南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
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虐殺事件を否定しない日本の辞典(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:48 投稿番号: [26622 / 29399]
留学生などの外国人が
日本に滞在していて驚くことのひとつが
大きな書店などに行くと
南京虐殺を「ウソ」「虚構」「マボロシ」
とする本が、店頭に
平積みされていること
だという。
また、テレビの番組で一部の評論家が、「南京大虐殺はなかった」
「外国人の捏造」
などと発言していることも
不思議だという。
さらに、電車の中吊り公告で目にする
週刊雑誌などの目次には
南京虐殺に関連して、「米中の情報戦による謀略」だとか、「反日
プロパガンダ」「自虐史観」「左翼・マルクス主義史観」
などの
文字が躍っているのを目にする。
そこで留学生たちは、日本の
社会では、南京虐殺否定論が
圧倒的なのだ
と考えてしまう。
しかし
実際には
そうではない。
少なくとも
日本政府の公式見解は、犠牲者数は認定できないが
日本軍により
多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは、
否定できない事実であるということで一貫して変わっていない。
また
出版物については、いわゆる「トンデモ本」
とよばれる
一部の自称研究家の著書を除けば、辞書・辞典類をはじめとして
歴史書、教科書、公式文書類は大虐殺を事実として記述している。
たとえば、日本で広く使用されている国語辞典『広辞苑』第四版
を開くと、【南京】の項目には
「南京大虐殺」
の小項目があり
「日中戦争で南京が占領された37年12月前後に南京城内外で
日本軍が
中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、
あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件」
とある。
『大辞泉』では
【南京大虐殺】の解説として、「日中戦争初期の
昭和12年、南京を占領した日本軍による中国軍捕虜や一般市民
に対する大規模な略奪・暴行・虐殺事件」
としている。
『大辞林』も
同項目で、「日中戦争さなかの 1937 年12月
から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対して
行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。
このとき殺された中国人の
数は、極東軍事裁判では
二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜
四〇万人とされる。」
と説明している。
また、「詳解
日本史用語事典」(三省堂03年発行)
を開くと、
【南京大虐殺】
の項目には、次のように
記述されている。
「1937年12月、日本軍は
国民政府の首都
南京への攻略戦で
十数万人から20万人の
中国兵捕虜や民間人を虐殺し、略奪・
暴行・放火・強姦などの
残虐行為を行った。」
「欧米では
『南京アトロシティー(大虐殺)』
と報道され
国際的非難を浴びたが、日本国民には
知らされなかった。」
これらの辞書は、あくまでも言葉の意味を説明しているのであり
虐殺の内容や規模について解説しているものではない。
しかし
いずれも「〜という説である」
「あった可能性もある」という
表現ではなく、事実を指している言葉として
説明されている。
当然、「外国人によるウソ」
「反日勢力の用語」
などという
解説文は、どの辞書・辞典を探しても
見出すことはできない。
これは メッセージ 26621 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/26622.html
Re: 日本人が最も反日
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:46 投稿番号: [26621 / 29399]
>日本人にだけ悪人がいて、日本以外の国の国民には悪人はいないと
>いうことにしたいので、外国人には触れずに
こういう事実に反する歪曲を前提にして
「反日」などという
誹謗中傷ばかりを繰り返すことに
何の意味があるというのか。
世界に広く知られている南京大虐殺に関して、日本の
一部に
限って、ウソだ、捏造だ、という主張が
執拗に繰り返される。
このことが、国際社会からの
批判と
不信を招いている。
これは、「外国に悪人はいない」
などという
議論ではない。
また、「日本人だけが悪人」だから
南京虐殺が起きたという
話でもない。
南京事件が起きた背景・原因を
客観的に明らかにし、それが
日本民族に限った
歴史的資質や
国民性とは
別のところに
原因があった事実を
解明することにより、日本人のみらなず
世界人類共通の
歴史的教訓として、未来に伝えるべきなのだ。
日本で発刊されている主な辞書事典類、歴史専門書などで
南京虐殺事件自体を否定している記述のものは、おそらく
ひとつもないだろう。
いずれも
学術的な書籍だからだ。
純粋な学問とは次元の異なる
イデオロギー、政治思想が
絡んできて、はじめて
「虐殺はウソ」「捏造」
という
否定論が持ち出される余地が生じてしまう
ということだ。
否定論には、「中国の情報戦略」だとか、反日左翼の策謀
だとか、プロパガンダ
などという、学問とは別な次元の
思想差別や
論者への人格攻撃が
必ず付きまとっている。
しかし、歴史辞典や歴史教科書、公文書類は、特定思想や
政治宣伝に関係して編集されるものではない。したがって
それらの記述は、すべて
南京での虐殺は
事実と記される。
偏狭な民族主義や
イデオロギーにばかり囚われて
歴史的事実から目を背けるのは、もう
やめるべきだ。
完璧な人間など、どこにも
存在しない。
ましてや
成長過程では、誰しもが
失敗を経験する。
若気の至りで他人に迷惑をかけたり
試行錯誤を経て
世間に尊敬されるような人格者に
成長していく。
同様に
はじめから
「完璧な国家」
も存在しない。
あらゆる国家は過去において必ず
間違いを起こした。
悲しいことだが、高度な民主主義社会に到る過程では
避けられない運命であった。
しかし、ここから先が
その国民の
質と未来を
決定する。
過去の過ちを
ひた隠そうとする人間は
品性下劣だ。
その程度は低く、他人(他国民)から
信頼されない。
けれども、自分の過ちに気づき、その間違いを自力で
乗り越えるとき、その人間(国家)には
未来がある。
自己の行為を厳しく点検・反省する一連の苦行により
人間(国家)の質が
高められるばかりか、自浄作業
そのものが、他人(他国)の信頼を
かちとるからだ。
自分の犯した間違いを認めようとせず、自画自賛だけ
繰り返す者は、一見、愛国者に見えて、じつは国民の
質を貶め、日本国の名誉を汚し、国際社会から永遠に
この国を隔離しようとする
売国奴である
と思う。
これは メッセージ 26619 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 日本人が最も反日
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/23 17:35 投稿番号: [26620 / 29399]
さしずめ、最も反日なのは日本政府ということになりますな(藁
歴史問題Q and A
問5.「従軍慰安婦問題」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
1. 日本政府としては、慰安婦問題が多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題で
あると認識しています。政府は、これまで官房長官談話や総理の手紙の発出等で、
慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた
すべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げてきました。
問6「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
1. 日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や
略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
2. しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが
正しい数かを認定することは困難であると考えています。
3. 日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア
諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と
心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家
としての道を歩んでいく決意です。
これは メッセージ 26619 (unhoo さん)への返信です.
