南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 南京大虐殺の「様式美」

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 23:06 投稿番号: [23521 / 29399]
ゲルニカと、南京大虐殺を同列としたところが、脳無しと言われる所以、脳無し君。

ゲルニカは、爆撃を受けた、南京大虐殺は、夢幻、脳無し君。

Re: 続: 腐れは、毎度知りもしない話を持ち

投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/10/04 22:58 投稿番号: [23520 / 29399]
あら、角田房子著『墓標なき8万の死者ー満蒙開拓団の壊滅』中公文庫
という本もありますよ。

<<多くの在満邦人は、引き上げの準備を事前にしたくすることが出来たのだね。>>

何なんでしょう、この書き込み。>

こっちが聴きたいねw。↑
何が分らないのかね?

日本語を知らない辞書ひきmak7664647

投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/10/04 22:56 投稿番号: [23519 / 29399]
「美」なる単語は、単独で表記されれば、それは訓読みである。
送り仮名を送る際は、音読みである。
万葉仮名で送り仮名で送っていたのかどうかは知らない。
だが、漢字を輸入した際に日本語に当てたのが起源であることに違いは無い。

「形式美」「様式美」「自然美」「人工美」などと言ったように、ある一定の成り立ちや仕組みを顕す熟語と組み合わせて語句を形成することで、そこで謂わんとする「美」が、何についての「美」であるかを明確にすることが出来る。

ここで上げている語句は、皆漢字三文字で構成されてはいるが、「美」と組み合わさって語句を形成するこれらの熟語と「美」との単語の間には表記されていない助詞が含まれている。
熟語などの語句や単語の後ろに用いられている「美」という単語は、実は名詞なのだね。
それに対して、単語や熟語などの前に用いられる「美」という単語(多くは送り仮名で送る)は、形容詞として用いられている。

「○○美」と言った場合、先ず日本人なら「美」という単語の前にある「○○」の意味さえわかれば、「○○美」という語句となった際の意味も必然手じに解るのだね。
だから、辞書では通常「○○美」という語句での掲載をしない。
それだけの話だが、辞書がないと己が言語の意味すら不明確な白痴くんには理解し難いのであった。

Re: 続: 腐れは、毎度知りもしない話を持ち

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2010/10/04 22:49 投稿番号: [23518 / 29399]
あら、角田房子著『墓標なき8万の死者ー満蒙開拓団の壊滅』中公文庫
という本もありますよ。

<<多くの在満邦人は、引き上げの準備を事前にしたくすることが出来たのだね。>>

何なんでしょう、この書き込み。

続: 腐れは、毎度知りもしない話を持ち出す

投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/10/04 22:30 投稿番号: [23517 / 29399]
「まるでソ連が参戦してきて満州の日本人を見捨てた関東軍のように。」というのは、戦後に当時の状況も実際も知らない者が、反体制反権力を言い募る延長で戦前の軍から自分達民衆を切り離すために妄想した虚実ですね。

関東軍の主力部隊は、ソ連参戦の遥か以前に南方戦線の支援に向かわせるため本国の参謀本部から命が下って南下したのだね。
主力部隊が満洲から転進するにあたって、関東軍は現地日本人を徴兵召集して満洲国の国境守備隊を増員補給したのだよ。

この守備隊は、ソ連軍が参戦してきた以降も民間人が逃げるための盾となって多くが犠牲や捕虜となり、捕虜はシベリア抑留者や中国で抑留再教育或いは中国の軍律裁判で処刑されたというのが事実。

満洲に遠征或いは転出していた軍属の多くは、ソ連参戦以前にソ連戦線の懸念に因って本国よりの撤収要請を受けて、鉄道によっていち早く帰国の途についていたわけだが、それは主に文官や軍属の家族などであって赴任中の軍人は一応司令部任務を継続している。
敵の動向に対して司令部が後方待機を維持するために移動するという近代軍の常識に漏れず、司令部は満洲からソ連軍の動きに応じて転々と移っていったのだ。

一方で、日本人民間人と国境守備に当たっていた関東軍の部隊は、現地の支那人らを介して国境周辺の状況を知らされ、ソ連の戦車部隊が侵攻を始めたの報を受けて引揚を開始している。
多くの在満邦人は、引き上げの準備を事前にしたくすることが出来たのだね。

