南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: singodama 投稿日時: 2011/12/29 02:20 投稿番号: [26662 / 29399]
頼むから、左翼の知識がキチガイレベルだと証明しないでくれ。
ショジジ、深川、わだつみ、頼むよ。
まだ、慰安婦、南京で飯食いてえんだよ。
頼むよ。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/28 22:25 投稿番号: [26661 / 29399]
では、台湾人元慰安婦は嘘吐きであると?
「いわゆる慰安婦は朝鮮人の捏造だ」なる
貴殿の主張は撤回したわけだ。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/28 22:15 投稿番号: [26660 / 29399]
>現在のその人が戦後の感覚で戦前の軍や警察の車両一般を
ジープと呼ぼうが、別に不思議はないわな。

↑この説は承認できない。過去現在、台湾でジープと呼んでいるのは、二次
大戦中にアメリカが設計生産したあの外形簡潔な小型乗用車である。日本語
を話す人も話さない人も、あの車だけをジープと呼び、それ以外の車をジー
プと呼ぶことはない。「長い間ジープを見かけないぞ」「もうとうに製造を
停止したのだよ」という会話が発生する可能性がある。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: kaze_no_matasaburou_dayo 投稿日時: 2011/12/28 22:01 投稿番号: [26659 / 29399]
祖父は戦時中に熊本の警察から台湾の警察へ異動があり、
終戦まで勤務していたがそのような話はまったくなかった。
祖母、叔父、叔母、母も台湾へ一緒に越して生活していたが、
近所の台湾人とは仲良く暮らしていたということ。
その当時の写真も母や叔父のアルバムに残っているし、
母、叔父、叔母はその当時は小学生であったり中学生であったり
女学校生あったりしていたが、通学も一人で歩いて通っていたが、
特に危険な場所などなかった。
その当時、警察署はアメリカ軍の攻撃で被弾し焼けてしまった。
祖父たちが住んでいた家は門の所が被弾し破壊されてしまったが、
家屋は無事だった。

終戦後は、友人だった台湾人がその家に住み、日本に帰化した
別の台湾人が昭和末期に台湾旅行をした際に、自分たちが住んでいた町や
家屋の様子を見に行ったところ、当時祖父たちが住んでいた家屋は
レンガ造りであったため現存していて懐かしかったという。

母の古い住所録にはその当時台湾で一緒だった人や日本に帰化した台湾人の
名前が並んでおり、その当時を懐かしみ語り合う会が時々開かれていた。
一部の人は既に他界されているが、帰化した台湾人の人からは
跡取りの息子さんからの年賀状が届きます。
台湾は当時同化政策により日本と同じく治安が良く、
日本政府が、広い道路と整備された街並みの住みよい新しい街づくりをしていた。

そして、「ジープ」は基本的に日本にはない車ですよ。
そういう形状の車さえない。
もしその当時日本に屋根のない車があるとすれば、
それはドイツ製のワーゲンでしょう。

「朝日丸」はイタリア製の貨客船であり、戦時中は病院船であったり
軍備や食料の輸送船だった記録が詳細に残っています。
記録では1942年4月28日に佐世保に帰港し、3月に爆撃を受けた修理を
行って後トラック諸島などの南方へ負傷者を運ぶ病院船として行ってはいるが、
インド洋へのそれもインド国東海上のアンダマン島へは向かっていないし、
記録と話の時間軸も合致しない。
アンダマン島はその当時、日本軍は1942年3月23日に南アンダマン島に上陸し、
自由インド仮政府の統治下に置いたのであって、その島で問題があったとすれば
イギリス軍が行ったアンダマン諸島への物資の輸送を阻止する飢餓政策の方が
実際に餓死者が出ているので大きな問題であると思われます。
ところが終戦時にアンダマン諸島関係の数十名の日本人はBC級戦犯として
処刑されているそうです。

話を戻しますが、もし台湾人の被害女性の話が事実に沿ったものであると仮定し、
記録と擦り合わせるならば、当時台湾にいた華僑たちの仕業とも考えられます。
そして船も朝日丸ではなく別の船である可能性が高い。
たとえば、マレーシアで日本人観光客の相手をするレストランは
華僑の経営するものであって、従業員は安い賃金の中国人やマレー人です。
店の中が2分されていて、観光客用の広いスペースと、
現地人や現地のガイド用の安っぽい造りのスペースとなっている所が
多くあります。
こうした華僑の現地人蔑視や不当労働は今もなお続いています。

なお、日本人警察官であれば当時も警察手帳を所持しています。
母が台湾で警察官だった祖父の遺品として所持しているので間違いありません。

とにかく、「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということで、
あることないこと日本のせいにされてはたまりません。


Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/28 20:05 投稿番号: [26658 / 29399]
難でお前が分からないんだい、間違いは間違い、無いものは無い、在ったら示せと言っている、脳死君。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/28 18:53 投稿番号: [26657 / 29399]
台湾人のおばあさんがどういう言い方をするかが
何でおまえにわかるんだい?台湾人は嘘吐きだと
unhoo氏に言ってやればよかろう。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/28 18:42 投稿番号: [26656 / 29399]
いいえジープという言い方はしません、又ジープの様な車両は日本軍には有りませんあったら教え手頂戴な、脳死君。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/28 13:29 投稿番号: [26655 / 29399]
>↑戦後アメリカ兵が台湾でジープを乗り回すまでは、
台湾にジープという言葉がなかった。

だから?
現在のその人が戦後の感覚で戦前の軍や警察の車両一般を
ジープと呼ぼうが、別に不思議はないわな。

現在の老人が戦前の女のことを女性と呼んだとき、戦前は
女性とは呼ばずに婦人と呼んだはずだからおまえは嘘吐きだ
と言っても無意味だろう。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/28 06:01 投稿番号: [26654 / 29399]
ジープは米軍の軍用車、アジアには無かったと思ったけどね、不思議なお話だね、日本軍では軍用車と呼んでいた。

因みに日本軍の車の呼び方。

乗用車   将校用

小型乗用車   将校用

貨物車

小型貨物車

三輪貨物車

燃料車

電源車

探照灯車

消防車

消防三輪車

散水車

救護車

四輪駆動車

装気車

起重車

此の中にジープの様な形は無いと思うけどね。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/28 05:47 投稿番号: [26653 / 29399]
そういうことを知らん女生徒が居たことを示してから御話しくださいね。

ろくに学校に通わんでも字も書けるし算盤もはじける、之が世の中。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/28 02:37 投稿番号: [26652 / 29399]
>わしもあまり知らんが、軍用車のことをジープと呼んでいたのかもしれませんな。