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日本人が最も反日
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/23 15:04 投稿番号: [26619 / 29399]
ヤフー掲示板の別のカテで「日本人が最も反日」という投稿を見た。なるほ
ど、その通りである。
日本に帰化した半島人も100%反日である。反日でありながら祖国へ帰ろうと
もせず、日本の土地にしがみついている。
このトピにも反日日本人(帰化人かもしれない)がせっせと反日投稿に励ん
でいる。日本人にだけ悪人がいて、日本以外の国の国民には悪人はいないと
いうことにしたいので、外国人には触れずに、毎日毎日大量に反日投稿をし
て、自己満足に陶酔している。
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Re: 南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(1
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 09:45 投稿番号: [26618 / 29399]
昭和
事変の收局に付いて
事変の收局に付いては君の提案の如く蒋介石相手の和平より外なかるべしと思う。自分も大臣就任のとき近衛首相に対し一月十六日の声明は場合により乗り切ることとの了解を得て居るのだ、只急に蒋相手の和平を提案しては騒がれるばかりだから潮時を見て居ったのだが最近の情勢から見て最早其の工作に取り掛かって然るべき時と思う、出来るならば漢口攻略前に蒋と話しを付けたしと考う。国内の情勢を見るに、昨日来訪の多田次長は何とかして一日も早く時局を収拾して戴き度いと切に言って居った、そこで蒋相手の和平は陸軍はどうかととい尋ねたるに最早今日では一月十六日声明にこだわらぬがよろしいと思いますとの返事であった。然らば陸軍はそれで纏めて行けるかと反問したるに多田は陸軍全体としては云い兼ねるが軍令系統の方は纏め得ますと云い居りたり。聞く所によると先日閑院宮(かんいんみや)様が参内せられたとき陛下より陸軍にては蒋介石相手はまだいかんかと御下問あり之に対し宮様は即答申し上げず翌日再び参内し蒋相手も已むを得ませぬとの趣旨を御答申し上げた由なり。問題は陸軍の一部にあるであろう所の強硬論者だが、板垣も此の頃は大分蒋介石を相手しせずと言うことの解釈の間口を広くして来たようであるがまだ煮え切らぬ点がある、夫れと言うは板垣は坂西等の謀略がうまく行って相当な中央政権が出来、夫れに漢口政府内部の一部を参画せしめ得るかも知れないという所に望みを繋いで居る様だ。何れ今月中旬坂西が帰京すれば其の辺のことが少し明らかとなるであろう、此の工作は君の意見によれば下策なりとあり、自分もしか思うも今の所蒋は相手にせずと言うことが前提となって居る故告ぐ直ぐ切る訳には行かぬ。此の五相の中では池田蔵相とはよく話し合って居り、米内海相も結局蒋相手の和平に異存なきもせめて和平成立後蒋が下野することにして貰いたいとの意見じゃ。民間方面にては朝日の緒方や同盟の岩永などの来ての話しによるも一般に一日も早く戦争をやめて貰いたいとの気分故蒋を相手にせずなど言う事は問題にせざるべしとの事なり。残るところは右翼なるも之も何とかなるべし。
これは メッセージ 26612 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(1
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 08:04 投稿番号: [26617 / 29399]
多くの証言者によると、中国兵は督戦隊の銃撃や、銃殺によって殺されたとある。
日本軍が南京入城後には、銃声は無かったと、極東軍事裁判での陳述調書が残っている。
俘虜殺害には陸軍大臣の命令書が必要であるが、命令書が発行されたという事実は無い、三〇萬人分の。
これは メッセージ 26612 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:12 投稿番号: [26616 / 29399]
前述の
最後の部分で触れた
村瀬守保氏の記録についても
引用しておきたい。
村瀬氏は、給部隊として
南京戦の後を
辿りながら、貴重な戦場の
記録写真を多数
撮影した。
その中には、揚子江岸における
大虐殺を証明するうえで
貴重な現場を
撮影した写真も
含まれている。
以下、『村瀬守保写真集
私の従軍中国戦線』から引用する。
(16) 南京制圧
第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
目立ち始めました。
(略)土間にひく
アンペラを探して
穴蔵のようになっている奥の部屋に踏み込むと、下半身裸の
婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
加えて虐殺し、女性の性器に棒を差し込んでおくような、
残虐な事例も何回か目にしました。
南京の攻略が大幅に遅れたので、第一線部隊の兵隊は、
厳しい命令を受けて、目が血走っていました。
小休止で一緒に休んだ時の話をきくと、「南京一番乗りは
師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、
酒もある。速くいったものは、やりたいほうだい、何でも
やれるぞ」
と上官からハッパをかけられているのです。
(略)
(17)大虐殺のうわさが…
ようやく足止めが解除されて、ある日荷物受領に揚子江岸の
下関埠頭へ行きました。
すると、広い河岸が一杯に死体で
うまっているのです。
岸辺の泥に埋まって、幅十メートル
位はあろうか、と思われる
死体の山でした。
揚子江岸で大虐殺が行われたという
その現場でしょうか、
軍服を着た者はほとんどなく、大部分が平服の、民間人で、
婦人や子供も交じっているようでした。
死体に油をかけて、焼こうとしたため黒焦げになった死体も、
数多くありました。
死臭で息もつけない中を、工兵部隊が
死体を沖に運んで
流す作業を
やっていましたが、
こんなやり方では、一〜二ヵ月はかかりそうでした。
(写真キャプション)
虐殺されたのち
薪を積んで、
油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人
でした。
(写真キャプション)
揚子江岸には、おびただしい
死体が埋められていました。
虐殺した後、河岸へ
運んだのでしょうか、それとも河岸へ連行してから
虐殺したのでしょうか。
おそらく
南京虐殺否定派は、村瀬氏を
ウソつき、または
妄想家の類と、例によって
根拠もなく
決めつけるだろう。
あるいは、村瀬氏が見たのは
兵士の死体であり、民間人と
いうのは間違いだと
主張するものも
出てくるに違いない。
参考として、第十六師団歩兵三十三連隊第二大隊に所属した
兵士の証言を
以下に
付記しておこう。
うちの中隊で警備に出るとき、揚子江の水際で死体を
ぎょうさん見ました。
兵隊やのうて住民みたいでした。
河べり一面に
死体が
寝ころんでるように
ぎっしり
つまっていました。
かわいそうとは思うたが、戦争や
から
やむを得ないわな。
上の人の命令やから・・・
これは メッセージ 26615 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:11 投稿番号: [26615 / 29399]
南京虐殺否定派による
曲解の一例として、亜細亜大学教授の
東中野修道が、著書
『南京「虐殺」の徹底検証』
に記した
第16師団長の日記に対する
不自然な解釈について論じたが、
以前、南京大虐殺の生存者の一人が、この著者と出版社により
名誉を傷つけられたとして賠償を求めた訴訟があり注目された。
この訴訟では、最高裁が
被告の上告を
退ける決定をくだし、
著者の東中野修道と
出版社に賠償金支払いを命じた
一審と
二審の判決が
確定し、原告側の
全面勝訴に終わった。
日本軍による
南京大虐殺の際、アメリカ人の
マギー牧師が
南京の2家族11人が
殺害された様子を
フィルムに撮影し、
この事件の
生存者の1人が
当時8歳の原告だった。
東中野教授は
『南京「虐殺」の徹底検証』
の中で、
フィルムの中の少女は
別人であり、証言は捏造されたものだ
と主張していたが、それは
じつに
お粗末な、初歩的ミスで
著者が
事実を誤認したものだったことが、判明したのだ。
虐殺否定派が
まともな検証作業もせずに、証言を「ウソ」と
決めつけることが前提になっていることの
証明となった。
証言者に「ニセ者」「ウソつき」
のレッテルを
貼ることで、
事件そのものを
否定しようという意図が
根本にあったが、
東京地裁の
判決が、被告による
資料の解釈について
「学問研究の
成果というに値しないと言って過言ではない」
と断じたほど、稚拙で低レベルの「研究成果」
によって
「南京虐殺はなかった」という主張が
垂れ流されているのだ。
このような
曲解や捏造が、彼等の中では
まかり通っている。
ちなみに、東中野教授は
「日本『南京』学会」
と称する
虐殺事件否定派の「研究者」を中心とする組織の代表を務める。
学会と称しているが、もちろん、日本学術会議の協力学術研究
団体には
加入していないし、学者間では評価もされていない。
実際、東中野教授の著書を
通読してみると、虐殺否定派が
どんなデタラメな手法を用いているかが、じつに
よく分かる。
些細な矛盾点を
針小棒大に取り上げて