現地の支那民衆と在留邦人の関係は、一部を除いて分けは立てなかった故であり、引揚の際も多くの日本人が現地の支那民衆に我が事として助けられながら帰路を急いだのだよ。
そして、幼子を連れていける状況を失した邦人らに託された多くの邦人の幼子を支那民衆はは引き受けてもくれたのだよ。

而して「ソ連が参戦してきて満州の日本人を見捨てた関東軍」などというのは存在しなかった。

当時、主力部隊の留守を護るために現地召集されて国境守備隊と捨て構成されていた兵士の中で、終戦と同時に無事引き揚げてきた多くの兵士もいる。
彼らは、家族などを含む民間邦人と引き揚げてきたわけではない。
多くの将兵が、居留地で支那の民衆と共に生活していた邦人民衆であったから、現地支那の民衆が特別な手立てを尽くして日本まで逃がしてくれたのだ。

政府官僚と軍属の一部が、ソ連の不穏な動きを懸念する本国筋から要請で早々に撤収したのと、現地邦人を見捨てたかどうかは別の話なのです。

腐れは、毎度知りもしない話を持ち出す。

投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/10/04 22:29 投稿番号: [23516 / 29399]
Re: 南京大虐殺の「様式美」 2010/10/ 4 19:22 [ No.23513 / 23514 ] 投稿者 : anthony_749

>支那人は自分の国の兵士を勇気ゼロ、活動力ゼロ、知能ゼロの動物として描くことに絶大な熱意を持つ。


そうですね。
日本兵が虐殺するまでに追い込まれていったことは横に置いとくとして、
南京大虐殺の一因に、蒋介石が住民や兵士を見捨てて南京からいち早く逃げ出したことがあります。
まるでソ連が参戦してきて満州の日本人を見捨てた関東軍のように。


まあ、お馬鹿な白痴くんの独りだから、聞きかじりの戯言を吐くしか能がないのも致し方ないのだろう。

蒋介石が、いち早く南京を出たのがなぜかすら理解できないから「住民や兵士を見捨てて南京からいち早く逃げ出した」などと的外れな推測を書く。
蒋介石は、自身の軍閥政府に因る国を存続させるために、日本軍が”首都南京”を陥落する前に遷都せ占めんと画策しての南京出奔だ。
その際に、南京の住民を見捨てたのは事実だが、実際の処蒋介石が呼び掛けても南京住民が蒋介石に突き従って南京から非難するなどは無かったのだよ。

それ以前に、遷都を成功させ”暴挙に因る侵略者”として日本軍を国際社会に印象付けるため、住民には蒋介石が南京を出て遷都するなどの動きを察知されないよう工作し、南京防衛を諦めていないと装うために大量の兵を南京城内外に投入し、日本軍の本軍が総力を挙げて南京攻撃に及ぶよう誘っていたわけだ。

南京城内外に大量の兵を投入した理由の主たる目的は、日本軍を足止めして南京攻略から目を逸らさせない為と、この際にゲリラ的に抵抗と遁走を繰り返しながら日本軍を少しでも消耗させ、必要とあらば徴発の原資になりうるものは残さず鯨脱或いは焼却して理を与えない工作に努めさせ、日本軍占領後も民衆の中に隠遁しながら南京城内にて陽動に手を尽くして、南京に日本軍を縛りつけておくことのあったのだね。

何れ、蒋介石が南京陥落直前から南京陥落後にかけての画策と行動は、支那の戦史に良く出てくる古典的なものだ。
当時の日本軍参謀や軍司令部の大方の者達は、隣国の戦史などよく知りもしないばかりか自国の戦史も碌に知らなかったお門違いの軍人であった故、見事に計略通りに踊らされて戦時国際法違反の疑いを被せられるにまで至った。

また、当時も当然のように外交下手であった上に、身分制度に依拠する時代錯誤者達が多くその中枢部に掬っていた為に、体裁や面子を国益や公益より優先させる狭量な利己主義者であった故、南京城内外で実際に起こった出来事を内外に広く知らしめることすら考えなかった。
故に、蒋介石の工作に因って流される風聞や発信される虚構が世に広まり、日本からの発信は国際社会に届かないという状況を肥大させていった。

Re: 南京大虐殺の「様式美」

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2010/10/04 21:55 投稿番号: [23515 / 29399]
全く、状況が違うだろうが〜。