↑戦後アメリカ兵が台湾でジープを乗り回すまでは、台湾にジープという言葉がなかった。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/28 02:29 投稿番号: [26651 / 29399]
>看護婦に直ぐ成れないことは、台湾女性は百も承知だよ、

↑支那事変が始まると、台北にすぐ臨時陸軍病院ができた。台湾の高女卒業
生を内地人本島人の別なく特志看護婦に採用した。応募者は訓練を受けた
後、看護婦になった。下士官待遇だったそうだ。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/28 02:07 投稿番号: [26650 / 29399]
>日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校
への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止
められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは
断ることもできずに乗りました。

↑戦前の高女生は今の大学生よりも権威があったのであって、それを呼び止
めて慰安婦にするような大胆な巡査はいなかった。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/27 22:46 投稿番号: [26649 / 29399]
>日本軍にジープがあったのかい、初耳というより驚くばかりだよね、嘘吐く君。

わしもあまり知らんが、軍用車のことをジープと呼んでいたのかもしれませんな。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/27 22:42 投稿番号: [26648 / 29399]
>看護婦に直ぐ成れないことは、台湾女性は百も承知だよ、何故なら日本人の教育を受けていたからね、

そういうことを知らん女子生徒もおられたかもしれませんぞ。

当時の日本は貧しかったですから。

わしも家の手伝いばかりさせられて、ろくに学校にも通わせてもらえませんでしたな。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/27 16:29 投稿番号: [26647 / 29399]
日本軍にジープがあったのかい、初耳というより驚くばかりだよね、嘘吐く君。


日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは断ることもできずに乗りました。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/27 16:22 投稿番号: [26646 / 29399]
看護婦に直ぐ成れないことは、台湾女性は百も承知だよ、何故なら日本人の教育を受けていたからね、内地と同じように、可なりの高等教育だよ小学校もね、嘘吐きが好きなんだね同類だから、嘘吐く君。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/27 16:20 投稿番号: [26645 / 29399]
兵隊にご飯を作ったり、裁縫をして遣る様なお仕事は無いことは、台湾の女性も百も承知だよ、何故なら台湾人の兵がチャンと居るんのだからね、嘘吐きばかりだね。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/27 14:47 投稿番号: [26644 / 29399]
- QUOTE -

戦前、日本の植民地下にあった台湾から阿媽(あま=おばあさん)六人が来日し、(2007年)六月二十八日、東京都内で証言しました。

養母と茶摘みをして生計を立てていた盧満妹さん(80)は、「十七歳のとき、看護婦にならないかとだまされて中国の海南島へ連れて行かれた」。台湾より給料がいいともいわれました。

盧さんは日本兵の相手をさせられ、妊娠。八カ月の身重になるまで解放されませんでした。台湾に帰り、男の子を出産しましたが、マラリアにかかり、三十八日目に子どもは亡くなりました。

「十七歳だった私が本当に自分の意思で行ったのでしょうか」と盧さんは訴えます。

日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは断ることもできずに乗りました。

ジープは学校の前を通り抜けました。着いた先は小さな旅館。「魏」という姓の夫婦に引き渡されました。ほかに二十余人の若い女性がいました。

翌日、高雄のふ頭から「アサヒマル」という軍艦でインド洋のアンダマン島へ。一年二カ月後には、サイパン島へ連行されました。鄭さんも妊娠しました。

陳樺さん(82)はフィリピンで看護助手を募集しているといわれました。「ナカムラ」という日本人が養父に出国の同意を執拗(しつよう)に迫りました。養父が断ると、「多くの看護婦が死を恐れずに戦地に赴いた。陳家も国のため、兵士のため、何かすべきだ」と繰り返しました。養父は同意せざるを得なくなりました。

フィリピンのセブ島に着き、「慰安婦」として来たことを初めて聞きました。「(連行された大きな建物が)慰安所とわかり、一緒に来た子たちと泣いた」といいます。

黄呉秀妹さん(89)は四〇年から約一年、中国広東省で被害を受けました。「具合が悪くても拒否すれば刀を取り出し、脅迫した。私は子どもを産めない体になった。いまも体がボロボロです。安倍首相は私たちの悲劇をご存じでしょうか。日本政府に謝罪してほしい」

- UNQUUOTE -

台湾人慰安婦の証言

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/27 14:38 投稿番号: [26643 / 29399]
- QUOTE -

そのとき、わたしの婚約者は日本の兵隊にとられて、南方へ行っていました。わたしは家でお父さんの仕事を手伝っていました。そうしたら日本人の警察が呼びに来て、仕事があるから来なさいって言いました。

兵隊にご飯をつくったり、破れた着物を縫ったりする仕事だと。行きたくないと思ったけれど、警察の人が、いまは戦争で男も女も国家総動員法だから来なくてはいけないと言うので、働きに行くことにしました。

日本兵がたくさんいました。わたしのほかに女の人も何名かいました。わたしたちは朝起きたら顔を洗って、ご飯をつくって兵隊に食べさせ、それから洗濯して、破れた着物を縫いました。そうしたら、夜になって呼ばれて、部屋に入れられて…、悪い仕事でした。

泣いてばかり。昼間は着物を縫って、洗濯して、この仕事は楽でした。でも夜は死んだ。死んでるんです、死んでいる気なんです。逃げたいけれど道がわからない。それに門のところに兵隊が立っているから、逃げたら鉄砲で撃たれるでしょう。

子どもだったんですよ、なにもわからなかった。妊娠したこともわからない。食べ物を食べても吐くから、一緒にいた女の人に妊娠しているよと言われました。二ヶ月で流産しました。今でも涙が出ますよ。あぁ…あんたにこんな悪い話を聞かせて、すみませんね。

婚約者はもう死んだと思っていたけれど、戦争のあと長い間して突然帰ってきました。それから結婚しました。でも主人にもずっと言わなかった。誰にも何も言わなかった。言えないですよ。

50年たってから、ほかにもわたしと同じ人がいることがわかって、わたしも黙っておれなくなって、がまんできなくなって、主人に話しました。許してくださいといって頭を下げた。

主人はびっくりして、自分も戦争で苦しかった、あんたも苦しい目に遭っていたんだねと言いました。でもしようがない、これは戦争だからといって許してくれました。

それまでずっと、主人がこれを聞いたら、わかったらどうするかと思うと、心が怖かった。そのことばかり考えていました。でも主人に話して、気持ちが明らかになりました。

いまは主人とふたりで暮らしています。ひざや体が痛くて畑の仕事もうできないから、野菜を少しつくって、こうして束にして売りに行っています。年寄りだから米も少ししか食べないから、それで足りるでしょ。お金ないから、生活はとても苦しい。