証言全体を否定しようと
したり、文章を
引用する際、歪曲して
正反対の
意味にしたり、
都合の悪い記述は無視する一方、信憑性の低い資料を重視したり、
まさに
「好き勝手」としか、いいようがないものだ。
南京虐殺の犠牲者数については、「30万人」と「ゼロ」
という
両極端の説が
火花を散らしているが、東中野教授の
著書は、
その中でも
特にインチキだらけの
ひどい
シロモノなのだ。
彼が得意とする「南京事件証拠写真を検証する」
についても、
はじめから
南京事件の証拠ではない写真を持ち出し、検証して
「証拠とならない」
と言ってみせることで、事件の証拠はない
と思わせるトリックを
使っているにすぎない。
たとえば、目黒輜重連隊兵站自動車第17中隊に所属していた
村瀬守保氏が
撮影した写真などは
日時、場所、状況などが
はっきりしている。
しかし、東中野教授は、それらの写真には
触れていない。
信憑性の高い写真を
初めから
除いたうえで
「検証した」
というのは、まさに
トリックだろう。
これは メッセージ 26614 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/26615.html
南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:10 投稿番号: [26614 / 29399]
先に、第16師団長
中島中将の日記を
引用した。
否定派は、「片端より片付くる」は、捕虜を釈放する意味だという。
それでは、現実に
第十六師団の
現場指揮官たちが
どのような
命令を受けていたのかを、当事者の証言によって
確認してみよう。
(歩兵第三十八連隊副官の述懐古)
聯隊の第一線が京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り
乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな、処置せよ」と電話で伝えらた。
(中略)
部隊としては
実に驚き、困却しましたが
命令やむを得ず、
各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告は
ありませんでした。
激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
(独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊、観測班長の証言)
第一中隊(十五センチ加農砲)の任務は
太平門に突進する
佐々木支隊に
協力することであったが、南京が
陥落した
12月13日、仙鶴門鎮付近で首都防衛決死隊の夜襲をうけ、
かつ
多数の投降捕虜を得たので、その状況を
略述します。
(中略)
その行動は
極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、
取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。
(中略)
俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確に数えており
ませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、早速
軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」と言って
きましたので拒否しましたら、「では中山門まで連れて来い」
と命令されました。
(歩兵第十六師団司令部副官の遺稿)
私は
その時、“一万の捕虜をどのように収容するか”
を
考えなければ
ならなかった。
南京城内には刑務所があるだろうから、そこに入れるとしても
食わせるものが
ない。
我々自身が
イカモノを食いつつ、
その日を
過ごしているのに
如何とも
なし難い。
しかし、人間は水さえ飲んでいれば十日や二十日は保つと
いうから、食飼のことは
何とかなるだろう。
参謀長に
指示をうけようとしたが、参謀長は
即座に
「捕虜はつくらん」
と言われたので、後方参謀に話した。
いずれの事例でも、捕虜もしくは投降兵について、軍司令部なり
師団なり
参謀なりが、明確に「殺せ」という指示を出している。
この方針については、早くも1938年、石川達三氏が
中島師団長
麾下の
第十六師団に取材して書いた小説、「生きている兵隊」に
登場している。
(石川達三著「生きている兵隊」より)
こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。
自分たちが
これから
必死な戦闘にかかるというのに
警備をしながら
捕虜を連れて歩くわけには
いかない。
最も簡単に
処置をつける方法は
殺すことである。
しかし
一旦つれて来ると
殺すのにも気骨が折れてならない。
「捕虜は捕えたらその場で殺せ」
それは特に命令というわけ
ではなかったが、大体
そういう方針が
上部から示された。
笠原伍長は
こういう場合にあって、勇敢に
それを実行した。
彼は数珠つなぎにした十三人を片ぱしから順々に斬って行った。
捕虜を虐殺したという証言は、ほかならぬ
日本軍兵士たちの告白や
膨大な数の記録資料に
はっきりと
残されている事実なのだ。
南京事件を必死で否定し、その実態を隠そうと血眼になる連中は、
捕虜にしないとは
「釈放する」
という意味だ、壕を掘るのは
「収容監視する」
ためだ、などと
大マジメに
主張する。
勝手な憶測を前提に、捕虜の殺害はなかったと
主張してみせるが、
それは、まったく
説得力がない。
ただ
見苦しいだけなのだ。
これは メッセージ 26613 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/26614.html
南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:07 投稿番号: [26613 / 29399]
「捕虜はせぬ方針なれば
片端より之を片付くる」ことにしたが
「これを片付けるには
相当大なる壕を」
必要とした
という
記述を、先入観なく
素直に解釈すれば、「殺害方針」と見る方が
妥当である
と思える。
これに対し、東中野教授は苦し紛れに
以下の解釈を打ち出した。
「処理」というのを、「銃殺」
のような響きで解釈するのも
ちょっとおかしい。
参謀将校の話によると、あのあたりでは
土を掘った壕があったので、
「処理」というのは、その壕に
捕虜を入れて監視保護するというニュアンスだったとのこと
(『諸君!』2001年2月号
P140)
ニュアンスだった
というが、しかし、実際に
現場の兵士たちが、
「壕に捕虜を入れて監視保護」したなどという記録は
存在しない。
この
東中野教授の強引な解釈は、到底
説得力を
持ちえない。
むしろ、「壕」が
「死体処理」の場であったことを示す
資料が、
多数
存在しているのだ。
その一例を
以下に紹介しよう。
(第二野戦高射砲兵司令部副官の証言)
「二千の虐殺死体」とかいわれておりますが、門の外側で
見ましたのは千にも足らなかったと思います。一部の死体は
人に踏みつけられ、気の毒な状態でしたが、この人たちは、
紫金山の戦闘に敗れて城内に逃げ込まうとしたか、あるいは、
城内から脱出しようとしたかは判らないが、太平門まで来て
やられたのではありますまいか。
ここには門外に深い大きな壕があり、この壕の中に死体が
入れられて、土で覆われていました。
門の正面で
城壁の曲折部の下方には、一〇〇近い死体が
土もかけずにありましたが、これは爆弾を投げられたよう
でした。
(歩兵第九連隊中隊長の証言)
十三日右側支隊の紛戦救援のため急派され翌十四日歩九に
復帰する途中
太平門外を南進するとき地隙内に
かなり
多くの中国兵の死体が集められていたのを見た。
(歩兵第三十旅団長の手記)
守将が逃げた後にのこされた支那兵ほど
みじめな存在はない
のである。彼らに戦意の程がありや無しやは自明の理であるが、
彼らにはもはや退路がなかったので死にもの狂いに抵抗したの
である。
敗残兵といえども尚部落山間に潜伏して狙撃をつづけるものが
いた。
したがって抵抗するもの、従順の態度を失するものは
容赦なく即座に殺戮した。
終日各所に銃声がきこえた。
太平門外の
大きな外壕が
死骸でうずめられてゆく。
以上の証言から、「大なる壕」は、そのまま
死体処理の場と考えて
何の不審もない。東中野解釈は、あまりにも不自然で強引に過ぎる。
都合のよい推論ばかりが元になって展開される
南京虐殺否定論は、
ほとんど
読解力不足か
意図的な得歪曲
といって過言ではない。
これは メッセージ 26612 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:06 投稿番号: [26612 / 29399]
数多くの
日本軍兵士、国際機関の関係者、そして被害者たちの
証言や記録資料によって、残虐行為が
組織的に行われた事実を
伝えている。
そのすべてを信用しなくとも、少なくとも南京で
捕虜の大量殺害や
民間人に対する違法行為が
多発した事実を
うかがい知ることができ、軍の公式文書とも
整合性が取れる。
いずれも、現地における
体験に基づいて「あった」
「見た」
「体験した」
という、客観的で
具体的なものだ。
一方、南京事件を
必死で否定しようとする者の
論拠は、
「なかったはずだ」
「疑わしい」
「あるとは思えない」
といった類の、一部の論者が振り回す主観論に依拠している。
中には、自称体験者による