南京大虐殺は、シナ人が行った虐殺の行為そのもの。

便衣兵を対象とした、処刑とロスケの一般人で有る日本人を殺害・強姦して当たり前の行動は。

お前、ホンにノ〜天気な馬鹿日本人。もう出て来るな〜。

NNNドキュメント

投稿者: nippon_typhoon 投稿日時: 2010/10/04 20:26 投稿番号: [23514 / 29399]
NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺

part1
http://www.youtube.com/watch?v=iA_gprpCT-U&p=89CBC9986CA22A8D&playnext=1&index=11

part2
http://www.youtube.com/watch?v=CM-PgnTLXqc&p=321302362EFFB52F&playnext=1&index=1

part3
http://www.youtube.com/watch?v=L7VBoJLGc3s&p=89CBC9986CA22A8D&playnext=1&index=13

part4
http://www.youtube.com/watch?v=BIY_fpkV0rc&p=321302362EFFB52F&playnext=1&index=3

part5
http://www.youtube.com/watch?v=3gfbElUS6Ks&p=321302362EFFB52F&playnext=1&index=4

Re: 南京大虐殺の「様式美」

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/10/04 19:22 投稿番号: [23513 / 29399]
>支那人は自分の国の兵士を勇気ゼロ、活動力ゼロ、知能ゼロの動物として描くことに絶大な熱意を持つ。


そうですね。
日本兵が虐殺するまでに追い込まれていったことは横に置いとくとして、
南京大虐殺の一因に、蒋介石が住民や兵士を見捨てて南京からいち早く逃げ出したことがあります。
まるでソ連が参戦してきて満州の日本人を見捨てた関東軍のように。

Re: 南京大虐殺の「様式美」

投稿者: unhoo 投稿日時: 2010/10/04 18:48 投稿番号: [23512 / 29399]
ゲルニカと長崎・広島とは大規模殺人武器による虐殺であるが、支那人描くところの南京大虐殺は、人間が手持ちの武器で支那兵を一人一人殺している。支那人は自分の国の兵士を勇気ゼロ、活動力ゼロ、知能ゼロの動物として描くことに絶大な熱意を持つ。

南京大虐殺の「様式美」

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/10/04 18:15 投稿番号: [23511 / 29399]
>一糸乱れぬ日本軍の行進、一糸乱れぬ突撃、日本軍の行動は様式美なんだね。



さすがニャンコさん、大虐殺の中にも「様式美」を見出すとは鋭いですね〜   (^Д^)

古代より「美」は生命、善、調和などいわゆる人間にとって好ましいものの表現でありましたし、

「虐殺」と「美」は一見、正反対の現象にみえます。

しかし「美」の中に現実世界に内在する本質の多様な表象を最初に指摘したのはおそらくディドロであり、

ディドロによって、美の中に「秩序」や「関係性」、「適合と不適合」などの概念が持ち込まれるようになり、

それがいっそう現代アートの解釈が困難さをきわめる要因ともなっています。

「虐殺」をテーマにした一番有名な絵画は、ピカソのゲルニカです。


ゲルニカ
http://www.pablopicasso.org/guernica.jsp

南京大虐殺
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kyosei/nanking.htm

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 18:02 投稿番号: [23510 / 29399]
使い方は、用例に載っていたよね。

君のは用例から外れていた。

君には御用がないよ。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: gatsdapoo 投稿日時: 2010/10/04 17:12 投稿番号: [23509 / 29399]
随分話しが進んでしまいましたね。
ちょっと整理させてください。

最初にあなたがNo23428で「様式美などという言葉はない」という主張と、
No23440の「広辞苑、大辞林に載ってないから、認知されているとはいえない」という主張は間違いであった、と認識してもいいんですよね?

Re: 「様式美」はあった

投稿者: mak7664647 投稿日時: 2010/10/04 16:57 投稿番号: [23508 / 29399]
>様式美は使うの。

使う、使わないの問題じゃない。お前の使い方は、辞書には載ってない、ということを言っているの。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 15:38 投稿番号: [23507 / 29399]
2007年2月3日より丸の内ピカデリー1ほか全国松竹・東急系にてロードショー

様式美に頼らない骨太なアジア合作映画
相変わらずアジアの国境を越えたコラボレーションが盛んだ。派手な様式美が売り物の“無国籍風オリエンタル絵巻”に食傷気味の筆者としては、むしろアジア各国のローカルな良作を観たいと願う。というわけで中国・日本・香港・韓国合作の「墨攻」もさほど期待せずに観賞したが、これは歯応えのある1作だった。