- UNQUOTE -

破綻しているのは

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/26 01:02 投稿番号: [26642 / 29399]
言語能力か読解能力だと思うのだがな。

>それは左記のように

日韓請求権並びに経済協力協定
第二条
1   両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。 」

その人は条約文をちゃんと読んでいないだけでしょうな。

仮にこれが違うと言い張ってもこう言うのもあるのだがな

財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律
http://www.ron.gr.jp/law/law/daikan_2.htm

ちなみに散々日本を非難し、賠償よこせと言ってきた韓国人でさえ日韓基本条約が公開された内容を読んだら「自分らが間違いだった」と認めているものを…

>クマラスワミ報告書

そしてその評価内容は「留意」=「もっとよく頑張りましょう」で日本に対しても「まぁ、適当に頑張れ」程度の勧告内容なんだが。

>マクドゥーガル報告書

遡及法やっている上に何故か西洋諸国はだけはそれから逃れられるとかいうおもしろ報告書ですな。

しかも慰安婦問題に関してはその支持者からも「政府調査に基づく内容とか言っている癖に実際には一つもない」とし、しかもわざわざ忠告までしたのに「無視された」とか言うものですが。

>国家が個人被害者の補償請求権を放棄することは

それはその個人が所属する国家などがない、または請求できない場合であって日韓のようにちゃんと条約で解決している場合はそれには当てはまりませんけど。

慰安婦問題

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/25 23:57 投稿番号: [26641 / 29399]
朝鮮人が言うことは「もっと金をくれ」である。

いわゆる慰安婦は朝鮮人の捏造だ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/25 23:49 投稿番号: [26640 / 29399]
台湾から慰安婦が一人も出なくて、朝鮮から慰安婦が何万も出たのはなぜ
か。日本から金を貰うことが朝鮮人の習癖だから、捏造したのだ。日本は朝
鮮慰安婦なる物乞いどもを無視せよ。彼等は世界の安寧を撹乱し、世界から
憎まれている。

一顧だにされなかった右翼のプロパガンダ

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/25 20:34 投稿番号: [26639 / 29399]
自分(自国)を客観視できないのはレイシストの特徴
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20111218/1324213838

(前略)
決定的なのは、韓国の憲法裁判所が慰安婦問題解決に尽力しないのは違憲だと判断したことです(2011年8月)。この状況で来日して首脳会談を行う以上、李明博大統領はこの件に触れざるを得ません。

慰安婦問題支援団体が日本大使館前に慰安婦像を設置したのは、タイミング的にも効果的だったと言えます。

一方の日本ですが、1993年の河野談話以降の一時期、慰安婦問題解決に向けた努力をしたことはありましたが、国内右派の執拗な反対と自民党政権の復活により慰安婦問題を事実上無視しているに等しい状況に陥っています。

(中略)
少なくともこの10年間、日本政府は慰安婦問題の存在を事実上無視し続け、国内での慰安婦否定論や元慰安婦を誹謗中傷する発言を野放しにした挙句、安倍内閣に至っては議員らがそれらの否定論に与するという恥知らずな行為を行ってきています。

こういった環境が10年続き、ネット民の認識もまた歪んでいます。

(中略)
ネトウヨでなくともこのような認識を持っている人はネット上では少なくありません。

慰安婦問題について韓国が声を上げれば上げるほど、「彼国の偏執性が視覚化される」という認識です。

しかし、第三国から見れば、現在日本のこの状況は、”レイプ魔が居直っている”ようにしか見えないでしょう。

だからこそ、韓国のみならず、欧米・アジアの多くの国で慰安婦問題の解決を求める決議が相次ぎ、日本右翼の「The FACT」なるプロパガンダは一顧だにされなかったのです。

「賠償は日韓条約で解決済み」論の破綻

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/25 20:26 投稿番号: [26638 / 29399]
日本政府の「元慰安婦への賠償は日韓条約で解決済み」論の誤り
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3067.html より

●Afternoon   Cafe
日本政府の「元慰安婦への賠償は日韓条約で解決済み」論は破たんしていることを示す論文のご紹介
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-775.html

第一   国連における議論

一   日本政府は、国連において日本の戦後補償問題が討議されるたびに、「日韓協定により解決済」論を主張してきた。
  しかし、それは左記のように、「日韓協定は経済協力問題を扱ったものであり、被害者の人権に関する条約ではない」「日韓会談において『慰安婦』問題が討議されたことはない」などの理由で一蹴されてきた。

二   国連人権委員会クマラスワミ報告書(1996年)
「特別報告者の見解によれば、サンフランシスコ講和条約も二国間条約も、人権侵害一般に関するものでないばかりか、とくに軍事的性奴隷制に関するものでもない。当事国の『意図』は『慰安婦』による特定の請求を含んではいなかったし、かつ同条約は日本による戦争行為の期間中の女性の人権侵害に関するものでもなかった。したがって、特別報告者の結論として、同条約は、元軍事的性奴隷だった者によって提起された請求を含まないし、かつ日本政府には未だに国際人道法の引き続く違反による法的責任がある。」

三   マクドゥーガル報告書(1998年)
「…この条約が当事国間の『財産』請求問題の解決を目指した経済条約であり、人権問題に取り組んだものでないことは明白である。…韓国側代表が日本に示した請求の概要を見れば明らかなとおり、この交渉には、戦争犯罪や、人道に対する罪、奴隷条約の違反、女性売買禁止条約の違反、さらに国際法の慣習的規範の違反に起因する個人の権利侵害に関する部分は全くない…したがって、日韓協定第二条で使用される『請求権』という用語は、このような事実が背景にあるという文脈で解釈しなくてはならない。日韓協定に基づいて日本が提供した資金は、明らかに経済復興を目的としたものであり、日本による残虐行為の個々の被害者に対する損害賠償のためのものではない。1965年の協定はすべてを包含するような文言を使用しているが、このように、二国間の経済請求権と財産請求権のみを消滅させたものであり、個人の請求権は消滅していない。したがって日本は、自己の行為に現在でも責任を追わねばならない。」
四   このように、「経済協力により戦後補償問題が完全に解決した」との日本政府の主張は、国際社会に全く受け入れられていないのである。

(中略)