「なかった」
「見なかった」
という、数少ない証言を持ち出す場合もあるが、圧倒的多数の
記録を
怪しい、疑わしい、ウソ、捏造
と決め付けておいて
都合のよい証言だけを真実だと言い張るのは
厚顔無恥な話だ。
否定派には、記録資料に対する無理な
曲解が多い。
例えば
亜細亜大教授の東中野修道は著書『南京「虐殺」の徹底検証』で
第16師団長
中島今朝吾中将の日記に関して
言及している。
これは、捕虜の大量殺害を
記録している資料として有名だが
著者は、独自の解釈を加えて、虐殺はなかったと主張している。
中島中将の
12月13日付の記述は、以下のようなものだ。
「大体捕虜はせぬ方針なれば
片端より之を片付くることと
なしたる共千五千一万の群集となれば
之が武装を解除する
ことすら出来ず
唯彼等が全く戦意を失ひ
ぞろぞろついて
来るから安全なるものの
之が一端掻擾せば始末に困るので
部隊をトラツクにて増派して監視と誘導に任じ
十三日夕は
トラツクの大活動を要したりし
乍併戦勝直後のことなれば
中々実行は敏速に出来ず斯る処置は当初より予想だにせざり
し処なれば参謀部は大多忙を極めたり」
普通に考えれば、「捕虜にせぬ方針」で、「片端から片付け」る、
というのは、捕虜にしないで
殺してしまう、という
意味に
とるのが常識的解釈だろう。
ところが、南京否定派にかかると
「捕虜はせぬ方針」とは、「投降兵は
武装解除後に追放して
捕虜にしない方針」である
という意味に
解釈するらしい。
田中正明著
『南京事件の総括』
でも、
「この中島中将の『捕虜ハセヌ方針』というのを一般に誤解して、
南京の捕虜は
かたっぱしから殺害したかのごとく
主張するが、
決してそうではない。」
として、銃を取りあげ
釈放するという
意味だ、などと
主張している。
しかし、東中野などの
否定派は、「中島日記」
を引用する時、
意図的か否かは分からないが、次の部分を
完全に無視している。
「此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々
見当らず
一案としては百二百に分割したる後適当の処に
誘きて
処理する予定」
捕虜を
追放するのに、なぜ
「大なる壕」
などが必要なのか。
また、100人単位に分け
適当な所に誘導する必要があるのか。
否定派は
まったく説明できずに、この部分に触れようとしない。
卑劣であり、典型的な
ご都合主義
というほかない。
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Re: ヌカボシ=強姦魔が成立するな。
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/21 05:48 投稿番号: [26611 / 29399]
皇軍が人身売買された未成年者を含めた女性を直接、間接的に集めて、軍専用の買春宿に入れ長期間拘束していたこと、さらにそれを国家が政策として推進していたということは十分に問題があると思うのですが、そういったことにはぜったいに触れることはありません。
(そもそもこの「証拠がない」というのは性暴力を犯した側の常套句ですし、通常は「文書による強制連行の証拠」なんて残さないことは歴史研究者が指摘済みのことなのですがね。)
↑暴力的に集めたので無く、自発的に参加した証拠は五万と在る。
暴力的に集めた証拠は皆無。
これは メッセージ 26607 (pokosi2000 さん)への返信です.
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Re: 日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/21 05:46 投稿番号: [26610 / 29399]
南京を占領したのは、陸軍と海軍陸戦隊だったが、海軍陸戦隊は南京での虐殺の証言をする者は居ない。
上海派遣軍を上海に派遣す
上海派遣軍司令官は海軍と協力して上海付近の敵を撃滅し上海並び其の北方地区の要線を占領し帝国臣民を保護すべし
大本営は一般情勢上遂に南京攻略を決意し十二月一日中支那方面軍司令官に対し「海軍と共同して南京を攻略すべき」を命ずると共に其の任務達成の為揚子江左岸要地に一部の作戦を実施し得ることを指示す
大本営は十二月七日方面軍司令官に対し「南京攻略後海軍と共同して概ね杭州宜城蕪湖を含む以北揚子江右岸地城内緒要地の確保安定に任ずると共に航空部隊を以て右地域外敵国内要地の攻撃を続行し上京の進捗に従い逐次兵力を終結控置し大本営の使用に便ならしむ」
これは メッセージ 26600 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/21 05:22 投稿番号: [26609 / 29399]
現代の話しじゃ無いだろう、ホロコーストは、嘘吐く君。
これは メッセージ 26599 (fukagawatohei さん)への返信です.
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fukagawatohei はどうせ嘘つきさ (笑
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/12/20 23:48 投稿番号: [26608 / 29399]
汗水垂らして投稿を繰返しているが、もう議論で勝てることは永久に無い
(笑
嘘つきだと皆にバレているのだから
(大笑
父親が死んだとまで嘘を書いて、その嘘同士が矛盾を来たしたのだから
(笑
馬鹿だろう
(大笑
本当に父親が死ぬぞ、お前!
日本には”言霊信仰”があって、この手の嘘は「言い当てる」と言って極端に嫌われるんだよ、お前!
「結核が持病である自分の父親が徴兵された」との趣旨の投稿をしたから、「伝染病である結核が持病の人間が徴兵されることはない」と否定されて、次のような苦し紛れの逃げ口上を書いた。
>軍隊に入ってからすぐに広島にある「結核患者を専門に治療していた」
陸軍病院に「入院させられた」という事実から、おいらが親父の
結核は持病だったと表現しただけなんですけどね〜。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24475
投稿者:fukagawatohei
*注意:これが2008/ 7/ 8の記載である
次に「爆心地か近いところにあった陸軍病院で被爆した」と書いて、またまた、「結核専門病院は爆心地の近くにはなかった」事実を突きつけられて、
>おいらの親父が入院したのは爆心地から1〜1.5kmくらいのところに
あった広島陸軍病院だよ。
結核患者が必ずしも、結核専門の病院に入れられるとは限らないんだよ。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ
投稿No.24782 投稿者:fukagawatohei
*注意:これは2008/ 7/24 である
と書いた。2週間の間に複数の相手と「嘘のやり取り」をしている内に、その場限りの「嘘」同士が、完全に、矛盾した。
入院したのが「結核専門病院であり」同時に「結核専門病院ではない」ことになってしまった。
両方とも嘘だからこうなった。
オカシカッタのは、この「嘘同士の矛盾」を、何回も突きつけられて、本人がなかなかワカラナカッタことである。
嘘ばっかり書いているから、頭が嘘になってしまったのである
(大笑
それ以来、fukagawatoheiは、嘘が「バレタラバレタ時ノコト」と開き直って投稿するようになった。
だから、新しい相手とやり取りを始めても、直ぐ突っ込まれて行き詰まり、あとは悪口雑言ばっかり、と云うザマになっている。
ここ数年間、ずーっと、その調子である。
嘘がばれる前提で嘘を書き続ける。止められない。
やっぱり、完全に、fukagawatoheは狂人なのである。
これは メッセージ 26599 (fukagawatohei さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/26608.html
Re: ヌカボシ=強姦魔が成立するな。
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2011/12/20 20:49 投稿番号: [26607 / 29399]
ヌカボシ理論によれば。
>「そもそも、慰安婦を日本の軍や官憲が強制連行したという証拠は何一つなく、日本政府が賠償すべき筋合いの問題ではない」
といった毎回、同じ内容の否定論なのです。
皇軍が人身売買された未成年者を含めた女性を直接、間接的に集めて、軍専用の買春宿に入れ長期間拘束していたこと、さらにそれを国家が政策として推進していたということは十分に問題があると思うのですが、そういったことにはぜったいに触れることはありません。
(そもそもこの「証拠がない」というのは性暴力を犯した側の常套句ですし、通常は「文書による強制連行の証拠」なんて残さないことは歴史研究者が指摘済みのことなのですがね。)
すなわち、明らかな嘘の証言でも裏付けは必要ないと言う主張。
それならば、俺はヌカボシが強姦するところを目撃し、心にトラウマを負った可哀想な被害者であると証言する。
卑怯な強姦魔であるヌカボシは証拠を残す筈が無く、俺はヌカボシの強姦された被害者の名前も分からない。
"(そもそもこの「証拠がない」性暴力を犯した側の常套句ですし"と言ってるから証拠は必要ないと主張してるわけだ。
従って、可哀想な被害者である俺の証言は絶対であるから、性暴力の常習者である強姦魔ヌカボシは俺に謝罪と賠償する義務がある。
証拠は必要ないんだろ?