アンディ・ラウ扮する主人公、革離(かくり)は、紀元前5世紀の中国に実在した思想集団、墨家に属する人物。彼は戦闘のプロフェッショナルなのだが、他国への侵略を否定する墨家の教えに従い、徹底した守備戦術で10万人もの敵の大軍勢に対抗していく。この設定からして、現代に通じる反戦テーマを読み取ることができよう。敵の動きを先読みし、巧みなトラップで城内への侵入を許さぬ革離の獅子奮迅の活躍ぶりは、胸のすく爽快さだ。

あからさまにCGを駆使した奇抜な仕掛けに頼らず、城壁を挟んだアナログな合戦シーンに力を込めたことで、娯楽歴史活劇としてのスケール感と迫力を確保。ただし若手美人女優ファン・ビンビン演じるヒロインの存在が明らかに浮いており、革離との不必要なラブ・シーンなどが映画の流れをいちいち止めてしまうのはいただけない。それでもアンディがヒロイズムを抑えて好演する孤高の軍師が、戦功報われず苦い運命をたどるドラマには、テーマの本質からぶれない作り手の気概がうかがえる。おそらく製作過程は困難の連続だっただろうが、多国籍クルーの意思統一、そしてジェイコブ・チャン監督の良心が、このアジア合作映画の成功の要因と見る。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 15:37 投稿番号: [23506 / 29399]
関野 美穂 ID: 9000006320467
東アジア学術総合研究所 (2007年 CiNii収録論文より)


CiNii収録論文: 4件

&#8226;<犠牲>という様式美 : 高橋たか子の表現様式について (2005)
&#8226;内なる曠野 : 高橋たか子「相似形」論 (2006)
&#8226;存在の輪郭を求めて : 高橋たか子「渺茫」論 (2007)

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 15:34 投稿番号: [23505 / 29399]
<犠牲>という様式美 : 高橋たか子の表現様式について

The Beauty of Form of "a Sacrifice" : TAKAHASHI Takako's Expressive Form

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 15:11 投稿番号: [23504 / 29399]
風雅なふるまい   四季映す様式美   有職文化研究所「光源氏   加冠の儀」を再現 (2/2ページ)
2010.5.18 07:32

「光源氏   加冠の儀」を再現   有職文化研究所主宰の仙石宗久さんは、「今の街には暗い色の服を着た人が多いが、平安時代にはあでやかな世界があった。鮮やかでしなやかな生地を作るためには、高い技術も必要だったはず。忘れられがちな風雅なふるまいや四季とともにある様式美。そのすばらしさをお伝えしたかった」と話している。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 15:09 投稿番号: [23503 / 29399]
佐賀/有田町
(ありたちょう)
(旧有田町
(ありたまち)) ■関連分類:

有田焼(ありたやき)の伝統的様式美(でんとうてきようしきび)の継承(けいしょう)と先人陶工達(せんじんとうこうたち)の技(わざ)

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 15:07 投稿番号: [23502 / 29399]
  「古式に則り神事を・・」をというようなことがたくさんある。相馬野馬追いの出陣式には、神前で「カクカクたる武運を・・」をというような形どうりの昔ながらの誓いの言葉をのべる。今の時代に何ともおかしなことのように思えるが「様式」を大事にする。「伝統を守る」というのはこういうことなのだろう。

  戦国時代には一騎打にも独特の美学を求めたようだ。現在も日本での柔剣道の試合は、礼に始まって礼に終わる。
  囲碁将棋では、終局後にお互いに頭を振りあい、どちらが勝者かわからない場合がある。相手をいたわるというか、失礼にならないようにしているようだ。
  ガッツポーズには、自分よがりのところがある。そのポーズは今や当たり前になっているが、日本の「様式美」も少しづつ失われていくように感じている。


歌舞伎など高尚な芸術の世界は皆目分かりません。様式美を下世話なところで考えると、どうしても時代劇の世界になってしまいます。最近、映画の時代劇は死滅したも同然ですし、テレビの時代劇は例外なくホームドラマです。残念なことです。
  子供のころ見た映画で覚えているのは、また旅物の決闘シーンで、三度笠やカッパを空に舞い上げるシーンや江戸城将軍ご出座を大名が平伏して迎えるシーンなどで、いずれも様式美の世界です。

工芸品
2007-10-18 から 2008-01-14 まで

ビーダーマイヤーの様式美

ウィーン、プラハ   1815-1830年


ナポレオン戦争の後に訪れた平和の時代、1815年から1848年にかけて中央ヨーロッパで広がったビーダーマイヤー美術は、新古典主義を受け継ぐ美の様式です。簡素でありながら独創性にあふれた大変オリジナルなビーダーマイヤー様式をご堪能ください。