なお、戸塚悦朗教授が、国家が個人被害者の補償請求権を放棄することはジュネーブ第4条約7条違反であり許されない事を指摘されており、「日韓条約で解決済み」論は破たんしていることを補強する法理論だと思います。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/bib-art.htm

戸塚悦朗   『禁止されていた重大違反行為被害者の個人請求権放棄』

日本政府が、元「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷被害者)をはじめとする、あらゆる被害者に対する謝罪・補償を拒んできた論理の根幹は、「条約の抗弁」(すべての補償問題は、サンフランシスコ平和条約および二国間条約によって解決済み、という主張)である。従来、この「条約の抗弁」に対しては、サンフランシスコ平和条約や二国間条約では性奴隷被害者問題は一切論議されていないこと、日本軍性奴隷のような国際人道法への重大違反行為はユスコーゲンス(強行規範)違反であり、条約による補償請求権の放棄は無効であること、などを理由とした厳しい批判が行われて来たが、この戸塚論文は、1949年のジュネーブ第4条約に着目し、この条約中の重大違反行為に由来する個人被害者の権利放棄を禁じた条項の存在により、「条約の抗弁」は成立し得ないことを従来以上に明快に示した点で、極めて重要なものである。
その論理を簡単に紹介すると次のようになる。
(以下略)

「誠実で真摯な解決」を求められている日本

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/25 20:18 投稿番号: [26637 / 29399]
水曜集会は2011年12月21日で1001回目の開催に
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-975.html

  2011年12月14日のこと、ソウル鍾路区(チョンノグ)中学洞(チュンハクトン)にある駐韓日本大使館前で「日本軍慰安婦」被害者とその支援者の皆様が日本政府の公式謝罪を求めて行っている水曜デモが、1992年1月8日の第一回から、ついに第1000回目を数えてしまった。
  昨日の21日だと1001回目だ。
(略)水曜集会は2001年3月13日の水曜日で500回目を数え、この時点で既にギネスブック入り、以来、ギネス記録更新現在進行形である。

(中略)
  今回、アメリカ下院議会の日本政府への謝罪要求決議以来ではないかと思えるほどに、「慰安婦」関連の話題が盛り上がっている。そして、日本でこの話題に関心を持ってこなかった人にとっては降って湧いたような難癖を付けられてるような気分になってそうにも見える。

  だがしかし、2007年7月にアメリカ下院で「慰安婦」公式謝罪要求決議が採択、2007年11月にオランダ下院で「慰安婦謝罪要求動議」とカナダ下院「慰安婦」謝罪要求動議が採択、2007年12月にEU議会が「慰安婦」公式謝罪要求決議を採択、2008年10月に韓国議会で「慰安婦」名誉回復決議案採択、2008年11月に台湾立法院で「慰安婦」謝罪要求決議採択されている。

  国連の人権関連委員会では、2007年に拷問禁止委員会、2008年に自由権規約委員会、2009年に女性差別撤廃委員会から解決を勧告されているし、2008年には、国連人権理事会の普遍的定期審査では、日本政府に「慰安婦」問題の解決を促す各国の声を入れた報告書が正式に採択されている。ちなみに、国際労働機関(ILO)からだって何度も解決を勧告されているのだ。

  また、2009年には、アメリカ下院外交委員会のアジア、太平洋及び世界的環境小委員会委員長であるファレオマヴァエガ議員も「慰安婦」問題国連上程の方針を発言している。

  決して降って湧いた難癖ではないのだ。それを多くの「日本国民」が知らないこと自体、批判の正当性を示している様なもの。

  しかも日本は国連人権理事会の理事国なのだ。誠実で真摯な解決を求められて当然だろう。

Re: 南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/25 09:07 投稿番号: [26636 / 29399]
南京大虐殺は無かったと言うことが、世界中の認識。

兵士の携帯弾約数では物理的に無理。

当時の南京城内警備兵の数では無理。

司令部が南京城内に有ったにも拘わらず、司令部では虐殺を誰も知らなかったという事実。

国際安全員会が便衣兵摘発に協力しているが、殺されたという報告又は抗議は無く、継続して日本軍と便衣兵摘発を行ってたという事実。

便衣兵摘発には国際安全員会が積極的に協力し、一般中国市民を守っていたという事実。

南京の人口は増えはしても減ったという報告は何処にも無いという事実。

南京は南北に分けて、上海派遣軍北支派遣軍が夫々警備していたが、警備区域を越えて俘虜の移動は出来ないにも拘わらず、南京の南部から北部に連れて行って殺したという様な証言が有るが、事実に反する虚偽の証言である。

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:46 投稿番号: [26635 / 29399]
日本で発刊されている主な辞書事典類、歴史専門書などで
南京虐殺事件自体を否定している記述のものは、おそらく
ひとつもないだろう。   いずれも   学術的な書籍だからだ。
純粋な学問とは次元の異なる   イデオロギー、政治思想が
絡んできて、はじめて   「虐殺はウソ」「捏造」   という
否定論が持ち出される隙間が生じてしまう   ということだ。

否定論には、「中国の情報戦略」だとか、反日左翼の策謀
だとか、プロパガンダ   などという、学問とは別な次元の
思想差別や   論者への人格攻撃が   必ず付きまとっている。
しかし、歴史辞典や歴史教科書、公文書類は、特定思想や
政治宣伝に関係して編集されるものではない。したがって
それらの記述は、すべて   南京での虐殺は事実と記される。

日本で採用されている歴史教科書は、すべて   南京事件を
記載しており、あの「作る会」編集の歴史教科書でさえも
例外ではない。   ただし、「作る会」教科書は   「日本軍
によって民衆にも多数の死傷者がでた」という程度でしか
記述していない。   これでは、まるで偶発的に   民間人が
戦闘にまきこまれて   犠牲になった   という印象をうける。

こうした表現は、じつに   不正確なものだ。
「民衆にも多数の死傷者がでた」というのは、南京だけに
限ったことではなく、中国大陸各地で   日本軍が行動した
ほとんど   あらゆる戦場で起こったことで、これだけでは
なぜ「南京事件」が   世界的な非難の的に   なったのかが
理解できないだろう。

南京事件が   なぜ特別の注目を集めるかといえば、それは
戦闘中だけでなく、とくに   戦闘終了後も、捕虜や一般の
市民に対する   殺戮行為が   大規模に、しかも   組織的に
行われた点   なのであり、その肝心の事実を   抜きにして
「民衆にも多数の死傷者がでた」   というだけの叙述では
とても   この事件の本質を   知ることはできない。