これは メッセージ 26572 (nukabosi さん)への返信です.
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う〜〜〜む
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2011/12/20 20:23 投稿番号: [26605 / 29399]
このトピ、ワダツミの壁張りと、トーヘイに埋め尽くされてるな。
読む気にならん。
それにしてもワダツミは芸のないやつだな。
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日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/20 18:55 投稿番号: [26604 / 29399]
前述したように、参謀総長が
異例の通達を出すほど、
日本軍の軍紀風紀は
頽廃していた。
開戦後2年間のみに限っての軍紀風紀に関する犯罪非違の
調査によると、日中戦争の
戦地における
犯罪非違は、
日清・日露に比べて
はるかに高率となっている。
大本営陸軍部が調査した
開戦2年後の調査によると、
軍隊内の犯罪数は
次のとおりだ。
日清戦役(全戦役)
3387
内地1906
戦地1481
日露戦争(全戦役)
5234
内地3780
戦地1454
日支事変(2年間)
5221
内地2047
戦地3147
(参考:無形戦力軍紀風紀資料第一号「支那事変に於ケル犯罪非違
ヨリ視タル軍紀ノ実相並ニ之ガ振粛対策」
大本営陸軍部研究班
昭和十五年十一月)
上記の数は、憲兵隊が
取り扱ったもの
だけであり、
「実数ハ之ヨリ増加スベシ」
とされている。
そのうえで
戦地での犯罪数については、日清・日露戦争よりも
「今次事変ニ於ケル犯罪数著大ナルヲ知ルベシ」
としている。
また、非違の発生件数については、日清・日露の記録がないので
比較できないが、「今次事変」
では
3万2964名にも達し、
しかも
「刑法処分ニ処スベキモノ本人ノ功績ト犯行ノ情状トヲ
酌量シテ行政処分ニ附シタルモノ相当数アリ」
「シカモ軍紀上
相当悪性ナルモノ多数発生シツツアルニ於テオヤ」
としている。
つまり、軍法会議に付された犯罪、懲罰権者の処罰ですませた
非違の双方とも、日中戦争下で
軍紀風紀犯罪が多発している
という調査結果が
示されている。
こうした
犯罪のなかで、もっとも多かったのが
掠奪だった。
上海から南京への
追撃戦は、補給を無視しての
急進撃で、
給養は
すべて徴発に頼った。
徴発といっても、そこは敵国であり
実態は掠奪にほかならなかった。
兵士の日記には、ほとんど例外なく、毎日
無人の集落から
何を徴発したかが書かれているが、それは無統制に、兵士が
勝手におこなう
掠奪であったことを
具体的に示している。
徴発には
国際法があり、規則があった。
しかし、中国戦線で
それが守られることは
ほとんどない
という実態にあった。
次のような南京攻略戦のさいの第九師団経理部将侯の記述がある。
徴発品の代金支払は如何にされて居つたか、軍隊は強盗でも
山賊でもない。
必ず代金を払って買はねばならないのである。(中略)
後日所有者が代金の請求が出来るようにして置かねばならない
故に徴発書はかねて印刷配付して所要の事項を記入すればよい
ようにして(中略)ある。
しかるに後日所有者が
代金の請求に持参したものを見れば
其記入が甚だ出鱈目である。例へば○○部隊先鋒隊長加藤清正
とか
退却部隊長蒋介石と書いて其品種数量を箱入丸升とか
樽詰少量と云ふものや全く何も記入してないもの甚だしいのは
単に馬鹿野郎と書いたものもある。
全く熱意も誠意もない。
でたらめな記入をした徴発書では、代金の支払いは
できない。
中国の人々は、食糧などの物資を
だまし盗られたことになる。
南京事件発生の要因の一つに、こうした
日本軍自体の規律低下、
風紀軍紀の頽廃が、中国人蔑視と相まって
存在していたのだ。
これは メッセージ 26603 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/20 18:54 投稿番号: [26603 / 29399]
なぜ、南京においては、大規模な
虐殺行為が、組織的に
行われたのか。
その背景には、もともと
日本軍の中に
中国人に対する侮蔑の感情、差別的意識が
存在していた
という実態があったからだ
と思う。
たとえば
敗戦後の山西省残留問題を告発した「蟻の兵隊」
という本が
ある。
「蟻の兵隊」の著者は、奥村和一という
元日本兵だ。
奥村は、早稲田大学附属早稲田専門学校在学中に徴兵され、
直ちに
中国山西省に
派遣されることになる。
そこで、初年兵教育を
3か月受けるが、最後に
「刺突訓練」と称される
「肝試し」を命じられる。
それは、軍服を着ていない
中国人の
処刑であった。
しかも、処刑は
銃殺ではなく
銃剣刺殺だった。
殺人をためらう初年兵は
急所を外すため、
処刑者は
生殺し状態が長く続く
悲惨なものだった。
初年兵の「肝試し」
として行われた
中国人の殺害は、
捕虜の人道的処遇を定めた戦時法に違反する犯罪だった。
虐殺事件の背景には、幕僚層の国際感覚の欠如とモラル低下
だけではなく、日本軍内部の
軍紀風紀の頽廃があった。
また、戦争の拡大と
軍隊の大量動員が、軍の素質の低下を
もたらしたうえに、それにともなって
軍の規律が
ゆるみ、
軍紀風紀が乱れたことが、犯罪非行続出の
原因となった。
大量虐殺は、軍の組織的行為での
捕虜殺害や敗残兵狩りが
原因であることは勿論だが、軍紀の乱れから兵士個人による
行為によって起こった場合も多出したことが、いっそう事件
大きくした。
この点は
軍上層部でも
認めており、南京事件が国際的な
非難を浴びたのを受け、南京占領直後の38年1月4日付で
参謀総長は中支那方面軍に、次のような要望を行なっている。
顧ミレバ皇軍ノ奮闘ハは半歳ニチカシ
其行ク所
常ニ必ズ赫々タル戦果ヲ収メ我将兵ノ忠誠勇武ハ
中外斉シク之ヲ絶賛シテ止マズ
皇軍ノ真価愈々
加ルヲ知ル然レ共一度深ク軍内部ノ実相ニ及ベバ
未ダ暇謹ノスクナカラザルモノアルヲ認ム就中
軍紀風紀ニ於テ忌々シキ事態ノ発生近時漸ク繁ヲ見
之ヲ信ゼザラント欲スルモ
尚疑ハザルベカラザル
モノアリ
惟フニ一人ノ失態モ全隊ノ真価ヲ左右シ
一隊ノ
過誤モ遂ニ全軍ノ聖業ヲ傷ツクルニ至ラン
(中略)
遡テ一般ノ情特ニ迅速ナル作戦ノ推移或ハ部隊ノ
実情等ニ考ヘ及ブ時ハ森厳ナル軍紀節制アル風紀ノ
維持等ヲ困難ナラシムル幾多ノ素因ヲ認メ得ベシ
従テ露見スル主要ノ犯則不軌等ヲ挙ゲテ直ニ之ヲ
外征部隊ノ責ニ帰一スベカラザルハ克ク此ヲ知ル
然レ共実際ノ不利不便愈々大ナルニ従テ益々以テ
之ガ克服ノ努力ヲ望マザルヲ得ズ(後略)
(中支那方面軍参謀長「軍紀風紀ニ関スル件通牒」)
参謀総長から
このような要望がでたことは、異例だった。
それだけ在中国軍の軍紀風紀の頽廃が、軍中央部にとって
頭の痛い問題だったのだ。
同じ内容の要望は
北支那方面軍にも出されているが、
これは軍紀風紀の粛正が、この時期の
日本陸軍にとって、
大きな問題であったことを
示している。
これは メッセージ 26602 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/26603.html
日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/20 18:54 投稿番号: [26602 / 29399]
前述で引用した
海軍将校の記録は、当時の状況を
比較的冷静な視点から観察し、事実を客観的に述べている。
そのうえで、以下のように
率直な感想が記述されている。
私は、この二目間に
下関で見た
合計約二十台分の、
言いかえれぱ、少なくとも合計五百人以上の中国人の
処刑だけでも、大虐殺であった、と信じている。
もっとも、
どれだけの被害者があれば大虐殺であるかについては、
人それぞれに
見解の相違が
あるかも知れないが。
それらに加えて、玄武湖の湖上や湖岸で見た大量の死体の
こととも考え合わせて、正確な数字は
分からなかったが、
莫大な数の
中国人の犠牲者が
あったのではないか、
と考えざるをえなかった。
そうだとすれば、それは、明らかに、
国際法上の大間題ではないかと思われた。
が、当時の私には、そのことを突っ込んで検討する時間的な
余裕がなかった。
その後間もなく、私自身が
作戦飛行に
従事せねばならなかったからであった。
(以上、奥宮正武「私の見た南京事件」より抜粋・引用)
南京事件当時
海軍大尉だった奥宮は、2日間だけで、しかも
限られた地域だけで、少なくとも
500人以上の
中国人が
殺戮された状況を目撃した。
彼は、それを大虐殺と断定する。
当時、現場において
真実に触れ得た者の証言が
ここにある。
次に、やはり現状を目撃した
陸軍兵士の記述を
引用しよう。
第16師団経理部予備主計少尉による12月14日付の日記だ。