学芸員 : マルク・バスク(ルーヴル美術館工芸品部門長)

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 14:34 投稿番号: [23501 / 29399]
様式美   先ごろの夏場所で優勝を決めた朝青龍が土俵上でガッツポーズを示した。今は見ていて何の違和感もないが、30年前なら非難ゴウゴウだったにちがいない。
  当時はホームランを打ったり、三振をとったりした時に、ガッツポーズする選手をみて、舶来のスポーツだからこんなことも許されるが、土俵上でマゲをつけた力士がこんなことをしたらみっともない、日本古来の「伝統美」を保っている相撲の世界ではありえないこととされていた。

  だが、時の移ろいは、あっという間である。伝統もだんだんとおかまいなしになってきているようだ。日本の伝統文化は、どちらかというと「様式美」に彩られている。
  茶の湯などがその代表例であろう。相撲もまさにそうだ。わずか数mの距離にいる力士を土俵に上げるのに朗々たる声を響かせる呼び出しがいる。横綱の土俵入りは「様式美」の極地であろう。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 14:26 投稿番号: [23500 / 29399]
風雅なふるまい   四季映す様式美   有職文化研究所「光源氏   加冠の儀」を再現 (1/2ページ)
2010.5.18 07:32

「光源氏   加冠の儀」を再現   有職故実(ゆうそくこじつ)の研究機関として、宮廷装束や衣紋道(えもんどう)の紹介に携わる「衣紋道高倉流   有職文化研究所」は、紫式部日記成立1千年記念として、源氏物語・桐壼の巻より「光源氏   加冠(かかん)の儀」を再現するイベントを東京都内で開催した。よみがえったのは、平安時代の十二単(ひとえ)や束帯など70点。雅な動く平安絵巻の世界が観衆を魅了した。

  衣紋道は、宮廷装束の着用方法で、平安時代末期の鳥羽天皇のころ、源有仁(みなもとのひと)が創案、約800年の伝統がある。有職故実は、宮中や公家に伝わる官職や儀式、装束などの研究や知識のことで、平安時代中期から1千年以上にわたって受け継がれている学問という。

  今回は、桐壼の巻から、「大臣礼服」「御佩刀(みはかし)」「紫の上   裳着(もぎ)」「光源氏   清涼殿加冠」の4景を取り上げた。光源氏の元服の場面であり、皇室・公家の成年の式にあたる加冠では、光源氏が童体(どうたい)の装束から大人の装束へと変わる様子を厳かに演出した。

  ステージに浮かび上がった衣装は、どれも彩度が高く鮮やか。生地は繭(まゆ)からこだわり、染料も色がくすまないように選び抜いた。出演者にせりふはなく、あくまでも色彩や文様、立ち居振る舞いを通して、できる限り歴史資料に忠実な平安世界を作り上げた。

http://www.marugotoarita.jp/kanko/aritahego/style1.html

http://www.marugotoarita.jp/kanko/aritahego/style2.html


茶器の歴史
  ●歴史が作り上げた様式美

  中世イタリアに始まり、フランスで大いに栄え、19世紀のイギリス、オーストラリアから全ヨーロッパへと波及した思想、芸術、家具、建築、衣服などにみられる様式のことで、この様式が食卓にも大いに影響しています。それぞれの時代の様式の特徴を知ることは、組み合わせや新しくカトラリーや食器などを揃えるときに役立ちます。お茶がヨーロッパに伝えられた頃からの様式を紹介させていただきます。フランスを中心に形成されてきたことが感じられるかと思います。


映画『おくりびと』で描かれた日本的様式美   肉体と精神の二元論からは生まれない「納棺の儀」

http://www.webcg.net/WEBCG/essays/ozawa_koji/e0000018893.html

http://e-meiboku.co.jp/meiboku/dentou.html

http://sohske.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5018.html

『シングルマン』   トム・フォードの様式美への希求
(c)2009   Fade   to   Black   Productions,Inc.All   Rights   Reserved. 例えば映画では、渋谷にいたカップルが次のシーンでいきなり海辺を歩いていることも珍しくない。物語上のつじつまよりも映像が優先されることで、その作品は初めて“映画”になるのだから。本来“映画的必然”と“物語的必然”は相容れないものなのだ。 本作で映画監督に初挑戦したモード界のカリスマ=…