完璧な人間など、どこにも   存在しない。
ましてや   成長過程では、誰しもが   失敗を経験する。
若気の至りで他人に迷惑をかけたり   試行錯誤を経て
世間に尊敬されるような人格者に   成長していく。
同様に   はじめから   「完璧な国家」   も存在しない。

あらゆる国家は過去において必ず   間違いを起こした。
悲しいことだが、高度な民主主義社会に到る過程では
避けられない運命であった。   しかし、ここから先が
その国民の   質と未来を   決定する。
過去の過ちを   ひた隠そうとする人間は   品性下劣だ。
その程度は低く、他人(他国民)から   信頼されない。

けれども、自分の過ちに気づき、その間違いを自力で
乗り越えるとき、その人間(国家)には   未来がある。
自己の行為を厳しく点検・反省する一連の苦行により
人間(国家)の質が   高められるばかりか、自浄作業
そのものが、他人(他国)の信頼を   かちとるからだ。

自分の犯した間違いを認めようとせず、自画自賛だけ
繰り返す者は、一見、愛国者に見えて、じつは国民の
質を貶め、日本国の名誉を汚し、国際社会から永遠に
この国を隔離しようとする   売国奴である   と思う。

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:45 投稿番号: [26634 / 29399]
辞書や百科事典類は、当然   素人が執筆するものではない。
少なくとも   日本で発行されている辞書・事典については
専門知識を有すると社会的に公認される   各分野の権威が
相当の研究成果と学術的根拠に基づいて編纂されるものだ。
たとえば、いま   手元にある『日本の歴史』(中央公論社)
第25巻『太平洋戦争』   の執筆者は、歴史学者の林茂氏だ。

歴史学に   少しでも   縁のある人間ならば、林茂という名は
おそらく   一度ならず   聞いたことはあるはずだが、多分
南京事件否定派の諸氏では   知らない者も多いと思うので
念のため説明すると、林氏(1912年〜1987年)は、
戦前は   東京帝国大を卒業後、京城帝国大助教授、戦後は
東京大学教授などを歴任した   日本を代表する歴史学者だ。

その林氏が執筆した   「南京占領と虐殺事件」   の解説を、
以下に   引用しておこう。
まず   南京事件の前史について   次のように   語っている。

   「上海の防禦陣地を破られたあとは、南京までのあいだには
   中国の防禦線はなく、日本軍は日に六、七里というスピード
   で進撃を続けた。この間、『軍補給点の推進は   師団の追撃
   前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る約百里
   の間、殆んど糧秣の補給を受くることなく、殆んど現地物資
   のみに依り、追撃を敢行せり』(『第九師団作戦の概要』)
   という状態であり、徴発を名とした掠奪が行われた。同時に
   『敗残兵狩り』   という名目で、一般民衆にたいする   虐殺・
   暴行がくりひろげられ、それはやがて、世界を驚かせた南京
   虐殺事件の前史をなしている」

短い文章だが、この作戦に加わった第9師団の作戦記録で
証拠づけをしながら、記述を   すすめているところなどは、
さすがに   歴史学者の筆だ   と思う。
続けて、南京事件の本史について述べた文章を引用しよう。

   「南京城に対する攻撃は、十二月十日から開始され、十三
   日には日本軍の手中におちた。   国民党政府は漢口に逃げ
   のびていた。   そしてその日から、日本兵は捕虜の虐殺を
   はじめた。」

このあと、林氏は   当時の旅団長として   攻撃を指揮した
佐々木到一中将の記述を引用しながら敗残兵虐殺の事実を
記述している。   どうやら、南京事件否定派の   定義では、
林氏も   捏造をたれ流す“反日サヨク”の筆頭になりそうだ。
もちろん   同氏は、学者として   事実を記したにすぎない。
記述は、事件の国際的反響をも含め   次のように続いている。

   「その後も、みさかいもなく   一般民衆にたいする虐殺が
   つづくのであり、十五日の夜だけで   二万人が殺されたと
   いわれる。(中略)   このニュースは世界に大々的に報道
   されたが、日本人は、戦後の東京裁判で   追求されるまで、
   この事件を知らないでいた」(『太平洋戦争』64頁)

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:44 投稿番号: [26633 / 29399]
平凡社『日本史大事典』第5巻に記述されている南京事件の
項目は、詳細で   かつ   かなり正確な解説なので、抜粋して
以下に   引用しておこう。

  【南京虐殺】
   「日中戦争で南京占領に際し   日本軍によって   中国軍民に
   加えられた大規模な残虐行為。」

   「一九三七年(昭和十二)八月、日中戦争は華北から華中に
   拡大、日本軍は上海で   中国軍の激しい抗戦に   直面し、
   大きな損害を被った。   十一月上旬   ようやく   中国軍を
   退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
   指揮下の   上海派遣軍(軍司令官   朝香宮鳩彦王中将)と
   第一〇軍(軍司令官   柳川平助中将)を、与えられていた
   任務を逸脱して   国民政府の   首都南京に向かって急進撃
   させた。」

   「上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏切られた   日本軍兵士は
   自暴自棄となり、補給がともなわず   現地徴発に頼ったこと、
   中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれて
   いたことなども加わって、南京への進撃途上で   すでに掠奪・
   強姦・虐殺・放火などの非行が   常態化する状況となった。」

   「十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の入場式に備え、
   徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで   大量に
   処刑し、多数の一般市民を   その巻き添えにし、略奪・強姦・
   放火を重ねた。   さらに   十二月二十二日、佐々木到一少将が
   城内粛清委員長に就任、中国兵の狩出しと   処刑を続け、
   三十八年二月初めに及んだ。」

   「犠牲者数については   中国側の公式見解は三十万人とするが、
   戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ   進撃途中から
   三十八年二月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人
   前後に達するとみられる。(以下、省略)」

以上、平凡社版『日本史大事典』からの引用だが、南京虐殺を
事実という者に対し、「腐れサヨク」や   「反日・親中国」、
あるいは   「共産主義者の回し者」の類だ、と   悪罵を吐く
ウヨにかかれば、平凡社さえも   その類に   されてしまうだろう。

だが、同社が   中国共産党の手先だとか、反日勢力に加担する
サヨク集団である   とは   到底、思えない。
平凡社にかぎらず、日本国内の   主要な出版社が   発行する
歴史辞典・百科事典の類は、いずれも   学術的に   証明され、
信用に足る   記録と情報に基づいて   編纂されているのだ。