(中山門外にて)
最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にして
きたので見に行った。
色々な奴がいる。
武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は
直ちに銃殺、間もなく
一人づつ
一丁ばかり離れた所へ
引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す
----
-
中に女一名あり、殺して
陰部に木片を突っこむ。
外に二千名が逃げていると話していた。
戦友の遺骨を胸にさげながら突き殺す兵がいた。
前者の海軍将校が目撃した処刑風景と比較すると、後者の方は
かなり
激情に駆られた
行動であるように
思える。
野蛮な戦争は、人間の心から
冷静さを奪い、理性を失わせる
という現実を
ここでも思い知らせられるが、一方で
これが
一部の
個人的な犯罪にとどまらず、組織的に行われた背景を
冷静に
探る必要があるのではないか
と考える。
これは メッセージ 26601 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/26602.html
日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/20 18:53 投稿番号: [26601 / 29399]
日本軍兵士のよる虐殺は、一部の不届き者が
衝動に駆られて
偶発的に引き起こしたものではないことが、多くの
目撃談や
記録資料によって
明白となっている。
さらに、前述の
海軍将校の記録の続きを
引用しておこう。
十二月二十七日。この日は市内の西部を重点的に見回る予定
であった。
が、前々日の光景が
あまりにも鮮明に記憶に
残っていたので念のために、まず再び下関に行くことにした。
下関の処刑場に近づくと、この日もまた、城内の方から、
中国人を乗せた
無蓋のトラックが、続々とやってきて、
倉庫地帯に消えていた。
再び、警戒中の哨兵にことわって、
門を入ったところ、前々日と同じような処刑が行なわれていた。
そこで、ある種の疑間が
生じた。
それは、
「多数の中国人を
大した混乱もなく、どうして、
ここまで連れてくることができるか」
ということであった。
そこで、処刑場の入口付近にいた一人の下士官に、その理由を
尋ねた。
ところが、彼は、何のためらいもなく、
「城内で、戦場の
跡片付けをさせている中国人に、“腹のすいた者は手を上げよ”
と言って、手を上げた者を食事の場所に連れていくかのように
して、トラックに乗せているとのことです」と説明してくれた。
そこで、更に、「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」
と質間したところ、
「上官から、弾薬を
節約するために、そうするように
命じられているからです」
との答が返ってきた。
このような処刑が、南京占領から
二週間近くを経た後の
二十五日と二十七日に
手際よく行なわれていた。
もっとも二十六日と二十五日前と二十七日後に
どのような
処刑が行なわれていたかは
分からなかったが(中略)
二日間のことから察して、それが戦場にありがちな一時的な、
興盲状態での対敵行動であるとは
私には思われなかった。
この日もまた、一連の処刑が、ある種の統制のとれた行動で
あるように感じた。
戦争中であっても、また、たとえ
敵国の人民だからといって
何をしても許される
ということには、ならない。
ましてや、戦闘に巻き込まれたとか
敵対行為を働いたという
状況ではなく、戦闘終了後、占領から
2週間を経た時点で
無抵抗な人々を
言葉巧みに騙して
次々と命を奪った行為は
やはり、「大虐殺」
と言うほかに
適当な表現はないと思う。
そして
問題とすべきは、この蛮行が
上部の命令に従って
「統制のとれた行動」
として、遂行されていたことだ。
これは、一海軍将校の個人的見解に過ぎない
という反論も
あるかも知れない。
しかし、もしも
仮に、一部の兵士が
一時的な激情に駆られて対敵行動に走った結果だ
としても
その蛮行を制止できなかった
軍の管理監督責任が問われる。
これは メッセージ 26600 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/20 18:53 投稿番号: [26600 / 29399]
当時の中国の首都、南京を武力占領したのは
陸軍であるため、
大虐殺があった事実を示す
多くの証言や記録は、おもに陸軍の
関係者によるものだが、貴重な資料として、海軍の関係者による
記述についても
参考として、ここで
引用しておきたい。
南京周辺で撃墜された
海軍機の乗務員を
捜索するため、
占領直後の南京に入った
海軍将校が、そこで
目撃した
状況に関し、客観的な視点から
率直に
記録している。
以下、奥宮正武『私の見た南京事件』より「下関の光景」引用。
下関は、南京と揚子江の対岸にある浦ロとともに、交通の
要衝であった。
浦ロは、私が上海着任直後に、最初に、
爆撃したところでもあった。
下関には
かなり大規模な
停車場と開源碼頭(波止場)があった。
そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が
多数の中国人を
文字通り虐殺している現場を見た。(略)
構内の広場に入って見ると両手を後ろ手に縛られた中国人
十数名が、江岸の縁にそって数メートル毎に引き出されて、
軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江に投棄されていた。
岸辺に近いところは、かなり深く目に見えるほどの速さの
流れがあったので、ほとんどの死体は下流の方向に流れ去って
いた。
が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、
江岸から少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので
付近は血の川となっていた。
そして、死にきれないものは銃撃によって止めが刺されていた。
この一連の処刑は、流れ作業のように、極めて手順よく
行なわれていた。
大声で指示する人々もいなかった。
そのことから見て、明らかに陸軍の上級者の指示によるもの
であると推察せざるをえなかった。
したがって、部外者である私が
ロを出す余地は
ないと
感じた次第であった。
----
-
奥宮が目撃した虐殺の様子からは、戦闘の混乱の中で中国兵を
殺害したのではなく、抵抗できない中国人たちを
組織的に、
「流れ作業のように、極めて手順よく」
処刑していたことが
分かる。
その状況からみて、上部からの指示によるものだと
軍人の専門的な視点から推察できた
という事実も判明する。
上記に続けて
奥宮は、次のように
記述している。
そこで、私は、付近にいた一人の若い陸軍士官に、尋ねた。
「なぜこのようなことをするのか」
答えて日く、
「数日前の夜、一人の勇敢な中国人が、わが
陸軍の小隊長級の若い士官十名か十一名かは分かりませんが
寝ている寝室に侵入して、全員を刺殺したそうです。そこで、
彼らの戦友や部下たちが、報復のために、その宿舎の付近の
住民を処刑しているとのことです」
彼の説明が正しかったか否かは
私には分からなかった。
そう説明するように教えられていたのか知れなかった。
奥宮に対する
陸軍士官の説明が、もしも
正しかったとしたら、
宿舎付近の住民を
つかまえて、「処刑」
したということであり
復讐心に駆られた日本兵による非戦闘員の惨殺だったことになる。
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 16:54 投稿番号: [26599 / 29399]
>終戦後は十分に証言も出来たし反対も出来たよね、之が今話題の中心の時代のことだよ>
おいらは現代の話をしてるんだけどね。
まあ、終戦後アイヒマンなど、多数のナチスが南米に逃亡してるのは、
なんでだろ〜、なんでだろ〜、♪♪
これは メッセージ 26598 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 16:38 投稿番号: [26598 / 29399]
終戦後は十分に証言も出来たし反対も出来たよね、之が今話題の中心の時代のことだよ、嘘吐く君。
君の病気は良く知られたことだよね、嘘吐く君。
これは メッセージ 26597 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 15:57 投稿番号: [26597 / 29399]
>ドイツでは1994年から「ホロコースト否定」が刑法130条第3項で禁じられている。
2004年にはイスラエルで、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定された。