2010/9/28 10:44

http://www.47news.jp/photo/53289.php

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 14:10 投稿番号: [23499 / 29399]
http://ec2.images-amazon.com/images/I/51m-u9TCf0L._SL500_AA300_.jpg

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 14:09 投稿番号: [23498 / 29399]
様式美は使うの。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: mak7664647 投稿日時: 2010/10/04 14:01 投稿番号: [23497 / 29399]
いくら強弁してもだめだよ。馬鹿。1は、「様式美」は使わないのだよ。

下は、大辞泉より引用。

よう‐しき〔ヤウ‐〕【様式】
1 ある範囲の事物・事柄に共通している一定の型・方法。スタイル。「古い―の家具」「書類の―」

2 ある時代・流派の芸術作品を特徴づける表現形式。「飛鳥(あすか)―を模倣する」「―美」

3 習慣・約束などで定められたやり方。「生活―」「行動―」

笠原著の帰還兵日記の検閲について

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2010/10/04 13:14 投稿番号: [23496 / 29399]
笠原十九司著『南京事件』岩波新書1997

のp102に、

<<兵士の陣中日記は日本に帰還するときに厳しい検閲を受けたので、
右の日記には残虐行為は記述されていないが、>>

p228にも、
<<南京攻略戦に参加した兵士の手紙や日記類もきびしく検閲され、
帰還した兵士に対しても厳格なかん口令がしかれ、

一般国民に残虐事件を知らせないようにされていた>>

と、出てくるのですが、

それならどうして笠原先生は、この著書で、
多数の兵士の日記を、残虐行為の証拠として採用できたのでしょうか。

このあたりの事情について説明してある本をご存知の方、
おられましたら、情報をお願いします。

中国軍隊の記録

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 13:13 投稿番号: [23495 / 29399]
宗希濂「南守城戦」   第78軍軍長兼第36師師長


(当初の七万人前後に加えて)3個軍の実戦兵力計約4万人前後を新たに増加し、南京防衛の総兵力は約11万余人になった。
(中国人民政治協商会議全国委員会・文史資料研究委員会『南京保衛戦』中国文史出版社   P233   1987年)
『南京大虐殺の証明』   P248




譚道平「回憶一九三七年唐生智衛戌南京之戦」
南京防衛司令長官部参謀処   第1科   科長


一二月八日・・・・・ここにいたり、南京防衛に参加した部隊はすでに一〇万人ほどに達した。
(中国人民政治協商会議江蘇省委員会 『江蘇文史資料選輯   第一六輯』江蘇古籍出版   P27   1985年)
『南京大虐殺の証明』   P248

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 13:07 投稿番号: [23494 / 29399]
ざんねんだね。

よう‐しき〔ヤウ‐〕【様式】
1 ある範囲の事物・事柄に共通している一定の型・方法。スタイル。「古い―の家具」「書類の―」

2 ある時代・流派の芸術作品を特徴づける表現形式。「飛鳥(あすか)―を模倣する」「―美」

3 習慣・約束などで定められたやり方。「生活―」「行動―」

↑形式を包含したもの、お馬鹿な人だね。

Re: 日本刀は国民的文化遺産

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 13:05 投稿番号: [23493 / 29399]
>その国民的文化遺産たる日本刀のことを,すぐ折れる
だの,人を斬れないだのとこき下ろし,貶めているのが
このトピにいる馬鹿ウヨたちだ(藁

↑国民的文化遺産を人切り包丁だのと神格化する、馬鹿サヨ達。

文化遺産でも折れる物は折れる、真っ赤な嘘吐き野郎。

Re: 日本刀は国民的文化遺産

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2010/10/04 13:03 投稿番号: [23492 / 29399]
以前の書き込みを見るようにならないのでわかりませんが、

「100人切り」が本当かどうか、という議論なら、

「100人切り」はウソではないかと思います。

武士道をかじった者なら、本当には、そんなことはしないでしょう。

戦前の軍刀は、あまり良くなかったというのが定説みたいです。

それでも、日本刀という認識で持っていた人たちは、
数を切ればいいというような、安直な考えでいた人は、いないと思います。

「100人切り」は事実ではない、という意味なら、
ウヨさんたちの言うことは、本当だろうと思います。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: mak7664647 投稿日時: 2010/10/04 12:31 投稿番号: [23491 / 29399]
いくら強弁してもだめだよ。馬鹿。