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:44 投稿番号: [26632 / 29399]
日本の歴史事典や百科辞典類で、南京大虐殺事件を否定   または
存疑として   記述しているものは、なかなか   見つけられない。
国内の歴史教科書にも   事件自体に疑いを差し挟んでいるものは
例の「作る会」教科書も含め、おそらく   一つもないと思われる。
南京大虐殺否定論は、右翼たちが、学術的には見向きもされない
根拠のない主張を   勝手に言い立てているだけ   にすぎない。

日本でも   公の場では全く認められていない、アングラ的言説に
過ぎないのだが、このアングラ説に   とびついた漫画(ゴー宣)や
いわゆる「トンデモ本」   とよばれる   カルト本などのせいで、
そういうものしか読まないような者は、こちらが   真説なのだと
思い込んでしまう傾向があるらしい。   何とも仕方のないことだ。

そんなレベルの人間でも理解しやすい   子供向け学習事典もある。
たとえば、ネットで検索する百科事典の解説を   引用してみよう。
以下、『学研の学習百科事典   学研キッズネット』   の解説文だ。

  ナンキンぎゃくさつじけん【南京虐殺事件】
  「日中戦争(せんそう)中の1937(昭和12)年12月、中華民国
  (ちゅうかみんこく)の首都   南京占領   (ナンキンせんりょう)
  前後に日本軍(ぐん)がひきおこした   投降兵(とうこうへい)・
  一般住民(いっぱんじゅうみん)を   殺害(さつがい)した事件。
  南京大虐殺   (ナンキンだいぎゃくさつ)ともいう。」

  「日本軍が   殺害(さつがい)した   中国人の   人数については
  数万から30万までの諸説(しょせつ)があるが、この事件は
  中国民衆(みんしゅう)の   怒(いか)りを   高め、国民政府
  (こくみんせいふ)は   武漢(ウーハン)に   うつって   抗戦
  (こうせん)を   つづけた。」

ひら仮名がふってあるので、否定派諸氏でも   読めるだろう。
否定派諸氏なら、学研は反日サヨクが牛耳っている出版社だと
言い出すかもしれないが、おそらく   そうではなく、学問的に
すでに定説となっている事実を   書いているだけであると思う。
図書館などに足を運ばない諸氏には、電子書籍もお奨めしたい。
マイクロソフト社の電子百科事典『エンカルタ百科事典』では
以下のように   解説している。

  南京大虐殺   ナンキンだいぎゃくさつ
  「日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の
  大量虐殺事件。(中略)軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された
  中国人は   数万人とする説から   43万人とする説まであるが、
  少なくとも20万人以上であったと推定されている。」
 
  「12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。
  その後数週間にわたって、南京城内外で敗 残兵狩りや、一般市民
  に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。 この日本軍に
  よる蛮行は   アメリカなど世界中で   報道されたが、日本国民には
  知らされず、第2次世界大戦後の   東京裁判(極東国際軍事裁判)で
  はじめて明らかにされた。(以下、略)」

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:43 投稿番号: [26631 / 29399]
“Nanking Atrocities”(南京大虐殺)は、国際社会では
否定できない   「歴史的事実」   として   共通認識されているが、
日本国内の   一部では、70年代後半頃から   中国側の捏造だとか、
あるいは   投降兵の殺害行為は   正当な行為であった   などという
主張を、否定派や正当化論者が   繰り返し、教科書記載問題などを
めぐり、しばしば   社会的に   注目を浴びている。

国内の書店にも   「南京大虐殺はなかった」、「外国人の捏造」、
「情報戦による謀略」、「反日プロパガンダ」、「自虐史観」など
政治的文言を書き連ねて   事件否定論を流布する   “トンデモ本”が
並んでいる。   来日した外国人   留学生などが   心底から驚き、
これが日本社会の共通認識なのか   と疑いを持つのも当然だろう。

実際には、大虐殺否定論は   一般に   受け入れられてはいない。
少なくとも   日本で刊行される辞書・事典などには、否定論や
正当化論に基づく   解説などは、まったく   見当たらず、当然
政府や   自治体の公的文書、刊行物にも取り上げられていない。
学術・学問的には、歯牙にもかけられていない   ということだ。

『山川   世界史小辞典(改訂新版)』(04年   山川出版社)は、
230名の専門家が   最新の研究成果を取り入れて   執筆した
約9,400項目を収録し、世界史を学習するうえで   必携書
といえる   権威ある歴史辞典の一つだが、その497ページに
掲載されている「南京事件」の項目は、次のように記している。

   「①1927年3月24日、南京で起きた   暴動に端を発した
   国際的事件(省略)」
   「②〔1937〕   南京大虐殺   ともいう。   日中戦争初期に
   中国国民政府の首都   南京を攻略した   日本軍が、
   中国軍民に対して   大規模な   残虐行為を行った事件。」

   「1937年   12月13日に   南京を占領した   日本軍は、
   住民を   巻き込んだ   包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を   展開した。
   この時、すでに   戦闘部隊の体をなさず、戦意を   喪失した
   膨大な数の投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
   違反して   処刑、殺害した。」

   「日本軍の軍事占領は翌3月まで続き、この間に   敗残兵狩り、
   便衣兵(私服になった兵士)狩りを行い、兵士の嫌疑をかけた
   成年男子市民も   殺害した。」
   「中国女性の強姦、食物や物資の略奪、人家の放火・破壊など
   軍紀の乱れによる   不法行為も多発した。」
   「南京城内とその周辺   さらに付近の農村を含めて   十数万の
   中国軍民が   犠牲になった   と推測されている。」

以上が、『山川   世界史小辞典(改訂新版)』からの引用文だが
どこを   見ても、「〜というウソ」、「これは中国人の作り話」、
「共産主義者のプロパガンダ」   などといった解説は   ひと言も
付記されてはいない。   否定論者諸氏は、この辞典を執筆した
学者先生は反日サヨクに違いない   という妄言を   吐くしかない。

反日論者の努力は徒労に終わるだけ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/25 00:45 投稿番号: [26630 / 29399]
欧米では二次大戦終結前後、勝者による敗者の虐殺強姦の話は、勝者も敗者
も熟知しており、親から子へ、子から孫へ語り継がれている。また二次大戦後
アフリカなどで何回も発生した大虐殺事件も、確実な報道があったのと、アフリ
カは欧米に近いため、欧米人の脳の中へ明瞭に写し込まれている。

それに比べると二次大戦前極東で起こったとされる事件は、霧の中のおぼろ
げな映像にしかならない。日本が世界史上の大悪党だと思わせたい反日主
義者の熱心な努力も、徒労に終わるだけだ。