時間的経過を無視したいんだね、嘘吐く君。>
ごめん、ニャンコチャンが病気だという事を忘れていました。
天才によくある症状ですね。
これは メッセージ 26596 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 15:28 投稿番号: [26596 / 29399]
ドイツでは1994年から「ホロコースト否定」が刑法130条第3項で禁じられている。
2004年にはイスラエルで、外国に対して「ホロコースト否定論者」の身柄引渡しを要求できる「ホロコースト否定禁止法」が制定された。
時間的経過を無視したいんだね、嘘吐く君。
これは メッセージ 26595 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 15:16 投稿番号: [26595 / 29399]
>>違うだろ〜。ドイツではユダヤ人虐殺を否定すると
ナチス法で処罰されるからだよ。
>否定しての処罰されません、嘘吐く君。
また〜、ウソばっかり。
↓
(wikipedia引用)
ドイツ、フランス、ポーランド、ポルトガル、チェコなどのヨーロッパ諸国において、ホロコーストの否定は刑事罰の対象になる。特に加害者であるドイツでは3ヶ月以上5年以下の懲役刑、被害が最も大きかったポーランドでは罰金または3年以下の懲役刑になるなど、社会的にも最大のタブーとされている。ポーランドではユダヤ人総人口の9割がホロコーストで死滅したとされている。
>>又、うそついて。誰が証言してんの?
ユダヤ人を殺したと言えば、戦犯として刑務所に入れられちゃうから、
証言なんかするわけ無いじゃんか。
>証言者は処刑されましたよ、嘘吐く君。
戦犯以外で証言したドイツ人の名前をあげてくださいね。
回答はなるべく正確にお願いします。
これは メッセージ 26594 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 15:07 投稿番号: [26594 / 29399]
違うだろ〜。ドイツではユダヤ人虐殺を否定すると
ナチス法で処罰されるからだよ。
否定しての処罰されません、嘘吐く君。
又、うそついて。誰が証言してんの?
ユダヤ人を殺したと言えば、戦犯として刑務所に入れられちゃうから、
証言なんかするわけ無いじゃんか。
証言者は処刑されましたよ、嘘吐く君。
これは メッセージ 26593 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 15:00 投稿番号: [26593 / 29399]
>>1)ドイツ国民はなぜユダヤ人虐殺はウソだと言わないのか?
>事実として認めているから。
違うだろ〜。ドイツではユダヤ人虐殺を否定すると
ナチス法で処罰されるからだよ。
>>2)ナチス戦犯以外にどうしてユダヤ人を虐殺したという元ドイツ軍人の証言がないのか?
>元軍人は殺すことはヒトラーの命令だったと証言した。
又、うそついて。誰が証言してんの?
ユダヤ人を殺したと言えば、戦犯として刑務所に入れられちゃうから、
証言なんかするわけ無いじゃんか。
ナチスの戦犯には時効が無いのはニャンコチャンも知ってるだろ。
つまり、ドイツではユダヤ人虐殺を否定することが法的に許されない。
一方、日本では南京大虐殺を否定しても処罰されない。
だから、ニャンコチャンのように、本当は南京大虐殺が
あった事はよく知っているのに、しらばっくれる悪質な確信犯がいるんだよ。
だから、日本も法的にバカウヨのウソを取り締まる法律が必要なんだよ。
これは メッセージ 26592 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: ユダヤ人虐殺
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 13:48 投稿番号: [26592 / 29399]
1)ドイツ国民はなぜユダヤ人虐殺はウソだと言わないのか?
事実として認めているから。
2)ナチス戦犯以外にどうしてユダヤ人を虐殺したという元ドイツ軍人の
証言がないのか?
元軍人は殺すことはヒトラーの命令だったと証言した。
これは メッセージ 26591 (fukagawatohei さん)への返信です.
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ユダヤ人虐殺
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 13:25 投稿番号: [26591 / 29399]
>猶太人虐殺と、南京虐殺の関連を述べよ
うん、ニャンコチャンに質問があるんだよ。
1)ドイツ国民はなぜユダヤ人虐殺はウソだと言わないのか?
2)ナチス戦犯以外にどうしてユダヤ人を虐殺したという元ドイツ軍人の
証言がないのか?
博学のニャンコチャンには簡単な質問だよね。アンサー、プリーズ。
これは メッセージ 26590 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 兵士の陣中日記 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 12:53 投稿番号: [26590 / 29399]
猶太人虐殺と、南京虐殺の関連を述べよ、脳無しみたいだね、同じ事を繰り返すのは、嘘吐く君。
これは メッセージ 26589 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 兵士の陣中日記 横
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 10:38 投稿番号: [26589 / 29399]
>南京虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、日本の軍隊上出来ない、だから夢幻の捏造事件である。
ユダヤ人虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、
ドイツの軍隊上出来ない、だから夢幻の捏造事件である。
だよね〜?ニャンコチャン。
これは メッセージ 26586 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 兵士の陣中日記 横
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 10:12 投稿番号: [26588 / 29399]
個人の日記を出しても中身が正規の陣中日記と違うのじゃ話にならん、増して南京市内に入ったことも無い部隊が、然も入ったような記述をしているなど、捏造と言わずに何と言う、嘘付が捏造を引き合いに出したがるのは理解できる、嘘吐くと云う点で、嘘吐く君。
これは メッセージ 26587 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 兵士の陣中日記 横
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 09:48 投稿番号: [26587 / 29399]
>南京虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、日本の軍隊上出来ない、云々
出来ない、出来ないって、もっと自信を持ちなよ。
田中軍吉さんて人は中国で300人の中国兵をたたっ切った英雄だよ。
田中さんのように剣の達人が1000人いれば、中国人を30万人
やっつけるのは、簡単じゃん。
もっと楽観的になりなよ、ニャンコチャン。
これは メッセージ 26586 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(1
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 07:44 投稿番号: [26586 / 29399]
南京虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、日本の軍隊上出来ない、だから夢幻の捏造事件である。
物理的に出来ない理由、
1.当時弾薬が三〇萬人を殺せる程なかった。
2.当時の政治状況は表では紛争、裏側では蒋介石と日本政府は、紛争解決に交渉中であった。
3.日本も、蒋介石も紛争早期終結を目論んでいた。
4.日本軍の現地参謀将校により蒋介石政府と停戦交渉が行われて居た。
5.現地参謀の交渉を現地の司令官は全て承知していた。
6.南京安全委員会の報告書には市民が虐殺されたという報告はなく、俘虜選別に関して日本軍と協力したという報告はある。
7.南京城入城時には戦闘は終了しており、以後銃声は聞かれていない。
8.南京俘虜は翌年全て解放されているが、其の解放時の記録が残っている。