下は、大辞泉より引用。

よう‐しき〔ヤウ‐〕【様式】
1 ある範囲の事物・事柄に共通している一定の型・方法。スタイル。「古い―の家具」「書類の―」

2 ある時代・流派の芸術作品を特徴づける表現形式。「飛鳥(あすか)―を模倣する」「―美」

3 習慣・約束などで定められたやり方。「生活―」「行動―」

NNNドキュメント

投稿者: nippon_typhoon 投稿日時: 2010/10/04 12:18 投稿番号: [23490 / 29399]
NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺

part1
http://www.youtube.com/watch?v=iA_gprpCT-U&p=89CBC9986CA22A8D&playnext=1&index=11

part2
http://www.youtube.com/watch?v=CM-PgnTLXqc&p=321302362EFFB52F&playnext=1&index=1

part3
http://www.youtube.com/watch?v=L7VBoJLGc3s&p=89CBC9986CA22A8D&playnext=1&index=13

part4
http://www.youtube.com/watch?v=BIY_fpkV0rc&p=321302362EFFB52F&playnext=1&index=3

part5
http://www.youtube.com/watch?v=3gfbElUS6Ks&p=321302362EFFB52F&playnext=1&index=4

Re: 日本刀は国民的文化遺産

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2010/10/04 11:56 投稿番号: [23489 / 29399]
その国民的文化遺産たる日本刀のことを,すぐ折れる
だの,人を斬れないだのとこき下ろし,貶めているのが
このトピにいる馬鹿ウヨたちだ(藁

深川藤平が引用した史料から5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 11:06 投稿番号: [23488 / 29399]
飯沼守陣中日誌   上海派遣軍参謀長   少将

〔十二月十七日〕
(前略)   今日迄判明せるところに寄れば南京付近に在りし敵は約二十コ師十万人にして派遣軍各師団の撃滅したる数は約五万、海軍及び第十軍の撃滅したる数約三万、約二万は散乱したるもの今後尚撃滅数増加の見込。鹵獲品は相当多数の見込みなるも未だ調査完了せす。

深川藤平が引用した史料から4

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 11:01 投稿番号: [23487 / 29399]
三好捷三『上海敵前上陸』(図書出版社、1970年)   P226

  こうして日本軍は、各方面より進出して南京の百キロ圏内にせまり、その包囲網を圧縮していったが、同時に南京の中国防衛陣も急激に整備されていた。このときの南京の周辺に配置展開していた中国軍の兵力は約三十五万といわれていた。

↑南京から百キロ地点で、中国軍の兵力35万人だったとさ、真っ赤な嘘吐き野郎。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 10:25 投稿番号: [23486 / 29399]
意味不明なのはお前さんだけだよ、御用は無い様だけどね君は。

下記で違いの分かる日本人になることだな。

用例
[用法]形式・[用法]様式――「文書の形式(様式)を統一する」などでは相通じて用いられる。◇「形式」は定まったやり方の意で、「形式にのっとって行う」などと用いる。また、形だけで内容を伴わないことを「形式に流れる」「形式的なあいさつ」などともいう。

「様式」は同類のものに共通する、他の類とは違った流儀や型の意で、いくつかの「形式」を抽象化して得られた一般的な特徴をいう。「生活様式」「行動様式」「ゴシック様式の建築」などと用いる。

深川藤平が引用した史料から3

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 10:21 投稿番号: [23485 / 29399]
東京朝日新聞   昭和十二年十二月十一日 朝刊 (一面)

【上海十日發同盟】 焦土抗戦を豪語して南京城を死守せんとした支
那軍第八十七師、第八十八師、教導総隊の約三萬は十日午後一時
半を期して行われた総攻撃僅か二時間にして早くも動揺崩壊の色を現
し、我が軍は一斉に累壁の敵を撃破し城内に突入したが、敵は尚も
家屋を盾に執拗なる抵抗を試みて居り炎々たる猛火に包まれた城内
は銃砲銃声街路に谺し凄愴を極めてゐる


東京朝日新聞 昭和十二年十二月十一日 夕刊 (一面)

敵兵十萬籠城す
死物狂ひの防衛強化
(途中省略)
【上海十日發同盟】外人方面の情報によれば南京衛戍司令唐生智は
昨九日午後二時各国大使館に対して残留外国人の即時避難撤退を要求
午後五時に至るや、下関に通ずる城門を固く鎖し城内
と城外を連絡する電信電話を一切断ち斯くて城内十萬の敵
は完全に籠城状態に陥つた。