Re: 虐殺事件を否定しない日本の辞典(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 08:11 投稿番号: [26629 / 29399]
留学生などの外国人が日本語を理解出来ると言う事は無い、殆どが読めない。

Re: 日本人が最も反日

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 08:09 投稿番号: [26628 / 29399]
和田罪は自分の言葉が日本を誹謗中傷していることに気付かない。

日本の一部の人間が嘘、捏造など言って居るのではない、殆どの人間が言っているのだよ。

Re: 日本人が最も反日

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/24 02:44 投稿番号: [26627 / 29399]
>さしずめ、最も反日なのは日本政府ということになりますな(藁

↑貴殿が引用した日本政府の談話は反日ということはいが、このトピの反日
投稿者は今日も倦まず弛まず反日投稿にに精出している。日本以外の軍隊は
もっと悪質だと知っているから、外国軍隊のことはおくびにも出さないよう
に注意に注意をかさねている。まさに反日の鬼である。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 21:06 投稿番号: [26626 / 29399]
『歴史学事典7   戦争と外交』(平成11年初版   弘文堂)には、
かなり詳しく   解説されている。   その一部を   抜粋してみよう。

【南京事件   なんきんじけん】
「日中戦争初期、当時の中国の首都南京を   日本軍が攻略・占領
した際に   中国軍民にたいしておこなった、虐殺、強姦、掠奪、
放火、拉致、連行などの   戦時国際法と   国際人道法に反した
大規模な残虐行為の総体。南京大虐殺事件、略称として南京事件
という。単に南京大虐殺ともいう。」

「激戦3カ月におよび甚大な損害を出した(中略)上海派遣軍は
疲弊して   軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、補給
体制も不十分なままに難行軍を強いられたため中国軍民に対する
むきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火
などの残虐行為を重ねながら   南京に進撃していった。」

「12月4日前後に   中支那方面軍は、中国軍の   南京防衛陣地
(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京の県城・農村地域から
日本軍の残虐行為が開始された。   南京城区には40〜50万人
(南京攻略戦以前の人口は100万人以上)、近郊の6つの県には
100万人前後(同じく150万人以上)の市民が残留していたが
日本軍は   これらの膨大な中国民衆を   巻き込んで、南京防衛軍に
対する   徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を   実施した。」

「同作戦は、戦時国際法に違反して、自ら武装解除した投降兵・
敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することに
なった。   一般民衆も   敵対行為、不審行動をする『敵国民』と
判断された場合は   殺害された。   日本軍は、12月13日
南京城を占領した後、17日の南京入城式に備え、徹底した
残敵掃蕩作戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量
処刑を行った。」

「武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても中国兵であった者、中国兵
と思われた者は   すべて   殺害したので、多くの市民、難民が
巻き添えにされて犠牲になった。   さらに、日本軍には戦勝の
『慰労』として10日間前後の『休養』が与えられ、総勢7万
以上の日本軍が   南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」
として強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない
南京事件は頂点に達した。   その後、第16師団が   駐屯して
軍事占領を続け、38年3月28日に   中華民国維新政府が
成立するまで、日本軍の残虐行為は続いた。」

以上、引用した   弘文堂編纂の歴史学事典の解説は、これまで
引用した辞書・辞典の中でも   南京事件の実相をかなり正確に
述べている。   たとえば、日本軍が   南京に進撃する途上から
残虐行為を開始していたこと、南京城占領後の不法行為の事実、
また   その原因と   経過についても   あきらかにしている。
なお   この事典には   さらに   次のように付記されている。

「70年代から80年代末にわたり、歴史事実か   『虚構』
『まぼろし」かをめぐって   いわゆる『南京大虐殺論争』が
展開され、家永教科書裁判の   争点にもなったが、いずれも
否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の
日本側の研究では、十数万から20万人の   中国軍民が
犠牲になったと推定する説が   有力である。」

日本国内で発行されている学術的書籍は、どれをみても
日本人にだけ悪人がいて、日本以外の国には悪人はいない
などというバカげた視点で書かれているのではないし、
また、「反日」思想を宣伝する意図で書かれたものではない。
歴史の事実を未来に伝えるという責任のもとに書かれている。
事実を歪曲しようとする愚かな人間には理解できないだけだ。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:50 投稿番号: [26625 / 29399]
『グローバルライブラリーシリーズⅡ   アジア・アフリカ事典』
(97年第1刷発行   教育出版センター)P.716の記述を見よう。
この事典では、南京虐殺事件に関して、次のように説明している。

なんきんぎゃくさつじけん   南京虐殺事件
「日華事変(日中戦争)中の1937年12月13日〜15日に、
南京を占領した   日本軍が引き起こした   虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した   近衛内閣は、『国内相剋の解消』   を
侵略戦争によって   解決しようと   はかった。」

「こうして   政府および軍部は、中国大陸への侵略を本格化した。
日本軍は当初、長期戦争を   予期してはおらず,当時国民政府の
あった南京を占領すれば、中国は抗戦を断念するであろうと判断
していた。   しかし中国は、共産党の働きかけによる国共合作を
成立させ、持久戦にもちこんだ」

「その結果、日本軍は三光作戦を展開し、中国全土で強姦、虐殺、
略奪を   ほしいままにした。   その典型が   南京事件である。」
「エドガー=スノーの『アジアの戦争』   によれば、南京だけで
4万2千人以上、南京への進撃途上で30万人以上が、殺された。
そのうちの   ほとんどは、『無抵抗』の   婦人・子供であった。」

上記の事典の記述でも、先に引用した『現代アジア社会事典』の
解説と同様に、虐殺事件の期間を   12月13日〜15日だけに
限定するかのような表現がある。
ただし、一方で   南京に至る侵略戦争の経緯、さらに、南京への
進撃途上でも   婦人や子どもを含む多くの非戦闘員が殺害された
という事実を述べている点では、より正確な内容となっている。

もう一冊、別の歴史辞典も   開いてみよう。
『角川   世界史辞典』(01年初版発行   角川書店)P.687-688
【南京事件】についての   説明は、以下のとおりだ。

「①1927年に南京で発生した国際事件(略)」
「②1937年12月、日本軍が南京の中国軍民に加えた大規模な
残虐事件。南京大虐殺といわれる。(略)日本は12月13日に
中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅
作戦を実施、すでに戦闘を放棄した膨大な数の敗残兵、投降兵、
捕虜、負傷兵を集団で殺害した。」

