍から「事変解決を速やかならしむる為、現在の敵の頽勢に乗じ、南京を攻略するを要す」とう意見書が参謀本部に届いた。
下村第1部長は多田参謀次長を説得し、中支那方面軍の作戦地域を制限している制令線の撤去を指示した。(大陸指第5号)
それでも多田参謀次長は戦線拡大を深く憂慮し、中支那方面軍参謀に「南京方面へは進撃しないように」電報を打っている。
11月20日天皇に直属する最高戦争指導機関である大本営が設置され、24日には天皇臨席のもとに、参謀本部、陸軍省、軍令部、海軍省の最高首脳が出席して第一回大本営御前会議が開かれた。
同会議では参謀本部の下村第一部長の中支那方面軍の作戦計画について参謀本部で起案した原稿を読むかたちで次のように説明している。
「この軍(中支那方面軍)は上海付近の敵を掃滅するを任務とし、かつ同地を南京方面より孤立せしむることを主眼として編組されております関係上、その推進力には相当制限がございます
のみならず、目下その前線部隊はその輜重はもとより、砲兵のごとき戦列部隊すらなお遠く後方にあるものすくなくございません。
従って一挙直ちに南京に到達し得べしとは考えておりませぬ」、以上は前線からの報告に基づき、
中支那方面軍の現状では南京攻略は無理である事を述べたもので、多田参謀次長の承認を得たものであった。が、下村部長は多田参謀次長に無断で原稿にない事を発言したものである。
「この場合中支那方面軍その航空隊をもって海軍航空兵力と協力して南京その他の要地を爆撃し、かつ絶えず、進撃の気勢をしめして敵の戦意を消磨せしむることと存じます。統帥部といたしましては、今後の状況いかんにより該方面軍をして新たなる準備態勢を整え、南京、その他を攻撃せしむる事をも考慮しております」(下村定大将回応答録)
下村部長の発言から海軍航空隊の南京爆撃が陸軍の南京攻略の前哨戦の意味を示すものでることが露呈されている。
下村作戦部長と中支那方面軍司令部とが共謀して参謀本部と命令系統を無視して南京攻略作戦を「下克上」的に進めたのである。
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