「佐々木到一少将私記」
第16師団   歩兵第30旅団・陸軍少将18期

◇一月五日
  査問会打ち切り、此日迄に城内より摘出せし敗残兵約二千、旧外交部に収容、外国宣教師の手中に在りし支那傷病兵を捕虜として収容。
  城外近郊に在って不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関に於いて処分するもの数千に達す。
  南京攻略戦に於ける敵の損害は推定約7万にして、落城当日迄に守備に任ぜし敵兵力は約十万と推算せらる。


↑日本軍が攻略するより以前に、南京市内は猛火に包まれていたんだよね、真っ赤な嘘吐き野郎。

籠城組が10万人、内7万人は日本軍の攻撃時に戦死、残3万人、一般市民と併せて10万人(安全委員会)と言う事だから、南京陥落後に人間は減った(安全委員会は増えたと言っている)と言う事はないよね、真っ赤な嘘吐き野郎。

俘虜も収容したと書いてあるようだな、真っ赤な嘘吐き野郎。

Re: 「様式美」はあった

投稿者: mak7664647 投稿日時: 2010/10/04 10:13 投稿番号: [23484 / 29399]
>2 ある時代・流派の芸術作品を特徴づける表現形式。

大辞林も大辞泉も、ここに用例として「様式美」が載っている。

それ以外にも、ネットでは使われているが、意味が不明で使っているのが多い。

日本人が苦しむと喜悦するfukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2010/10/04 10:12 投稿番号: [23483 / 29399]
この投稿はfukagawatoheiが日本人に対して抱く理由も根拠もない憎悪が生んだものである。

事実が存在しなければ憎悪は妄想にはけ口を求める。まさに狂っている。

fukagawatoheiの日本人に対する憎悪に狂った精神は、同時に女性に対する凄惨な加虐性をも燃やしている。

だからこのような妄想に日夜狂い続けているのである。

残虐性では負けないでしょうね 2010/ 9/14 17:17 [ No.46249 / 46252 ]
投稿者 : fukagawatohei
>【足立区綾瀬女子高生誘拐監禁集団リンチ虐殺コンクリート詰め死体遺棄事件の真相】
◆アルバイト帰りの女子高生を誘拐して不良仲間4人で輪姦
◆不良仲間の家に監禁し暴走族仲間十数人で輪姦、関係者は100人に及ぶ
◆陰毛を剃り、陰部にマッチの軸木を挿入して火をつける
◆全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせる
◆自慰行為を強要
◆性器や肛門に鉄棒、瓶などを挿入
◆殴打された顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」と笑う
◆度重なる暴行に耐えかねて、被害者は「もう殺して」と哀願
◆顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てる
◆衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲ませる
◆鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった
◆素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打
◆1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打
◆揮発性の油を太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける
◆死んだのでコンクリート詰めにして放置
◆遺体の性器には、オロナミンCの瓶が2本突き刺さっていた
◆性器と肛門と顔面は完全に破壊され原型をとどめていなかった
◆腕や足は、重度の火傷で体液が漏れ出していた
◆脳が萎縮して小さくなっていた

Re: 深川藤平が引用した史料から

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/10/04 10:05 投稿番号: [23482 / 29399]
中沢三夫手記   第16師団参謀長   大佐


“敵の兵力、敵に与へたる打撃” (基本部隊は)計八−九師、当時の一師は五千位 のものなるへきも是等は首都防衛なる故かく甚しき損害を受けぬ前に充たしたと見るへく一万ありしものとすれは、八−九万。以前(上海派遣軍)軍第二課の調査によれは、以上の師団等を併せ20師に上がりるも、是等は各所より敗退し来たりて以上の基本部隊中に入りしものなるへし、之か10師分ある故二−三千と見て二,三万、総計十−十二(三−原文)万の守備兵力なるへし。
(「第16師団関係綴」(防衛庁防衛研究所戦史部所蔵)   第16師団参謀長中沢三夫大佐手記)

『南京大虐殺の証明』   P249




「佐々木到一少将私記」
第16師団   歩兵第30旅団・陸軍少将18期

◇一月五日
  査問会打ち切り、此日迄に城内より摘出せし敗残兵約二千、旧外交部に収容、外国宣教師の手中に在りし支那傷病兵を捕虜として収容。
  城外近郊に在って不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関に於いて処分するもの数千に達す。
  南京攻略戦に於ける敵の損害は推定約7万にして、落城当日迄に守備に任ぜし敵兵力は約十万と推算せらる。
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