これは メッセージ 26581 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 21:52 投稿番号: [26585 / 29399]
山砲兵第19連隊第3大隊
上等兵の日記の記述は
さらに、次のように
続いている。
拾二月拾五日
晴
南京城外其地に我が拾三師団は休養する事となった、
午前馬糧の徴発に忙しかった、敵首都南京城も助川部隊
が拾三日午前拾時三十分に占領してしまったのである、
城内にも入城する事が出来た。
拾二月拾六日
晴
午后一時我が段列より二十名は残兵掃湯の目的にて馬風山
方面 に向ふ 、二三日前捕慮せし支那兵の一部五千名を
揚子江の沿岸に連れ出し
機関銃を以て射殺す、
其の后銃剣にて思う存分に突刺す、
自分も此の時ばかりと憎き支那兵を三十人も突刺した事で
あろう。
山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは
鬼をもひしがん勇気が出て力一ぱいに突刺したり、
うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も
居る、
一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、
こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった、
(略)
帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれて居た。
(『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P350〜351)
次は、山砲兵第19連隊第8中隊の伍長に日記の記述。
〔十二月〕十四日
午前四時起床、直ちに出発する、道路暗くて而も寒い、
前進して午前八時頃敵の降伏兵の一団に逢ひ敗残者の
悲哀、武装解除に珍らしき目を見張る、
更に数団、全部にて三千名に達せん、
揚子江を船で逃げる兵を小銃軽機にて射撃するのも面白し、
目の前に南京城を見て降伏兵の一段を馬上より見下すのも
気持が悪くない、南京牧場宿営、女を混じへた敵兵の姿。
(略)
〔十二月〕十六日
(略)夕方二万の捕慮が火災を起し警戒に行った中隊の兵の
交代に行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日
揚子江畔にて銃殺と決し
護衛に行く、
そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。
月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、
断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、
戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、
一生忘るる事の出来ざる光影であった。
この兵士の記録にも
大勢の捕虜を
揚子江の畔に連れ出して
機関銃による銃殺や
銃剣による刺殺によって
殺害したこと、
また、12月16日には、自分も30人ほどを突き殺したことなどを
記録している。
南京攻略に従軍した
日本軍の兵力は10万以上。
この兵士だけが特別で異常な存在でなければ、数日間のうちに
何万もの中国人を
殺害するのは、じつに
容易いことだった。
これは メッセージ 26584 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 21:52 投稿番号: [26584 / 29399]
前述した歩兵第65連隊連隊砲中隊一等兵の陣中メモには
12月17日に
捕虜1万数千人を銃殺し、翌18日から
その遺体の片付け作業に日数が費やされたと記録している。
遺体片付けについては、同連隊所属の別の兵士の日記にも、
次のような
記録がある。
12月18日
入城式も終はって、今度は一時にひまとなった。
朝飯を食してより南京見物に行く。
(中略)
中隊では死体片づけに全員行っている。
夕方になる。
夕飯の準備をしているうちに戦友が真っ黒な顔をして
帰ってくる。
聞いてみれば、煙にて染まったとか。
中隊全員で
朝から夕方までかかって、遺体の片付けに
当たっていた。
もちろん、日本軍兵士の遺体ではない。
次に、同じ時期のことを記録した
山砲兵第19連隊
第3大隊段列・編成
伍長の陣中日記を
引用しよう。
十二月十六日
晴天
南京城外
休養、市内に徴発に行く、(中略)午後四時山田部隊にて
捕いたる敵兵約七千人を銃殺す、揚子江岸壁も一時死人の
山となる、実に惨たる様なりき。
十二月十七日
晴天
南京城外
午前九時宿営地出発、軍司令官の南京入場式、
歴史的盛儀に参列す、
午後五時敵兵約一万三千名を銃殺の使役に行く、
二日間にて山田部隊
二万人近く銃殺す、各部隊の捕慮は
全部銃殺するものの如し。
十二月十八日
晴天
南京城外
午前三時頃より風あり雨となる、朝起床して見ると各山々は
白く雪を頂初雪となる、
南京城内外に集結せる部隊数
約十ヶ師団との事なり、午後五時残敵一万三千程銃殺す
(『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P373)
次に、山砲兵第19連隊第3大隊
上等兵の日記を引用する。
拾二月拾三日
晴
七時半某地を出発した、揚子江附近の道路を通過する際
我が海軍の軍艦がゆうゆうと進江して居るのがよく見えた
敵の敗残兵は諸所に殺されて居た、午后八時某地に到着
宿営す。
拾二月拾四日
晴
午前三時半出発して前線に進む、(略)
途中敗残兵を
六五にて
一千八百名以上
捕慮にして
其の他沢山の
正規兵で合計五千人の敗残兵を拾三師団にて捕慮にした
全部武装解除をしたのも見事なものである、
命令我が大隊は馬風山砲台を占領して東外村に宿営す、
(略)
捕慮兵は両手をしばられ歩兵に警戒せられて或る広場に
集められて居た、馬風山砲台には日章旗高く揚げられて
万歳を唱へられた、
種々なる感想を浮べて前進を続け東外村に宿営す、(略)
これは メッセージ 26583 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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兵士の陣中日記に見る大虐殺の様相(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 21:51 投稿番号: [26583 / 29399]
日本軍兵士たちの陣中日記には、南京戦を
実体験した
兵士だけが見た
そのときの真実が
記録されている。
次に引用するのは、歩兵第65連隊
本部通信班所属の
有線分隊長・編成
伍長の記録した日記から
抜粋する。
十二月十四日
未明油座君支那の工兵大尉を一人とらへ来る。
年、二十五才なりと、R本部は五時出発、
吾は第五有線班の撤収をまちて八時半出発。
午後一時四十分敗残兵一人を銃殺。
敵の銃をひろひて撃てるものなり。
第一大隊は一万四千余人の捕虜を道上にカンシしあり。
天気よし、彼の工兵大尉に車をひかせて南京へ向かふ、
鹵獲銃は道路に打ちくだく。
一丘をこえて南京の城壁目(間)近に見ゆ。
城壁一千米手前にて彼の工兵大尉を切る、
沈着従容たり、時午後四時也。
午後五時半、R本部に至るも本部未着六時四十分頃着す。
十二月十五日
午前九時朝食、十時頃より×××伍長と二人して徴撥に
出かける、何もなし、唐詩三百首、一冊を得てかへる、
すでに五時なり。
揚子江岸に捕虜の銃殺を見る、
三四十名づつ一度に行ふものなり。
次は、歩兵第65連隊連隊砲中隊・編成
一等兵の陣中メモ。
〔十二、〕十四
午後五時出発夜頃より敵兵続々と捕虜トス、幕府山要塞を
占領し午後二時戦斗を中止す、廠舎に捕虜を収容し其の前
に宿営警戒す、捕虜数約一万五千。
〔十二、〕十五
今日も引続き捕虜あり、総計約弐万となる。
〔十二、〕十六
飛行便の書葉到着す、谷地より正午頃兵舎に火災あり、
約半数焼失す、夕方より捕虜の一部を揚子江岸に引出
銃殺に附す。
〔十二、〕十七
未曾有の盛儀南京入場式に参加、一時半式開始。
朝香宮殿下、松井軍司令官閣下の閲兵あり、
捕虜残部一万数千銃殺に附す
〔十二、〕十八
朝より小雪が降った、銃殺敵兵の片付に行く、臭気甚し
〔十二、〕十九
本日も敵兵の片付に行く、自分は行かなかった。
12月17日、同連隊だけで、捕虜の殺害数は1万数千人。
その遺体の処理に日数を要し、小雪が降る季節であるにも
かかわらず、「臭気甚だしい」
という状況だったという。
これは メッセージ 26582 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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