「さらに残敵掃討作戦を実施し、敗残兵狩り、
便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って   成年男子市民を
集団虐殺した。   軍紀の乱れから   中国女性を強姦する
婦女凌辱行為や食料・物資の略奪、人家を放火・破壊する不法
行為も多発した。   南京城内とその周辺の農村を含め20万人
前後の中国軍民が犠牲になったと   推測されている」

角川世界史事典の説明でも、期間については   12月13日の
占領直後から掃討作戦が行われていた間に限定しているように
読み取れるが、一方で、南京城内に加えて   周辺農村も含めて
軍民、つまり   兵士と民間人ともに   多くの犠牲が出たことや、
その原因に日本軍の軍紀の乱れがあった事実にも   触れている。
どの辞典でも、おおむね正確に事件概要を記述しているようだ。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:49 投稿番号: [26624 / 29399]
『現代アジア社会事典』(75年第1版第1刷   大和学芸図書)
P.315「南京虐殺事件」の項には   次のように記述されている。
【南京虐殺事件】   「1937年12月の南京占領にさいし、
日本軍が   中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した事件」

「軍命令による   中国軍民の大虐殺が行われたのは、日本軍が
同市を占領した   37年12月13日から、中支那方面軍松井
石根大将を迎えて入城式があげられた   同17日の前夜までの
4日間であった。   だがその後も   『敗残兵狩り』   と称して
虐殺は続けられた。   また市内全域は2か月にわたり、個々の
日本兵によって、いわれのない虐殺・略奪・放火が   行われた」

「この事件は、日本敗戦後、極東軍事裁判でもとりあげられ、
判決では   この事件の中国人犠牲者の総数を   20万人前後と
いっている。   このほか、極東軍事裁判では   とりあげられな
かったが、南京付近の   長江(揚子江)一帯では   13万人の
避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ、川の水は
鮮血でまっかになっていたといわれている。」

「この事件は、当時南京にいた   外国人記者   3人によって
詳しく報道され、たちまち全世界に知れわたったが、日本では
敗戦の日まで   その事実が   ひたかくしに   かくされていた」

上記の   『現代アジア社会事典』の解説の中で   気になる点は、
大虐殺が行われた期間が、12月13日から始まり2ヶ月間に
わたり行われた、としている部分だ。
実際には、南京市攻略戦は   12月初めから   開始されており、
5日には   第十六師団が句容を陥れ、第九師団は   南京防衛の  
第一線陣地である淳化鎮を占領した。   第十軍の   第六師団と
第百十四師団も並行して   南京に向かって   急進撃していた。

第一線部隊は   先を争うように   南京に向かって殺到したため
それでなくとも滞りがちな兵站の補給が   追い付けなくなった。
各部隊は、現地徴発という名の略奪で   急場をしのぐほかなく、
当然、防衛線の攻防戦の際に   捕虜とした中国軍兵士の給養を
確保する手段もなかった。   投降した敵兵や逃げ遅れた住民は
過酷な運命に   さらされたことは、言うまでもない。

南京大虐殺事件の期間を   日本軍入場後の   13日から始まり
その後の敗残兵狩りの期間だけに限定するのは   至当ではない。
また、事件の範囲を南京城内だけに限定するのも   正しくない。
南京陥落前は戦闘中だから敵の殺害はしかたないという反論も
あるかも知れないが、戦闘中であっても、捕虜の殺害は違法で
あるし、ましてや   非戦闘員に対する略奪や暴行は許されない。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:49 投稿番号: [26623 / 29399]
たとえば   日本大百科全書(小学館)も、南京大虐殺について
客観的な事実であることを前提に、以下のように解説している。

「占領当日から翌日にかけての南京城内外における掃蕩戦では、
戦意を失った多数の中国兵を   掃射によって虐殺し、また以後
1週間ばかりの間に、捕虜や、民間人の間に   身を潜めていて
狩り出された敗残兵(便衣兵)の大部分が集団虐殺された。」

「戦死者を含めて中国軍の犠牲者は   10万を下らなかったと
推測される。これら将兵のほか、掃蕩戦で犠牲になった市民や
城外からの避難民、また敗残兵狩りの巻き添えで殺された市民も、
少ない数ではなかった。中国軍将兵に対する集団虐殺は明らかに
軍命令によるものであった」
さらに、被害の状況については、以下のように記述している。

「城内家屋の被害は軍事行動によるもの1.8%、放火13%
(主要実業街は平均32.66%)、略奪63%に及び、中国人
は南京に処女1人もなしと称した」
「日本軍は   遺棄死体   8万4000   と発表したが、現地の
慈善団体が組織した二つの埋葬隊の記録によれば、その埋葬数は
あわせて15万5337体   に上り、揚子江(ようすこう)岸で
集団虐殺されて   同江に投棄されたもの   その他を加えれば、
中国軍民の犠牲者は20万を下らなかったものと推測される」

上記百科事典は   各学術分野の研究成果に基づき、科学的視点で
まとめられており、相当の   準備期間と   綿密な編纂作業を経て
世に出されている書籍だ。   擬似科学や   オカルトを   主張する
トンデモ本とでは、情報の質・量とも   まったく比較にならない。
後者が垂れ流す情報ばかりを妄信して、世界に通用しない論説を
吹聴する一部の論者は、カルト教団の信者に   等しいものだ。

ちなみに、「トンデモ本」   に関係して言えば、「と学会」では
「トンデモ本の世界R」で、虐殺否定派の論客として知られる
東中野亜細亜大学教授の著書について   次のように評している。

「東中野教授がどんなデタラメな手法を用いているかが分かる。
些細な矛盾点を針小棒大に取り上げて証言全体を否定しようと
したり、文章を引用する際、歪曲して   正反対の意味にして
しまったり、都合の悪い記述は   無視する一方、信憑性の低い
資料を重視したり、まさに『好き勝手』   としか、いいようが
ないのだ。   南京大虐殺の   犠牲者数については、『三〇万人』
と『ゼロ』という   両極端のトンデモ説が   火花を   散らして
いるが、東中野教授の著書はその中でも特にインチキだらけの
ひどい代物   なのである」

たしかに   くだんの著書は、読んでみると   客観性に乏しく、
検証手法も   お粗末で、幼稚な内容と感じるものではあるが、
インチキだらけの   ひどいシロモノ   とは、ずいぶんとまた
手きびしい   酷評だ。   すくなくとも、東中野先生も   虐殺や
略奪の事実は認めている。   それを   合法化しようとして
さまざまな詭弁を   こねくりまわしているにすぎないのだ。
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