南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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「平頂山」は

投稿者: htfgs719 投稿日時: 2004/08/22 12:14 投稿番号: [5907 / 29399]
  >1938年12月の写真を南京陥落後と説明されていますが、・・

  一部に日付誤りがあるようですが、具体的にどれを指すのでしょうか?

  それと中国人の表情に対するご指摘はそのとおりだと思います。
  攻撃側の日本兵に対し容易に気を許せるはずはありませんし、中国人は皆腕に日本の国旗らしき腕章を付けています。
  ですから、一般人と更衣兵を区別し兵士でないことを確認された人たちのみが写っているのです。
  しかし、これを見る限り、難民を無差別に虐殺してはいないと言えると思いますがいかがでしょうか。

  それと
  >南京の「平頂山」で大量の頭蓋骨が発掘され、その写真が公開されています。
  とのことですが、
  これは1932年、撫順市の平頂山山頂部分にあった平頂村での事件と思います。
  1937年12月の南京事件と混同されていませんでしょうか。

「満洲どよよん紀行6 撫順 平頂山」
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/doyoyon/doyoyo6.html

経緯を要約すると
  郊外に匪賊が集結中との情報が入り、防備隊600名を非常召集、警官約200名を加えて、塔連、竜鳳、新屯、万達屋、老虎台、東ガ岡の発電所に配置された。
  一部を守備隊に待機させ、古城子、楊柏堡、千金牧場、塔連方面に分散配置した。

  しかし、匪賊は満人の中に通匪の網を張っており、16日午前1時頃、防備隊の裏をかいて、手薄な個所を狙って襲撃してきた。

  匪賊は三部隊に分れ、一は楊柏堡・同火薬庫、一は東郷採炭所、他は東ガ岡・老虎台両採炭所を、ほとんど同時刻に襲った。

このとき、守備隊は重傷2名、炭鉱職員は死亡4名重傷2名、社員家族は死亡1名重傷2名、匪賊は遺棄死体約50、捕虜数名であった。
その後、炭鉱業務はしばらく停止を余儀なくされた。

この襲撃に際して、匪賊は相当期間、撫順の警備状況を探索したと思われ、それには撫順の満人が通牒したことは疑いがなかった。
井上中尉は襲撃の足がかりとなった平頂山が、最も通匪の嫌疑が濃厚とにらみ、独断で一小隊(40名)を率い同部落を調査した。
すると、前夜の襲撃現場からの盗品が続々と見つかり、部落民が匪賊と行動を共にしたのは明確となった。

しかし、平頂山村部落民を訊問してものらりくらりと容易に白状しない。
井上中尉は激怒し、徹底的に調査するとし、住民に一時立ち退きを命じ、崖下に集合させ、部下に軽機で掃射させたのだった。

しかし、撫順という都市で住民が調査もされずに一挙に処刑された、という事実は匪賊の襲撃にも劣らぬマイナス面を生じた。

とあります。
  諜報の証拠があったとしても、村民全員を対象にした殺戮は日本軍による大変な失態としか言いようがありません。

  しかし、日中戦争・南京事件と結び付けられるものではないと思います。
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